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はい、8月の28日、金曜日、朝の7時52分ですね。
えーっと、今日は仕事休みなんで、三連休です。 三連休初日。
えーっとね、いつからデジタルデゾックス、SNSダチを始めてたんでしたか。
もう一週間ぐらい経つんかな。3日ぐらいかな。
デジタルデトックス始めたのは、日曜日やからもう一週間ぐらい経つんやな。
5日、1、2、3、4、5、5日6日ぐらい経ちますね。
非常に調子がいい。非常に調子がいい。これに尽きる。
全然違いますね。
SNS、X、Instagram、YouTube、この3つを完全に立ちましたね。
これまでは、デジタルデトックスするときも、Xとインスタはやめてたけど、YouTubeはずっと見てたんですよね。
でもね、今回はもう徹底的にやろうということで、YouTubeも一切見るのをやめました。
するとね、もう全然体調がいい。メンタルもいい。
全然違う。びっくりするほどに違うね。
やっぱりね、本来の自分っていうものがどういうものだったのかなっていうのが思い出されるというか、
これまではすごくいろんな雑多な情報とか、雑多な承認欲求とかいうものに振り回されてね、本来の自分を見失ってたんだなというのがすごく理解できました。
これもね、徹底的に一回やってみないと、私の場合は実感としてやってみないと、実際にそれを心から本当に自分の中でそうなんだと体感できないことには自分はダメなんで、
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そういう意味ではこの30代、40歳になりましたけどね、30代の10年間っていうのはね、自分なりにいろいろ試行錯誤して、自分なりにはやってみた10年間で、
そしてそれを自分の中である程度、自分にとっては何がダメで、どういうものだったら自分はすごく穏やかに日々を過ごせるのかというのが、
少しいろいろ自分の中で徹底してやってみることで、見えてきた10年間だったのかなという30代の総括というものができるんじゃないかなと少し思いました。
というのもね、本当にこの30代いろいろやりましたね。
ロッククライミングも自分なりには頑張って極めようと思って頑張って一生懸命取り組んでたし、それがある程度落ち着いて、次はロードバイクやってみたり、哲学始めたりね。
その間ね、やっぱり根本的にこの10年というのはね、SNSっていうんですかね、そういう注目、フォロワーとかね、いいねとかね、そういう世間の注目、不特定多数の注目を集めるということが
世の中的に価値観として非常に重視されるような時代の流れがあり、その中で私もそれに流され、そのようなものを常に意識しつつ暮らしてきた10年間だったような気がします。
振り返ってみてね。
でもね、それをある種徹底してみてわかったのは、結局言っても別に何か自分が認められた、何かSNS上でバズったわけでもないし、何かすごく承認を得られた、すごく名声を得られたみたいなわけでは全くなくてですね。
自分は無名のままね。
自分の無力さというものをすごく自分自身で体感する自分自身で、そうなんだな、自分は才能もないし、特に頭も良くないし、記憶力も悪いし、
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何かこう、人を驚かすような発想力とか文章力とかもないし、
そういうもの、何かそういう承認欲求的なものからね、私が何か果実を得られるというものは、それは本当にまやかしなんだなというのが、この10年でね、わかりすぎるほどわかってしまったわけです。
これはある種もう徹底してやったからこそ自分自身納得できたことであって、
それをこの30代は勉強期間だったなと、それを徹底的にわかるための勉強期間だったなと自分で思うんですよね。
だから人生の価値観そのものをちょっとシフトしないといけないなということで思い当たりまして、
要はね、何が大事か、自分にとって何が大事かって改めてね、ちょっとこの前ずっと妻と大喧嘩した時にも、
というのが直接のきっかけとなって、やっぱり自分の中で考えてみたんですけどね、
それは本当にこの人生においてね、自分が楽しく穏やかに生きるってことね、穏やかに暮らす。
私の妻と一緒に楽しく穏やかに暮らす。
自分の本当にやりたいことはこれだったんだなということに、
本当に気づいたというか、これはそういう考えに必然的になっていったというようなことをね、この前思いまして。
なのでこれからの人生はね、ちょっと切り替えて、何かね、承認欲求的なものね。
