2023-06-25 24:28

#悪評判や欠点があっても 23/6/25

マルコ-19からの礼拝説教。2023年6月25日録音。先週は大谷翔平選手がオールスターファン投票でアメリカンリーグの野手部門1位に選ばれ先発メンバー入りするというニュースがありました。私たちにとっても職場や学校で何か特別な役目のために選抜されるのは名誉なことです。自分の実力不足や欠点から選ばれることはないと思うかも知れません。しかし、イエス様は、欠点や悪い噂のある人も使徒として選抜したのです。そこから始めて1.悪い噂や欠点があっても、2.イエス様が作って下さる、3.イエス様と共にいる、の3つの点から学びましょう。

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お読みします。マルコ3章13節
イエスが山に登り、ご自分が望む者たちを呼び寄せられると、彼らは身元に来た。
イエスは十二人を任命し、彼らを使徒と呼ばれた。それは、彼らをご自分のそばに置くため、また彼らを使わせて宣教をさせ、
彼らに悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 こうしてイエスは十二人を任命された。
シモンにはペテロという名を付け、ゼブダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはウァネルゲ、すなわち雷の子という名を付けられた。
さらにアンデレ、ピリポ、ヴァルトロマイ、マタイ、トマス、アルパイオの子ヤコブ、タダイ、ネッシン島のシモン、イスカリオテのユダを任命された。
このユダがイエスを裏切ったのである。 以上です。今日はこのところから
悪評判や欠点があってもと題して見事を取り継ぎます。 皆様おはようございます。
6月も今日で最後の日曜日となりましたね。 ちょっと暑い一日になるようで、暑い中、自転車や徒歩などで来た皆様、本当に共に礼拝守れること感謝しています。
水分など必要に応じて取っていただければと思います。 さて、今日は有名な12弟子の選抜の出来事です。
代表に選ばれるというのは名誉なことですよね。 先週、メジャーリーグの野球のオールスターに大谷翔平選手が
アメリカンリーグのファン投票で1位になって、非常に名誉なことですけれども、いわゆる選抜メンバーに登録されることが決まったということが
明るいニュースとして響き渡りました。 私たちが職場や、あるいは学校で代表として選ばれる、それは名誉なことであり、それなりの資格がやはりあるわけですよね。
ある人は、自分の欠点や実力不足から選ばれることはないと思うかもしれません。
しかし、イエス様は、欠点や、あるいは評判が悪い、ちょっと後ろぐらい過去に見えるような、そんなものを持った人でさえも、この箇所をよく見ると、使徒として選抜したということがよくわかります。
イエス様は、今日の箇所の背景を読みますと、ガリラ野球の周辺で、ガリラ地方で福音を述べ伝えました。
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先週見ましたが、3日の道のりを歩いて来た、本当に広い範囲から、おびだたしい人の数が、この人気タレントを追いかけるように押し寄せてきたことがわかります。
そして、そのような旅を続ける中で、真面目にイエス様についていく、いわゆる弟子たちというのが起こってきました。
中でも、12人を特別に選ぼうというのが今日の箇所です。
山に登ったとありますけれども、山というのは聖書では特別な神の権限の場所とか、
例えば、執エジプト紀の孟子が実界を神様から賜った時も山に登りました。
そういう特別な響きがする場所で、12人をご自分のもとに呼んで選ばれた。
その使徒と彼らを名付けたと言うんですけれども、彼らはこれからイエス様の役割を担っていく。
イエス様と一緒に役割を担うだけじゃなくて、イエス様が天に帰られて、いわゆるご不在になった後、イエス様に代わってこの地上でイエス様の役割を担う、
そういう大事な役割を授けられたということです。
その中から、3つのことを私たちの信仰の糧になるように見ていきたいと思います。
最初は、悪い噂や欠点があってもということです。
ちょっと読める方は、3の順7を声に出して読んでみましょうか。カタカナ多いですけどね。
ゼベタイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この2人にはボアネルゲ、すなわち雷の子という名を付けられた。
本題と関係なく、教養的なことを言いますと、一番最初にペテロとヤコブとヨハネが出てきます。
それは、後々出てくる3人の中心的な弟子、そういう優先順位の上の人がまず出てきています。
