それを語りたいなと思います。はい。ではまずですね、顕微鏡が手術室に入るまで。これ、始まりは約、どうなんだろう、400年前とかですか。まあ、そもそも顕微鏡の開発っていうのは、オランダのメガネ職人、ハンスとヤンセンの親子が、まずは顕微鏡の原型を作って、
で、多分皆さんこれ有名なのが、1665年に、ルベルト・フックが、コルクのセル、細胞を記載したっていうのが、多分ね、これ結構、どの化学系のジャンルでも有名かなと思います。
こんな風にして、僕らのこの医学の歴史って、その他の、まあ要は、化学であったりとか、物理学とか、そういうのの要は、それこそ移行連携っていうんですね、工学系とかっていうのが、医学に導入されて、治せなかった人が治せるようになると。
そういった歴史背景が、結構どの領域でも多いんですよね。
で、そこからどんどん、要は、顕微鏡を使ってみよう、手術に使ってみようっていうのが、流れとして出始めたのが、約100年前、1921年のスウェーデンでした。
最初これを使い始めたのは、あのジビカの先生、ジビカイド・ニレインが、歴史上初めて手術室に顕微鏡を持ち込みました。
で、最初はね、あの単眼の、わかりますかね、要は、今だと双眼鏡とか2つで見るじゃないですか、片方だけで、要は奥行きとかも立体しかできないような、全然不十分な、顕微鏡だったんですけど、
それを、要は、奥の方ですね、慢性中耳炎、耳の奥の方の、要は、老後のある患者さんに手術で使ってみたっていうのが最初の報告とされています。
で、そんなのね、最初は全然使えるものじゃなかったんですよ。
ただ、それが発展したのが、1953年ですかね、この物理学者のね、ハンスさんと、同じくジビカイのホルスト・ブルーシュタインさん、あとは眼科の先生ね、眼科の先生の顕微鏡をよく使いますよね。
なんかよく、検診とか行くと、なんかペカーって明るい光、覗いてとか、あれも要は、目の奥の、を顕微鏡で見ていると。
で、彼ら何がストックだったっていうと、OPMI-1っていう手術用の顕微鏡を完成させました。
これはね、すごいのが、倍率を変更できるようになったと。
で、しかも正面をつないでいたと。
で、頂点の距離、要はピントもね、あった状態で倍率を変更できたんで、こうなるとね、もう実用性が格段に上がるんですよね。
で、最初の単眼、要は片目だけ覗いていって、立体視ができないんで、この僕らとか、手術できないというか、手術で要は平面だと、その要はどの位置に大事な欠陥があったとか、深さがどのくらいとか、どこ触ったとか、分かんないんで。
まあ、やっぱりはっきり言って使えるもんじゃないんですよ。
でもそれを、要はね、焦点とかあと倍率とかも変えて、しっかりした使える目として応用したのが、彼らだったわけです。
それが1953年でした。
はい。で、そこからですね、研究が進んで、どんどん1957年には脳神経外科の先生が、5歳の子の、要は脳の神経の主要を取ったりとか、あとは三婦人科の先生、眼科の先生など、そこまで領域が広がりました。
はい。では、つまりですね、この機械の道具の誕生によって、下界たちは初めて肉眼の限界を越えて、ミクロの世界へ足を踏み入れました。
じゃあ次。ではね、皆さん、次の段階に行きましょう。
血管を縫い合わせるシーンって思い浮かべれます?
