1. 佐々木正悟の自由連想
  2. なぜ私のアトピーが精神分析で..
なぜ私のアトピーが精神分析で治ったのか?
2026-09-12 56:11

なぜ私のアトピーが精神分析で治ったのか?

母の不在という言葉の意味がリアルに理解できたときに治った。

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感想

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00:05
おはようございます。 佐々木正悟の自由連想をお届けします。 9月12日土曜日8時16分です。
今日はですね、完全に特例的に土曜日にお話しさせていただきますね。
依然としてイレギュラーだったりするわけですよ。
それで今日のような日にちょっと話してみようと思ったんですが、今日はですね、やっぱり例外的に土曜日にやってるんで
一聴ですね、なぜ私がアトピーが治ったのかを、なぜ私が精神分析でアトピーが治ったのかについて
はっきりさせたいという、はっきりさせられるとは思ってないんですよ、この番組中に。 そんなに簡単にいかないだろうと思って。
難しい部分があるんだってことを最近強く意識するようになって、今まで話してきたこともたくさんあると思うんですが、
それらは全部本当のことなんですが、爪が甘いというか、
あれで何かを伝え切るのは無理だ。 伝え切るのがそもそもできるのかって本当あるんですけど、ちょっと考え直してみようと思ったわけですね。
様々な要素が本当あるんですよ。 まずですね、
その前に、9月26日に山崎隆之さんとの前回の野の医者が聞きに行くぞ2を続編でやりますんで、これは絶対ぜひ来てほしいという、
この人のことに興味があるならば聞いて損はない話だと思うというふうに思っております。 もうですね、私はCBTライクなこととかは一切ここの中に入ってこなくなっているんですね。
もう今更そっちはいいや、もう全然ガン虫みたいな、そういう極端な発想になっております。
それで3ヶ月チャレンジを3ヶ月現在セッションと直している旧3ヶ月チャレンジを始めた頃にはですね、
人によってはCBTライクでもいいと思うし、人によってはダスクシュートでもそれこそいいじゃないかと、ダスクシュートをメンタル的に説明しようみたいな、
入り口にそういう話を置くのはまだアリだと思ってるんですけど、入ってしまったら最後っていうのは変ですが、入ってしまったら最後、私からその種の話は、
問われれば答えますよ。いくらでも答えられるから。しかし、私はなんだそこに本格的な有効成分は認めておりません。
はっきり言って。 だって自分が一番問題にしているアトピーがそうだった。
また、性的に私は、
これ一人言いたくないですよね。ましてこんなインターネットで世界中にばらまう話ではないのだが、性的には了触趣味があった。
で、じゃないと立たないみたいなね。で、こういうことを何とかしたいと思っていたわけですよ。
03:01
で、どっちもなんとかなっちゃったんですよ。精神分析で。でも100%と言っていいよね。何とかなったわけですよ。
そしてやっぱ衝撃を受けますね。私はね。
そんなタスクシュートの範疇じゃないですよ。どう考えたって。タスクシュートでアトピー直しましょうって。明らかにおかしい。
精神分析でもおかしいかもしれないけど。CBTが微妙なところなんだろうと思うんですけど、私はあれで自分のアトピーが治るとやっぱり1ミリも信じられないんですよね。
1ミリも。書かない行動を取るようになるとかならわかるかもしれないけど、それはアトピーを直すことには全く直結しないんですよ。
また性的なそっちの趣味の方もそういうのを見ないようにするとか、それで言っちゃわないようにするとかはできますよ。それはできる。
でもそれはその趣味がなくなったことを何ら意味しないんですよ。私にとっては。それが全然違う。圧倒的に違うというか、本質的にそれは違う。
簡単に言うと、牛乳飲めないと言ってる人が鼻をつまんでも牛乳飲めるようになるっていう感じのことは、普通にどんな行動療法的なものでもいけるんじゃないかと、ものすごい難しい人には無理だと思うし、そんなことしなくていいと思うんだけど、しかし牛乳好きになりましたとか嫌いじゃなくなりました。全くってことになると、これはですね、行動では変更が効かないところが僕はあると思う。
で、僕に送ったことはまさにそういうことなんで、本質的に何かが変わっちゃったっていう部分があるわけですよ。人格変わったまでは言わないんですけど、私の人格ってそうそう変わんないんで、でも明らかに私は3ヶ月チャレンジを始める以前と現在とでは人格違うなって気が、人から見るとそうでもないと思うんですけど、僕の中では違うなって感じがするんですよ。
例えばなんですけど、奥さんと喧嘩は今でもするんですよ。攻撃的になる。攻撃的にはならないんでね、喧嘩は今でもするんですよ。でも怖くはないんですよね。昔あれほど怖かったのが、今は怖くはないんですよ。
で、昔一つ僕が思ってた、これは今それを修正するのも難しいんですけど、人の気持ちが分からないっていうのが決定的になったんですね。でもじゃあ今人の気持ちが分かるようになったのかっていうと、そうではないんだけど、でも人の気持ちが分からないとあの時私が堅く生まれに言っていた、言っていたっていうか信じていたことは本当ではなかった。
人の気持ちは本格的には分からないものかもしれないけれども、それは大した問題じゃないっていう風になったんですよね。でもあの3ヶ月チャレンジ始める以前、始めた直後くらいは、人の気持ちは全然分からないって。分からないんだみたいな、そういうなんかね、そこに強い意識があったんですよね。それがなくなりました。
人の気持ちが分かろうと分かるまいと、分かんないかもしれないが今の私にも、大した問題じゃないなっていう風に、大した問題じゃないわけでもないんだけど、分かった方がいいような気もします。分かる人もいるのかもしれないんだけど、でもなんていうのかな、あれほどまでに堅くなに分からなく、分からないということがなんかこう、ある種の私の、にとってのこう、ごり夢中感。ごり夢中って言うんですかね、あれはね。
06:23
その感じはなくなったんですよね。霧が晴れたんですよね。分かったわけじゃないんだけど、霧は晴れたみたいな、なんかうまく言えてない気がしますね。まあアトピーの話に集めましょう。ということで9月26日のイベントがまず、強く推奨したい。
