第175回芥川賞受賞作が7月15日の夕方から夜にかけて発表されます。西日本新聞文化面恒例の予想対談の模様を初めてポッドキャストでもお送りします。普段、西日本新聞の文化面やエンタメ面に寄稿いただいている文化人2人にノミネート作品全5作のどこに注目し、どう読んだのか、語っていただき、最後に受賞作を予想してもらいました。どうぞお楽しみ下さい。 ※ネタバレ注意。各作品の内容に触れる内容があります。
◆収録日:2026年7月7日
◆出演出演者:遠山昇司(映画監督)、茶園梨加(宮崎公立大准教授)、佐々木直樹(報道センター文化担当)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネスマーケティング部)
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西日本新聞 Podcast
西日本新聞 Podcastをお聞きの皆さん、こんにちは。
今回は、7月15日に先公開が開かれる第175回芥川賞のノミネート作品の感想や受賞作の予想を語り合う対談をお届けします。
対談いただくのは、映画監督の東山昭司さんと茶園梨花さんです。
東山さんと茶園さんには半年に一度は芥川賞の先公開のたびに対談していただき、西日本新聞文化面で紹介してきました。
今回は初の試みとして対談の様子をPodcastでも配信したいと思います。
それでは、東山さん、茶園さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずは、初めにノミネート作品の感想をそれぞれお二人に伺っていきたいんですが、
まず一作目は、小佐川千人さんのゾンビ回収譜について語っていただければと思います。
AIのタイトルで夫と共に職を失った主人公の私が、夫が残したVRゲーム、ゾンビを倒していくゲームに没頭していくんですが、
他のプレイヤーが妥当したゾンビの死体を黙々と片付ける仕事に没入していくという話ですが、
東山さんいかが、この作品はどのように思いましたか?
まずタイトルがすごい面白いですよね。
小佐川さんは毎回タイトルが面白いなと思っていて、今回も最初にタイトルがドカンと来るというか、インパクトがありますね。
映画でもゾンビってすごい、今のゾンビ像っていうのは、そもそもジョージ・A・ロメロという映画監督が、1968年に
ナイト・オブ・ザ・リビング・デッドっていう映画で確立するんですけど、だからメタファーとしてのゾンビっていうのは結構映画ではずっと描かれていて、
今回、ロメロの映画はもちろんずっと僕は見てましたけども、ゾンビってそもそも何が始まりなんだろうってこのタイトルを見てすごい気になったんで、読む前にちょっと調べたんですよ。
そしたら、ブードゥ・キョウというハイチの民間信仰が始まりみたいで、要はジュジュ・チュッシが死んだ死体を生き返らせて、ゾンビですね、生き返らせて、労働力、労働者にして農園とかで肉体労働させていくっていう話が信じられてたわけですね。
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そこが始まりで、その後ロメロがある種の今みんなが知っているゾンビ像っていうか、ヨタヨタノロノロ歩くじゃないですか。あのゾンビ像っていうのをロメロが映画で確立して、その後もゾンビ映画ってたくさん生まれていくわけですけども、ある種の破壊表製みたいなものはゾンビって背負わされてるっていうか、メタファーとしてもあるんですよね。
今回もVRゲームの中に主人公が没入して入り込んでいって、そこでゾンビを回収してお掃除していくわけですけども、ある種ゲームの中で動き回ってたりする、目的を失って歩き回るゾンビっていうのも、
AIとかに仕事や役割を奪われた労働者みたいなものに重なってるなっていうのは、読みながら最初に感じたところですね。そのゾンビっていうところの切り口で言うと、今回大きくこの人変わったなと思ったのが、今まで3人称だったんですよね。それが今回の作品1人称になってるんですよね。
それが1つポイントとしてあって、あとは今までの佐川さんの作品って、現実の中に妄想が入り込んでいくみたいな、現実を妄想が侵食していくみたいな感じが強かったと思うんですけど、今回はいわゆる仮想世界、VRという妄想的な世界に現実、自分が取り込まれていくみたいな構造を取っているっていうのも、
今までとはちょっと違ってきたところかなっていうか、新しいところかなと思いましたね。つまり、仮想世界、VRっていうゲーム自体が既に存在している世界としてあって、システムですよね。そのシステムに主人公が取り込まれていく構造っていうか、そういったものが今回ある感じ、感じられるっていうか、あるわけですね。
そして、NPCっていう言葉が出てくるじゃないですか。これはノンプレイヤーキャラクターといって、プレイヤーが操作しないでコンピューター側が操作しているようなキャラクターのことを言うんですけど、これって認証がないわけですよ。そもそもゲームの世界の中で認証が存在していないようなプレイヤーによって操作されていないってことですから。
だけども、今回のこの小説の中では、そこに一人称として主人公の認証が当てられているっていう。そもそもゲームの中のNPCの中では認証っていうか、個人としての存在がないっていうものに対して、主人公として今回はキャラクター、認証が与えられているっていう構造がありますね。
それが今回そういうふうに上手いことを重なっているなと思いましたけども。テーマ性っていうか何なんでしょうね。すごく読んでて気になった状況としては、殺されたゾンビの死骸っていうか、集めて拾って世界を美しく保つのだみたいなことを言ってるじゃないですか。
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見えない業務とか名もなき仕事みたいなのも感じられたんですけど、今回。誰かがやらなければ世界が維持できない。
主人公はAIによって仕事を取られたと。夫はすぐ、夫も同じように仕事を失っちゃって出て行ってるという状況で、仕事を失うというか、価値を失うっていう。
そういう現代社会のシステムっていうものと照らし合わせてるっていうか、反映させてるような部分を感じたのがありますからね。
社会的役割みたいなものがなくなってしまった主人公が、ゾンビ回収夫としても褒められたい、認められたいっていう衝動に駆られて、本当に誰もやらない。名もなき仕事っていうか、見えない業務。
ゲームの世界では見えてない業務ですよね。っていうものをやり続けていく。
だから、現代の労働とAIなどのシステムとの関係性がテーマにあるよって言われれば、そうだなっていうふうに思うんですが、一方でこの方、小澤さんって、そんなにストレートにテーマを打ち出すかなっていうのを、今までの本を読んできた感じではあります。
だから、それにしては分かりやすいなっていうところも思ったし、でもこの方の面白さっていうのは、今回もアダウンス夫の不在、夫が出てこないですよね。
そしてぬいぐるみ出てきたり、以前の人形出てきたり、マネキン出てきたりっていうような、作家さん自身のぬい意識みたいなものが小説に投影されてるっていうか、描かれてるっていうのが一つ特徴だと思うんで。
単にこれがそのAIと労働と労働の作詞、作詞とかでも社会的枠割りみたいなところのテーマ性で、一本ドンと来てる小説とは思えないかなっていうところは読んでると思ったことですかね。
