1. やじま・ほそやまの「桶屋ラジオ」
  2. #021 50年目前のベトナム戦争..
2026-03-08 30:02

#021 50年目前のベトナム戦争と経済

ふだん広報・PRの仕事に従事するやじまとほそやまが、身の回りの日常のあれやこれやについて広報PR視点も少し織り交ぜつつ、脱線しつつ雑談する番組です。今回はやじまのベトナム旅行記。ハノイとホーチミンで感じた文化や空気感の違い、平均年齢32歳の経済の勢い、そしてベトナム戦争の歴史まで幅広く語ります。そしてまさかの旅行トラブルの話もちらり...。

サマリー

やじまさんがベトナム旅行から帰国し、その体験をほそやまさんと共有するエピソード。今回はハノイとホーチミンを訪れ、両都市の文化や雰囲気の違い、そしてベトナムの経済状況について語られた。平均年齢32歳という若さを持つベトナムは、平均気温30度前後で経済発展の熱気を感じさせる一方、インフラ整備の途上にある側面も。また、ベトナムは世界の製造拠点として、電子機器やアパレル産業が盛んであり、中国に代わる新たな拠点としても注目されている。特に、北部は社会主義色が強く、南部はよりリベラルな傾向があるという文化的な違いも指摘された。 番組後半では、ベトナム戦争の歴史に深く触れる。アメリカと中国・ソ連の冷戦構造における代理戦争としての側面、ドミノ理論、そしてトンキン湾事件を契機としたアメリカの本格参入について解説。ゲリラ戦による長期化、メディアの影響によるクレディビリティギャップ、反戦運動の高まり、そしてベトナミゼーションを経て、最終的にサイゴン陥落に至るまでの経緯が詳細に語られた。この歴史的背景は、現代の国際情勢や文化にも影響を与えていることが示唆された。最後に、やじまさんは飛行機の予約ミスによるトラブルでホーチミンの滞在時間が短くなったことを明かし、リベンジを誓った。

ベトナム旅行の概要と都市の違い
どうもこんにちは、やじまです。 こんにちは、ほそやまです。さあ本日も始まりました、やじま・ほそやまの桶屋ラジオ。
こちらの番組は、普段広報PRの仕事に従事する、やじまとほそやまが、身の回りの日常のあれやこれやについて、広報PRしてもおりませんながら、雑談する番組です。
はい、よろしくお願いいたします。お願いします。 ベトナム行ってきました。 あ、やじさん、お帰りなさいませ。
はい、なんとか帰ってきました。 なんとかですか?
はい、なんとか帰ってきました。 楽しく行って帰ってきた?
そうですね、ちょっとトラブルもあったんですけど、まあまあ全体としては楽しく過ごさせていただきました。
ほそやまさんって、ベトナム行ったことあります?
ベトナム、1年ちょっと前くらいに1回だけ行ったことがあります。
どこに行かれたんですか? その時はホーチミンだけでしたね。
今回どちらでしたっけ? 僕はハノイとホーチミンですね。
2つ。 ハノイはもともと1回行ったことがあって、
ちょっと知ってはいたんですけど、今回ハノイに大手の新聞社の司局で、司局長をやられている方がベトナムにいらっしゃる、
ハノイにいらっしゃるんで、その方に会いに行こうっていうので、ハノイに行って、
ホーチミンはどっちかというと、僕の個人的な興味で、ベトナム戦争の歴史とか、そっち系をちょっと学びに行こうかなっていう興味で、
行ってきたという感じです。 そう、そのベトナム戦争の話とかもね、今日いろいろお聞きしたいと思ってるんですけど、
その前にトラブルって何ですか? トラブルをちょっと後で話します。
ちなみにベトナムってどういうイメージです? ベトナムですか?もう年中暖かい。
ホーチミンはもちろん暖かいですけど、ハノイってかなり緯度も異なるし、気候も文化も全然違うっていうのは当時調べたときに出てきていて、
私が行ったホーチミンは、すごく繁華街というか、これから経済発展していくぞっていうすごい熱気を感じた。
だけど、まだ道とかも整備しきれてないところはたくさんあって、若い人が多いなっていう印象でした。
確かにね。 今回どうでした? そもそもベトナムってやっぱり北と南で、もともとベトナム戦争って南北で戦争したわけですけど、
