1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 私の正体はスーパーマン【1003】
2024-06-19 42:16

私の正体はスーパーマン【1003】

人は誰も現実的に失望されたくはない。
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おはようございます。働く人に送る精神分析チャット、1003回目になります。
まずはお知らせをさせてくださいね。
日曜日、もう間もなくだな。
6月23日日曜日の14時から、スクシューと手帳術の会、第2回を開催します。
こちらは、まずは渋谷のほうでですね、リアル開催があって、こちらのまだお申し込みいただけます。
こちら店員ありますからね、リアルなんで会場が。
あと、オンラインでも同時開催、その様子とインタラクティブにですね、Zoomから参加できます。
6月23日日曜日です。
多分なんですけど、まだちょっと手元にないんですけれどもね、おそらく今日明日には届くのではないかと思っている私とJ松崎さんとで、
コラム書いたり、デザインレイアウト決めたりした、プロデュースした手帳がありまして、そっち持っていきます。
それを見たり、そういう感じでですね、いろいろとこう、ものを介してインタラクティブにやり取りできる会に持っていきたいと思っております。
ライトニングトークなどもですね、もし可能なら参加者さんからも、これは挙手いただくしかないんで、可能なら参加者さんからも募集かけておりますんで、
いろんな形で楽しんでいただければと思います。
そんなところですかね、とりあえずは。
あと一応申し上げて、一応良くないな、申し上げておきますが、6月29日土曜日に天老院さん、天老院カフェといったところで、こちらも渋谷になります。
電子書籍のイベントを開催します。
こちら岡野淳さんと和田実さんという方と3人で、いろいろと電子書籍を出したらいいよっていう話を多分することになると思うんですけど、
私は電子書籍を出すというよりは、書籍の作り方みたいな話をすることになると思いますね。
29日土曜日、もう間もなくなので、こちらのその応募状況や参加者数などは、私全く手元に何もないのでわかりませんが、ぜひお越しいただければと。
カフェなんでね、コーヒーでも飲んだらいいんじゃないかなと思っております。
今日は6月19日の7時40分。
こちら収録中なわけですが、ようやくこの時間についに戻ってきました。
昨日雨、凄まじかったですね。
ガーデンがね、非常にうちの家庭産業園、大変心配しておりまして、いまだに私心配しておりまして、まだ完全に様子を見切ってないんですよ。
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なんとかこういうことがあった後は、どこか必ず被害があるので立て直していかなければと思っておりましてね。
これを撮りながらも、庭の様子をちょいちょい眺めながら、ちょっと考えたりしているわけです。
考えるって言っても、やることは決まってるんですけれどもね、この大雨が降った後にやるべき対処、いろいろとありましてね。
梅雨時っていうのは本当に難しいんですよね。梅雨の雨、いいんですけど、なきゃ困るんですが、ありすぎてもかなり困るっていうね。
非常にいたしかゆし的なやつなんですよ。
それは良いとしまして、今日のテーマなんですが、ここをずっと続けておりますね。
ウリオワールのみそのさんの話ですね。
一見したところナルシスティックに見えないんだけど、実はそうだろうなって感じのする女性の、ちょっと怒りっぽいバリバリやってる方ですね。
今日はですね、その話の流れの中で、結局これは例えば接触障害とか、あるいはおそらくは神経発達障害などについても、関係がかなり深い話なのだろうと思うんですね。
接触障害ないしは、問題行動みたいなケースにも当てはまるのかもしれません。
問題行動になっていったら、全部そうだっていう話になってしまうんですけれどもね。
みそのさんは、ある意味、普通そういう言い方は決してしませんけど、心の中の二重生活を送っているんですよ。
どういうことかと言いますと、私のリアルな生活が充実していることを会社の人たちは知らないっていう、この知られていない正体みたいなやつ。
正体を知られていないってやつね、極端な言い方をすると。
これって昔、戦隊モノによく出てくるじゃないですか。
ウルトラマンとか、ああいうやつですよ。ガッチャマンとか。
僕は古いんでね、今ではもっと違うと思うんですけれども。
そんなバレバレやろっていう感じもしますけれども、結局正体を知られていないパーマンとかもそうでしたね。
あの正体を知られていないことに、ある種、密かな誇りを持っているということは、裏を返すと、現実に一緒に生きている人たちをどこか見下していますよね、結局は。
ウルトラマンとか見下してない感じしかしないんだけど、明らかにあれは、本当にリアルにああいう生き方をしている人は見下してしまうと思うんですよ。
