1. 佐々木正悟の自由連想
  2. おっぱいは心の中に。その外に..
おっぱいは心の中に。その外には?
2026-09-14 57:57

おっぱいは心の中に。その外には?

クラインとかウィニコットとかビオンとか
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サマリー

このエピソードでは、まず話し手が自身の体調やセッション、イベント告知について触れ、その後、精神分析における「正規」と「野良」の関係性や、プロ野球における境界線の変遷を例に、精神分析が一般に広まるための敷居を下げることの重要性を説きます。後半では、フロイトの「エディプスコンプレックス」を起点に、アトピー治療の経験から自己の価値観と父親の価値観との葛藤、そしてそれを乗り越える過程を詳細に語ります。さらに、クライン、ウィニコット、ビオンといった精神分析家たちの理論を紹介し、特にクラインの「おっぱい」への着目、ウィニコットの「外部」からの働きかけの重要性、ビオンの「排出」と「受容」のプロセスに焦点を当て、人間の根源的な苦悩や精神分析の役割について深く掘り下げています。最終的には、これらの理論が現代の人間関係や心理的な問題にどのように関連しているかを示唆し、人間の複雑な内面世界を探求します。

冒頭の挨拶と告知事項
おはようございます。佐々木正悟の自由連想をお届けします。 9月14日月曜日7時33分です。
早いですね。早すぎますね。 とにかく
こういう時期になってきましたので、 眠いわけですが、こういう込み入った話をしようと思っているわけです。
頭がね、いまいちはっきりしないんですよね。 はっきりしない中で講義するみたいなのって、こういう心理状態なのかわかんないですけど、私、先生やったことがないから、
講義をする人の、それは体調とかあるよねっていうのは、実は3ヶ月チャレンジ、3ヶ月セッションか、
を始めるようになって気がついたぐらいな。 いや、聞いてたんで、大学の先生が。何も言うときもあれば、ひどいときは2日言うときもあるんだよ、みたいなことを言うのを学生時代に聞くようになって、
しかもアメリカではそういうのが問題になったりしたのにも、立ち会ったことすらあったんで、わかるようにはなったけど、まあよく考えてなかったんですよね。
もっぱら学生しかやったことがない人間としてはそうなんですよ。
で、打ち合わせもこれからしたりするんですけど、いよいよ9月26日が、その前に9月24日にセッチョン出ますんで、よろしければ戦略的無計画、私はこれはタスクシュートに計画を預けてしまうと、
まあ、根底にしてもらうと、この番組的には言いたいところですけど、ということによって戦略は保たれるし、無計画は計画化されていくっていうか、なんかこうアルファ化されるっていうのは全くありませんが、まあでも関数変数ですよね。
変数入れると何か出力されるっていうような状態が作り出せますよという、そこに一定の法則も加味されますよっていうか、
変容ですかね、起こるから、なんか全然説明をややこしくしてるだけなんですが、そういうことですね。眠いからかやっぱり。
とにかく24日にそれが出て、26日にはそれと直接の関係はないイベントをやります。山崎孝明さんとの野良場正規に聞きに行く続編ですね、2ですね。
そのイベントをやるので、ぜひこれはご参加、これを聞いている方は、パスコードのきばでね、1000円割引になりますんで、よろしければ使ってください。
あとは、まだちょっと若干、今では今すぐでも申し込めますよっていうことを強調してるんですけどね、ウェブサイトで3ヶ月セッションにしてから。
とにかく3ヶ月間、今日からはともかく直近の申し込み日から期間して3ヶ月間の3ヶ月セッション。
精神分析における「正規」と「野良」の境界線
この番組を聞いていて、ピントきたり、なんかこうやってみたいと思う方がいらっしゃいましたらですね、今更私の話を聞きたいではないと思うんですよね。
私の話ならもうここで山ほど知ってるんで、私の話を聞きたいとかではなくて、やっぱり相談される方自身の、これがね、それを持ち込むという気になるというのが既に相当一定の一歩なんですよね。
持ち込む気にそもそもならないんですよ、これを。そういうことなんだと。私正規の方が非正規よりいいですよ、安全ですよっていうのを聞いているうちに、
そういうことをPRする前にだな、みたいに思うことがあるわけですよ。相談する気になってないんですよ、人はっていうことですね。
で、あの区分にもう一つ僕が、今回このイベントの一つの願木でもあるんですけど、もう一つ強い違和感があるのは、その非正規の話を正規が聞くっていう会議をの発想を持とうよっていう、もっと強く持とうよっていうのがあるわけですよ。
なんかね、まあこれはあんまり言いたくないんですけどね、まあ言っちゃいますけど、ここでは何でも言っちゃってるから言っちゃいますけど、あの、こう、持ち込みフォームからどうぞみたいな感じで、いや私ノラ、ノラをやってるんだけどもちょっと話聞いてほしいって言って、そういうのは無理ですみたいなのが帰ってきたことがあって、いやそれダメだろうみたいに、ダメじゃないけど別にいいんだけど、その何でも聞きますっていう姿勢大事ですよ。
やっぱり特にね、このノラなんて、私は絶対正規の人にとっては潜在的な、あの、何て言うのかな、得意客、私は別にあれによって傷ついたりすることは、なるほどな、そういうこと、そういう考え方もあるかぐらいに思うだけですけれども本当に、あの、やっぱり、何て言うのかな、とにかくこの構造をよくよく司祭に検討する、
ならば、遠畑海人さんとか山崎孝明さんがやってることは、私は非常に理にかなった方向性だと思うんですよね。あの、今回精神分析は楽しいで、読んでいて、つくづく思ったんですけど、やっぱり、言ってることは正しい、まあ独善的に聞こえるかもしれないがとおっしゃってましたけど、気持ちはよくわかるんですけど、ただ精神分析が、こう、正当性にこだわると、
中2、4回以上やらなきゃダメなんだとか、えっと、そういう、何て言うんですかね、まあ、OKが理解できるぐらいじゃないとダメなんだというのは、そして訓練受けてるのは当然なんだというのはわかるんですけど、ここで線をギュッと引くと、絶対やっぱりね、一歩間違えたとプロ野球で認められるのは、伝道入りしてる人だけで素敵な世界になってしまって、他はみんな野良と同じですみたいな、だからもう一軍で普通に野球やってる人と草野球やってる人は同じだが、
一軍で普通に野球やっている2割3分ぐらいしか打てない人は伝道入りの人とは一線を引かれるんだよみたいな、言ってる意味が野球引っ越しじゃないとわかんないですね、あの、そういう世界を作り上げちゃうと、やっぱり野球って絶対発展しないと思うんですよね、それはいかんだろうという、まあようやくね、プロ野球にも色々ありまして、黒い霧事件とか色々ありまして、あの、こうやって時間が過ぎていくんだな、あの、