この後の18節以降、17節もそうですけど、まずマタイが出てきます。
これは、2章の14節の時に見たアルパヨの子レビという人で、職業は種税人です。
種税人は、この時学びましたけれども、当時、罪人と同列に扱われていた。
そういう評判の悪い人たちの職種と言いますかね。そういうふうにレッテルを貼られていた。
でも、イエス様はこのレビを選ばれたわけです。
また、もう一つ熱心党のシモンという人ですね。
この熱心党というのは、イスラエルの政治的独立のため、支配者のローマと武力闘争をした過激なグループです。
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国数主義とも言ってもいいと思います。そこにもともといた、もちろん辞めてましたけど、元そのようなグループに属していたシモンという人です。
この2人をだけ挙げても、過去の経歴から悪い噂がつきまとったり、今で言えば就職活動に影響するような過去を持っていた。
そのような人と言っても過言ではないわけです。そればかりではなく、性格的な欠損を持った人がいたんですね。
その人たちは、
ヤコブとヨハネです。この兄弟のヤコブとヨハネの2人です。
この2人には、ボアネルゲというあだ名がつけられました。これは雷の子、別の意味では怒りの子ですね。怒る。
なぜそんな名前がついたかというと、
この2人には、
ある性格的な、ちょっとこういう言い方は語弊がありますけれども、難があったんです。つまり、
キレやすい、怒りやすい、あるいは非常に自己中心的で、今で言えば
名誉欲がすごかったんですね。そういう激しい性格ですとか、自己中心の虚栄心と学者は言っているんですけど、そのような言葉に由来して、
雷の子というあだ名がつけられたんですね。偽話を2つ聖書から紹介しますが、まずイエス様がいよいよこれから逮捕されている前のエルサレムに入る直前に、
お願いをしたんです。何をしたか。
皆さんのレジュメの1ページの真ん中辺ですね。
カギ括弧。イエス様がエルサレムに入ろうとしていた時に、2人はイエス様にこう願えてたんですね。
あなたが栄光をお受けになる時、1人があなたの右に、もう1人が左に座るように私たちをしてください。
お願いしたんです。しかしイエスは彼らに言われた、あなた方は自分が何を求めているのかわかっていません。
と言っているんですね。つまりイエス様が政治的なメシアとして王になるって信じてたんですね。まだこの2人は。
その時に、私はあなたの右腕と左に兄弟を置いてください。
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すごい上昇志向が強いわけです。総理大臣になったら、その左右に私を置いてくださいと言われるもんですね。
そしてもう一つですね。
もっと激しい通話があります。イエス様がサマリア地方、このちょっとした違法人の地に行った時に、
その地方の人々がイエス様を受け入れなかったんですね。受け入れなかった。 それに腹を立てた2人はイエス様にこう言ったんですね。
これです。ルカの9章54から55。 これ読めますか、前の。
読めるか読んでみましょう。3、弟子のヤコブとヨハネがこれを見て言った。主よ、私たちが天から火を下して彼らを焼き滅ぼしましょうか。
しかしイエスは振り向いて2人を叱られた。 イエス様を拒否したから、エリアとバールの戦いのようかわかりませんけど、
天から雷を、稲妻を下して焼き滅ぼしましょうか、と言ったわけです。
もう今風に言えばキレてしまったようで、そしてその過激な発言によってイエス様に叱られた。
イエス様の弟子だったら謙遜で、下辺になりなさいと言われている通りですね、人がやりたくないことをやるようだと思ったら、
いや、右大臣、左大臣にしてくださいなんて言ったり、 忍耐という寛容をもって許すかと思ったらですね、
雷を下して焼き滅ぼしてください、過激なことを言う。 そういうことを正確だったのです。
先ほどのマタイやシモンのようにイエス様は、彼らの過去の経歴とか悪い噂、そしてこの兄弟ヤコブとヨハネのように性格上の欠点を知りながら
十二弟子、使徒として側に置くようにあえて選んだ。 だからイエス様は私たちの欠点にもかかわらず、私たちを弟子として招いて、
イエス様のために使わせてくださるという形です。 ちなみに使徒という言葉はですね、
新世紀エヴァンゲリオンでちょっと違って使われ方をしていますけれども、 使わされたもの、アポストロスという意味です。
自分の大事な使命のために使わすべく、この世にある欠点や悪い過去や噂があった人さえも招いた。
それは私たちにとっても良い知らせになるんじゃないでしょうか。 でもそのために大事なことが2つあるので、その2つをこれから見ていきます。
今日ちょっとあれがダメでした。 うまくできましたか?
