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【#9 おまけ】子どもにとって「母」とは何か?「父は天一、母はお茶漬け」相反する両親が作る人生の土台
2026-05-27 08:42

【#9 おまけ】子どもにとって「母」とは何か?「父は天一、母はお茶漬け」相反する両親が作る人生の土台

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アドラー心理学ラジオ、「アドラジ」へようこそ。第9回の「おまけ回」として、私自身の「母」について語ったテキストをサクッと解剖していきます。

本編では私のライフスタイルに圧倒的な影響を与えた「父」を徹底解剖しましたが、母の語りからも「おまけ」と呼ぶにはあまりにも大事な発見が出てきました。天一のこってりラーメンのように圧が強かった父の語りに対し、やさしい出汁のお茶漬けのような母の語り。言葉の端々に表れる「受動態のニュアンス」や「名詞の選び方」から、母が作ってくれていた「安心の下地」が見えてきます。(※本編をお聞きでない方は、ぜひ先に第9回本編をお聞きください)

📝 今回の分析テキスト(母についての語り)「明るいが、結構ヒステリックに泣いたりとか怒ったりとかすることがあった。『気が滅入る』みたいなことを言っていたという記憶がある。きょうだいも多かったので、仕事もあったので、結構やっぱり気苦労もあったのかなとは思う。活動的な人で、演劇部の顧問をやっていて、高校とかに連れて行ってもらって、練習風景とかを見ていた記憶もある。公園とかで遊んでもらったりとか、一緒にスーパーに買い物に行ったりとか、本を読んでもらったりとか、普通によく関わってもらったという記憶がある」


みなさんもぜひ、「お母さん」との何気ない日常の記憶を思い浮かべてみてください。当たり前すぎて気にも留めなかった関わりの中に、いまのあなたが他者とどう関わっているのか、そのルーツが潜んでいるかもしれません。

■ パーソナリティ:あつくてゆるい(あつゆる)アドラーを実践して10年以上。教育現場に身を置きつつ、アカデミックな哲学研究とカウンセリングの修行を重ねてきました。

