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2025-03-30 18:51

09|実は堅城じゃなかった?岩屋城の遺構から分かる往時の姿とは【岩屋城編④】

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

激戦の舞台となった岩屋城。堅城と思われがちですが、実際はどうだったのでしょう?資料から読み解きます。

◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)、梁京燮(販売部)

◆収録日:2025年3月2日

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Summary

岩屋城の歴史や構造についての議論が行われています。最近の研究では、実際には堅固な城ではなく、比較的小規模な城であることが明らかになっています。また、岩屋城の重要性や周辺の他の城との関係についても触れられています。さらに、岩屋城の歴史と見取り図についての考察が行われ、城の構造や過去の出来事が明示されています。特に、首実験の実施や周辺の歴史的な場所についての詳細が語られています。

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西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも戦地核あったとされる戦国時代の山城の魅力を
現地参謀を交え、厚く語り合ってまいります。
山城の研究は、地理や歴史だけでなく、軍事学や地域経済学など、いくつもの側面があります。
かつてその地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんか。
福岡のニュースアプリ、西日本新聞MEの横山智則です。
こんにちは。お城映像クリエイターの堀切恒夫です。
こんにちは。西日本新聞社の鹿之助こと中山光一郎です。
今日はですね、朝から収録してますけど、もうお昼です。
腹減りましたね。
ちなみに、前回立花城に行ったときには、堀切さんちょうど来られなかったけど、
登る前にとんかつ屋行ってきたんですよ。あれ、なんていう店やったっけ?
なんていう店でしたっけ?
めちゃくちゃ美味しかったよね。
美味しかったです。すごいボリューミーで。
ふもとあたりですか?
ほんとふもとあたり。登山口から車で3分、5分みたいなところに。
こんなところにあるんですね。
えっとね、とんかつ店ひさやま。あれひさやま町なのかな、住所でいうと。
だからひさやま?
ボリュームもあるし、僕はひれかつだったけど、柔らかいですし、
めちゃくちゃ、いわゆるあの、あのときは僕らは登山前飯だったんですけど、
下山飯にはちょうどいい、
そうなんですね。
よかったですよね。
鹿の毛何食ってたっけ?
僕、かつ丼なんですけど、普通のサイズでしたけど、で頼んだんですけど、
結構量が来て、びっくりしました。
食べきれんぐらいあるよね。
いや、よかったよかった。
今日はこの後何食いますかね。どっか知ってるとこあります?ダザイフ。
そうですね。
はい、本題にしましょうかね。
えっとね、また今日も一つメッセージが来てます。
ヤマジロリアンさんからです。
戦国ヤマジロポッドキャスト、毎回楽しみにしています。
現地で収録しているという臨場感がたまりません。
そうですよね、これ手間かかってますもんね。
スタジオ収録の10倍くらい手間かかってますもんね。
リスナーが横山さん、堀切さん&鹿之助さんと歩く、
ヤマジロ田んぼのリアルイベントをぜひ企画してくださいということです。
よろしくお願いします。
ちょっとハードルが上がりますね。
鹿之助さんよろしくお願いします。
あのね、橘山登ろうって言ったら連れて行くの大変かもしれないけど、
ここならいいよね。
ここなら全然OKですよね。
すぐ終わっちゃいそう。
すぐ終わるか。
そのうちヤマジロ田んぼイベントやりたいですね。
ということで、今日の話は、鹿之助さんどこから行きますか。
移行ですよね。
移行についてお話ししたいと思うんですが、