ねえ、プロとアマの垣根もようやく、こう、亡くなったから一郎がね、毎年のようにこう、あれですよ、女子高生と楽しそうに野球やってられるわけですよ、ああいう光景は実は非常に、僕はあれを見ていや素晴らしいなとは思わないんだけど、あれは一つの象徴であってですね、あれを見てるとやっぱり、これが正しい発展の仕方だよねっていう感じがするわけですよ、まあちょっと一郎は上から目線すぎるんじゃないか感はあるけど、でもやってもらってる人は嬉しくてしょうがないわけじゃないですか、あの、
あの線を今まで全くなかったのに20世紀には全くなかったんですよ、あれ絶対交流しちゃダメっていうまあそこにはね非常に重要な課題と倫理感があったわけですけど、まあ一つの決断だったわけですよね、当時の日本ではね、そうじゃないともう野球は完全にあのマフィアの賭博の対象みたいになりかねないところまで行った時代があったからですね、僕はその時代を知ってるわけじゃないんですけど、
そこを何とか防ぐためにああいう強行というか極めて不自然で理不尽な要するにプロとアマー絶対野球で交流しちゃダメっていうね、どうやってそんなことを実現するんだっていうぐらいだったけど実現してたから、だからまあ際どい線はあったんですよ、元プロ野球選手が社会人野球の監督やるみたいな話とか云々、でもそれも結構いちいち取り立たされていた時代はあったし厳しい制限かかってた時代もあったと思うんですよね、
今ほど普通のような顔をしてやってないですもん、まあ今はだからそこが完全に取っ払われることによってまあ前のね問題になったような問題の一端がですねあるわけなんですけれども、そうやっぱり自然だよねっていうことがあると思うんですよ、だからその精神分析でも精神分析全然違う理由によってですけど、そこでギュッと線を引いてしまったらもうなんかもうどうしようもなくなるようなっていうか、
本当にこう精神分析というのは、えーとなんていうのかな、コウノトリみたいな、そこはそれはそれでいいのかもしれないけど、うわー珍しいものを見させてもらいました、精神分析家がまだこの世に生きていらっしゃったんですね、みたいになっちゃったら広まんないじゃないですか、少なくとも、そういうことにあの線だとやっぱりなりかねないと思いますんで、現状はですね、精神分析結構人口に感謝されていきたいねみたいな、まあ概ね10日で回答の功績だと思うんですけど、
プロ野球と精神分析の発展
それだって結局ああいう特殊な人の特殊な活動が非常にうまくヒットするっていう、あれは行行中の行行ですよ、私は10番回にまあまあ携わってきておりますから、あれがいかに引き起こしがたい現象かかということは、あれに対してですね、やっぱりこう面白くないと思う人も心理師さんね、いらっしゃるようなんですけれども、
わかりますけれども、あれを起こそうと思って起きるわけじゃないですから、あれがもしなかったらと思うと、もう私だったら絶対もう少々の行き過ぎにはって、その少々が問題なのかもしれないけど、まあ諸手を挙げてこう支援したくなる、言ってたじゃないですか、将棋作家の人がよく言ってますよね、藤井壮太元将は素晴らしいんだみたいな、まあみんながみんなそういうわけじゃないですよ、でもああいうのが出てこないとやっぱり衰退していきますよね、みんなは将棋とかに全然興味ないわけですよ、
腕の動かし方だって、うちの奥さんもうちの娘も全く知らないわけですから、でも藤井壮太は知ってるわけじゃないですか、こういうことですよね、で、一切ああいう人が出てこないとどうなるかというと、やっぱり将棋作家はみんな食いに困るようになっていくと思うんですよ、だからああいうのは大切だと思うんですよね、別に将棋には興味ないわけですから、僕は少なくとも彼がどのぐらい凄まじいかということぐらいはわかる程度には知ってるわけなんだけど、
昔中学校でも将棋部に、小学校では将棋部だったんですよ、そのぐらいですけどね本当に、それこそコマの動かし方を知ってます程度なんだけど、でもやっぱりああいう人がいるといないとでは全然全く受ける印象が変わるんだよなっていうのは、だっていなかった時のみんなのテレビに将棋が3チャンネル以外でね、そして3チャンネルではいつもやってますけどね、
将棋がテレビで放映される時間が何か100倍ぐらいにはなってる気がしますからね、ちょっと最近減りましたけど、なんかあの頃になるまで昼食で何食ってるとか誰も知らなかったじゃないですか、まあそんなこと知ってる理由はないんですけどね、まあそういうことで、何だろうな、10分経ったから余計な話はやめてストレートに入っていきますけど、あのですね、最近グッドバイブスの話もしていてましたし、
フロイト、エディプスコンプレックスとアトピー治療
今日もまた例の、あの話がしたいんじゃないんだけど、いい格好の例だったんで、Xのね、あの激詰めする女性の話を今日もして、そこからちょっと今日はクラインの話とビヨンの話とエニコトの話、欲張りだなぁ、その前にフロイトの話しなきゃならないんですよ、どうしても、で、
Xのやつはともかく、まああれ罪悪感の話、結局あれは攻撃と罪悪感の話になるんですけど、攻撃と罪悪感の話って、あの、くしくもというべきなのか、どっかで読みかじっても別に、それは彼の不名誉とかには一切ならないと僕は思うんだけど、彼には彼の考え方があると思うんで、まあ、あの、倉園圭三さんのグッドバイブスですね、で、私は、いわば倉園さんに虚勢されて、何か暴力的なことを一切されたわけじゃないんで、要するに倉園さんに虚勢されて、何か暴力的なことを一切されたわけじゃないんで、要するに倉園さんに虚
そのさんの価値観にスポッと入ったわけですよ、ある意味では。で、この時に私のアトピーが治ったというのは、絶対に偶発的な出来事ではないんですよ、やっぱり私の父、父ですよね、母とアトピーはもう間違いないですよ、軽石で擦ったり、つるつるの肌とかに私がアホな幻想を抱いていて、肌にβ要素を散出して、それを取り除くっていう、まあマチポンプみたいなことをやってたわけですね、だから肌が角質が外れて、あの、ボロボロになるっていう事態を避けられなかったわけ
だけど、もう一つここにはあの、ステロイド剤っていう問題がありまして、ステロイドの医療加護って問題が私の昭和50年の頃は結構取り沙汰されてたんですね、今時の人はあんまり知り、ご存じないかもしれませんが、知ってる人は知ってると思いますけどね
で、これに対してうちの父とかがすごい好きなわけですよ、バカだから、バカだから言ってますけど、あいつは要するに坊主やってるくせに左翼崩れで
そこまでは言わないにしても、まあそれでも相当なもんなわけですよね、心情沙汰、まっしぐら感があるわけですよ、で、医療加護とかも全部国の責任なわけですよ、だから昭和が肌がひどくなっていくのは全部アトピー用の悪い製薬会社のせいだってことになるわけですよ、で、薬が使えなくなるわけですよ、ここで
で、こういうエディプスを私は基本受け入れ、受け入れるじゃないですか、だって親が病院に連れて行ってるんだし、親の選択してる薬を結局塗ってるわけですから、だから親が言っているようにするということは結局親の価値観そのものを入れることになり、例えば父親の言いなりになっていることよりは、私は父親の言うことなんか大して聞いてなかったんだけど、でも父親のエディプスまっしぐらなわけですよ
