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#04 ゆとりは「しなやかさ」で続いていく
2026-06-05 24:25

#04 ゆとりは「しなやかさ」で続いていく

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「ふつうの先生の、ふつうじゃない話を聴いていく番組」
ホストは、高知の現役教員で「会いに行けるセンセイ」という活動をする「のざたん」

第4回は、第0回から続くシリーズの完結回。
第0回で置いた「ゆとり教育者の3特徴」のうち、最後に残された「しなやかさ」を、ようやく掘ります。
余白、私が選ぶ、半歩引く目——
振り返ってみたら、全部の土台にあったのは、しなやかさでした。
柳のように揺れて、折れず、戻ってくる。そんな話をしました。

▼ この回で話したこと
・第0回で置いた3特徴のうち、最後に残された「しなやかさ」
・「がんばる」より「自分の在り方を大事にする」って、どういうこと
・柳のように——揺れて、折れず、戻ってくる
・竹のように——揺れるけど、「節」がある。私が選ぶ・あれ?・残してある余白が、自分の中の節になる
・振り返ってみたら、第1〜3回の全部の土台に、しなやかさがあった
・「がんばっていない自分」も、自分。責めない
・しなやかさは、育てるんじゃなくて、思い出す
・揺れていい。揺れて、戻ってこられれば、それでいい

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▼ のざたんの他の活動
Voicy「学びのセカンドオピニオン」(毎日配信)
https://voicy.jp/channel/3708

note
https://note.com/nozkoh

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サマリー

このエピソードでは、「ゆとり教育者」の3つの特徴の最後の1つである「しなやかさ」について掘り下げています。「頑張る」ことよりも「自分の在り方を大事にする」ことの重要性を説き、柳や竹のように、風に揺れても折れず、根を張って元に戻ってくるような心のあり方を理想としています。しなやかさは育てるものではなく、子供の頃のように忘れかけている感覚を「思い出す」ことであり、揺れる自分を責めず、戻ってこられた経験を記憶することが大切だと語られています。

