ロッテ戦が見たかったら あのそれは見ればいいわけなんですけど
なんていうのかな だからここからさっきの中学生野球ですよねで私がやってるのはそういうことであると思ってるわけ
ですね基本的にプロっぽい面をしてノンプロがやるっていうここに ここに魅力を感じないんだったらこんなのを見てもしょうがないよねっていう気がするんです
よね 社会たけし軍団とロッテが野球やってたじゃないですかああいうのが好きな人っているわけですよ
結局あれ地上波でやってたけどね ああいうことなんだっていうのが僕の基本的な考え方です
金取るなやって言われるかもしれないけどそうじゃないですよここで金は取るんですよ だからノンプロがプロっぽくやるってのはそういうことで
多分社会人野球とか東京ドームで見に行くときは安いかもしれないけどチケット代って 取られるんじゃないかと思うんですよね
わかんないけどわかんないけどねで僕はそういうのをあの 社会人野球はなぜか行く気にならなかったんだけど東京六大学結構見に行ったんですよ
泣きなしだったけど払った日がするんですよね 立教対東大とか見ましたよ
立教優勝して立教大学何の関係もないんだけど一斉に立ち上がって効果を歌いだしたんで しかもなんか結構所漏の方とかがおいおい泣いてたんですげーいいいいシーンだと
その時たまたま立教大学て滅多にそんなに優勝しないから長島さんの息子さんですね 長島和重さんがあのすぐかなり近いところにいてすげーなんかこう
独特の雰囲気を感じたりこれがねでもやっぱり僕は思うにね ノンプロプロがまあ六大学はプロっぽいけどでも東京大学の野球はプロとは到底言えない
野球だったからやっぱりああいう面白さあるようなちなみにその試合は10対0で 立教勝ってましたね
全然本題に入れないなというわけであのだから運営がグダグダでいいんですじゃなくて だからえっとあんまり視聴者さんのことは考えてませんという
ここが大事なところなんですよ 視聴者さんのことうんと考えるとコンテンツはめちゃくちゃつまらなくなるというのが僕の勝手な
意見なわけですね 何にもこいつら視聴者のこと考えてねーという本の中に岩波文庫さんから出てる本がいくらか
あるんですけど私はそういうのを読むと非常に面白いとやっぱ思うんですよね 読者ターゲット頭から無視しているでしょうっていう感じの本は読む
あるヒットするかどうかがすべてなんですけどヒットしちゃえば面白いですよ やっぱり自分がマジョリティじゃないところに属している人間は
だからこれはやっぱり巨人とロッテで考えれば一番簡単だと思うんですよね 自分がたまたまロッテファイやっちゃってるとロッテの中継やってくないと困るわけ
たまにでいいからっていう感じですよね だから素人の書いたものの良いところはターゲットがスルーされているところにあるわけですよ
読み書きはすっげー頑張ってするんだけどワン坂人は来ないわけですよね でもヒットする人にとってはなんていうのかなそれは機材が優れているとか
ターゲットがきちんと考え抜かれているとか進行がスムーズであるとかいうことに興味はないと 僕は思うんですよね
だって僕ほんとロッテの試合聞いてた時なんていうのかな 川崎球場でやってたからテレビからのラジオ神奈川の一部でやってるんですけど
埼玉県でそれに周波数合わせるのは神業に等しいみたいなそれは大げさですけど
電波を強く受信できるラジオ買ってきてキュキューって合わせるわけですよ そうするとなんかこう俺とかブルブルみたいになっちゃうわけですよね
これを聞きつけて聞きつけて繋いで繋いで聞いてるわけですよね これを聞いてた私としては巨人戦見るんだったら4チャンネルにすれば日テレにすればもう綺麗になって
そんなノイズとか一切入らないで問題このノイズとノイズの入らなさを問題にするんだったら 巨人のファンになっとくしかないんですよね
そうじゃなくて自分がどのファンであることを貫こうと思ったら ノイズのことは忘れるしかないんですよ