合わせてですね、この3ヶ月セッションになってからのまだお申し込みが、お試し1回を含めて誰もないという、これをなんとかしたいので、これを聞いてくださっている皆様には、ぜひですね、お試しでいいからちょっと試してみましょう。まあでもなあ、そういうわけにはいかないですよね。でもほら、なんていうのかな、折りたたみiPhone出たじゃないですか。話が全然飛ぶようですが、iPhone量が出ましたね。
試してみたいじゃないですか。ただあれ、36万円とか言ってるじゃないですか。誰がですね、買うと思いますよ、お金があればね、僕だって。しかし折りたためるからといって、スマホに36万円は出せない。だってスマホって今、まあすごい俗に中華スマホだと言われている安いやつだから、1万円とかで買えちゃうわけじゃないですか。でも1万円ね、それは色々問題ありますよ。あるけど、一応スマホとして使えるわけだ。
1万円でも。36万円っていうお値段はおかしいと思うんですよね。1テラに至っては45万円とか。正気の差だとはとても。だってMacBook Pro2台買えちゃうじゃないですか、そんなことやったら。で、どうやったってあれでできることはスマホプラスiPad miniではないですか。で、それぞれそれこそiPad ProとスマホiPhone買ったって合わせて36万円はしないわけですよね。
2台が1台になっていて折り畳めるということ、線が全然見えないと戸田さつるさんなどもおっしゃってましたから、いや線全然見えないのみたいなとかは思いますけど、あと初めてiPhone系ではですね、あの単体で立つんですよね。しかしそれだってスタンドとか別に100円で売ってるわけですからね。
なんかこう、まあそれは一つのブランドであるというのと、折り畳みっていう技術へのお金であるっていうのはもちろんそれはわかるんですけど、あとなんかSiriAIがすごくなったって。でもそんなのは他のiPhoneにもどうせすぐ搭載されるに決まってるじゃないですか。本当にすごくなったんなら。ここ結構疑問音符がついてますよね。Apple系のAIには。まあいいや。
というわけでお試しを。全然関係ないから。お試しをですね。私のは3ヶ月チャレンジ、3ヶ月セッションですね。3ヶ月にやっていただいたとしても75,000円プラス税で、36万円ってどういう値段?5倍じゃんっていう感じで。まあそういうわけです。価値の価値観ですからね。こういうのはね。
09:13
では、えっと、アトピーの話ですね。アトピー私は精神分析で治ったんですよ。これはもう確実なんですね。で、入口にグッドバイオス、倉園圭三さんの久しぶりにこの番組では登場して、登場させてもらっているお名前ですが、倉園圭三さん。先日会ってきましたが、グッドバイオスが間違いなく起点になってます。
で、私は最初から、最初はそんなに強くは意識してなかったんですけど、倉園さんのお話に、これは倉園さんがそれを参考にしたって話じゃないですよ。してない可能性も彼の場合全然普通にあり得るんで、分かんない。分かんなくていいことだと僕は思うんで。
でも彼の言ってることは、特に私が彼と一緒に活動していた最初期の頃のグッドバイオスで言ってたことは、非常にメラニ・クラインを連想させるものだったんですよ。非常にこう良いおっぱい、悪いおっぱい、部分対象と線棒、そして攻撃の反転みたいなものがすべて語られてたんですね。私はそれはとても良いことだと思ってるわけですよ。
なんかそれはパクリだみたいな。だいたいね、クラインをパクってるなんていうことを言ったらですね、自己啓発でクラインをパクってるのは山のようにあって、そんなことを言ったら心理臨床であって、クラインを部分的にパクってるのはほとんど無自覚にパクってるのは山ほどあるのであって、なんらそれは問題じゃないと思う。フロイトだって同じですよ。
もう無意識ってものを心理カウンセリング的なコーチングでもいいですけど、そういうものに投入してるって段階でフロイトは無縁です。私が一から考えましたなんていうのは誰も信じないですよ、はっきり言って。彼があれほどの苦労、ほんと血の滲むような苦労をして投入してきたんですよ。無意識って概念がフロイト以前になかったはずはないですよ。
シャルク王の催眠療法を考えてみても、無意識みたいな言葉も無意識みたいな発想も絶対あったと思う。ただそれを正規の医療に投入したってところがポイントなんですよ。そんなこと今でも認められてないと思うんだよ。無意識をですね、無意識が病気を作るみたいなその発想自体が正規のものとしては取り入れられてなかったと思うんですよね。
そこだけでももう別にパクリとか言ってもしょうがないみたいな、そんなこと言ったらピタゴラスの定理を使って計算したらもうピタゴラスのパクリじゃないですか。そういうもんですよね。でもそんなこと言ったら何もできなくなってしまうのでしょうがないんですよ。そういうことは当然のことだというふうに見なさなきゃいけない。
何か作曲するときに音符を書いたらもうパクリじゃないですか。バッハとかのバッハじゃないと思うけど。そういうことですよね。
で、そのクラインだっていうのが私はクラインだって思ったわけじゃないですけどこれは絶対どっかで聞いたことがある話だって私はそのアメリカで心理学やったときに当然臨床心理学はやらされるんですよ。アメリカでは心理学という学科の中に異常心理学もフロイド心理学も臨床心理学も1時間ずつつまり4単位ずつつまり3つの授業を取らないと卒業できないんで普通に学士取るだけなんだけどね。
12:20
アブノーマルサイコロジー、異常心理学というのパーソナリティーなんとかっていうのとあとなんだっけな。あるんですよ3つ。もう3つ普通にあるんですよ。脳とかいう学科がある他にもさらにそういうのを取らないと別に全然心理臨床やりたいわけでもなんでもなくても取らなきゃならないんで取ったわけですよ。私は別に心理臨床当時やりたかったわけでもなんでもないのでね。
だからメラニクライフはもちろん知ってたし不可解な不可思議な理屈言ってんなと思ってたのは漠然とめちゃくちゃ勉強しなきゃならないんで嫌でも怒でも僕は勉強家なわけでは全くないんですけどしないということが通らないアメリカの大学の世界なんでするわけですよね。だから記憶に断片的でも残りますよね。