ね。まあ、よく言うのはドクターXとかさ、あの医療ドラマだと、でもやっぱあれってグロテスクなシーンに省かれるんで、でもあんま想像つかないと思うんですよ。
ね。でも、まあ簡単に言うと本当に、何だろうな、チューブ同士を縫い寄せると、ね、壊れた、要は配管をくっつけるとか、分かりやすいと思うんですが、まあ簡単に言うと、それで肉眼だとなんとなくこう、繋げるな、ロープ繋げそうなって思うじゃないですか。
ただ、例えばじゃあ4ミリ以下の血管、これ縫えそうですか?肉眼で。4ミリっすよ。4ミリって言うとね、この小指の3分の1ぐらいのサイズ。
うーん、ちょっと厳しい。それはもう普通の感覚で、1960年までは直径4ミリ以下の血管粉合、血管を縫い寄せるのは事実上不可能とされていました。
この壁を壊したのがバーモンド大学血管外科医のジェイコブソンという血管外科専門の先生でした。
彼はジビカの顕微鏡を借りてきて、この犬の経動脈を使って、経動脈とウサギも使ったり、いわゆる首の動脈ですね。
それを顕微鏡の手術で、糸みたいに細い、1.4ミリっていう細い血管を20頭の犬、6羽のウサギで血管を繋いだと。
これが4ヶ月経っても100%繋がった状態だったと。
これがですね、サージカルフォーラムっていう医学文献に通って、文献上初めてマイクロサージャリーっていう言葉が誕生しました。
彼がその論文で初めて使った言葉、マイクロサージャリー。
彼はこう言ったと記載されています。
大血管の結果は目覚ましい成功を収めた。
中間サイズではそれほどでもなく、細かい血管では事実上停止していると。
彼は細かい血管、つまり小血管、手術を阻んでいたのは、手先の不器用さではなくて視覚の解像度の限界だったと言われていました。
つまり、これが顕微鏡の検査のおかげで、こんなにも細い血管、4mm以下の血管まで見えるようになったということなんですね。
人間って不思議なもので、限界というか不可能だなーって思ってたことは、もう何かそれを相応に認識しちゃうんですけど、
こういうブレイクスルーがあると、自分でもこれできるんじゃねえかな、研究してみようかなっていう人がすごく増えるんですよね。
例えばサンフランシスコのハリー・J・バンケンっていう方は、このウサギの耳を一回切って、それを繋いでみるとかね。
あとはその後も、1966年には赤毛ザル。赤毛ザルの、これちょっと怖い話で申し訳ないんですけど、
要は足の指を切って、手の親指に移植するっていう、そういった技術もできて、バンケンはアメリカでマイクロサージャリーの知事と言われるようになりました。
当時はね、要は最初はね、顕微鏡なんかを手術室に持ち込まないとどういうことじゃねえかということなんですが、
ただ、そこからこうやってどんどん実績が上がって、再接着、指を繋いだりとか、また後ほど述べるんですけど、
この要は有利非便術、組織移動ですね、を成功するにつれて、会議がどんどん経緯へと変わっていきました。
はい。
ここまでいいですかね。
まあ、実はね、だからまあ、簡単に言うと、この顕微鏡を使った、顕微鏡というのが生まれて、それがいいように応用されて、
で、マイクロサージャリーという技術ができた、というようなことです。
で、実はね、このマイクロサージャリーの技術、これね、日本もかなり世界を牽引している部分、
例えばリンパ腐朽とかって領域で、日本は世界でかなり注目かつ、世界を牽引していて、それについてもちょっと述べていこうかなと思います。
はい。では最初の話に戻るんですけど、
例えば、事故で切れちゃった手、指、腕、足、足の指、はい、まあいろいろあると思うんですけど、
うん、これがね、臨床に応用されたのは1962年、うん、なんですよね。
で、このボストンでの少年が、12歳の少年が、右腕が肩近く、もうこの子もね、やんちゃな子で野球の練習に向かう途中に貨物列車の後ろに飛び乗ろうとして、
そしたら列車が急に動いちゃって、右腕が切られちゃいました。
っていうことなんですね。
で、まあ当時、まあそのね、少年と切断された腕っていうのは、
麻生病院、麻生接種の病院に運ばれて、で、まあ、要は未来ある少年の腕なわけですよ。
これは絶対に繋がないといけないと、これは落としちゃダメだと。
うん。
で、それが、まあ、結論、成功したと。
で、まずは、その、まあどうやって直すかっていうと、まあ簡単なことで、切れちゃった。
簡単に外から縫い寄せる。それだけじゃ直らないんですよね。
人間の組織っていうのは、脳脈、腸脈、要は血管ですよね。
血管が栄養を与えてるんで、その、ちぎれてしまった場合、
血管を繋いであげないと、そこから先に血流がいかない。
つまり、まあ6から8時間で維持してしまうと。
まあこの緊急搬送されたところでも、まあ大きな血管は直視化で繋げれるんですけど、
