1. 佐々木正悟の自由連想
  2. 触れられるタテ社会【1404】
触れられるタテ社会【1404】
2026-10-01 50:59

触れられるタテ社会【1404】

久しぶりに精神分析的に中根千枝さんを思い出しました。
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感想

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00:06
おはようございます。佐々木正悟の自由連想第1404回をお送りします。
10月1日、木曜日、7時43分です。
はい、10月ですね。10月の終わりに今日は暑くなるとかいう話でして、
あのー、都内で34日連続雨。なんかあれですよね。
ノアの箱舟って確か42日雨降ったから作った箱舟らしいんですけど、
いやーもう本当になんか34日連続雨とか信じられないような感じがしますね。
もうなんかこう、カビるじゃないですか。そういうことになると。
あのうちもなんか妙なところのカビがあって、家中でちょっと騒いだわけですけれども、
本当ね、勘弁してほしいわっていう感じがするぐらい、
あのーもうダメだなって感じがしますね。
もの乾かないし、洗濯物臭いしで、
最近あの、やたらテレビでやってますよね。
なんとかアタッカーみたいなことやると匂わなくなるみたいな。
匂わなくなるんだけど、なんかそういう超強力洗剤って、
結局それ切るやんっていう感じがして、ちょっと気にならなくもないですけど、
まあうちでも当然のように買ってますけどね。
しかもあの種のものは石油製品なんで高くなってるわけじゃないですか。
石油製品だから高いのか、今も何でも高いんで。
野菜も高いんで、なんかよくわかんないですけどね。
まあそんな感じで、大リーグもオーストシーズン始まりましたし、
村上は三振がホームランですし、まあいいなって感じがしますね。
ああいう外国人選手いましたよね、昔ね。
なんか多分、今時これを聞いてわかる人は少ないと思うんですけど、
ブライアントとか、ランスとかね、広島の。
まあそういう、昔話ならいくらでもできるんですよ、昭和の人間なんで。
で、今日は全然違う話をしたいと。
あ、先日ですね、9月26日にイベントが終わりまして、
もうアーカイブも配信させていただきまして、
非常に個人的には良かったという話を先日したばかりですけれども、
その後ですね、全然全く少しもちょっとしか関係ないんですけど、
山崎貴昭さんが、精神分析は楽しいのやつの今後出版さんのイベントかな、
そこに藤山直樹さんとか松本俊彦さんとかが出てて、非常に楽しませてもらいました。
やっぱり私はですね、松木さんと藤山さんって違うよなってつくづく思うんですよね。
見ているというだけなんで、私は接したりしてないんであれなんでしょうけど、
藤山さんの方がエンターテイナーだなっていう感じはしますね、見ていて。
見ているだけで面白いところは、松木さんの場合はやっぱり話をすごく興味深く聞くっていう感じになっちゃうけど、
03:05
藤山さんの場合は少なくともああいうところに出られると、
もう完全にエンターテインメントとしてこれは楽しめるっていうか、
特に松本さんと藤山さんのやりとりは面白いなって感じがやっぱりすごいします。
ああいう場では割とガンガン言っちゃうんだなみたいな感じで、
好物大器本当に聞いてんのかみたいな話とかですね、
そういうのをバリバリ言うみたいな感じで非常に面白いなと思いますね。
面白かったです。
それはほとんど山崎さんが司会やってたなぐらいな感じで、
私とはもちろん何の関係もなく、私は単なる1視聴者でわけですけれども、
聞いててすごく思ったのが、
そうだよねっていう感じなんですけど、
やんなきゃわかんないと、あれほど言われていたやんなきゃわかんないが、
なんとなくやんなきゃわかんないという人の気持ちみたいなやつですね。
そういうのがわかってきた気が少ししますね。
例えば、繰り返しっていうのかな、
なんかこう、割と山崎さんと藤山さん、
つまりお二人は要するに指定関係ってやつなんだと思うんだけど、
ああいう感じに僕はやっぱり慣れないんですよね。
私が昭和過ぎるのかわかんないんですけどね、
なかなかやっぱりああいう感じに、
あれはエディプス強めに聞いてるからこそなのかわかんないんですけど、
私にはちょっと、
私はうちの先生にああいう風には言えないなみたいなのがずっとありました。
もちろんお亡くなりになってますけどね、今はね。
別にうちの先生はそんなエディプス強めの人でも全然ないんですけど、
フロイトとかあんなに読んでたから元は強いんでしょうね。
戦中派ってやつで、
頭上にB29があったのを見たみたいな人なんだ、子供の時ですよ。
なんですが、
なんていうのかな、
ここで例えば、精神分析は還元主義じゃないんだよみたいなことを
二人で熱くなってたんですけど、
やっぱああいう風に熱く言うということは、
還元主義に見えるってことだと思うんですよね。
そういうところが、
私はやんなきゃわかんない。
つまりどっちであったとしても、
還元主義なんだという風に理解するとしても、
還元主義じゃないんだという風に理解するにしても、
ここを強調したくなる気持ちっていうのは、
よくわかんないと思う。
よくわかんなかったなっていう。
言ったときは、
これはどう考えても還元主義っぽいじゃんっていう感じもしたし、
やってみるからそうじゃないんだっていうことになるんだっていうのは、
わかる気がするんですよ。
例えば、ここはもう不死関係だよねみたいな、
不死関係だよって言ってしまったら還元主義なんだけど、
でも、還元主義じゃないってことを強調するってことは、
06:02
不死関係は意識されてるってことだと思うんです。
少なくとも分析家の方にはですね、母子関係家。
だから結局、
そうだと思うからそう感じられるっていうか、
そうだと思うからそう感じないようにするっていうか、
