1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. 一戸信哉の新潟のへラジオ LIV..
2021-04-30 08:32

一戸信哉の新潟のへラジオ LIVE Vol.27 新発田川の上の「公設市場」


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6025d15185b142d0d8d931c2
00:01
はい、おはようございます。新潟のへラジオ一戸信哉です。
今朝はちょっと早めに始めましたが、連休の中日というかですね、今日は平日ですよね。
お休みの方もいらっしゃるのかな。
私は今日は普通に授業が予定されています。
で、ちょっと短めにということで、今日は高節市場という話題を用意しました。
27日付で朝日新聞デジタルで記事が出ていますが、
柴田市の中心部にある高節市場の中で、お店が一軒だけ残っていたんだけども、それが閉店するという記事が出ています。
高節市場というとですね、ネットで検索すると沖縄とかですね、那覇、石垣島あたりがよく検索すると出てくるんですが、柴田にもこの高節市場というのがありまして、
この写真を見ていただいただけではちょっとわからないと思うんですが、この市場は川の上に立っているというものなんですね。
この川の上の市場は、5年くらい前に大学の授業で学生が取材に行ってくれて作品にしたことがありまして、
少し調べたことがあったのでお話ししたいと思います。
今回の記事はどういう記事かというと、この高節市場に入っていたお店のうち最後に残っていた一軒、松井さんという方がやっているお店が、
6月にお店を閉じるという記事で、松井さんがお店を閉めた後、建物は壊すとまで書いてないかな、どうしようかということになるんだと思います。
非常にこの建物自体は面白いので何とか残したいという声もおそらくあるのではないかなと思います。
どういうことかというと、この川の上に立っている建物はどうやってできていくかというと、この記事では1951年にできたと。
この1951年にできた建物は高節というふうになっているので、誰が認めて作ったのかということなんですが、川の上というのはいわゆる違法建築なんですよね。
03:07
事実上立っているからこのまま続いているけど、これをもう一度建て替えることはもちろんできないということになると。
この辺多分柴田の川の上に店があるんですけど、それ以外もいくつかお店がまだポツポツと残っていて、この記事にもある通りかつては露店がいっぱい並んでいたという話なんですね。
戦後ここに自発的にとか自制的にできていったお店のうちの一つなんだろうと思います。その中で川の上にお店ができていったと。
多分全国にこういうものは他にもあったと思うんですけど、ほとんど消えてしまった中、最後柴田でもここ一箇所残っていて、これが70年の歴史に幕を下ろすと。
幕を下ろすと。岩波さんという朝日の記者は書きましたね。幕を下ろすと書きました。ということなんですよね。
松井さんという方と、以前に取材したときは隣にもお花屋さんの小田島さんという方がいらっしゃったんですけど、どちらだったかな。お二人ともそうだったかもしれませんが、最初は露店の方をやっていたんだけれども、
この公設市場が開いたので入りませんかということで移ったという話を確かに伺いました。そういうものなんですよね。露店の方はなくなってこちらのお店の方がなんとか残っているということですね。
ユイカリアンさんありがとうございます。それでですね、このお店はずっと営業を続けているんですけど、結局このお店に限らず柴田の中心市街地の人通りというのはもう完全にかつての勢いはないと。
例えば直近でもウォルクのお店が閉店したということがあります。これはウォルクの裏側だったと思いますね。裏側の通りだったと思います。非常に不全なある通りでということで関心を寄せる人も多いんですが、残念ながら担い手自体も高齢化しています。
そして建物自体も相当老朽化しているということで今回こういう形で記事が出ました。
06:07
何らかの形でここがうまく残っていけば非常に面白い特徴的なものだよねと。これは私が学生たちと取材した頃からもうすでにそういう話題は出ているわけですが、
一方で川の上に建てられた建物なので公的に、公説って付けちゃったんだけど、この記事にもある通り誰も分からないんですよ。なんで公説という名前にしたのかというのは分からなくて、
でも公説を言うなという人もいないのでそのまま公説。だけど誰が認めた公説なのか分からない公説なんですよね。今もそんな感じで、これをオフィシャルに何らかの建造物として認めて、
そしてそれを継続させていこうという話には少なくとも行政側ならないんですよね。なのでそういう難しさはあるんですけど、建物がこれで中に入っているお店がなくなったところで消えていくのがいいのかどうなのかというのはおそらくこの後、
柴田の人たちの間でも議論が出てくるのではないかなと思います。でもそれを時代の流れというふうに捉えていく人もいるでしょうし、この後どうなっていくかということで、
ということで朝日新聞の岩波さんが、岩波さんは実はこの間一回取り上げたお茶葵の記事も書かれた方で、こういう文化ネタ得意な方ですよね。ここを岩波さんが見つけてきたなという感じの記事でした。
ということで今日は柴田川の上に立っている鉱石市場のお話をいたしました。今日も聞いていただいてどうもありがとうございました。
08:32

コメント

スクロール