「ゆとり教育者」の3つの特徴と「しなやかさ」
リスナーのみなさん、こんにちは。ゆとり教育者ラジオへようこそ。お届けするのは、パーソナリティののざたんです。
というわけで、ゆとり教育者ラジオも4回目となりました。
ゆとり教育者ってね、0回目で表現をしまして、第1回目では余白の話、2回目では選ぶの話、3回目では3歩低めの話をしてきました。
まだまだ残っているものがありまして、これですね、0回目でゆとり教育者の3つの特徴をお伝えしているんですね。
3つは何かと言いますと、しなやかさと観察眼と小さい選択というところです。
2回目の放送で選ぶの話ですね。これ小さい選択の話です。
3回目は半歩低めですね。観察眼の話を扱いました。
というわけで残っているのはしなやかさというところです。
このしなやかさについて今日は説明をしていきたいんですけれども、これね、説明しにくいんですよね。
だって選択とか半歩低めって動詞じゃないですか。
だけどこのしなやかさってやることじゃなくて形容詞なんですよね。
なんか状態を示しているんですけれども。
なのでちょっと最後にとっておいたんですけれども、これをですね、今回はゆっくり話していきたいなと思っています。
「頑張る」ことと「自分の在り方」
そもそもしなやかさってなんだっけなという話なんですけど、
0回目の放送で実はこんなこと言ってますね。しなやかさは頑張るというか、自分の在り方を大事にすることなんだよというところだったんです。
これはすごく僕は大事だなと思うことなんですよね。
言ってもですね、頑張るって好きじゃないですか。
学校現場とかでもね、頑張るってめちゃくちゃ言うんですよね。
美徳とされてたりしますけれども、頑張るって何とかのために頑張るとか、何々を達成するために頑張るとかっていうものであって、
なんかその目的があって力が入るんだよなっていうところがあるんですよ。
これ自体は悪くはないなと、言い悪いの話ではないなと思ってるんですけれども、
そうですね、それが過ぎてしまうと、その頑張らないと私には価値がないのだみたいになってくるとですね、
なんかしんどいじゃないですか。頑張っている私しか認められなくなるみたいな。
この状態がしんどいなと思っていて、もうちょっとその前の状態を考えたいんですよね。
しなやかさってその前の状態かなと思っておりまして、頑張らなくても別にここにはいていいじゃないかというところなんですよね。
頑張れる日もあれば頑張れない時もあるんだよと。
これは何かをやっている自分じゃなくて、やっている自分がいいとするんじゃなくて、そもそもここにいるんだよ私というものはと。
それを肯定するところから始めないとやっぱりしんどいよなと思っているんですよね。
柳に学ぶ「しなやかさ」
それは何か強さの反対で言うと弱さみたいな、弱みみたいなものかなと思うんですけど、
そういう風でもないんですよね。柔らかいという感じではなくて、しなやかというか、そんな感じなんですよね。
しなやかって言った時に何て言うんですかね。植物ですかね。柳みたいな植物ですかね。
柳。風が吹くとフニャーって揺れるんですけども折れないじゃないですか。
当たり前の話をしている気はしますけれども。
これ大事なところがあるなと思っていて、揺れるんですよね。だから風には逆らわないわけです。
強い風が来たらその方向に揺れたりすると。でも抵抗はしないと。
でも何かどっかに飛んでいくわけではなくてフニャーってなって、戻ってくるんですよね。
風が吹いてばフラフラしてますけれども、風が止んだら元の状態に戻るんですね。
形が変わるわけでもないわけですよ。
ガチガチになってきたら風が吹いちゃったら形が変わっちゃうんですけれども、そうじゃなくてフニャーとしたしなやかな感じがあると元に戻るよみたいなところがあるんですよね。
これが何でかというと、上の方は揺れるんですよ。
上の方は揺れてるんですけど植物なので根っこがあるわけですよね。
飛んでいっちゃったら元も子もないので、地面の中にはぐーっと根を張っているようなそんな状態ですね。
根っこがあるからフニャフニャ揺れてても大丈夫なんだと。
硬くないので折れるわけでもないと。
あっちになびいたりこっちになびいたりすることだってあるんだと。
ただどっかに飛ばないというのはそこに根っこがあるからで。
なびくのがあっち行ったりこっち行ったりして変じゃないかと思うかもしれないんですけど、