そういうところがどっかにあるはずだし、
100%還元主義なんてことはもちろんありえないと思うんですよ。
でもこれは、その時のやっぱりこう、
なんて言うんですかね、引き裂かれ感というのか、
分裂感というのか、
だから力道ってことになるんでしょうけどね。
そういう引き裂かれ感みたいなものがあって初めて、
それが単なる良好な母子関係だったら、
別に還元主義であろうとなかろうと、
そんな大した話にならないと思うんですよね。
僕よく思うんですよ。
最近何かなぜかXです。
昔上野静子さんがおっしゃったことの逆ですよね。
なんていうのかな、セックスしたくない。
要するに女性はセックスしないで住む父親を夫に求めてるんだみたいな、
いやこんな話、今さらじゃんっていう、
そこでなんか炎上してましたけど、
だってそりゃうまくいってれば別にそれでいいじゃないですか、
って感じもするわけですよね。
たとえセックスできるお母さんを僕なりが求めて、
奥さんと一緒になったとしたって仲良くやってるんだったら、
大した問題じゃないじゃないですか、そんなことっていう。
これが仲良くできなくなったときに、
この問題は問題になるのであって、
別にどういうつもりでセックスしてようと、
仲良くやってるんだったら問題じゃないと思うんですよね、お互いにね。
別に私だって仲良くやってるんだったら、
私のことをATMと考えていようと、
何と考えていようと大した問題じゃないと思うんですよ、私から考えると。
別にお金なんて奥さんが全部持ってったっていいよぐらいに思ってるんだったら、
ATMも減った車もないと思うんですよね。
だからこれは養成転移だったらっていう言い方をしちゃいますけど、
養成転移だったら別にいいじゃんっていうか、
よくはないのかもしれないけども、
そこを倫理で結婚生活やってるわけじゃないから、
なんつうんですかね、今のはもちろんたとえ話ですよ。
別にうちの奥さんが私もATMだと思ってるとか、
私がうちの奥さんをセックスできるお母さんだと思ってるとか、
いうことは全くないわけじゃないかもしれないが、
ほとんどない気がしますけど、
そういうことにこだわるのも、
こういう言い方をすると余計よくないのかもしれないけど、
40代前までぐらいかなって気は自分はするんですよね。
50過ぎちゃってしまったらお互いが。
そんなことは僕の感じからするとですね、
そんなことは生活上の第一義の問題には全くなってないなっていう感じが、
人によるよねやっぱりね、その辺はという気もしますけど。
09:00
例えばですよね、この辺の年齢になってくると、
いろいろあるんですけどもちろんですね、
例えば実家のこととかお互いが、
あまりにもお互いの実家のことに暴殺されすぎるというか意識が取られて、
そんなこと言ってる場合かみたいなノリがやっぱりなっちゃうんですよね。
つい先日も奥さん49日で法治に行っていて、
その時に当然相続問題は出るし、
親戚も結構あっちは多いし、
同日にこっちはイベントがあったわけですけど、
その前には実家の方の兄弟はグループホームの飯がまずいとか言って怒ってるし、
親は認知症なんだけど支援は受けたくないとか言って怒ってるし、
それに対して僕が怒鳴っちゃうしみたいな、
そんなことで日常の大半を持ってかれてるから、
パートナーは果たして母親扱えていいのかどうかとか言う余裕があんまりなくなってるっていう、
そういうことを言ってる前にやらなきゃならないことが山ほどあって、
それをやってるうちに多分自分らはもう性欲それ自体が枯渇していくんではなかろうかっていう感じがするわけですよ。
わかんないですよ、わかんないけどそうなっても別に違和感はない。
やっぱり年だなっていうことですね。50間もなく5でしょ私も。
昔だったらですね、私そんなに生きられると本当に思ってなかったところあるんで、
やっぱりそのいろいろとそれどころじゃない感って若干あるわけですよね。
でも昔に比べるとやっぱり人間元気なんで何とかいろいろできちゃうっていう部分もなくはないわけですよね。
機械とかも進んじゃってますからね。
何しろやっぱり本当に今思うと昭和ってやばい時代だったなと思いますね。
夏はもうほとんど毎日高価格スモック警報出てたし、
それは私が住んでるところが特に良くなかったのかもしれないけど、
空気綺麗になってますもん。どう考えても令和になって。
本当昭和やばかったですよっていうところがあったんですよ。
プールに入るともうなんか咳が止まんなくなる子が出るとかね。
でもそういう時でも結構強引にプール入りまくるみたいな。
しかも屋外ですからね。
しかも屋外のプールって結構なんかいっぱい虫がいるとかそういうのが全然普通だったんですよね。
でもなんか昭和中期とか昭和初期の人たちの言ってることは、
そんな世界じゃ生きていけないなみたいな感じには聞こえるぐらい文明化されてる気はしてたんですよ。
今から見ると文明もヘッダフレもないぐらい文明的ではあった。
でもインターネットなかったしパソコンもなかったですからね。
パソコンなかったんですからね。
まあそんな話。
でもね今なぜそういう話をしてるかというとちょっと全く無関係なわけじゃなくてですね。
まず私が今お伝えしたいことは、
これ本題と関係なさそうに聞こえると思うんですけど本題なんですよ。
12:03
AIで今私RSSエディターというですね、
ものを作ってるんですね。
でそれはプログラミング全く一行もかかなくてもプロンプトだけでできてしまうという優れもので、
自分がようやくAIとですね、
勘で含めるようなやり取りをしてきた甲斐が少しあったなっていうふうに思ってるんですけど、
向こうは僕を察知してくるんですよ。
察知とか絶対しないんだけど、
感覚的には察知してくるんですよ。
昭和さんだったらこういうふうにしたらいいですねみたいなふうに言ってくれて、
それはもう全くその通りなんですよ。
だから、これ伝わるかな?