私はそういうことが多分言いたいだけなんですよ しょうがないんだっていうことなんですよね
でタスクシュートですよいきなり飛んでますけど タスクシュートと cbt っていうのをあのまあ山崎さん高木さんはイベントの中ですから
割とサラッとおっしゃってしまうわけですよねもうなんかこう 同じようなもんなんだよみたいな感じで同じなのに
なんでタスクシュートを選ぶ人がこんなにいるんだろうっていうのをまず cbt の方がずっと多いってのはそれはそうなんだけど
でも cbt とタスクシュートが同じような効果だっていう話になった時にその時タスクシュート を選ぶってのはどういうことなんだろうっていうのは
まあ協会理事としては一応考えざるを得ないですよね でタスクシュートに足りないものって何なんだろうと僕ねそうやって並べてみると
今までずっとそういうのを並べるのは避けてたんですよねやっぱ cbt は cbt だしそれはそうなんですよね cbt は cbt だし tc は tc だっていうこの際タスクシュートは
tc と言っちゃいますけど tc は tc だっていうふうに考えてて cbt はその専門でやってる人がやってるんだし
国家公認なんだしなんかこう決して遠ざけるとは言いませんけど あの親張っておこうみたいなのはあったわけだけど
あえてだから僕は否認してたんですねある意味横に並べて考えるってことを真面目に 考えやったことがなかったなと横に並べで考えたらあれって感じがしてきたんですよ
まず僕確実に言う言えることはですねこれすごい誤解された時期が一時あって タスクシュートやってると鬱になる論みたいなのが一時あったんですよ
チラッとね嫌な話だなぁと思ったんですよね タスクシュートでガリガリにあって脅迫的になってその辛さに耐えられなくなってバーとして
みたいな非常にシンプルにうつを何だと思ってんだっていうぐらいシンプルに言われて いた時期がちょっとだけか弱いであって
僕は非常に嫌な気持ちになってただただ後悔のように黙ってたわけですよ 何を言っても無駄だろうと思ったんですよねそういうノリになった時って戦争とかが始まる
時のノリってそうなんだろうな反戦の人にとってはって話ですよ なんかねこう無駄だっていうかね空気みたいなのには戦いようがないんだみたいな
ものを感じてたんだけど その時にちゃんと考えるべきだったんですよね
宮本さんが3度イベントでTCとCBTの間に その違いをいちいち意識しない方がいいよぐらいのノリで言ってくれてようやく否認するのを
やめてTCとCBTを横に並べてみると いやそうじゃないそれじゃまるでCBTやると鬱になるみたいな話になっちゃうんじゃないですか
世の中とんでもり論いくらでも編み出せるんで世の中にはそんなことまで出回りかねないなと思うんだけど
でそもそも幸運として効果があるっていう意味で始まった論だと思うんで まあ認知良好の方ですよねどっちかというと
ちなみにあれ精神分析に対する暗示提示として始まっていて それはもうなんかあの
ハワデリスだっけの本家なんかの中で明快に出てくるんですよね こっちは100年の歴史があるんですよって誰かが言って
それは僕は精神分析家なのかそれとも単なる精神分析好きばかり 僕みたいな人間なのかわかんないなと思ったんですけど
まあ100年の歴史は置いといてとか言ってなんかこうあっさり論破されてすごい 感じ悪いなぁと思ったんですよね
僕はその時認知良好の方が好きなぐらいだったけどそれでも感じ悪いと思ったんですよ なんかこうなんていうのかなそういう
まあいいやとりあえず一旦それは置いといて僕が言いたかったのですね tc がうつを
うつに tc をやってるとうつになるっていうのは全然ナンセンスだと思ったのは要するに tc なんてやめられるからねって言う
いつでも何の強制力も持ってないからタスクシュートというのは そんなうつになるっていうぐらいだったらやんなきゃいいわけで
なんでそこを押してやってしまうのかっていう話がそもそもまずあるじゃないですか そうでなくてもとっつきにくいとか