英語で全部読んでるんだから断片的に残んなかったらむしろそっちの方がやばいぐらいじゃないですか。何回も読んでるわけだから。で、どっかで聞いたっていうか明らかに聞いたって思っていたわけですね。それがつまりそのまあ端的に言うと扇望なんですよね。最初にあのgood vibesは扇望ではないんだけど扇望を乗り越えるgood vibesなんですよ。
あの乗り越えるべきは扇望だけではないんですよもちろんね人間人生の苦悩は扇望だけではないからしかしやっぱりクラウドさんにとっても非常にあそこがだから人間扇望的な問題扇望そのものではないかもしれないが扇望的な問題を苦悩中核に近い部分にやっぱり持ってるんだろうなって私は思います。
彼はやっぱり大変苦しんだ方だからそのこれを乗り越えればってなったのが扇望だったんだと思うんですよ。扇望ってなんか羨んでるみたいな感じなんだけど扇望はそうじゃないと思うんですよね私はやっぱり。
死の衝動だと言っていいと思うんですよ。死の衝動って鬼神燃料なのって言われるとちょっとよくわかんないところはあるんだけどもあの人格ごと根こそぎ捨て去ってしまいたいって感じなんですよ。死ぬとは限らないかもしれないが要するに普通の意味で生きてるっていう生き方はもう拒否するみたいな感じなんですよね。
多くの場合それは鬼神燃料につながりますよね。社会的に普通の人生の生き方を全面的に拒否するって言ったら普通に考えると死ぬってことになっちゃいかねないじゃないですか。イコールじゃないと僕は思うんだけどそれはだから発狂みたいなのかもしれないし徹底的な絶望かもしれないんだけどそういうようなものを明らかに彼は彼の人生はどう聞いても腹の板状な上に過酷なんでそういうことになるよねっていうのはわかるんですよね。
ただどうやってこれを克服したのかっていう話になってきた時に彼はグッドワイブスだった。でも私はその前段にすごい惹かれたんですよ。つまりこんなに生々しく後から思えばね当時は生々しさっていうのだけが伝わってきたんだけど後から思えばあんなに生々しくクラインの苦痛について喋っている人は後にも先にもなかなか聞いたことがない。人前で喋んないんですよ。やっぱりなかなかね。
15:28
相談する内容なんですよ。あの内容は。自分で克服してそれについて語るっていう人はやっぱり非常に少なくてほとんどいなくて。うちなんか寺だったから体験そのものは壮絶なのは色々聞くことは機会としてはあったわけですね。信者さんから。しかしその中核にある苦しみとは何なのかを中情化して喋れないですよね。大抵の人は具体的体験を喋る。
倉園さんの場合逆で具体的体験も交えるんだけど基本的には中核で一番当時苦しい思いをしたのは何なのかみたいなのはやっぱり彼は言葉に直せるというまあそれは相当の能力なんですけれども言葉に直してそれをどう自分が克服していったかについて語れるという人だったわけですよ。それに私は非常に当時惹かれたわけですね。
戦亡なんですよね。やっぱりね。つまりなんというか戦亡というのも色々あるんですよね。戦亡っていうのが既に中傷なんですよ。そうじゃないような感じがしますけどね。美音の説明が中傷化すればおそらく一番近いんですよ。
なんていうのかな。赤ちゃん赤ん坊は乳房の苦しみ、乳房の不在に苦しむと。だから倉園さん言うわけですよ。ないものはあなたを苦しめない。あれは完全にクラインなんですよね。まず不在を認識せよって言ってるわけですよ。
だけれども人は不在のちぐさに対して、まあKとマイナスKですよね。まあやっぱり美音出しちゃうなどうしても美音がないとね。ここの説明はあまりにもこみっちゃうんですよね。つまり真の知識に向かうならば母は不在であるとか今おっぱいくれないだけだとかとにかく母に悪意はないというのをなんて言えばいいんですかね。見抜けないですよね。
赤ちゃんにはね。しかし悪意はないんだという信念のような知識のような知のようなKに基づくのであればなんとかその苦しみを乗り越えて知の衝動はあるはずなんですよ。悪意みたいなのもちらつくと思うんですよ赤ちゃんからすると。しかしお母さんからはなんて言うんですかね。
良いものは私にもたらされるんだと最後は信じられるというかどっかでは信じられる。だから自分の苦しみに持ちこたえて。つまりお母さんは全面的に聖母マリアみたいなんじゃないってことなんですよ。聖母マリアみたいなんだと最初は思ってたんだからどうしてもそこになんかこうめんどくさいわねとか。
18:13
ちょっとでも嫌な思いを持っているというのがすでに結構赤ちゃんからすると耐えられないんですよね。それだったらもうつまり赤ちゃんは本当の意味での白黒志向だから真っ白じゃないならもう真っ黒なわけですよ。だから全部捨て去ってしまいたいと。これがマイナスKなんですね。全部捨て去るためには母親は本当の母親ではない。ここに行き着くしかないんですね。
私を苦しめにやってきた。だからよく出てくるじゃないですか。シンデレラのママハハシカリ、白雪姫のママハハシカリですよね。化けているんだってやつなんですよね。
で、これが東映なんだけれども、この東映って話もクラゾンさんもよくされてます。ないものはあなたを苦しめない。でもないものがあるように思うのは東映であると。この種の話は全、少なくとも私と一緒にやった頃は非常によくお話になった。だから絶対そのことを彼は多分厳格したレベルなんだと思うんですよ。
まあ彼はね、ここで言っていいのかわからないですけど、パシンコやりすぎて借金まみれになって、真夜中にドドドドドンっていう風に叩かれたり、なんか電話が絶え間なくなるという。しかもそれはご家族いらっしゃる中でだったと思うから、もう本当にそれは普通に厳格見るよねっていうレベルなんですよね。
相手はそれに近いことを狙ってやってきてるんだから、借金取る人ってすごいですよ。私は、私自身の経験ないけど、本当寺だったから取り立て屋もいれば取り立てられる人もいて、本当ね、人を狂わせることで金を取り立てるんだぐらいの勢いを、昭和ですけどあったんで。
字上げとかすごい社会問題になってた時代なんですよ。本当に木刀持って行くとかそういうこと言ってましたからね。ブルトーザーで家叩き壊すとかね、そういう話ですよね。倉園さんそこまでされたことはないみたいなんですけどね。
とにかくそういうことになっちゃうと、やっぱり統営しますよね。統営は絶対しますよね。ないものは苦しめないとか言ったってあるようにしか思えないじゃないですか。都は絶対叩かれてるでしょって言われているかもしれないけど、そうじゃないですよ。