田井さんは、その小説はどんなことを読まれて、どういうふうに。
今、東山さんの語っていただいた中に、もう全部語り尽くされてしまったなっていう。何を言えばいいんだろうかなっていう気持ちなんですけど、ほとんど共感しながら今お話を聞いていました。
この作品は読んでて、とにかく最後まで圧倒される作品だったなという印象を持っていて、もうなんていうんですかね、小沢さんにしか描けない題材で、この人しか出せないアイデアで、そして作品世界なんだろうなっていうふうに思いました。
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私も前2作の候補作のことをちょっと言うと、「帝王安心交付と猿の体感式」が、もう本当その対談の時から大好きで、その時も対談の時もかなり私も推していたと思います。
田井さん、めっちゃ推してますよね。
そうです。すごいなと思って。それで今回この作品が候補に上がったと知って、本当に嬉しくて、でも読んでしまうともったいないので、今回実は私は一番最後にこの作品を読みました。
今回も期待に外れない作品で、かつ前2作を上回る展開だったかなと。その1作目、2作目って、この方は回を増すごとに描写で読者を圧倒するっていうところがあるかなと思います。
まず、人間でない存在が登場するということでは、前回の2作と同じなんですけれども、今回もはや現実世界ではなくて、どっちかというと、さっき富山さんおっしゃったように仮想現実の方が描写が多いですよね。
ほとんど仮想現実のVRのゲームの世界の中の描写がほとんどで、その中でゾンビとか、あとはゲームの中に出てくる人物が作中に登場して、主人公の私と交流するという奇抜な設定でした。
こういうふうに聞くと、何か出落ち感がする作品かなって思うかもしれないんですけど、最後まで飽きることなく読ませるんですよね。それがすごいハラハラドキドキ、最後まで持続する。
だから、なんていうか、ハラハラドキドキって言いましたけれども、文章自体が緊張感が一文一文あるので、それはつまりどういうことかというと、読者が予想しない、予想できない展開が次々に起こるので、一文字も逃すことなく読みたいとか、読まねばならないっていう、そういうふうに緊張感が生まれるのかなと思って大変楽しめました。
それから、主人公がVRの世界にハマっていったっていうその展開はやっぱり大事かなと思ってて、夫の話が出ましたけど、私と夫がほぼ同時にショックを失いますよね。
開戸予告を受けて、ショックを受けながらも、夫が言ったのがAIだよ、全部AIのせいだよと言って、AIが来たことで私たちの仕事が取られたんだっていう会話をします。
それが本当かどうかっていうのが、結局全くわからなくて、そのままの言葉を私が受け入れちゃって、確かにそうってあるはずだと思って展開していくということですね。
その後、夫がやってた夫の部屋からVRのヘッドセットを見つけて、初めて私はVRのゲームにハマっていくっていうことになって、先ほど富山さんがおっしゃったように、ノンプレイヤーキャラクターになってしまうという展開なんですけど。
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面白いのは、ショックを現実世界で失った私が、ゲームの世界ではゾンビ回収婦、回収婦っていう言い方も看護婦、看護師じゃなくて看護婦とかの婦の、昔風なジェンダー化されたというか、男が女かみたいな役割の言葉をあえて使っているところも面白いんですけど。
ゾンビ回収の仕事を一生懸命真面目に行っていって、現実世界では職場では速さとか生活さを求めながらも、でもAIが入ってきたことで不要となって、逆に人間的な部分を側面を求められたりして、矛盾を感じている、そういう私なんですけど。
ゲームの世界では、ただひたすら真面目に仕事に打ち込んでいく。これこそが転職だったんじゃないかなという、そういう現実との重なりとギャップっていうおかしみもあるかなというふうに思いました。
さっきの話の中で、真相シンディの話があったかと思うんですけど、ゲームの世界では私は、ホテルの支配人に、いわば上司ですよね、認められたいっていう思いで一生懸命働きます。
ここもおそらく現実世界との重なりがきっとあるんだろうけれども、もう一つ、私が認められたいと思っている相手が、私が育った家庭なんですよね。これも以前の作品にもそういった部分が出てきたかなと思うんですけど、今回の作品では後から生まれた下の兄弟とは違って、愛されずに育ったっていうエピソードが少しだけちょっと出てきて。
この支配人とは、現実世界の職場の上司でありながら、後は親に愛されずに育った、認められずに育ってきたというところで、見返りを何とか求めていくような主人公の姿というものが描かれていて、そこはちょっと切ないかなという気もしました。
後からヘッドセットを無理やり外されて、現実世界に戻った主人公に対して、心配で駆け寄った母とか父とか出てくるんですけど、結構どこか距離がある感じで描かれていて、その辺りも興味深かったです。
それから労働の話があって、東山さんは、私もこれキーワードかなと思うんですけど、名もなき仕事、それから見えない仕事で、でも誰かがしなくてはいけない仕事っていうふうにおっしゃっていて、私はちょっとまた違った見方をして、この労働が本当にしなきゃいけないのかなっていうのはあって。
現実世界に戻ったときに窓から外を見たら、工事現場で労働者の人が同じ作業をずっと繰り返しているっていうのがあって、本当は意味もないほどずっと繰り返しているってことに私が気づく瞬間があるんですけど。
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これって結局どうでもいい仕事っていう、例のブルシットジョブっていうクソどうでもいい仕事って呼べるような仕事を私が普段からやってるし、周りの人もやってるという、そういった労働に対しての皮肉にもなっているのかなというふうに思ったりもしました。
ひとまずそんなとこです。
タネさんはすごい、やっぱり小坂さんこうしてるから、熱のこもった。
このミイシカコソーラーっぽいって出てくるじゃないですか。
あれ、僕はちょっとどう捉えたらいいかがわからなかったんですけど。
ゲーム作った人。
作った人、制作者、はい。
この主人公ともう一つの軸までは言わないけど、出てくるっていうことをどう捉えてられましたね。
私の言葉の中では、ゲームの制作者はもうすでに死んでると。
亡くなっているっていうことがちらっと出てきて、おそらくそうなんでしょうけど、だから、制作者が出てきたところは過去に戻ってる感じですよね。
時空も空間も超えてるんだけれども、そこが不思議で、未来にそのゲームをやっている私がゲームをすることで、難しいですけど解釈が、会話していく。
いわゆる、制作者がAIをVRゲームの中に使うんですが、そのAIがそのまま実装することができないとか修正する必要があるので、制作者が会話文などを入力するっていうようなシーンが描かれていて、それが作品の中でもずれがありますよね。
その部分が何ページか前にすでに私が体験したこととして出てきて、そこで時空を超えて制作者と私がちょっと分かり合えるような瞬間が描かれてる。そこの展開は私は好きでした。面白いと思いましたね。
寺田 確かに。なるほど。何でしたっけ?ゾンビに、NPCに恥じらいを見つけるんでしたっけ?