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僕、アメリカの映画館でですね、無理やり連れて行かれたんだけど、スパイナーマン見たとき思ったことなんですよね、これはね。
この人は、すごいピュアな人だから、そういう感じを一切受けないけど、ある種ナルシスティックなんですよね、すごくね。
自分に頼むところが非常に大きくなっている。
当たり前ですけどね、だってね、体から糸出せて、高層ビルを登れて、そんなことができれば、当然自分に頼むところがすごく大になるに決まっているわけですよ。
だから、スパイダーマンなんかがそうなんだけれども、全部同じで二重生活を送っている。
だって当然ですよね、自分スパイダーマンでもあり人間でもあるんだから、その段階でも二重生活じゃないですか。
で、みそのさんはリアルな生活、リア充だって言いたいわけなんだけど、リア充っていうのは要するにカップルがいるっていうだけの話なんだよな、これって最近思い始めるようになり、
若い頃はまさに私はそのことであんなに悩んでたのに、カップルがいるっていう話だけだよね、これっていう風になっちゃいましたけど、とうとう50になっちゃったからなんですけどね。
でも二重生活なんですよ、なぜならいないふりしているわけだから。
つまり彼女の正体はカップルがいる人なんですよ。こういう言い方をするとスパイダーマンやウルドラマンに比べると、はなはな現実的なんだけれども、
でもこの二重生活の内心における心の中の動きっていうのは、やっぱりすごくナルシシズムの温存って感じがするんですね。
そこは取ってあるよって感じなんですよ。この取ってあるものを力に変えて、私はこの現実を乗り切っていきましょうっていう雰囲気があるわけ。
そうすると、言うまでもなくそんなことを考えてるってことはですね、現実がつらいってことなんですよ。
会社の人にしてみればですね、売り終わる会社の人にしてみれば、ミソノさんが会社をつらくしているのであって、あなたがつらいのはどうかと思うよってところかもしれませんが、
彼女がやっぱりつらいんですね。簡単に言ってしまうとあれですよ。
俺ウルドラマンだから、ちょっとやそっとの現実には全然耐えていけるもんねって感じなんですよね。
これを本当にウルドラマンがやってたらどうか知りませんが、リアルの人がこれをやっているときは、もちろんウルドラマンではないわけですよ。
だから俺はウルドラマンみたいな人間だから乗り切っていけるもんねなんで、辛さは一段と厳しくなるわけですね。
当然なんですよ。だってウルドラマンじゃないわけだから。心の中に二重生活あるかもしれないけど、二つ目の二重生活目のウルドラマンであるのはウルドラマンだという空想を持っているだけなんで、ここに万能空想というものがあるんですね。
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だからこれは松木くにひろさんが書いていることですけれども、二重生活を送っている人と接触障害の人というのはすごく関連しているケースが多いっていうふうに、思春期に多いのでね、接触障害っていうのは。
それで接触障害が思春期に起きている人はだいたい反対側に、反対側っていうのはつまりウルドラマンだっていう空想、ウルドラマンではなくてもスーパーマン空想というのを持っている子が少なからずいるっていう、この辺やっぱりですね、非常に内面の方に原因を探っていくっていう考え方から得ている、
なんていうんですかね、毎統計学みたいなやつだったろうなって思うんですよね。それのエビデンスはどうなのっていうふうに言われるとなかなか厳しいものがあると思うんだけど、でも一例でもそういうのがあれば十分といえば十分なわけですよ。
一例どころでなければ十二分なんですよ。結局そこの心理的なものっていうのは、つまり私はウルトラマンだから、今ちょっと現実がうまくいってなくても、それはしょうがないよね、何とでも後でなるよね、回収しきれるよねという、この晩の空想は本当はウルトラマンじゃないわけだからね、空想の息を絶対出ないわけですね。
まるでそうであるかのようにっていう、これはいろんな意味で使われると思うんですけれども、私はよくこのまるでそうであるかのように生きている、でも実際はそうでない辛さもここには含み込まれているっていうのがですね、この種の話ではいつもですよね、私たちもいつもやってますよね。
今はちょっと至近ぐりが乏しいけども、後でいっぱい回収できるからここは乗り切ろうみたいな、あたかもそうであるかのような考えを取ることによって現状を乗り切るという発想を我々はすごく叩き込まれてしまっているわけですよ。
で、それがもうなんか習い性みたいになってしまうという人、つまりそれが自己愛性のパーソナリティを形作っていくというわけなんですけれども、だから接触障害にもちゃんとそういうものが見受けられるってことなんですね。