始めにくいとか言われてるのになんでそこを無理やりやった挙句 うつになっちゃうんだよっていうそこからしてすでにおかしいだろうと思うんだけど
より僕が考えたのは横に並べてみたとき tc ではうつは防げないっていうのが出たんですよ 頭の中で
タスクシュートをやってればうつになりませんというようなことはとても言えないって いうことはこれは何を言わんとしてるんだ
例えば cbt でうつを防ぐみたいなのもあるわけじゃないですか なんでこれが横に並ぶ横に並べた時に直ちに出てくるのは僕の中ではそれだった
なっていう あのこれは別に特に何を言ってるわけじゃないんですけれども特に何の主張もできてるわけじゃない
んですけど ただタスクシュートって結局
まあシステム手帳みたいなもんですからある意味それはすごい語弊を 誤解がありますけどものすごくよくできたデジタル式のシステム手帳みたいな面はありますから
でそんなんでうつ防げるはずないじゃないですか でそんなんでまたうつになるはずもないじゃないですかそんなシステム手帳を使ってたらうつになります
いつも私の事例になっちゃうからでも次回は私がやろうと思ったんですけどねいろんな意味で あの
ゲストをお招きして来ていただいてしかもこの方実は公認心理師だから僕みたいになっちゃって のらカウンセラーとかじゃないわけですよ
ちゃんと公認カウンセラーでしかもタスクシュート認定トレーナーさんでもあるというですね ちゃんとそういう人材が今教会にもいるっていうのがここで教会アピールしてるわけですけどね
あのわけですけどもでこの方がやっぱりやっぱりじゃなくて全然やっぱりじゃなくて 心理学ジプシーだった
しかも公認心理師でもあって学校の先生もやっているっていう方なのに方なのにじゃないんです けど
方であってでもタスクシュートに来てるわけですよね いきなり心理の世界に行ってないわけですよね
これは だからこういうことってこういうことをこの一例を持って人は別に心理カウンセリングを受け
たくないんですっていう論を導き出したわけではないんですが 何かそこにはカウンセリングを受ける
だからそれが山崎さんのおっしゃったことなんでしょうけどことへ対するこう 内的な抵抗ってあるものなんだってことだと思うんですよね
内的な抵抗 抵抗
心理抵抗みたいな話になっちゃいますけどちょっとそういう先進分析的な用語としての抵抗ではなくて
単によく抵抗があるとかそういうことをするのは抵抗があるとかそういう 違わないんだけど
でもまあそういうことってあるんだよなと でもですね僕はここで考えたんですよ
たまたまその日僕はAさんという事例を出してあの方はもっと明快になんか変な圧力をあの インパクトを持って
私は心理カウンセラーなんか受けないからねっていうふうに私におっしゃってきて別にそこを僕に強調せんでも
私精神科にも行かないからねみたいな 病気じゃないからねみたいな
僕より年上で初老の方だったんでこういうある種の言ってしまえば偏見があった時代ですし
わかるんですけど あのまあまあつまりどうしても私のこれでやりたいんですよねっていうことだと思ったんですけど
なんかこう独特の表言い回しだったんですよ僕に僕からすると その佐々木さんがここでやってくれなくったって私はいかないからね
だから代わりに池とかだとそういうことになっちゃうじゃないですか 二択じゃないからって言ってるわけですよねこれはね
ここまで言われれば なんかどういう話になるのか知らないけどやりませんというのはあまりにも僕としては
あれだなと思ったんでじゃあやりましょうってことになってやりましたってたまたま この話は被ったわけですよ
そのそういうその心理カウンセリング抵抗みたいな話がで僕は思ったんですよそうじゃなくて
えっとですね 私美容院で行けなかった人間なんですよ
別に行かなくてもいいんですけど床屋に行っとけばいいんだけど 床屋にも抵抗があったんですよはっきり言ってで
