岩屋城も改修するんですね。改造することになって作り変えることになって。
この時点で微妙に位置とか構造も変わったんじゃないかなという風に言われてるんですが、
島津氏を意識してるので岩屋城は南側の防具が手厚くなってます。
南側から攻めてくるので、実際戦闘も岩屋城合戦では南側で行われていたので、
かなり理にかなってるんですけども、例えば前回出てきた根性空掘りとか掘り切りとかが非常に多く見られるのも南側。
それは大友に代わってからそこが改築されていくってことだろうってことなんですね。
だから大友が博多を攻めるために取り囲んでた時の話と、
今度は島津が攻めてくるからここを守りに使うための岩屋城と違うわけで、
攻めるための岩屋城、守るための岩屋城みたいに変わっていくってこと?
そうですね。また性格とかも変わってくるので、一概に岩屋城ってずっとこうだったよって話はできないんですが、
ちょっと余談なんですけども、さっき出てきた根性空掘り群っていうのをよく使用した戦国大名がいまして、
秋月氏と呼ばれる人たちなんですけども、この人たちが秋月っていう地名があると思うんですけども。
朝倉の方なんですね。
あそこら辺に勢力を持ってた古書山城っていう城を中心に勢力を持ってた人たちなんですけども、
この人たちがかなり根性空掘り群を配用していたので。
ここで一旦、根性空掘り群っていうのはどんなものなんだを挟んでおきましょうか。
そうですね。山にのうねがあります。
それを横ですかね。
そうですね。斜面上に対しても横に掘られているのが横掘りだとしたら、
斜面を下るように溝を掘られているのが縦掘りという表現をするんですけど、
それが縦掘りがずっと連続をしているんですね。
加えて一番上の部分は横掘りが走っているという形で、
その上に車とかがあるという形で、
よく一般的に考えられるのは斜面を全く何もなく登ってきたら、
どこからでも敵は攻めれるんですけど、
縦掘りをいっぱい掘ることで攻めてくる側からしたら、
ここを登っていこうとルートが制限されるんですね。
ルートが制限されるということは上からは石だったり弓矢だったり攻撃がしやすいわけなので、
横移動をちょっと邪魔をする、阻止するという意味での移行が
ウネ城空掘り軍と言います。
ですが、地域によって分布の状況だったり、
あと形態も微妙に違ったりとかして、
例えば規模が全然ウネのウネが5,6メートルぐらいのウネが連続している、
変な高まりみたいなのがずっと続くところもあれば、
クルワみたいなのが上がなくて、
だいぶ上の斜面からしか見えない、下が見えないような
すごい急斜面に掘っているようなところもあったりもして、
本当に同じ形は似ているようだけど、
目的が本当に同じだったかなんとも言えないところで、
今もよく議論されている移行の一つで。
ウネっているからウネ城じゃない?
よくそれにかけて言う人がいるんですけど、
田んぼとか畑とか耕作をするときのウネがあるんですけど、
あれが斜面にいっぱいあるところに掘っている。
いいですね。
そうですね、ぱっと見るとギザギザしたような形になっているようなのが
ウネ城空掘り群。
ドリと空掘り、ドリと空掘りみたいなセットで作られているのが
ウネ城空掘り群なんですが、
これをよく所信している人が多いんですけど、
浅倉とかそっちらへんの大名なので、
そこの影響とかも、
それぞれ交流とか、逆に戦争とか対立とかが起きてきたので、
その影響が見られるんじゃないかなというふうに。
近所っちゃ近所ですもんね。
そういった想像をしてみるのも楽しいかなというふうに思います。
はい、ありがとうございます。
お寺ももちろん天満宮もあれば、有名なところである完全音寺とかもある。
それ以外は結構あちゃこちゃあるけど、結構なくなっているものもあって、
まだそれでも残ってるじゃないですか。
それこそそういった話では、もう一つ西、
西生寺の話もよかったら聞かせてもらっていいですか。
西生寺は高橋家の家臣で岩屋城合戦に参加しなかった家臣の人がいるんですね。
この方が主君が亡くなったこと、そして城兵が亡くなったことを言ったんでですね、
岩屋城の戦いの後に近隣に建てた居寄りで、彼らの冥福を祈ったという。
そこが今はお寺になって、今でも7月27日落城した日に岩屋城犠牲者追悼法要が行われている。
へー、未だに毎年されてるんですね。
すごいな。
主に子孫の方とかが中心となってやられているそうなんですけども、
そういった現代に息づく歴史というか、岩屋城の歴史というのが今でも息づいているということを示す一例なんじゃないかなと思います。
なるほど、ありがとうございました。
堀池さん、何か補足みたいな話がありますか?
そうですね、本当岩屋城自体も周囲の地名とかもそうですし、
そういう分では、今現在先ほどもあったように麓は住宅地だったりするんですけども、
岩屋城を麓から見てこうだったという、各地を回りながら見る楽しむというのも、
逆に当時の状況と照らし合わせて歩いていくというのも面白いんじゃないかと思います。
そうですよね。
今日はそのぐらいにしときましょうか。
いいですかね。
ありがとうございました。
ちなみに次回がこの岩屋城シリーズの最後になるんですけども、
最後は僕の方から岩屋城を今話をしてきましたけども、
車でぴょっと来て、市籍だけを巡るということもできるんですが、
実は下から登る、いい感じの登山道になっているので、
ここで山登りするならどんなルートがお勧めというお話を
僕の方からさせてもらえればなというふうに思っておりますので、
よろしくお願いいたします。
エンディングの前に2つお知らせをさせてください。
1つ目は堀池さんのYouTube番組です。
全国各地のお城をドローンで撮影している番組で、
空から攻めるという番組ですね。
ちなみに最近アップしたので言うとどこの城を攻めたということなんですか。
最近アップしたのはですね、
長い休みの時とかによく各地に遠いところに行きまして、
大阪では飯盛城という石垣の三好、長吉が築いた巨大な城なんですけど、
そういったところをあげております。
そうなんですね。
が1つですね。
それと、西日本新聞と堀池さんで一緒に作っている記事がございまして、
これは城、九州、戦国ドローンというコーナーです。
こちらの方もぜひご覧ください。
そしてもう1つ、西日本新聞MEの会員特典として、
天神ビジネスセンタービルの飲食店街8店でお得なサービスが受けられるようになりました。
生ビールやハイボールが1杯無料になったり、
ランチが10%引きになったりするなど、かなりお得な特典です。
すべてリンクは概要欄に貼らせてもらいます。
それではエンディングです。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
山城のことをもっと知りたい、この番組を応援したいと思っていただけましたら、
ぜひ西日本新聞、もしくはスマホアプリの西日本新聞MEのご購読をお願いいたします。
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。