新学期の始まりと教育の問題
おはようございます、こんにちは、こんばんは、おいぴーです。
となりのweb3教員になってやってますよ、というところで
いつも再生いいねコメントありがとうございますと
4月ですね、始まりました。
まあまあまあ、今日から学校現場っていうのはね、
1日じゃなくて、ちょっと時を置いて
始まるところが多いかな、なんて思うんですが、どうなんですかね。
地方の方とか、東京都じゃないところは
もうちょっと早く始まったりもしているんじゃないかな、なんて思ったりも
するんですが、卒業式が他の県だと
3月1日に統一されてる、なんて話も聞きまして
自治体とかね、場所には違うのかもしれませんが
僕の学校は今日から本格的に動き始める。
いやまだ動いてない、まだ入学式も、修業式ももちろん先なんですが
その前準備っていう感じでございますね。
さてさて、そんな学期に何の話をしようかな、というところなんですが
やっぱりね、学校の先生与えすぎ問題っていうやつですね。
ちょっと話をしていこうかなと思います。与えすぎ問題ね。
ちょっとね、すごい若手の先生と
与えすぎ問題の考察
新入生って言うんですけど、うちの学校では
新入生じゃないな、若い先生と一緒に新入生に向けての準備
まだ担任とか発表されてないんですけど
ちょっとお手伝いするシーンがありまして
なんかね、すごいやっぱり気の利く先生というか
優しい先生なんですね。世間一般的なものさしで測る等なんですけど
どういうことかって言うと
子どもたちが入学式前とかにね、どんな準備をするとかね
そういう話を根絶丁寧にお話ししてくださっていたわけなんですけど
僕はちょっとね、それが全部終わった後ですよ。やってるときは違うんですが
終わった後に、せっかく若い先生と仕事をするのは
久しぶりに経ったので、ちょっとお話しさせてもらって
ちょっと話しすぎかもねって
おじさんのざれ事いる?みたいな
ぶっちゃけ僕が思ってることを言ったところでうぜえだけかもしんないけど
とりあえずざれ事として聞きなさいよみたいな話ね
ちょっとね、話しすぎかもねみたいな
俺は思うよって言うだけで別にそれが間違っているわけではなくて
っていう大前提はもちろんあるんですけど
いわゆる学校の先生って
君たちみたいな若者と
お年を召された60歳とか定年近いような先生と
ぶっちゃけやってることって変わんないよねっていう話で
それはまずいんじゃないのって
多分あなたが一番裸で感じてる世代だとは思うんですよと
何がかっていうと
聞いてみると結構答えが数出てくるんですけど
プリントに書いてあることをもう一回プレゼンするっていうのは
読んでるものの復唱に
あ、じゃあ渡してるもの?
見ればわかるものの復唱になっちゃうじゃんっていう話と
あと何より
話を聞くっていうことが素晴らしいことだ
それは確かに素晴らしいことなんだが
ただ話を聞かされているだけ
聞いている状態を作っているだけになってしまって
緊張感が緩むとか
空気感の作り方っていうのは
もうちょっと工夫できそうだよねみたいな話をね
させてもらったっていうだけの話なんですけど
要するにこっちから全部与えちゃうっていうのは
今まで調子に見つらないようにするっていうのをね
ずっと繰り返してきた教育であって
それをやってきてしまっているので
普通に今までの人生で
学校の先生目指して
学校の先生をやり始めたら
おそらくほとんどの人はこれをやってしまうと
僕はもう15年間学校現場にいて
なんかいろいろちげーなちげーなって思いながら
やった結果なんかこれはちょっと
今の時代には合わねえんじゃねえかって
俺は思っているみたいな話をね
まあちょっとさせてもらって偉そうにねもうね
でも若い先生からしたらね
もう僕ほんとベテランでね
もう15年とかで同じ学校にずっといるんで
ジージーですねジージー
老害なんで老害のザレ事として
紹介しただけなんですけど
だからもちろんね
その口だけ言ってるんじゃあれなんで
あのまあちょくちょくね
さっきの俺はこういう風に話してたけど
自分と比べてどうだったみたいな話を聞いて
いや先生の方がなんか会話の量が多いですよね
みたいな話になるんですよ
まあまあそういうことよみたいな
であと補足説明が多いですよねって
書いてあることじゃなくて書いてないことで
言葉のケッチボールをしているっていう
まあまあまあそんな感じみたいな
見ではわかることだから
言わないで見てない見て
わかんないところを考えさせて
ケッチボールしていい感じだね
みたいな感じに仕上げた方が
やっぱクラスも盛り上がるんじゃね
みたいな話をね
ちょっとしたりして
で結局
まあこれちょっと最後の方になるんですが
