1. 牧師のバイブルメッセージ
  2. ♯315 新しい戒め
2026-03-01 29:34

♯315 新しい戒め

ヨハネ-38からの礼拝メッセージ。2026年3月1日録音。

サマリー

このメッセージは、ヨハネ13章31-38節に基づき、「新しい戒め」について語っています。イエス様が弟子たちに「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めを与えられたこと、そしてその愛がどのようにして可能になるのかを探求します。まず、この新しい戒めは、モーセが荒野で与えられた十戒などの古い戒めとの関連で「新しい」とされています。出エジプトの出来事とイエス様の贖いの業が対比され、神の民が新しい契約の下でイエス様を王とする新しい国の国民となることが示唆されます。次に、この戒めの「別の新しさ」として、神と御子の親密な交わりや、イエス様ご自身の弟子たちへの愛が模範となることが挙げられます。クリスチャン同士が互いに愛し合うことで、神と御子の関係が教会の中で実現し、世に示すことができると説明されます。最後に、この戒めを実践可能にするのは、人間の理解を超えたキリストの測り知れない愛を知ることであると強調されます。この愛は、私たちがどれほど罪深くても変わらず与えられ、私たち自身が愛される経験を通して、他者を愛する者へと変えられていくと語られています。

新しい戒め:ユダの裏切りとイエスの栄光
ヨハネノフクインショー、13章31節から38節です。
ユダが出て行った時、イエスは言われた、「今、人の子は栄光を受け、神も人の子によって栄光をお受けになりました。
神が人の子によって栄光をお受けになったのなら、神もご自分で人の子に栄光を与えて下さいます。しかも、すぐに与えて下さいます。
子供たちよ、私はもう少しの間、あなた方と共にいます。あなた方は私を探すことになります。
ユダヤ人たちが言ったように、今、あなた方にも言います。私が行くところに、あなた方は来ることができません。
私はあなた方に新しい忌ましめを与えます。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。
互いの間に愛があるなら、それによって、あなた方が私の弟子であることを、すべての人が認めるようになります。
シモン・ペトローがイエスに言った。
主よ、どこにおいでになるのですか。
イエスは答えられた。
私が行くところに、あなたは今、ついて来ることができません。しかし、後にはついてきます。
ペトローはイエスに言った。
主よ、なぜ今、ついていけないのですか。
あなたのためなら、いのちも捨てます。
イエスは答えられた。
私のために、いのちも捨てるのですか。
誠に誠に、あなたに言います。
鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言います。
以上です。
今日はこのところから、新しい今締めと題して、二言葉からお話いたします。
皆さん、おはようございます。
3月になりました。
今日が1日です。早いもので、年度最後の月となりました。
また、昨日の夕方からニュースが飛び込んできて、ちょっと世界の成長が不安定と言いますかね。
はっきり申しませんが、皆さんご存知のように、そのようなことが起こって、
今朝もいろいろニュースが入ってきていますが、不安定な中ですが、
イースターを迎えるにあたりまして、今月もともに過ごしていければと思います。
さて、今日は13章の最後の部分からお伝えいたします。
明智光秀の、「敵は本能寺にあり。」
その言葉がターニングポイントになりましたね。
まさに信長への裏切り行為を決定づける言葉として有名です。
同じように先週見たように、ユダがイエス様からパンを受け取って、暗闇の中に出ていきました。
それが実はターニングポイントになりました。
ユダがイエス様を裏切る決定だとなったわけですね。
そのことを受けて、イエス様は、
今日霊神部の頭に冒頭に入れてありますけれども、
31節の冒頭の言葉、
今、人の子は栄光を受け、神の人の子によって栄光を受けになりました。
ユダが暗闇の中に出ていったその時に、
まさに今こそ栄光を受ける時、
そして栄光は皆さんがご存知のようにイエス様の受難ですね。
そこから天皇ミザの着座までのことも言います。
そしてイエス様の十字架、そして復活焦点までが、
実は父からイエス様がこの栄光を授かるような出来事ですし、
またイエス様が十字架で死ぬことによって、
人類の贖えを成し遂げる。
それによって神の御心を行うという意味で、
御子が御父に栄光を授けると言いますかね。
