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2023-11-13 37:57

仕事のやる気がしない時【GMV 876】

ハードルは下げられない。

サマリー

グッドモーニングボイスのアップロードが消えてしまったことに驚き、原因を考えています。また、ネタ帳方式で続けることの難しさや、ピクミンの時間制限の話題も取り上げています。『仕事のやる気がしない時』では、仕事の先送り話や自己投影について話されています。また、仕事に対して嫌悪感を抱いた場合には、好きにならずに嫌いになる選択肢を選ぶべきだという意見も述べられています。仕事のやる気がしない時には、悪い内的対象を投げておくことで自然な感情を引き戻すことができると言われています。これにより仕事の意欲が湧き、疲れることなく仕事をすることができます。ホームレス恐怖症みたいなものがあり、私はずっと苛まれていました。家がないと安心できず、家なき子的なストーリーを心の中で作り上げ、そのストーリーに組み込まれていくことで仕事がうまくいかなくなってしまうという悪循環に陥っていました。

グッドモーニングボイスのアップロード消失
おはようございます、グッドモーニングボイスです。11月13日、21時04分です。
これね、大変驚いたことがあるんですよ。
実は今日の朝、7時44分にですね、私は、グッドモーニングボイスを撮ってアップしたという記録が残っていて、現に私はそうしたと思っていたんですけど、何故か全く影も形もないんですね。
これは、2つ考えられるんですね。
1つは、私が夢でも見ていた。あ、3つ考えられる。
もう1つは、私が何かの操作を完璧にミスった。一番ありそうなのがこれですね。
もう1つが、ポッドキャストのサーバー上に何かトラブルがあった。
まあ、これもなくはないかなと思うんですけど、どれであるにせよ、跡形もなくなってしまっているんですね。
いやー、もうほんとびっくりで。
その後、僕はちょっと、かなり今日は早く起きて眠くて寒くて、
のび太くんですけど、眠くて寒くてめんどくさかったので、速攻2度寝してしまったんで。
もはやあれは夢だったんじゃないか、疑惑が抜けなくてですね、ほんとびっくりしたんですね。
びっくりしたのもしかもついさっきなんで、もう上がってないはずがあるかっていう。
どう見てもこれは今日の朝上げたことにはなってないんで、
まあ、僕のね、この種の不活なミスは、もう今更聞き飽きたよとこれを聞いている人は思われると思うんですけど、
いや、ほんと申し訳ないんだけどですね。
僕ももう何が起きたのか、狐につままれたような、11月11日ってなってますもんね。
GMV875回がですね、上がっているの以降には何も上がってないんですよ。
これ何回も見直したんですよね。まさかそんなはずはないだろうと思ったんですけど、ないんですよね。
しかも今朝何喋ったのかも全く覚えてないんですよ。
ここが多くの人が信じてくださらないんですけどね。
私はこれを行き当たりばったりで完全にやってるんで、全く事前に何の計画も立ててないので、
ネタ帳も何もないから、こういうことが起きると何喋ったか覚えてないんですよ。
いや、お前喋ってないんだよ、夢なんだよって言われればそれまでなんですよ、本当に。
その可能性も否定はできない。
証人がいないんでね、娘は学校行っちゃってる、奥さんはまだお休みになっていて、
しかも私もその後二度出したときているんで、
もう本当にあれを聞いていた人はもし喋ったとすればね、
全く夢だったとしても同じことになってしまうんですね、これがね。
誰もそれを知っている人はいない。
もうまさに幻の回になってしまってる。
実はこういうこともね、初めてではないんですけどね。
気を取り直して、夢うつつの中でしかし喋ったことをもう一回ここで再現してみようというのが今日なんですね。
だからもちろんこれはですね、エヴァノートなりにネタ帳とかも一切ないし、
本当にこれ一切ないんですよ。
まだですね、最近まだやっているノートとかに書くときはですね、
小さいメモの紙片をつけていることもあるんだけれども、
この番組に関してはそういうものは一切やってない。
ネタがに詰まったらもうその日は撮らないと決めてるんで、
毎日続けるとかは言ってませんからね。
だからネタに詰まるぐらいだったらもうその日は朝から寝てしまいますから、
これはね、あれなんですよ。
特に最近は寒くなって暗くなってきたじゃないですか。