結構北と南で文化が違いますっていうのは、ベトナムの首都のハノイは北側にあって、
どっちかっていうと社会主義共産の色が強い。南部はもともと資本主義というかアメリカが支援してたんで、
割となんかこうもうちょっとリベラルというかフラットな感じで、あと結構ベトナムって縦に長いんで、南の方はだいぶ暖かくて、
もう本当になんか平均基本30度みたいな感じなんだけど、北のハノイとかあっちになるともうちょっと涼しいというか、
そうですか。 20度前後とかみたいな、ちょっとやっぱり気候とか違いますと。
で、あとまあ特徴的なところでいくと、さっきおっしゃった通りその平均年齢がめちゃくちゃ若いんですね。
やっぱりそうなんだ。 32歳かな。 若いですね。
ベトナム戦争でね、結構300万人ぐらい亡くなったとかそういうのもあると思うんですけど、
まあ結構その労働力っていうのと非常に豊富になって、人口も1億人ぐらいいるんで、そういう意味だと結構右肩上がりで成長しているというのがあるというのと、
あとまあ機関産業みたいなところでいくと、世界の製造拠点と言われてて、例えば電子機器とかスマホとか半導体の組み立てみたいなところで、サムソンとかニンテンドーとかアップルとかが製造拠点を置いてたりとか、
あと強いのがアパレルですね。 あーそうかそうなんですね。
ナイキの靴とかは結構ベトナムで作ってたりとか。 あ、そうなんですね。
あとユニクロとかも、そうですね、進出してたりとか、世界の製造拠点という工場としてのプレゼン、まあ単純に賃金が安いっていうのもあるし、
あとはまあ、中国はやっぱり今ね、派遣主義的な動き方をして、知性学リスクみたいなのをよく聞くと思うんですけど、やっぱりその中国、チャイナリスクみたいなのがあるんで、そうするとまあ、中国に依存したビジネスってやっぱリスクあるよねっていうので、その第二の拠点としてベトナムっていうのが、
あとまあ、その人件費も中国に比べると、まあ若干安いというのもあるんで、まあそういう意味でも注目されていると言う。
あの、ハノイの方はすごく中国とも隣接してるんですよね。 あーそうですね。
そうですよね。国境がつながってるんで。 そうですよね。そうすると文化も結構中華圏の方が入ってるのかなって、今想像しちゃったんですけど。
あーでもそうですね。文化的なとこで儒教社会というか、とか、あとそうですね、社会主義的な思想が強いんで、
まあ社会主義ってその国が全部管理するみたいな思想なんで、そんなになんか生産性上げようみたいなこう前向きな意識っていうよりかは、あんまりそう資本主義でみんななんか成長して給料上げてこうぜみたいなよりかは、
なんか割となんか受け身的な感じがちょっとしたなっていう。 あ、そうなんですか。
南部はやっぱりもうちょっとその資本主義っていうか、ところもあるし、まあスタートアップとかも増えてるし、結構まああのナイトライフというかね、バーみたいなところも結構あったりとか、
ちょっとまああのタイに近いっていうかね、タイは完全民主国家ですけど、
ちょっと近いなっていう感じはありましたね。
ベトナムの経済と製造拠点としての側面
そうなんですね。最初にハノイに行って、その後、ホーチミンの方に来て、
あ、そうですそうです。ハノイに最初行って、まあそれはだからさっきお伝えした通り、そのハノイの市局長の方にお会い、あってお食事して、っていうのが第一目的で、
で、その後、何人かで行ったんですけど、その後に一人でホーチミンに行って、
で、えっと、まあその戦争の博物館とか、いろいろあったりとか、あとはその、まあホーチミンって、ベトナム戦争が終結した場所なんですよね。
あ、終結した場所。
要は、なんか、サイゴン陥落って言われてるんですけど、
サイゴン、そうですよね。
まあ、北ベトナムと南ベトナムが戦争して、で、えっと、まあ南ベトナムがその烈戦になって、最後、その北ベトナムが、その南ベトナムの当時首都で、
当時、サイゴンって言われてたんですけど、サイゴンが、まあ無欠会場っていう形で、もう城旗あげて、もう開け渡しますよ、という形で、