倉園さんが具体的に目にしてしまったものはないものだったわけですよ。つまり、ドンドンドンって叩かれているうちに人はもっとすごいものを空想し、もっとすごいものを想像し、もっとすごいものをついには厳格していくわけですよね。これが赤ちゃんにとっての真っ黒い母親ですよね。
聖母だと思ってたから極端に反転するわけですよね。そうじゃなくてグレーの思考を持ちましょうとか、アンビバレントに耐えましょうとか簡単に言うけど、そんなことできるわけないんですよ。そんなことを我々の思考のベースにそういうものがないっていうことが倉園の言いたかったことの一つだと思うんですね。
我々は白黒思考をベースにものを考えていくんですよ。白に黒が混ざっていると考えることはこの話はちょいちょいしてますが、できてもグレーであるなんてグレーじゃ意味が全くないわけですよ。グレーだったらどこのミルク飲んでいいかわかんないじゃないですか。つまり、相手のどこを信じていいのかわからないということなんですよ。
21:17
さっきの倉園さんの例で言うとドドドドンってやったからと言って直接殴ってはこないとか、ドドドドンってやってもコンクリート詰めにされたりはしない。でも多分そんなことは信じられなくなると思うんですね。そんなことを毎晩毎晩やられてたんでは。
で、ここでそれをしかし赤ちゃんに要求するわけですよ。暗いんとかは。だから死の恐怖の中にいる、死の恐怖の中で敬に基づくそういう考え方をそういう言い方するんですよ。これまさにそういうことですよね。死の恐怖にいるじゃないですか。倉園さんとか。
で、敬に基づく、つまり真の事実に基づいて考えていこうと、敬に基づくちぶさを見出すならば、そういう言い方してると思うんですよね。経験から学ぶで。
乳児は母親から栄養を取り込むことができる。つまりそこに生き延びる道が見えてくるんだっていう。でもちぶさ不在なんですからね。そこでおっぱい飲めるって話はしてないんですよ。ここが過酷なんですよ、あの話。
ちぶさは不在なんですよ。ここで信じ、信じるということに自分を踏みとどまらせることができるならば、今は何ももたらされないとしても生きる道はここに見出せるんだっていうことなんですよ。でもそれにそういうことができなくて、マイナス経のちぶさを見てしまうと、そこにあるのは無ちぶさである。
無ちぶさっていうのはちぶさがないっていう状態じゃないですよ。ちぶさがないんだけど、無ちぶさというものを見ちゃうと言ってるんですよ。だからそこに何にもないものを見たとしても何かを見るわけですね。だからよく出てくるのが、クーラーの排気口とかから人が覗いているに違いないと思うとか。
ノノノノノンって叩かれてるだけなんだけれども、これから何とか船に乗せられるとか、そういうふうにものを認知してしまうって言うんですかね。企画してしまうと。ここで自業自動だって話をしちゃダメなんですよ。そういう問題ではもはやないので。
いきさつがどうあれ、この事態に対して何を見るか、何を見ずにおけるのかって話をしているのであって、ちぶさはいずれにしても不在なんで。優しい母親とかはもはやここの空間にはいないんだけど、そこに不在だっていう認識に留まれるか、何かないんだけれどもあるものを見てしまうのかっていう。
見ていると言ったってホラーではないので、幻覚そのものを見ているとは限らない。幻聴ぐらいは聞こえる可能性は高いと思うんですけど。いずれにしてもそこにあるのはマイナス系に基づくちぶさを見た場合は、もはやちぶさは恐怖の対象でしかなくなるわけですね。
24:03
したがってこれごと捨ててしまいたい。でもこれごと捨てると母親を捨ててしまうことになるわけですが、これごと捨ててしまいたい。つまり、この人生そのものをないものにしてしまいたい。これはイコール死ぬってことではないと思うかも。
だから死の衝動をただとすというのは、そういう説明なんだけれども、死の衝動だからといって、何かこう起死人類なんですかっていう問いは、僕はデリケートなところかなっていう感じを持ちます。
で、私はそもそもこの話はアトピーの話から来てるんだけど、ラゾノさんのこの話に私は非常に感銘を受けてクラインを読み直すことになったわけです。
で、クラインを読み直したんだけどよくわからなくて、でも非常に近いことが書いてあることはなんとなくわかったんですよ。なんとなくわかったんだけど、非常に近いことが書いてあるっていうことがわかったのみに終わり。
で、やや右を曲折があり、松木さん、藤山さん、松木さん、藤山さん、松木さん、松木さんみたいなそういう感じで、松木さんの、藤山さんはですね、クラインの話の説明としてはすごい集中抗議が良かったんですね。
ただ、美音がよくわかんないっていうところになっていて、で、僕は美音がわかんなきゃならないとなぜか当時思ったのは正しかったと思うんだけど、つまりクラインをクラインだけで理解するって困難なんですよ。
で、美音を通じるとわかり始めるんですよね。ものすごくよく。で、美音を通じて私がベータ要素というものに行き着くわけですね。
このベータ要素、つまりクラノノノノノノみたいなものっていうのはクラインの説明で相当いけると思うんですね。
で、クラソンさんがよくおっしゃっていた攻撃の反転っていうのも、当然そんなドノドノンに対してはもう強く攻撃したくなるじゃないですか。
でも相手は多分それっぽい人だから、反射っぽい人だから、当然強く攻撃すると強く反撃されますよね。
で、こういう想像しちゃうだけでももうめちゃくちゃ怖くなるじゃないですか。
自分が想像しているマックスの攻撃力で相手はやってくる。ここがつまりマイナスKなんですよ。
そのような事実はまだないんだけれども、そうとしか思えなくなってくるって話をなさってるわけですね。
これがマイナスKに基づくチブサの味方っていうことなんだと思うんですよ。
そうすると、あの妄想体系がそこで成立してしまって、精神病の場合ですね、これは。
だから病院中が自分を苦しめるためにあらゆる拷問器具を使ってくるみたいな、私の肉親が先日言っていたような話をしてくるわけですよ。
その背景には財務省があるって話になってるんですよ。体系ですよね、完全に。
そういう世界が出来上がっちゃってるわけですよね。なぜなら苦しいからなんですよ。
この苦しみを合理的に説明するものとして、みんなが愛情に満ちているんだとすると、なぜ自分はこんなに苦しいんだ?