寺田 恥じらいだったかな。
寺田 何かを見つける、バグっぽいやつですよね。つまりオリジナルなんですけど、それ。恥じらいみたいな、ちょっとウロウロで申し訳ないですけど、この認識がおそらく発見して喜ぶっていうか。
寺田 アラスカですね。
寺田 アラスカ、そうアラスカです。Tシャツアラスカって書いてある着てたやつ。
寺田 これバグなんだけど、でもそこに個体を見るというか、個性を見ていくっていうのが面白くて。
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寺田 それが何でしたっけ?人間らしさっていう。入れ墨が所々に出てきて、言葉が彫られているんですよね。それがちょっとこう、私にとっては意味のある言葉で毎回パッと出てくるという。面白い言葉の面白い実験かなと思いながら見ました。
大山さんは評価としてはどうなんですか?チャネさんはすごく評価していると思うんですが。
寺田 最も僕はアート性という意味においては、小佐川さんの作品は強いと思ってますよ。今回のラインナップの中でも一番それは強いですけど、最初に言っちゃうとあれですけど、今回の5作品はまた該当作ないんじゃないかってちょっと思ったぐらいのことは思ったんで。
寺田 小佐川さんもゾンビの話、僕冒頭しましたけど、ゾンビかっていうのはちょっと思ったりはしたんですけど。ゾンビってもうむちゃくちゃ語り、いろんなことを進化させ続けてて、ゾンビの文脈ってものすごくいろんな映画でも、割とあらゆる手法でゾンビを再構築させてるんで。
そういう点では、そこに関しての目新しさは僕はちょっと感じなかったなっていうのはありましたけど、でもその問いを投げかけているっていう意味においては、いわゆるアート性というか芸術性っていうのは小佐川さんの今回の作品が5本の中で一番強いなと思いましたよね。
寺田 そうですね。評価難しいですね。なんかこの小説のジャンルは何かっていうふうに聞かれたら難しいし、唯一無二の作品で。
寺田 唯一無二だと思います。家庭用安心交付は僕は好きだったんですよね。なんかあれって岩手県の高堂というか。
寺田 はい、鉱山の。
寺田 なるほどですね。そうか。なんか私は実験的すぎて、私は好きだったけど、賛否分かれるのかな。もしくは好き嫌い分かれるかな。これ読んでやっぱりちょっとよく分からない、ついていけないっていう人は多いのかなと思うので、そういったところですね。
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寺田 今度こそ受賞してほしいけど、もし受賞できなくても小佐川さんには彼女しか描けない作風があるので、その時々の関心であるがままに楽しく今後も描いてほしいなということを常に強く思っています。
寺田 ありがとうございます。次にまずは行ってみましょうかね。次はこちらも3回目の候補入りとなった鈴木すずみさんの悪い地について伺えたらと思います。
鈴木 妊婦献身で採血された主人公が夜中に急に何か許しがたい衝動的な感情に突き動かされて、深夜の病院に自分の血を取り返しに行くという物語で、夜の街や病院内を進む、歩く中で過去の記憶が蘇っていくような構造になっているかと思うんですが、
こちらはちゃんゆーさんは、読んだ感想なり評価できる点なり語っていただければと思います。
先ほどのゾンビ回収譜もそうなんですけど、それと同じかどうかなぐらいの質の高い、興味深い作品だったかなと思います。
今回のご作品の中で一番文章の密度が、さっきは緊張感でしたけど、今度は密度が高い作品という印象を持ちました。
小説の読み方とか楽しみ方って様々あると思うんですけど、この作品は一言一言じっくり味わって小説を読む、そういう楽しみがあると思います。
私はこの鈴木すずみさんの作品のうちに、芥川書工作となったこれまでの2作を今まで読んできましたが、その時も文章の表現の美しさがあるなというふうに感想を述べたかと思います。
書かれているテーマというのは、自分の身を売る女性だったり、夜の風俗で働く女性が前回までも主人公だったりして、男性との肉体関係を結ぶ場面など、今回も性的な描写というのはかなりあるんですが、かつグロテスクとも言っていい、そういう描写もあるんですけど、
そういった描写を題材を描き方を間違えればお笑いになってしまうような題材であっても、そうは描きたくないというか、雑にではなくて、とにかく丁寧に描きたい。それこそがこの人が考える文学なんだろうなというふうに今回も強く思いました。
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さらに今回の悪い地ですね。これがこれまでの保護作、2作と違うのは、よりテーマが専鋭化して絞られているという印象を持ちます。
一人称小説ですが、主人公の私はそれまで自分の性を、自分の身を売ってきたそういう主人公、女性なんですけど、妊娠するというのが冒頭に書かれています。年齢としては40歳前後ぐらいかなと描かれてたかなと思うんですけど、この妊娠を喜ぶでもなく、嘆くでもなく、でも肯定できないっていうね。
それなぜなのかというと、それはこれまで約20年以上に渡ってきた自分の身体の歴史があるからではないかというふうに読みました。
この女性の場合は、男性を相手にしてきた性が、妊娠したことで性色としての性と変わりますよね。
このズレをどう考えればいいのかなという問題提起があったり、あとは妊娠したことで自分の身体とか自分の性の歴史を改めて変えり見てみるという物語というふうに読みました。
先ほどのあらすじ紹介にもあったんですけど、やっぱりきっかけとなったのがタイトルにもある血液検査ということだと思います。
妊娠を継続できるかどうかとか、それから中断すべき重大な病を抱えていないかどうか調べようとしますが、家に帰ってやはり知りたくないという思いからその血を取り消そうと取り戻そうとしますよね。
夜の街を徘徊するんですけど、そこの街角の建物とか小道だったりなんかは、これまで彼女が身体の歴史に刻まれた様々な場所でもあって、
それらを訪れながらかつて若かった自分を現在の自分が眺めるという非常に技巧的な描き方をしている同じ場所なんだけれども、これ時間を超えて過去の記憶を掘り起こしているということですよね。
