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2020-07-31 28:53

【GMV 196】思考は実現しない

呪術思考とイリュージョン
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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
唐突な感じなんですけど、昨日のバスが怖かった話をしているうちにわかったんですが、
僕らって物を見るときに、フラットに決して見ることができないんだなということがわかったんです。
わかってたようなことではあるけれども、それにしてもいちいち点検してみると、
結局あらゆる物事について自分らは好きか嫌いかどっちかになっちゃうんですね。
これは相当変なんですけど、変動体って好き嫌いを司る脳なんですよ。
それだけじゃないでしょうけれども、非常に大事な鍵を握っているんですね。
変動体を壊すとですね、あらゆる物が好きになっちゃうという研究があるんですよね。
人間でそれが実現するかどうかわからないですけど。
あらゆる物が好きになっちゃ困るんですよ。すぐわかりますよね。
うちの子もそうだったんですけど、0歳とか1歳、みんな同じですよ。
うんちとか嫌いじゃないんですよ。
だからそれを徹底的に教育して嫌いになるようにかなりの努力がいるんですよ。
トイレトレーニングというのは。
ただトイレにてすればいいというものではなくて、好きであってはいけないんですよね、結局。
これをみんな本能だとか言うんですけど、全くそうではないです。
本能では好きですね、きっとね。嫌いではないです。
ほぼ全員そうだと思います。
昔から本能的に嫌ってたって思うんでしょうけど、それはただ忘れてるだけですね。
どう見てもどっちかと言えば嫌いではないんですよ。
嫌いになるようにトレーニングするんですよね。
そうするうちに私たちはいろんな物が家庭で嫌いになっていく。
ヘビとかクモとかいうのも同じですよね。
私あれがないんですよ、全然ない。
あえてどっちかと言われると好きなんで。
だからですね、みんなに調子を合わせてるんですよね、正直言って。
あれ好きだとね、あれがとても嫌いな人にクモ扱いされる恐れがあって、
嫌悪の対象になっちゃうんですよね、一緒に。
あれ僕、あえてどっちかと言われればヘビもクモも好きで、
ちっちゃい頃ですけれども、うちの周りヘビだらけだったんですよ。
溝沼などという地名であることからもわかる通り、
たぶん昔は溝と沼で、本当に溝と沼で、
歩いてるといきなりずっとですね、体もちっちゃかったから、
小さい頃だったから、腰のあたりとは言わないんですけど、
太ももあたりまでいきなり沈むことがあって、
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昭和の後期ってまだそんなもんなんですよね。
そこら中にヘビとかいて、捕まえて振り回して遊んでたんですよね。
そういう時代があったんです。
なので、僕あれどっちかというと未だに嫌いじゃなくてですね、
本当のところ多くの人があれに恐れを出す理由が全然わかんないんですよ。
嫌いか好きかで言うとって言ったようにですね、
何でも僕らは割と実はそうで、バスもそうなんですけど、
バスは先日克服したばっかりですけど、
ヘビとバスどっちがいいかというとまだヘビの方がいいですね。
奇妙な感じですけどね、この比較は。
好き嫌いってどうしてもどっかちょっとはついて回って、
僕はクモは全然いいんですけど、虫全般好きなんじゃないですよ。
しかしそれらに比べて圧倒的にダメなのが雷ですね。
あれはもう遠くで光っててもかなり汗じわっと出てくる。
だから何が言いたいかというと何ら合理的ではないというのです。
クモがいっぱいいる部屋とかで寝られますけど、
雷鳴ってると寝つけなくなるんですよ。
でもどっちが有害かと言ったら多分クモの方が絶対有害ですよね。
遠くで雷鳴ってたってなんてことないじゃないですか。
それが急に近くにやってきて落ちるとかないんで。
ところが私は雷の方が怖いんですよ。
それは落ちるからだとか思ってるんだけど、そんなのは嘘なんで。
要は光るともうそれだけで十分怖いんで。
なぜそうなのか分からないんですよね。
バスダも先日も言った通り塾の先生の遠隔の声とか、
比較にならないほど雷はダメです。
雷鳴ると私すぐパソコンの電源落としちゃうんですよ。
昔これは雷恐怖症の原因じゃないんですけど、
ますます嫌になった一つ事件があって、
雷がバンバン鳴ってる時に、
昔のハードディスクって超高速回転してたんで、
クラッシュしたんですよね。
それで使い物にならなくなったことがあって、
一層嫌いになったんですけど、
だからすぐパソコンの電源落としてコンセント抜いちゃうんですよね。
それくらい嫌なんですよ。