2番目、イエス様が作ってくださる。 短い見言葉3の14、こう書いてあります。
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イエスは12人を任命し、彼らを人と呼ばれた。 そしてこの3の14の続きの16節にも、こう書いたんですね。同じように。
こうしてイエスは12人を任命された。 興味深いことに、この任命する、英語でも任命と訳されているんです。
でも元の言葉はどちらもギリシャ語では作るという言葉なんです。
英語風に訳すと、He made 12. イエス様は12人を作ったという変わった言い方をしているんです。
それはイエス様が弟子、イエス様がこの使徒を作ったということですね。 このことを踏み込んで解釈すれば、弟子たちを人として作り上げていく、育て上げる責任はイエス様にあるということですね。
弟子たち、この何割の弟子たちを自分の弟子として使徒として作り上げるのはイエス様の責任だと考えることができるんですね。
今朝たまたまNHKのニュースを見たら、サグラダファミリア。 完成しない制度のことをやってましてね。
作者ガウディは誠の信仰心を持っている人なんです。 本当にいろんな苦労をして家族が死んだとかですね。
死んだ時本当に貧しいみなり弟子になくなったんですけど、彼はサグラダファミリアについてこう言ったんですね。
神は完成を急がれない。 言い訳じゃないですけどね。神は完成を急がれない。
イエス様は時間をかけてでも私たち欠点のある人をご自分のために弟子として作り上げてくださると捉えられると思うんですよね。
その中でイエス様は12人をそして私たちを忍耐をもって弟子として使徒として作り上げてくださる。
でそのことの中でですね 大事なこととして17節1章の17節にも注目したいんです。
テテロと兄弟のアンデレが召された時です。その時イエス様は漁師の2人にこう言ったんですね。
ここをちょっと企画を読んでみましょうか。
3、イエスは彼らに言われた。 私についてきなさい。人間を捕る漁師にしてあげよう。
人間を捕る漁師にしてあげようと言ってるんですけども、ここでもですね
イエス様が弟子として彼らを作るだけじゃなくて
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私があなた方を 人間を捕る漁師にしてあげますよ。
そういうイエス様の責任や強い意思がここからも伝わってくるんです。
人間を捕る漁師というのは使徒と同列においている。
ここでも何度も言いますけれども、彼らが人間を捕る漁師、使徒となる責任はイエス様にあるということが見て取れるわけです。
この12弟子も、もしかしたら自分もイエス様の弟子として、人として
選ばれる資格がないとみなせる理由がイエス様についてくる中で出てきたかもしれませんし、感じたかもしれません。
皆さんもしそういうことが 感じるかもしれないですよね。
でも繰り返しますけれども
イエス様の人として私たちを作り上げ、そしてイエス様の働きのために私たちを使わすその責任は
イエス様にあるんだということを覚えておきましょう。
ですから私たちは自分自身を見るのではなくて、私たちを育てて人として作り上げてくださるイエス様に信頼していく。
そういうことがイエス様にあるものとして必要な視点だということを覚えておいてください。
最後ですね。
イエス様と共にいるということですね。
3章の14、15、これちょっと長いですけど読んでみましょうか。
イエスは12人を任命し彼らを人と呼ばれた。
それは彼らをご自分の側に置くため、また彼らを使わせて占拠させ、彼らに悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
ここにはですね、人として選び12人を作った理由があります。
彼らを使わせて占拠させる、イエス様の福音を述べ伝えさせる。
それから悪霊を追い出す権威を持たせる。これはですね、当時悪霊を追い出すという言葉でこのイエス様が病を癒すとかですね、
この人々のニーズに応えるとか救いを施す、そういうことをまとめた言葉です。
全く私たちの同じことをしろってことではありません。広く言えば人々に使えると言っていいかもしれません。
その上で大前提として大事なこと、それは 使徒をご自分のそばに置くためだったって言うんです。
この松田誠子の赤いスイートピーなんて知らないでしょ? 知ってる?知らないよね。あるいはこれ、畑本博のひまわりの約束。
どちらもですね、ついて行くとか、そばにいるっていうことが大事なテーマの歌です。
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それで西洋の歌、洋の東西を問わずヒット曲の多くは大事な人のそばにいるとか、