昨日ある方と状態遷移ってことについてちょっと喋ったんですけど、まさにそういうことになるわけ。いろんな形で出るってことなんですよ。万能空想と二重生活っていうこの心の構造を持つと、人によっては怒りっぽくなる。
人によっては食べ過ぎてしまう。この食べ過ぎは後でちょっと話をもう少し深刻、深めますけれども、食べ過ぎ、密見したところね、食べ過ぎてしまう。ないしは食べない。あるいは眠れないとか、あるいはむしろビクビクしてしまうとか、いろいろ起こるわけですね。
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全部この二重生活を送っていると、現実感覚というものがどんどん少しずつ少しずつバカバカしくなっていきますから、そこに真剣に取り組むというエネルギーが得にくくなるわけです。これはやむを得ないといえばやむを得ない事象なんですね。
やむを得ないっていうだけで済まなくなるから、カウンセラーのところに行ったりします。つまりそれからあまりにもその状態の矛盾が無理がき始めるとですね。だって現実を見下すといっても、現実にうまくいってないのは自分の方なので、見下せばうまくいくわけではないわけですからね。
この時見下されているのは現実だけではなく、自分自身を含むんですよ。そこにいる時の自分はダメ人間なんですよ。これよくウルトラマン系の話でも多分そうなってますよね。パーマンは典型的ですね。パーマンじゃない時のミツオくんはすごく弱っちいわけですよ。伸び田くん的なキャラなんですね。
だからフジゴフジオさんは明らかにこの種の版の空想に相当浸ってて、それを物語化してるんだと思うんですよ。あれを双子の幻想って、確かカウンセリングの世界では言ってるんですけれども、双子の幻想ってコピーロボットを作ってたんで本当にまんまですよね。双子の幻想っていうわけですね。
スパイダーマンが最近では人気ですけど、ああいう空想にみんな身に覚えがあるってことですよね。ああだったらいいのにってことなんですよ。今の現実の自分はダメダメでダサダサだけど、実はスパイダーマンでかっこいいんだよみたいな。
ちなみに私は日本人なんで、なぜスパイダーマンがいいんだって思ってしまう口なんですよね。スーパーマンは私もスパイダーダメだろっていう、自分スパイダーになりたいと思ったことは1回もないなっていうふうに思うんですよね。まあまあそれは完璧に余談なんですが、思ったわけです。
さっき何を言いかけたかというと、接触の話なんですけどね。何とかが出たら要注意だと僕は思うんですね。
子供向けの子供の生活は完全に本当にウルトラマンになっちゃいますが、大人向けの渋くなってきますとですね、なってしまうことはもう無理なんで、無理なことは自明なんでね、なった気がする、つまり空想の世界に本当になっていくわけです。
だから心理学の教科書でも、カウンセリングの本でも、オルタミティの秘められている生活はしょっちゅう出てくるんですけれども、また書き手忘れちゃったな、うちにあるんですけどね、古臭い本がね。彼がやっている二重生活こそがまさに大人のやるところの万能空想。
オルタミティは本当に完全にダメ人間でしかないんです。ただ空想の中では素晴らしいわけですよ。素晴らしいっていうかなんかね、ちょっと中二病っぽいんだけど、まあ素晴らしいっていうか、少なくとも本物よりは遥かによくできた人間なんです。
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という空想に一日中浸ってる可能な時間があれば、絶え間なくそれに浸ってるわけですよ。ちなみにこういう小説が書けることによって小説家になれるということは、この万能空想というものは小説家にとって一つの糧であるという。
フジコフジョーさんがそうであるし、当然スパイダーマンの作者もそうであるように、これはコンテンツの源の一つなんですよ。種の一つって言ったらいいかなと思いますね。
で、この万能空想を抱えて生きているオルタミティは非常に生きにくい生き方をしているわけですね。そのことは著者はよくわかってる。あれは多分本人の感覚なんですよ。
だって作家になってるって人は、あたかも作家であるように生きてる時ほど辛いものはないんですよ。いや俺作家になるからさって、飲み屋で管を巻いてる人ですよ、はっきり言って。
お前なってから言えよって言われてるわけですよね。このタイミングこそでも一番大事。なってから言うんだったらもう全然それは二重生活でもなんでもないじゃないですか。
その人はリアルに作家なわけであって、もはや万能空想ではなくて現実になっちゃうわけですよ。大事なのは、本人が苦しいのはよくわかるんだけど、慣れていない時、双子の幻想を抱いている時こそある種人間らしさってものがあるんですよ。
だから私はですね、このナルシシズムっていうものが特定の人を指すと思うのは本当に良くないと思うんですね。ナルシシズムはみんなが持ってるものなんです。これ絶対私ね、ほとんどの人が持ってると思う。大手に商品クラスになるとないかもしれないけど、普通の人はみんなあれありますよ。