もう今日ほんと寒かったですよね。びっくりしましたが、
この寒さに勝てなかったらこの番組はその日は撮らないんですよ。
ということは逆に言うと、わざわざ撮ってる日はですね、この寒さに打ち勝ててる日なんですよ。
それぐらい言いたいことが実はあるんですね。
でもその言いたいことが何だかは分かってない。
この辺のニュアンスがね、伝わらないんですね。
なかなか伝わらないんだけども、
全くこれにはそういう事情と背景がありますから、
ネタ帳とかはないんですよ。今後も作る気は一切ないんですね。
で、これよくネタ帳とか逆算って話される方いっぱいいらっしゃるじゃないですか。
情報発信とかね、情報整理とか。
もちろんそれですごく続けていらっしゃる方もいっぱいいるんだけど、
僕もこれで我ながらというかどうでもいい話だと僕は思ってるんだけど、
1000回、900回は見えてますよね。
900回見えるまでの間にネタ帳がゼロでも何にも困ることがないのに、
この話に対してネタ帳は絶対いるんだよって話をされる方は、
まず1000回続けてみて欲しいんですよね。
そのネタ帳方式なるもので。
僕はなかなか難しいんじゃないかって正直思うんですよ。
ネタ帳方式で果たしてネタが満載になったからって1000回続くものなんだろうかと。
これは別にそういう人と戦ってるわけではないんで、
それはそれでそういう方法でうまくいったらいいと思うんですけれども、
その割には人は挫折するなという。
つまりネタ帳で挫折を予防できるってのは本当なのかっていうのは、
僕ら真剣に悩む必要があると思うんですよね。
真剣に吟味する必要がある。
ネタ帳持ってれば連載なんかは私は本当無理だと思ってるんですけど、
ネタ帳で続けるなんていうのは、
なんていうんですかね、
それで続くぐらいなら、
それで続くと信じている方法で続かなかったらですね、
他の方法を考える必要があるんじゃないですかね。
ネタ帳方式の続行困難性
みんながハンデをしたようにネタ、メモ、絵帳って話してますけれども、
それは昔からなんですけれどもね、
それこそ本当知的生産の技術以前から、
もちろん以後、みんなこの話をされるんだけど、
本当なのかと。
取材しているメモじゃないんだから、
本当にネタ帳に書いたこと、
ブログに書いたり、
ポッドキャストで喋ったりできるものなんだろうかと思うんですよ。
それで続いてるっていうなら、
私もそれで続かなくなりましたというにもかかわらずですね、
なおネタ帳にこだわる、
補修するのは正直どうかと思うんですよね。
私は本当にケウマオンラインの時に痛感したんですよ。
人とやってるわけじゃなかったから、
一人でやってる場合は、
やっぱ落とすって結構苦痛なんですよね。
落としたことがゼロではないんですけれども、
本当火曜までに絶対上げなきゃいけないって思った時に、
どうしても上がらない月曜の夜とか結構苦しいんですよ。
紙の連載だったらあの日ではなかったと思うんだけど、
あの時、ネタ帳はもちろん持ってたわけですよ。
1000プラスの世界なんですよ。
そんなこと書いてないけどね。
エヴァノートの中に1000プラスのネタがあるんだけど、
どれも全くしっくりくる。
1000もあってしっくりくるのが一向ないんですよ。
なのにこの方式は有効だとされている。
その根拠は一体何なんだってことですよね。
今の私ならネタは残さないです。
絶対残さないと思うんですよね。
過去の記事も一つも取っておかないと思うんですよね。
そのようなものを取っておいて、
私を本当の意味で助けてくれたことはほとんどなかった。
一回もなかったとは言わない。
でも非常に少なかったとは言えます。
この番組は幸いにして、そんな日系ウーマンオンラインとは違いますから、
誰とも約束していないから、
落とすのはもう寝たくなったら落とすみたいな、
そういう勢いなんで、非常に楽なわけですね。
この状況の中でやっていて、しかし800回は続いているということはですね、
少なくとも続けるためにはネタはいらないなっていうことだけは、
僕の中では確実視できているんですよね。
多分僕は思うんですけどね、
Evernoteの中にGood Morning Voiceネタ帳っていうノートを作って、
そこにワンサイレントするじゃないですか。
800回行く前に挫折してたんじゃないかな。
この辺、なぜなのかを考える前にそうなったってことが、
こういう時期については大事なんじゃないかと思うんですよね。
もちろんこれは続ける上で役に立ったという人が、