大事な人についていくってことが大きなテーマになっています。よくそれ聞いてみてください。
で、そういうこと、一般の歌でもそのように、
私たちは作り上げてくださるイエス様のそばにいること、そしてそのイエス様についていくということ、
それが使徒として、
呼ばれたものとして、鍛えされていることなんですね。 イエス様の働きをどんな形でも担うものとして、
イエス様と一緒にいること、イエス様についていくということが大前提にある。 12人もそうだし、私たちもそうだということを覚えておいてください。
それも先ほども言いましたけれども、 参照のそばに置くためでした。
今日の歌書でもですね、イエス様が12人を呼んだら彼らが
身元に来た。 別の言い方をすると、ついてきたって言われるんですね。
そしてさっき読んだ、ペテロとアンデレを召した歌書でもですね、
あなた方を人間と漁師にしようと招いた時にイエス様はこう言ったんですね。 私についてきなさい。
英語ではフォローミー。 私についてきなさい。
イエス様を呼んで、 弟子たちはイエス様の身元に来た。
後についてきたということがわかるわけです。
じゃあイエス様について行く、イエス様のそばにいる、 それは一体どういう意味か。
実はですね、その意味を考えてそれを生活に取り入れること、 それは私たちそれぞれが考えてそれぞれがすることだと思うんですね。
でも、 例えばよく言われることは
聖書を読んで祈りましょう、という。 それはなぜかというと、実は聖書を読んでイエス様の言葉を聞く。
そして祈ることによって自分の心の内をイエス様にさらけ出す。 それが一つイエス様のそばにいることになるわけです。
その上でですね、イエス様についていくとは何かな? その意味を考えて実践したり、イエス様について行っているという実感する。
それはですね、これだ! ということは簡単ではないんです。
簡単に聖書の言う通り、行きなさいと言うこともできるんですけども、 それだけではないんですね。
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そのイエス様についていくということはどういうことか。 それを自分なりに掴むことが
信仰の成熟や成長と言えるんですね。 皆さんに与えられた宿題とも言えると思います。
このようにですね、イエス様は どのようなものであってもですね、自分の尊い働きのために
使わし、証とするために選んでくださる。 そして選ばれた私たちはですね、
弱さや欠けを抱えながらもイエス様についていこう。 イエス様のそばにいよう。そのように相もお互いでありたいと思います。
最後にですね、それと関連する御言葉を読んで終わりたいと思います。 イエス様がやはり
十字架にかかる前に弟子たちに 語った約束2つですね。ヨハネの15章の5節です。
ちょっと長いんですが頑張って読んでみましょうか。
私はブドウの木、あなた方は枝です。 人が私にとどまり、私もその人にとどまっているなら、
その人は多くの実を結びます。 私を離れては、あなた方は何もすることができないのです。
同じ15章16節ですね。
あなた方が私を選んだのではなく、私があなた方を選び、あなた方を任命しました。
それはあなた方が言って実を結び、その実が残るようになるため、またあなた方が私の名によって父に求めるものをすべて、
父が与えてくださるようになるためです。 お祈りしましょう。
私たちの救い主なるイエス様、皆を賛美いたします。 あなたは12人の弟子をあなたのお働きのために選ばれました。
その中には少し難があるように思われる、そういう人たちもいました。 しかしあなたはそのような人をして、
あなたの人として作り上げ、またお持ちになる、 そのような忍耐深い
想像のしだることを覚えて感謝いたします。 どうぞ私たちもあなたが作り上げてくださり、あなたの御用のために使わし、
実を結ぶことができますように。 あなたのそばにいること、あなたについていくこと、それがどんなことなのか、
またそれがどのような幸いであるのか、そのことを私たち一人一人が知ることができるように、
どうかそのことも明らかにしてください。 ここにおられるお一人お一人も、私たち一人一人をあなたの御手に委ねて、
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私たちの救い主、主イエス様のお名前によって祈ります。 アーネン。
それではしばらく黙祷して、1分ほど黙祷して、 イエス様の御言葉に応えていきましょう。
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