だって野球選手ですらね、あれに近いことを言う人って結構インタビュー聞いているんですね。つまりすでに一線で活躍している人すら、やっぱりあたかももっと活躍している人であるかのようなことを言いたがるんですよ。これは人間の差がぐらいに思っといた方がいいと思うんですよね。秘められたる生活を送ってしまうわけですね。
で、どうして接触障害とかの人が秘められたる生活を送るのかと言いますと、いや僕スーパーマンだから、これがあの年齢なんですよね。オルダミティはもう中年に等しいので、もはや俺これ空想でやっていくしかないわ。
とにかく空想やってって、だから現実逃避感が強いし、もはやそれが空想でしかないことはわかってるんだけど、思春期って違うじゃないですか。思春期はまだまだ未来がありますよね。幼いんですよ。だからまだまだ本当に僕はもう、もしかするとスパイダーマンになれるかもなぐらいに思ってるわけです。オルダミティはそうは全く思ってないわけですよ。
死がない人間であることは確定しているんだけど、せめて空想で、こういう空想を抱くことによって、なんとか周りを少しでも脱カチカチしてね、俺もダメ人間だけど周りだってスーパーマンに比べれば全然大したことないじゃんということで、無理にでも引き下げて頑張っているナルシーシステムなんですよ。
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でも思春期は違うんですよ。やっぱ未来は明るいので、ちょっと頑張ればスパイダーマンぐらいにはなれるかもなって思っちゃうわけですよ。頭もやや幼いですからね、やっぱりね。まだスパイダーマンにはなれないという現実が正確にはわかりきらないわけ。
特に情緒的にはですね、ここに違いがあるから、それが接触障害に出るか、それともひたすらナルシーシスティックになるかのオルタミティっぽくなるか、それともいかにも思春期の接触症っぽい子供になるかの差を生むんですね。もちろん接触症が子供だけの病気ではありませんけどね。
つまりどういうことかというと、未来があるわけですよ、思春期であれば。そうするとまだまだ私はスーパーマンにもスパイダーマンにもオルトラマンにもなれるんだと。オルトラマンはもうそろそろ無理だってわかってきてるけど、ターザンならなれるかも。
ターザンになってなんか嬉しいかって話もありますが、大谷翔平ならなれるかも。なかなかそうもいかないんですけど、でもまああり得ないことではないですよね。そこで本当に変身する必要を感じるわけですね。情緒的にですよ。無意識に近いレベルですよ、もちろんこれは。意識の上ではスパイダーマンにはなれないことは絶対わかってますよ。
大体その種の子供は決して頭が悪いわけではないので。情緒的に、情緒的になんですよ。リアルに変身できると。オルトラミティはもう空想の中でしか変身できないと知ってるんで、リアルな努力は一切しないわけですね。その分安全とも言えるわけなんですよ。
思春期の子の場合、リアルに変身しちゃいたいわけですよ。やっぱりまだまだ諦めがつかないので、そんなオルトラミティみたいになりたいわけではないわけなんですよ。だから空想と現実の区別がその分ついてなくて、その分リスクがあるわけです。
彼らは、いやいやいや、これからちょっとね、今はその現実がちょっと上手くいってないけれども、僕は本当にスーパーマンになるから、心配はいらないからということで、まずは食事のコントロールから入るわけですね。
だから松木さん書いてましたけれども、女の子たちはよく言うと、付き合ってる男が痩せてる子が好きだとか、テレビで見ていて綺麗な女優さんで太ってる人はいないとか言うけど、そんなのはきっかけに過ぎない。
大事なのは自分には自分の肉体をコントロールできるんだという感覚の方であって、この感覚が自分の変身願望を満たすわけですよ。
当然その変身願望を支えているのは多くの場合、母親なわけですね。つまり母親の欲望と言ったらいいのかな、我が子に対する欲求を一心に浴びてるわけですね。
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だからあなたは素晴らしい子なんだから、だから僕は素晴らしい子にならなきゃいけない。大人になったら単なる死がない人間じゃなくて、やっぱりスーパーマンぐらいにはなれないとダメだと。
だから大体そういう小学校低学年ぐらいの時は大変出来がいいわけです。出来がいいっていうのは成績はもちろんのこと。例えば学年計画委員長とかになるわけですよ。
それって変身願望を満たしてるっぽさがあるじゃないですか。そこら辺の子とは違うっていう感覚を、なかなか大人っぽい肩書きを得てるわけじゃないですか。
だからリアルに努力をしてしまうわけですね。その中に食事の制限とか身体改造みたいな欲望というものが非常に強く働くように無意識ですよ、なっていくわけです。