仕事にならなくなるじゃないですか。
今はノートパソコンあるんで、
充電で雷が光らない部屋に行ってするとかするんですけど、
それやってるとイリュージョン強めるんで、
最近ちょっと頑張って見てはいるんですけど、
障子越しの光は耐えるみたいな、そういうので。
だから実は塾の先生の声とかもわかったんですけど、
あれは克服できたんですよね、戦術これも。
あれはですね、簡単なんで。
好きになればそれで事足りない。
ちょっとでいいんですよ。
すげえ好きになるとかに必要はなくて、
これが愛するというメソッドに近いのかなと思ったんですよ。
好きになったと同時に嫌うって無理なんですね。
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だから自分はあえてどっちかといえば蛇とかクモは好きなんですよ。
誤解を招きそうですよね。
別に家で飼いたいとかはもう思いませんが、
みんなが嫌うからね。
ただ、動物園とか爬虫類館とか行って見てるのはかなり好きです。
この場合は毒グモとか毒の蛇とかでも全然好きで、
よくじっと見たりしてます。
魚が好きなのと似てるんですよね。
僕昔からずっと魚飼ってたんですけど、
魚とか好きなのと似てるんですよ、実は感覚的には。
好きか嫌いかが好きに少しでも触れてないと、
ほんのちょっとでも、ゼロよりは好きって言うんじゃないと嫌いになっちゃうんですよね。
長々と好き嫌いの話をしてるんですけど、
この嫌いはですね、よく心理学用語で言うところの
自述思考ってやつを生み出すんですね。
多分ね、この自述思考を生み出すというよりは、
自述思考が働いているときは、
それが嫌いになっているという感じもするんだけど、
どういうことかというとイリュージョンなんですが、
理学ではこれをある一派はですけど、
自述思考って言うんですよ。
自述思考って何を意味するかというとですね、
自分の考えが実現してしまうという思考なんです。
よく子供がそういう思考だって言うじゃないですか。
でも私これはとんでもない言い方で、
大人もみんなこうですよ。
みんな私たちは自述思考にはまり込むんですよ、すぐ。
それもですね、さっきの嫌いなものに関わると、
必ず自述思考にはまります。
例えばクモって絶対一匹とかならですね、
人を襲わないですね。
そういう認識とか意識とか意図とか、
それも一切持ってないんで、
全然無害なんですよ。
クモが有名だと思うのは自述思考そのもので、
向こうからやってくると思うんでしょうね。
思うと実現するというふうに考えちゃうんですよ。
思ってもそんなことは実現しませんけれども、
思うと実現すると考える。
だから思うということが現実に一気に突っ走ってくるから、
怖くなるわけじゃないですか。
私も光るとですね、次には落ちるんじゃないかって思うんですよ。
思いは実現しないじゃないですか。
そんなことはもう僕ら百も承知のはずなのに、
恐怖に駆られると思いは実現するという感覚を抱くんですよね。
クラゾン系のグッドワイプスの中でしばしばですね、
思っていると本当になってしまうという言い方をして、
これがしばしば本当に現実に起こって、
そういう現実を招き寄せるという意味で使われることもあるので、
ここ厳密には違いがあるんですけれども、
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私が言う事実思考というのはあくまでも実現はしないんだけど、
リアリティが極めて高い。
最近ちょっと、これもクラゾンさんとお話ししていて思い出したんですけど、
富士山の噴火というCGがあるんですよ。
非常に高い確率で富士山が噴火すると。
あの話は僕は至って嫌なんですよ。
なぜかというと、この街は富士山が極めて近いですから、
写真でバンバン撮ってそこそこの写真になるというぐらい近いですからね。
ここはあれが爆発したらただでは済まない感じがあるんですよね。
都心南側とは比べ物にならないぐらい至近になっているんで。
あのCGなんですけど、あれまさに僕に言わせれば事実思考なんですよ。
CGすっごいリアリティ今あるじゃないですか。
ちょっとやっぱり不足さいですけどね。
でも誰かの考えですよね。
これは間違いないと思うんですよ。
データだとかAIだとか言うけれども、でも誰かの考えですよね。
だいたい富士山が爆発するかもしれない恐ろしいって常に絶対考えですよね。
考えがさも現実であるかのようにCGを駆使して、
本当に現実的に見えるようにする南海トラフのほうを散々見ましたけど、
あれが事実思考というやつだと私は思うんですよね。
まだ起こってもいないし、起こることが100%でないものが起こったように感じられるようにすると。
それが私たちはすごく良いことだと思っているんですけど、
あれはすごくおかしなことで、
私例えばですね、昔からよく言われるんですけど、