細い血管だったりね。
あ、でもこの時はまだ使ってないのか。この時はまだですね、マイクロサーデンの技術は使われてないんですけど、
あの、要は太い血管を繋いで、で、その後は、要は動きを司る神経だったりを繋いで、
で、それが無事にその少年は腹痛科医手術が行われて、腕を落とさずに済んだということなんですよね。
後に自動整備士として働いて、で、そのケースも、このケースレポート、
症例も2年後、1960年に発表されましたと。
おめでとうございます。
てかまあこんな軽い、軽いことじゃないんだけど。
この歴史的なすごい大事なことなんですけど。
まあなんか、うーん、まあでもすごいめちゃくちゃすごい、いやー手術自体めっちゃ時間かかっただろうなーと思いますけどね。
うーん。
っていうね、だからつまりここのここからですね、
あ、人の腕が切れてもめちゃめちゃ頑張ってすごい条件が良くて、
まあ奇跡的になんだろうな、時間内でも間に合ってとかだったら、
いやもうそもそもね、これ意志として言わせてもらうんですけど、
まあめっちゃギリギリですよ。正直もう全然成功率自体は落ちてもおかしくないぐらい。
おかしくないかもう本当に、多分、うーん、本当にね、もう、
もう状態次第としか言えなくて、本当に悪いケースがほぼ大変だと。
ごめんなさい、それは正直思うんですが、ただ、
まあトライすれば繋がることもあるんだなっていうのが多分このケースで分かったと思うんですね。
はい。で、ここからやっぱりまあ最初に伸びたみたいに、
あ、これでも繋がるんだっていうのが広がって、次は指の接着ですね。
腕から指の接着になると。
例えば、まあ人差し指、親指とかが切れちゃって、あとは、
ね、その、それを繋ぐと。
で、この時に使うのが最初に伸べた顕微鏡、マイクロサージャリーなわけです。
腕だったらね、結構太い血管で、それこそどうなんだろうな、直径2センチとか3センチとか、
ね、それこそ親指ぐらいの太さの動脈とかね、あるんで、
まあ簡単に、簡単には言い過ぎなんですけど、顕微鏡がなくても見た目でも繋げ手術はできるんですけど、
小指とか、どうですか皆さん。これね、めちゃくちゃ細いんですよ。
血管自体もね、数ミリ台で栄養されてて、それの細かな神経、
あとは、動脈、腸脈を繋がなきゃいけないと。
気が遠くなりそうですよね。
ただ、これが1975年、台湾のマイクロサージャリーの先生が不可能と思われていた小指の再接着。
切れた指を元に戻す手術を成功して、そのチームを驚愕させました。
これなあ、めちゃくちゃすごいんですよ。本当に。
で、これが1975年、小指の接着ができたんですけど、
これで次にね、繋がるのがこの1965年ですね。
ここでね、この歴史の中で実は私たち日本人が起こるべき大きな足跡、足跡があります。
これね、1965年、奈良県立医大の整形外科の小松先生、玉井先生が世界で初めて、完全に切断された指の再接着に成功されました。
当時ね、使用されたのがすごい細い、0.何ミリとかの糸。肉眼ではほとんど見えないんですよ。髪の毛くらいの細さで。
で、今まで最初の指の手が繋がったというのは不完全断裂。要は、完全にちぎれてないけど、プランプランとちょっとだけ残っているくらい、組織がね。
っていう条件。今回、世界で初めてだったのは、完全、つまりもうちょんぱ。こんな簡単な言葉でいいのかって話なんだけど。
それの親指を繋いだと。工場の事故で指を失った労働者。絶望してたと思うんですけど、当時は高度成長、経済成長期ですよ。
みんな働けの時代で、日本の外科医の技術が、それの絶望を作ったと。
で、この論文は3年後に、プラスティックアンドリーコンストラクトサージュリーっていう、形成外科の領域だと、1番の雑誌にそれがね、
投稿されて、日本でもついにというか、この顕微鏡からのマニクロサージュリーっていうのが発達したっていう。
実は日本人も本当に誇るべき、この業は技術というか、この発展に大きく寄与してたんですよね。
で、最終的に奈良県立医大の先生だったんで、2016年には多枚進記、多枚進む記念志士外傷センターが設立されたということになります。
で、本当にこう見ると、自分も普段使うんですけど、手術の中で、やっぱり歴史っていうのは積み上げられてきてるんだなっていうのがまずは思います。
で、じゃあなぜ日本がこのマイクロサージュリー、そこから発展していたんですけれど、
そこからというか、もともと注目されていて、その技術を要は高めよう高めようってしてたわけなんですよ。
じゃあ何で日本がマイクロサージュリーで世界をリードできていたのか。
まず一つね、高度経済成長期の労働災害。戦後急速に業化が進んで、要は工場で指切れた、腕切れたっていうのがめっちゃ多かったんですよね。