美容院に対する抵抗っていうのは実非常に独特のものでして 要するに私はいろんな意味で美容院がやだったんですけど
本当にいろんな意味で嫌だったんですけど 心理カウンセリングに行く抵抗感っていうのとある意味似てるだろうなと
つまり いいことのように言われていることがそもそも嫌だっていうことって人間にはありまして
タスクシュートだと入りやすいと タスクシュートとCBT横に並べるなら
人間好きだし専門だし安全だしCBTに行くべきでしょうってさらっと出るということはあり得ると思うんですよ
横に並べるぜひはともかくとして でも
私が美容院に行くのが嫌で 結局なんかいろいろな床屋ジプシーだったんですけれども
さすがに自分では着れないんで 結局あれまず何が嫌って鏡のが真正面にあるのが僕修房恐怖が入ってたんで
もう絶対耐えられなかったんですよね 自分の顔をずっと見てると しかもしかしもっと根源的だったんですよ
自分の顔を髪にをいじることによって美しくするというこの発想がもうダメだったんですよ 耐えがたかったんですよね
思春期だったんですけど思春期で説明されるのもすごい困るんだけど 修房恐怖があったんでアトピーでもあったしアトピーじゃなかったんだけど
まして顔には出ないこれもね非常に僕の精神的なものを感じさせるんですよね あんなに全身がひどいのに顔には出ないんですよね
で その何が嫌って
髪をどんなに整えても少しを整わない自分の顔っていうのに 向き合わせられることに対するこの耐えがたさが絶対こいつらは分かってくる
ずっと病院に行って症状されている気持ち以外は何も持ってなかったんですよ つまりどういたしましょうかって言われるじゃないですか
これがパラドイックですよね ほぼね
どういたしましょうかって言われるとてめえの髪いじったってその薄汚い顔はちょっとも良くなんねえんだよバカ
来んなよって言われてると感じるんですよ こう感じるんですよ直感的に
現状は聞こえません僕の場合はなかなか僕は近くってものが ガンとしているところがあってまあよかったんですけどね
ずっと髪を切られるたびにこれを言われる感じがするんですよ だから私は絶対に病院に行きたくなかったんですよ
これの真理に近いものが私はカウンセリングだと タスクシュートだとこれが同じことをもしほぼ同じじゃないという意見はあると思いますがそれは
受けたもありますけどCBDとTCが仮にほぼ同じだとしても TCにはさっき言った人がつかない
で今後人をつけていくと仮にしてもですね この種の何かに触れずにやるということをやっていければいいんだろうなと思ったん
ですね私がやるんじゃない私がやるのはあくまでも あのやっぱり分析的な方であって
パラノイックならパラノイックでパラノイックをやっぱり つまり私自身パラノイックなわけですよ結局
よく言うけれども私は対象関係の話だと思っているんで これが私がエリック・エリクソンとかアンナ・フロイトの世界がどうしても違うんだと思うんですよ
究極的には対抗って概念があるから でも私はやっぱり自分がパラノイックを卒業したはずはないんだと思ってるんですよ
卒業ってありえないと思うんですよね だから出る時は出ると思うんですよ
だからこのパラノイックごと扱うって発想は絶対必要で
暴露療法とかではどうしようもない部分があるんだと 暴露に耐えられるように人はなるかもしれないがそれは暴露に耐えられるっていう能力を
改めて身につけているにすぎなくて パラノイックでなくなったことにはならないと思うし
パラノイックってのは本人も変だとは思ってるわけですよ 本当にそう思われているのかどうか確信絶対的にあるかって言われると
あの当時ですらなかった気がする でもそういうふうに言われている気は確実にするっていうのがパラノイックってもんだと
私は肉親がそのまんまですから そのことそれ自体にさほどの違和感はないんですよね
いやコンプレックス強すぎだろうと言われると必ずしもコンプレックスはもちろん極めて強いんだけど
