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#05 そもそも、学校とか教育って何だっけ?
2026-06-12 24:58

#05 そもそも、学校とか教育って何だっけ?

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「ふつうの先生の、ふつうじゃない話を聴いていく番組」
 ホストは、高知の現役教員で「会いに行けるセンセイ」という活動をする「のざたん」

第5回は、シリーズの新章スタート回。 第1〜4回で「ゆとり教育者」の輪郭がひと回りしたあと、ある違和感が残りました。 ——そもそも、ゆとりを持つべき「学校」って、何だっけ?

今回は、身体感覚から離れて、定義の話をします。 「教育」と「学校」を切り分けるだけで、肩の荷が少しだけ降りる話をしました。

▼ この回で話したこと ・「教育」と「学校」って、実は同じじゃない ・学校教育法が定める「学校」は、教育全体のある一部分にすぎない ・公教育はインフラ——個人の頑張りだけで成り立っているわけじゃない ・「人格の完成」という大きな航海図——学校はある区間の伴走者でいい ・教員の責任は、結果じゃなくて「過程」にある(医師・弁護士と同じ) ・「いい先生」の呪いを解く第一歩 ・第1〜4回(余白・私が選ぶ・半歩引く目・しなやかさ)は全部、「過程の責任」を担うための装備だった ・次回予告——「過程」って、結局、無数の「はじめて」の集まりかもしれない

▼ のざたんの他の活動 
Voicy「学びのセカンドオピニオン」(毎日配信) https://voicy.jp/channel/3708

note https://note.com/nozkoh

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サマリー

このエピソードでは、「教育」と「学校」という言葉が混同されがちであるという問題提起から始まり、それぞれの定義を法律に基づいて解説します。「教育」は人格の完成を目指す広範な営みである一方、「学校」は教育の一部を担う公的なインフラとして位置づけられます。教員の責任は結果ではなく過程にあり、教育者は個人の頑張りだけでなく、社会全体で支えるべき公的な性質を持つものとして捉えることで、教育者自身の負担を軽減し、より良い教育の実現を目指す視点が示唆されています。