これがルールってものなんですよ、よく言うじゃないですか父親は切り札的に誰がお前を食わせてやってるんだってあれですよ、それは知ってるから、知ってるわけじゃないですか、俺は父親の金で食ってると、なんなら父親の金で買った薬を塗ってると、それでそれが良くないっていう話にここにねじれが一つ入ってきますよね
実際にそういう薬を塗って、まあ嫌な話だからやめようか、適当に体液が混ざっていい感じじゃなくなっていくわけですよ、なんかこう本当に米体嘘かまっしぐら感が出てくるわけですよ、で、まあうちの母はそれは嫌な顔しますわな、で、うちの父はそれはもう社会主義が達成されると治るわけだけど、そんなこと信じるはずないじゃないですか
社会主義なんか達成されたって俺の肌ちっとも良くなんねーよっていう、この話は私非常にこう、いわゆる武闘派のカウンセリング問題にあると僕は思うんですけども、まあそこに立ち入るとまた面倒くさいし、私の仕事と実は関係ないからやめますが、とにかくそういうふうに社会主義が達成されても僕のアトピーは良くはならないはずなわけですよ
だって今ある薬って治んないんだから、薬が国民に平等に配られたからって治んないじゃないですか、治る薬があれば別ですけど、治る薬を一部の金持ちとか、何ですか今で言うとこう、総理側近だけががめてるとかなら、でも彼ら多分そんなものがめたいと思ってないからがめてないと思うわけですね
うちの知事はその辺どう考えてるのか知りませんけれども、とにかくそういうエディフスがどうしても何が問題かって未来を決めちゃうわけですね、ある程度
結局のところ俺の言う通りやってれば間違いないとか、誰の金でお前は食ってるんだってことは将来も俺の言うことを聞いてる限りここで食っていけるんだぞってことが案に言われてるわけですよ
エディフスって別に人を苦しめるためにあるわけじゃないんで、ここに保証があるわけですよね未来の、で僕はそれを外しきれなかったわけですよ、だって未来の保証を取り外しちゃうって怖いじゃないですか
だからなんだかんだ言って父親うちの父親ちゃんとやってるよねみたいな話を中年のおっさんが時々始めるじゃないですか、なんだかんだ言ってお母さんだよみたいなことを始めるじゃないですか
あれはつまりそういう価値観でまだいけてるよ自分はっていう再確認宣言みたいなものに私には聞こえるわけですよ
まあなんかこういい話をしていていい話を聞いているような気持ちになってくるわけだけどそうじゃなくてまだまだ未来は不安だってことでもあるわけですよ
代わりにうちの父がやってきてくれたように自分もやればつまりこれが価値観ってもんじゃないですか
未来もうまくいくように覚えてるんだよねっていうこれはなんかこう成熟のようでもあるんだけどあの子供に帰ってるようでもあるわけですよね
だからここでその本当はですねやっぱりエリプス葛藤が依然としてそこにあるはずなんですよ
だってそんなねあの心情差派でこれからもやっていけば自分の未来が安泰だと思うのはいくらでも甘いじゃないですか
最近リベラルは高慢だとかなんとかあの読書ザルっていうんですかさんが書いてたりしますけど
まあああいうことっていうのは結局あの今となってもあのフェーズにかなり入ってきているんで
昔みたいに55年体制で一生懸命野党が怒鳴って自民党の人が謝っていれば
だいたい日本はうまくいくよねっていうほどぼっか的じゃないと思うんですよさすがに
でそういうことを考えてみるとやっぱりその父の路線でそのまま行くわけにいかないだけではないんですが
父の路線でそのままうまくいくっていうだけではなく代わりの路線を見出すか
自分がそれを圧倒できるような何かを手に入れるかっていう時にみんな唸るような金が欲しくなるわけですけど
この線は大体うまくいかないんですよ私の知る限り唸るような金は手に入っている人も
依然として父親のエリフスにエリフス葛藤と戦ってたりするわけですよね
そしてなんかこう妙にたくさんの女性を必要としてるんだけどその女性はみんなその人のお母さんの
若い頃の面影があるとかそういうことになりやすいんですよ
非常にやっぱりここがね我々はこの2歳児以前の自分を持ったまま一生生きていくっていう
エディプスコンプレックスと未来への不安
この対照関係論の対照関係論じゃなくそのように正確に明快に言い切ってるかどうかは別として
私はそういうことだと思うんでそこがそれがUNOの中に入ってるような気がしてるみたいに思ってるけど
その辺はどうでもいいとしてですね
卒業しないんですよそこは
だからついつい私たちが欲しがるリソースは母親だったり
ついつい私たちが超えるべき父親は結局のところ父親のルールでは
まかないきれないほどの金力か権力ってことになりやすくて
だから我々は求めるものがみんな似たり寄ったりになっていく気がするわけですよね
でこれをどうにかしなきゃならなかったわけです私は結局のところ
心情差派でやっていれば将来肌はかぶれないだろうとかはナンセンスなので
ただそれにとって変わられるほどのものがなかったわけですよね
結局のところ新薬に期待するとかある新しい食事療法とか
すべてそれはもの的な話じゃないですか
食べるものあるいは新しい薬すべてものですよね
これがやっぱり科学的唯物主義っていうんですか唯物主観っていうんですか
そういうものとの関係があるわけですよね
ものが進歩していき人がそれを平等にっていうのか
合理的な社会システムによって取り扱えれば人は幸せになれるんだ
それが嘘なわけですよそれは必要ですよもちろん
そうでなくてもいいんだってわけじゃなくて
薬も全くないのに路上で転がっている人もいるのに
あらゆるものをがめている人もいますみたいな
それがいいはずないんだけど
でもみんなにものが平等に行き渡るような社会システムを達成しても
依然として解決しない問題は山ほどあるわけですよね
この問題はやっぱり依然としてあって
しかも私たちはその二歳児の脳を引っ張って
一緒にやっていかなきゃならないという
一歳児って僕は言いたい
二歳の時はなんかちょっと言葉を使ってた気がするからなんですよね
一歳の時は言葉が使えてなかった
そこがやっぱりポイントだと思うんですよ
でフロイトが描き出したことってそういうことですよね
グッドバイブス受容とフロイトの正しさ
人間はそういう苦しみをみんな持っているということですよ
だからエリプス葛藤はみんなするんだと
ここが私はグッドバイブスの挙戦を受け入れることによって
つまり父親はもう基本的には信用できなくなり
代わりにグッドバイブスを信じるんだけど
信じるんだけどそれによってアトピーがグッド良くなって
ほぼ治っちゃうわけですよ
ってことはやっぱり父親の未来の保障というものが
父親の未来の制約になってるわけだけど
わけでしたけどもね
ここで大きな問題にぶつかるわけですよ
これをしちゃうということは三角関係の父親を取り替えて
異なる母親父親像みたいなものの中で
自分は生きていくってことに
その時に同時に蔵野さんが結局のところ
蔵野さんは愛の選択と分離の選択なんで
家族関係で言うと家族は維持することになるわけです
ここで私は要するに私の妻の方の家の挙戦を受け入れたわけです
二重に受け入れてるわけですよ
だからここで私はそれまでの鍋の蓋をどうたらこうたらとか