軍事的なそういう爆撃とか、紛争とかがなく、まあ無欠会場っていう形で、開け渡したんで、
まあ街並みとかも、結構当時のまま残ってるものが結構多かったりとか、
えっと、インディペンデントパレスっていうのが今もあるんですけど、そこは、もともとその南ベトナムの大統領府があった場所で、
要はそこ、大統領府は、その北のベトナム軍に、その戦車が突っ込んで入ってきて、で、城旗あげた場所なんです。
ああ、そうなんですね。
なんで、まあある種のその戦争集結の象徴みたいな場所。
そうなんですか。
で、なんで、まあそういう場所も見に行きたいなっていうのもあって。
じゃあ、結構その幼児というかは、最初はハノイの予定だったけど、意外と幼児さんが今回メインで興味を持って行かれたのは、ホチミンの方で。
ああ、そうですね、そうですね。
ベトナム戦争終結の地、ホーチミン
なんですけど、そのトラブルというのが、
ああ、はいはい。
もともとその、木金土日で、で、日曜日の夜中に飛行機乗って、月曜の朝東京帰ってくるって予定だったんですけど、
僕は飛行機を取り間違えてて、日曜の夜発便じゃなくて、土曜の夜発便を取っちゃってたんですよ。
なんと、一日早かった。
そう、一日早くて、で、ホチミンに、そのハノイで二日過ごして、木金って過ごして、土曜日にホチミンに行って、で、ホチミンで一泊二日、まあ土日過ごして、月曜日の朝帰るつもりだったのが、
結局土曜日の夜に帰らなきゃいけないってことが途中で発覚して、
なんと、はい。
結局、まあ木金、ハノイ過ごして、で、土曜日にホチミンの飛行機で移動して、
でも土曜日の夜中帰らなきゃいけないってことで、
そうですよね。
結局、半日ぐらいしかホチミン過ごせず、で、ホチミン着いたのが夕方ぐらいだったんで、
そうだったんですか?
あと、さっき言ったとおり、オペレーションが割とゆるいんで、
遅れちゃうからね。
飛行機も時間通り出発しないし、
結構、なんていうのか、通貫とかそういうのも結構、
そうそう、来ますよね。
すげえ時間かかるんで、
みたいなのが気がついたら、もう6時ぐらいになってて、博物館は当然入れないし、
っていうので、そういう意味で、街並みをぶらぶら散策して、
ちょっとお酒、ご飯食べて、帰るみたいな。
そういう、ちょっと悲しい。
なんと、そうだったんですね。
でも、これはまた行けっていうことかなっていう。
確かに。
かつ、途中で一日早いって気づいたからよかったけど、
本当に。
日曜日に気づいてたら、もう飛行機出発してましたよっていう。
本当ですよね。
話だったんで、不幸中の幸いというか。
確かに、そしたらチーンって感じですよね。
そうですね。
じゃあ、博物館行かず、そのインディペンデントハウスは?
インディペンデントパレス。
ちょっとあれですね、タクシーの移動中で見たから。
あれだ、あれだ、みたいな。
いくつかそういう象徴的な場所があって、博物館もそうだし、
サイゴンが陥落するときに、
南ベトナムで政府寄りの人たち官僚とか、
ベトナム人だけど、アメリカのスパイとして情報提供してたみたいな、
情報協力者とか、
そういう人たちって、戦争が終わると、
自分の身がどうなるか分からないんですよね。
結局、国外に亡命しなきゃいけないので、
アメリカもそれを分かってて、国外退去命令で、
アメリカ人優先ですけど、
現地の協力者のベトナム人とかを、
一部、ヘリコプターとかで救出したりとかして、
その舞台になった場所とかもあったりするんで、
そういうところも見たかったんですけど、
夜なんで。
何しよう、夜なんで。
そうなんですよ。
ベトナム戦争の歴史的背景と代理戦争
すごい、ヤジさんの話聞いてたら、
めちゃくちゃ現地に行って、全部調べてきて、
写真も見せますよくらいの勢いになる。
いやいやいや。
まあ、空気はホーチミンとハノイの違いっていうかね、
街並みとか人の雰囲気とか、違いとか、
感覚としても分かったし、
それはそれで良かったんですけど、
ちょっとその味わうみたいなところまでは、
ちょっと行かなかったなっていう。
そうですか。
そうなんですよ。
ちなみに、ベトナム戦争って、どういう印象ですか?