シリーズ新章:教育と学校の定義
リスナーの皆さん、こんにちは。ゆとり教育者ラジオへようこそ。パーソナリティののざたんです。 というわけで、今日もゆとり教育者ラジオをお届けいたします。
今日で5回目になりますけれども、 1回目から4回目はですね、ゆとり教育者の輪郭ですかね。
それを自分なりにお話をしていきました。 余白だったりですね、私が選ぶだったり、
半歩低めだったりしなやかさだったりというふうにお話ししてきたんですけれども、 今までまあまあ教員の話というかね教育者の話の部分が多かったんですけれども
今回はですね、じゃあそもそも 教育ってなんだっけ?とか
学校ってなんだっけ?っていう そういったですね部分の話をちょっとしていきたいなと思っております。
まあまあ今日の話なんですけれども、学校とか教育とかですね 一応法律で決まっている部分があるのでそこを丁寧に抑えていくところから始めると
いいなと 私自身感じているのでそれをちょっとですね
表現したいなと思っております。 教育とか学校とかああいう言葉を使うときって
ごちゃごちゃに混ざって使ってる部分とかね 場面によってあるんですよね。なんか教育が良くないとかね教育を変えなきゃとか
これは学校が良くないとか学校を変えなきゃって言ってるのかな?とか そういった部分があったりして
これは学校の話をしているのか、教育の話をしているのか、またまた違う話をしているのかっていうのがすごく曖昧に
変われている気がするんですよね。 この辺をちょっとですね丁寧に紐解いていきたいなと思ってまして
「教育」の広範な意味と「学校」の位置づけ
教育っていう言葉はですね、実はめちゃくちゃ広い言葉でございまして
親か子供に何かを教えるのも教育ですし 地域の大人が子供に関わるのも教育
友達同士で学び合うのも教育 本を読んで自分を学ぶのも教育
大人が新しいことを調整するのはこれもですね教育なわけですよね 教育というのはそもそも人の営みになるわけですよ
だから学校がやってるだけじゃないんですよね でもなんかこうごちゃごちゃっと混ぜられて教育イコール学校
ニアリーコールと言った方がいいかもしれないですけど なーんかこう教育が受け持つ
違うな教育を受け持つところって学校じゃないのみたいに膨られてしまってるんです けど今言ったようなことを思い返すとそうでもないなという風になるん
じゃないかなと思ってますね じゃあ学校って何というところですね
学校っていうのはその教育というもののまあ大きな大きなものの一部分になっている 場所みたいなもんですかね
この学校というのはまあ法律で定義されていまして まあそのそのものなんか法律の名前があってですね学校教育法っていうのがあるわけですよ
ねえ学校教育法っていうのがあります これでですね学校教育法は一番最初にですね何を定めているかというと学校とあって言ってるんですよ
この学校教育法で言ってる法律上の学校っていうのはこういうものですよって言ってるんです けど
8まあ紹介しますね幼稚園小学校中学校 義務教育学校高等学校中等教育学校特別支援学校
大学及び高等専門学校 としますよ
してるんでしょ な学校っていうのは本当
法律上この9種類の期間のことでして まあ法律なんとか学校みたいないろいろ名前ついている学校もいろいろあるんですけど
法的な学校っていうのは今言った9個ですよ だまあある種の特定の期間だという風になっていますねこれが
8まあ行っているものが高教育という風になるんですよね えっとよくですね表現として出てくるんですけれども
一条項っていう表現をするところがあるわけですよ一条項 第1条の一条って書くんですけど
一条項っていうのは何かというところ学校教育法にのっとった学校ですよという話 なんですよね
a そのまあなんだろうなそこが行うものを公教育という風に言っておりまして
その仕組みの中で教員という人たちは動いているまあ働いていたりしますよ
だからもうなんて言うんですかね学校ができていることっていうのは まああの教育全体の中のある特定の一部分なんだけど
それがまあ特別なものだというかね特殊なものだというふうにいい 考えてもらえた方がいいなというふうに思っていますね
だからやっぱ教育っていうのは何かこうもっともっと広い話のものでしてその中で 学校っていういわゆるまあ
こんな公的なインフラみたいなものがありますよとね法律で定まってるんですよ でだからこそその
定義の中で学校は学校の役割を果たしましょうというふうにしてますし まあ親というものは親の役割を果たすし社会は社会の役割を果たす
しまあそれぞれの場所が自分の場所で まだ見ましょうねというものなんですよね
うん なかなかその辺をごちゃごちゃごちゃってなっちゃうとまあまあややこしくなってしまうの
かなというふうに僕は感じています
法律が定める「学校」の範囲と公の性質