だからこそ、そういった意味である意味トライしようと、要はそれを直そうという省令の蓄積が多かった。
で、二つ目は国民会保険制度。これは幸いね。要は療養費の制度で、
アメリカだと保険の種類によって再接着の要は率っていうのは割合に隠されたりするんですが、
日本だとみんな平等に同じ医療を受けようという会保険制度を利用しているので、まあそれに障害がなかったと。
第三には高度経済成長期のものづくりの精神がありました。
千葉県の河野政策所では、この要はマイクロサージュリー用の細い顕微鏡、
要はもう扱うのがね、顕微鏡レベルなんですよ。もうすべてが小さくて、そして細い。
血管も小さい。つなぐ神経も細い。肉眼でもまあ見えるっちゃ見えるけどぐらいのものね。
それをつなぐんですよ。糸と針で。
普段ね、イメージするのは多分釣り針、魚の釣り針とかだと思うんですけど、
そんなんじゃないです。
11ゼロとかって言うんですけど、もう0.何ミリの小さい針で。
顕微鏡じゃないと見えないぐらい。
で、それにつながってる糸ももう髪の毛よりも細い。
そのね、小さい針と糸を作るってめちゃくちゃ技術いるんですよ。
ただこれを実現したのが工の製作所という小さな日本の会社。
0.03ミリ。0.03ミリですよ。3ミリじゃない。0.3じゃない。0.03ミリです。
の世界で最も細い手術の針を作り上げたと。
で、それがあるからこそつながる欠陥があるんですよね。
この下界の情熱と日本の職人技、この両輪が1ミリの壁を消し去ったというわけなんですよ。
で、本当にすごいね。
だからね、ここまでがある意味、まずは腕の手の領域。
いやーちょっと長くなっちゃうんですけど、ここまででいいですかね。
最初言ったようなね、次は組織の話になるんですけど。
再接着はね、失われた部分を元の位置に戻す技術だとすると、そこから今度ね、有理非便術。
僕のね、その領域というか専門領域にも近くなってくる。専門領域になりたいなですかね。
まだ自分なんてまだ研鑽中で、もっとすごい先生がたくさんいるんですが。
再見外科とかって言います。
体の一部を別の場所に移植する技術。
これが、例えば最初言ったような、まあね、統計部の癌でそのベロがなくなっちゃった。
それを移してくる。別の場所から移してくる。
具体的には太ももだったりとか、お腹、普通に前腕、二の腕ですね。
これを、まあ、これももうメルボルンからですね。
1973年のオーストラリアのメルボルン。
ブレストン&ノースコートコミュニティ病院で達成されました。
はい。最初はね、素形部、付け根の部分、足の付け根の部分だったんですけれど。
これもまたすごいのがね、日本の先生、ハリー・キヨノビ先生ですね。
1972年にそれを達成されたと。
臨床的技術の成功大事例は、1973年のメルボルンっていう風に書かれてるんですけれど。
1972年にも、それは自分もハリー先生が発表されたっていう風に記載があるので。
やっぱり日本のマイクロサージャリーの技術って、もう早かったというか、進んでたのかなーっていうのはちょっと思いますね。
で、まあ、これね、一世代前までは、がんってもう治らないものだったんですよね。
まあ今だと抗がん剤とか放射線治療とかっていうのが起きてたんですけど。
今はあまりにも大きいがんとかだと、もう治らないと。
それはもう、昭和時代とかだと、もう諦めるしかないっていう風に言われていたんですけど。
もうね、ある意味このマイクロサージャリーのジャンルは、このがん治療に大きな寄与をしました。
まあ、なんでさっきね、大きくそれを変えたのは有理非弁、つまり組織を移してくるような技術ですね。
まあ、簡単に言うと、例えば最初に言ったように首の大きながん、顎の大きながん、取ります。
それこそ顎の骨も削って取ります。
なぜならがん細胞が残っていたら、そこから再発動して、でまたどんどんがんが広がっていくと。
病変を完全に取り切れなきゃいけない。
だから疑わしい箇所は全部取ってくる。
ってなったとき、どうしましょう。困りますよね。
え?だって首のお肉なかったらどうしよう。
首開いたままじゃん。ベロなくなっちゃった。ベロで送れないじゃん。
ご飯食べるときめっちゃ困っちゃう。
顎、顎までなくなっちゃう。どうしよう。
ってなるわけですよね。
でもそれを技術的に可能にしたのが、というよりも、より西洋面にも配慮して、
より、制限がなく患者さんの機能にも、そういった基本的な機能も維持できるようになったのが、
イクロス上がり、顕微鏡の銃器技術なんだよね。
一番わかりやすいので言うと、顎の再建ですよね。下顎の作る手術。
簡単に言うと、足から骨とお肉の組織を持ってきて、下顎に骨の形を整えてくっつける。
すごくないですか?