あとはそういった点ではちょっと話ずれますけど、この作品はもしかしたら翻訳されて海外で読まれたら国内よりも結構人気というか反応が多くあるのではないかなというふうに思ったりします。
東京の夜の街が出てくるというところですね。
あとテーマとしては生殖の生と生なんですが、死と生というのもちょっとテーマとしても導かれていて、自分のことだけじゃなくて亡くなった友人のこととか、
あと亡くなった父との思い出も語られるところがあるかなというところですかね。
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それから最後の友人の朝子さんとのやりとりも前向きで良かったかなと思います。
結局この朝子さんと分かり合って対話していく中で、主人公の私は今後どうやっていったらいいかというある程度の気持ちが定まっていく。
こういった女同士の会話とか女同士の絆っていうのは、もしかしたら映画も、それから昨今の文芸の関心事ではあるんですけど、
こういう最近の関心事を、はいこれ書きましたよっていうようなこれ見よがしではならずに、うまくバランスよく物語の転換に即して取り込んで書いていたかなというふうに思います。
そんなところです。
小山さんはどう読まれましたか。
さっき茶屋さんおっしゃっている文章の密度、すごいですね。
ノミネート作品の2作品をもちろん一緒に読んできましたけど、一番良いと思いましたこの作品が。
僕が印象的に残っている文章が、今から読み上げますけども、今まさに私は自分の血液を奪還するために、
真夜中の未明を繋ぐ都道に座っているっていう、この文章すごい良いなと思ったんですよね。
読み始めてって最初の頃出てくるんですけど、その後にフラッシュバックしていくじゃないですか、いろんなことを。
そのフラッシュバックの中に赤い下着がザリザリの茂のように散らばっていたっていう表現とか、
すごい素晴らしいですね。力があるし、さっき密度っておっしゃったけど、その通りだと思いましたね。
実直な作品ですね。痛みを伴うほどの実直さというか、そういうのを読んでて思いましたし、
シャエさんもおっしゃったけど、身体?身体制ですね。主人公の身体制がまさに言葉の中で波打つみたいな感覚なんですよね。
僕が読んでと思ったのは。自分の血の流れを遡るかのようにフラッシュバックしていくじゃないですか。
おいた血というものですね。血管の中を流れる血流のように複数の時間が一体的に流れていくみたいな。
まさに血管と血流というか、ものを小説の構造の中で表しているっていう、非常に上手いですね。
その中でも、かつての友人のミクの死っていうのが非常にポイントになっていると思うんですけど、
彼女のおいた血と生き方の中ではなっているっていうのも途中で描かれて出てきますよね。
だから、罪と罰じゃないけど、罪というものが例えば血液ですね。
罪だけあって、罰がないことへの恐れっていうのが主人公にあるわけですよ。
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罰というのは痛みだと思う。痛みとして捉えた場合ですけど、血と痛み、罪と罰。
よく出てくる表現だと、美術付きのサンダルが出てくる。印象的に出てくる。
痛そうじゃないですか。ずっと歩いていて、それでずっと歩いているわけですから、痛みみたいな。
これが罪って罰ですよね。
罰として、本人はこの痛みで許されたいと思っているのか、その罰として受けているみたいな印象を読んでて思いましたね。
あとは、この小説をたらしめているものっていうのが、これもまたさっき読んだように読みますけど、
終盤になってくると、自分の幸福を許せない、間違い続けた自分というものを取るじゃないですか。
間違い続けさせた世界を憎むじゃないけども。
その中の一節で、私と同じくらいに世界もひどかった。
ただ私は長らくそう口にする資格がないと思っていた。
でも子供を持つことは、もしかしたらそれを言う必要に駆られることじゃないだろうかっていう。
この一節はすごいですね。素晴らしい一節だと思います。
この文章によって、この小説は力を持っているとさえ思うぐらいいい文章だと思いましたね。
自分ごとの話をしてあれなんですけど、僕も一番最初に撮った映画が、
Not Longer Tonight、夜は長くないっていうタイトルの映画なんですけど、
これは26歳の時に僕が撮ってて、一番最初の劇映画で脚本も自分で書いてますけど、
許すことができない自分が唯一の希望だっていう風に主人公に僕は言わせてるんですよね、その中でも。
主人公は女性で、夫が自殺をして死んだ後に、一人でいろんなものを捨てて旅に出るって、
雨草をずっと車で走りながら、最終的に牛深の廃屋大橋にたどり着くんですけども、
そこで同じようなセリフを僕が作ってて、そこがすごく共感というか、一緒に感じられるものとして思ったことがありましたね。
その許すことができない自分こそが唯一の希望だっていうのを最後、僕の映画の主人公が言いますんですけど、
そこと重なったりして、あと夜は長くないってタイトルにしてたんで、この小説の最後も夜っていう言葉で終わるじゃないですか。
この言葉が僕は若干、その前までが素晴らしかったので、この一文で終わっていいのかってちょっとそれは思ったんですけど。
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確かにですね。
最後の一文と言われて、確かに置いていってるというか、この一文でしかも開業してますしね。置いちゃった感じはしますね。
僕もここまでこう呼んできててっていうのは思いましたし、すごく全体的に僕は評価してるんです、いいと思ってるんですけど、
ただその汚れっていうイメージは、いかにもっていうイメージの組み合わせではあるなとは思いますね。
この文学的ということを使っているのかわかんないですけど、っていうところは読んでて思ったことでありますかね。
さっき東山さんが2か所引用してくださった2つ目のところで、子どもを持つことの必要性っていうのも、確かにそこは私も重要だなと思って。
やっぱりこの主人公は妊娠をしたけれども、産もうか産まないかというよりも、子どもを持つことの意味っていうのがまずはっきりとわからないというか、
直面したくないっていうか、そういう資格がないとずっと思ってるんだけれども、結局その展開を踏まえてこの考えに至ってるっていうのは、