でじゃあ学校って何するとこなんて えっとその定まってるはいいけどさあねこういうふうにしますよ学校ってねこれですよ
って言ったのもいいんだけどじゃあ学校って何すんのさあみたいな話ですよね これも一応決まりがあって
決まりがあってこれ定められていてこれね教育基本法という法律に定まっているん でしょうね
えっとね第6条のとこですねねこんなふうに書いてます 法律に定める学校は公の性質を有するものであって国地方公共団体
および法律に定める法人のみがこれを設置することができますよ というわけでさっき言ってたその幼稚園とか
小学校とかね中学校義務教育学校 高等学校中等教育学校特別支援学校大学およびフォト専門学校というのは
えっと勝手に作れませんよっていう話ですよね 定められたところがちゃんと設置をしましょうねと
これが大事なんですけどさっきもちょっと言いましたけど法律に定める学校というものは公の性質を有するんですよ
っていうところなんですよ 国とか地方公共団体はいわゆる自治体というふうに考えてもらっていいかな
そういったところが設置する学校っていうのはなんか公の性質を持っているように感じるとは思うんですけど
私立 まあいわゆる法人ですよね法律に定められた法人がいわゆる学校法人が
立てた学校私立私立と呼んだりしますけどこれも公の性質を有するものなんですよ
私立の学校が特別かというとそういうわけではなくて公的性のあるものしましょうね公の性質のあるものをしましょうねという風になっています
でということはどういうことかというとまああの公教育ってインフラみたいな形でね
やろうよって話ですよ 私立だろうとなんだろうとインフラとしてやりましょうねえと
だから好き勝手に立てれないし ちゃんと審査しましょうねだし特定の法人じゃないと立てれませんよという風になっています
うん 私のことね私立学校で働いてますけれども私立学校の法人に雇われている身ではありますけども
なんていうのかなまあ仕事としては 親家の性質を有するものをやっているんだという感覚になっていく必要があるのかなと
うん そのなんていうのかな
好き勝手にやっていいわけではないという あの分かりやすい言い方をするとそういうことかな
何処かしらそういった思いはあるといいのかなと思うしまあそういったものに取り組んで いるんだよね私たちで
そうやって思えること自体がすごく大切なんじゃないかなと思っています
公教育は個人の頑張りだけでなく社会全体で支えるもの
まあねその教員になるとちょっとね自分が頑張らなきゃみたいな 強く思ってしまいがちな人もいます
それは悪いとは言わないしまあ尊いなと思うんですけども その親家の性質を持っているものだからさ
まあまあ個人の頑張りでやるものでもないなと思うわけですよ
あのなんて言うんですか 学校は親家の性質を有するんですけども
教員が親家の性質を有するわけじゃないんですよね なんかまあ個人の頑張りで学校を成り立たせようと
するのではなくてもうちょっとこうゆったりとした感覚で まあインフラだよねーっていう
一人いなくなってもまあ続いていく仕組みにしなきゃいけないよねーと それでもなんか人が減っていくとなんか回らなくなってくるのはどうしてなんだろうねみたいなところが
まあちゃんと言えるようになった方がいいなと思うんですよ
そんな風に捉えたときにじゃあこのインフラってどういう風にしたらいいんだっけ っていうと学校の先生だけでどうにかしようみたいなことしないじゃないですか
例えば水道とかさ電気とかさ道路とかさ
もちろん整備する人はいますよ 整備する人はいますけど
だからといってなんかこう
じゃあ道路に穴掘っちゃおうぜ みたいなことされたら困るわけじゃないですか
えっと
そうでしょ? 水道もさ
水道会社の人たちがだけがって言ったらいいかな どうこうして守るものじゃないじゃないですか
社会全体で守るものかなと思ってるんですよ なんか変なこと言ってますかね大丈夫でしょ?
だって
悪意のある人がさ下水道にすごいとんでもない汚染したものをバーって流してたらダメだよってなるじゃないですか
別に水道会社の人が来て止めるものでもないでしょ それはなんか社会全体でそういうふうにこの公のものを守りましょうね
インフラを守りましょうねっていうのがいいのかなと思うので それと僕は性質が同じものでいいんじゃないかなと
学校っていうのはね そういうふうに感覚として持ってくると
この中の人も一人だけで 中の人だけで何とかしようというふうにする必要もなくて
周りの方もインフラなんだなと思っていただければ 中の人だけに押し付ける話でもないよなと
水道会社の人に動向だけする問題でもないじゃないですか 電気会社の人に動向してもらうだけの話でもなくて
もうちょっとなんか広い目でゆったりとした目で見てもらえるといいのかなというふうに思うわけですね