27:01
そのように想定することが全く出来ないので、そのぐらい苦しいんで。
どんどんどんどんどんぐらい苦しいんで。毎晩毎晩電話が激しくなるぐらい苦しいんで。
よくあるじゃないですか、電話の上に布団かぶせるって。まさに倉園さんもそういうことをやらなさったみたいなんですけど。
電話の上に布団かぶせるって非常にベータ要素ですよね。
物自体ですよね。物自体についての対処の仕方というのを人間は考えることが出来ないので。
物自体に対しては物的に対応することになるわけですよ。あれ本当によく聞きますよね。
漫画でもドラマでもやってますよね。電話に布団かぶせる。
うちの肉親もやってました。ウェブカメラにガムテープを貼る。
まさに物に対する物に対する物的な対応ですよね。
つまり考えて対処するということは不可能になっていくわけです。
物に対しては物を置く。
自分の目に触れないように毛布で覆う。音がしないように布団で覆う。
電話というものがこの場合はムチブサなので恐怖のものが何かがなり立てているんだが
それに対してあるいは恐怖のメッセージを送って
実際の留守電とかに超怖い声で防撃手段をとかって言ってきますからね。あれ良い方なんだけど。
それに対して布団というものを使って対応するわけですよ。
これが物的な世界なんですね。確かに何かを考えてはいるんですよ。
布団かぶせるんだって何も考えてないってのは言えないじゃないですか。
だからβ要素は思考なんだけど一番原初の思考って言い方をするんだけど
不在のムチブサに耐えられない赤ちゃんが泣くときに使ってる思考なんですよね。
考えてるとはもはや全く言えないんだがでも考えてないとも言い切れないので
これがつまりβ要素なんですよ。これだというふうに僕が思ったそれなんですよ。
分かりにくいと思うんですけど私はβ要素が肌の中、表皮の付近に覆ってるに近いんだと思ったんですよ。
で、それは取り除こうとしても無駄なんだと。
つまりそれは物自体を取り除こうとするまさに私が肌をかきむしるということに追いやって対応しようと。
電話に布団かぶせるのと肌をかきむしるのはこの場合全く同じものなんですね。
で、私はこっちから入ったからつまり電話から入ったから
クレノノさんはなぜ電話が鳴ってるのかって考えることができるじゃないですか。
パチンコからスタートしてるから。
でも私は肌が痒いという事実以外何もなかったから
アトピーだっていう事実以外何もなかったから
手の施しようがないわけですよね。
だからこれがβ要素なのであると。
で、こっからは演劇っていうの、機能っていうの、推論を立てていくわけですね。
クレノノさんが立てた推論と基本は同じなんだけど
私はグッドファイブスでこの問題を解決し
これはグッドファイブス批判ではないですよ。
30:00
クレノノさんはそれでやったんだけど
でも私はクレノノさんの説明を完全には理解できてないんですよ。
言葉では理解できてるんだと思うんだけれども
やっぱり彼がやったようにはできてないんですよ。
で、私はそれをでもやんなきゃなんなかったわけですね、自分としては。
で、アトピーは表皮にβ要素が
要するにがなり立てる電話と同じで
ムチブサが表皮に来てる。
ムチブサというのは結局何かというと
チブサが不在なんですよ。
チブサの不在に私が持ちこたえられないから
ムチブサを作ってるわけ、投影してるわけですね。
だからその時には
良いものをくれる対象が許せないんですよ。
なぜなら良いものもくれちゃうのに
俺を苦しめるというやつだと
いつまでも頼んなきゃなんないじゃないですか。
これが間違ってるんですけど
良いものをくれる対象にいつまでも頼るから
私はいつまでもアトピーでいなきゃなんないんですよ。
こういうことなんですよね。
クラナさんの場合
良いものをくれるってのは何なのかな?
でもやっぱ社会なんだと思うんですよね。
ある種のね。
僕彼じゃないんで分かんないんですよね。
ドノノノンってやってくる社会ごと
根こそぎ放棄したいけど
人は社会の中でないと。
だから彼はよく言いますよね。
人は一人では生きられない。
そのことを大体指してると思うんですけどね。
私の場合はもうちょっと違うんですよね。
私の場合社会によってアトピーになってるわけじゃない。
私に対してやっぱり
良いものをくれている
しかし非常にどしがたい連中といえば
不母なんですよ。
これはもう確実に不母だなって感じがしたんですね。
他にいないわけじゃないけど
基本的に
だからね、世話になってる奴が
嫌な奴だったらどうするかってことに
これは非常に俗っぽく言うと近いんですよ。
うちの会社は配金くれるけど
すっげえ嫌な
上司も社長もすっげえ
嫌味言ってくるんだよみたいな。
そうすると人はどう考えたいかって
やっぱり寝こそい会社を
放棄してしまいたくなりますよね。
真っ黒だこの会社と。
でもさ、毎月100万くれるじゃん。
これどうするみたいな話になった時に
総的防衛って
例えばね、いや俺100万稼げるし
みたいに思うことによって
100万の価値を無価値化していく
脱価値化していくわけですよね。
そうして放棄してしまう。
私がやりたかったのも
おそらくこれなんですよね。
母と父からいろいろもらっていますが
もらってきましたが
それにしてもあいつらは
ろくでもなかったみたいな。
まあいろいろろくではなかったんだけど。
このろくでもないやつを放棄してしまいたい
ってなると、寝こそぎ放棄してしまいたい
ってなると、なぜか皮膚まで
放棄することになるみたいな
話なんですよ。
で、こうやって
考えていくうちに
そういえばうちの母はずいぶん
私の肌をこすってたなと。
ずいぶん
汚い肌というものを
33:00
赤とおともに落とすと
綺麗になるんだという
くだらない話にこだわってたなということに
ようやく思いに至ることが
できたんですね。
それは直接アトピーの引き金を
引いてたとかいう話にしてしまえば
簡単なんだけど
非常に間接的にしか引いてないのは
自分の感覚の中で自明なので
結局いいものを
取り入れるというときに
私たちが考えなきゃいけないのは
これはクラウドさんの言う通りなんですよね。
ないものは私を苦しめないってことではあるんですよ。
不在である
という認識をしろってことなんですよ。
ないものは苦しめないとか
ないという自体は
苦しみを生みますからね。
なんちゃえばいいのかな。不在をとにかく
認識するということだけで十分なんですよ。
ここで僕にとって
少し助けになったのが
フランスの
アルベール・カミュっていう人の
異邦人。僕あの小説すごい好きだったんですけど
あの小説で
主人公のムルソーは