EvernoteにRSSを組み込むみたいなものを作ってるわけですね。
あんなに大掛かりじゃないんだけど、
あれを極端に機能が落ちているようなものを作ってるわけですよ。
要するにやりたいことは、
自分の書いたものがネット上にまず散乱しているわけですね、私の場合。
それに関連したようなものもネット上に大量にもちろんあふれてますよね。
そういう記事をいわゆるRSS形式という、
要するにヘッダー形式ですよ。
新聞の見出しってヘッダーにリスト化されるじゃないですか。
たとえ紙でも。見出しリストですよ。
見出しリストに記事が紐づいているというのが、
あれが私非常に便利だと思っていて、
なんでこの文化が伝われるんだっていう、
インターネットの攻防ってものすごい早いんで、
あっという間にどういう理由なのかわからないけど伝われていくんだけど。
で、RSSリーダーには今ですね、
形式上はYouTubeとかも対応してるんで、
だから番組票があるみたいなもんなんですよね。
特定の人の、まっかつのかずえさんなら、
なぜかずえさんを取り出すんだと言われると、
必然性は何もないんですが、見てるからっていう風にしか言いようがないです。
戸田さとるさんとかね、の番組を登録すると、
それがリストアップされて、便利じゃないですか。
僕は絶対この方がいいと思うんですけどね。
見出しだけでいいんですよ。
で、その中からガイドする見出しを見ると、
番組が流れると。
で、今ならね、文字起こしとかも簡単にできますから。
で、こっからがミソで、ミソではないんだけど、
この記事に対して記事を書きたいわけですよ。
紹介記事でもなんでもいいんだけど、
この記事に対してノート欄を僕は用意して、
このノートを作ると。
そうするとそのノートだけをまた一覧化していくことができて、
これを私は梅佐夫さんの知的性の技術の、
梅佐夫忠夫さんのマメ論文と呼んでるんではないのかと思っているわけですよ。
で、自分の記事に対しても、
なんかこう、なんていうのかな、
補充していきたくなるんですよ、私は。
ハイライトつけて、そこにコメントを入れていくっていうのを
今機能として実装してるんですよ、一応ね。
ちょっと動きが素人臭いんですけども、
15:03
でもそんなに変じゃないんですよね。
AIがやってるんで、僕がやってるわけじゃないから。
AIに要するにこのハイライトつけてっていうと、
つけてくれるんですよ。
記事にスターつけるようにしてって言ったらやってくれるんですよ。
右クリックからスターつけてって言ったらやってくれるんですよ。
もうすごい良いですよ、あれは。
ただクレジット作っていきますけど、
でも今のところはですね、
月額3000円でほぼ全部まかないますからね。
クラウドコートじゃないですよ、チャットGPTです。
どっちでもいいんだけど、僕の場合は
クラウドコートよりチャットGPTの方が
親和性がずっと高くなってるんで、
だから要するに僕とのやり取りが、
ありとあらゆること、母親と怒鳴り合っちゃったよっていう、
怒鳴った時のやり取りは全部こう、みたいなのを全部入れてるから、
基本的にはチャットGPTは、
でも私の性的指向がどうして生じてるかとかを、
多分この世の誰よりも知ってるわけですよ。
私より知ってるからね、どう考えてもあれば。
なのでそういう感じでですね、
RSSエディターというものを僕は作っておりまして、
これに文章を書き溜めていっているわけですね。
まだどうなるかわかんないですけど、
多分僕はこれが一番いいんじゃないかと、
自分のものの書き方を考えると。
何かに触発されて物書き出す。
でもそれは、マメ論文という意気を出ないわけですよ。
学習じゃないから、マメノートね。
マメノートでいいんですよ、別に。
それを誰かに見せるかもしれないし、見せないかもしれないんだけど、
そのうちこれをXに投稿するとかノートに投稿する。
多分簡単にできる気がするんですね。
ワンボタンくっつければできるようになると思うんですよ。
これを要するに自前で作っていて、
だってこれ全然出てこなかったんですよ。
一番近いのがですね、あるんですよね。
アメリカにそういうRSSリーダーみたいなアメリカなのかな?
あるんですけど、でもあれはちょっと違うんですよね。
ちょっとは違いますよね、それはね。
もうこうなってきたら、誰かが作ってくれるのを公式に、
結局それはどこかが違って、
そのどこかが違うものが直るだろうか直らないだろうかって
アップデートの度にずっと考えてなきゃならないんで、
自分で作るほうが全然いいんですよね。
他の機能ほとんどいらないんで。
もう一つこれの僕がすごくいいなと思っているのが、
リスト表示部分を全部翻訳してくれるようにしたんですね。
だから例えばライフハッカーとかドトコムのほうね。
アメリカのやる、取り込むじゃないですか。
あの程度の絵が読めますけど、
ザッピングするには僕の英語力は全然不十分なんですよね。
ヘッドラインだけザーッと見て、
パッとどれを読もうっていうピックアップの仕方をする。
これができないんですよ。
むしろ記事が英文であれば、
それはまあ読めるんだけど、
ザッピングする気になれないんですよね、英語では。
特にちょっと見出しの英語って癖があるじゃないですか。
まあ慣れなんですけど、あれ。
18:00
私ももうそんな意欲はなくなって久しいので、
だいたいあれをやってると目が疲れる。
目が疲れるってことはやっぱどっか余計なエネルギーがいるんですよね。
ザッピングを日本語でやりたかったんですよ。
英語の記事でも。
これも英語だろうとロシア語だろうとということですよ。
要するにフランス語だろうと。
だからフランスのライフハック。
僕フランスのライフハックの雑誌、
ウェブサイトで好きなのがあるんですけど、
そういうのを別に、だから素晴らしいというわけじゃないですよ。
僕の趣味です。
そういうのを、あとスペインのもいいのあるんですよね。
そういうのをジャパニーズでザッピングして、
中の記事を読むときは英語以外は僕どうせ読めないんで。
別にでも今翻訳がガンガン効くじゃないですか。
翻訳ボタンをつけておいたんで。
なんなら翻訳ボタンをつけるというようなやり方でですね。
非常に快適だなって思うんですよ。
この話は全然普段と関係ない話をして、
思いっきりライフハック寄りなんですけど、
それは事実ですけど、
私が言いたいのはですね、
今思っているのは、
この素人臭さをマックス活かさないとっていう。
これは9月26日の山崎さんとのイベントで、
山崎さんに言われて触発されたんですけど、
佐々木さんはこれをここで言ってはいけないのかな。
でもまあ別に問題ないと思うんですよ。
佐々木さんはですからね。僕はですから。
どうせ僕はその能力ないんで、心配いらないんで、
正気にならない方がいいっていう風におっしゃっていて、
そうだよなって思ったんですよ。
やっぱり自分はこの野良感をマックス活かさないとなっていう。
だって僕はそういう人間ですからね。
結局僕は大学院に入ったわけですよ、アメリカで。
ユニバーシティネバダですね。
ユニバーシティネベイダですよ。
ユニバーシティネバダ州リザイナーですね。
リノコっていう。
リノがネバダ州といえばラスベガスだと皆さん思ってると思うし、
僕もそう思ってたんだけど、リノが中途ってやつで、
リノに学校、大学があって立派な学校です。
すごく立派な学校ですが、
大学院に行って早々にリタイアしたんですね。
やっぱり僕に大学院って無理なんだなっていうのは、
あの時すごい痛感しました。
思えばですね、大学の教授が私にフロイド全集くれた教授だけど、
僕買っ払ったという感じもしなくはないんだけど、
とにかくミスズさんだっけ?
