1. おかさん、ハイ!
  2. #113 生成AIから学ぶ:考え過ぎ..
2025-02-20 11:46

#113 生成AIから学ぶ:考え過ぎるとつまらなくなり、指示しすぎると質が下がる

サマリー

生成AIを利用する中で、考えすぎるとつまらなくなるという教訓を得たお母さんが、自身の経験をもとに学びを共有します。また、指示をしすぎることによってアウトプットの質が低下することについても考察します。

生成AIの経験
おかさん、このチャンネルでは、都のほとり、滋賀県に住むアラカン、まもなく60歳、定年を迎えるはずだったけど、
会社を希望退職で辞めて、セカンドキャリアを歩き始めたおかさんが、仕事、生活、人生について、ゆるーくお話しします。
改めまして、みなさん、こんにちは、おかさんです。
今日は、仕事で生成AIを使っていて、気づいた、考えさせられることがあったので、それを話してみようかなと思います。
何を思ったかというと、考えすぎるとつまらなくなるとか、
あとは、指示をしすぎると仕事とかアウトプットの質が下がる、みたいなことなんですね。
これ、生成AIで今日体験をしたんです。
仕事でGPTとかGeminiとか使って、いろんな作業を効率化していると。
例えば、長文のレポートを書くとか、文章、解説の記事を書く、SNSの投稿をする、みたいなところで、
ざっくりまとめる、素案をまとめるところで生成AIを結構使っているんですね、仕事でね。
副業でも使っているんですけど。
今日は仕事で、4センジか5センジぐらいのコラムのようなものを書きたいなと思って、
いくつかテーマとキーワードを決めた上で、チャットGPTに与えて、ざっくり構成とか文章を考えてもらう、みたいなことを何ヶ月もやって、
今日はチャットGPTを開いて、いつもは優勝版を使っているんですけど、エンジンモデルを選ぶことができるんですね、チャットGPTって。
GPT-4Oとか、GPT-01とか、GPT-03とか、GPT-01 Proとか、あって、ずっと何ヶ月かそのタスク、数センジの文章を書くというときには、
GPT-01というモデルエンジンを使っていたんですけど、先週ぐらいからGPT-01 Proというもう少し高度なモデルエンジンを使って文章を書こうと思って、
前回1回書いて、今日も書いてみたんですけど、文章、何ていうんですかね、すごい抽象的なんですけど、つまらない文章、尖ったようなというか、ちょっと論理的、肩苦しすぎて、
何か、いい感じの読みやすさとか、クリエイティビティを感じさせるような部分とかが無くなった気がしたんですけど、でも前回も何かそんな感じかなと。
確かに文章の量とかはGPT-01よりもGPT-01 Proの方がいっぱい出すんですよね、最初で一発目で。長文にはなっているんだけど、何か非常に非表現していたんですけど、文章、日本語の読み物の文章として、すごいつまらなくなったらというふうに感じて、今日一度GPT-01に戻して文章を書かせてみたという経験をしました。
モデルというかエンジンが上がる、つまり頭が良くなる、しっかり考えてくれる、今すごい話題ですよね、詳細なリサーチ、ディープリサーチとかやってる、徹底的な時間をかけて考えてくれると。
GPT-01 Proというのも、1分近く考えてくれた後、バーッと一気に出力を出すんですけど、考える力が高いモデルを使って長時間考えると、何かつまらなくなったというふうに感じたと。
今日たまたまXQ Twitterの投稿を見てて、同じようなことをつぶやかせて投稿を見つけて、やっぱり同じように感じられている人がいるんだというふうに思ったんですね。
考えすぎるとつまらなくなるというのは、私もプロダクトマネージャー全職で似たような経験をして、フレームワークとかロジカルに構造的にきちきちっと、しっかり多面的に考え尽くして、
その結果で企画を作ったりとか、そういった企画を見てもワクワクしなかったりするという経験があります。自分でもそういった経験があって。
指示の重要性と影響
だから当然、初期段階ではフレームワークを使ったり、論理的に考えたりはするんですけど、企画のプレゼンテーションとか、考えるときは一旦咀嚼して、ストーリーに置き換えたり物語に置き換えたりすると。
伝えることが大事なので、そういった仕事を企画の作り方をやってたんですけども、なのでSSAIでも考え尽くすのが得意なO1プロとかというモデルで考えさせて、もしかすると物語とか読ませる文章として、一旦またO1とかOOとかという、
考えるレベルで言うと少し低いんだけども、そういったモデルを変えて、読ませる文章として仕立て直すみたいなやり方がいいのかもなというふうに思いました。
なので、考えることは大事なんだけど、考えすぎるとつまらなくなるというのは、SSAIでも経験したし仕事でも同じなんじゃないかなというふうに思いました。
もう一つは指示しすぎると質が下がるという経験ですね。それも今日、何度かやってるんですけど、文章を練っていくときに、例えばこんな観点が抜けてるから追加してとか、もう少しこの部分を詳細に解説してみたいな感じでブラッシュアップしたり練り上げるみたいな使い方をするんですね。
そういったことをやってる人おられると思うんですけども、今日、例えば、技術的な観点と組織とか人事的な観点があって、最初に出してきた文章が少し技術に寄ってた気がしたので、
もう少し組織とか人事育成的な観点に触れてほしいみたいな指示をしたら、次のアウトプットがそっちの組織育成的な内容に一気に引っ張られて、突然書き出しが組織的な観点ではみたいな文章を書き出したんですよね。
そういうのが、過去の経験でいうと、そうやって何か追加の指示をして出してきた文章が一気にダメになった後に、最後の指示に引っ張られすぎたから、バランスをとって全体を見直してみたいな指示をすると、一気にさらに文章量が少なくなって、めっちゃ乾いたというか、
淡々としたまとめ文章みたいなことを出したりするんですよね、チャットGPTとか。
何か考えて分からなくなったのか、人間的に言うと開き直ったのかよく分からないんですけど、ごちゃごちゃ言うなっていう感じかもしれません。
何かこれも仕事でもあるような気がして、例えば私が言うと企画を練り上げるときに、いろんな人からレビューしてもらって指摘をもらうと。
じゃああの人の指摘も反映しないといけない、この人の指摘も反映しようみたいに思って反映反映してると、何かもうどんどん分からなくなったりとか、
あとは最後の方で偉い人に重要な人物に指摘されたことに一気に引っ張られて、その人が言った内容を強調しすぎて、本来企画の核として伝えたかったことが弱くなって、
また本当に持っていくと、何やったか分からないような企画になったなみたいなこと言われたりするという経験があります。
似たような経験で皆さんもされた方とかおられるかもしれません。
なので、指示とかレビューとか大事なんだけど、それやりすぎると質が下がると。
バランスも大事かも、バランスで言うことかもしれませんけど、
何ですかね、いろんな指示とかをもらったりアドバイスをもらったりしても、やっぱりそれは参考にはするけども、そこを踏まえてアウトプットをどうするか、そこはきっちり軸をぶらさずに考えて決めて表現するみたいなことがやっぱり大事だなというふうに、
結論と学び
生成愛と指示しすぎると変なアウトプットになると、直近の指示に引っ張られすぎるみたいな体験をやって感じました。
今日は生成愛から学ぶことを考えすぎるとつまらなくなるし、指示をしすぎるとアウトプットの質が下がる、それって生成愛だけじゃなくて仕事でも同じだよねという話をしてみました。
はい、いかがでしたでしょうか。
今日も最後まで聞いていただいて本当にありがとうございました。
それではまた次回のおかさん配慮でお会いしましょう。
さようなら、さようなら、またね、さようなら。
11:46

コメント

スクロール