御父が御子によって栄光を受けるということになるかと思います。
今日はそこは詳しく触れません。
そんなところで、このいわゆる最後の晩餐と言われている場面で、
イエス様が弟子たちに語った新しい今しめということを、
今日フォーカスして見ていきたいと思います。
新しい契約と新しい戒めの関係
最初に三つの点の中で、新しい契約と新しい今しめということで、
モーセのアラドの出来事とリンクして考えていきます。
そして二番目は、そのような最初の新しさと違った、
別の面の新しさということで、
神に模範が見られるということを見ていきます。
そして三番目に、互いに愛し合いなさいという新しい今しめ、
非常にそれは重い今しめであって、
私たちがそれができるだろうかということを考えますが、
私たちにそれを可能ならしめることとして、
はかり知れない神の愛を知るということを最後に取り上げていきたいと思います。
それでは一番最初、新しい契約と新しい今しめというところを見ていきます。
13章34節の前半部分ですね。
読めるかと読んでみましょうか。
私はあなた方に新しい今しめを与えます。互いに愛し合いなさい。
ここでですね、何が新しいのかということを見ていきますけれども、
簡単に言いますとですね、
この新しい今しめというのは、
十回を代表とするイスラエルのために荒野ンで与えられた今しめとの
関わりの中で新しいと言われているんですね。
興味深いことに、
ヨハネの福音書の中でずっと見てこられた
出エジプトの救出劇とイエス様の贖いの出来事ということが
ここでも関連付けられているんです。
レジュメにもありますが、
簡単に説明するとこのような図式と言いますかね、数式になるんですね。
出エジプトの救出劇イコールイエス様の贖いの技である十字架と復活という。
また、エジプトから救われた神の民イコール
イエス様の十字架によって救われた弟子たちあるいは私たちに
なぞらえられています。
そして荒野ンで与えられた十回を始めとする神の今しめや律法イコール
新しい今しめとしての互いに愛し合いなさいという。
そういう関連があるんですね。
そしてもう一つ今日生産式ですけれどもこれは何に基づいていますか。
新しい契約と言われてますよね。
この新しい契約というのは実はイコール反対ですね。
荒野ンでの契約ということとなぞらえられているんです。
で、レジュメに長いんですけど簡単に言うと
この荒野ンから救い出された愛というと
イスラエルの民は神の民ですね。
神様を簡単に言うと国主とする新しい国ができたようなものなんです。
それとなぞらえて今イエス様を王とする新しい国の国民に
クリスチャン、死の弟子たちはされているという
そういう関連性もあるんです。
私たちはここにいる方々は日本人の方がほとんどだと思いますけども
でありながら実は神の国の神である。
私たちの王はイエス様であるという
そういうアイデンティティを私たちは持っておくべきというか
知っておくべきなんですね。
で、何でこんなことを言ってるかというとですね
私たちにとってこの出エジプトの物語というのは
無関係に思えるかもしれません。
でもこのヨハネの勲章で繰り返し語られているように
当時のイスラエルの民にとって
モーセの出エジプトの出来事というのは
彼らの拠り所となっていた
アイデンティティになっていたわけですね。
この出エジプトの救出劇は。
同じように実は今私たちは
イエス様の十字架というのが私たちの物語であって
拠り所になっていますよね。
それは分かりますよね。
でもそれと同じように実は
出エジプトの出来事
一見私たちに関係もないような
イスラエルの民族にしか関係ないような
5000年近く前の出来事も
今の私たちと関わりがある
ということを知っておいてほしいんですね。
つまり私たちの拠り所としての
出エジプトの物語
旧約聖書の物語があるんだということを
知っておいていただきたいんです。
よく例えだすんですけども
この間ね、オリンピックで
すごい話題になったフィギュアスケート
このフィギュアスケーターの一人として
織田信成さんがいますね。
彼の先祖は本当に織田信長でした。
つまり織田信長の下
賛否両論ありますけど
それを置いておいて
織田信長の功績は
信成さんの先祖の功績であり
そして織田信長のやったこととかですね
出来事はおそらく信成さんの
アイデンティティとか
拠り所になっているわけです。
同じように私たちにとって
この出エジプトの出来事は
私たちの拠り所であって
私たちの今のありように
大いに関係ある出来事だ
ということをここで
もう一回確認したいということなんですね。
ですから私たちがですね
あえてうちの教会では
新約聖書からしかお話ししないですけれども