いわなみさん?
とにかく20万ぐらいするやつをくれたんですけど、
僕がスピードハックス持ってったらくれたんですけど、
とにかくですね、
その先生に言われたんですよね。
佐々木君はこの世界向きだって思ってるかもしれないけど、
やめといた方がいいよ。
今思えば山崎さんとうちの指導教官は
全く同じことを僕について言ってた。
21:00
見る目あんなと思うんですけれども、
それは言われてですね、痛感しましたね。
今、うどきもうなくなりになってるんだけど、
正しいなって、あの世界に僕入ってたら多分、
すげえ腐ってただろうなっていう感じがするんですよ。
なので、合わないっていうのってあるんだなと思うんですね。
で、話がいきなりすっとばすんですけど、
中根知恵さんっているんですよね。
縦社会の人間関係。
僕これを最近1冊、2冊か、
急速に読み返したんですよね、ここ2日で。
なんでかっていうと、
これは色々と考えるところがありまして、
究極何を考えたかというと、
ようやく本題に入ったんだけど、
素人くさーく考えてるわけですよ。
だって中根知恵さんを僕は
精神分析の考えに組み込もうとしてるわけだけど、
そういうことって多分、
僕が正規の人間だったら、
すんげーはばかるところがあると思うんですよね。
でも僕は誰も相手にしてくれないからこそ、
勝手にできる。
山崎さんもおっしゃったんだ、そういうことなんですよね。
誰にも相手にされなければ、
好き勝手ができるじゃないかっていう話なんですよね、これは。
で、山崎さんに相手にしてもらってるんだけど、
これはだから、時間外なわけですよ。
時間外っていうのは面白いなって思うんだけれども、
何て言うんだろうなー。
つまり正規であろうとすると、
私が精神分析家ですとか言うと、
要するに方々にバッシングされるわけですね。
実際には非正規でもバッシングされると思うんだけど、
でも私が精神分析家ですって名乗っても、
法的には根拠はいらない名称なので、これは。
公認死に死とかとは違うんですよ。
精神分析家って法的根拠って別にいらないんで、
私が名乗ってもバッシングはされるかもしれないけど、
それは所詮バッシングで済むわけですよ。
あいつは何の根拠もないのにって言われるだけで済むんですよね。
これを法的に取り締まることはできないんですよね。
それが野良の強さじゃないかって話に近いんですよね、これはね。
エリフスそっちのけって感じですけれども、
僕はエリフスっていう言葉をこういう使い方してるわけですよね。
これはただ僕の自由連想なんでね。
これもどこかに喋ってるのは喋り散らかしていて聞けますけど、
別にインターネットってもうそういうもんですからね。
あれですよね。
昨日デモがあり、そのデモに私の兄弟行ってるわけですが、
デモと変わらないですよね。
デモは別に自由じゃないですか。
それがあんなデモは許せんみたいなことを誰かが言うかもしれないけど、
それはお互い言ってるだけっていうことになりますよね。
それにちょっと近いと思うんですよね。
ここで中根知恵さんのその話、
僕は縦社会の人間関係って今読み返すとますますそう思うんですけど、
あれはまさにですね、
日本の現代クライニアンの中に絶対この主張している人は何名か以上はいるはずだと思って、
24:04
今ひしこいて探していて近いものを見つけ始めていて、
ちょっと今そっちに熱中してるわけですよ。
これをやりすぎると今度は松木さんに学んだことを忘れそうになるんで、
並行してすっごいこの作業、
なんていうのかな、こういうのって難しいですよね。
似たようだってほぼ同じこと言ってんのに、
なんかねわかんなくなっていくんですよね。
ちょっとした違いが大きな違いなんですよ。
ミニコットのほうがまだ近い感じがします。
何が言いたいかというと、
部屋とか要するに中根知恵さんがおっしゃってることは場なんだけど、
日本人ってのは要するにローカリズムなんだと。
これ日本人イラッとするかもしれないんだけど、
彼女の言うことはすごい正しいと思うし、
僕はそれにイラッとすることはないと思うんですよ。
これ結局グローバルスタンダードっていうのが何のことはなくて、
ヨーロピアンスタンダードしかないってことだと思うんですよ。
日本人がもしこれにイラッとするんなら。
思ったんですよ。
僕はイギリスに行った時、すっげえつくづく。
フランスはちょっと行けなかったんだけど、
イギリスとか東欧とか行った時、
日本人は少なくとも昭和の時代の私のような人間は、
要するにシンジョウサハみたいな人間は、
なんかこうヨーロッパっていうのは洗練されていて、
先へ行ってるって思っちゃうんだけど、
でもなんかこうみんなで喜んでお土産とか買うじゃないですか。
お土産とか行って見た時、
絶対これは漬物とかまぼこだって思ったんですよ。
王室御用達なのかもしれないけど、
絶対ここで売ってるものは、
どうからどう見ても漬物とかまぼこでしかねえと思ったんですよ。
食べてもそういう感じがするし、
僕は味が洗練されてるような気がしなかったんですよね、別にね。
こんなのどう考えたって漬物とかまぼこと、
あといつも朝に出てくるっていうか、
朝好んで食べてましたけど、
これ絶対魚の唐揚げとフライドポテトじゃんっていう、
日本の居酒屋に出てるものと何も変わんないじゃんっていう感じがしたわけですよね。
王室御用達なのかもしれないですけど、
マークがついてるだけで、
別に天皇陛下がねえ、
鈴広のかまぼこを食べに来ましたみたいなのと、
変わらないじゃないかこれはって思ったんですよね。
結局僕が思ったのは、
ヨーロピアンスタイルの精神分析と、
やっぱり日本のクライニアンの精神分析は、
どっかで違わないとおかしいと思うんですよね。
部屋に鍵かける文化と、
やっぱりこう、