子どもを産むことの一つの工程にここで、さっきおっしゃった場所でやっとたどり着いてるなっていうところですかね。
納得します。
それから美術付きのサンダルっていうのもいいですよね。
もっとも妊婦とはイメージがかけ離れた。
かけ離れてますよね。
危ない。
なんでそんなのでっていう。
それ以前の自分を表す存在でもある、そういう痛いけど綺麗だから履き続けていく。
人生そのものみたいなこの人を履いて、過去の場所をたどって、どうするかを定めていくようなところが確かに面白いですね。
ちょっとしたそういう小道具が。
金原ひとみさんの小説を思い出しましたね。
私もです。
その名前を言っていいのかなと思いながら、並べていいのかなと思いながら、
でも今の鈴木すずみさんは金原さんに近くなっていってるような、そのぐらいの力強さがあるなというふうに思いますね。
なんかこうフェミニズム小説っていう言葉で収まりきれない何か、この小説は持ってる気がしますけどね。
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確かにですね。
そうですよね。
前もそうですけど、私も女として生まれて、この人が描く女性たちは私からおそらく最も遠い、昼の仕事をしてる自分からすると最も遠い人たちなんだけど、
なんかこう別の世界の人たちを読んでるという感じはしないんですよ。
読んでることでなんか共感できるし、違和感というか拒絶っていうものがない。
そこがこう、描き方の上手さなのかなっていうふうに思いますね。
ありがとうございます。
次に、いいですかね。
次は初ノミネートになった西名蓮さんの真心について語っていけたらと思います。
建築学科の大学教授、その前にあるか、不動産不況で廃墟マンションが増えてる中国が舞台になっていて、
日本の建築学科の大学教授のもとに、その廃墟マンションの一つを美術館に設計し直してほしいという謎の中国人女性から依頼を受けて、
その教授の助手が現地に渡るところから物語が動き始めるんですが、他の4作品と比べて国際性を帯びた作品なのかなと思うんですが、
富山さんはこの作品をどういうふうに読まれ評価されるのか、あるいは気になった点など教えていただけますか。
なんかこう、乱立してる廃墟マンションを美術館に買える、その依頼がなぜか日本人の大学教授に来るっていう、すげーうさんくさい話ですよね。
だからこれって笑えるんですよ。ただ笑えるんです。笑えるんだけど、何個か前の芥川賞を取った芸ってすべてを言った鈴木さんのと同じように、
ある種の教養がないと笑えないって言い方があるかもしれないですけど、教養がないと楽しめない小説でもあるんですよね。
っていうのは読んでて、まず思ったことで、内容的なところに入っていくと、まず独特のリズム。
これ特徴ですよね、この人のね。掴むまでにちょっと時間がかかりましたけども、というのは三人称と思ってたら、
鹿野川教授でしたっけ?鹿野川教授の視点だったり、レンっていう助手の視点だったりが入ってきて、一人称的に書かれてるんで、
そういうところがあったからちょっと掴みにくかったんですけど、最初。これがこの方の特徴とも言えるんでしょうけども。
あと、建築における柔らかさとは何かとか、これとか笑えるわけもあるっちゃうんですよね、僕としてはね。
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ただ非常に具体性のある人の名前が出てくるんです。石崎新太とか、中国の現代美術家のアイウェイウェイとか、
アイウェイウェイと本当にいる現代美術家だし、石崎新太もそうですね。
実名が出てくることによるリアリティーが浮かぶんですけど、それこそがおそらくところの、僕としても感じられる面白さっていうか。
気をつけて、すごいハッとしたこともあって、中国の実情とか建築のこととか、中国建築の工法とか、いろんなことが詳しく書かれてるじゃないですか。
ここに書かれてることが全て事実として読めてしまうことの恐ろしさと面白さなんですよ。
こうやって小説って恐ろしいもんだなと思っちゃって、ここに書いてあることって本当のこととして我々は読んでしまうんだけど、これ嘘を書いても別に何の問題ないんですよ。
すごいそれをカットして考えちゃって、これって本当なのかな、事実なのかなみたいな。騙すことも読者にできてしまうっていう。
だから教養があることによって楽しむ小説だっていうのはそういうところもあるんですけど。
恐ろしさと面白さみたいな、読者が信じてしまうことっていうことですよね。
この本の作者がそれを意図的にやったようには思えないけども、読み手としてそれにハッとさせられたというか。
というのが思いました。
あと鹿野川教授ですね。
これはある種知識人のおごりと油断みたいな象徴みたいなところがあって、すごい愛しいキャラでもありますよね。
最後は土下座して解決しちゃうみたいな国境さもありますから。
ある種の悲劇から喜劇に転換させていくっていう、面白い人物だなと思って。
あと助手のレン君ですよね。
彼の場合、教授とは違って知性とは異なる動き方、働き方、生き方。
ことによって現場の中を生きていくわけですよ。
彼だけ現場に中国に行ってますからね。
これこそが真心じゃないかとも思うわけですよ。
彼の生き方というか、動き方というか、接し方みたいな。
交わり方ですよね。
レン君というのは建物とともに、実は出会った人々の人生も垣間見ていってるわけですよ。
現場で。
いろんな人々の人生に関与していってるわけです。
教授はちょっと違うけど、ずっと東京にいますから。
交わっていく。
そういうことを考えると、あの建物そのままのほうがレン君みたいな感じにも思えてくるなって僕は思いましたけどね。
だからレン君って最終的にあの建物に愛着を持ってるだろうなっていうのも感じられるというか。
逆にその教授は愛着持ってないじゃないですか。最終的に。
ずっと愛着持っていろいろやってたけど、最後のパーティーに呼ばれて絶望するみたいな絶望っていうかね、それ描かれてない感じがありましたけど。
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ある種この小説はその作者自身の含めた人生哲学みたいなものと真心っていうそのタイトルっていうものが重なってる小説なのかなっていうふうに思いましたね。
レンさんはいかが?