まあこれ昔からというか学生時代によく言われたんですけど、
お化けに強いとか言って言うんですよ。
それはすごく間違った言い方で、
僕はただお化けの存在というものを頭から納得していないというか、
出ないと確信しているので、どこにでも行けるんですよ。
なんか行きました、学生時代アホだから。
富士山の樹海とか肝試しとかするわけじゃないですか。
するんですよ、自殺の名所ですね。
全然平気なわけですよ。
真っ暗いところにどんどん行くことが可能なわけですね。
お墓ばっかりのところにも行きました。
それも夜中の2時とかに行くわけじゃないですか。
全然平気なわけですよ。
うち寺だったことはありますよね。
一回も見たことないですからね。
墓はあるし、納骨堂もあるし、
納骨堂に夜中に入ることもあったけど、
怖いと思ったことはないんですよ。
それは私は、お化けということについて言うとですね、
自術思考が働かないんですよ、全く。
自分の考えが実現するというふうな気がしない。
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だから脳内でどんな恐ろしいものが抑えられたとしても、
実現可能性がゼロであるなら怖くはないんですね。
これは強さとかいう精神力とか関係ないんですよ、全く。
自術思考を止めようとする必要はないんですね、働かない時には。
働かない。
雲が襲ってくるとかっていう思考は働かないんですね。
で、襲ってこないですし、
お化けが出てくるという思考も働かないわけですよ。
だから何でも言えちゃうというか、そういうことに関してはね。
一方で雷光ると働くんですよ。
落ちるという現実がですね、働くんです。
バスは微妙だったらです。働くかどうかのラインにあった。
先日の塾の先生の声もそうだった。
働くかどうか微妙なラインにあった。
ああいうのが僕は大事だなと思ってるんですね。
あれどっちにしておくかで、
全然この後の生活の気楽さが変わってくる。
バスは結局今後も乗るじゃないですか。
塾の先生の声もこの夏休み散々聞くことになるんで、
好きになっておいたほうが絶対得なんですよね。
こういう言い方は愚当や不思議でないかもしれない。
でも好きになっておく。
越したことはない。
やろうと思えば好きになれることであれば。
それをやることによって損することは何にもないですよね。
雲とか蛇はどっちでもいいと思うんですよね。
もう遭遇する可能性結構高いですけどね。
あれ僕はやっぱり思うんですよ。
家でもですね。
ゴキブリとかもそうです。
どっちかといえば好きになっておいたほうが。
すごい好きであったら変じゃないですか。
今の人間社会からして。
どっちかといえば嫌いじゃないぐらいにしておくと
めちゃくちゃ楽だと思うんですよね。
それによって苦しむ必要が全くなくなりますからね。
目高を見るぐらいなものなので。
目高も嫌いって人いますから難しいんですけどね。
ただ言っておけばいいってもんじゃないですよね。
何と比較すればいいか。
タオルと同じぐらい。
タオルほど好きじゃないな。
何でも好きか嫌いかってあると思うんですよ。
フラットってことないんですよね。
この技術思考っていうやつが。
イリュージョンですよね。
全ての問題かなと思います。
考えは実現しないじゃないですか。
ここでいきなりタスクシュートなんですけど。
タスク管理でも計画でも何でもいいですよ。
でもタスクシュートがいいと思うんですよね。
なぜならタスクシュートって
粒差に自分の行動を記録に残すわけです。
粒差。
1分の隙間もなくですよ。
そうすると1つ絶対に
やったことのない人が1回でもやると
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すぐ分かることがありまして。
これがかなり大事な点なんですけど。
自分の行動を1分の間も開けずに
びっしり記録に1週間ぐらい取るとですね。
直ちに分かる。
自分の考えは実現しないんです。
よく言う人がいるんですよね。
自分のこの行動はダメだと。
これも技術思考にはまる流れなんですけど。
ダメだということはですよ。
自分の行動は自分の考えを
反映できていないという証拠ですよね。
そこにそういう証拠がはっきり残る。
自分の思った通りには
自分の行動は行われていない。
実現されないんです。
ましてや人の行動はそうですよね。
自分の行動が結果に反映されないというのは
これを計画立てる人は
みんな悪いことだ、悪いことだ、ダメなことだって言うんですが
いいことでもあるわけじゃないですか。
自分の考えが全部実現したら恐ろしいですよね。
雲は襲ってくるし、蛇も襲ってくるし、雷も落ちるし。
とにかくロクでもないと思うんですよ。
自分の考えが全部現実のものになるということは。
それは確かに英語もペラペラになるかもしれないし
何でも計画通りに言っていいかもしれないですけど