実は足元は動いていないのでその辺の状態がいいんじゃないかなと。
あっちに行っちゃったりこっちに行っちゃったりじゃなくて根元はしっかり収まっているんだけれども、
あっちに揺れてみたりこっちに揺れてみたりと。
教育現場における「しなやかさ」の必要性
どうしても漁員やっていると揺れることが多いわけですよ。
相手にするのがいろんなものがあるわけですよね。
ステークホルダーがいっぱいいるわけですよね。
子供もいるし保護者もいるし同僚もいるし。
まあ何かあるためにあっちに揺れたりこっちに揺れたりするんですけれども、
まあまあそういうものだという風に思ってもらえたらいいなと思ってるんだよね。
だからあっちに揺れたりこっちに揺れたりするのはそもそもそういう状態なのだと。
でも自分の足元は固まっているからどっかに飛んでいくことはないよなっていう。
ガチガチに固まっている方がよっぽど危ないなと思っていて、
揺れている状態、あっちもいいかもしれないな、こっちもいいかもしれないなみたいな。
でも自分のやりたいことってあったよなみたいなところで、
しなやかさみたいなものがあるんじゃないかなと思ってるんですよね。
柳の状態みたいなのも一つイメージをしてもらえるといいなと思ってるんです。
竹に学ぶ「しなやかさ」と「節」
ただですね、柳の状態だとフニャフニャしてるんじゃないかという風に思われそうなので、
もうちょっと別のものを考えてみたらいいかなと思って、
もうちょっとしなやかなものですね。
ちょっと硬めのしなやかなものっていうのは竹があるかなとね。
竹っていうのはわかりますよね。
想像してくださいね。あれには節があるわけですよね。
節があって、あの中は角度なんですけども節があるのでそこでしっかりしているのかなと。
節がないとやっぱりフニャフニャになるわけですよね。
でもちょこちょこ節っていうか、ここの形みたいなものを作るものがあって、
全部が硬いわけじゃないんだけど、あるところは硬くなっているみたいな。
そういう状態っていうのが竹の状態かなと。
こうするともうちょっとイメージ湧きやすいかなと思うんですよね。
どちらでもいいんですけれども、
フニャフニャしすぎるのは嫌だなと思ったらちょっと節を作ってみるという状態とか、
でも節作りすぎた中があって勝ちになりそうだなと思ったらちょっと節を減らしてみるとか、
そんな感じのことをしてですね、ある程度揺れても大丈夫な形っていう、
そういったものを取っていくのがいいんじゃないかなというふうに思うわけですよ。
「節」とは何か?
じゃあ節って何?
今例え話しててね、竹の話してるんだけど、
竹の話って言われても私は別に人間なんですけどね。
まあそりゃそうなんですわ。
そりゃそうなんですけれども、
表現しているこの竹の節っていうのは人間というか教員というんですかね、
教育者として何かなと思った時に、
自分で選ぶことだったり、あれ?って気づく感覚だったり、
あと節と節の合間にある欲迫ですよね。
そういったものがあることが一番いいのかなと思っているんですよね。
だからフニャフニャ柳のように揺れるんだけど、
ある程度節があるような竹のような節があるような感じ。
このバランスを取っていくことがすごく緯取教育者として必要なことなんじゃないかなというふうに思っているわけなんですよね。
過去の放送内容との繋がり
今言ったように節と節の間みたいなものがあることってとても大事だなと思っているわけですよ。
ここまでの3回振り返ってみてずっとそんな話を実はしてるんですよね。
第1回目では余白の話をしたんですけども、
余白っていうのはあえて埋めないというか埋まらないように残しておくものなんだよっていう話をしたんですけれども、
これって節と節の合間みたいなところであって、
やっぱり節がガチガチに固まっていると動かないし、動きが悪いというか。
あまりにも強い恐怖が吹いてしまうとバキッと折れてしまうと。
折れないように頑張っちゃうんですよね。
耐えるためにというか生存本能ですよね。
ガチガチに固まっていると生存したいがためにこれをそこに留めようとしてしまうというわけですかね。
だからどうしてもしんどくなってしまうのかなと。
ここはまあどっちでもいいかな。置いておくっていうんですかね。
この隙間は空いておいていいのだとかね。
この考え方の部分はまあどっちでもいいのだみたいな余白があると、
それを許してあげる。自分を許してあげることで、
