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#026 社会人1年目の「黒歴史」とを振り返る
2026-04-12 40:44

#026 社会人1年目の「黒歴史」とを振り返る

ふだん広報・PRの仕事に従事するやじまとほそやまが、日常のあれこれをPR視点も織り交ぜつつ雑談する番組です。

4月、新年度ということで今回は二人の社会人1年目を振り返ります。就職氷河期の劣等感の中で泥臭い営業に奔走し、毎日遠い目をしていたやじまと、地元新潟で事務ミスを連発し「適性ゼロ」とへこみ続けていたほそやま。

今まさに環境の変化でもがいている方へ「あがき続ければ無駄にならない」というエールを込めて。あの頃の自分たちを笑い飛ばしつつ、新社会人にメッセージを送る回です。

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サマリー

このエピソードでは、パーソナリティのやじまとほそやまが、社会人1年目の「黒歴史」を振り返り、新社会人へのエールを送ります。やじまは就職氷河期を経験し、劣等感を抱えながらも泥臭い営業職に奔走した日々を語ります。当初は内定を辞退するほどの葛藤がありましたが、ウェブマガジン事業の立ち上げに関わる中でマーケティングに興味を持ち、グロービスで経営戦略を学ぶなど、積極的にキャリアを模索しました。社長との対立を経て1年で退職し、その後留学やPRの道に進むなど、試行錯誤しながらも自身のキャリアを切り拓いていきました。 一方、ほそやまは地元新潟で学校法人の事務職に就き、事務ミスを連発し「適性ゼロ」と感じながらも、ひたすら勉強と経験を積み重ねました。特に、多くの専門学校を抱えるグループでの広報活動や事務作業に悪戦苦闘し、車の運転や事故にも悩まされました。しかし、先輩のサポートや自身の成長を通じて、学び続けることや多様な人々との交流の重要性を実感しました。二人は、当時の苦しい経験が決して無駄ではなく、現在の自分たちを形作る土台となったことを語り、困難に直面している新社会人へ「あがき続ければ無駄にならない」という力強いメッセージを送っています。

社会人1年目を振り返るきっかけ
どうもこんにちは、やじまです。
こんにちは、ほそやまです。
さあ、本日も始まりました、やじま・ほそやまの桶屋ラジオ。
こちらの番組は、普段広報PRの仕事に従事する、やじまとほそやまが、
身の回りの日常のあれやこれやについて、広報PR視点も少し織り交ぜながら、
雑談する番組です。
お願いします。
はい、お願いします。
今日は何話しますかね?
ねえ、もう4月になったということで、
春でフレッシュな気持ちなので、今日はちょっと毛色を変えて、
当時の自分たちが社会人になりたての時の、
おー、いいですね。
記憶を思い出してみませんか、というので。
いいですね、もう僕だいぶ昔なんで、記憶がおぼろげなんですけど。
いやいや、もうジジイなんで。
ねえ、意外とあっという間に月日は経って、もう社会人何年目ってなりますけど、
1年目の時の記憶って、やっぱり思い出すと、キュッてこうなるのいっぱいあるじゃないですか。
なりますね、いろいろ。
そうなんですよ。
やじまの就職活動と最初のキャリア
やじまさんは最初、どんな職種からスタートされたんですか?
広報でしたっけ?