皿はどうたらこうたらとか基本言うこと聞いてましたよ
言うこと聞いてたけど理不尽だと感じてた
それが感じなくなっていくんですよやっぱりね
かなり理不尽なことも割と積極的に受け入れるようになって
つまり挙政ですよね
挙政されることによってこの佐々木家のやり方というものを
基本的に捨てていったわけですよ
だけどこれをやったということはフロイトだってことなんですよ
クラゾンさんフロイトっていうのを
多分究極的にはその価値観は受け入れないけど
やっぱり僕はこれで私が一切が変わっていくということは
フロイトが正しかったってことなんですよ
つまり私に言わせればですよ
皆さんがどう聞くかわかりませんよ
苦痛というものは結局のところ
エリプス葛藤からもたらされる部分が大きいんだってことですね
要はエリプス葛藤っていうのはこれだけ聞くと変ですけど
欲しいものがあります母親が欲しいです
でも母親は父親のものなんですと
これを無理やり奪いに行くと
罪悪感が強く強烈に発されてくるんですと
なぜならは前から持っていた人のものは
その人のものなのであって
まして自分はそのカップルから生まれてるからね
その人のものであって
それを後からかっさらうのは良くないことだ
ここに罪悪感の起源を
もっといろんな説明できますけど
とりあえず僕流に説明するとこんな感じで
罪悪感の起源を見たわけですよね
人間社会における罪悪感と第三者
葛藤さんもグッドバイオスの中で
罪悪感と攻撃って繰り返し言うんだけど
そしてそれは存在しないって言うんだけど
神羅万象っていうものを持ち出すんですよね
しかし罪悪感と攻撃は
やっぱり人間社会が持ってるものなんですよ
猿は持ってるかもしれないが
多分猿は持たないような気がするんですよね
ここに三角関係っていう
人間ならではの世界観があって
人間三角関係は
頭脳明石である人は
全くなく描けてしまうんですよね
だから罪悪感というものを持つんですよ
だって野球やるときに審判つけるじゃないですか
あれこそまさに猿にはできない滑走だと思うんですよ
猿って多分ボスザルの争いになったときにですね
審判とかレフェリーとかが必要だという風には
思いつかないと思うんですよね
あの頭脳からして思いついて良さそうなものなんだけど
世界のどこでもボス戦の時には
レフェリーがつくって話聞いたことがないんですよね
でも世の中が相当民主的じゃない国だって
レフェリーってつけるじゃないですか
例えば一党独裁の国でも
なぜかレフェリーってつくじゃないですか
一党独裁なんだから
どっちの方が例えば何でもいいですけど
将軍様とかの覚えがめでたいかによって
でもそうするとレスリングとかする意味って
何もなくなりますよね
サッカーにも隣の独裁的な国でも
ちゃんとレフェリーいるじゃないですか
笛吹く人がいるじゃないですか
でその人には逆らわないじゃないですか
基本的に
いや別にあのこっちの方が
より共産主義的だからこっちが勝つんだよみたいな
話にしてもいいはずなんだけど
そうはなんないですよね
我々は第三者っていうものに
揺らねるっていう意識を持っちゃうんですよ
多分これが藤山直樹がよく
生成体験をオーガナイズするものが
準備制として最初から遺伝されているみたいな
そういう言い方
なぜかというと
第三者というものを持つイメージを
遺伝するんだっていうと
もう完全にダウィンからの逸脱になっちゃうから
今のように言うしかないわけですね
言ってみれば第三者というものを
用意しないと公平ではないと感じるような
脳を遺伝的に受け継いで生きてくるんだみたいな話ですね
これを持ってしまったら
私の方が正当なのか
父の方が正当なのかって問いを
絶対立てちゃうじゃないですか
これは別に父親がいなくったって
母親がいなくったって
どんな人だって
エディプスカットは持つんですよっていう
つまりフロイトが描き出した世界ですよね
エディプスコンプレックスの普遍性と苦悩
ここで人は苦悩すると
なぜなら虚勢を受け入れる日が
いつか絶対やってくるから
よっぽど偉い人
無理だね
どうやっても無理だと思う
中国皇帝の息子でもダメだと思うんですよね
エディプスカットは避けられないんですよ
自分のやり方は
世界で決する人のルールであるっていう場合だって
受け入れなくないルールかもしれないわけだから
結局父親のルールと自分のルールは違うわけですからね
受け入れるしかないわけじゃないですか
例えばサッカーでなぜ手を使っちゃいけないんだと
俺は将軍様だから手を使うぞみたいなのが
なんとなく変じゃないですか
たとえどれほど権力があっても
ルールってのはそういうもんなんですよね
だから昔から中国でも
私もよく三国志とか
孔武と隆法とか
なんかみんな法にうるさいわけですよね
大王とはいえど
法には従わなければいけませんとか
そういうことを言われてるわけです
おかしいじゃないですか
大王が法を決めるんじゃないのかっていう
でも決めたらそれに従わなきゃなんないんですよ
たとえ自分で決めたとしてもですね
これが第三者という存在
我々が意識する第三者という存在で
ここに罪悪感を持つのは当たり前ですよね
だって法は絶対に気に入らない時とか
絶対に犯しちゃう時があるから
法がそもそも存在するということは
潜在的に罪が存在するということで
罪が潜在的に存在するということは
罪悪感を持つということじゃないですか
だから人に迷惑をかけるとか
人が自分のことを指差しているとか
人に笑われているとかいうことが
我々は誰に習うこともなく
それをフロイトが人間を原理的に持っているんだが
どうして持っているのかというと
父親から母親を奪いたいと思ったことがあるからだよ
っていう説明をしてみせたわけですよ
クラインの理論:おっぱいと二者関係
別にその説明が当たってなくてもいいんです
三角関係があるからだよと言って
三角関係にはルールってものが
必ずつきまとってるよねっていう
第三者っていうものがいて
一者と二者がいいというだけでは決まらない
私とお母さんが良くて
私とお母さんがセックスして
今後私とお母さんだけで
幸せで暮らすんですよっていうのは
二者だけしかこの世にいなければ
別にそれでいいんですよ
誰も文句言う必要はない
でも第三者がいるから
それが成立しなくなる
そうすると第三者がそれは絶対ダメだと
特にそういうのは人類にとって
すごい罪なんだって言われると
ゾッとするじゃないですか
だから自分がそういうゾッとするようなことを
考えてしまったことが人間ありますから
というわけで
ゾッとするわけですよ
というわけで
罪の意識を持っちゃうわけですよね
これが全人類に共通する苦悩として
フロイトが描き出したものだから
彼は天才だって言われているんだと思うんですよね
でそれを私は
まさにグッドバイブスを受け入れるときに
やっちゃったから
そういう意識も
だからその後でね
ヤラノンさんの言う通り
そういう罪の意識は必要ないから
手放しましょうでもいいんだけど
手放すってことは持ったってことですよね
だからこの感情を
この三角関係というものを
持ってしまう私たちは持ってしまう
これはすごくいいことでもあるわけですよね
なぜかというと
江戸時代でもイレフだとかあったわけですけど