え、これすごくない?
でもそれができるようになったんですよね。
でもイメージじゃ、え、それじゃ簡単なのかな?
だってお肉写すだけでしょ?
いやいやいや、そんなことないです。
このときに必要なのは、もう何回も言ってる、血管同士をつなぐことなんですね。
僕らの人間の組織は血流がないと死んでしまう、餌食してしまう。
じゃあどうすればいい?
そうなんですよ。もともとあるところの動脈とか血管を出して、
で、写したい組織の血管をつなぎ合わせてあげると、
すると血流が流れて、その写した組織も残ると、餌食しないと。
そういったような技術なんですよね。
で、それがどんどん発展していって、
では、ここまでいいですかね。
またどんどんね、今度はロボットの技術とか、ヒューマノイドとかね、
要は拡張機能を作るとかっていうのがあると思うんですけれど、
まあこんなような形で社会を変えた技術として、
マイクロサージャリー、それはあるんじゃないかなというふうに思います。
ではちょっとまとめに入りましょうか。
なのでね、最初は1600年前後にメガネ職人が作った小さな顕微鏡から始まったものでした。
ただそれを医学の領域に応用して、事故で腕を失った少年が車の生命種として働けるようになり、
がんで顔の一部、胸の一部、組織の一部を失った人が再び家族と笑顔で食卓を囲めるようになる。
直径0.3ミリの結果を縫い合わせるという極限の作業の向こう側には、
いつも誰かの一生を取り戻したいという外科医たちの願いがありました。
ミリの壁を越えた先に広がったのは、人間の尊厳をつなげ止める希望の物語だったのです。
はい、まあっていうのをちょっと今回作ってみたんですけれど、
まあね、なんか結構僕も今回調べるにあたって、まだ全然ちょっと調べは調べて、
どうなんだろうな、間違ってる部分とかもあるかもしれないんで、
その時はぜひ僕もまだ勉強してる立場なんで教えてください。
はい、まあっていう、なんだろうな、自分の領域の過去の歴史とか、
そういう技術の背景を見直すって結構面白いなって今回調べて思った次第です。
なんだろう、こういう科学系ポッドキャストの日っていうテーマで企画してくださって、
ある意味自分の要は勉強をし直す機会をいただけて、今回すごい良かったなと思います。
どうなんですかね、また今後も何か面白いことがあればまとめていきたいですし、
今回ゴリゴリに自分の専門領域に近かったのと、
多分キツキ君は普段一夜二人でラジオしてるんですけど、
多分興味ないだろうなと思って、僕一人語り編に変えました。
ではここらで締めにいきましょうか。
はい、のんびり学ラジオをご視聴いただきましてありがとうございました。
この番組がいいなと思った方は番組のフォロー、通知音、いいねをぜひお願いします。
Xインスタグラムでも役立つ情報を配信してますのでぜひフォローを。
お便りご質問がある方は番組概要欄からお気軽にご応募ください。
はい、って感じで、いやでもいいですね。結構楽しかったし。
今後もある意味のんびり学ラジオって、
扱ってるのはこの医者二人のゆるい雑談というか、
雑談の延長で医者の暮らしとか医療の実際とかを普段は配信してるんですけど、
医学って科学、サイエンスであるのは間違いないと思うんですね。
よく言われるのはサイエンスとアートの複合だとかって言われるんですけど、
なんかこういう、例えば下界と世間のズレとか、
そういった医学的な知識、ブルーゾーンについてとか、
社会医学系についてまとめたこともあったんで、
今後その、まあ要はサイエンスとしての医学とかもこういう調べて
共有できたらいいかなと思っています。
はい、今回ね、機会いただいてありがとうございました。
また今後もよろしくお願いします。
以上のんびり学ラジオでした。ではまたねー。