僕はですね、最初、あんまり外向けに言ってないんですけど、
表参道にある、もともと編集プロダクションだった会社が、
そこから広告代理事業とか、あとは文具とかステーショナリーの企画販売をやっている会社、
ほんと中小企業ですね。社員数でいくと30人とか40人とかの会社で、
その会社が、もともと編集プロダクションやってて、
もうなくなっちゃった雑誌なんですけど、
花子みたいな女性向けのタウン情報誌を、
まるっと会社で丸受けしてる編集プロダクションやってて、
でも編集プロダクションって下請けなんで、なかなか儲からないよねっていうので、
自分たちでウェブマガジンの事業立ち上げようっていう動きがあって、
僕大学生の時にサークルでウェブマガジン作ってたんで、
面白そうだなと思って入ったっていうのが一応経緯なんですけど、
でもそもそも、僕就職活動で失敗というかつまずきまして、
そうなんですか?今じゃ想像つかない。
もともと僕が就職活動してた時って、一番就職氷河期がそこの時代というか、
本当にどこ受けても書類で落とされるとか、
面接行けたとしても2時まで行けないとか、
そんな厳しいんですね。
いろんな会社受けましたよ。食品メーカーとか製法とかリクルートとか、
しまいにはアジア雑貨の会社とかまで受けて、
そうなんですか。
でものきなめ失敗して、さっきの編集プロダクションの会社が求人出してたんで、
さっきの面白そうだなと思って入ることにしたんですけど、
でもやっぱり就職氷河期とはいえ、大学の同級生とかは大手の銀行とか、
商社に内定取ってたんで、
ちょっと僕は、これはちょっと、このまま名も知れない会社に就職しちゃうと、
ちょっとつらいなと思って、一回内定辞退したんですよね。
そうなんですね。
なんか就職留年しようかなみたいな、思うぐらいちょっと思い詰めたんですけど、
やっぱりなんか当時って、やっぱり大学卒業したら大企業に行くのが当たり前だよねっていう時代の中で、
なんか名も知れない、スタートアップとも言えないような、編集プロダクションみたいな会社に行くって、
なんかやっぱり、ちょっとなんか劣等感というかね、みたいな気持ちもあったんで、
一旦内定辞退したんですけど、
でも、せっかくのご縁だし、
なんか、そういう新しいウェブマガジン事業をやるみたいなのも、ちょっと面白そうだったんで、
とりあえず頑張るかみたいなので、思い直して入った。
そうだったんですね。いろいろな葛藤があって、でも入るかって。
そうですね。
劣等感の中、とりあえずもうやむにやまれず、入ろうかと。
で、さっき言った編集プロダクションの部門じゃなくて、広告代理店の部門に配属されまして、
やることっていうのは、企業向けの広報誌。
はい、企業向けの広報誌。
要は、会員向けにこういうパンフレット作ったりとか、
企業の広告クリエイティブを作って、雑誌に入稿するとか、
そういう仕事をやる部門の営業職に、最初配属されましたと。
なんですけど、やっぱりキラキラした広告代理店のイメージとは全然違くて、
違ったんですか?
電通とかね、博報道とかじゃなくて、ほんとにちっちゃい中小の広告代理店なんで、
もうなんかめちゃくちゃ泥臭いんですよね。
例えば。
例えば、ある自動車ディーラーの販売店で、顧客向けに配る広報誌を作ったりとか、
あるいは顧客向けに、顧客満足度を上げるために、
千葉の田舎のほうで、ゴーカートのイベントやったりとか。
そういうイベントがあるんだ。
で、その担当者からは、ミーティングに行くたびに、毎回ご飯とか、おごらされたりとか、
そうなんですか?
野球のチケットを要求されたりとか。
そうなんですね。
とか、そういうのもあったし、
あとは、ある外資系の証券会社の広告の制作業務とかでは、
担当者の女性からめちゃくちゃどやされるというか、
結構強いお姉さんだったので、相手方が。
なので、ちょっと僕が広告の入稿作業とか、あんまりよくわかってなくて、
もごもごしてたら、
あんた、もっとちゃんとしゃべりなさいよ、みたいな。
どなられるっていう。
自慢されてるんですか?
いやいや、もう全然。
だし、社内も結構めちゃくちゃで、
先輩もギャルのすごいチャラい、クラブ遊びしてます、みたいな人とか、
あとは、片屋凌津寛吉、コチカメの凌津さんみたいな、
すごい豪快で、仕事はまあまあできるんだけど、
割となんかデリカシーがない。
キャラ濃いじゃないですか。
キャラ濃いですね。
ズカズカ、結構こっちに踏み込んでくる先輩とか、
あとは、夕方から酒を飲み出す、
大丈夫ですか?
おじいさんというか、おじさんとか、
面白すぎる。
あと、成り物入りで、有名な会社から事業部長として入ってきた人が、
1週間で失踪しちゃうとか。
どこ行ったの?
結構ヤバかったですね。
すごいですね。そんな濃いんですか?