まあそんな感じで教育というか学校のことについてはそういうふうに見てもらえたらいいなというふうに思うわけですよ
教育基本法が目指す「人格の完成」
はい じゃあその学校がやっている教育というものは一体何なんだと
いうふうに考えた時にですね じゃあ教育って何してるのって
学校はさっきね言ったように学校はこういうふうなことをやるんですよって 言いましたけど
こういうものを学校とするんですよと言いましたが じゃあ教育って何なんっていうと これもね教育基本法というものに一番最初に書いてありまして
教育はですね 人格の完成を目指し
平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた 心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない
ですはい そういうものだそうです教育というのは
うーん だから
まあ教育っていうのはそもそも人格の完成を目指すものなんですよね
なんかこうなんだろうな 狭く捉えてさその学力向上とかさ進学率とかさ
そういうことを書いてないんじゃないですか まずは人格の完成だよねーって
言ってるわけですよ これってじゃあ数年でできるもんですが1年とかね数年でかかるじゃないですか
ゆっくりゆっくりこう育っていくとか育まれていくものでしょ だから学校っていう性質のものがさ
幼児期からあの 青年期までずっとあるわけじゃないですか
幼稚園から始まって小学校中学校高校 大学までかもしれないですけどそういった過程の中で
行われていくんだけどでもそれでもさ人生も長いんだからさ
んじゃないですか 学校っていうのはまあある程度の期間ですよね
20年ぐらい 20年弱ぐらいかね
そういった期間の中でまあ教育というものに関わりますよでもまあ一生が今なんだり するというか一生が教育というものは繋がるわけで
なんか学校だけで5ギューってやる必要もなくて そのそこに関わる教員という人はその部分の一部なんだなぁと人生の一部に
関わらせてもらってんだなぁとかね 全部完成させなくてもいいなぁと思うわけですよ
なんかでもやっぱりこんなかいるとさその中で完成させなきゃみたいに思っちゃいがち なんだけど
そうじゃなくて 長いスパンの中で
こういうふうに育っていってほしいんですよっていう まあね特に学校がになるのは
最初の部分ですよね長い長い人生の中での最初の部分にどういうふうに関わって いくか
そういったところを考えていってまぁある程度の方針というものが なんかこう
を描けるようになるって言えばいいですかね最初やっぱり何何もないままだと難しい じゃないですか
急に何かを作りなさいと言われても設計図も何もないんですけどって言われたらね困っ ちゃうし
じゃあ自由に旅しなさいって急に言われてもいい方がわかんないですけどどこ行ったら いいですかみたいなね
そういったところでまぁ最初にああいうふうに目的地を見定めるんだよかもしれないし なんていうのかな
こういうふうに戻って作ったらいいんだよってクラフトってこういうふうにやって くんだよみたいな
また設計図をちょっと練習してみるというそういった期間なんだなというふうに思っ てもらえたらちょっと気が楽になるんじゃないかなと思ってて
教育者っていうのはそういったところに関わる人なんだと思えば何も全部一人で追い込む 必要はなくて
ゆったりと関わってもらえたらいいのかなと思うわけです
教員の責任は「過程」にあり、結果ではない
でまぁ教員でねでもそうはいってもなんかこう なんていうのかなぁ
なんか専門職だしさ まあまあ真面目な人が多いからさ
背負いがちなんだけどなんか僕はなんかその専門職は専門職なんだけど
うーん 何だろうな結果はさ
なんだろう必ずこうするってことはなかなか難しい話だなと思うわけですよ
やっぱりでもじゃあなんで専門職になるかって言ってそこに寄り添う家庭に 責任が持てるからなのかなぁと思っていて
幼稚園の時期に関われる 資格があるとか小学生の時期に子どもが小学生の時期に関われる学校の中で
関わることのできる資格があるとか 中学校ここもそうですけどいったところの資格があって
その時期に適した環境を まあ提供すると言いますか
関係を整えておくことができるっていう そこで育っていく家庭を見守るというか伴走するというか
そういったことをできるのが教員の役割かなと思うわけです でもなんかねどっかでねこうなんかサービス業みたいなこと言われちゃってさ
なんかそのなんていうの この人に預けたら何でもしてくれるんだみたい
ならないですよね だって関わる人もさ一人だけじゃないしたくさんいるわけだから
だからなんだろうな何でもかんでもやってくれるっていうかね子供を育ててくれる パーフェクトな人ではなくて