結局こういう考え方を持ってないのに
民主的な制度とか
一切あり得るはずがないわけですよ
サルは
例えば自分の勢力は100ザルいて
相手の勢力は2しかいませんみたいな
全然不公平だとか
多分考えないと思うんですよ
よしあいつらやっつけようみたいに
すぐなると思うんですよね
なんか人間の場合は
いやそれでは不公平ではないかとか
なんとか言い出すわけですよね
それはまあ表読みとか
いろいろできるからなんだけど
それは結局言葉があるからね
言葉は第三者性を持つからね
言葉ってのは公平性の源になってるからね
だから不公平というものは
罪だって意識が出てくるわけですよ
きっと
クラインの理論:おっぱいと母親への早期葛藤
で私はもともと
父の世話に散々なり
親女 母が知らんけど
坊主だから
左翼革命が起きると
縛り首に合うような日もするんだけれども
そういう父親を持って生まれてしまったので
父親が明らかにどう考えても
それは受け入れられないと
例えば父親はグッドバイオスとか
絶対受け入れられないと思うんだけど
受け入れられないものを
勝手に私が後から生まれてきたくせに
受け入れてしまって
余った罪の意識というのを
手放すということになった時に
葛藤があるなと私は感じたんですね
この葛藤があるということ
それ自体が既に
非常にフロント的だなという風に
考えざるを得ないわけです
そういう風に考えた
結果として受け入れたのが
グッドバイオスだったから
それはそれでいいんだけれども
そうするとやっぱり精神分析ってものに
興味を引っ張っていかれざるを得なくなるわけで
何かさほどうまく説明もできてないのに
30分かかって
こっからクラインとウィニコットとビヨントが
不可能じゃねえかと思うんだけど
こっから行くわけですよ
あと15分ぐらいで
やり遂げたいと思ってるわけですね
であのXの話ですよ
激詰めしている女性の話ですね
クラインという人は
しかしだと
これ彼女は苦労してるんですけれども
しかし父親が必要かそれ
って考えたわけですよ
彼女は
彼女がラディカルだったのはそこなんですよね
それは二者関係だけで
実はいけちゃうんじゃないのっていう風に
彼女は考えたわけですよ
つまり彼女が考えたことっていうのは
こうなんですよ
なるほど
男の子はとりあえず言っときましょう
女の子でも
だからここもクラインが偉いところ
フロイトはわけわかんない説明を
女の子用に用意しちゃったんですけど
あそこが彼の科学にこだわった
ものの失敗なんですよね
本当の母親にこだわっちゃったんですよね
フロイトは
これ観念の話してるんで
三角関係が頭に描けるように
なりさえすればいいはずで
男も女もないんだけど
彼は
でも女の子にはペニスないしなとかって
悩んだわけですよ
それでペニス戦法とか言って
すげー女性に不評を買うことになるんだけれども
そうではなくてですね
問題はおっぱいなんだと
つまり母親はおっぱいを持ってますと
さっきの話だと男の子は
母親と結婚したいわけですよね
それかそうかもしんないけど
もっと前があるでしょうと
要は男の子も女の子も母親が欲しいんでしょうと
それは母親じゃないでしょうと
クラインは言ったわけですね
母親が欲しいんじゃなくて
おっぱいが欲しいんだよと
母親というものはないんだよと
その時代はまだ
おっぱいなんだよと
おっぱいしかないんだよと
言ったわけです
ここにラディカルさがいっぱいあるわけですね
でもそれじゃ三角関係描けないじゃん
ってことになるんだけれども
ここでクラインは
なんて言えばいいのかな
アクロバティックなことを考えたなと
私は思うんですね
問題なのは三角関係で
一番重要になっているものは何か
お母さんとの結婚をすると
罪悪感を持つってことじゃないですか
結局
実際にお母さんと結婚できてる男の子なんて
女の子もまして
ほとんどいないわけじゃないですか
だからどっかで結局
お母さんのこと諦めてますよねと
そのことだったら
もっと前からあったよねと
それが卒入ですよね
ということなんですね
つまり問題は
おっぱいと自分の関係なのであって
母親と自分の関係が出てくるのは
もっと後だと
早い話クラインは
エリフス葛藤が発生するのに
4歳までかかる必要はないと
言ったわけですね
1歳とか2歳で十分だと
その時卒入という葛藤があったでしょうと
要するにおっぱい諦めちゃなきゃならないと
ここでおっぱいと私と
怖いお母さんという
三角関係があるよねと
いやだけど怖いお母さんというのは
クラインの理論:おっぱいと自立への不安
おっぱいと同じじゃないですかって
話になるけど
そんなこと赤ちゃん分かんないと言うと
ここにはもっと重大な問題があるわけです
とにかくその怖い厳しい悪い
だから悪いおっぱいって言うんだけど
怖い悪い厳しいお母さん
これがまあ要するに
フロイトが言うところの父親ですよね
とおっぱいという母親
と私という三角関係がここにあり
母親を諦める前に
その子はすでにおっぱいを諦めるという
一大決心をしていると
だから虚勢不安っていうのは
いらないんだとある意味では
まあいるんだけど
だから虚勢不安というよりは
自立へが不安なわけですよね
おっぱいなしでこれからどうやって生きていけるんだと
赤ちゃんですからね
そういうふうに思ったことがあるはずだと
でさらに大事なのは
この時にこじれる
こじれの度合いは
エディブス葛藤の日ではないでしょう
というのをクラインの含みとして
多分クラインはフロイドへの遠慮があって
そこまで言ってないと思うんですけど
だっておっぱい諦めようとしている
1歳児の方が
お母さん諦めようとしている
6歳児よりもはるかにつらいじゃないの
っていうことなんですよね
私はこれは妥当だと思うんですよ
こういうところのこじれが
我々のむしろ精神障害のネタとしては
より重大である可能性が高いと
その辺がストレイチーとかの辺の人たちが
進んでいった道で
イギリス対象関係論が
向かっていった道なんですよね
だから精神病のより重い方を
ロンドン学派の方が
ニューヨークより見られるようになったのではないか
ということに今のところなってるけど
これはニューヨークの方の人たちが
同意しないかもしれないし
いろいろとね
交わりがなかったわけじゃないから
アメリカとイギリスとの間では当然
なので簡単じゃないんですけど
でも確かに私の興味としては
対象関係論の方が
はるかに面白みを感じて
Xの激詰めですよ
クラインの理論:投影と空想の世界
あれ二者関係で見ると
やっぱりすごくすんなり
いくと思うんですね
あれ全くクラインが描き出したモデル
そのもの感があるわけです
どういうことかというと
そもそもおっぱいがお母さんに見えていますと
で問題なのは
おっぱいが諦められないというか
おっぱい自分のもとにしたいとか
おっぱいがもらえないときは許せないとか
そういう感情を赤ちゃんが
仮に持つとしてですね
ここで
投影という問題がもっと切実に
出てくるわけですよ
男の子が母親を
自分の奥さんにするからとか言ってるのも
すげえ投影してるわけですよ
母親のことを相当幼い女の子か
なんかだと見てるわけだけど
でもその投影は