自分の考えが全部実現するというのは
いいことだけでは絶対ないと思うんですよね。
いいことしか自分が想像できないのであれば
たぶん計画なんか立てなくったって
私たちはすごくハッピーだと思うんですよ。
それぐらい私たちは嫌なことを平気でどんどんどんどん想像しては
勝手に自分で苦しむ。
よく露頭に舞いを想像する人いらっしゃいますよね。
私あれ、昔からやっぱり蛇とか雲と同じで
かなり理解に苦しむ系だとは思ってたんですけれども
要するに自分が何かで失敗して
というストーリーができていくわけじゃないですか。
失敗すると会社での評価が下がって
やがてクビになって露頭に舞いをみたいな。
すごく自信持ってるんですよね、そういう想像に。
でもたぶん実現したことがないし
実現する可能性もとっても低いというか
ほぼゼロだと思うんですよ。
僕の雷が落ちるのと何も変わらないと思うんですよ。
あるいはお化け屋敷を歩いてると
後ろからお化けが出てくるというのと
出てこないからお化け屋敷なわけですよ。
あるいは夫婦とか
今コロナで問題になってるのは
旦那がいて邪魔だとか
奥さんがいて腹が立つとか
そういうやつだと思うんですけど
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例えば家事とか育児でもよく出てくるじゃないですか
丸投げにしていて自分は悠々自敵だとか
これもあれですよね
僕からすると多分に充実志向的なところを感じるんですよ。
逆の人もいますよね。
結構自分はすごい会社で働いてるのに
奥さんは家でテレビを見ているとか
言って怒るわけですけど
すごく充実志向的です。
つまり考えが実現すると思ってる。
見てもいない何かが現実だと
勝手にこう考えちゃうんですよね。
そしてそのことに腹を立てる。
だから決して充実志向というのは
子どもの先輩特許とかではなくて
私たちがみんなそれにすぐ陥る何かであって
私たちは明らかにそうでないことを知っているはずなんですよね。
考えは決して実現しない。
グッドバイブスでは
グッドバイブス的にタスクシュートって必須じゃないし
ライフログも必須じゃないんですけど
それを確実に一つ気付けることが
日記だと難しいんですけど
ライフログなら気付けるはずのことがありまして
それが考えは決して実現しないことなんです。
思考を現実化するのを逆を言ってて
怒られるかなと思って
思考は現実化しないんですよね。
僕はそのことをタスクシュート的に
タスクシュートですごくあり得ないほど
思い知らされたというか
30日つけていると
思考って一個も現実化しないなという感じがするんです。
だからこの点では
グッドバイブスを受け入れるのはすごく楽だったんですよね。
なんていうのかな
実際に撮っている行動と
思惑で撮ろうとしている行動が
一致するということはあり得ない。
それを一致させようとするのは
すごく不毛な努力に終わるので
だから自分はログを中心に見ましょうねみたいな
この言い方はダメなのですかね
ログを中心に見る
ログが現実だったのであって
思考はほとんど現実とは関係がないというような感じですか
それが近いかな
なんかこう
すごく簡単にできそうなことすらもダメだ
っていうことがあるんですよね
3日でこれを
例えば連載の1500字くらいの記事を
3日後の締め切りで書く
もう楽勝だと思うんじゃないですか
楽勝じゃないんですよね
気がつくと3日後には
すみませんまだできていないので
もう1日いいでしょうかっていう
言い訳メールを書いて
その言い訳メールを書くという計画を立てる人は
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ほとんど誰もいないんですよ
でも現実に行っているのはそれなんですよ
それが現実であって
思考は現実じゃないんですよね
この思考は現実じゃないということを
これがこの話の
なんとなく僕は最後に来るんですが
ダメだって考えるじゃないですか
最近もTwitterでダメダメな自分っていう
ダメダメがなんだったかな
とにかくこのログはダメダメだということを
考えるだけでは意味がないんじゃないかと
ダメダメな自分を改善しなければいけないんじゃないかと
ダメダメって思考ですよね
どこのログにもダメダメって書いてないじゃないですか
どんなコードを取ったからって
このコードはダメダメでしたって書かないじゃないですか
ダメダメっていうのが評価であって思考ですよね
思考は現実のものにならないと思うんですよ
ならないからダメだって言ってるんだと思うんですけど
ならなきゃダメじゃないと思うんですよね
思考が現実のものに
決してならないという状態がずっと続くのに
それがダメだという言い方をし続けるということは
ダメじゃない現実を作り出そうと
一生懸命になっているんだと思うんですけど
そのダメじゃない現実っていうのが
あった試しがないと言うとすればですね