岩屋城の位置と歴史
その前に岩江城がどういう場所に位置してるかっていうところからお話ししていきたいなというふうに思います。
ちょっと前回の歴史の話にかぶってしまうんですけども、
室町時代から中期から後期にかけて博多王、ここ周辺の一番大きい都市である博多王を勢力下に収めてたのは大内氏だったんですね。
大内氏。
山口の諏訪の国の守護大名なんですが、
彼らは博多商人と結びついて貿易だったり公益だったりの利益を得ていたわけなんですけども、
これが戦国時代になるとですね、大友氏、文後の大友氏も進出してきて、
ちょうど結節点あたり境目がですね、今は五福町、五福町、あそこら辺だったというふうに言われています。
で、一方でですね、今まで大内氏目線で話してきましたけど、
大友氏側から見ると博多王位も築きたいわけですね。
博多に影響力を持ってお家を囲むように作りたいので、
橘城、橘山城と糸島のお城があるんですけど、何城だったかな?
高須城とか?
高須城とか、神戸城とか、
それに岩屋城自体は大内氏が築いた城なんですけども、
その後ちょっと微妙に変遷があってですね、微妙に位置がずれたりとかがあるんですけども、
大友氏が治めた時代には、女子だった時代には岩屋城のこの三つが
奥義城にですね、地図上で見ると博多を取り囲むように展開されていて、
これらが大友氏型の拠点になっていました。
そういった歴史があります。
これは北側というか博多側を見てるじゃないですか。
見てますよね。
博多が山口の大内さんが博多を治めている。今その時点ではね。
それを囲むようにして東は橘城あたりに大友。
この岩屋城は南側って言うんでしょうけど大友。
違うまた大内。大友。
糸島これは西側ですよね。
ここも大友がいわゆる福岡市を取り囲むようになってますよねっていうのが今絵で浮かんでますけどそれでいいですよね。
その状態から大内氏が滅亡して逆に島津氏が勃興するようになって、
岩屋城の構造と用途
岩屋城も改修するんですね。改造することになって作り変えることになって。
この時点で微妙に位置とか構造も変わったんじゃないかなという風に言われてるんですが、
島津氏を意識してるので岩屋城は南側の防具が手厚くなってます。
南側から攻めてくるので、実際戦闘も岩屋城合戦では南側で行われていたので、
かなり理にかなってるんですけども、例えば前回出てきた根性空掘りとか掘り切りとかが非常に多く見られるのも南側。
それは大友に代わってからそこが改築されていくってことだろうってことなんですね。
だから大友が博多を攻めるために取り囲んでた時の話と、
今度は島津が攻めてくるからここを守りに使うための岩屋城と違うわけで、
攻めるための岩屋城、守るための岩屋城みたいに変わっていくってこと?
そうですね。また性格とかも変わってくるので、一概に岩屋城ってずっとこうだったよって話はできないんですが、
ちょっと余談なんですけども、さっき出てきた根性空掘り群っていうのをよく使用した戦国大名がいまして、
秋月氏と呼ばれる人たちなんですけども、この人たちが秋月っていう地名があると思うんですけども。
朝倉の方なんですね。
あそこら辺に勢力を持ってた古書山城っていう城を中心に勢力を持ってた人たちなんですけども、
この人たちがかなり根性空掘り群を配用していたので。
ここで一旦、根性空掘り群っていうのはどんなものなんだを挟んでおきましょうか。
そうですね。山にのうねがあります。
それを横ですかね。
そうですね。斜面上に対しても横に掘られているのが横掘りだとしたら、
斜面を下るように溝を掘られているのが縦掘りという表現をするんですけど、
それが縦掘りがずっと連続をしているんですね。
加えて一番上の部分は横掘りが走っているという形で、
その上に車とかがあるという形で、
よく一般的に考えられるのは斜面を全く何もなく登ってきたら、
どこからでも敵は攻めれるんですけど、
縦掘りをいっぱい掘ることで攻めてくる側からしたら、
ここを登っていこうとルートが制限されるんですね。
ルートが制限されるということは上からは石だったり弓矢だったり攻撃がしやすいわけなので、
横移動をちょっと邪魔をする、阻止するという意味での移行が
ウネ城空掘り軍と言います。