だから食欲ぐらいコントロールできなくちゃいけない。隣の子みたいに菓子をボリボリ食ってるようじゃダメなわけですよ。そんなんでスーパーマンになれるわけがないので、やっぱり食事というものをコントロールして、何なら筋トレとかをしちゃうわけですね。
これがウォルタミティと思春期の子のスパゴの幻想を持ってるんだけど、その表現され方が違うということですね。だから私がさっき状態遷移って言葉が思い起こされたのはですね、病気ってのは様々な状態をとるわけじゃないですか。
まず熱が出て、熱は下がったんだけど、今度はお腹に来てみたいな一連の病気なんだけれども、その時その時のフェーズによって症状は変わってくるみたいな感じがあるじゃないですか。この双子幻想を抱いていたとしても、10代で抱いている時と20代で抱いている時と30代で抱いている時は変わってくるわけですよ、きっと。
だからそれが異度性の自己愛みたいに、何なら草曲っぽく見えてみたり、あるいはウォルタミティみたいにすっかり何かを諦めたようなのだけどしょっちゅう空想の世界に生きていて、時々ニヤニヤするみたいな雰囲気に現れてみたり、あるいはそれが食事制限というものにやだらこだわっている、痩せてみたり太ってみたりを繰り返している人になってみたりという出方が違うんだけれども、
それはその人の抱えている万能空想を抱えているその人の状況、環境、年齢、ポジションなどによって現れ方が変わるだけではないだろうかって感じを、最近私はすごく受けているから、こういう話を一生懸命。
ミソノさんもウォルタミティもスパイダーマンもだいたいみんな同じようなことをやってるんだけど、すごく違って見えるよねっていう意味なんですよ。
これを省略から見ていくと、全部異なる病名がついてしまうので、でも意外に携わり方やアプローチが似てくるのは当たり前なんだよなっていう、そういう生活習慣病が様々な現れ方をするけど、基本的にアプローチするとなったら生活習慣をちゃんとしましょうねみたいな話に落ち着くのと、ちょっとこれはどっか似ている気がするんですね。
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その時必ずと言っていいほど出てくるのが万能空想である、結局ナルシズムってことなんですけれども、現実の脱価値化であり、あたかもそういうふうに振る舞っているという振る舞い方であり、実は非常に絶望的な気持ちと一歩間違うと欲打つというものが重症化していきかねない。
だから何らかの形でその脱価値化できない現実との直面という問題をその方は抱えていて、そこをどうにかしなければいけないと薄々考えている。
で、動かしているのは無意識の力度が極めてでかいという、そういう一連のコンステレーションっていったりするんですけれども、そういうポジションの取り方ですよね。
そんなものがある感じがする。
で、かに注意っていうのは過集中とか過食ってやつなんですね。
そっちが問題になっちゃうんですよね。
これもどう見えるかっていうことに僕らが意識を奪われやすいからなんですね。
今の話で見ても分かる通り、過食は結果なんですよ。
問題になっているのはスーパーマンになりたい願望の方であって、それはもちろん無意識に働いてるんですけれども、
学年計画委員とか一生懸命頑張ってるんだけど、なんか最近友達との間がしっくりこないし成績も落ちてきたみたいになった時が怖いわけですよ。
そうすると勢い、この人はやっぱりより強いコントロールをしなくちゃって思うわけ。
で、この時に食事というものは目につきやすいんですよ、子供にしてみればですね。
この中学生、高校生ぐらい、特に中学生ぐらいかな。
小学校高校年から中学生ぐらいの時に目に入りやすいんですよね、この食事というものは。
いろいろ今うるさく言われるじゃないですか。
あんまり体に良くないものを食べるなとか。
特にそういう出来の良い子供だと思われている子にしてみるとですね。
そういういかにもダメそうなものを食べたくないっていうのが既に十分入ってきているわけ。
だから十分そこはですね、自分の欲望というより親の欲望なんだよね、それを反映している。
よく考えてみるとスパイダーマンになりたいのもスーパーマンになりたいのも、ウォルター・ミティーだってそうですけど。
みんなあれは親の欲望ですよね。
親が結局のところ一発の人間になってほしいというのを子供流に表現するとあんな風になるじゃないですか。
世界の悪と戦う、すごく正義感が強い。
子供っぽいですけれども、子供向けだから。
別に不思議な願望じゃないですよね。
あれが要するに長寿るともう少し現実的になるというだけであって、もともとある願望はそういう感じのものだったりするわけですよ。
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ウォルター・ミティーだってそうで、大胆不敵とか。
誰、なんか非常に世の中のごくごくステレオタイプな男性に求められる良さそうな特徴を兼ね備えた男でありたいというだけであって、
持ってる願望は中年男というよりは多分に思春期的な何かな感じなわけですよ。