そのやり方を改める必要は一切ないと思います。
私の場合ですね。
だから皆さんの中でもネタ帳を持ってても情報発信が続けたいという方で、
ネタ帳が持ってるんだけど続かなかったということを経験している方はですね、
実はネタ帳があるからいけないのかもしれないと。
これネタ帳があったら続くはずだという前提で進めてしまうのは、
無理があると思うんですよね。
現実がそうなってないのならば。
これがある意味現実に効くっていうことなんではないかとは、
私は思うんですけどいかがでしょうかね。
ピクミンの時間制限
はい。
11月19日、日曜日。
クラザのケイゾーさんとのタスクショートセミナー。
おかげさまでじわじわじわじわっと、
今週ここでどこかでガーッと来てくださる方がいらっしゃるとですね、
もう成功しましたと。
心荒れややかに言うことができるので、
そのために来てくださいとは言えないけど、
アーカイブ視聴も繰り返しお伝えしているように配信しますので、
よろしければご確認ください。
11月19日、クラザのケイゾーさんとですね、
何だっけ。
本当にすぐ思い出せなくなる。
時間を好きなだけ自由に使うための2時間セミナー。
何度も言うけど嘘はないんですよ。
昨日も私ピクミンのネタ多いなやっぱりな。
段取りチャレンジ。
葉っぱ仙人のいるところ。
あんまり好きじゃなかったんですけどね。
死の段と。
今段取りチャレンジってところを全部、
最短の時間でクリアしきるために日々やってるわけですよ。
10の段まであって、1、2、3、4まではね、
全てプラチナっていう最短で。
それまで全部銅メダルで僕は済ませてたんですけど、
金メダルの上に白金メダルが、
これはちょっと科学やってる人にはそれ逆だろって思われるかもしれませんけど、
白金メダルを4つ揃えていることができて、
そのために2時間半ぐらい使っちゃったんですよね。
だから好きなだけ時間が使えるようになります。
別にピクミンでなくてもですね、
何にでも使いたいとさえ思えばってことですね。
そういうお話をさせていただこうと思っているので、
興味ある方は来ていただけるかと。
オンラインですけどね、ご参加いただけると嬉しいです。
今朝何の話をしたのかというと、
全然思い出せませんね。
本当に話したのか俺は。
でも何かの話をしたんですよね。
とっても不思議ですよ。
多分夢ではなかったと思うんだよな。
あれが夢だったとするとよっぽどなんで、
その前に娘を送ったのはこれは夢じゃなかったんでね。
ちゃんと学校まで行ってるのは確認したんで、
今便利なツールがありますからね。
そういうの確認できるんですけれども。
私は若い時代に愛のなくてよかったなと思ってるんですけどね。
親に行っていると言っていながら、
東京ドームに野球見に行ってたりしましたからね、私はね。
バレなくてよかったぜっていう。
仕事の先送り話や自己投影
バレてたかもしれませんけどね。
何の話をしたのかな。
まあいいや。
とりあえずですね、話しているうちに思い出せればいいと思うんだけれども。
一つ思い出しました。
これで全部思い出せたと思う。
仕事をする上で、結局先送りの話なんですけど、
私が今回100日チャレンジで、
Jマスザキさんと1分間で3つ着手できればいいって話してますが、
あれはハードルを下げるためだと皆さん思われてるらしい。
そこは嘘ではないです。
確かにあれはハードルを下げるという一面はあります。
だけれども、それは全ての意味ではないんですね。
あのチャレンジをしていただいている最大の意味は、
私はそうではないと思っています。
Jさんがどう思っているか。
でも話を全体的にまとめると、
Jさんが考えている方向と、
僕が考えていることとは、
多分ほぼ合致していますね。
あれはハードルを下げるというのが、
少なくとも全ての意味ではないんですよ。
最大のポイントはですね、
ハードルというものを意識しないで、
すぐ済ませるためのものなんですね。
つまり、ハードルを感じるということは、
その仕事をどんなにハードルが下がろうと、
ハードルなわけだから、嫌なわけじゃない。
で、なんでその仕事が嫌なのかということですね。
これはですね、私は思うに、
やっぱり投影しているせいだと言いたいわけですよ。
この仕事に、私のケースで言えばですね、
悪い内的父親というものを投影しているんですよ。
つまり、悪い父親をこの仕事に見ている。
だから、その仕事は嫌になってしまうんですね。
何か嫌な現実というものがあったとき、