ですが、地域によって分布の状況だったり、
あと形態も微妙に違ったりとかして、
例えば規模が全然ウネのウネが5,6メートルぐらいのウネが連続している、
変な高まりみたいなのがずっと続くところもあれば、
クルワみたいなのが上がなくて、
だいぶ上の斜面からしか見えない、下が見えないような
すごい急斜面に掘っているようなところもあったりもして、
本当に同じ形は似ているようだけど、
目的が本当に同じだったかなんとも言えないところで、
今もよく議論されている移行の一つで。
ウネっているからウネ城じゃない?
よくそれにかけて言う人がいるんですけど、
田んぼとか畑とか耕作をするときのウネがあるんですけど、
あれが斜面にいっぱいあるところに掘っている。
いいですね。
そうですね、ぱっと見るとギザギザしたような形になっているようなのが
ウネ城空掘り群。
ドリと空掘り、ドリと空掘りみたいなセットで作られているのが
ウネ城空掘り群なんですが、
これをよく所信している人が多いんですけど、
浅倉とかそっちらへんの大名なので、
そこの影響とかも、
それぞれ交流とか、逆に戦争とか対立とかが起きてきたので、
その影響が見られるんじゃないかなというふうに。
近所っちゃ近所ですもんね。
そういった想像をしてみるのも楽しいかなというふうに思います。
はい、ありがとうございます。
岩屋城の実態とその背景
ここからはちょっとセンシティブな話になるかもしれないですけど、
岩屋城ってかなり難航不楽の城みたいなイメージが一撃ついてしまって、
例えば、やはり名将の高橋城雲が守ったんだから、
それはきっと堅固な城なんだろうみたいなイメージが、
私もありましたし、ついてしまったんですけど、
岩屋城ってなんていうか、
実際はこの山、岩屋山の一部だけが岩屋城なんですが、
もう全部にクロアがあるような、
そういう嘘の完全に想像の岩屋城イメージが結構留守した時期があって、
岩屋城の一部だけが岩屋城なんですけど、
岩屋城の一部だけが岩屋城なんですけど、
岩屋城の一部だけが岩屋城なんですけど、
そういう嘘の完全に想像の岩屋城イメージが留守した時期があって、
面白い。
でも実際に最近の研究では比較的小規模な、
国中では一般的な規模の城だったと言われているので、
こういう岩屋城信仰、高橋城雲信仰、橘信仰も絡まって、
大きなものになった。
名将になされてきた。
逆に多分、メインは隣の法満山城がメインだったとされていて。
そうなんですね。
法満山城の方が大きかった、立派だったわけですね。
岩屋城合戦の時には、立花宗重の弟で、
城雲の次男にあたる宗増という人が入るんですけども、
法満山城には畜死裕門という人がいるんですけども、
この人が直前の戦いで島津軍に保佑になっているんですね。
その人たちの過信団が残っていて、結構動揺も残っている状態で、
岩屋城の構造と歴史
立花城雲は法満山城か立花城に退避するように進言されるんですけども、
おそらくですけど、高橋城雲は畜死裕門を信用しなかったのか、
あるいは、もっと別の視点で考えると、
宗増よりは手前で食い止めるという思いがあったんじゃないかと。
親心じゃないですけど、あるんじゃないかと。
そうしてみると面白いですよね。
なるほど。
じゃあ、そんなに後の絵とか文献には、
やたら立派な城だったと描かれていたりするものがあるんですね。
あります。
さっきそれこそ、前回堀切さんが言われていた、
いわゆる一時情報、二次情報みたいな話に繋がる話ですよね。
なるほどね。
それこそ、大体歴史の話を、みんなそうでしょうけど、
面白、おかしく、大きくしようとしながら伝えていったりするもんだから。
なるほどね。
一方でその後、岩屋城合戦が終わって、首実験。
首。首が本当にこの大将のものなのか、
この首は誰のものなのか、この部将がこの部隊の長なのか、
首実験が行われるわけ。首実験と呼ばれる。
首実験って時々絵画ドラマでちょこっと出てきますよね。
いわゆる負けた大将の首を勝った側に並べるっていうことでしょ。
首実験が行われるんですけども、これが前回前々回に紹介した大野城と結びついてきたんですけども、
般若寺、般若寺で行われたんですけども、
このお寺は畜死大分の幸の蘇我休賀っていう人が建てた古代寺院なんですけども、