みなさん、自由ですね、なんだか。
いや、もう自由っすね。
で、そういうかなりカオスな環境で、
僕自身やっぱりなんか、やっぱり営業向きじゃなかったんでしょうね。
やっぱり仕事は正直できなかったと思います。
正直その、口下手だし、あんまりその、なんかその、
都度都度なんかこう、その局面に応じて、
臨機応変に対応するみたいな、
起点が利くタイプでもないんで、
最初そのね、広告代理事業で、
その既存のお客さんのルート営業みたいな感じだったんですけど、
その後にそのウェブマガジンの事業が立ち上がって、
そっちの営業もやれっていうんで、
それはもう完全に土新機の営業で、
当時そのウェブマガジンの事業って、
そのバーティカルというか、
専門誌みたいなのを何十個も作るみたいな、
そういう構想で旅行の専門誌とか、
ペットの専門誌とか、
もうほんとバーティカルの、
そういう媒体を、いわゆる通常のなんか、
テキスト中心のウェブ媒体に比べて、
圧倒的なクオリティで、
雑誌みたいなクリエイティブで出しましょうっていう、
まあちょっとかなり時代的に早かったと思うんですけど、
っていうので、広告取んなきゃいけないよねっていうんで、
例えばペットのウェブマガジンの事業だと、
そのペットの雑誌を買ってきて、
で、そこに広告出行してるペットショップとかを、
連絡先調べて、一件一件電話して、
すごい地道な営業。
で、会いに行くっていう、
もう当然ながらそのウェブマガジンなんて、
全然知られてないし、
会社もね、何も知れない中小企業なんで、
そもそもアポなんて取れないし、
あったとしても、
まあ本当に街のペットショップとかもあるんで、
まあね、
そのバナー広告1本が月10万円だとしても、
全然売れませんみたいな。
まあそういう感じですね。
そうなんだ。
そのマガジン立ち上げから、
一件一件新規開拓ってなんかスタートアップみたいですね、
本当。
そうですね、そういう意味ではスタートアップっぽかった。
仲の人たちはね、もともと編集バター出身なんで、
あんまりそのデジタルとかインターネットとか、
詳しくはないですけど、
結構僕が最初入ったときは、
まあ3、40人で、資本金も1,000万円だったのが、
泥臭い営業とカオスな社内環境
途中からまあ資金調達して、
で、資本金も数億円になって、
で、フロアも最初ワンフロアだったのが、
増床して、
2フロアになったりとか、
まあそういう意味では結構こう、
ダイナミズム的なものは感じられたんですけど、
たとえやってる自分の仕事はね、
全然その既存のお客さんからは、
飯とかワイルドを要求されるし、
新規の営業はアポ取れないし、
本当なんか毎日会社辞めようって思ってて、
そうなんだ。
で、まあなんか唯一の癒しは、
会社が表参道にあったんで、
その通勤の機会に、
表参道の高級住宅街とかがあるじゃないですか、
そういうのを眺めて、
いずれは自分もこういうところで暮らしたいな、みたいな。
なるほど。
そういう。
夢を。
さっきのその癒しの部分を見つけ出しに行くじゃないですか、
この会社がちょっとなかなか順調にならないときって、
その高級住宅街以外だと他に何かしたとかありますか?
パーッと遊ぶとかありました?
まあそうですね。
まあちょっと当時の時代で行くとやっぱりね、
合コンに行くとかね、
まあそういうところでまあ、
うさを晴らすっていう感じですかね。
でも結構うつうつとしてたかもしれないですね。
そうなんですか。
えー、それでも、はい。
その、
はい。
いいですか、すみません。
はい。
そのユニークな方々がいる中で、
気の合った先輩とか後輩とか同僚とかいませんでした?