甘いもんじゃないですか
2歳児が
おっぱいに投影してるのは
そんなもんじゃないわけですよ
多分完全に聖母マリア的世界に入っちゃってる
という風に思えるわけですね
良いおっぱいというのは至上のものだし
もうこれさえあれば世の中
生きていけるわけですよっていうぐらいに
思っているわけなんですね
他のお世話も全部してくれてるからね
多分松木さんがそういう描き方
しますけど
遠距離描いたらどう描いてたかな
遠距離描いたらもっと現実的に描くんですよね
私はでも空想の中ではですね
赤ちゃんは
おっぱいに世話されてると思うんですよ
おしめ描いてくれてるのもおっぱいだし
なんなら寝かせてくれるのは
多分おっぱいなんですよね
そういう世界に生きてると考えられるわけですよ
空想の世界ですよね
だから投影なんてお手のものなわけです
この投影と空想で
一番きついのは何かというと
このおっぱいが
自分を無視するとか
泣いているのに呼んでもやってこないとか
そういう事態ですよね
そういう事態
これの最もひどい事態ですけど
心理臨床の本ではしばしば
母親は
鬱でよく寝込んでいたとか
母親は長期で入院していたとか
そういう表現が出てくるわけですよ
クラインの理論:空想と悪意の連鎖
このおっぱいとの関係が
結べなくなる時に
子供はどういう空想をしなきゃなんなくなるか
という
だってウィリアム・テルがそうですけど
お父さんひどいじゃないですか
つまりエディブス葛藤において
我々がする
ウィリアム・テルって基本的に物語で空想じゃないですか
男の子は空想するわけですよ
お母さんとの
恋路を邪魔する悪いお父さんをやっつけようみたいに
これは世界中にあるじゃないですか
ジャックと豆の木とかね
世界中にありますよね
そういう空想
雲の上に行って大男である
どう考えたってお父さんですよね
斧で木を切り倒して
相手の首をへし折る
かなりお父さんに対する憎しみが困ってますよね
すごい空想ですよ
あれはでももっと前から
子供はやってて
あれをやるのは男の子だけではもちろんなくて
この辺クラインがすごい
一気に問題を解決して
見せてくれてるわけですよ
女の子だっておっぱいをやめさせられる時には
同じような空想を抱くと
でその時に憎しみを向けてる相手は
お父さんではないと
悪いお母さんであると
これが要するに
Xの夫が
に被ってるわけですよ
夫が悪いお母さん化してるわけです
夫というのは良いおっぱいなんですよ
あの女性にとっては
あそこに書いてある通りなら
そしてあれを書いたのが女性なら
Xによるとあれを書いたのは夫だろう
みたいな意見もあって
その説も捨てがたいと思うんで
あくまでもこれは
物語ですよ物語
あれを書いたのが激詰めした奥さんそのものだと
しましょうということ
そうすると話が進めやすい
ちょっと綺麗すぎて信じがたい
というのは僕も分からなくはないんですよ
まるで心理現象の世界だな
って思っちゃうんですよね
とにかく良いおっぱいなんですよ
良いおっぱいですよ
セックスするなんてのはですね
だからもう全面的にその夫
この夫さえいれば
私は生きていける
なってるわけですよ
だからミルクが欲しくなる
つまり自分が欲求不満になると泣く
この時空想が始まる
わけです
この
おっぱいは分かんないから
赤ちゃんにとっては
なんでお母さんは来ないのかとか
お隣のサザエさんみたいに
八百屋のおじさんと長電話してるのかとか
分かんないから来ないということは
自分に対して悪意があるに違いない
っていうそういう空想するわけですよ
だからホラー映画みたいな
キシボジンみたいな
そういう母親が世の中にいないわけじゃないから
余計難しいんですけど
とにかくそういう空想が
赤ちゃんの中では始まるわけです
現実を認識してるわけです赤ちゃんなりに
動けないんだからそうするよりは仕方ないですよね
この空想と
同じような空想を
ああいう元旦那香
なんかにするとどうなるか
あれは遅刻とか言っておいて
私を無視しようとしているとか
あれは遅刻とか言っておいて
忘れたとか言っているけれども
多分それは他の女のことを
考えていたんだろうとかそういう空想を
どんどん散出していくことが
できるはずなんですね悪いよ母親だから
無意識ですよ完全に
無意識的空想って
表現があるんだけど全く無意識です
これはクラインが描き出した世界だと
思うわけですよ
だから何と
答えたってその答えは
全て悪意に満ちたものになる
いやいやあのただ忘れてた
だけだからとか言うと
他の女のことを考えてたのかってことになってる
わけですよこれが答えなわけですよね
空想と相手の
言葉を相手の
言葉とか相手に対する知覚を
空想で埋めていくわけですね
だから全てが逆転にする
わけです相手が善意で何かを言っても
例えばあの相手の人が
もうこの話したくないそりゃそうだよね
浮気してるんだからあなたは私と話したくない
よねってことになってるわけですよ
この変換は
極めて高速で浮気とは限りませんよ
浮気は一つのこの空想は
無意識なんで悪意に満ちている
という確信はあるが
しかしどういうことを
しているという確信があるわけじゃないから
あの女の人は意識の上では
質問をしているつもりでいるわけです
あくまでも
問い詰めてるつもりはないわけです
攻撃してるつもりもないんですよ意識の上では
無意識ではそうなってると
思うんだけれども
だから泣いたってダメなんですよ
これは泣いて私の道場を引こうとしている
なんならこれは嘘泣き
しているという風になるわけです
全てがそういう風に逆転した世界
っていうものが多分展開される
と思うんですね
ウィニコットの理論:外部からの働きかけ
これこそが精神分析科の
置かれるポイントのポジションなんです
精神分析科というのはつまり
患者さんに悪いことを
する悪い母親と見なされる
これが患者さんが持ち込んで
くる苦しみなわけです
この患者さんからすると
要するに非分析科
アナライザントっていうべきかこの場合精神分析
ルームで言うとですね
明らかに明らかにではないんだけれども
投影されているので
完全に悪なわけですね
精神分析科は
このポジションに他の人も置かれがち
なのでその人の人生は苦しくなる
実際あのXの激済みしている
女性は男と付き合う
度にこれが起きる反復と言うべき
なんでしょうけどから当然起きるんですけど
なぜなら必ず
男が要するに
自分にとっての
良いおっぱいではない瞬間が
やってくるここにクラインが
良いおっぱいと言っている部分内的
部分対象と言って内的ですから
心の中に存在するだけの
ものであって男は心の
外にも存在しちゃうんでここがポイント
なんですけどだから
必ず問題は引き起こされる
わけですねで部分対象
ですから男はその女の人が
好きで恋愛している部分もある
でしょうけどそうじゃない部分も
あるわけじゃないですか例えば
そばが食いたいとかそれでもダメなんですよ
ラーメンが食いたいとかね
ラーメンじゃなくて私でしょうってことになるわけで
100%私だけに向かう
人間というものはこの世に
存在できないのでおっぱい
だけなんですよだからそれは部分
なわけです
これもクラインが
切り開いた世界ですよね