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いつも番組をお聞きいただきありがとうございます。 アドラー心理学ラジオ第9回おまけ回。お相手のあつくてゆるいです。
本編では、私に強烈なインパクトを与えた父親についての語りを分析しました。 今回はそのおまけとして、私の母親についての語りをサクッと解剖していきます。
アドラーは、母親は子供にとって共同体への最初の架け橋である、と言っています。 つまり、子供を人と人とが関わり合うこの世界へと連れ出してくれる、人生最初のガイド役だということです。
では、私にとっての母とは、どんな存在として心に刻まれているのでしょうか。 早速10歳までの記憶を振り返って語った、母についてのテキストです。
明るいが、結構ヒステリックに泣いたりとか怒ったりとかすることがあった。 気がめいる、みたいなことを言っていたという記憶がある。
兄弟も多かったので、仕事もあったので、結構やっぱり気苦労もあったのかなとは思う。 活動的な人で演劇部の顧問をやっていて、
高校とかに連れて行ってもらって、練習風景とかを見ていた記憶もある。 公園とかで遊んでもらったりとか、一緒にスーパーに買い物に行ったりとか、本を読んでもらったりとか、
普通によく関わってもらったという記憶がある。 はい、いかがでしょうか。今回も全文を概要欄に載せておきます。
まず自分で読み返してちょっと笑っちゃったのが、語りの入り方です。 第8回の自分自身の語りでは完璧主義だった。
父の語りでは押し付けてくる人。 そして今回の母も明るいが結構ヒステリックにから入るんですよね。
第一声が無意識のうちに全部ネガティブ寄りというか、シャに構えているのが特徴的です。 いや別に自分の人生や家族を悲観しているわけじゃないんですけれども、いわゆる世界は愛に満ちている、
みたいなお花畑の視点からは絶対に入らない。 とりあえずここが欠けている、こういうエラーがあったと、路地裏の野良猫みたいな警戒心でスキャンを始めています。
ただ面白いのが、ネガティブ一変等で終わるのかと思いきや、すぐ後に、兄弟も多くて仕事もあったから気転んもあったのかな、って冷静にフォローの分析も入れているんですよね。
まずはシャに構えてダメ出しから入るんですが、最後はちゃんと一歩引いてポジティブな面も拾い上げる。
この疑り深いところと冷静なところのセットに、私の物飲み方の癖がすごく出ていると感じました。
次にいつも通り言葉の癖を読み解いていきましょう。 まずは誇張表現。
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父の語りと比べると明らかにカロリーが違います。 父の時にあれだけ目立った、とにかく、すごく、いっぱいといった、
深夜のテレビショッピングの実演販売ばりに圧の強い誇張表現が母の語りにはほとんど登場しません。
結構っていうのが2回出ているくらいです。 あの親父のテキストが天下一品のコッテリラーメンだとしたら、母のテキストは優しい出しのお茶漬け
くらいの違いです。 次に動詞。
連れて行ってもらう、読んでもらう、関わってもらう。 これも父の語りと対比すると面白いんですが、父の語りでは連れて行かれた、怒られたとネガティブな受け身だらけでした。
でも母の語りでは何とかしてもらうみたいにありがたく受け取ったポジティブな受け身なんです。 ここから見えてくるのは私が母から普通に愛情を受け取ってきた人だということです。
いわゆる家族の愛が欠乏しているわけじゃない、根本的な安心感のベースはしっかり持ってていることが読み取れます。
ちなみに私の人生のキーワードかもしれない、遊ぶという動詞ですが、ここにも公園で遊んでもらったりとサラッと登場しています。
そして極めつけが名詞です。 父の語りでは学問や神社、あひるといった休日のおじさんのドキュメンタリー番組みたいな名詞が大量に出てきましたが、母の語りには一切出てきません。
代わりに出てくるのは公園とかスーパーとか、圧倒的な実家の感じというか平和な日常の匂いがします。
つまり私にとっての価値観や非日常の特別なものを作って押し付けてきたのは父親で、母親はもっとありふれた日常を作ってくれていた。
母というのは私にとって絵の背景みたいな存在だと感じました。
派手な主役ではないけれども、画面全体にじんわりと広がって絵の世界そのものを支えている。
そしてその背景の色は決して暗い色ではない。
冒頭のアドラーの言葉にあった共同体への最初の駆け走ってまさにこういうことなんだなと思います。
世界は基本的には安心していい場所だ。
人と関わるのは普通のことだ。
そういう根本的な世界への信頼感を私は母という日常の背景から受け取って育ってきたんです。
そして最後に一つ、母親が子供にどんな期待をしていましたか?という質問も受けたんですが、私はこんなふうに答えているんです。
父と同じで、うちの母も教育熱心で、見ていいテレビ番組が制限されていたり、ゲームとか絶対やらせてくれなかったりした。
06:07
父と同じく高学歴を目指せ、みたいな感じではなかったけど、割と制約は大きかった。
期待としてはしっかりした子、ちゃんとした子に育ってほしい、みたいなのはあったと思う。
制限された、絶対やらせてくれないというややネガティブな言葉は出てきますが、語っている本人の感覚としてはそこに恨み節はありません。
でもここでハッと気づくのは、ちゃんとした子に育てるという価値観に関しては、親父とお母さん、がっちりスクラム組んでたんかい、ということなんですよね。
母自身も厳格なお父さん、つまり私にとってのおじいちゃんの下で制限の多い家で育ったらしく、自分が受けたものがそのまま私にも流れ込んでいるところもあったと感じます。
それでも冷たさは感じない。愛のある眼差しとして私は受け取っていたんだと思います。
というわけで母の語りから見えてきたこと、それは派手さはないけれども、私の世界の安心の下地を確かに支えてくれていた存在だということです。
この母由来の安心感のベースと、父由来の理不尽さや価値観という2つの要素が私の中でどういうふうにかみ合っているのか。
これが次回第10回から扱う早期回想、幼少期たった一度だけあった思い出の分析でさらに生々しく浮かび上がってきます。
幼少期の強烈な記憶の中に母から受け取ったものと父から刻まれたものがどんな形で姿を表すのか。
ライフスタイル分析の新骨頂である次回の本編もぜひ楽しみにしておいてください。
さてあなたにとってお母さんとはどんな存在だったでしょうか。派手なエピソードじゃなくていい、ふと思い出すなんてことのない場面。
当たり前すぎて気にも止めなかった関わり。そんな何気ないものの中にこそ今のあなたが他者とどう関わっているのか、そのルーツが潜んでいるかもしれません。
アドラー心理学ラジオ第9回おまけ回、お聞きいただきありがとうございました。お相手は熱くてゆるいでした。
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