旧約聖書を読む意味というのは
そういう意味があるんです。
旧約で起こった神の救出劇は
私の物語であって
今の私の試練であるんですね。
私が必要とする救いに関係あるんだ。
エジプトにおいて
民を救ったあの誠の神は
今の私のことも救ってくださるんだ
そういう拠り所になるんですね。
例えばですね
みなさんがね
グルーペ番組なんか出てきますけど
高級料亭ね
高級料亭の常連さんだとしますよね。
でも高いじゃないですか。
そこに行っても
格安ランチしか食べない。
900円くらい。もったいないですよね。
常連さんですから
タダで夜の解析料理もらえるとなったらね
得じゃないですか。
いやでもいいんです私は
格安ランチだけでいいんですって言ったら
もったいないですよね。
でもタダだということで
解析料理を前菜から食べれるとなると
おいしさに預かれるわけですよね。
同じようにですね
私たちもこの
高級料亭の常連のようにですね
私たちはこの聖書の壮大な物語に
連なっているわけですから
この900聖書の物語からですね
この救いの恩恵とかですね
私たちの
拠り所をそこに置くということをしていく
そのようなことがですね
私たちの信仰生活を豊かにするし
深めるということを
このことを通して確認できればと思って
こんな話を最初にしてみました。
新しい今締めには
その900聖書の
モーセの荒野での契約とも関係がある
それに対する新しさということも
まず覚えておきましょう。
新しい戒めの別の側面:模範と愛
2番目、もう少し見ていきます。
別の面の新しさということですね。
ちょっと長くなりましたが
もう一回この部分を繰り返し読んでみましょうか。
13章34節3
私はあなた方に新しい今締めを与えます。
互いに愛し合いなさい。
私があなた方を愛したように
あなた方も互いに愛し合いなさい。
イエス様は他の福音書の中でですね
こういう問いに関して答えていますね。
律法の中で何が一番大事ですか?
900聖書をまとめると何が大事ですか?
というと
マルコの福音書の12章30、30に代表されるように
2つの愛の今締めに
900聖書の今締めがまとめられるよ。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、
知性を尽くし、力を尽くして
あなたの神主を愛しなさい。
これが第一の今締めです。
もう一つ第二の今締めとして
あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。
これよりも重要ないのち令は他にありません。
簡単に言いますと
この神を愛し、隣人を愛するということが
最も大切な今締めといいますかね
900の今締めをまとめたものですと
イエス様は教えました。
そしてこれらの今締めに対して
新しい今締めを与えようというのが
今日の
互いに愛し合いなさいという今締めです。
この互いにというのは
対象は誰ですか?
弟子同士ですよね。
キリスト者同士が愛し合うようにというのが
新しいのです。
繰り返しますが
マルコナなどに語られている
旧約聖書で言われている証というのは
今締めというのは
隣人、信者の方、未信者の方
関係なく隣人を愛しなさいという
広い意味があるのですが
あえて言えばここでは
イエス様の弟子同士
キリスト者同士が愛し合うという
狭い意味での愛
互いに愛し合うということが
新しいという意味です。
それが第一の
別の面の新しさなのです。
そしてさらに
別の新しさというのは
模範がありますよという点で新しいのです。
そしてその模範には
二つの模範がありますよというのです。
最初の模範は
ミチチとミコの
親密さという模範です。
今まで説明してきたので
簡単にしか言いませんが
イエス様と父なる神様が
あたかも一つにあるように
イエス様は
父なる神様の御心を行うべく
この地に来たと言って
お互いが調和しているという意味での
互いに愛し合うというかもしれません。
あるいは先ほど見た
お互いにこの栄光を受けると
言っているような関係です。
そこから私たちは
キリストとクリスチャン同士
互いに尊重し合うという
ミチチとミコに並んで
互いに栄光を受け合う
尊重し合うということが言えるかもしれません。
そして調和しているように私たちも
キリストとしては死の弟子として
調和を保つべく互いに愛し合うという
そのようなことが言えるかもしれないですね。
そして不思議なことというか
興味深いことに
キリストの弟子が互いに愛し合うときに
父なる神様とミコイエス様の
交わりが教会の中で
体験され証しされるということですね。
私も説教をしていてすごく困るのは
ミチチとミコの親密さって何ですか?
