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#320 復活の主に出会う 26/4/5
2026-04-05 17:21

#320 復活の主に出会う 26/4/5

ヨハネ-27 他イースターメッセージ。2026年4月5日。

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サマリー

このエピソードでは、イエス・キリストの復活を中心に、その意味と現代への影響について語られています。イエスの復活は、キリスト教における日曜日の礼拝の起源となり、ユダヤ教の安息日(土曜日)の習慣を劇的に変えた出来事でした。弟子たちがイエスの復活に衝撃を受け、その喜びを忘れないために日曜日を礼拝日としたことが説明されています。また、「私はよみがえりであり、いのちである。私を信じる者は死んでも生きる」というイエスの言葉を引用し、ラザロの復活とイエスの復活の違い、特に遺体を包んでいた布(雨布)の違いから、イエスの復活が単なる蘇りではなく、永遠のいのちへの移行であることを示唆しています。さらに、イエスを信じる者は、たとえ死んでも永遠に生きるという約束は、死んでからではなく、信じた瞬間から始まっていると強調されています。日々の生活の中で、祈りや聖書を通してイエスとの新しい出会いを経験することの重要性も説かれています。マグダラのマリアが予想外の形でイエスと再会した例を挙げ、私たちも過去の経験や固定観念にとらわれず、常に新しい出会いに心を開くべきだと語りかけています。今年のイースターが新年度の始まりであることに触れ、新しい年度において、期待を超えるイエスとの出会いへと導かれる一年となるよう願っています。