読んでいただくとすぐわかるんですけどね。
ミソノさんにしても結局のところ、さっき途中最初の方言いましたけれども、ただカップルであるっていうだけだよねっていう。
それはやっぱり、世間一般がよく女性に求める、今では悪名高くなりつつある、早く結婚しなさいとかそういうものでしかないわけじゃないですか。
結婚ならいつでもできるのよっていうのが彼女の誇りなんですよね。
それはつまり、人の欲求を私はいつでも満たし得るという、それだけの人間なんだということを内心で抱えておきたいわけですよ。
それが割と率直にナイーブな形で出ると、中学生の接触みたいな形になってくる。
つまりかなりナイーブなんで、やっぱり肉体改造なんですよ。
なんかブヨブヨっとしてたくないわけ、子供としてもですね。
やっぱり自分は学年計画委員の委員長なんだから、ちょっとブヨブヨしてちゃダメだなって感じが子供ながらにするわけですよ。
だから子供らしくもなく、野菜サラダとかを食べる子でありたいわけですよね。
非常にある意味好感が持てる感じもするんですけれどね。
だから食欲が湧かなくなってくるんですね。
そういうのに無意識がすごくよく応えてくれるんで。
ちょっとこの辺がヒステリーっぽいんだけれども、だんだん痩せていくわけですね。
だからコントロール願望がとっても強いわけですね。
勉強するってのも、その年頃の子にしてみるとコントロール願望じゃないですか。
本能の赴くまもに勉強しないですよね。
私の地方の感じで言うと、池に行ってザリガニ捕りを3時間も4時間もやっていて、
帰ってきたらすぐファミコンがやりたいという年頃なのに、
その間に漢字の書き取りするとか、めちゃくちゃコントロール感強いですよね。
このコントロール欲望が肉体改造に向かうわけですね。
その時にデブりたいっていう、そういう人はいないんで、
つまり本能を抑え込む方向に決まって走るので、
つまり虚職の方が先に来るはずなんですよね。
これは松木さんがすごく強調している点でした。
とにかく虚職が先に絶対あるはずだっていう。
だから、そうやって虚職をずっと続けているとめっちゃ腹が減る。
しかもそれが意識下に抑え込まれているから、しばらく気づきもしないと。
で、栄養状態がかなりバランスが崩れてきた時に、
タガが外れないように過食に走るっていう話を書いているわけで、
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つまりそれは過食じゃなくて退食なんだと。
そもそも退食なのは虚職があったからなんだと。
そういうふうに見ると目につくのは退食の方なんですよ。
急にやたら食べだしてみたりするから。
非常に、しかもその後必ずジバスが来るんで、
ろくなもの食べないとかが出るわけですよね。
こんな欲望に負けて食べてしまって、スーパーマンになれない自分はダメだから、
どうしようもないものをいっぱい食べておこうみたいな、
こいつにはそういうものがちょうどいいみたいに、
そういうふうになって、ろくでもないものを食べる。
つまり現実は常に脱価値化されているわけですね。
ウルタミティも現実のことはどうでもいいから、
職場ではミスしてばっかりいるわけですよ。
俺は本当は大胆不敵ですごい男だから、
こういうのが無意識に自意識に絶え間なく出てくるんで、
その傾向が著しく進んでしまうんですね。
この流れの中にきっと過集中ってものがあるんですよね。
なんで集中にかかつけるのかなっていつも思ってたんだけど、
それは反動だってことなんだと思うんですね。
集中でいいわけなんですよ。過集中があるのは、
その前に生きすぎた節約とか、生きすぎた節制とか、
そういう本能に反することをコントロール願望に任せて
ガンガンやると、反動がきてファンザとかを10時間見るとか、
そういう流れになっちゃうわけですよ。
あるいはゲームをしまくって、
ずっともう陣地中やってますみたいになるという。
これ多分睡眠もそうなんですよ。
過睡眠って言葉は今のところないですけれども、
コントロールを絶え間なくかけて反動でそういうことが起きる。
いくらでも寝れてしまうとかね。
そういうことが起こるわけだと思うんですね。
それは多分この秘められたる生活から全ては始まっていて、
どこかに私というものを変身させたいというか、
変身できる私がどこかにいるんだという空想を持っているので、
そのところにかけていればかけているほど、
なんかしたくなるわけですよね。なんかしたくなってしまう。
だから食事の制限をしたいのか、あるいは体にいいものを食べたいのか、
睡眠時間を削りたいのか、お金を節約したいのか、
何でもいいんですよ本当に。本当に何でもよくて。
まさにコントロールそのものを意味するような意味で言うと、
何かの習慣化をしたいとか、ものすごく大量のチェックリストを持ちたいとか、
何でもいいんです。
何でもいいからとにかく本能に反することをしたいわけですね。
本能は本能の力度は必ず持っていて、だって生きてるんで、