お母さんの葬式の時に泣かなかったという角で
結局そういうことで死刑になっちゃうんですけど
ひどい話だと思うんですけど
その時に死刑に彼を受け入れて
優しい
宇宙の優しい無関心
って言葉が出てくるんですよね。
これは非常に私はですね
だいたいムルソーが死刑になろうと
何しようと別に宇宙とか泣かないわけじゃないですか
助けてもくんないわけですよね
しかし宇宙は優しいんだっていう風に
彼は悟るって話なんですよ
これが不在ってことですよね
不在は
悪意はないっていう
非常にこれと
遠藤周作がすごい近いことに
やってるじゃないですか
神が沈黙してる。だから沈黙って
小説ありますよね。あれは
優しさは感じられないですよね
私はムルソーの方が
先行ってる感じがあるんだけれども
その死ぬ間にはいいなって
宇宙は優しい無関心だっていう風には
認識しないわけですよ
人間は普通。何とかしてくれよ
って感じがすると思うんですよ。ましてああいう
ほぼ理不尽で正当防衛
みたいなので殺されるとなってくるとね
私がまあその
言葉がよぎったということはそういうことを
考えたということなんだと思うんですが
要は母が
不在であったんだろうか
っていうことをすごい僕は
母はよくしてくれたに
寄ってたんですよね。非常にね結局
そういう
防衛だったわけです
だから母は要するに真っ白で
あるって無理やり思いよく思うとしていた
わけですよ。相当グレーなんだが
っていう。で相当
グレーなんだっていうのを私は
こう割と排除してたんですね
いや母が素晴らしいと思ってたとか
大好きだったんでしょうね
2歳の頃とかはね。ただ
そうは言っても
長寿ではそんなに
母が素晴らしい母親だったとかって
思ったことは全くないんだけど
でも母を
白にしておきたんだ
そこに僕はすごい
思いに至ったわけですよ
私のこの性的なサディスティックな
対象は明らかに母親なんだ
36:00
ここも非常に重要だったんですけど
これ結局のところ私は怒ってる
ってことなんですよね。怒りを
母に向けていてそして
それがゆえにそれがあるから
父母の支配というものから
結局45になっても
出し切れなかった
出し切れてなかったわけです
つまり怒り
なんだけどこれを
ここをですね私はgood vibesは強調し
すぎてる気がしてたんですよね
未だにしてるんですよ
攻撃が非常に私を
苦しめてるのは事実だから
ここは無視はできないんですけど
一番最優先
事項に攻撃はないんですよね
最優先事項にあるのは
やっぱり私の場合
この母は白だっていうのを
否認してるんですよね
この辺でgood vibesの私にとって
難しさが出てくる
限界とは言わないまでも難しさが出てきて
母が白であり
母を愛するのは良いことだっていう風になっていくんですよ
good vibes的には
愛なんて。でも私は
まさにそれが私にとってのむしろ問題で
母は母が好きで
母を白にしておくという発想が
私の問題の根本
原因なんですよ
これによって私は母の
グレーな部分を排除しようとするから
そこにムチブサが
できてしまうわけですよね
母が私を不在で苦しめていると
真っ白な人なのに
不在で思って苦しめるということは
母でないの存在が
あるか
本質的には黒いかのどっちかじゃないですか
この理屈って
わかりにくいかもしれないんだけど
そういう理屈なんですよね
真っ白でありながら私のことだけは
苦しめることができる
差別的だってことですよ
族っぽく言うとものすごく
聖母マリアが屈してキリスト教と
しか救わないとかいうのは
どこかおかしいでしょう
っていう感じなんですよ
我の母は聖母マリアなのかって言われると困るんだけど
そうじゃないですよもちろん
だけど僕にとってそういうことだったんですよ
ここね
真っ白だというのを
廃棄しなければ
この不在の説明が
できなくなってしまうという
真っ白
悪意はないのかもしれないが
善意の塊みたいなのでは
もちろんないんだという
最初からそういう人ではなかったんだと
つまり不在なんですよ
聖母マリアはね
聖母は不在だったんだと
したがって
で、ろくでもないことがいっぱいするんですよ
っていうことを
いちいち罪状ではなく
彼女の要するに
不意気届きですよね
として数え上げていくと
これはですね
面白いぐらい
なんつうんですかね
私にとってのムチブサに相当するものが
無効化されていくんですよね
そのようなものは
最初からないという
39:00
つまり私は母を
攻撃していたわけですが
母も私の肌を攻撃していたわけですが
あの
なんつうんだろうな
不在であるということに対する
抗議ってやっぱり
なんでもいいんですけど
すねるとかふてくされるとか呼び出すとか
騒ぐとか
私は騒ぐ
うちは騒ぐってことを私に対しては
なかなか許しがたいという家だったわけですね
で騒げないものだから
肌が騒ぐわけですよ
つまり
騒ぐ代わりに何かが
騒ぐんですよね
これもまたベータ要素を作り出すんです
つまりそこでどんなに騒いでも
無駄だっていう
肌がどんなに騒いでも
鈍感な対応しかされない
例えばヨーグルト塗るとかね
そういう対応になっちゃうわけで結局黙らせようとしているわけですよね
ここで肌が
黙らないんで肌とかは
結局のところ肌は黙らない
同時に私はここに
自体愛を持ち込んでたわけですよ
肌を触ることによって
おっぱいの不在を紛らわすと
自分の太ももとかを揉むことで
おっぱい揉んでる気になるってことですよね
もちろんそれは
40代の男としてはなりませんよ
そんな風には
でも私の中の2歳児は1歳児かも0歳児かもしれない
そういう風にして
紛らわしていたわけです
だから肌のある部分が
こうな
あれるんですよ結局
同じ場所ばっかり触ってるから
これは自体愛なんですよね
これらが
一つ一つは知ってたんです
性的サディズムも
自体愛も
肌が騒いでいるっていうようなことすらも
知ってたんだけど
結びついていってなかったんですよね
Kリンクですよね
これが結びついていった先に
何が起こるかというと
母は白ではないってことなんですよ
これを私は排除してたんです
これについて考えることができて
なかったんですよね
どう考えたって改めて
考えてみれば分かりきったこと
でもこれを考えたくない理由は
よく分かりました
母は白ではないからこそ
肉芯は穴
うちのお金も何か周りが
おかしい私も金で変な
苦労をしているそもそも
私のしてきている人生での苦労は
大半が変な苦労ばっかりである
父は大変無責任だが
父の無責任
というものを
明らかに母は作り出している
つまり母のやっている
吹雪届は結構ひどいんですよ
だけど私は母の結局
ある意味言いくるめられてたんで