イエス・キリストの復活と日曜礼拝の起源
ヨハネの福音書十一章二十五節から二十七節をお読みします。
イエスは彼女に言われた。
私はよみがえりです。いのちです。私を信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていて私を信じる者は御名、永遠に決して死ぬことがありません。
あなたはこのことを信じますか?
彼女はイエスに言った。
ハイ、主よ、私はあなたが世に懲られる神の子、キリストであると信じております。
以上です。
それでは、今日は御言葉を振り返りながら、イエス様の復活を考えていきます。
復活の詩に出会うということで、
共に三つのことを簡単に見ていけたらと思います。
日曜日に、私たちは当たり前のように礼拝をしていますが、
その日曜日はイエス様の復活に由来するということ、
そこから礼拝が始まったということが、皆さんご存知でしょうかね。
それに関わるような見事を読んでいきましょう。
ヨハネの二十四章の十九節ですね。
その日、すなわち週の始めの日の夕方、弟子たちが居たところでは、
ユダヤ人を恐れて、戸に鍵がかけられていた。
すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、
こう言われた、平安があなた方にあるように。
ヨハネ二十四章の十九節。
クリスマスは、イエス様の誕生がいつ頃かという諸説があるんですけれども、
イースターに関しては、おおよそこの時期ですね。
春分の日の後の、最初の満月の後の日曜日をイースターとしています。
今、クリスマスと同じように、クリスチャーじゃない方々もですね、
春の祭典としてお祝いをしています。
雨が降りましてね。
皆さんね、日本人は桜が好きですよね。
桜、桜、桜、桜。
それで、特にソメイヨシノなんかね、満開になって、今も咲いていますが、
花散らしの雨なんて言って、雨が降ってね、どうなっちゃうんだろうかと思いましたけど、
かえって、私は真っ白の色よりもですね、
雨の後の、そして塵際のね、ソメイヨシノの方が好きなんですね。
本当にピンクに輝く。
で、ある気象予報士の有名な方がですね、こう言ったんですね。
皆さん、花散らしの雨って心配してるけど、
満開の桜はそんなにね、雨で簡単に散りませんよって言ってるんですね。
そうやって、桜にも力強いいのちがあるように、
まさに復活のイエス様にも力強いいのちがあって、私たちを変えるどころか、
ユダヤ教の習慣をも変えてしまった。
これが日曜日礼拝の由来なんですね。
ここにありましたように、週の始めの日ということを2つ書いておきましたけども、
これはですね、週の始めの日というのは、
皆さん、なぜ週の始めの日というかわかりますよね。
旧約聖書をもとにした旧約聖書の律法やユダヤ教では、
安息日を守っていました。
それは何曜日ですか。
安息日は土曜日ですね。
土曜日は一番、週の最後の日なんです。
その時にユダヤ教の人たち、旧約聖書の民はですね、礼拝をしていたんですが、
実はこの土曜日礼拝、安息日礼拝ということを劇的に変えたのが、
イエス様の復活という出来事だったんですね。
この弟子たちは鍵をかけて隠れていた。
逮捕されることを恐れていたというように、
死であるイエス様、救い主であり、
一緒にメシアとして共に出世していこうと思ったかもしれませんけど、
弟子たちはですね、絶望していたわけですよね。
絶望どころか捉えられる恐怖におののえていたわけです。
しかしそのイエス様とのこの復活の出会いをですね、
彼らはその衝撃と喜びを忘れることがなかったんですね。
そしてそのことを忘れないためにですね、
日曜日から日曜日をキリスト教のイエス様の復活を祝う礼拝日としたわけです。
聖書では1の20章7節にこのように書いてありますね。
ちょっと読みにくいんですが読んでみましょうか。
週の始めの日に私たちはパンを裂くために集まった。
これはパウロを通して救われた民ですけれども、
ここでもやはり週の始めの日、いわゆる今の日曜日に、
このパン裂きというのは今日行う聖餐式を行った。
日曜日に礼拝していたということがこのように聖書からわかるわけです。
弟子たち、その初代の教会はですね、復活の衝撃のゆえにですね、
その驚きと大切さのゆえに日曜日新しく礼拝するようになった。
その日を主の日と呼ぶようになったんですね。
新しい習慣としての日曜日が今に受け継がれていますが、
私たちはですね、クリスチャンとして当然のように日曜日に礼拝しています。
しかしその起点がですね、復活にあった、イエス様の復活にあったということを
今朝もう一度新たに思い出していきたいと思うんですね。
そして毎週日曜日に礼拝を守っている。
そこでイエス様を礼拝しているということ自体がですね、
イエス様の復活を証している。
それが土台となっているんだ。
イエス様の復活が土台となっているんだ。
そのことを毎週実は思い起こすべきなんですね。
このイースターにですね、私たちの信仰の土台が
まさにイエス様の復活にあるんだということをもう一度確認して
新しい年度を歩み続けられればと思います。
「死んでも生きる」という約束と復活の希望
2番目、死んでも生きるという約束ですね。
ヨハネの11章25節
イエスは彼女に言われた。
読んでみましょうか。
私はよみがえりです。
いのちです。
私を信じる者は死んでも生きるのです。
これは有名なラザロの復活の出来事で
イエス様がラザロの姉マルタに言った言葉です。
イエス様の奇跡は聖書で、特にヨハネの福音書で
何と言われていますか。
3文字ね。
しるしと言われていますでしょ。
なぜそういうしるしと言われているかというと
何かを指し示すからです。
それは
罪があって
無限でない、有限の存在
知的理解にも限りがある人間がですね
罪がない、永遠の無限なる神様を理解するために
イエス様は私たちと同じ人間となってくださいました。
そしてこの有限で、そして罪あるゆえに
神を完全理解できない私たちが
神の真理とか、この幸いを知るために
イエス様は神だということを証しするために
しるしとして奇跡が行われていたわけですね。
例えば五千輪の給食
あれは、今日生産式もありますが
パンを増やすことによって
イエス様が
何であるとおっしゃいましたっけ
私はいのちのパンである
パンが人を生かすように
イエスを信じる者は永遠に生きるんだということを
教えていたわけですね。
そしてこのラザロのよみがえの奇跡が
何を教えていたか
それはイエス様を信じる人が
たとえ死んでもよみがえる
そのイエス様を信じるがゆえに
死後の復活があるということを
まさに死んだ
おとみさんじゃなくて