亡くなることは決してないわけですから。
食欲にせよ、睡眠欲にせよ、精欲にせよ、
亡くなったように見えても亡くなるわけではないんですよ。
ただ気づかなくなるだけであって。
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だからグイグイ抑え込まれて、意識の上に全く登らないようになって、
自分スーパーマンだわって思っても、
どこかのタイミングでかなるとかをさせられるわけですよね。
Sが暴走しだすわけです。暴走というのかな。
本来の要求をしてくるってことなんですよね。
もういつまでも抑え込まれてると死んでしまうので、
ここでやっぱり長寿がを吹き飛ばして、
自分の本来の取り戻す分だけを全部ここで取り戻させてもらわないと困るっていう、
そういう要求なんですよね。
だからカナンとかが出てくるわけですよ。
カナンとかが出てくると社会的にダメ人間ぽく見える。
ずっと寝てるとかずっと食ってるとか、
基本的にそういう方向なんで、
そこに対する私を罰したいという気持ちに、
ここに抑鬱的な症状っていうものが多分現れてくるんだろう。
だから過食のところに抑鬱がやっぱりセットでやってきやすいし、
自罰傾向とか自虐傾向は決まってこの過食の方に、
決して虚食の方に来ないっていうのがですね、
分かりやすく対象的なんですよね。
過集中もそうで集中している方に、
一般的には集中していることが批判されることってあまりないじゃないですか。
なのに過集中言ってる人は大体過集中をよくは言わない。
これはやっぱり何かをコントロールしているっていうのに対する反動なんで、
それでも過集中してついついクリエイトしてしまうっていうのは、
まだ許せる感じなんだけど、
過集中してゲームやってるとか、
そういう過集中してあと寝落ちするとかいう話になってくると、
もうめちゃくちゃ自分に対して厳しくなるわけですよね。
これはだから一度主導権を奪われた長寿賀の怒りなんですよ。
Sに長寿賀を渡してしまった不甲斐なさという意味で、
もっと厳しくしなければならないっていう、
締め付けをきつくするっていうやつですよね。
これが起こるんですね。
そうしないとやっぱり秘められたる生活が維持できなくなる。
双子の幻想が壊れてしまうということですよね。
幻想なんて最初から双子の幻想というものが実現する見込みは、
ほぼ全くないんですけれども、
そういうふうに思ったのではもはや現実が耐えられないので、
そういう意味ではやっぱり全体的に、
もともとどこかに抑鬱的な、非常に絶望的なものがあると。
このことがですね、以上のような話が、
私が読む限り接触の話から、
これは松木さんが書かれているからってメモタブにあるんだけど、
接触の話が一番わかりやすいなって思ったんですよ。
大人になってしまって、
例えばウォルター・ミティだって間違いなく、
あの秘められたる生活の背景を支えているのは母親なんですよ、どうせ。
もうそういうことは書いてないし、
分析してるわけじゃないからわからんので、
わからんことについて精神分析や言及しちゃいかんのですけれども、
多分あれは母親なんですよね。
結局母親がミティに過剰な期待をしたんで、
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俺は本当はすげえ男なんだと、
アウラウロだって入れるんだって思いたいっていう、
ただそれだけなんだけれども、
大人になるとわかりにくくなる。
接触の時ってのは、
母親はまだすぐ横にいるので、
とってもわかりやすいんですよ、やっぱり。
この子は本当に頭も良くて、
家の手伝いも良くしてくれてみたいなことを言われると、
男の子なんかは特にそうだけど、
めっちゃ舞い上がるわけですよ。
この舞い上がり感が無意識に大量に投入されているので、
やらずにはいられないって感じなんですよね。
心の中ではターザンになって、
学年計画委員とかを実際には勤めて、
赤色とか紫色のついたお菓子は絶対口にしないみたいな、
そういう風に自然となるわけ。
これを自然と言うべきなのかどうかは、
はなはな微妙なところではありますが、
自然にっていうのかな、思うわけですよ。
勉強とかもするわけですよ。
男の子というのは、
ただ頭が良いやつっていうのは、
だいたい漢字とかはめちゃくちゃ字汚いんだけど、
そういう漢字も妙に綺麗なんですよ。
そういう風に書けるっていうことがあるわけですよね。
母親ってものが、
ほぼ恋愛対象ですよね。
だけれども、
当然なことながら何もかもは上手くいかない。
そんな時期にして、
睡眠時間を削って漢字の練習するとかね、
非常に不思議なんですよ。
ある意味の独特のアンバランス感みたいなものが、
そこにはあって、
でも一生懸命頑張っているので、
基本的に大人は悪くは言わないじゃないですか。
そのうちに例えば食欲がなくなってくると、
大人が最初にそこで言いかねないことというのはですね、
ちょっと頑張りすぎているとかっていうわけですよ。