それが明らかに本当に自分にとって、
徹底的に致命的な出来事であるならば、
我々は投影なんかしないで、
すぐ逃げ出すと思うんですよ。
例えば最近、なぜこの話題が出てきちゃったのかな。
また喋っていたときにこの話題を出したのか知りませんけど、
最近、東北の街中の方で、
うち実家東北にあるので妻の実家ですけど、
結構気がかりなんですけど、
クマ出るんですよね。何だか知らないけど。
で、何か話にテレビですけど、
見ていると400キロのクマとか出ているらしいじゃないですか。
400キロってもう、
おしょうもないじゃないですか。そんなことを遭遇しちゃったら。
向こうにガイはないかもしれないけど、
相手400キロで、こっち50キロとかなわけですよ。
相撲で言えば、小西さんと前沼さんが相撲を取っているようなもんで、
あれは相撲だからいいんだけど、
もうクマさんですね、じゃれついてきたんだとしても、
こっちは首の骨を折って死んじゃったりするわけじゃないですか。
400キロじゃたまったもんじゃないですよね。
で、何でクマの話をしているのかよく分からないんだけど、
クマに遭遇したら、これはもう逃げるしかないわけですよ。
逃げ切れるかどうかは別として。
ところが、仕事はクマじゃないってことなんですね。
つまり仕事がクマに見えるということは、
何かを投影しているに違いないわけですね。
だから僕らはその仕事が恐ろしくなり、
こんなのと遭遇したらたまったもんじゃないと思うから、
パードルを下げにかかるわけですよ。
ところが僕が思うに、相手がクマならば、
仕事に対する嫌悪感と自己投影
パードルを下げている場合ではないんですよね。
1分間だけクマと戦ってみましょうとかはダメだと思うんですよ。
あるいは次のネクストアクションを探している場合でもない。
そして小さな単位に分解している、
そういう場合でもないわけですよ。
ちょっとクマとの戦い方、1、ステップ名とかをやったり、
5分だけダッシュで喧嘩したりしている場合じゃないと思うんですよ。
つまりパードルを下げてもできることとできないことがあるはずですよね。
問題なのはただよく見ましょうと。
つまりこれは現実を見に行くって話にもなるんだけど、
現実をよく見ましょうと。それはクマなんでしょうかと。
我々がですね、仕事をする上でいろんなものを投影してしまいます。
特にやっぱりさっきも言いましたけど、私たちにとってまずいのはですね、
クマを投影するケースもあるかもしれませんが、
自分の内的な親ですよね。
母親か父親かはわかんないけど、
父親対象を投影するということは非常にありそうなことなんですね。
私不思議なんですけど、自分の父親の悪い部分を
仕事なりに投影したりするとですね、
全然自分の父親のイメージと関係ないものがそこに投影されていたりするんですよ。
最近ちょっと話題にしてますけど、
ミハイル・エンドのモモの時間泥棒なんかが
すっごい悪い内的父親なんですよ、私にとって。
非常に皮肉っぽい顔をしてですね、
ほとんど顔の表情はないんだけど、
いやらしい笑い方をして、
でも基本的に農民クラーツなわけですよ。
旧ソビエトの官僚みたいなやつなんですよ。
そいつがこの仕事をやらないと
共生主義主義に送るぞみたいな、そういうノリになっちゃってるわけですよ。
だからやる気が全くしなくなるわけですね、仕事の。
こういうことを仕事に投影するというのはですね、
仕事全域に投影するというのであれば、
やっぱりこれは、この番組でも何度も言っていますけど、
私の意欲のなさと深い関係があったと思うんですよね。
つまり、二度とその仕事に
意欲を投入しないために、
そういう投影の仕方をしているんだ。
私はそういうふうに思うんですよ。
要するに、母親に振られた話をこの番組でもよくしてますけど、
その話と近いんですね。
下手にまた好きになっちゃうと痛い目見るってことなんですよ、これは。
だって前にこの女の子に告白して、
もう心がズタズタになるほどの致命的ダメージを受けました。
具体的にそんなことはないんだけどね。
でも、そういう目に遭うと、僕はその痛いシーンを何度も反省して、
すごい自分を責め、苛み、
それこそ、これも前に話したかな。
ブランデラッパーの店は死に出すわけですよ。
やばいわけですよね、本当に。
あの時、何度吐いたもん。
で、なぜそれをするかというと、
この女の子を二度と好きにならないためなんですよ。
だって好きになったらまたブランデー一気飲みしなきゃなんだかなるじゃないですか。