何がしたいんだろうってことになりませんかね
このバスがどっかありえないところに
自分を連れてっちゃうという事実思考もあるし
雲が一斉に自分に向かって
自分の肌をかじってくるみたいな事実思考があるし
クライアントビデオを後ろで振り向くと
昔何だったかな色々あるんですよね
白い着物を着た女の人がずぶ濡れで立っているとか
いう事実思考があるわけじゃないですか
それが実現したら困るじゃないですか
このダメダメな現実というのを
ダメダメな私が実現してないのにもかかわらず
それを実現させたかのように考え続けようというのは
見たこともない白少族の女性が
髪までずぶ濡れになっているのを見るんだ
そういう人いるじゃないですか
お前は見ないと言ってるけどそんなはずはない
絶対そういうのがいるんだという人いっぱいいますよね
私あれ不思議でしょうがないんですよ
24:01
あなたは見たのかと言うと見たことはないって言うんですよね
ただ時々非常に無理やりな昔話を
子供の頃実はねとかって言い出す人もいますけれども
その話はいろんな話聞いたことありますけれども
白い着物を着た女の人がずぶ濡れで立っていたことを
何度でも再現させるにはほど遠い証拠なんですよね
これなんですよ
なぜその人はそんなに確信を持ってしまうんだろうと思うんですね
イリュージョンに対する異常な信用というのか
それが起こったら困るだろうに
そういう信用だけは絶対的なものとして持っている
ダメダメな自分というのもそうで
一度も出現したことがないのに
そういうものが出現するということだけは確信している
なぜなのかというとですね
こういう思考にメリットが残念ながらあるからなんですね
これは一番最初の話に戻るんですよ
子供のトイレトレーニングのためだったんです
フロイト的に言い方をしますとね
そういうことになるんだと思うんですよね
うんちが好きじゃ困るんですよ
多分今私が喋った中にも不愉快なものがあって
いやお前のヘビが好きなのはダメだと
ヘビ嫌いになれって思った人いるはずですよ
クモが好きなんでとんでもないと
なんかもっと可愛い猫とかを好きになれとか
猫嫌いじゃないですよ
そういうふうに思われたということもあると思うんですね
つまり何か恐れ嫌いだ気持ちが悪い
それは許せないっていうものを
そのように判断する必要であってですね
だから私たちはトイレトレーニングをするわけじゃないですか
好きであってはいけない
口に入れたりすることになりかねませんからね
ヘビとかを食べたりしちゃいけないわけですよ
食べる文化ありますけどね
ということで何らかの理由
その延長線だと思うんですよね
そこら辺は実用的な理由ですよね
すごく現実的で日常的な理由
だけれどもその多分先にですね
白小族の女性が出てくるわけですよ
それもいると思ってなければいけない
それも嫌悪感を持ってなければいけない
ダメダメな自分がですね
顔を出すんじゃないかと厳しく監視していないと
本当に自分はダメになってしまうという恐怖があるから
だからダメダメな自分を恐れるということの
メリットを強調して
それは実現するんだと思ってなきゃいけない
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っていうのがきっとあるんだと思いますね
それはですね
トイレトレーニングは現実的ですけれども
別にだからといって
今の私たちがそれなりに身につけた理由も分かっている
それをですね
猛烈に嫌悪しなくてもいいわけですよね
猛烈に嫌悪すると大体いいこと何にも起こりませんからね
1970年代では結構アメリカとかでも問題になったんですけど
その糞便系のものを子どもになすりつけるみたいな
なんでそういうことをするんだと思われます
これは教育のためだったんですよね
いかに自分がおぞましいものに対して
おぞましいと認識できないことが悪であるか
ということを認識させるって教育が結構あったんですよ
行動主義と絡むんですけどね
これは私なんとなく非常にこう
サディスティックなものを感じるんですけれども
だからなんだと思うんですよね
自分をダメだと思えっていう教育が割となされ得ると
それが身についちゃってる感じがするんですよ
そんなふうに思わなくてもダメダメな自分は出てこないんですよ
そんなふうに思わなくても
つまり怖がっていれば大丈夫ってあるじゃないですか
私子どもの頃も学生の頃も言われました
そんなふうに幽霊を罵ってると本当に幽霊が出てくる
あの思考が近いと思うんです
呪術思考ですよね完全に
考え方次第で幽霊が出てくるっていう考え方じゃないですか
僕呪術思考には大人もすっかり犯されてると思うんですよ
ちゃんと警戒しておかないと路頭に迷うよっていうのも
僕は呪術思考の一種だと思えて仕方がないわけです
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