そうですね、
まあやっぱり僕なんかあんまり可愛げがないっていうか、
先輩向けもそんなに良くなかったんで、
えー、そうですか。
そこまで正直いなくて、
で、まあちょっとその局面が変わったタイミングとして、
やっぱりなんかもうお前営業向いてないなみたいな感じで、
で、そのウェブマガジン事業のマーケティング担当に移されたんですよね。
あ、そうなんですね。
で、その、
当時そのウェブに詳しいアメリカ人の女性の担当者と一緒に、
ウェブマガジン事業とビットバレー
そのマーケティングの戦略を考えたりとか、
あとはまあ当時そのコンテンツを、
ポータルサイトってそのヤフーとか、
あとまあ今なくなっちゃいますけど、
ライコスとかインフォシークとか、
まあそういったようなポータルサイトに、
自分たちのウェブマガジンのコンテンツを、
そのアライアンスのなんかコンテンツ提供っていう形で、
まああの営業というかちょっとビズデブっぽいことさせてもらったりとか、
あとはそのウェブマガジンのプロモーションの計画を立てるために、
サイバーエージェントとかセプテーニとか、
当時彼らも会社立ち上がったばっかりで、
営業マンも本当なんか高卒でなんかバリバリなんか、
駆け出しで営業やってますみたいな、
まあそういう人たちとなんかプランを考えたりとか、
なんかそういうところからなんか、
自分はなんかそういうなんか計画とかね、
プランニングするのは楽しいなっていう、
あとまあそのインターネットの業界自体が、
当時そのビットバレーって聞いたことあります?
ビットバレー?聞いたことないかもしれないです。
あの当時まあ2000年前後ぐらいですかね、
渋谷の地域を中心に、
スタートアップというか、
当時はベンチャーって言ってましたけど、
インターネットベンチャーがすごい立ち上がっていて、
それをビットバレーアソシエーションっていう、
有志で団体作って盛り上げていこうぜっていう、
ムーブメントみたいなものがあって、
そのパーティーに孫正石が来たりとか、
すごいですね。
そういう第一次インターネットブームみたいな、
まあそれこそ楽天とかライブドアとか、
サイバーエジェントとかも、
その流れの中で出てきたりみたいなところの中で、
僕も一応ウェブマガジンの会社に働いているので、
そういうね、集まりに参加したりとか、
今のすでに有名になっている企業家の人たちも、
当時はまだ全然僕と同じぐらいだったので、
普通に情報交換したりとか、
みたいな、
そういう、
若い世代が時代を作っていくんだみたいな、
そういう盛り上がりっていうかね、
ムーブメントがあったので、
孫正石かもしれないけど、
一員でやっているよなっていう、
そういうのはすごい楽しく、
そこからちょっと自分のやる気が湧いてきたっていう。
そうなんですか。
マーケティングライブセブンションに。
ただウェブマガジンの事業自体は、
グロービスでの学びと退職
全然儲からなくて、
トラフィックとかも全然増えなくて、
自分なりにこれは何とかしなきゃと思って、
おこがましいですけど、
自分が会社を立て直してやるんだぐらいの勢いで、
ちゃんと勉強しなきゃなと思って、
グロービスに行って、
経営戦略とかマーケティングの授業を受けたりとか、
このタイミングなんですね。
クリティカルシンキングの授業を受けたりとか、
みたいなのを受けてて、
周りはね、グロービスって割と企業研修で、
派遣されてくる人が多くて、
だいたい30前後ぐらいが、
割とボリュームゾーンだったんですけど、
僕だけ新卒で行ってるみたいな。
すごい。そうなんだ。早い。
そうですね。クリティカルシンキング、
私も矢島さんに勧めてもらって、
実行しましたけど、
でも、それを新卒1年目で行こうっていうのは、
やっぱ意識が違いますね。
なんか自分なりにね、
その使命感みたいなのがあったのか、
でも、この時にね、
そういう授業を受けて、
クリティカルシンキングとかって、
1回覚えると、
後々に役立つじゃないですか。
そうですね。
そういう意味では、
めちゃくちゃ良かったなと思ってますと。
で、結論から言うと、
僕、最初の会社を1年で辞めてるんですけど、
そうか、1年なんですね。
いろいろあったように感じますけど。
めちゃくちゃ濃厚だったんですけど、
その辞めた理由っていうのが、
社長と対立をしまして、
対立というか、
それぐらい自分的になんかね、
使命感を持ってやってて、
授業の伸ばすためのプロモーション計画みたいなのを、
サイバーエージェントとか、
外部の代理店さんにも協力してもらいながら作って、
社長プレゼン持ってったんですけど、
その時に、
もうフレコっていうか、
時効だからいいと思うんですけど、
結局広告代理店経由で発注すると、
マージン取られるから、
だから、直接やれと。
直接やれと。
広告代理店を介さずに、
媒体社に直接申し込めと、
いう話されまして、
でも、それはやっぱり仁義としてあり得ないし、
そういうことやると、
業界からね、
誰も取引してもらえなくなりますよって、
もちろん言ったんですけど、
けっこうワンマンな社長だったんで、
いや、もうだめだって言われて、
この会社っていうか、
この社長にはついていけないなと思って、
その日に、
人材エージェントに登録して、
すごい!