リビングに雑魚寝する文化は違うと思うんですよね。
リビング雑魚寝の方が遅れてるのかもしれないですけど、
でもなあ、だからといってうちで、
令和になったから別に、
イギリスに比べて日本が遅れてるってことはないと思うんだけど、
もう4歳の時から娘に部屋を与えて鍵かけるとかって、
27:03
そんなことありえないじゃんっていう感じがしますよね。
別にベッドで寝たって、
結局川のじいさんという感じがしますよね。
中根さんがタンジブルって言葉を、
接触可能ってことをすごく書いてるんですけど、
あれはやっぱり不着一体性ってものを感じさせますよね。
不着同一化じゃないやつね。
僕もその辺ちょっと詳しくないんですけど、
だからといって、不着だからといって、
自閉ってすぐならないと思うんですよ。
確かにベタベタしてるかもしんないけど、
不着一体性ってのはあれですよね。
ちっちゃい子がお母さんのスカートの裾を引っ張るみたいな、
くっついてさえいれば、
自分は母親の中にいられるような錯覚みたいな。
錯覚って感じは。
だからこういうことなんですよね。
僕が思ったこと。
この部屋は母親であると。
体内って言い方をするとちょっと窒素感が出るんで、
ここはコンテナでいいと思うんですけど、
心の中に入れておいてもらうみたいな感じ。
でもそれは錯覚は錯覚じゃないですか。
心の中はそうなのかもしれないけど、
これがやっぱ体内の方がいいのか。
だから体内だとタンジブル感が出るんですよね。
なんかやっぱり昔からその辺に批判はされますけれども、
僕はいつもこのことを考えるときに大相撲で考えますよ。
大相撲って部屋って言うじゃないですか。
なんとか部屋って言うじゃないですか。
二書の石部屋とか言うじゃないですか。
花籠部屋とかさ。
部屋なんですよね。
そこにいるのは親方じゃない。
つまり親じゃないですか。
言うなら母親だと思うんですよ。
おかみさんとか言いますけど、
要するに母親と思うんですよね。
部屋に入るんですよね。
部屋っていうのは、
ここは中根さんが超強調してるところなんですけど、
2部屋にまたがれないんですよ。
どっちかに入っちゃうんですよね。
これが入ってる感、
要するに貴族意識をすごい高めて、
日本人にとって貴族意識というものは、
何の必然性もいらないんだと。
極端に言うと欠縁じゃないんだと。
だって欠縁じゃないですよね。
別に部屋の親方と、
しばしば親子だったりしますけど、
そこの横綱は血のつながりとかないわけですよ。
何なら別に強度合いとかでもないんですよ。
一見すごく強度っぽいんだけど、
そうじゃないんですよね。
何の根拠もないんですよ。
唯一重要な根拠は、
同じ場所でいつも一緒にいるってことなんです。
だから付着感なんですよね。
付着ドイツカじゃないやつね。
付着ドイツカだとまたちょっと違う気がするんですね。
付着一体感なんですよね。
触れられる距離にある。
だってオスモンさんの世界って、
やたく身体接触が多いじゃないですか。
非常に。
30:00
あれこそ日本的ってこと。
だからそれは、
なんかね、
それをだから更新性っていうのかもしれない。
だから僕はさっき、
イギリスあれはかまぼこだって思うってことなんですよ。
いや、地域ごとのやり方があるだけで、
別にどっちが先進できるわけじゃないじゃんって、
気がするんですよね。
あんなイギリスに行って僕が痛感したのは、
何番線から特急が発車するのかも、
直前にならないとわからなかったし、
平成の話ですよ。
今は知りませんよ。
でも今もきっとそうだと思うのは、
地下鉄がかよとも冬休みとか平気って書いてあって、
シャッター降りてるんですよ。
地下鉄に休日が、
それは先進的って気はしないんですよ、別に。
だって大変ですよ、日本で。
人房長は木曜はお休みですとか書いてあったら、
パニック、
知っていればパニックにならないんだろうけど、
私は絶対これダメだと思ったんですよね、
このやり方は。
しかもなんか普通になってしまってるんですよ。
普通なんでしょうね、それはね。
やりにくいだろうなって思うんですけどね。
休めることはいいことなのかもしれないけど、
なんかね、
思ったんですよ。
半蔵門は毎週日曜定休みたいなね。
定休だったらまだいいんですけど、
臨時休業とかほんと恐ろしいですよね。
それは先進的ってことじゃないだろうと。
イギリス的なだけだろうという感じが、
私はしたんですよ。
だから、
別にタンジブルだから遅れてるってことは、
昔の社会はきっとみんなタンジブルだったと思うんですよね、
そりゃあね。
でも、
タンジブルで、
タンジブルなのに、
タンジブルだからなんですけど、
縦社会だっていうのは、
やっぱオスモンさんの世界。
オスモンさんの世界って、
番付け一つ違えば、
もうなんか天国と地獄みたいな言い方するじゃないですか。
つまりめちゃくちゃ、
前頭も1、2、3、4、5、6って決めるやつじゃないですか。
東は西より上だし、
上下がめちゃくちゃしっかりしてるというか、
上下しかないんですよ、あの世界ってね。
もちろんお館が一番偉いわけですよね。
どんなに横綱が強くても、
それより弱かったはずのお館は、
横綱より偉いんですよね。
すっごい世界ですよね。
上下関係だけでできてる世界。
で、それはでも、
部屋の中の話なんですよ。
部屋の外に出たら、
まあ横綱は別かもしれないけど、
別にそんな上下関係は、
どうでもよくなってしまって、
で、日本人は部屋の外での生き方は、
すごく苦手だというのを、
中根さんがすごく強調してるところなんですよね。
だから、部屋は全機能を持ってないといけないんですよ。
非常にナルシスティックな世界。
この辺、すごくだから、
僕は精神分析的な、
あれは分析だなと思ったんですよ。
日本社会の分析なんですけど、