この頃からやっぱり九州北部、この太宰府中心というのは、
政庁、経済の中心でもあったし、政治の拠点でもあったけども、
仏教としての拠点でもあったっていうのが伺い知れるので、
このお寺が少なくとも1500年代、1600年近くまでは残存していたっていうことなので、
今はもうないんですね。
今はもうないです。住宅街になってるんですけどね。
そういったところの歴史が感じられても、
太宰府って歴史ある町っていうイメージありますけども、
もっと住宅街とかにも息づいているっていうことを今回伝えたかったです。
現代に息づく歴史
お寺ももちろん天満宮もあれば、有名なところである完全音寺とかもある。
それ以外は結構あちゃこちゃあるけど、結構なくなっているものもあって、
まだそれでも残ってるじゃないですか。
それこそそういった話では、もう一つ西、
西生寺の話もよかったら聞かせてもらっていいですか。
西生寺は高橋家の家臣で岩屋城合戦に参加しなかった家臣の人がいるんですね。
この方が主君が亡くなったこと、そして城兵が亡くなったことを言ったんでですね、
岩屋城の戦いの後に近隣に建てた居寄りで、彼らの冥福を祈ったという。
そこが今はお寺になって、今でも7月27日落城した日に岩屋城犠牲者追悼法要が行われている。
へー、未だに毎年されてるんですね。
すごいな。
主に子孫の方とかが中心となってやられているそうなんですけども、
そういった現代に息づく歴史というか、岩屋城の歴史というのが今でも息づいているということを示す一例なんじゃないかなと思います。
なるほど、ありがとうございました。
堀池さん、何か補足みたいな話がありますか?
そうですね、本当岩屋城自体も周囲の地名とかもそうですし、
そういう分では、今現在先ほどもあったように麓は住宅地だったりするんですけども、
岩屋城を麓から見てこうだったという、各地を回りながら見る楽しむというのも、
逆に当時の状況と照らし合わせて歩いていくというのも面白いんじゃないかと思います。
そうですよね。
今日はそのぐらいにしときましょうか。
いいですかね。
ありがとうございました。
ちなみに次回がこの岩屋城シリーズの最後になるんですけども、
最後は僕の方から岩屋城を今話をしてきましたけども、
車でぴょっと来て、市籍だけを巡るということもできるんですが、
実は下から登る、いい感じの登山道になっているので、
ここで山登りするならどんなルートがお勧めというお話を
僕の方からさせてもらえればなというふうに思っておりますので、
よろしくお願いいたします。
エンディングの前に2つお知らせをさせてください。
1つ目は堀池さんのYouTube番組です。
全国各地のお城をドローンで撮影している番組で、
空から攻めるという番組ですね。
ちなみに最近アップしたので言うとどこの城を攻めたということなんですか。
最近アップしたのはですね、
長い休みの時とかによく各地に遠いところに行きまして、
大阪では飯盛城という石垣の三好、長吉が築いた巨大な城なんですけど、
そういったところをあげております。
そうなんですね。
が1つですね。
それと、西日本新聞と堀池さんで一緒に作っている記事がございまして、
これは城、九州、戦国ドローンというコーナーです。
こちらの方もぜひご覧ください。
そしてもう1つ、西日本新聞MEの会員特典として、
天神ビジネスセンタービルの飲食店街8店でお得なサービスが受けられるようになりました。
生ビールやハイボールが1杯無料になったり、
ランチが10%引きになったりするなど、かなりお得な特典です。
すべてリンクは概要欄に貼らせてもらいます。
それではエンディングです。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
山城のことをもっと知りたい、この番組を応援したいと思っていただけましたら、
ぜひ西日本新聞、もしくはスマホアプリの西日本新聞MEのご購読をお願いいたします。
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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