東山さんが芸手はすべてを言ったという鈴木唯さんの作品を挙げていらっしゃって、私もそれが一つ浮かんだのがやっぱりあの大学教授をどう書くか。
男性のある程度年齢の上の方をどう書くかで、鈴木唯さんは肯定的に書くんですよね。
作品の中で。だけれどもこの方は西田レンさんはこの教授をちょっとこうもうちょっともっとユーモアコッケーに描いていくっていう皮肉に描いていくというところは違いがあって面白いなというふうに思いました。
それから、あとはテーマとしては建造物のデザイン、建築家が出てきてっていうところからは九段理恵さんの東京都道場とも建築関係だったので、やっぱり現代的なテーマなのかなというふうにこの建築家を描くっていうのがですね、思いました。
で、それからこっちの方はただゼロから建物を作ったわけじゃなくて、あらすじ紹介でもあったようにランウェイローという発音が多分違うと思うんですけど、ランウェイローという未完成の構造物、建築物、中国のを元に立てていって、未完成なんだけどそこにもう住民の人たちがもうすでに入ってしまっているので立ち向きをしなきゃいけないといったあたりが
読んでたらハードボイルド小説を読んでいるような感じがして、そこは面白かったんですよね。
で、プラスちょっと知的なやっぱり要素があるので、さっき東山さんがおっしゃった教養という言葉をつけると、教養ハードボイルド小説、そういう言葉があるかわかりませんけど、そういうふうに名付けることができるのかなというふうに思いました。
あとは出てくる人物もそれぞれ結構キャラクターがきちんとしてるんですよね。
一人一人の見た目とか顔の表情とかがそんなに細かく描かれていないはずなのに、何かそれぞれの差がキャラクター立ちしてるというか、差がはっきりとしてますよね。
そこはやっぱりこの人の腕の力なのかなというふうに思います。
一方では、本来はレン君だったりミスキューなんかが多くの人と関わっているはずなんですよね、もっと。
だけど実際にこの中編小説で描ける人数というのは限られてくるので、限定された人物たちが描かれているので、
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そのあたりのそれ以外の多くの人たちをどう描いていくのかっていったところは、背景としてどう描くかっていうのはもう少し工夫が必要なのかなというふうにも思いました。
あと良さとしては、さっき独特のリズムがあるとおっしゃってて、私もそれ共感して、何か独自の軽みみたいなものをまとってて、
そこがやや引っかかりつつ読むんですよね。今のこの作品の中ではちょっと引っかかっちゃうところがあるんですけど、
たぶん恐らく今後この方の著者の作者の最大の武器になるに違いないかなというふうに思っているので、
この文体のこの人の独特さと、それからこの人にしか見えないテーマがあるとしたら、そのバランスですね、テーマと文体、それをどう見せていくかっていうのが今後見えてきたらいいのかなというふうに思いますかね。
それからですね、あとレン君と教授の関係なんですけど、レン君は教授の養子になりたいと思ったことがあるというのが出てきて、
最後まで読んでると恐らくこれ冗談ではなくて本心だったのかもしれないなという思わせる結末でした。
教授に子どもが生まれるっていう設定も、子どもにはなれないレン君との比較っていうことがあってこその設定だと思うので、
ただこのあたりももう少し作品の、なんとなく切ないよねっていう感じで終わるんじゃなくて、もう少し作品の要素として盛り込んでいっても面白かったんじゃないかなというふうに思いました。
これ以上語る感じのことはどうですか、この作品については。
そうですね。
中国を描いた作品、舞台にしている作品って今までアクターガーノミネートで2人で読ませていった中ではなかったんじゃないかな。
そういう意味では新鮮で面白かったですけどね、そこは。
最近はないですよね。リー・コトネさんの沖縄なのかなどうかなっていう南の斧に島を舞台にしたのはありましたけどね。
あとアメリカもありましたしね。
ケズナ・ジャットさんのスタ文学、そうでした。確かに国際的だっていう点からすると珍しいので、そうですよね。とってもおかしくないかなという気もしますが。
ありがとうございます。4作目に移っていきますか。
次は村下優さんのソリティア王子さんがいたについてお願いします。
48:01
今年の文学会新人賞受賞作で初めてのお入りになります。
京都の味噌を作っている会社に勤めている女性が主人公で、定年間際に職場でひたすらソリティアをしていた、パソコンのゲームをしていた元社員のおじさんが火事で亡くなったということを聞いて、
その葬儀にきっかけていったことをきっかけに、主人公の日常が少しずつ変わっていくというようなお話だったんですが。
茶井さんはどのように読まれましたでしょうか。
この作品は、まずタイトルのインパクトがある作品で、面白かったですね。
内容はお笑い芸人の方とか、それからバラエティの放送作家の方が書いたんじゃないかなと思われすえるぐらい、本当にいい意味で面白い作品でした。
読者の方ですね、例えば普段あまり文学作品とか読まないよっていう人にも読んでほしい作品ですし、きっとそういう方にも面白く読めるんじゃないかなというふうに思います。
まず、この作品は一人称の語りなんですけど、京都のという話がありましたが、関西の方の方言でずっと主人公の古石瀬さんですかね、三文字苗字なんだという話がありましたが、
ルナさんという女性の方がずっと方言で語っていく物語になっています。
もちろん文字表現だけでは一見標準語のような部分も多々あるんですけど、知らんけどとか、何かあったんやろかなど分かりやすい方言、文末表現の分かりやすい方言があるので、
おそらくこの人が全体を全部関西の方言で語っているんだろうなということで、その他の例えば何々していたとか何々だったという表記もおそらく再現するとイントネーションが関西弁なんだろうなと想像しながら、
私は自分の精一杯の関西弁の知識を動員して、彼女の語りを再現しながら読んでいく、そういう面白さがありました。
こういった方言を使った語りの小説というのは古い時期からありますよね。
例えば谷崎純一郎の漫字とか、それから現代作家では川上美恵子さんのチチトランなどもあったりするので、古くて新しいテーマなのかなというふうに思います。
一方でこの小説は笑いという要素が盛り込まれているので、エンタメとしても面白いですよね。
それからどう書いていくかというところで語りの面白さを今言いましたが、あとはこれも描写が細かいというのかな、現在進行形で物事が進んでいくんですよね。
51:10
出来事に語りの思いがそこに差し込まれて進んでいくという形態は、例えば古い物では太宰治の女性とという作品もちょっと似たようなところがあるし、