そうですね、私の本当、浅い知識で、
そんなに古い戦争じゃないじゃないですか、
前世紀というか、
なんでベトナムがそんな同じ国で南北分かれるんだろうって、
ふと思った時に調べると、
本当にやっぱ、地理がかなり縦に長いんだなっていう、
もう別の国じゃんって確かに思っちゃうような地理で、
中国に網羅されてるような密接具合で、
下はもうほぼカンボジアかってくらいの距離じゃないですか。
そこにでもアメリカが南の方を手伝ったんですよね。
支援したんですよね、確か。
そうですね、南ベトナムを支援したんですね。
もしかしてアメリカと中国が対立し始めたのは、
この頃が発端とかなんですか?それは違うんですかね。
間違ってはいないですけど、大きな流れでいくと、
東西の冷戦っていうのがあったということですね。
ベトナム戦争の前からですけど、
東西冷戦ってアメリカを中心とする資本主義の陣営、
西側って呼ばれているものと、
ソ連とか中国みたいな共産主義、社会主義陣営っていう東側っていうのが、
世界規模で対立してて、
最終的には核戦争になるんじゃないかみたいな脅威の中で、
対立構造があって、
さっきおっしゃった通り、ベトナム戦争って北と南に分かれて、
東西の代理戦争っていうことですよね。
北ベトナムはソ連とか中国が支援していて、
南側は資本主義陣営のアメリカが支援してっていうことでしたと。
当時でいくとドミノ理論っていうのがあって、
見たことあります。
ありますか。
要は一つの国が共産主義化すると、周辺の国もドミノ倒しみたいに、
どんどん共産主義化してっちゃうよというのがあるんで、
例えばさっきおっしゃった通り、ベトナムが共産主義化すると、
その周辺のラオスとかカンボジアとかそっちも、
共産主義化しちゃうよねっていうので、
ベトナム取られちゃうと、その周辺もドミノ倒し的に共産化しちゃうんで、
ここは食い止めねばならんっていう、そういうのがあったわけですよね。
それでアメリカが支援しようってなったわけなんですね。
そうです。
もともとは、そういう裏側で、
社会主義陣営と資本主義陣営がバックアップしてるっていうのはあったんですけど、
アメリカの参戦と戦争の長期化
当時は最初のは、あくまでも北ベトナムと南ベトナムの内戦っていう形だったんですけど、
そこにアメリカが本格参戦したのが1965年ぐらいかな。
に参戦して、いわゆるベトナム戦争が始まったっていう。
結構後々だったんですか?参戦式。
そうですね。もともとは、第一次インドシナ戦争っていうのが1950年代にあって、
第二次インドシナ戦争っていうのが、
まさにベトナム戦争とアメリカが参入したタイミングがこのタイミングっていうので、
もともとは最初は軍事顧問を派遣しますとか、金銭的な武器供与しますとかっていうのに留めてて、
直接攻撃ってアメリカはしてなかったんですよね。
アメリカは攻撃してないんですね。
あくまでも武器とか金銭供与とかアドバイスっていう。
ただ、なかなか後着状態が続いてたんで、
ちょっとこれは蹴りをつけないといけないぞというので、
トンキン湾事件っていうのが1964年に起こるんですけど、
要はベトナム北部にあるトンキン湾っていうのがあるんですけど、
アメリカ海軍の駆逐艦が、
北のベトナムの魚雷艇から攻撃を受けた。
その報復として僕ら参戦しますっていう、
大義名分で参戦したんですけど、
これは後に虚偽だったっていう。
虚偽?
だからイラクのアメリカが核を持ってるじゃないかみたいな。
攻撃したと思うんですけど、結構それに近くて。
で、参戦して。
アメリカ的には僕らの強大な軍事力をもっとすれば、
そんな時間かからず北ベトナムを制圧できるでしょって思ってたんだけど、
思いのほか長引いちゃったんですよね。
なんでかっていうと、結構ゲリラ戦、
よく言われるゲリラ戦っていう形で、民間人に偽装したりとか、地雷とか、
あと密林が結構多いんで、そこに隠れてたりとか、
ナパーム団とか、狩猾罪、
ナパーム団とか、そういうちょっと自給船みたいな。
割とゲリラ戦で結構、すんなり行かずに、
すぐ終わんなかったっていうので、長期化してた。
ああ、そうなんだ。
1975年でしたっけ?