だからこそ、私たちは要するに落とし穴に二度と落ちたくないわけですね。
落とし穴に一度落ちて、
うわぁもう下にいたのがひどいやつだったよってことになったらですね、
二度目は落ちないためにその落とし穴のことを忘れてはいけないわけですよ。
忘れて落ちるやつはアホなわけですね。
だから賢い人はみんなこの落とし穴の場所を完璧に覚えておこうと。
そのために私たちはこの原始的な、
げんらめにあったらそのことを忘れないっていう非常に原始的な仕組みを
現代的な仕事の上に乗っけてしまうわけですね。
あの子の同僚が好きに、この子のことを好きになるとひどい目にあるとか、
この上司のことを信頼するとひどい目にあるとか。
だからこの上司のことを好きにならない。
この上司のことも好きにならない。
この取引先のことも好きにならないってやってるうちに、
嫌いなもののために仕事をしまくるというためになるんですね。
仕事に対する好き嫌いと全力の尽くし方
私は思うんですよ。
グッドヴァイブスで倉園圭三さんがお話になってることを
僕流にちょっと応用して、そのままほぼ喋ってるんだけど、
コピーして喋ってるようなもんだんだけど、応用して考えてるのはこういうことなんですね。
このことがあるから、我々は極力少ない意欲、
つまり基本的に相手のことを嫌いに置いたまま、
さも好きになったかのような顔をして仕事しなければならないわけですよね。
仕事をやる以上は全力を尽くすとか、
仕事をやる以上相手が相手にとって一番いいやり方をすると言いながら、
相手のことは好きにならない。
すごくそこに独特のエンジンをかしている振りをしながら
ブレーキをかけまくるみたいなことをしなければならないんですね。
何度もこの番組に来てますけど、
僕らはこういう時に相手のことをニュートラルに見ていると言いたがりますけど、
それは嘘で、私たちは物事を決してニュートラルに見ることなんてできない。
まして理解がなく絡んでしまうと、
どうしても僕らは好きか嫌いかのどっちかに触れているはずなんですよ。
食べられないものは食べ物としての欲はわからないんですよ。
美味しそうなものは物凄く偏った愛をそれに向けているはず。
物凄くお腹が空いていて、しかも好きという前提ですよ。
ホットケーキを見た時に中立っておかしいんですよ。
好きでも嫌いでもありませんなんてことはないはずなんですよね。
物凄くお腹が空いていますと、
例えばそういう時そうだな、変な例を出すと変なことになっちゃうから、
ご容赦ください。
物凄くお腹が空いていますと、
さらにたくさんの、
どうしよう。
さらにたくさんの、
まあいいや、
ピクミンのモンスターの原生生物って言うんですけど、
あれが乗っかっています。
嫌でしょ。
ニュートラルなはずないですよね。
つまり僕らは、
意欲が向きそうになる対象については、
大好きになるか嫌いになるかのどっちかの選択を迫られるんです。
一緒に仕事をする相手なんて特にそうです。
もう大好きになるか大嫌いになるかのどっちかに触れやすいんですよ。
しかも僕らは、
愛は搾取されるっていうですね、
現代的な命題を、
現代的な命題か知りませんけど、
現代ではよくそういうことを言う人が多いので、
それを受け入れてしまうと、
基本嫌いだって怒ってするわけなんですね、
安全のためには。
好きになると、
好きだからじゃあ私はタダで仕事をします。
好きだから徹夜で仕事をします。
好きだから死ぬまで仕事をしますって言って、
ひどい目にあってますよっていうのが、
Twitterでもテレビでも盛んに宣伝されているので、
好きになっちゃダメなんだなと、
自然に思うわけですよ。
この種の話を、
Good Vibesとか抜きにしてね、
この種の話をいっぱい見聞きしている人は、
みんなそう思う。
で、そう思った以上はですね、
嫌いになろうと。
でも、いやあなたのこと大っ嫌いだから仕事しません。
では仕事ならないから、
嫌いになっているとして、
内心にそれを置いて、
その上で、
あなたのために全力を尽くしますってやるわけですよ。
悪い父親対象との関係
これが非常に僕らの現代的な言葉で言うところの、
先日も話しましたけど、
感情労働的な態度になっていくんで、
ものすごく疲れるわけです、
これをやると。
当然なんですよ、
これをやれば疲れる。
で、僕はここにちょっと、
僕流の、
これは自分自身の経験を含めてですね、
考えたのは、
じゃあその相手を嫌いになるとき、
僕何やってんだろうということになってくるわけです。