私自分の衆望にも自分の要望にも自分の声にも自分の話し方にも自分の考え方にも コンプレックスがありましたから
強いのは当然強いんですがそれが全てではないんですよ 親が酷かったのかと言われると今改めて考えてみるとつまり相当深く考えれば
親は確かに酷かったけど酷くはないんですよ別に その親のせいでそうなったとは言い難い
現に私の妹はパラノイックではありますがそうはなってないんですよ だからその別に要望とかにあの人はさほどの危機は考えてないんですよ
あの人のパラノイックはまた全然違うところに来るんですよね で同じ親から育っているわけで育てられ方が随分違ったとは思うんですけど
私が養子にそこまで気を弄む必要が必要というか 理由があったのかというとそんな理由はないんですよ
だけどそうなってるんですよね実際にはかなり長いことそうだと 少なくとも20年近くはそうでしたね
だからあの20年経ってなんてことはないですよ12 3から13歳だな13歳から33歳間違いなくそういう感じがしますね
少し短い17、18年だと思いますけど ここから1、2年引くとちょうどぴったりだなって感じ30まで確実にそうだったんで
んだみたいな 5杯っていうのは独特の表現で誰かどっかの造語だと思うんですけれども
で私は5杯かどうかはともかくもう確かに私が美容院に行ったのは実は5杯だったん ですよね
あの留学中に入っていってみるとかんですけどどこに行きますかって話あるんですよ どこに行きますかって話あるんですよ
ところがどこにあるかわかるそして英語が全然通じないのに髪をどう切ってもらうとか わけわかんないじゃないですかいくら取られる全然わかんない
何が起きるかというとなんと対人が切ってくれたんですよいやすっごい問題がありました けど
いやいやあの正午俺切っちゃうからみたいな変な英語で切ってくれるわけですよ で髪は変になったんですけどまぁそしてなんかすげーシャツとかに髪入って超やだったんで
これが5杯ですよね でまぁその心理が専門家じゃなきゃいけないとか精神分析の精神分析家じゃないとダメ
で言わないにせよ髪はまあ利髪師が切るものですよね日本では しかし
海外とかに行くとこれ海外に行くとかカウンセラー受けにいけない問題とよく似てるなぁと思っ たんですけど海外に行くといろんなものが自動的に制約かかっちゃいますよねって
英語で私がカウンセリング受けてみたところでやったけど cbt 効果すっごい減りますよねだって何言ってんだこうまず理解することから総力を上げないと無理なんで
で髪も同じ理由でいけなかったわけですよね 床屋だったら僕は日本だったらいけてたんで
で結局これその大臣に切ってもらってわかったのは美容室 死んでも行こうみたいになったわけですよ
結局 こういうことが起きないといけない部分ってあるんですよこの種のことについて言うと
すべてがパラメックで説明できるわけでは全然ないですがカウンセリング受けに行きたくない 理由というものに潜んでいる心理の中にはおそらくこういったものがきっとあって
それが人を自然 タスクシュートに向かわせるってことが起こる
それはGTDであるってことも十分あり得ると思うんですけどね そういうことなんだろうなとそういうことがあり得るということがやっぱりこう
自分の問題を非常にこうなんつうんですかね まあある意味右を曲折を経るしかないというところだと思うんですよ
で大臣に髪を切ってもらって美容院というものが相手が何と思っていようとどれほど 優れているかとある意味では
だからある意味ではなんていうのかな心理師が安全ですというのは言葉なんですよね結局ね 危険な目にあってみればその安全性が嫌というほどわかるかもしれないけど
安全ですとただ言われているだけの状態で何と比較して安全だと言ってるのかって問題が 問題というよりも疑問がつきようがないわけですよね
どっちも言ったことがないのに安全ですとただ言われても じゃ危険とは何なんだっていう私はその危険についてすごい
