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はい、みなさんこんにちは。新潟のへラジオ一戸信哉です。
今日は連休、私も土曜日連休に入りまして、今日は一日特に何もなく、ちょっと出かけましたけど家で過ごしてました。
今日はですね、80里越えというテーマを選びました。
写真の方は、長岡版のですね、河合嗣之介という人物ですが、この人とも関係があるところですよね。
80里越えの記事はですね、新潟の方では出てなかったんですけど、福島民有新聞に4月27日に記事が出てまして、
80里越え、26年にも全線開通というのが、国交省からそういう見通しが示されたという記事でした。
ここはですね、80里越えというところで、まだ開通していないところなんですが、
かつての合図から新潟側に入ってくる道の一つなんでしょうね、なんですけれども、非常に難所である、山を越えるような難所で、
長らく道路として整備しようとしているんだけど、なかなか開通しないというところなんですね。
河合嗣之介と何か関係があるかというと、戦争の時に、最終的に長岡で戦った後、配送して、
合図の方に配送していく時に、その途中で80里越えというこの山道を越えて合図の方へ向かっていくんだけど、
合図側に入ってからですかね、畳の方に入ってから亡くなったというふうな話だったと思いますよね。
長岡から負傷して、その後背負われて、運ばれていったんですよね、おそらくね。
配送されていったけど亡くなったという道で、河合嗣之介はこの道を行ったんだと。
この道どこを通っているかというと、なかなか口で説明しても分かりにくいというか、私も未だにイメージがちょっと湧かないんですけど、
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ルートとしては三条市の下田というところから入っていって、宇和沼市を若干掠めて福島県の畳に入るというルートになります。
20キロほどがまだ開通していない。どんなところなのか分かりませんけど、工事の内容としてはトンネルが十何本かあり橋、橋梁がいくつあって、ものすごく大変な工事になりそうなことが各所に書いてある。
14のトンネルと16の橋梁だそうで、大変なんですよね。しかもここ雪深いので冬場は工事ができないというので、毎年半年間しか工事ができないんですかね。
私が見た記事では1973年に最初に工事が始まって、未だにその工事の終わりが見えていなかったところ、26年、あと5年先ですからね。まだあと5年はかかるよということが示されたということなんだそうです。
実は三条市の下田の吉賀平という麓の山荘みたいなところに去年行く機会があったんですが、もうそこも70年代に集団離村してしまって人が住んでないんですよね。
そこもやっぱり雪深くて、冬場は除雪もなかったと言ってましたね。昭和40年代までそういう状態だったところから、さらに山道を登っていくような状態で、今はもうちょっと先まで道路で行けるんですかね。
というところでした。なのでなかなかそこから先、山横を通っていく道を作っていくのは大変なんだなと。
今となってはいろんなところ、山を切り開いたような道路を当然のように通っているので、そうはいえども2021年の今になって何十年も開通していない道路があるということに、素人目には驚きを感じるわけですが、現状としてもまだ80人超えというのは289号線から開通していないということです。
80人超えについてネットで検索してみると、80人超え開通したら福島と新潟県の間の往来が盛んになって、人の行き来が盛んになるんじゃないかということで、
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麓というか近隣の住民の間の期待感というのは両側、福島も新潟の下田の方も両方期待感というのはあるみたいなんですけど、とはいえまだ5年先ですので、なかなか先は見えてないというところかなというふうに思います。
というわけで、実はあまり新潟の中でも80人超えって話題になることもないんですけれども、おそらく開通したらまた新たな交流のきっかけになるのかなという気はしております。
というわけで今日は80人超えについてお話しいたしました。どうもありがとうございました。