それから吉田智子という作家がいるんですけど、確かこの人も芥川賞を過去に取ったかなと思うんですが、静かな夏という短編があって、
これが調べたら1967年の作品があって、やっぱり短い文章で、今主人公が見ている世界を語っていく、それに感想を入れていくというような、ちょっと類似するような表現にはなっています。
ただやはり吉田さんの方はそこに笑いは入ってこないので、本作はそこに笑いを足しているというところが独自な観点かなというふうに思いました。
あとテーマですけれども、私とは何かとか、仕事とは何かというようなところが見えてくるかなと。
一応そういうテーマがあって、最初はやっぱりさっき言った笑いで、前半は軽みで読ませますよね。
それが後半どこまでテーマ性が深められるのかという課題が一方ではあるかなというところです。
深められたのかなというところがですね、またちょっと私の方でもわからないんですが。
例えばその仕事とはといったところでは、やっぱり時代背景が関係しているかなと思っていて、タイトルにもあるソリティアおじさんがいた頃っていうのは過去の話ですよね。
つまり今とは違うということなんですけど、ソリティアおじさんだった黒の田さんでしたかね。
ある時からやる気もなくす、何か積極的に仕事をすることもなく、暇つぶしでですね、いわゆる窓際族のようになってしまう。
それでずっと就業時間内でもソリティアをしていたということなんですが、そういう人たちがいる。
黒の田さんだけじゃなくて、おそらくたくさんいたよねっていう、そういう時代がちょっと前にあったんですよね。
あったような、そういう想像できる。
だけど、じゃあ今どうなのかなって思った時に、今おそらくソリティア族は本当少なくなって、ソリティア族というか窓際族っているんだろうかな。
そういった人たちが職を失ってしまうほど、今は逆に言えば、何というか、もっと殺伐した不況でですね、疲弊してしまっている時代になっちゃったのかなというふうに思うんですよね。
ソリティアでサボっている人は、もう今やもう容赦なくリストラにされてしまうわけですから、仕事ができないということでですね。
なので、まだソリティアおじさんたちがいた頃はまだ余裕があって、社会の空白みたいなものがちょっと認められていたような時代だったのかなと思いながら、
54:08
今の社会との違いで、今のというのは、この主人公、語り手がいる今ですよね。
死んだ後の、亡くなった後の、ソリティアおじさんが亡くなった後の今ですけど、そことの差を物語っている作品なのかなというふうに読みましたね。
あとはですね、後半で黒の田さんの娘さんと、母親になった娘さんが出てくるんですけど、またこの人がちょっとおかしな、おもろい人で。
葬儀の時に参列者が来てくださっている方を笑わせるんですよね。
ここどこだったっけと、私がちょっと頭がバグるというか、混乱してしまうというようなところがあるんですけど、すごくそういった展開も面白かったです。
ただし、この黒の田さんの娘さんと最後再び対話を私はするんですけど、ここでややちょっとまとまりのある終わり方になりすぎちゃったかなという気もしなくもないですね。
結局後半では、私とは何か、私の仕事とは何かということを主人公が自問自答するような展開になっていくんですけど、
自分の仕事について、この黒の田さんの娘さんと対話することで肯定的に捉えるようになって、よしまた私の職場はやっぱりここだ、頑張ろうというような感じで終わるので、そのまとまりはあるやり方でよかったのかな、どうなのかなというような疑問も一方ではあったりします。
ヤノさんはいかが?
タイトルソリティアおじさんが許された頃っていうことだと、多分そういうことだなと思って、僕はこの存在、ソリティアおじさんという存在が許されていた、会社の中でも存在を許されていた頃の話っていうか、それを持っていく話だと思うんですけど。
まずあれですね、こんな京都弁ってすごいふわふわして、京都僕は好きですけど、京都弁のふわふわした感じを文体として安定させて、最後までそれを続けていけたっていうのがまずすごいなと思いました。
最初掴むの難しかった、これも難しかったんですけど、最終的には最後までこの京都弁の安定感、語りですね、は続いていってたので、そこがまずこの作家さんの力かなっていうのは思いましたね。
あとは、2つの別れを丁寧に描いていくっていう、それに尽きる小説のような気もするっていうか、ものすごくシンプルな小説だと思うんで、テーマが時代のどこを切り取っているとかではないようなことは感じられるんですけど。
57:12
要はソリティアおじさんに近づいていく主人公っていうベクトルと、彼氏の会氏から離れていくっていうベクトルが物語にあって、そのベクトルを丁寧に描く。
2つの別れのうち1歩は近づいていくことによって別れて、1歩は離れていくことによって別れるみたいな、距離の描き方を非常に丁寧に描いていっているっていうことだと思うんですけどね。
あとは、本当に時代描写とか人物をエッジを利かせて切り取るとか、そういうことではない小説なので、先ほどの魔心とかまさにそういう感じだと思うんですけど、ある種の凡庸さをそのままに、小さきことを小さきままに、本当に地道に描き切るという小説だなっていう。
ことを受け取りました。どうしても日常の中の非日常性に強い価値を見出してしまうと思うんですね。
それは芸術祭をやってて、僕は芸術祭とかもやってるんで、芸術祭をやってって思いますけども、ある種の日常の中に非日常性を作り出すこと、例えばどっかの巨大なビルがプロジェクションマッピングで変わりますみたいなことも、ある種の非日常性に我々人間は価値を強く見出してしまうんですよね。
ただありふれた日常を日常のまま描くこと、何気ない日常にこそ価値があるっていうことを、この作品はただ単にそこを地道に描くっていう。
語るに足るソリティアおじさんみたいな感じですよね。意外とソリティアおじさんっていうのは語るものを何も持ってないような人かと思いきや、そこに潜んで見つけられてない日常性っていうか、小さなことを丁寧に見つめ直す、見つめ直すというか描くことですね。
っていう小説だなと思いました。ただ、茶井さんもちょっとおっしゃってましたけども、その日常を日常のままにありのままに丁寧に描くっていう状況のまま、その状況を提示したまま終えているとも言える小説だなとは思いましたけどね。
ちょっと他の作家さんと今回のノーミネート作家の中で言うと、作家さんは男性ですよね。村知佑さんが女性の主人公を描いているっていうところは気になったところでありました。
通常って多くの作品は男性の作家は男性が描いたり、女性の作家は女性が描く。村上春樹の新作が今回初めて女性が描くみたいなことで売りっていうか集まってますけど、今回この作家自身が男性作家が女性の主人公を描くっていう構造が他のノーミネート作家の中とはちょっと違うっていうところとしてはあるなと思いましたけどね。