思いを巡らせる機会が非常に多いから何を言ってるのか とてもよくわかるようになりましたけどそれだって私5年前は
なんかそういうことに詳しいつもりでいたけどあの安全の意味は多分何もわかってなかったんですよね 何をもって安全でどうすれば安全なのか
わかんないんですよねよーく考えてみるとわかんない気がするんですよ 何かもともと危険な爆薬を扱うとか
少なくともその医療とか歯抜きますとかだったら安全ですって言われた時に何を言ってる のがすぐわかるじゃないですか
でも心理臨床のおいて安全ですは何を言ってるのかというむしろ逆にそれを強く強調さ れてみると得体の知れないものを感じ始めてくるわけじゃないですか
私は少しそう思う時があるんですよね 反過心理師が安全安全言ってるってどんだけどんだけ危険なことをやろうとしているのって
いう それはやっぱり知らないからそういうふうには思うと思うんですよで知りようがないんですよ
やったことがないんだからっていうことが私はすごくあるんだろうなとあるあるんだよ なと思うようになって
cbt と tc を横に並べるというのは色々と得るところが大きいと頭の中でですよ あの cbd と変わりませんってこれから
pr していきたいという気はさらさら全くどうにもないです むしろそれはやんない方がいいと思うんですよね
結局違うものだってことにしておくことがこの話大事だってことになってるわけですよ やっぱり常に人つけりゃいいってものではないっていうのも今の話からある程度明らかだ
と思うんですよねでも人をつけるっていうことも大事だっていうのもやっぱりいくらか 言えるような気がしてきたわけです
で私自身はそっちの方にバリバリやっていくぞっていうことではない役はやっぱり理事 なんで立場上は設計の立場なんだろうなと思っておりますんで
んで セシム積的っていうことを僕がやりたいのはですね
それとはあんまり関係ないことになっていよいよ来ているわけですよ もちろん全く関係ないわけではないんです
スクシュートでやってても朝起きられないとかそれこそパラノイックになっちゃうとか いうことあってでタスクシュートはそこを根本的に引き受けてないので
だからそこを引き受けるということはそれは私じゃなくてもいいのかもしれないけど 私はやる
なんだろうなこれはなやるべきなんじゃないだろうかと今は思うようになりました ってところがあります
パラノイックが全てではないですよ全然そうではない 今むしろ僕はタスク管理系からの話になって少なくとも僕とタスクシュートの名前を知ってるって
方に一番訴えたくなってきてるのは罪悪感ってことだなっていう感じがしてきてはいます 罪悪感というものの取扱いも仕事で絶対出てきちゃう上にすっごい
事実をただ客観的にたとえ時間の記録であれ行動の記録であれ スナップショットであれ事実は捉えられてないと仮に事実をそれそこで捉えても結局それを
人の心を通じて見てしまう以上は同じように主観 主観でしかないと思うんですよね
7時41分にこれを開始しましたというのは事実としてはそうだけど 7時41分には既に僕の心の中で意味を持っているんで
やっぱり純客観とは到底言えないと思うんですよ 事実の記録がそこに残ってたってそれを捉えた時にはもう主観化されていて
でこういうののこういうのしかないわけですから私たちの心の中には やはりここにパラノイックなものがあれば
当然その4時41分になっちまったのは今日雨が降ってたせいだし そもそもあいつが悪いからみたいになってしまえばなってしまいますからねすぐ
なってしまえばどうにもならないそれを自分でそこから離れられるかって言うととんでもない ことだと思うんですよ
無意識にこれ働くんで意識的に働いている部分だ今日 あの否定してみたところで無駄なんで
無駄だということ僕は自分の人生でもそうですし私の肉親がずっとそれを僕に言い 続けてるからよくわかるし
ああ言ってもこう言ってもそう言ってもまあマイナスああ言ったマイナスそう言ったマイナス こう言ったで全部だからどれほど私の方がその私の妹に善意で