安易にドーパミンを刺激するような承認欲求的なものからね、一切距離を置くんだというふうに今は思ってます。
だから何か自分がこれからね、行動とかするときに、そういう承認欲求的なものをその行動の動機にするということが一切ないようにしようと。
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これが自分のある種の生活心情としてね、承認欲求からは遠ざかるんだということを強く思いました。
それがね、ここ本当に数日でだいぶ固まってきた自分の40代以降のこれからの人生の指針になるような考え方なのかなと思ってます。
昨日聞いてたポッドキャストね、嫉妬としっぽ、ソー嫉妬さんと福尾匠さんのポッドキャストで言われてた、何だったかな、タイタンさんがゲストの回ですね。
ドパガキっていうものがね、今ちょっとミーム化してすごくバズリワードとして言われてますけど、
ドーパミンに中毒のガキっていうことですよね。
ドーパミンばかりにとらわれているガキ。
その対義語としてセロトニーおじさんっていうものが言われてまして、
そういうドーパミンから遠ざかってセロトニーを出すことにだけ集中するおじさん。
要はね、それがある種必然なんだというふうに私は思いますね。
やはりガキの頃はね、そういうドーパミン的なものに心を惹かれ、流れ流され、翻弄され、生きていくものじゃないかと。
そしてある程度年齢がいき、おじさんになればね、そういったドーパミン的なものから距離を置いてね、
そういう穏やかさだったりとか、幸福っていうものが何かっていうセロトニー的なものに人生というものがシフトしていくんだと。
これはある種必然的な構造じゃないかなということを少し感じたりしてました、そのポッドキャストを聞きながらね。
やっぱりね、自分というものは何か安易なドーパミンのために行動したり発言したり、本を読んだり、文章を書いたり、
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全てのことがその安易なドーパミン、安易な承認を得るための手段としてしかその行動というのが取れなくなってしまう。
それではね、やっぱりね、どう考えてもダメなんですよね。どう考えても底が浅すぎる。
そういう承認欲求というものが厳選にある上での行動というものがね、やはり底が浅い、薄っぺらいものにしかならないということが
わかりすぎるほどわかってしまいました。
今後もSNSはもうおそらくやらないかなと。
本当にこれはどうしても調べないといけないというときだけ、少しその目的のものだけ調べるとかはあるかもしれないけど、
基本的にはね、もう私の人生にとっては不要なものだということは自分の中で固まったのかなと思います。
ただ全ての物事にはやっぱりメリット・デメリット両面がありまして、
そういうSNS的なものから遠ざかることによるデメリットというものも当然あるわけですよね。
やっぱりね、そう何かこれまで自分がやってきたことを思い返すと、やはり全ての起点というものが
SNSだったりとかInstagram、Twitter、Youtubeで情報を得たところから何か自分が行動を起こしているというものが確かにあったのでね。
例えばラテン語の勉強会、リキニュースさんの勉強会に参加させてもらえたりとか、
今回のドゥルーズのゼミね、サイト反復ゼミなんかもXでその情報を得てそれに参加するということができたのでね、
やっぱりその情報という面では圧倒的に情報が一切なくなってしまう。
SNSからの情報が一切なくなってしまうというのがかなり大きなデメリットなんですけど、
ただそのデメリットよりも、その情報をむやみに摂取することによる、
どうしてもその情報を摂取することは承認欲求と今の時代についてもあるので、
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承認欲求を厳選とした創作だったりとか、文章を書いたり哲学書を読んだりとか、
全ての行動がその承認欲求をベースに形作られてしまうということによるデメリットというものを考えると、
やはりデメリットの方が大きいのではないかと私は思いましたので、
今回ね、自分の人生にはSNSは必要ない、承認欲求的なものは必要ないというふうに決断、
決断というか必然的にそうなんだというふうに分かってしまったというところはありますので、
そういうようなことを少し言っておきたくて収録しました。
うまく話がまとまったところで、配信としてはこれぐらいにしようかなと思います。
それでは終わります。