それを説明するのはすごく難しいですね。
でもある学者たちに言わせれば
教会の中で
クリスチャン同士が互いに愛し合うときに
ミチチとミコの関係ということが
教会の中で実現して知ることができるんですよと
体験することができるんですよと言われています。
そしてそれが不思議なことに
クリスチャンじゃない人たちに
ミチチとミコが調和して互いに愛し合っている
ということはこういうことなんだということを
教会の中で互いに愛し合い
調和していることをもって
世に示されるということになっている。
一つ目の模範は
ミチチとミコの交わりということです。
二つ目の模範はイエス様が弟子たちを愛した
その愛が模範であるという
まさにイエス様というモデルがあるということですね。
そして今まで話してきましたが
13章のイエス様の専属の行為は
その一つのモデル
具体的な事例だということなんですね。
そしてイエス様の弟子同士が
互いに愛し合うことこそ
最も真実な証であるんだ
そのことを
イエス様は続く35節で
述べているんですね。
13章35節読める方読んでみましょうか。
互いの間に愛があるなら
それによってあなた方が
私の弟子であることを
全ての人が認めるようになります。
ある学者に言わせると
キリストの弟子同士が愛し合うことを
イエス様は最も必要で
唯一の今しめである
そのようにさえも言うことができる
と言うんですね。
しかしですね
その上で最後に大事なことを
取り上げていきたいと思います。
測り知れないキリストの愛
2番3番目
測り知れない愛を知る
ちょっと直接関係ないんですけど
深い関わりもある
旧約聖書のエレミア31の
31節から33節をバス停したものを
紹介いたしますね。
私は私の律法を
彼らの肩中に置き
彼らの心にこれを書き記す
簡単に説明しますが
ここで言っているイスラエルの家
ユダの家というのは
神の民を総称していますから
私たち教会
キリストの群れを指しています。
その時に新しい契約が結ばれて
何が起こるかというと
神様の律法今しめが
心の中に書き記されるんだ
何が言いたいかと言いますと
実は私たちが
心から神様の今しめを守ることが
できるように神様が
私たちの心を変えてくださるんだ
それが新しい契約である
今日の文脈から言うと
互いに愛し合えるように
神様が私たちの心に新しい心を与えてくださる
あと出てくる
聖霊の働きとも言えると思いますけれども
そのように神様が私たちが
愛せるように心を変えてくださるという
希望があるということを知っておくことなんですね
そしてさらに
大事なことを見ていきたいと思います
実はここからですね
私いろいろ準備してて
各社の言葉に触れるんですけど
レジエニマルからご紹介した方が
皆さんに伝わるかなと思って
あえて各社の言葉をいくつか紹介します
大げさの言い方をすれば
福音のような響きがある言葉です
難しかったらまた
ご自宅でレジミを読み直していただきたいんですけど
まず一人目の方はこんなこと言ってるんですね
ちょっと長いので読んでみますね
私たちの罪を深く知れば知るほど
救い主の愛は大きく見え
その愛が大きく見えるほど基準は高く感じられ
その基準が高く感じられるほど
自分の罪深さを思い知らされます
ですからこのような基準の前では
再臨前のこの世で新しい契約の基本を
私は完全に守っていますと
言える信者はいません
難しい言葉ですけど
あえて簡単に言い直すと
つまりイエス様の自己犠牲の愛を知れば知るほど
私たちは自分の愛の無さを
知ることになりますよ
あるいは罪深さを知ることができますよ
今日の文脈で言えば
互いに愛し合いなさいと
新しい今しみを与えられていても
それができない自分に気づくんですよ
イエス様愛を知れば知るほど
自分の罪を知ることになるかもしれませんよ
とここで言っているんですね
ですから誰も
再臨の前のこの世でというのは
いわゆる私たちがイエス様と会って完全になりますよね
罪がない状態になる前に
この世に生きている間は誰も
新しい今しみを守って
完全に守っていますと言える人はいないんですよ
その上でこんな指摘もあるんですね
イエスに対する弟子たち私たちの愛は
彼らが互いに
愛し合うように導く
イエス様が私たちを愛してくださっている
そのことを知る時に
弟子たちは私たちは
互いに愛し合うように
導かれていくんだということですね
つまり私たちが
何回も言いますけどイエス様の
許しと愛を知れば知るほど
おのずから他の弟子を
愛するようになると言うんですね
あまり言うとあれかも
愛されたことのある人こそ
人を愛することができるといろんな文脈の中で言われていますけど