で以外何もんでもないでしょうこんなのを持っていても真っ黒だってことになるんですよ ね
なるんだと結局のところ何3時間かけて言って天気の話をして3時間かけて帰ってくるのが ベストなんだと
まあ山崎さあたりにはそう言われるわけですがいやーそれはストイックだよなやっぱりな 精神分析本当に楽しいんだろうがこれ今日やるんですよね
あのイベントが私は見ます あの精神分析が楽しいと思いたいみたいなそういうのもあります
あの 石を見つめて座禅を組みなさいみたいなニュアンスになっちゃう山月
フェニロフさんは正しいと思うんだけどなんかこう人の話を聞いて 見つめているんだみたいな感じで外車とかに乗っちゃダメなんだみたいなでも藤山さんは
多分会社とか平気で乗っても全然いいんだぐらいなノリだと思うんですけど私はどっち もその通りだと思うんですけどね
でもまあ私はどうせ会社買えないし えっと滝に打たれる木も滝に打たれなくなる時ありますけど滝に打たれるも多分この悩みは
解消されないな一向にと思うし やっぱり3時間かけて天気の話をする
ただそれが楽しいかって言うと今のところ楽しいと思うのは至難の技ですね なんかこう苦しいというのとも違うんですよね
まあ一言で言うと虚しいなんですけど でも多分虚しくはないんだろうなぁと思うんですよね
今回あの繰り返しになりますけど宮下宮川佐藤さんのあれは良かったですね 名前のない病気
あれは大変良かったです最後が希望になっているところが実にびっくりでした あの行天だなという感じでした
最後までこう普通そう漫画終わるんですよねやっぱりね どーんと暗くなってだってそれはリアルだからってことなんだと思う
でもあれはリアルなんですよね多分ねこのままでいいんだろうかって彼やっぱり問い直したところ がすごいんですよね漫画書きながらですよね
普通こうはならないですよって編集さんも言ってたし私もそう思ったんですよ 普通こうはならないだろうと
現に私と私の肉親の関係は全くそうなる気配も予兆も何もないんですよね ただただ絶望しておくより他仕方ないだろうぐらいな感じがするんだけど
いやでもまあせっかく山崎さんに天気の話をしましょうとは言ってない
彼は別に他にできる話ってそうそうないよねぐらいなノリでしかないんですけれども まあそうなんですけどね
だからこう k はマイナス k だからどうしようもないんですけれども
ねほんとねお金のことって難しくてお金は 国がくれるべきなんだって言われてしまえば
お前は反革命なのかみたいなこといや反革命とかじゃないんだけど 革命起こる気がしないじゃんっていうか革命起こっても困るしっていうかとにかく
なんかリアリティが何も感じられないんですけどっていうことは言えないわけですよね だから国が配るべきなんだって言われて私のような人間には国は
よくに多く配るべきなんだって言われて大変なんだからそれはそうなんだけど 国くれる気がしないだから革命だって言われると
革命とかなんか全く自分が革命向きな タイプだとも思えないって言うと昔のあの
怖いですよねある意味ロシアとか反革命分子めって言われていきなりそこで殺されるっていう どんだけこのあの
そこにはパラノイック的なものではなかったんだろうっていうそんなこと今更考えてもしょうもないことだと思うんですけど
日本でもだから世の中がうんと貧しくなればそういう空気ではできると思うんですよ 日本でも結局その全く逆のように言われてたけど
私あれは全く同じ軸だとそういう言い方すると怒られるかもしれませんけど まああれですよね一番突出してたのが226みたいなやつだと思うんですけど
でもあれは革命だったんだろうなって思うんですよね であそこまで行くとリアリティがないというのでは済まされないわけじゃないですか
気持ちの上ではそういうことなんだろうなって思うんですよ 辛い苦しい誰も助けてくれないっていうことになってきた時にはですよね