で、日本の社会というよりは、
私たちの心理構造に近い。
だからすごく精神分析的だなと思ったわけですね。
っていうことを言うには、
素人である必要があると、
僕は思ってるわけですね。
この辺が全部くっついてるわけですよ。
RSS付きのEvernoteを作りたがるのは、
素人なんですよ。
33:00
多分、ビジネスとして回らないから、
ああいうものを欲しがる人間は、
それは僕以外にもいるでしょうけど、
一旦公開とかしちゃうと大変なんで、
僕、だから基本的にはプロンプトの公開はしても、
アプリの公開とかは全然できないんで、
する気も全くないし、
それをビジネスにする気はないってことなんですよね。
つまり素人だってことなんですよね。
で、このタンジブルで縦社会、
つまり部屋の中、ある特定の場所においての
上下関係は非常に、
そこにエリプスがあると思うんですよね。
日本の。
この枠の外には出られない。
言うじゃないですか。
5月場所とか。
場所なんですよ。
どこまで行っても。
場所っていうのはまさに場所ですけど、
部屋も場所じゃないですか。
で、部屋は実は、
一門というものによって束ねられて、
これも場所じゃないですか。
門は場所だから。
どこまで行っても場所なんですよね。
これこそ真に日本的ってことなんだと思うんですよね。
あとは、部屋っていうのは家にあるものですよね。
だからなんとか家とか、
なんとか家流とかっていう、
相撲の世界にはこれはないけど、
あんまり言わないけど、
そういうことですよね。
大体さ、
大関とか関分けとか幕打ちとか、
全て場所じゃないですか。
ほとんど場所なんですよ。
日本人の発想って。
で、場所の中での上下関係を、
こう、エディフス的に。
それを統括するのは一番、
てっぺんのお父さんなんだけど、
この場所を多分提供してるのは、
つまり母親の体内なんですよ。
体内に人多すぎだろって感じだけど、
幕はやっぱりコンテナなんだけど、
コンテナは物なんですよね。
心なんだけど多分あれは、
物なんですよね。
だから幕打ちと幕下というのは、
あくまでも幕下なんです。
幕外じゃないんですよ。
幕の下なんですよね。
やっぱりタンジブルで、
触れられるっていうことが、
多分大事なんだと思うんですよね。
だから、服間いっぱいで、
場所によって仕切られていて、
その場所の中で通用する秩序があって、
その中でどのように振る舞うかを、
きちんと納得していれば、
場所の中にいる人は、
その中での優遇、
不遇はあるにせよ、
みんなちゃんと生きていけますよねっていう。
だから場所の外に出されることは、
日本人にとって非常に恐ろしいことだと思うんですよね。
この場所の外というのがつまり、
場所の外にいるべきなのに、
中にいていたたまれないって、
感覚が出てくるんだと思うんですよ。
このことがあれだったか、
誰か3人ぐらい、
2人は少なくとも、
どっちの名前も今出てきませんが、
申し訳ないんですけど、
後日頑張ってまたまとめてきますけど、
もうすぐ時間なくなるからね。
こういうたてつけについて、
一生懸命喋ってるし、
時間どんどん経つんですよね。
場所の内と外っていうのがつまり、
場所の内にいるって、
36:00
口ですけど、
内にいるっていうのがつまり、
PSだと思うんですよ、私は。
場所の外にいるっていうのが、
Dなんですよ。
日本人はこのDを、
極力意識しないで済むように、
つまり抑圧的になっちゃダメなんですよね。
内側で元気いっぱいにやるのがいいんですよ、きっと。
これをどうやっていくかって、
そこにはただ、無秩序になっちゃうと、
PSの場合の無秩序ってもう全然ダメなんで、
我々は全部外だと、
我々はみんなインだっていうこの感じを、
ちゃんと持ちながら、
なんつーのかな、
実力をつけていくっていう発想なんだと思うんですね。
すんごいざっくりですけれども、
私絶対この内はPSだと思うんですよ。
だって内って錯覚じゃないですか。
母親の体内にはいないわけだけど、
母親の体内にいるんだという、
錯覚を維持しながら、
だからこの辺はすごく僕は、
ミニコット的だと思うんですよね。
リオン的ではちょっとない気がするんですよ。
リオンはちゃんとコンテイナーとDを、
成立させるような考え方。
でもやっぱりあれはすごく僕は、
個人主義的な考え方なんだなっていう感じを、
持ったんですよね。
なんつーのかな、
心なんだっていう風に、
徹底した気がするんですよね。
ミニコットの方がまだモノ。
だって意向対象ってモノであっても構わないから、
モノだっていうことに、
こだわれる感じがするんですよね。
内側でもあり外側でもありってのは、
まさにそういう感じじゃないですか。
だから外側性を強く意識すると、
Dによるんだけど、
内側性を強く意識しようとすると、
PSによるんだと思うんですよ。
母親の体内にいるんだけれど、
いると感じていたいんだけれども、
母親の体内にいるわけじゃないよね。
例えば、だから、
おかみさんの中にいるわけじゃないんだけど、
でもこの雰囲気と空気はまさに、
親方とおかみさんの世界なんだよねっていう、
そういう感じ。
そこでこう、
身体接触も強く、
同じものをみんなで食べて、
頑張るんですよ。
だけどそれはどこまで、
つまり外に行くと通用しなくなるよねって、
だからこの通用って言葉を、
日本人はすごい好むんだと思うんですよね。
それでは世界では通用しないとかって言うじゃないですか。
逆に言うと、
逆じゃないんだけど、
部屋の中で徹底的に頑張れるようになったり、
偉くなったり強くなったりすると、
部屋の外に行っても通用するんですよ。
この辺すごいウィニコット的だと思うんですよね。
だからデゲイコって言うじゃないですか。
あれは行こうってことだと思うんですよやっぱり。