転職活動して、
1年目の3月末に辞めるという、
キャリアでございます。
なので、あんまり参考にならないかもしれない。
やじまのキャリア形成と教訓
八島青年、すごいですね。
今だって、
同じような、もし新卒の方がいたら、
わかんないですけど、
もう少し例えば、
社長と話し合ってみたらとか、
八島さん言いそう。
そうですね。
僕も若かったっていうか、
たぶんね、
当時の社長の身になって考えると、
ウェブマガジン事業もうまくいかなくて、
毎月キャッシュは出てくるわけじゃないですか。
1円でも節約したりとか、
たぶん相当必死だったと思うんですけど、
僕はそこまで正直想像力がなかったんで、
こんな会社辞めてやるって思って、
辞めちゃうっていう、
バカだなって思うんですけど。
そうだったんですね。
その行動力はすごい。
ただ、そこからまた別のスタートアップというか、
2会社に入って、
そこでマーケティングの仕事をして、
やっぱり専門性身につけたいなと思って、
留学して、
PRの勉強して、
帰国してからPR代理店に勤めて、
自分のキャリアの軸ができてきたんで、
そういう意味では、
若い時期にいろいろ転職したりとか、
グローベスみたいなところに行ったりとか、
いろいろやったのは、
無駄ではなかったなと思っています。
すごい、そうなんだ。
いろいろ営業とか、
別の職種について見たからこそ、
合う合わないっていうのも、
かなり早期のうちに気づいて、
バシッとハマったら専門性高めよって、
でも留学までしちゃうわけじゃないですか。
早かったですよね、そのジャッジが。
焦ってたかもしれないですね。
周りは、それこそ同級生は、
大企業入って、
大企業って基本的には、
ジョブローテーションっていうかね、
ゼネラリストで、
ある種会社がキャリアを考えてくれるけど、
僕みたいに最初に中小企業入っていると、
転職前提というか、
自分で自分のキャリアを作るしかないんで、
そのためにもやっぱり、
何かしら自分が人に負けない領域っていうのを
作らなきゃっていうのは、
当時猛烈に焦ってた記憶があって。
なるほど、そうだったんだよね。
意外。
そうなんですよ。
入社して、
矢島青年は一瞬だからスタートアップじゃないですけど、
潜って、
ゼロだったところが、
本当は1、2ってプラスになるはずが、
一瞬マイナスに潜ってやばいってなって、
一気にそこから転職して、
留学もして、
マーケティング磨いてって、
10、100って、
V字成長じゃないですけど、
なった感じがしますね。
いやー、V字でもないですけどね。
結構20代は、
PRでやっていこうと決めたけど、
PR会社も、
日系のPR会社と外資系のPR会社で、
2年でそれぞれ辞めてますし、
割とそういう意味だと、
腰は座ってなかったなと思いますね。
2年でそっか。
でもここはもう、
次というか成長というかが、
もう大体このくらいかなって、
分かるから次に大体行くじゃないですか。
はい。
で、次のフィールドに移って、
でもここでもなかったなって。
勇気もいりますよね、
転職するときの。
そうですね。
でもちゃんとハマるとき、
めっちゃ長いですしね、アジさん。
そうですね。
結構なんか、
自分なりに最善は尽くすし、
でもなんかここ、
やっていく中で、
壁にぶち当たったなと思ったら、
とりあえずなんか足掻いて、
自分なりの抜け道というか、
それをどう抜けるかみたいな、
考えていく中で、
新しい道が開けるとか、
人の縁とかで、
お誘いいただくとか、
最初からこういうキャリアを作りたいと思って、
やってたっていうよりかは、
今の目の前をこう、
ずっともがいてて、
で、もがいてる中で、
次の道が開けるみたいな、
ずっと積み重ねで、
やってきたなっていう感じなんで、
なんか、
僕が言うのもこがましいですけど、
なんか何か新社会人に、