そのときに内的な悪い父親対象を投げるんですよ、相手に。
なぜこの人を好きになれないのか。
それは、
私のあの悪いお父さんのイメージに似ているからです。
ここにね、面白さがあって、
悪い内的対象の父親を向けやすい男なんですよね。
男性なんですよ。
女性に内的な父親対象を向けにくい。
女性には僕どうしても理想的な母親像を向けてしまう。
だから僕女性簡単に好きになっちゃうんですけど。
非常にわかりやすいんですけどね、その辺も。
嫌いになるために悪い父親対象をどんどん投げておくと、
幸いなことにと言いますか、
私は出版の編集さんもそうでしたけど、
仕事関係者が男性が多かったんで、
すぐ悪い対象を投げやすいんですよ、
父親対象。
投げておいて、
あ、そうだ、本当好きになれないよと。
それが自分の自然な感情でもあるかのように
勘違いしてるんですけど、
自分で実は投げてるわけですよ。
これただ無意識にやるからわかんないだけで。
なんで無意識にやるかというと、
この悪い内的対象の父親というのは
うんと幼い頃に作ったものだから、
これを投げるのは無意識に決まってるわけですね。
多分1歳半とかで作ったんですよ、僕が。
ポンポン投げる。
そうするとみんな好きになれない。
全力を尽くして仕事をしますとか言ってるから
わけわかんなくなっていくわけですね。
ここに僕はライフハックを投入していたわけです。
エネルギーをギリギリ少なめに、
しかし仕事の成果は出すっていう時に、
そういう役に実はライフハックってそんなに立つのか
って話あるんだけど、
一旦置いといて、
例えば僕は仕事をせずに
ちゃんとGPTに書いてもらうとかね。
やんなかったけど、
それをやるとこの条件をうまく満たせるじゃないですか。
ちゃんとGPTに書かせておいて相手を満足させる。
それができるかどうかは別として。
そうすると悪い内的対象の父親のためには
何も私はしていないけれども、
結果として相手が納得するものはゲットして
代わりにお金をもらうことができる。
俺賢いってことになるわけですよ。
非常に無理があるやり方だと自分今は思うんですよ。
めちゃくちゃこれはやりにくいんですよ。
実際にやってみると。
これをずっと僕はやってたから
たぶん体中ジンマシンだらけになってみたりしたんですよ。
言っておきますが、
ライフハックやってると体中ジンマシンだらけになるって話では
これは全くないですからね。
このロジックは悪い内的対象としての父親に
囲まれて仕事をしていると
心理的につらいですって言ってるだけです。
それがどんな形で出るかその人その人です。
私は肌が弱いからね。
あるいは胃腸が弱い。
小腸が弱いのかな。
たぶんその辺が弱いからこういう形で出るんでしょう。
で、これをやめたんですよ。
要するにある意味。
仕事のやる気を引き戻す方法
グッドバイブスして。
これはもういい加減やめなきゃなとは思ってた時期はあったんですが
やめるんだと確信したのはグッドバイブスで
それをきっかけでなんですね。
私が悪い内的対象の母親じゃなくて
売られた母親の話じゃなくて
仕事に関しては父親だったっていうのは
自分の中では明白で
いろんな理由があるんですけど
今日はそこは飛ばしますけど
明白でそれを引き上げたんですね。
本当に。
引き上げるって言葉が一番合ってるんですね。
自分の方に引き戻した。
投げたんだから戻せるんですよ。
ちゃんとやろうと思えば。
一個一個一つ一つですね。
引き上げてくると
そこにニュートラルなものが残りません。
そこに愛が残ります。
どっちかなんで。
基本的に悪い内的対象の父親を投げてるのは
自分の愛情をそこに向かわせないためだから
引き上げてしまえば
自然対象は向かっていくんですね。
これは納得がいかないとか
オカルトだって言われると
答えようがないんですけれども
クラスの兄弟さんが
我々は愛そのものですっていう
すぐに私が飲み込めそうにない話じゃないですか。
僕のことよく知ってる人は
多分そういう感想抱かれたと思うんです。
パサヒがそんな話をいきなり飲み込むとすると
よっぽど洗脳されたんじゃないかぐらいに
心配される方もいらっしゃったと思います。
でもそうじゃないんですよ。
僕は経験があったんですね。
憎むってことは
愛したくないっていう意思の表れだと思うんですね。
だから憎むっていうことを分け合ってやっていて
それをやめるということになれば
相手を自動的に愛すると言ったら
ちょっと言い過ぎだし変なんだけど