余白っていうものがしなやかさの厳選になるんじゃないかなと思っているわけです。
2回目にはですね、選ぶっていう話をしたんですね。私が選びますよ。
これって全部全部しなやかなままであるとですね、
まあフニャフニャしてしまうので、ある一定の箇所では自分で責任を取って、
ここはやるんだと。不死の部分ですよね。固く。
ここは固くするのだと。私が意図的に固くしているのであるという部分を考えておく。
全部がフニャフニャになっているのではなくて、
ここは自分の大事なところなのである。それは私が選んだのである。
ところをですね、ある程度決めておくこと。
このバランスですよね。選んでここは固くするのだと。
ここは柔らかくしていいのだと。
ところの脳端というか強弱というか、そういったところを作っておくことで、
しなやかというものが成り立つのではないかなと思っています。
「しなやかさ」の客観視
でもこれって状態がわかりにくいわけですよね。
自分は毎日精一杯になってしまうんですよ。それが普通なわけです。
なので、どこが硬いんだっけ、どこが柔らかいんだっけ、
どこが芯の部分でどこが余白の部分なんだっけなというのを
一歩引いてみる。一歩じゃなくて半歩ぐらい引いてみるという感じですかね。
ちょっと客観視してみましょう。
これってあれって気づけることが大事で。
固まっているのが守りなんですよね。
ガチガチに固まってしまっていると、やっぱり違和感に気づきぬくて、
どっちかというとそれを守ることで精一杯になってしまうんだよね。
だけどちょっとずつ隙間があると、これでいいかもな。
でもやっぱり違和感があることはあるはずなんですよ。
自分が嫌なこととか、これは違うなと思うことって
それぞれ人によってあるじゃないですか。多くにもありますよ。
やっぱりこれを何も考えずにあっち行ったりこっち行ったりすると
やっぱり自分というものがなくなってしまってどこかに転がっていったりするんですよね。
そういったやっぱり根が張ったような状態にはないのかなと思っていて
やっぱりそこは自分の大切なものっていうのはやっぱり大事にしないと
自分の自信に繋がらないといったらいいかもしれないですけど
ここはやっぱり僕にとって大事なことなのであるっていう部分と
この隙間の部分っていうのがガチガチになってないですかねとか
逆に飛んでいきそうにはなってないですかねと
自分のバランスって取れてますかねっていうところの客観心ですよね。
半分低めっていうので見てもらえたらいいなと思っていて
これがしなやかさというものに繋がっていくんじゃないかなと。
「頑張らない」ことの重要性
このしなやかさっていうのがやっぱりゆとりがある状態っていうんですかね。
なんかフニャフニャで何も考えてない状態ではなくて
でもガチガチに固まっているわけでもなくて
この余白の部分ですよね。節のない部分と選んでいく。
ここは軸を持って自分で考えるんだっていう軸の部分。
それをちょっと客観視して
あっちに揺れてもいいかこっちに揺れてもいいかって
これは自分の状態大丈夫かなっていうところの大事な部分ですよね。
そこを3つの観点から取っていって
全体像がしなやかであって欲しいなというふうに思っているわけですよ。
途中で頑張るっていう話をしましたけどね。
頑張っちゃいけないわけじゃないんですよね。
でも頑張らないっていうのがダメなんじゃないよって
その頑張らないは別に努力を否定するわけではなくて
頑張るっていうよりも頑張ってないも大事で
どっちも大事だよね。
その頑張るも頑張らないも選んでいるじゃないかと。
頑張っていない自分っていうのも自分であって
頑張っていない自分も大切にしてほしいなと思うわけです。
頑張りすぎによる弊害
やっぱ現場に行ってすごく感じるのは
頑張りすぎているというか
無尽蔵に頑張っている人がいたり
もっとできる、もっと努力しなきゃ
周りの目が厳しいのだとか
しんどいよね、それって思っちゃうわけです。
それぞれ人にはできるところできないところってあるじゃないですか
得意不得意もあるし、万能ではないわけですよね。
できるものの数が多いとか少ないとかはあるかもしれないけれども
全部ができる人なんていないわけですよね。
でも教員って全部を頑張らなきゃいけないって思いすぎてるような
そんな感じが現場にいるとするんですよね。
それが自分自身を縛っていて
ガチガチに固まっちゃって
それをすると、それを守ると言えばいいですかね。