アドバイスすると思ったら、
今いる自分の環境が、
地獄だと思っても、
なんか、
あがき続けた方がいいよっていう、
止まらないっていうか、
止まらない。
止まったらね、
停滞しちゃうっていうか、
諦めたら終わっちゃうんで、
それはね、
グローブスとかに行くでもいいし、
社外の人とかとネットワーク作るでもいいし、
今だとね、
なんかそういう、
ノートとか、
ポッドキャストやるでもいいし、
そういう中でね、
人とのつながりとか、
新しい興味とかが、
出てくる気がするんで。
そうか、今聞くと、
全然当時の矢島さんの話って、
今の矢島さんを作る土台だったんだな、
くらいにしか、
思わないですけど、
でも当時の本人としては、
もう苦しくて、
先が見えないみたいな。
そうですね、
毎日やめたいと思ってたんで。
国境住宅街を見て。
そうですね。
死んだ目をしてましたね。
そっか、今振り返ると、
当時があって、
よかったなってなりますね。
僕の話はね、
ほそやまの就職と事務職での苦闘
それぐらいで。
矢島さんはどうですか?
最初のキャリアって。
本当、社会人1年目が、
一番鬱になりかけてたと、
当時。
そう、振り返ると思ってて、
だから、1年間仕事して、
私、いつ鬱になるんだろう?
いつなるんだろう?
と思ってて、
あ、私、ならない人間なんだって、
気づいた、1年間。
ならないって。
なんかね、
本当、そのくらい、
私の適性が見えないし、
どこまでやっても、
上になんて上がれない、
上手くならない、
できるようにならないって、
思ってたから、
とにかく、
同じ働く職場の人にも、
上司にも、
顔向けできないというか、
逃げる場は、
TSUTAYAの本。
ひたすら逃げ、
本は、
なんていうか、
私の味方をしてくれるというか、
元気をつけてくれるから、
ビジネス書とか、
小説もそうですけど、
読み漁り、
なんか居場所を、
ひたすら探してたっていうのが、
社会人1年目だったんですけど。
そもそも、
どういう会社に入ったんですか?
そうですよね。
簡単にお話ししますと、
専門学校事務でのミスと課題
私、大学は東京の大学だったんですけど、
地元の新潟に、
新卒の時から、
Uターン就職していて、
新潟の地場の企業で、
働いていまして。
どういう系の会社だったんですか?
授業は。
授業は学校法人で、
大学とか、専門学校とか、
高校とかを、
私立で持っていて、
その中で私は、
専門学校の事務局に、
配属になって、
事務作業をするんですけど、
ちょっと面白い専門学校グループで、
新潟県内に30校くらい、
専門学校があるんですよ。
すごいですね。
30校ね。
そう、30校。
しかも、大原とか、
ああいう、
同じような形態を広げるんじゃなくて、
全部違う種類の専門学校で、
もう何でも職種がある。
公務員とか、
作家とか、
アニメ、漫画、声優、
看護師、
介護師、
ウインタースポーツとか、
その新潟にしかない、
唯一の専門学校とか、
いっぱいある、
不思議な専門学校グループで、
その中のうちの私は、
調理とか、
生活とか、
そういう食べ物系の、
専門学校に配属になりましたと。
ただ、やることは本当に、
いわゆるゼネラリスト、
それこそ、
何でもやるっていうので、
入試対応したりとか、
証明書を発行したりとか、
学費の管理をしたりとか、
在校生に関わることも、
全部やりますし、
でもメインは、やっぱり学生集め。
そこは広報活動なんですけれども、
対高校3年生に、
いかに入学してもらうかっていうのが、
売り上げを決める、
大事なところで、
それを1年のサイクルをかけて、
やっていくっていうのが、
仕事だったんですよ。
結構クリエイティブなこともありましたし、
事務ばかりじゃないんですけど、
やっぱり事務処理が本当に苦手で、
私は。
たとえばどういうミスをされるんですか?