自然とそこは愛する方向に向かっていくしかなくなるんですね。
その時にある種の勇気はいりますよ。
倉野恵都さんに言わせれば
勇気はいらないかもしれないけど
私の場合は内面的に勇気はいりました。
ここは搾取されても構わないぐらいの
意識を持っていかないと
最初は僕にはできない。
引き戻すためには
やっぱり引き戻すってことは
投げてたなりの理由の逆をいくわけだから
ある種の意識は必要になるんだと
私は思うんですね。
バンジージャンプをするぐらいの
ノリげな時が最初はやっぱりありましたね、私には。
私はバンジージャンプができるような気がする人間ですから
そう言いましたけどね。
私は別に高所恐怖症ってわけではないので
ああいうのをやるのは好きじゃないですけどね。
でもやれ、絶対やったら楽しいって言われて
騙されたと思ってやるってことは
僕はやりそうな人間ではあります。
だからそういう清水の舞台的な感じで
何が起こるかだいたいわかっていて
悪い内的対象としての父親を引き戻す
そうすると逆流するように
愛情がそこに向かって流れ出すんです。
そうなればライフアップがなくても
怒りを解除するための方法
パードルを下げなくても
仕事をするための意欲ってものは
愛に引き続いて意欲ってものは出ていくので
自然と、自然とって言ったら言い過ぎなんですけど
疲れないとかはないんですけれども
しかし、ライフハックで
やってないですけど
ライフハックでチャットGPTに文章を書いてもらって
それをちょちょっと直すというのよりは
遥かに疲れずに仕事をすることができます。
それはもう断言できます。
私の場合ですよ。
私の場合はそれで十分やれます。
これぐらい自分の中にある
実はエネルギー量というのは
大量にあると言って過言ではないと
多分僕はこれは
無限にあると言ってしまっていいと思うんですよ。
少なくとも対象が所詮仕事であるならば
無限にあると言っても
全く問題はないぐらいあるんですよ。
できないとすればやっぱり
これを押し留めている力があって
押し留めている力というものは
悪い内的対処としての
塩屋を投げるみたいな行為なんですよね。
そこに向かって怒りを燃やしている。
実際それは何なのかと言われると困るんですよね。
農民クラスみたいなイメージとしか
引用がないんだけれども
なんて言うんですかね。
私が自然のままであることに対して
非常に批判的で否定的な存在
と言ったらいいかなと思います。
結局のところ
エディプスコンプレックスの父親の
大棒な部分なんですよ。
お前が母親といい気になっているのは
決定的に邪魔してやるみたいな
わけわかんないことを言ってくる相手なんですね。
現実というものを思い知らせてやる
みたいな感じでもいいと思います。
そういう存在が私の心の中で
私に何て言えばいいんですかね。
屈辱感を与えて
この屈辱感を晴らしたいんだったら
相手を打ちまかす必要があるぞ
っていうような
イズム、教えを飲み込んだわけですよ。
だから仕事というものに
それを投げてしまうんですね。
だからというのはおかしいんだけどね。
騙されないためには
そういう考え方を
持っておく必要があると考えてしまう
って言ったらいいでしょうかね。
多分、今朝がたしゃべったのは
こういうことだったと思うんですよね。
ただ、正直今しゃべってみても
こんなようなことをしゃべった気が
してはいるんだけれども
完全な形では思い出せません。
ただ、今思い出せてよかったなとは思います。
これを私はやりました。
これでやる気というものが
なんとなく分かったような気がします。
やる気を出すというのはですね
簡単に言うと
やる気を押し留めている
この怒りというもの
これを解除してしまえばいいわけですね。
ただ、これを解除するためには
さっき言ったような
私流のやり方で
怒りを燃やしていた対象
つまり、その対象は
何にも悪くないんだけど
悪いことにしないと
怒れないじゃないですか。
怒らないと愛してしまうので
怒らなければならんわけですよ。
怒らなければならんことは全くないんだけど
怒らなければならんわけですね。
だから、やっぱり悪い父親対象を
そこに置く。
これが一番手っ取り早い。
仕事には非常にある意味
付き物に見えてしまうのでね。
悪い内的対象としての父親を置けば
仕事で損をしなくて済む。
だから損をするということに対する
やっぱり強い
なんていうんですかね。
不安と怒りですね。
突き詰めて言うと
あるがままののほほんとしたお前は
いいようにバラバラにされて