母は全然ひどくないんだと
母は精一杯やってるなと
そう思ってたんですよ
でもあいつは精一杯やってないなと
精一杯やってると言ってるにしても
いろいろと問題あるなと
その問題もですね
もっと前の世代から来るものなんだけど
これらについて
整合性のとれる考え方を
すればするほど
肌にが騒ぐ理由はないし
42:00
私が不在を
紛らわすために
太もも1時間も2時間も
いじってる理由にもならないし
そういうのはすごい難しいんですけどね
もうこれを一発で
言葉に直してくれる
いい言葉があったんですよ
それがβ要素なんです
現実にあなたは遭遇してしまったのであって
現実にねβ要素は現実ですから
それについて
β要素の仕事というのは
αファンクションを起動すること
つまり思考に向かうことであると
無意識が
思考に向かうことなのであって
β要素を排除することではないなと
つまり母が
ふゆきどどきであることについて
母は真っ白ではないということについて
母は白ではないということについて
思考を巡らせると
しかもそれは無意識水準でやらないとならないと
簡単に言うと夢を見なければならないと
全然簡単じゃないですね
ここに至っても
僕はアトピー治ってないんですよなお
これはあくまでも概略であって
これに至ってもなお全然アトピーとか
治ってはいないんですただ肌は
かかなくなりましたけどね
だからもう表面的には治ってるんですよ
この次がいるんです
この次というのがつまり
松木邦博はこれを信じてるってことなんですよ
松木邦博だけじゃないんだけど
少なくともまず
松木邦博って生きてるってことだったんですよ
これ僕にとって
良好だったと言うべきですね
まだ彼は新しい本を出してきているし
生きてもいるし生きて活動しているし
つまり僕にとって松木邦博って
オコノニケイゴとよく似た存在でしかなかったですね
伝説の人みたいな
はっきり言って勝手に殺してましたしね
死んじゃってるぐらいに
だから先日イベントに出て
私の質問取り上げてもらったんですけど
こういう機会はでかかったんですね
僕にとっても
なんていうのかな
ダメ押し
みたいなものであったに過ぎないけれども
私にとってやっぱり重要だったのは
山崎隆明さんの本だったんですよね
この中で松木邦博や
藤沢山直樹は
リアルに生きていてこれらのこと
本気で信じてるんだなと
ある意味狂気の発想に近いんですよ
現代では
でも信じてるんだなと
信じている一群の人が
少ないかもしれないがいて
それらの人はそれらで
十分野の医者とかやってるわけではない
それは野の医者には悪いけど
なんとなく無理やり頑張って
生きていけないんだけど
生きてるふりをしてるとかそういうわけじゃないんですよね
リアルにこれで生きられるんだな
っていうことを信じられているというのが
つまり
不在の小さは不在なのであるということを
信じている人が
頑張って
頑張ってっていうのかな
とにかくリアルにやってるということ
これが信じられているっていうことが
大きかったんですよね
だから私は山崎隆明さんと話したという機会は
非常に重要だったわけです
これによって
私の肌にあるのは
メーター要素なのだということを
確信するに至る
ことができたわけですよ
それはどういうことなのだろう
45:01
それはですね
まず痒みというものはないんですよ
これはメーター要素を排除したいだけなんです
これで痒みが消えていくんです
そんなことないだろう
って思われるかもしれないけど
電話に布団被せたって
無駄じゃないですか
それだったらNTTかなんかに電話して
こっからの電話はかかってこないようにしてください
とかいう対応をする方が
はるかにマシですよね
音量下げるとかね
感覚ってのはそういうことなんですよ
全く意味のないことを
しているんだということに
気づくことが大事なんです
ムチブサ
を排除しようとしても無駄なんですよ
ムチブサは心の中にあるものだから
結局
知覚してるけど
でも知覚とはそもそも心の中にある
出来事だから
目をつぐれば知覚しないですから
知覚というのは
人に強制はできないんですよ
これもまた一つの
大きなポイントだったんですね
私の痒みは誰も私に強制することは
できないんですよ
本当はね
これはベータ要素を排除したいという
願望を持つことによって発生する感覚なのであって
その逆ではないんです
痒みがあるから排除したくなっている
わけではないんです
そうとしか思えないんですけどね
このコニを呼んでも
なおですね
治ってはいないんだけど
でも松木くん人は
生きてるんだっていうふうに
確信したことによって私は
おそらく
いわゆる感界から感知にっていう
展開に至ったんだと思うんですね
だからこれは
非常に大きな出来事だったんですよ
ここに至って
ようやく
肌にあるのはベータ要素であり
それを排除する必要はないのであって
それは
アルファファンクションによって
夢見る対象なのであって
その際には
不在の強さというものの
元に
白くない母が
つまりそれは
父母がであり家がでもいいんですけど
あるいは妻がでも娘がでもいいんですが
その提供してくれるものは
私に
私に
成長を促すでいいと思うんですけどね
つまりそれは
信じるということは
心の成長を促すみたいなのは
全然面白くもなんでもないことになったね
でもそういうことなんですけど
信じるということは心の成長を促すということなんですが
生きていくためには
これを信じるほうが
ないと
信じることは論理的にはできるんですよ
おっぱいくれたわけだからね
お金もかけてくれたわけだからね
別に悪意があったわけでは
ないわけですよね
冬季届き
冬季届きだから
それはですね
なぜここで松木くんひろが
生きてなきゃいけないんだろうな
ここはちょっと難しいですね
なんで
生きてなきゃいけないのかというと
それは信じられなければいけないから
結局
48:01
ベータ要素とかって
エソラごとじゃないですか
世の中ではそんなもの別に受け入れられているとは
到底言い難い感じがするので
エソラごとに近いんですよ
ただ私たちは電話に布団を被せるように
モノ自体に対して
モノ自体で対応するという
全然考えられていないということは
多々ありまして
だからかきむしるんだけど
モノ自体という
そう
モノ自体というものから
全ては始まっているんだということですよね
モノ自体に
私たちは振り回されていて
Xってそうじゃないですか
多分に
非常に植物的なものになりやすいですよね
およそ性行為について
人は考えられなくなっている
例えばだから性犯罪とか
それこそ電車で
痴漢みたいなのもそうですけど