ミス?なんてもんね。
毎日数えきれないことするんですけど、
たとえば、
封入作業。
本当アナログですけど、
高校生向けに、
オープンキャンパスを毎週開催するので、
それを手紙で送りますってときも、
全部印刷をして、
見通りにして、
封をして、
シール貼って、
差し込み印刷をして、
住所を貼ってとかやるんですよ。
差し込み印刷を間違えるとか、
住所と名前を間違えるとか、
それをダブルチェックして気づいたときに、
やばいってなるとか、
週刊があと1時間後に来るぞって言って、
やっているとか、
電話対応とかも聞き間違うとか、
いっぱいそういうのはたくさんあって、
落ち込んでいる暇もなく、
それから次に業務が来るので、
よく当時の先輩に言われたのは、
凹まずに反省しろって。
凹まずに。
確かにその通りなんだけど、
凹むんだよなと思いながら、
その毎日凹んでいる間もなく、
確かに失敗が続くわけなので、
どう挽回していいかわからないくらい、
失敗が増えていくっていう。
その同期とかはいたんですか?
そこが同期が、
私同じ入社6人くらいだったんですけど、
みんな同期は配属下げがバラバラなので、
誰にも合わないんですよ。
そっかそっか。
だから同期でも同じような失敗するかもしれないけど、
日々顔は合わせないので、
もう10個以上離れた先輩しか周りにいないので、
すごい先輩もなんでこんなミスするかわからない。
私もなんでこんなに自分がミスするかわからないし、
もう先輩に怒られるっていうのが怖いから、
またミスを繰り返しちゃうの連続で。
良くないですね、確かにね。
不のネガティブスパイラルというかね。
そうです、本当。その通りで。
もう1個課題だったのは、
車の運転をしなきゃいけない。
っていうのがなかなかな課題で、
高校に行くにもいろんな会場に行って、
高校生と会って、
車専門学校で資格取れるよって話をしてくるんですけど、
そこに行くにも全部運転しなきゃいけないので、
道を間違えたら大遅刻をするし、
高校車、学校の車を借りて、
いろいろ事故ることもあったんですけど。
事故ったの?
車の事故なんて何回もありますよ。
マジですか?
この話をするとね、
事故を起こしちゃうといけないから、
あんまりしないようにしてるんですけど、
いっぱいあります。
さすがに退陣はないですよね。
退陣はないです、そう。
退屈なんですけど、
持参ばっかなんですけど、
そういうフィジカルもメンタルもいろいろ。
結構所内的には大丈夫?この子みたいな。
おっしゃる通りですよ。
後から聞いた時には、
細山以降、1年で放出するか考えたわよ、みたいな。
転機と成長、そして学び
放出人員ですよ、本当に。
それでも、やっぱり3年間は、
同じ現場で座ってましょうっていうのが、
人事としての理由があって、
当時の部門長にも、
細山さんよろしくねって、
人事の人に言われてたらしくって、
でも渋々、長子は面倒を見てくれていて、
でも2年目の時に、
なんか風向きが変わってきて、
それは2つちょっと理由があるんですけど、
1個は、産休に入ってた先輩が戻ってきてくれて、
そしたらちょっと雰囲気が変わったっていうのと、
もう1個が、いわゆるオスブネさんと言われていた先輩が、
ちょっと体調不良2週間入院されたことがあって、
その時、人がいなくなると、
誰も頼る人がいないから、
結局自分で動くわけじゃないですか。
そこで成長して、
細山、あなた、私が入院してる時、
一番成長したわねって言われた。
確かにね、そういう自分がやらなきゃっていうね、
自分が心狩りというかね、
最後責任を持つ立場になると変わりますよね。
そうなんですよ。
そういうのとかがあったりして、
今思い出すけど、
いろいろ冷や汗が出てくるんですけど、
もうそんなことがあって、
なので、娯楽は本当に蔦屋だったんですけど、
当時の私が。
だから、今思うと、
これから社会人になる方に、
伝えたいメッセージというか、
アドバイスするとしたら、
とにかく勉強を続けるというか、
社会人になって入社して、
終了じゃないから、
新しいことをどんどんアップデートしていかなきゃいけないから、
ひたすら勉強は止めずに、
自分の身になることを、
やったことないことも含めて、
学び続けることが、
私は結構救いになったので、
それを嫌がらずというか、
楽しんで勉強続けられると、
後々自分の助けになるなって思ったのと、
あと、大学時代までって結構、
同世代の方と話すことが多いじゃないですか、
社会人になって一気に年齢差のある方と話すことが増えるから、
それを楽しむ方がいいよねってチャンスと思って、
年上の方と、
あとは他の会社の方と話すことを、
どんどん楽しんで吸収していけると、
いつか自分の適性というか、
合ってるところが見つかるんじゃないかなっていうのは、
当時の自分に教えてあげたいですね。
いい話ですね。
真っ暗だしたよね、当時はね、目の前が。
勉強されたっていうのは、
例えばどういう、今思うと、
これは良かったなっていう、何かありますか?