その家庭を見守ってくれる人
で ある程度の指針は見せてくれるけども
方向性を見せてくれるだけであって結果というものにご責任を持つというか 結果を何か出してくれるようなそういった人ではないんじゃないかなというふうに感じる
わけですよ だってお医者さんでもそうじゃないですか弁護士さんでもそうじゃないですか
必ず勝ちますとか必ず直せますってないでしょ
うん
ってそんなないよねって 誰もがね
なんか関わった人すべてがなんか成人苦手みたいになるのとやるみたいな そんな先生にないわけですよ
そうなれたらいいなと思うことはなくはないですけど やっぱり難しいなぁと思うし
長らく教員やってても思うよね だって全部は無理だったよねと思うもん
でもなんかその過程を見守れたのかなという振り返りはできるし それをなんかブラッシュアップしていきたいなと思って長らく教員をやってて教育の場だ
現場にもいたりするけれども 見たことができているのかなというふうに思ってます
だからこそ なんて言うんですかね
このちょっとわかりにくいかもしれないですけど学校っていうものがどういうものなんだっけ 教育っていうものがどういうものなんだっけということを
ちょっと法律の言葉を借りてね 人文の中にインプットしたときにこれって全部
全部自分で関わる必要はないのかな 全部背負う必要はないよね
ただ専門職ではあるので そこのプロセスの部分に
なんだろうな そこの部分の過程を見守ることっていうんですかね そこの責任はあるのかなぁと
それぐらいの感覚でいいんじゃない 全部全てにおいて自覚しなければいけないんだー
ではなくてね 責任をもって見守りましたよって
そのフィードバックをしましたよ そういったところができることって言うんですかね
まあそういったことを学校の教員は 提供できたらいいのかなと思うし
いろんな場面でね人の教育に携わる人がいると思うんですけど なんか結果にこだわりすぎるんじゃなくてそこのプロセスですよね
家庭の部分に 伴奏してくれたって伴奏しているよって
そういったところを教育者と呼ばれる人たちが意識してもらえると ガチガチにならずにですね
見守れたかなぁなんてことを思っております というわけでですね
生涯学習社会と教育者の役割
話してきましたけども なかなかこう分かりにくいですよね
法律上の教育とかね学校の話とか 教員は何にアプローチしてるんだろうって時に
なんかやれた! 提供したんだ! みたいなことを言った方が分かりやすいんでしょうけど
でもそうじゃないじゃないですか でもなんかあそこで習えたよねあそこで学べたよねっていうそのプロセスに寄り添うような
そんな存在であればいいのかなというふうに ここは思ってるんですね
ねこれね その
教育っていうものがさ学校だけで完結しないっていうのは 教育基本法にも書いてあって
第3条に書いてあるんですけど ちょっと読みますね最後に
国民一人一人が自己の人格を磨き 豊かな人生を送ることができるよう
その生涯にわたって あらゆる機会に あらゆる場所において学習することができ その結果
その成果を適切に生かすことのできる 社会の実現が図らなければならないとあるわけですね
こういったものだって学校が全部を背負えるものじゃないじゃないですか だからいろんな場面で教育っていうのが起きていて
そこに関わる教育者という方がいて その人たちに知っておいてもらえたらいいなと
僕たちはねあらゆる機会にあらゆる場所において 学習するっていうことができるんですよ
その成果というものを適切に生かすことのできる社会を実現するために
多くの人たちで取り組んでいかないといけないよねー というふうに思えたら
学校の中でこうぎゅーってなっている人たちは少し 周りに助けてって声が出せるのかなと思うし
なんていうのかな
学校の周りにいて教育に関わっている方 大人ですよね いわゆる大人っていうのかな
どんな人でも教育者だと思うんですけど そういった人たちも学校にわかりやすく責任を負わせるんじゃなくて
あれこれってどうやったらできるのかなというふうにならないかなと思って 今日はちょっとお話をさせていただきました
ということで教育とか学校ってご邪魔全員してませんか 学校が全部教育を責任を持つところなんでしたっけ
まあそうじゃないよねというふうに思ってもらえると
少し気を楽にできるかなと思うし ここは手伝っていったらいいのかなと思うかもしれないし
そういったところでですね この教育というものの捉え方とか学校というものの捉え方を少し緩めてもらえたらいいのかなと思って
今日はお話しいたしました というわけで今日の放送は以上となります
ゆとり教育者ラジオのざたんでした またお聞きください
24:58

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