その頑張って固まることを守りに入ってしまうんですよね。
だからこういう鳥がなくなってしまうのかなっていう
ちょっとあっちに揺れたりこっちに揺れたりできないと
もう折れちゃうんですよね。それをしてしまってバキッと折れちゃうので
「しなやかさ」は「思い出す」もの
折れたらやっぱり生存できないわけですよ。
だからそこをもうちょっとここは緩めていいのだ
みたいなところを不安かもしれないけれども
ちょっともっと自分にプレゼントしてあげるというわけですかね。
その頑張らない部分も含めて自分ですよって。
頑張っているのも自分だし頑張っていないのも自分だし
その調節をしていること自体が自分の在り方であるのだと。
それは自分で決めているんだよって。
そういう風になってもらえたらいいなと思っていて
今日はなんかやれなかったなーとか
今日はちょっと休んだかなーって。
それでもいいのだよって。
ただただブラーンとなっている状態でもいいかもしれないし
動かないっていうのもそうかもしれないし
なびいてるって。薙の状態だったら何も動かないでもいいのかもなーとか
風が吹いてたらあっちに流れていって
でも折れない程度にこうやってもいいのかなーっていう
そういったしなやかさっていうのが
やっぱり大事なんじゃないかなと思うんですよね。
ここまで言ってくるとね
どうやってしなやかさを身につけたらいいんですか?
しなやかにならなきゃいけないんだみたいな。
その時点でもうガチガチですよね。
もうガチガチじゃないですか。全然しなやかじゃないですよね。
どうやったらいいんですか?やり方を教えてください。
修行じゃないんですよ。
僕たちって子供の頃ってもっともっとしなやかだったじゃないですか。
だって失敗してもね、でへーって言って忘れてたり
あっちの彼方みたいな
あーあんなに失敗したわーみたいな
へこたれることなくやってきたのかなと思うんですよね。
あっちに揺れてもこっちに揺れてもいろんなことがある中で
やっぱり戻ってこれるものなんだなと思っていて
どっちかっていうとこのしなやかさっていうのは
僕たちが忘れちゃってるものなんじゃないかなと思っていて
頑張りすぎるというか
こうじゃなきゃいけないとか、誰かに追われてるとか
そういう状態なのかなと思っています。
なので、もともとあるものなので
思い出してみませんか?っていうところですよね。
「しなやかさ」を思い出すためのヒント
じゃあ思い出すためにはどうしたらいいんですか?
これもね、ここですみたいなこと言うとガチガチになっちゃうんで
3つぐらいヒント的なものをお伝えしておければと思っています。
1つ目は揺れてる自分というものを責めないんですよね。
気持ちが揺れてるわーみたいな
あるじゃないですか、今日は気持ちが揺れてるみたいな
それでいいんですよ。揺れてんだなーって
今日は不安定だなーとか
今日はちょっとしんどいなーとか
今日はザワザワするって気づけてるからいいんですよ。
それを無理にしっかりしなきゃってやっちゃうと
やっぱしんどい。だって揺れてるんだもん。
そこを固めちゃったらやっぱバキッと折れちゃう。
折れないように頑張ろうとしちゃうので
ある程度は大丈夫でしょうって思う。
その揺れてる自分というものをまず責めないであげてください。
ああ、揺れてるぐらいだなーって。
自分を信じてみましょう。
何かって言うとたぶん戻ってくるんですよ。
2つ目は戻ってくる時間というか戻ってきた瞬間
というのを覚えておきましょうと。
ああ、こうやったら戻ってこれたなーとか。
ああ、昨日はしんどかったけど今日は生きてるなーみたいな。
それもあるわけですよね。
あっちに触れていったけど
ああ、今日はちょっと戻ってるかもしれないみたいな。
次の日になったら
ああ、だいぶ戻ってきたなーみたいな。
ああ、なるほど。ここまでは揺れても大丈夫なんだなーって。
でもなんかこの部分があるから戻ってこれたよねーみたいな。
この部分があるからっていうのが不死の部分にあたるわけですよね。
そこが意識できるというか
ああ、ここだけはダメだったんだよねーとか。
そんな風に考えてみるといいのかなーって思います。
というわけで
あっちに行ったりこっちに行ったりして
どの道でも戻ってくるので
戻ってきた瞬間というのを感じ取ってもらえたらいいなと思ってます。
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