終結が75年なので、10年間結局戦争しちゃったんですよね。
クレディビリティギャップと反戦運動
かつ、ちょっとPRっぽい話になると、
結構もう、65年から公式にアメリカの戦争スタートして、
もう66年とか67年ぐらいには、
CIAの調査だと、結構勝てないんじゃないかっていう、
予測は内部で出てたんだけど、
でも、アメリカ負けを認めちゃうと、
アメリカ国内の世論とかも、なんで戦争参戦したんだとか、
政権の支持率下がるとか、みたいなのもあったんで、
大本演発表というか、みたいなのを継続して、
でも、ベトナムに派兵される徴兵の数は増えていくわけですよ。
そうすると、国民からすると、なんだこれは、
なんか政府嘘ついてんじゃないかっていう、
政治不信とか風になっていくと。
あと、ベトナム戦争って、マスメディアが一番影響を与えた、
最初の戦争だって言われてるんですけど、
今、戦況はいいぞって言いながら、結構死亡者が増えたりとか、
ひどい爆撃の模様とかがテレビとかで流されると、
これはなんか、やっぱり政府嘘ついてんじゃないかっていうことで、
クレディビリティギャップって言われてるんですけど、
信頼性のギャップがあるよねっていう。
みたいな中で、反戦運動みたいなのが広がってて、
当時、ジョンソン大統領っていうのが政権だったんですけど、
結構反戦運動が高まる中で、再戦ができずに、
ニクソンに大統領が変わって、
ニクソンはもう完全に勝利するっていうのは、最初から無理だって分かってるんで、
じゃあ、どう名誉ある撤退というかね、着地点を見つけるかっていうので、
彼が始めたのが、ベトナミゼーションっていう、
僕らはあくまでも、直接的な武力行使をせずに、
南ビトバナ軍が、自分たちで独立して、
ちゃんと戦えるようにサポートに徹しますよっていう。
で、破兵の人数とかも減らして、徐々に撤退していく流れを作っていって、
1973年に、パリ和平協定という形で、一旦停戦しますと。
オフィシャルに米軍は撤退しますという形で、
北ベトナムと南ベトナムで、ディールは一旦まとまったんだけど、
北ベトナムからすれば、もうアメリカ抜けたし、
これは攻め込むチャンスやでっていうので、
そんな約束なんて守れねえよ。
最初、地方とか、一部の地域を攻撃し始めて、
ちょっと様子見て、アメリカが攻め込んで来なかったら持って行こうぜっていうので、
ちょっと様子見ながらやってたんだけど、
どうやらアメリカやってこないぞっていうので、
一気に周辺部を、次々観落させていって、
当然、アメリカ政府何もしないのって話になるんだけど、
オリシも1970年代前半ってオイルショックみたいなのもあったりとか、
やっぱり政府側もお金もないし、
反戦の流れみたいなのが続いている中で、
派兵したりとかお金を共有したりするのも難しいっていうので、
アメリカ議会の中でも、そういう支援っていうのが通らなかったんですよね。
軍事介入できないっていう状況の中で、
サイゴン陥落とベトナム統一
次々北ベトナム側がその要所を抑えていって、
最後に1975年にサイゴンが陥落して、
南ベトナムは負けましたと。
一旦臨時政府みたいなのが南ベトナムにできて、
76年に南北統一っていう形で、今に至るっていう形になっているという感じです。
ちょうど今年が南北統一の50年の頃。
アメリカの政治みたいなところも結構絡んでくるっていうのもあるし。
負けましたって言っちゃったら、
勝った側にいろいろ注文されるかもしれないし、
名誉も保てないし、いい形でベトナミゼーション?