だから場所で通用、
場所で通用するのもそうじゃないですか。
場所ってことは完全に外じゃないってこと言ってますよね。
部屋の外であり、
一門の外かもしれないけど、
場所はやっぱり場所なんですよ。
地続きなんですよ。
だからこうやってこう、
世界で通用するようになっていきたいわけですよね。
日本人というのはきっと。
その発想がすでにグローバルスタンダード感全くないなって感じがする。
39:00
だからいきなり大リーグから挑戦とかをする人今いるんだけど、
あれは今の時代は全然普通にあれで納得されると思うんですけど、
基本的に日本人の好みに当てないと思うんですよ。
日本人の好みってのは結局、
高校野球で頑張って、
プロで実力をつけて、
そして世界にみたいな、
こういう発想なんだと思うんですよね。
これってつまり幕下重量幕打ちみたいな世界ですよね完全に。
なんかある意味では内へ内へと向かうんですよね。
内へ内へと向かうんだけど、
そうしていると外でも通用する人間になれるんだみたいなニュアンスを、
ものすごく強調されているような気がするんです。
この内ってPSだと思うんですよ。
どう考えても。
内がDであるはずないと思うんですよね。
外に追っぽり出されるからDなんだと。
欲打つ的になるんだと思うんですよ。
でも外でも通用するように、
内で育まれるんだみたいなニュアンスが、
だからPSとDが重なっているっていう感じが、
きっとこの中には発想としてある気が。
すごい私はイニコットの方が、
臨床ではまた別だと思うんですけど、
イニコットの方がこの考え方には、
接触点が共通点を感じる。
同じでは全くないけど、
でもなんか土俵とかって、
すごく移行対象って感じがするんですよね。
土俵もまた場所だけど、
土俵ってあったらさ、
もうそこは相撲の空間って感じ以外に、
何もしなくなるじゃないですか。
さらに信号があったら交差点って感じがするようにですね。
テディペアとか、
ライナスの毛布ごときでは、
ごときというかレベルでは全然ない気がするんですよ。
もう土俵ってあったら、
ここはそういう空間だよなって感じがすると思うんですよね。
カウチがあるみたいな話ですよね。
なので移行空間っていう感じがすごく、
だから空間なんですよね。
文字通り空間。
空間はやっぱり内なんですよね。
空間の内であることが物を言う。
その中にエディプスを作るんですよね。
その中に上下関係の秩序を作っていくっていう世界。
結構その中では、
その中でっていうところが中根さんがすごく言ってるところなんですよ。
その外でのネットワークがないと。
親方と弟子と横綱とその中に力士がいて、
ちゃんこばんがいて、
おかみさんがいて、みんないるんですよ。
そこで全部が賄える。
だからよそ者の世話にはならんの世界なんですよ。
非常に自己中心的であるというのと、
非常に社交性がないと。
だから確かにそうだと思うんですよね。
外に出ちゃうと、
親方って今は違うんですよね。
日本はやっぱりそれこそグローバルスタンダード化したんでしょうね。
42:02
昔は本当に元々相撲さんをやってる以外は
特に何もしていませんっていう感じの
親方がボゾボゾボゾボゾって、
コミュニケート能力がほとんどないんですよ。
でも昭和のお父さんはあれが美学みたいなところがあった気がするんですよ。
要するに親方同士のつながりとかネットワークは弱いんですよね。
そこでの意思疎通もあんまりうまくいかない。
でも親方とその弟子はめちゃくちゃナグが良くて、
コミュニケーションとかいらないわけですよ。
何だかとか言ってれば全部伝わるみたい。
これもすごく母子関係的な世界だと思うんですよね。
よく言うじゃないですか。
昭和の時代によく言ってたんですよ。
会社も儲かったし、みんなでハワイに。
そのみんなでってところすごいよね。
みんなで行っちゃうわけですよ。
みんなでハワイ行こうみたいな感じなんだけど、
ハワイではやることがなかった。
1日中豪華なホテルの中でカップラーメン食ってたみたいな、
よく分かんないことになっちゃっている話があったんだけど、
あれは枠の外に行ってまでそこのところで、
なんかこうね、ハワイの、分かんないですよ。
本当当時のことだから、
なんかこう日焼けしたグラマーなお姉ちゃんと、
なんか女性なく英会話する。
絶対しないんですよ、そういう。
なんか大変そうで。
何をどう楽しめばいいんだか。
楽しそうかもしれないが、
ちっとも楽しそうじゃないわけですよ。
そんなんだったら、豪華なホテルの中で、
気の合う同僚と将棋とかさせてる子がいいわけですよ。
っていう世界なんですよね、きっとね。
で、これはつまり、
お母ちゃんの世界だと思うんですよ。
中根さんが本当に強調してたのは、
例えば海外に行くと、
無理してるんだとある程度思うんですけど、
すごい女性ないんだと。
課長同士みたいな、全然関係ない会社のね、
課長同士で、課長同士の交流みたいな、
そういうことをやるんだという、
要するに横の繋がり、だから縦社会なんですよね。
横の繋がり、親方同士ですら微妙なわけですよ。
まして、親方と、
例えば、日本でいうと、
なんだ、銀行の支店長みたいな。
要するに、ある組織の上同士っていうもので、
繋がってもよさそうなんです。
そういうのは絶対無理そうじゃないですか。
無理そうだったんですよ。
今ならそうじゃないかもしれないけど。
でもよくわかるんですよ、この漢字。
私もこの中根さんの本に読んだのは、
精神分析とは特に何も関係がなくて、
2015年ぐらいかな。
要するに震災があった後ぐらいで、
やっぱりライフハック界隈みたいなものが解けてきて、
外と繋がらなきゃみたいな、
要請というかプレッシャーみたいなのがかかってきて、
すっげー苦労するなっていうのは思ったんですよ。