死んだラザロを目の前でよみがえらせることによって
死後の復活を
このマリアに私たちに
指し示す
そういう役割があったわけですね。
死後の復活、死んでも生きるという希望を
このラザロの復活によって
イエス様は指し示したわけです。
しかしですね、もう一個今日
新しいことを教えてあげましょう。
注目すべき点があります。
それはラザロのよみがえりと
イエス様のよみがえりの違いです。
何が違ったか
雨布が違うんですね。
雨布。
雨布というのは
この遺体をくるんでいた布です。
ラザロがよみがえたときはどうなって出てきましたか?
ぐるぐる巻きのまま出てきたでしょう?
イエス様がよみがえたときは
こうやって雨布は
墓に残ったままだったんです。
言ってしまうとある著名な学者が
なぜこの違いがあるか
その違いはこうだ
ラザロはたとえこのときよみがえっても
やがて人生の終わりを迎えてしまう。
ある面この死に縛られているわけですね。
生物学的に。
しかしイエス様は死んでよみがえった後に
死ぬことなく
天に変えられて
まさに永遠に生きるものと
もともとそうですけど
永遠に生きているということが明かされました。
同じようにイエス様を信じる人は
たとえ死んだとしても
イエス様と同じその
新しい復活のいのちに
預かることができるんですよ。
そういうことを実は
この2つの死んでよみがえったという
雨布の違いから
明かされているのではないかと
言われているわけですね。
私たちその
この肉体のいのちが尽きて
この世の旅路を終えます。
よく言われますよね
ガンティス学外来カフェでもね
日野先生とか
100%人間は死を迎える。
誰もそこから逃れられない。
でもイエス様を信じるならば
死んでも生きるんだ
という復活の希望が
まさにラゾンの復活に
イエス様の復活にあるということを
もう一度覚えていきましょう。
イエスとの新しい出会いと永遠のいのち
最後3番目
イエスとの出会いに生きる
イエスとの出会いに生きる
ヨハネ11章26節の
この言葉を読んでみましょうか
読める方は読んでみましょう
生きていて私を信じる者は御名
永遠に決して死ぬことがありません
あなたはこのことを信じますか
これは何を指しているかというと
繰り返しヨハネの福音書から
私たちが学んできたことを
指し示していますね
それは何かというと
永遠のいのちとは
神のいのちを私たちがいただく
そして神と共に生きることだ
ということですよね
そしてそのいのちは
死ぬ前の
イエス様を信じた時から
始まっているんですよ
だから私たちは今
永遠のいのちに生きていますので
その意味で
たとえ決して死ぬことがないと
神と共にずっと今もこれからも
生き続けることができるという
メッセージですよね
いつも言ってますが
私たちは祈る時に
あるいは聖書の言葉によって
いのちこの神のいのち永遠のいのちを
実感できる時があります
神と自分は接しているんだ
交わっているんだ
そしてまた祈りや聖書を通して
神様に出会うような
経験をすることがあると思うんですね
繰り返しますがまた
日々の生活の中で
イエス様がともにおられる
ということが分かったり
あるいはイエス様の救いを実感する
そういうことがあるのではないでしょうか
繰り返し言ってますけども
クリスチャンの醍醐味があるとするならば
このようなですね
聖書や祈りを通して
日常の生活を通して
復活のイエス様に出会ったんだ
そういう経験ではないかと
私は思うわけですね
このヨハネの福音書の中で
マグナラのマリアは
イエス様に出会いましたね
お墓の中で
その時にマリアは
イエス様を墓の番人だと思ったわけでしょ
どこに置いたか
あなたが知っていたら教えてください
って言ってるんですね
そこで何が分かるかというとですね
マグナラのマリアはですね
今までとは違う場所で
復活のイエス様に出会った
それも彼女の予想を大きく超えていたわけです
イエス様が死んでいたわけですから
彼女は墓の中に
イエス様の遺体と対面する
ということを期待していたんです
まさか生きたイエス様に見えるということ
予想外の出来事だったわけですよね
そして名前を呼ばれて初めて
マリアと呼ばれて初めて先生と言って
気がついたわけです
これはですね何か
私たちもですね
過去の経験に縛られていては
復活のイエス様との
新しい出会いに気づかない場合があるんです
あるいはどうせダメだよみたいなのとかですね
うまく言えないんですけども
イエス様との出会い
復活のイエス様との出会いというのは
私たちの予想や経験を超えた
新たな出会いなんですね
時にですね予想外の方法で私たちは
復活したイエス様と
日常生活の中で
日々の生活の中で出会うことがある
そういう新たな出会いにですね
導かれるということを期待して
歩んではどうでしょうかね
幸いに
今年のイースターは
日本の年度の始まりの
一番最初の日曜日ですよね
4月5日
そういう年度の始まりの日曜日に
イースターを迎えますので
新しい年度ですね
私たちが期待をしないような
新しいイエス様との出会いに
今年今年度を導かれていく
そんな期待をもって
歩んでいく一年であればと
願っております
最後に
私たちと復活のイエス様の
衝撃の出会いの御言葉から
引用して覚えたいと思います
ヨハネ20章の19節ですね
一緒に読んでみましょうか
その日
その日すなわち
週の始めの日の夕方
弟子たちがいたところでは
ユダヤ人を恐れて
戸に鍵がかけられていた
するとイエスが来て
彼らの真ん中に立ち
こう言われた
平安があなた方にあるように
お祈りしましょう
天の神様
あなたの善能の御力によって
イエス様が死からよみがえられました
そして私たちに
永遠のいのちの希望を与えてくださいました
それはキリスト教の歴史を始める
大きな出来事でありました
そして私たちは
マリナのように
新たな出会いの仕方をもって
イエス様を
まみえるイエス様の救いを知ることができる
その幸いに預かれることを感謝いたします
この復活をお祝いするイースターの朝
どうぞ私たちにその喜び
また新しい出会いを
導いてくださいますように
あなたがどうか
新しい霊をまた注いでくださるように
お願いいたします
今日このように敬愛する皆様とともに
あなたの復活をお祝いする幸いを感謝いたします
今日から始まる新しい年度
日々の愛みをあなたにいられます
どうぞ導いてください
この願いと感謝を
私たちの救い主
主イエス様のお名前によって
お祈りします
アーメン
それでは1分ほど
御言葉に応えて
黙祷する時間を持ちましょう
17:21

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