まさにイエス様との関係
そしてそこから派生して
キリスト者同士との関係においても同じことが言えますよ
イエス様の愛を知れば知るほど私たちは
兄弟姉妹を愛する者として
変えられていくんですよということだと思います
そしてその上でですね
このイエス様の愛の大きさがどれほどのものか
このような言葉にも触れていく
耳を傾けることが大事じゃないかと思うんですね
キリストの愛は人間が精いっぱい知り
想像することができるその愛よりも
無限に大きいって言うんですね
つまりそれは人間の心には
測りがたいほど人間の言葉では
言い表しがたいほど深い仕方で経験の中に
私たちの経験の中にすなわち
私たちの悲しみや喜び
試練や苦しみの中に現れるに違いない
私たちが知り尽くせないのが
キリストの愛なんだって言うんです
何でこんなことを
いろいろ引用するかというとですね
新学校っていうの私行ってましたよね
その時先生にこんな本いいよって
勧められるんです
その中の30年ほど前に買った本を最近
読んでるんですねそれは神の愛についての本なんです
そこで繰り返し言われてることはですね
人間が愛されるに値する
何か持ってるから
神に愛されているんじゃないんですよ
なぜ神が私たちを愛するかというと
神は愛だからですって言うんですね
多分誰かを
愛したりですね
親御さんの気持ちのあった人は
分かると思うんですけど
相手がどういう振る舞いをしようともですね
分かりやすいから
あえてここで親子って言いますけども
子供がどんなことをしようとも
親はやっぱりその子を
愛して受け入れていくわけですよね
それ以上に神様は私たちが何ができても
できなくても私たちを愛してくださる
存在なんだ
だからそのことを知りなさいってことが
繰り返し語られてるんです
あなたの功績じゃないんですよ
そんな中でこんなことも語られているんですね
人間が精一杯知り創造することができる
も無限に大きい
実はこのことはですね
パウロがエピソディティの手紙の中で
神の測り知れない愛について語っている
聖書の言葉に関連付けられて語っているんですね
それはエピソディティの手紙の3章
17節から19節の言葉なんですね
ちょっと抜粋なんですが読んでいますね
私は祈っていますよと
あなた方が
クリスチャン教会のあなた方が
愛に根差し
愛に基礎を置いているあなた方が
全ての生徒たちとともに
その広さ長さ高さ深さが
どれほどであるかを
理解する力を持つようになり
人知を遥かに超えた
キリストの愛を知ることができますように
こう祈っています
これおかしな言葉ですよね
おかしくないですか
だって人知を遥かに超えたって
知れないんでしょ
私たちは知ることができないんですよ
でもその愛さえも知ることができますように
と言っているんです
ですからこの繰り返しになりますけども
私たちは先ほど申し上げましたが
他人を愛する兄弟姉妹で愛していくということを
考えれば考えるほど
イエス様の愛の大きさを知れば知るほど
自分の至らなさに気付くわけですね
でもそういう神の愛こそ
この広くて長くて高くて深い
愛だと
そしてそれは人間の理解を超えた
愛なんですけども
それを知ることができるようにと
パールは祈っているんですね
まさに私たちは新しい今しめとして
イエス様からですね
キリスト者よ教会よ互いに愛し合いなさいと言われていますが
この私たちの理解力を超えた
イエス様の愛を知ってこそ
それを心から行うことができる
お互いであり教会なのではないかなと
この機会に考えてみたいと思って紹介いたしました
そのような愛に応えていくお互いであり
教会でありたいと思いますお祈りしましょう
天の神様御名を賛美いたします
あなたは御子イエス様をこの地に使わし
あなたご自身とその救いと愛の御業を
お示しくださったことを感謝いたします
私たちに
知り尽くすことができないこのイエス様の
大きなご愛をどうぞ私たちが日々の生活の中で
祈りを通して聖書の御言葉を通して
知ることができるようにどうか導いてください
人情はるかに超えたイエス様の愛を知る
そのような理解力を体験を
私たちに授けてくださるように
どうか導いてください
そしてどうぞ私たちが主にある兄弟姉妹として
互いに愛し合いイエス様のご愛
またイエス様と御父のありようを
お互いに体験しまたこの世に証ししていく
お互いであり教会でありますように
どうぞ私たちはある意味導いてください
この願いと感謝を私たちの救い主
主イエス様のお名前によってお祈りします
アーメン
29:34

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