だから明らかにフロイトが言ってないことは
言っちゃってる感じがある
でも私はフロイトに言ってることしか言ってないからねって
まあこれが遠慮ってもんですよね
ミニコットって人は
しかしこれだと
全部が内部に入っちゃって
心の中に入っちゃって
どうやって精神分析化は
やってきた非分析者
要するに利用者に
どうやって役に立つんだよっていう問いが
立ったわけですね
ミニコットは小児科医でもあったから
しかし医者なんだから精神分析化
当時は医療やってたということで
医者なんだから
内的対処に完全にさせられるだけじゃ
ダメじゃんっていう風に考えたんですね
これがミニコットって人が
クラインを波紋にされる最大の理由ですよね
クラインが考えて
要するに言ってないことを
言い出してるわけですよ
クラインはあくまでも
精神分析化は
相手の心の中から直すんだっていう
直すっていうか働きかけるんだっていう
考え方を取ったわけですね
でも相手の心の中では
分析化はもはや
○○悪人にされたりするんだから
直しようがないじゃんっていうか
働きかけようがないじゃん
どう働きかけたってあの男の人と同じになって
あなたそう言ってるけどこうでしょうとか
また激詰めされるだけに終わって
現にそうなってましたよね
結局のところ排出されるよね
排出っていうのはつまり
この排出がポイントなんですね
悪いおっぱい排出するわけですよ
赤ちゃんはこれが後ほど
重要になってくるんですけど
お腹が空いたお腹が空いたってなってくるときに
うんこをしてすっきりしたよかった
寝ようみたいになって
つまりこれが排出なわけです
どういうことかというと
例えば私がクラゾノさんのグッドバイブスを
やたら取り入れ込んだわけじゃないですか
でも気に入らなくなったってなったときに
あの要するに泣くわけですよ
でも
クラゾノさんがそのときには私の投影で
悪くなってるから結局のところ
グッドバイブスとか
吐き上げ塾が行くわけじゃないですか
行ってると辛くなるから悪くなってるからね
要するにおっぱいが悪くなっちゃうわけです
悪い母親になっちゃうわけです
だから卒業しなきゃならない
そしたらもう切り捨てようってことになるわけですよ
これが虚勢
自らするような虚勢なんですけど
これの扇望といって
見たりもするのかもしれないけれども
とにかくこうやって
夫を切り捨てるわけですよね
つまり悪い夫なんだから
切り捨てるってことになって離婚すると
だけれども
おっぱいは必要になるから
もう一回別の男の人が必要になるんだけど
これと同じことが起きるっていうわけですよね
あそこの
マスダで書かれていたのは
そういう内容だと思うんですね
綴めてしまえば
もっとずっと長いけど
エニゴットはこれと同じことの
繰り返しになってしまって
分析家だとしてもこの事態を
この悪循環を打ち破れない
だから分析家はあくまでも
外にいるんだっていうことを
言い出したのがミニゴットって人で
ここにクライミングが言ってない
ラディカルな部分があるわけです
要するに環境としての母親は
物理的環境なんだから
外にいるんだから
心の中には内的部分対象の
良いおっぱいとか悪いおっぱいとか
そういうのしかないかもしれないけど
母親というものは外にいるんだよっていう
そして手で抱えている
ウィニコットの理論:世話の失敗と夢からの覚醒
これがホールディングですね
手で抱えているんだよと
おっぱい飲む前に手で抱えなきゃならないでしょう
っていうことを言ったわけですね
だから無理やりでも
おっぱい飲ますんだよみたいな
そういう世界なわけですね
ここに外から働きかけるんだ
っていう
だけど外から働きかける言うても
精神分析家って実際には
言葉しか使えないわけで
無理やり手とか使ったり
帰ろうとしたり逃げようとしたり
部屋から出ようとしてるのを
無理やり手で掴んで話し聞きなさいみたいな
自由演奏続けなさいみたいなことできないんで
そういうことは許されないわけだから
実際にミニゴットの言う
外側って何なのよ
っていう話になるわけで
その外側がミニゴットに言わせると
例えば精神分析の部屋であり
毎週何曜日の何時って
設定とかそういう外部なんですよね
ここをすごく
彼は言っていって
最大の外側というのが
世話の失敗という風に
ミニゴットは言うわけですよね
つまりあの夫は失敗してるわけだけど
失敗するということを
もっと劇的にやれば
一生懸命言い訳しようとしたり
泣いたり
部屋に戻ろうとしたり
もう寝させてと言ったりするんだけど
そうではなくて
もっと働きかけて
相手のいいようにやろうとするんだけど
失敗するということをやれば
要するにお母さんは
おっぱいをあげるのを
忘れていたり遅れていたり
ごめんねとか謝りながら一生懸命やって
それでも無理やりおっぱいあげようとして
実は眠かったんだ
失敗したみたいなことって起きるわけじゃないですか
これは外部なんだ
っていうことなんですよね
だから一生懸命あの女の人に
くっついてい続けようと
夫婦だから無理ですけどそんなことは
分析家とかカウンセラーであれば
くっついてい続けようとして
あの手この手を善意で打つんだけど
全部当然悪意に取られますけど
そういうやりとりそのものの中で
大きなミスを犯すと
つまり善意だと思ってるんだけど
善意じゃないことをやっている
みたいなことが実際に起きて
そのことに分析家も思いに立って
恥ずかしくなったり
ひどいことやっちゃったってことになった時に
この夢からこの悪夢みたいな夢から
バッと覚める瞬間があるってのを
ウィニコットは言ってるわけですね
まあでもそれは
ウィニコットとビオンの理論の比較
クラインは破門されたので
クライン派はこれをそのまんま
ウィニコットになっちゃうわけですよね
こういう考え方を取っちゃうと
あくまでもクラインの言ってるのは
内的なおっぱいというものがあって
内側から
分析家やっていくんであって
そういう失敗というのは外部の
要するに例えば設定ずっとしていて
土曜日の何時なのに
なぜかそのクライアントさんが
日曜日に来ちゃいましたとか逆に
逆の方がいいね
分析家の人が土曜日に来るのを
すっぽかしましたみたいなそういうことが
あった時にふと
気づくわけですよつまり
例えばXの女の人の激怒目だったら
もうなんか男の人が
キレて飛び出すみたいなことをして
どっか走って行っちゃうみたいな時に
何かが起こるかもしれないみたいな
そういう感じですよねでもなんか
難しい話なんですけどもっと無意識的な
失敗じゃないと
効果を発揮しないことが多いような
気はするんですよよく分かんないけど
でも49分だから
やめようと思うんですけど
Beyondの話に本当は入らなきゃいけないんですけど
こういう失敗という
ものに対してストレーチという
とか
もうちょっと違う
もっと
受け入れられやすそうなことを
考えだすんですねそれが補助長寿が
とかって言ったりするんだけど将来
治療同盟みたいな言い方するわけですけど
いやいやそれは昔ね
悪いおっぱいで
散々苦しんできたクライアントさん
なんだからそうじゃないんだと
わっと精神分析化
いいおっぱいとして
一生懸命やり続けていれば
お母さん像が変わるでしょう