これほどその子を傷つける嫌な言葉はないわけですよね。
頑張りすぎって思っちゃうわけですよ。
だってまだまだスパイダーマンになれそうにないのに、
ここで頑張りすぎって言われる、
自分はすごい低く評価されてるんじゃないかっていう恐怖に不安かな。
強い不安にとらわれて、
著しくそこから頑張るようになる。
いやいや全然大丈夫だからっていうわけで、
確かに大丈夫なんですよ一個一個は。
まあ所詮子供の学年計画いいんだし、
所詮漢字の練習ですからね。
一個一個は大丈夫なんですよ。
でもそれが全部かかってくる上に、
全部でパーフェクトじゃなきゃなんなくなってくるとなると、
割と相当出来が良くてもしんどくなっては、
くるし、そもそもベースにですね、恐怖があるんですよ。
つまり現実がままならなくなるということは、
このお母さんにすっごく失望されるっていう恐怖があるわけですね。
で、この恐怖はここからが分析らしいんですけども、
もともとはお母さんの恐怖なんですよ。
やっぱりこれも乗り移ってきているわけですね。
お母さんどういう恐怖を持っているかっていうと、
だいたい少なからずそういう家では、
お父さんの恐怖があって、
だいたい少なからずそういう家では、
お父さんの影が極端に薄かったりするわけですよね。
出てこないですよね、この種の話にお父さんって。
つまりお父さんはもう家のことというか、
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関心がなくなっていると。
それは私が結局魅力がないからかもしれないとか、
私がちゃんとやってないと思われているのかもしれないということで、
だいたいお母さんそういうところではめちゃくちゃ頑張っているわけですよね。
これを見て子供はお母さんに惚れ込むわけですから。
これはすごくステレオタイプで典型的なパターンなんですけど、
要はこれを見て男の子はお母さんに惚れ込んで、
そしてお父さんに興味を失うと。
これはお母さんが密かにやっているお父さんへの罰なんですね。
リベンジに近いですよね。
あなたのことはもういいから、
この子に集中しようと。
集中された子は当然その集中目線というものを
強く認識するので、
お母さんに報いるためにもスーパーマンになろうという話になるわけですよね。
この両者が持っているのは結局お父さんからの
見捨てられる不満ってやつなんです。
この辺にエディプスが出てきているわけですよ。
エディプスに限りなく近いですよね。
独特の三角形の図式だけれども、
三角形を描いていることはほぼ確実で、
私はやっぱりウォルター・ミティが
いかにも年にふさわしくない、
少しずれたお父さんが結局、
今にも自分が殺されそうなのにニヤッと笑ってみせるとか、
そういうのはいかにも仁義なき戦いっぽい世界なんですよ。
そういうものを良しとする男の世界みたいな。
それが自分がいかにも欠けているっていう、
全く自分にはないっていうコンプレックスですよね。
結局お父さんへのコンプレックスですよね。
そういうものがウォルター・ミティのような人にも
ちゃんと見られるというか、
当たり前のように、
ある意味、面白くもなく見られるわけ。
だからミソノさんだってそうじゃないんですよ。
ミソノさんだってそうじゃないですか。
あんなに独特で、
会社の人にはみんなにわからないように、
密かに恋人を持っていて、
私はリア充なんだっていうのを、
密かな埃にして、
新入社員はビシビシ厳しくしぼくみたいな、
そういうのが結局何に由来していくかというと、
ちゃんとした家庭を築けるから私はっていうのって、
これは非常にある意味、
良心コンプレックスみたいなものが感じられますよ。
私は結局家族をちゃんと作ることができるんだって、
言いたいわけですよ。
誰に言いたいか、
それは親に言いたいっていう言葉ですよね。
道具いうふうにしてみても。
この辺にやっぱり私たちのですね、
ナルシシズムのベースって何なのかと。
ナルシシズムっていうのは万能空想。
私は本当は素晴らしい人だから、
ここにいる現実にいて、
私がこうだと思われているこの、
こうだと思われているかもしれない、
しょうもない私っていうのは、
本物の私ではないから、
って言いたいわけだけど、
そう言いたい相手は誰なのか、
母親なんだと思うんですよね。
母さんは私のことを大したことないと思っているかもしれないけど、
そんなことはないんだからねと。
私は本当はちゃんとした家族も作れるし、
敵に捕まってもニヤッと笑っていられるし、
本当はスパイダーマンなんだからねと、
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そういう話なんだと思うんですよ。
ナルシシズムと万能空想と、
双子の幻想と、
そうしたところから現れてくる、
いろいろなシンドロームっていうやつはですね。
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