実に植物的ですよね
それするとどうなるのかとかは
一切ないですよね
ただただ植物的になっていく
事項でないとは言わないけど
それすらも
その種の行動っていうのは
何かを考えた結果なんでしょうけど
何も考えられていないとも言えますよね
それによって
自分が性的に満足できるのかどうかすら
疑わしいじゃないですか
じゃあ一体あれは何なのかということになると
まさに性的な植物的な
接触ですよね
それぐらい
母の不在というものは
私たちにとっては
苦痛なんですよ
苦痛だから何にも
何にもそれを考えることなく
なんかこう
電話に布団被せるみたいになってしまうわけですよね
何にも考えたくないわけですよね
それについて
なぜこうなったのかとか
なぜ肌に
β要素ができたのかとか
考えたくないですよね
そんなことはね確かに
なぜ肌にβ要素ができたのかについて
考えを巡らすと
その考えによって正しい答えに行き着けるとかではないですよ
それによって
非常に鋭い発想が出てくるとかも
全然ないですよ
軽いして擦られたとか
それも植物的ですよね
非常にね
植物的なんですよ
私は肌とか赤とか
言ったものに対して
非常に植物的な発想を持っているということに気づいたんですね
それを取り除くと
良いことが起こるみたいな
母の満足ですが
母の満足はちっとも良いことではないと
この肌の
角質なんだけど落とすとか
全く無駄だという風に
考えるという考えるとはそんなもんです
せいぜい
考えることを続けていくうちに
ある一つの考えに
行き着いたわけです
これが
これも非常にしゃべると
まるでヤンキーかお前はみたいな感じなんだけど
親は頼りにならないと
別に
しかし
なんていうのかな
なんて言うんだろう
親は頼りにならないからといって
親を排除しなければいけない
わけでもさらさらないんですね
そんなの当たり前だって思われるもしないと
51:01
私は人が自立について考えていることは
非常に適当だと思います
例えば親は頼りにならないというのは
こういうことがあります
親に金をたらふく借りる
というのは全然ありだという風に
考えるように私はなりました
それまでかなり罪悪感を持っているところが
ありました恥ずかしいとかね
フリーランスを
やっていてそういうことを思ってたんだけど
全く思わなくなった
それはなんか賠償金取るとかそういうことじゃないんですけど
親に金を借りるとか
親を金銭的に頼るということと
親が全く頼りにならないということは
全然矛盾しないんですよ
別に
これを情緒的に捉えられるってことなんですよね
他の人にとっては常識かもしれない
でも私はこれを
情緒的に捉えるってことができてなかった
気がするんですよね
このことが
私が肌について
思っているあらゆる
常識的な例えば擦ると良くなるとか
半分摩擦すると良いとか
そういう話
全部温泉浸かると良くなると
どれも
都市伝説でしかないんですよ
この都市伝説でしかないというのは
一つ一つは知識の問題のように見えるんだけど
違うんですね
親がくれている知識なんですよ
ここで大事なのは
この知識における善意は
取り込んでいき
知識は捨てるっていうことが
できるようになるかどうかに
かかっている感じがあったんです
一個一個はくだらないことです
例えば
なんだろうな
アルカリイオン水を飲むと良い
アルカリイオン水をいくら飲んでも
肌はじっとも良くならないです
異論があるかもしれない
そんなことはどうでも良いんです
この知識は親から来ているんです
抗議の
これは
無視する
私はアルカリイオン水とか飲んでないですからね
今ね
しかし善意は取り込む
それが多分僕は
自立ってことなんだと思うんですけどね
ここに母は
不在なんですよ
白い母は少なくとも
不在です
真剣にアルカリイオン水について調べ
それも良いことじゃないんですけどね
私の肌について
こういうことですよね
私の肌を良くしようと思ったら
アルカリイオン水なのか
ヨーグルトなのかって
その発想をそもそも捨てなきゃいけなかったんだ
母は
ここに僕は全然行きつけてなかったんですよ
いい母親だなと
納豆きなでとか考えてくれて
どっかで思ってたんですよね
そしてまさに私も全く同じアプローチで
肌を良くしようとしてたんです
この発想そのものが
ダメなわけですよ
この発想を捨ててしまって
しかし
肌を良くしようとしてくれている
この発想を捨てなきゃいけない
肌を良くするじゃないですよ
私を愛するでなければいけない
ここは私には
まだなかなか理解が行き届いてないんです
なぜかね
肌を良くしようとすることは
54:01
息子を愛するってことなんじゃないの
それはそうなんだけど
そうではないんですよね
息子のことを思っていれば
肌を良くしようではなかったはずなんですよ
だけど私の母は
肌を良くしようになってしまう
で私はそれをそっくり取り込んでしまったために
それをそっくり捨てたくなったわけです
だって良くならないからね
この発想そのものを
なんつうんですかね
不在なんですそうそう
この発想そのものが
母の不在なんで
これに私は息通り治んないから
治ってれば息通らなかったと思うんだけど
治んないから治るはずないんだけど
だって私が欲しかったのは
母のちぐさであって
母の不在の代わりのヨーグルトを塗ることではない
こういうことですよ
ここまで行き着いて
それを松木邦博というか
藤山直樹とか山崎孝明とかが
等価高いと思うんだけど
信じている
今言った通り信じているってことではないんだが
抽象化したこれについては
信じているということを抽象化すると
一点と信じがたくなりますからね
これをベータ要素って言い出すんですから
アルファファンクションとか
言い出すわけですからコンテイナーとか
言い出すわけですから
でもコンテイナーの不在なんですよ
コンテイナーがあれば
ヨーグルト塗るって発想には
決してならないはずなんですあそこで
ここを全く
僕は理解できてなかったんですよね
ヨーグルト塗るのがベストだぐらいに思ってたんで
実際それで時々良くなったりも
するんですよ厄介なことに
しかし
だったら
こういう風に考えれば
わかりやすいでしょうかすごい長くなったな
中国で今すごく
盛んになっているAIが
私の肌に非常に
的確にヨーグルトを塗ってくれれば
私は
乳幼児期にそれで満足したのかと
母がいなくてそんなはずないですよね
ここが逆転してるんですよ
うちの母の中では発想として
でもいかにもうちの母らしいんです
それはね
56:11

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