私が仕事の量が、もしかしたら多かったかもなんですけど、
とにかく遅かったんですよ。
遅いし失敗するしで、
だからとにかく、
ビジネス書みたいなのをいっぱい読んでたんですけど、
その時思ったのは、
とにかく仕事を溜めずにやれとか、
9割じゃなくていいから、
もう4、5割でもの完成度でいいから、
とにかく上司に確認しろっていうのとかは、
すごく気を付けるようにしてましたね。
ついつい怒られるのが怖くて、
自分で溜めがちにしとくんだけど、
結局完成度なんて上がらないから、
だったら早めに見せて、
フィードバックもらったほうが、
上司としても進捗確認できて、
安心するからっていうようなところは。
そうですね。
そんな勉強ですね。
そんな専門性の高いものではないですけど。
でも失敗して、
ちょっと学ばなきゃと思って、
そういう本を読むとね、
吸収しますよね。
そうなんですよね。
問題意識がないまま読んでもね、
あまり身にならないじゃないですか。
確かに。
あとは、結局英語の勉強とかは、
今でもしたりしますし、
国語の勉強もしたりとか、
それこそグロービスのね、
デジカルシンクみたいなのもやりましたけど、
年齢どんどん重ねていって、
社会人経験積んでも、
新しいことをやっぱり学ぶと、
直接的に仕事を結びつかなくても、
今になって気づくこともたくさんあるし、
学ぶことはやめないほうがいいなっていうのは、
確かに。
確かに。いい話。
っていう、はい。
過去の経験と現在
いや、なんか、どうですか?
思い出してどうですか?矢島さん。
いやー、だから、
当時はしんどかった。
っていうか、ほんと逃げ出したいなって思ってましたけど、
やっぱりちょっと時間がたってね、
いい思い出に変わるというか、
あの時の経験があったから、
今があるよなっていうのもあるし、
それこそ、
普通1年目で会社辞めて、
転職するって言っても、
どこも取ってくれるとこないんじゃないかって思ったんですけど、
でもそれこそ、
グローブスに通ってとか、
自分でその、
計画、戦略みたいなのを立てて、
社長にプレゼンしたとか、
そういう意識が高い姿勢みたいなのは、
結構、人材エージェントの方もそうですし、
転職の面接を受けた会社も、
評価してくれたりしたんで、
そういう意味で、やっぱり、
自分なりにもがくというか、
足掻くというか、
みたいなことは、やっぱり、
次にそれがつながる、
いい経験だったなと思うんで、
その過虫にいるとね、
自分そんな余裕ないっていうか、
必死なんでね、あれですけど、
無駄にはならないなっていう、
確かに無駄にならない。
感じが。
いや、意外でした。
ちょっと矢島さんの、
いや、もう、
劣等感の塊だった。
そういう経験あると、
人の痛みとかも分かったりしますからね。
いろいろ想像力とかも、
身についたりしますし。
そうですか。
でも、たまにはね、
こういう昔話もね、
あんまり昔話ばっかりするとね、
おじさんって呼ばれちゃうので、
ほどほどに。
たまにしましょう。
たまにはこういう話もね、
織り混ぜつつ、
やっていければと思うんで。
そうですね。
また新年度もやっていきましょう。
やっていきましょう。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
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