このニクソンさんが言って、
結局は負けたっていう形になってはいるのかもしれないけど、
そういうページというかね。
そうですね。
発信というかあるんでしょうね。
そうですね。
ベトナム戦争が文化や思想に与えた影響
あとさっきのクレディビリティギャップみたいな話でいくと、
政府とか嘘ついてるぞみたいなところで、
やっぱりそういう大きな権威みたいなものに対する不信感みたいなものとか、
反戦ムーブメントみたいな流れの中で、
それこそウッドストックっていう音楽のフェスティバルの中で、
反戦ムーブメントとかヒッピー運動みたいな、
反戦反対制とかそういう文化みたいなのができてきて、
結構スティーブ・ジョブズとかってまさにヒッピー文化のど真ん中で、
そういう反体制的なものとか善とかね、
そういう世界観の中で結構過ごして、
アンチのIBMに対するテレビCM、1984年のCMが有名ですけど、
ああいう権威、IBMがすごい帝国みたいなものに対する、
それを解き放つのが我々だみたいな、
ブレードランナーに映画になぞらえて、
これからはこういう自由だ、パーソナルなコンピューターの時代だみたいな、
メインフレームのコンピューターみたいなところから、
パーソナルのコンピューターの時代だみたいな、
そういう反体制とか、権威への反抗、反対みたいなものっていうのと、
スティーブ・ジョブズとかアップルの思想みたいなところと、
通じるものもあるなっていうのは、ちょっと推論ですけど、
あるなっていう感じがしましたね。
ベトナム特需と日本の役割
なるほど、あれですよね、さっきおっしゃってた、
アメリカは直接的な攻撃とかはないけど、
資金援助だったりとか、武器の援助っておっしゃってたと思うんですけど、
日本もそういった意味で特需があったみたいなのありますよね。
そうですね、ベトナム特需みたいな。
朝鮮戦争もそうですけど、結局、アジアに進出する拠点として、
やっぱり沖縄とかの基地とかっていうのは重要な拠点だったりとかもあるし、
関連してそういう物資の需要とか、そういったとも、
やっぱり日本から調達するみたいなのもあるんで、
そういう特需っていうのは、ポジティブに捉えるならば、
そういう戦争特需みたいなものはあったと思いますね。
なるほど、その時も反戦運動はすごくあったみたいなのは覚えてる気がしますね。
そうですね。日米安保とかね、そういうのもちょっと、
当時60年代の安保闘争とか、そういうのもあったしね。
そっか。
うん、そうですね。
ベトナム戦争に関する資料紹介と旅行の再挑戦
なので、そういう歴史を知ると、今アメリカがイランとかね、
ベネズエラとかいろいろやってますけど、
そういうのもちょっと理解する、参考になるような、
そういう地政学的な話とか。
確かに。
みたいなね。
確かに、めちゃくちゃ地政学的にそうなんだなって地図を見て、
そう思いました、ベトナム。
ちなみに今日ちょっとお話したような話は、
ネットフリックスのターニングポイント、ベトナム戦争っていうのが結構、
結構5回シリーズぐらいのドキュメンタリーなんですけど、
それ見るとめっちゃそういうアメリカの政治の、さっきのクレディビリティギャップみたいな話とか。
ベトナミゼーションみたいな。
ベトナミゼーションとかもそうだし、トンキン湾の事件の話とか、
嘘ついてましたよ、みたいな話とか、そういう話も出てくるんで、
あと、サイゴンが陥落するときに、それこそ国外に脱出しようとして、
困ってるベトナム人の人たちの話とか、
実際生々しい感じで出てるんで、それ見ると面白い。
あともう一個は、本でいくと、サイゴンの一番長い日っていう本があるんですけど、
これは、もともと産経新聞でベトナムの特派員だった方が書かれた本で、
まさにサイゴンが陥落するその日にどういう光景だったのかっていうのを、彼の目から
ルポ的に書いてるんですけど、
結構もう、サイゴン陥落したのって1975年の4月30日だったんですけど、
結構もう、当然政府とか新聞社からも、早く帰ってこいって言われて、
なんだけど、結局最後に残って、もしかしたら万が一自分の殺されるリスクもあるんだけど、
実はこの方は奥様がベトナム人で、親戚もサイゴンにいたっていうのも、
多少あったと思うんですけど、
結局、陥落する様子、それこそ、いかにこのサイゴンから脱出する時に人がもう狼狽してるとか、
そういう様子っていうのを結構生々しく書いてて、
えー、そうなんですね。
それめっちゃ面白いですね。
日本の一番長い日?
サイゴンの一番長い日です。日本じゃないです。
日本じゃない。サイゴンの。
こういう歴史とか知性学の話を踏まえて、
ホーチミンに行ったら、いろいろ見たいなと思ってたんですけど、
もうちょっとトラブルというかね、柔らかしたんで、ちょっとまたリベンジしたいなと思います。
リベンジね、そうですね。
すごい、めちゃめちゃ見てきたようなお話でした。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、じゃあ今日はそんな感じですかね。
はい、ありがとうございます。
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