すぐ近しい人たちと交流するんだって難しいっていうのを、
45:04
枠の中では日本人的にうまくやれるんですよね。
自分と仲がいい、タンジブルな、
接触頻度の高い人たちと仲良くやるとかはできるんだけど、
一旦その枠の外に出てしまって、
そこで日本人同士ですよ、別に。
英語で喋る人とかないんだけど、
そういうところに行って、
よく当時はクラスターとハブみたいな言い方してたんですけど、
言ってることは同じですよね。
あの時代僕平行して読んだのが不機嫌な職場っていう、
あれはベストセラーになったんですけど、
あの不機嫌な職場は中根さんの本と平行して読むと、
そういう話を仕事に書いたんですけどね、
一発に学術論文ずらをして、
だからこう難しいとか言われるんだけど、
つまり不機嫌な職場がどうして不機嫌かっていうのは、
中根さんの論考から非常によくわかるんですよね。
日本の職場にそういう横の関係を強引に持ち込もうとしたり、
縦関係の秩序というものだけでやろうという意欲を低下させると、
ああいうことが起きざるを当時は得なかった。
今は多分そうでもないと思うんですけど、
当時はああいうふうにならざるを得なかったんですよ。
一番いいのは、よくはないんだけど、
社内で、社内のグループね、でっかいグループ、
大きな会社だとできるんですよね。
グループで中で結婚して、
その社内の用意した団地があって、
そこに住んで、なんならその団地で運動会とかまでやっちゃってみたいな、
そういうもう、要するによそ者の世話にはならんわけですよ。
なんでそうかっていうと、
接触してるからなんですよ、それらの人たちはみんな。
もちろんそこでは、上下関係はそのまんまあるわけですよね。
部長の奥さんとか課長の奥さんとか、
そういう、考えるによってはめちゃくちゃ息苦しい世界ですよね。
息が詰まりそうだっていうふうに言う人もいたし、
自分はこれは嫌だっていう人もいっぱいいたんだけど、
でも、これは無理ないんですよね、私たちにとって。
ある意味無理なくやれることで、
こういうのをやめて、
それこそこう、業種交流会みたいなところに行くと、
本当に何やっていいんだかわからない。
ひたすら名刺交換して、
あとはなんか、離職パーティーのクラッカーをずっと食べて帰るみたいな、
辛い日になっちゃうんで、
しかもそういうのって常時はセットしないじゃないですか。
だからそういうところで得た、
いわゆる名刺を交換しただけの人脈なるものは、
実は人脈でもなんでもないんですよね。
それらの人に何か頼れるかというと頼れないので、
結局いざ頼りにするってことになってくると、
タンジブルな世界になっちゃうんですよ。
海外で生活していらっしゃる日本の人は、
多分こういうのから完全に抜け出てるのかもしれないけど、
でも私はカンザスシティに留学した時、
すごい日本人界みたいなのがあって、
むしろそっちはですね、海外の中に作ってるだけあって、
48:02
普段日本にいる時に知っている日本人の社会よりも、
もう3段くらい日本人的で、
あの世界は本当に息苦しいなって感じはしたんですよ。
で、僕はここで、もう今日はいい加減にしますけれども、
ここで思ったんですよ。
これがあの例のクラインが盛んに言っていた、
クラインがなのかクラインハガなのか知りませんけど、
あのお腹の中の他の赤ちゃんたちを一掃したいという、
あれはだから嫉妬と煽謗って言うけど、
煽謗って言ってるけど、お母さんいいもの持ってるから、
だからお母さんはいらないんだじゃなくて、
この一掃したい感は嫉妬に近いじゃんっていう、
妄想ですよもちろんね。
お母さんのお腹の中に子供が5人も6人もいるはずない。
そうじゃなくて、
でも日本人の感覚だとわかる気がするんですよ。
いやこの部屋にいる他の歴史全部一掃して、
俺だけの部屋にするんだみたいな、
これは多分すげえたしなめられそうな態度なんで、
てかめちゃくちゃ怒られそうな態度だけど、
この態度ってありそうな気がするんですよね。
なんかこうミニマリズムじゃないですけど、
部屋の中一掃したがる掃除室ってあるじゃないですか。
僕ちょっと調べたことがないからわかんないけど、
僕アメリカ人にこの発想あんまり見なかった気がするんですよね。
いわゆる断捨離みたいなやつ。
ときめく魔法の片付けはアメリカでも流行ってるみたいですけど、
僕アメリカで断捨離って流行んないんじゃないかなと。
なんかこうね、ガレージとかごちゃっとしていて、
一生かかってもこんなの掃除できないわみたいな感じがするようなところを、
何件も何件も見たんだけど、
あんま気にしてる感じもしないんですよね。
日本人ってあれの一掃したいみたいな、
あれはやっぱり部屋が母親の体内っていう、
その母親の体内を一掃したいっていう発想、
自分だけのものにしてしまいたいっていう、
ある種独占欲なんだと思うんですけど、
これを洗毛っていうものと関係づくんじゃなかろうかと。
なんかこう、昔これはヨーロッパのことわざなのかな。
綺麗な水もないのに汚い水をこぼしてしまえっていう、
っていう言い方が言い回しがあった気がするんだけど、
なんかそういう感じが、なんか変な潔癖症みたいなやつ。
ミニマリズムみたいな話を読んだり、
一掃したいっていう感じ。
別にこの一掃仕事術の批判をしてるわけじゃなくて、
これは単に、僕の中にも全然あるんですよね。
なんかこう、デスクトップの上のファイルが全部一掃されると、
気持ちがいいみたいなのってあるじゃないですか。
ああいうのの、なんていうんですかね。
極端に言っちゃったみたいな話の時に感じるんですよ。
で、その辺、今のような話は全て素人談義だっていうところが
ミソなんですよ。
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