あのよく
家と天気の話をするんだよね
俺っていう話をして
あの昔ながらの学校先生というか
そういう考え方の人っていうのは
もう外は大前提晴れていて
家の中で準備をして
軽めの準備で
このまま行けば
あと外天気いいから
なんとなくしようみたいな感じで
自分たちの社会に
学校を家と例えるのであれば
家の外が社会だと例えるのであれば
家の中でぬくぬくと育て
そんなに大丈夫よ
道ないからみたいな感じで
育てて送り出すと
いう話だったんだけれども
残念ながら
あなたたちみたいな若い人たちっていうのは
時代が大変動時代でしょっていう話で
つまり天気に例えるなら外は嵐なわけで
その場で
もう天気は大荒れで
もう刻一刻と変化する状況に
対応する力が必要なのに
学校という現場が家の中で
外の天気も見ないでずっと
ぬくぬくぬくぬく育てて
はいじゃあ行ってらっしゃい
ドアガチャって開けたらもう天気大荒れみたいな
でなんもできないみたいな
状態で送り出すのと
俺は結構似てるんじゃないかなって思っている
っていう話で
だから学校の先生こそ外の天気
つまりどういう風に荒れてるのか
どんな準備をしなければいけないのかっていうのを
よく見ながらこういう状況に陥られても
大丈夫なようにしなきゃいけないから
こういうスキルとか
が必要だよなみたいなのを
考えなきゃいけない時代になってんじゃねみたいな
話をね
子供たちに向けて子供じゃねーよ
あの若い先生に
ちょっとねジジイのザレ事として
ジジイの子事ですね
紹介したんですけど
これってね
いろんなケースで
言えるんじゃないかな
と思うので
やっぱり
僕神さんがね
育児をしてくれているので
似たようなことを言うんですが
ただね育児とね
学校って結構違う場面もあって
やっぱり
あのキッズ
それが下がれば下がるほど
やっぱり同じことと先を読み通す能力
っていうのはまだまだなので
どうしてもやっぱりこっちに負担が
かかってしまう
時間っていうのが有限なので
やっぱりこれを先にやっといてほしいな
っていうことを何回も何回も言ってしまう
ていうのはそれは致し方ないことだな
っていう感じではあるんですが
僕みたいにね中高生世代とかになってくると
逆にね
先に言わないで
要するに
私はしたことなんですが
こっちが先に言ったことを
相手が聞いて中高生ですね
中高生が聞いていなかったと
言った時に何か中高生がうまく
いかなかった時にお前が話
聞いてねえから悪いんだろっていうこのなんか
上下関係みたいな教員が正しい
みたいな状態になってしまうと
それっていかがなもんかねって思っていて
それが要するに与えすぎも
弊害でもあるかなと思っていて
あまり言わないで
先生これあんま話してないですよねみたいな
あんま話してないですよねみたいな
でお前どうすんだよみたいな
ちょっと分かんないでどうすればいいですかみたいなこと言われたら
じゃあこれをこういう風にするといいんじゃねみたいな話もできるし
いや俺はこういう風に思ってます
私はこういう風にしようと思ってます
じゃあそれでいいんじゃないと
いやもうちょっと工夫するともっとうまくいくかもねみたいな
言葉のキャッチボールができると
なんかやることなすことっていうのを全て
こうやるんだああいうやるんだよっていうのを先に
与えてしまうと
その通りに行動できなかった時に
なんか教員がマウント取っちゃうみたいな感じになっちゃうから
そうじゃなくて
それはあえてほとんどやらずに
何か起きた時にこっちが情報を出してないかゆえに
相手が考えなければいけなくて
どうすればいいんですかってなった時に
対等な関係で
伴走するというような形で
子供たちに対応する力
考える力っていうのが提供できるから
やっぱり与えすぎっていうのは
教師としての役割の再考
良くないよねみたいな話とかも
ちょっとしたっていうだけの話なんですが
なんかちょっと話がまとまってないんですけど
まあ原点に戻ると
まあ要するに
与えすぎ問題ってやつですね
いやー
人生は選択なんで
選ぶ能力っていうのを
身につけさせていきたいなと思っているっていう
すごい若い先生と
久しぶりにお仕事した時の
ジジイのコートっていう部分に
つなげてみました
はい
いやーここからねまた
4月始まったんで
4時半くらいに起きてですね
ルーティンワークをまた始めて
行こうかなと思いますので
春休みはね台風をほとんど
更新しませんでしたけども
学校現場でね
変なニッチな教員として
暴れまわっている私がですね
変な放送をやっていきますので
時間ある時にお耳をおかしていただけたら
幸いでございますというところで
締めようと思います
今年どうもよろしくお願いします