すし詰めにされて
食われるぞっていうような
そういう怒りなんですよね。
これは非常に幼い頃に持った
怒りだと思います。
あるいは何者かにならなければ
路頭に迷って
冷凍食品になってしまうぞ
っていうような怒りだ。
ホームレス恐怖症と家なき子的なストーリー
ホームレス恐怖症みたいなものが
僕がずっと苛まれていたことと
深く関係がもちろんあります。
胃毒症が言えなき子になって
しまっていたということ。
先日私が
主催しているところの方が
お前も
言えなき子だと思っていたのに
加藤定蔵さんの
を出したからね、加藤定蔵を読むぐらいで
納得できてしまうのか
っていうので失望したっていう
知人の方に失望したときの話を
教えてくださってたんですけど
そういうことですよ。
私もだから
家がずっとない
なんて言うんですかね、ないわけじゃないんだけど
安心していられる家なんて
ないっていう感じに
どういうわけか
私はすっごくそのことを気にあっていたのですね。
だから
家なき子的なストーリーというものを
心の中の
いろんな敗役に
当てはめては何度も何度も
海底盤を作ってですね
家がなくなっていき
その時に追い出してくる
非常に冷酷で
感じの悪い時間泥棒
仕事の悪循環
みたいなやつがいたわけですよ。
そういうやつが寄ってたかってですね
ダメなやつは
家から出て行かせる
っていうことをやって、いずれ私も家から出て行くことになり
冷凍してしまうわけですね。
最近寒くなってきたし
だから私は冬が嫌いなんでしょうね。
冬が私が嫌いな理由に
非常に僕の中の
悪い父親
父親層ってものが
存在してるんですよ。
悪い母親に
悪い母親っていうのは
理想的な母親の顔をして
私にいくらイチャイチャしてもいいからねと言いながら
そういうので
釣っておいて
実は私が本当に好きなのは
あんたじゃないからと言って
私が絶望していたところに
そしてお前みたいなやつは
家の中に居所はないからなと言って
外に追い出されたら雪が降ってくる
というようなストーリーですね。
非常に自己愛に
囚われているストーリーでもありますね。
これを
さらに洗練されて
かなり複雑にしたようなストーリーを
組み上げて
しかもそれをほとんど無意識の世界で
持っているものだから
何か仕事がやってくる度に
このストーリーに組み込まれていって
最後はうまくいかなくなって
ロトに迷って冷凍されていくっていう
そういうノリになっているから
だからそれを何とか未然に防ごうとして
どんな人にも
気を許さないみたいな世界に
包まわってしまうわけですよね。
これをやめるとなると
やっぱり勇気はいるんですよ。
それなりに。
でももういい加減嫌になってしまった
っていうのもあります。
こうやって警戒しなきゃいけないんだか
警戒する必要があるんだかないんだか
わからないような人全てを警戒して
最小限のエネルギーで
最大限の成果を出す
困難を極めるわけですね。
そんなことも。
そんなことやるぐらいだったら
最初から最上最大にして
どういう結果になってもいいから
やれるだけのことは全部やる
っていうのがよっぽど困難だったりするわけですね。
それでは
あれじゃないかっていうのは
それではなんていうんですかね
ひどい目に合うだろう
マッチュリの症状になってしまうんではないか
っていう懸念は
言われるまでもなく
自分も持つんですけど
もはや
マッチュリの症状になることを警戒することが
賢明で賢い人間の
振る舞いだとは
いい加減思えなくなってくる
ってことはありました。
その結末として
いいことは起こらないし
心身傷にはなるし
だったら余計そうですよね。
だからこの
出だしの一番最初のところには
まあ
あった母親はいるに違いないんだけど
こと仕事に関わる点で
言えばですね
むしろその
甘い考えはステロテキに
僕に対して言ってくる
悪い父親対象ってものが
悪いっていうのはこの場合
道徳的に悪いって意味ではないです。
私が非常にこう
強く敵対的な気持ちになる
内面の
キャラクターっていうような感じです。
そいつが対すると
私がすごくこう
警戒心が強くなって
身構えて
戦闘的な気分になる。
それが悪い父親対象ってものなんですよ。
これの存在が生きていくためには
欠かせないんだって
思っていたから
この父親対象を私は心の中に
ご承大事に抱えることになった
わけですよね。
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