みたいなこれを修正浄土体験
とか言ったりするらしいんですが
要するに
あれですからねネグレットとか
虐待を想定しているわけだけど
悪いおっぱいに苦しめられてきたかもしれない
しかし母親というものは
精神分析化が善意であるように
母親というのは実は
いいおっぱいとして一生懸命
頑張るっていうことをなんていうのかな
ある意味ではあれは
精神正義真心を込めれば
通じるみたいな雰囲気があるんですよね
で割と受け入れられてる
考え方なんだけど
あれは私は
なんていうのかな
少々都合が良すぎると思うんですよ
エニゴットが言う方がはるかにリアリティを感じますよね
内側からあくまでも
働きかけていくんだが
なんかこう
もっといいおっぱい的に働きかければ
相手もやっぱり本当はいいおっぱいだったんだって
目覚めてくれるのではないか
みたいなそういう考え方なんですけど
なんかね私は
あの考え方は
リアリティを
感じない時が多い
そういうので上手くいくっていうケースがあるのは
分かります
だから全く捨てたもんではないとは
思うんだけれども
これだけ引っ下げておけば上手くいくんだったら
もうちょっと
死に臨床って簡単に上手くいくんじゃないかなっていう
大々善意の人が多いわけですからね
中性情動体験に期待する
良い治療同盟に期待する
っていうことが
事の本質の全てであるならば
もう少しこの仕事は
楽に進むんじゃないのかなっていう
やっぱり真っ黒でも悪いものに
されてる人がどんなに善意の肌掛けしたって
それを悪く
とる方法はいくらでもあるわけで
そしてやっぱり
それをやられてるうちにだんだんだんだん
分析家の方も
嫌になってくるとか出てくるわけじゃないですか
ここがむしろ大事なはずであって
そのなんか無理やり善意感だけで
いくんだみたいな
補助長自我的な考え方っていうのは
それ一の善良さを
物語ってる気もするんですけれども
実際にはそうじゃないんじゃないのかなっていう
クラインがそういう風に
やっていた気は全くないんですよ
でまぁちょっとこの話
長くなぜかなりましたね
ビオンの理論:排出と受容
ヴィオンに
行くわけですがヴィオンが考えたこと
っていうのは結局クラインのまま
内側にいるんだと
ただし自分は悪いものにされてしまうん
だけれども悪者にされて
しまった中で
赤ちゃんは
排出に怪を覚えるでしょうっていう
これがヴィオンの
すごいところなんですよね
つまり東洋ドイツ化っていうのは誤解してるわけですよ
お腹が空いててミルクが欲しいのに
うんこしてすっきりして
それでやったぜってなっててもだめなんだけど
ここに快感に切り替わった
瞬間があるよねっていう
回復解原則なんですよ維持家庭なんだけど
ここで快感に赤ちゃんは
切り替わったよねと
その時物を聞く耳が
よく言うじゃないですか
聞く耳持ちだしたよねって
赤ちゃんさっきまであまりにも
怒っていて聞く耳持ってなかったんだけど
悲しくて怒っていて
無視されていて悪いおっぱい
しかなくて
世界は真っ黒だからお母さんが真っ黒ですからね
卒入とかだし
とんでもないことだということで
怒ってるんだけど
それで排出をガッとした時に
お母さんがその排出を受け入れるならば
赤ちゃんはそこで
達成した回に切り替わると
その時に
要するにお母さんが
ミルクをかいつまんで言えば
かいつまんで言えば
その時にミルクを
あげることによって
この事態を
救い出すことができるって考えたのが
ビヨンなんですよ
あのなんですかね
Xの激詰めに合わせて言うならば
ガーって排出して
トウハダカイトが時々
それを上手くやりますよね
指輪とか何かを投げつけると
トウハダがキュッとひるむと
それを見て女の人が
女の人がですね
相談に来てる女の人が
申し訳ないって思って
その瞬間に解釈を返して
言葉をかけていくみたいな
ちょっと作り話だと思うし
やや作りが
まあでもしょうがないですよね
紙面の都合もありますから
ただそういう風に
カイフカイ原則において
排出するときに
深いからカイへ切り替わる
瞬間があるよねっていうことに
まあこのことはもっと精緻に
議論化されていくんですけれども
でも言ってることはそういうことだな
って感じがするんですよね
なんでこれが大事かというとさっきの
ストレイチーみたいな考え方
補助長寿がみたいな考え方を取ると
全部を結局分析家がやるみたいになってるじゃないですか
結局は
何にも
ナライザントの方が
頑張ってる感じってないわけですよ
補助長寿が常に善意善意でいくから
いずれ気づくんだみたいな
それは結局のところ
分析家の善意というもので
問題が収束する感じがありますよね
クラインはそもそもこの問題を
どうするのかを書いてないんですよ
内側しか認められません以上みたいな感じで
実際はあの人絶対何かやってたと思うんだけど
そこちゃんと書いてないんですよね
でウィニコットは
それじゃ困るから外側にいるってことに
気づく瞬間があるんだと
だからウィニコットの場合は
そのクライアントさん
ナライザントさんが
ちゃんと参加してきている感じ
失敗には2人で気づく
これは失敗だつまり
ここに共通認識ができるわけですよね
これ失敗だよねと
分析家も失敗ですよね時々出てくるんですよ
心理臨床のそういうウィニコット派とかじゃなくても
ビオンの理論:外側と赤ちゃんの持ちこたえ
先生でも怒るんですね
そういう風に
ふと緩む先生の失敗で
ふと緩むみたいな
似てるんですけどヴィオンとウィニコットは
そういう意味では極めて
ヴィオンも結局外側があるってことを
これは言ってるわけですよ
この場合のヴィオンの言う
外側があるっていうのは
排出したという時に
排出を引き受けてくれる母親
というのは単なる
いいおっぱいとはちょっと違うんですよね
やっぱりねこの辺の話になってくると
長くなってしまうんで
ただそれはつまり
おっぱいはミルクを供給してくれるだけだけど
排出したものを
ただ排出させているのではなくて
引き取っているんだと
この時に
なんていうのかな
排出した時の
なんつうんですかね
その時の苦しみみたいなものと
達成感みたいなものが入り乱れてくるんだと
思うんですけど
そういう入り乱れに赤ちゃんが
えっとなんというか
ただただその時に
排出してぐったりするとか
排出して怒ったまんまとか
排出し続けているとかいうだけだと
やっぱり赤ちゃんって
えずいているけれども
泣き止んでいる
みたいな瞬間であるじゃないですか
あれが多分持ちこたえているっていう
欲求不満に耐えているみたいな
話なんだけど
あの瞬間を割と
ヴィオンは大事に考えているんだと思うんですよね
その時には単なるおっぱいじゃなくて
お母さんその時に声かけをするとか
いろいろつまり他者が
登場してくるわけですよ赤ちゃんが
想像していない何かが
そこでこう
長くなっていますね
まとめと今後の展望
さらにこれをXと絡めるのは難しいので
また後日に
しようと思います
できれば明日やりたいかなと思っています
でも明日全然違う話を始めちゃうかもしれないです
57:57

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