1:00:28
なるほどですね。今お話を聞いて確かに日常をそのままに、素材をそのままに描いているっていう。面白いんだけど素材をそのままに描いててっていうのは過去にも何作品か、富山さんとの対話の中で過去にもあったかなと思って。
やっぱりそういった作品は結果見ても選ばれていないんですけど、今回のソリティアおじさんがどこまでいけるかなという期待もありつつですね。
あと私が気になったのは、さっきもお話の中で言った、後半にその富山さんがおっしゃったソリティアおじさんの方に近づいていく私がっていうところで、実際に私という人物もパソコンでソリティアをやってみる場面がありますよね、後半に。
それをやりながら、こういうふうにするんやと言いながら、失敗したりとかうまくいったりとか、ちょっと戻してみたりとか。
それって結局、そうしながら今の自分の仕事への思いなんかを語っていくというか、分析しているような場面があって、ソリティアをすることが人生うまくいったりとか、停滞したりとかそういうことを表すんだろうなと思いながら読んでたんですけど。
ここを表現ちょっと面白くて、短い言葉でパッパッパッと展開していくので、この人の文章の文体自体がソリティアみたいに、角を置いて、変わって置いて、そういうこれを言ったからこう変わってみたいな、そういうとこがあるんですよね。
具体的に言うと、書室の雑誌の44から45ページあたりなんですけど、その文体自体がソリティアみたいになっていくような瞬間がちょっとあって、そこもうちょっとやっていったらめちゃくちゃ面白いのに。
めちゃくちゃこの、さっき総統山さんがおっしゃった素材をそのままにじゃなくて、文体がソリティアすることに変わって、もっともっと短くパッパッパッと変わっていくよというような、どう書くかっていう部分がもっと実験できたかもしれないなと思って、感想です。
おだしょー ありがとうございます。
最後に5着目に移りたいと思います。
ヤギエミさんのアンチグッドモーニングです。
こちらも初の入りで、食品会社で働く女性が主人公で、リモートワークが定着して、チャット機能が主人公を深刻な不眠症に追い込むような描写が印象的でした。
1:03:15
ポジティブさを強要する職場や、不眠症対策に空回りする夫に疲弊する中で、だんだん奇妙な世界へと導かれていくような展開になっていくんですが、東山さんはこの作品はどう読まれ、どう評価されましたでしょうか。
ヤギエミ これだけアクター話をずっと読ませてもらっていると、今回いろんな作家さんの名前、かつての作家さんが出てきてますけど、この小説の場合は高瀬潤子さんの水たまりで息をするっていう、僕は結構この作品好きだったんですけど、お風呂に入りたく、入れなくなった夫の話ですよね。
っていうのを最初読んでいることは想起させられているのか、思いましたね。そんなこんなで読み進めていくと、キャラクターとして魅力があるなっていう人が出てくるわけですけども、この小説のなかなか強烈なキャラクターが出てくる。
ヤギエミ フラモレディっていう、いわゆるヤクルトレディだと思うんですけど、睡眠導入とかストレス軽減をするための飲み物を自宅に来て販売する、ヤクルトレディ的な存在。
このフラモレディの飯澤さんっていう人はすごい面白かったっていうか、頼りになる存在なんだなっていう。これって1984、村上春樹の1984のNHKの囚禁人の逆パターンみたいな感じだと思ったんですよ。
ヤギエミ いきなり訪れてくる。でも、囚禁人本は恐怖っていうか、怖い存在っていうか。でも一方で、このフラモレディの飯澤さんは、主人公を最終的には助けますよ。助けるっていうか、道を見つけるっていうか、サポートしますよねっていう存在として描かれてたり。
ヤギエミ まあ、あらすじでもさっきおっしゃいましたけど、現実の中に妄想なのか夢なのかっていうものが介入していって、最後はぐらっとその世界に引き込んでいってくれる作品だと思いますけど。
ヤギエミ この作品もある種、仕事っていうのがキーワードになっていて、眠れなくなった一つの要因として、コロナ禍以降の仕事の仕方ってリモートになってきたじゃないですか。
ここに出てくる会社、主人公が勤めている会社の社長も新しい社長になって、社員の健康が第一だって言いながらサービス残業ガンガンさせてる実態があって、健康の推奨と言いながらも生産性を求めてるわけですよね。
という状況が描かれている。チャットの着信音が常になってきて、常に電話が来るみたいな。僕は結構、自分の仕事柄も本当にいつでも連絡が来ちゃうし、何かトラブルがあったらすぐ連絡が来ちゃうから、彼女の仕事の仕方の状況は理解できるわけですけども、共感できちゃうんですよ。
1:06:24
この小説って、共感できるとかいろいろあるんですね。仕事をチャットの通知に追い立てられていくとか。でも、共感してしまう自分に危うさを実は感じちゃったっていうのは僕のことで。
共感できると気持ちいいとか、いいとは思うじゃないですか。茶園さんとの対談だってそうだと思うんですよ。この部分はこう思いましたよね。共感するっていう。一方でこれ読んでる時に、共感できることいろいろあるけども、共感できない小説こそに何か新しい発見につながるものがあるのかなっていうのを思っちゃって。
だから、最初の僕がちょっと推してはないけどもっていう小沢さんとかは、意外と僕は共感的な部分があるけども、そこにこそ自分の内面的な部分で発見があるんじゃないかとか。そういう返り見ちゃうっていうか。
順番通り、今回はその対談の通りの順番で読んでますけど、最後にこの小説読んだ時に、なんかそういったことも考えちゃいましたね。共感とは何なんだっていう。共感することいいことなのかなとか思っちゃったりして。
そんなこと考えたりもしたし、あとは眠りと文学っていう関係性もすごく考えさせられる作品で、白雪姫とか眠り続ける主人公っていうのが有名ですよね。眠り続ける主人公っていうのは映画とか小説とかでも、絵画でもあるかもしれないですね。
よく出てくるけど、起き続ける主人公っていうのが今回の主人公の特徴ですよね。それはつまりどういうことかっていうと、世界と常に向き合い続けなきゃいけないっていうことの苦しみでもあるわけですよ。起き続けていかなきゃいけない。
だから眠ることを渇望するわけですよね、主人公は。そのイーランニングの怪しい孔子が魂を渡すと眠れるよって言ってくるじゃないですか。あれはニアリイコール死を渇望することに変わるわけですよね。最終的に主人公は死を渇望し始めるっていうことだと思うんですけど。
ただ最後、眠れないっていうことをずっと起き続けてるがゆえに光を見つけてしまえるっていうことだよっていう意味に、さっきの飯澤さんのおかげで築くわけですよね。
つまりそこで希望的なものを最終的な文章、小説の流れとして提示しているんですけども、これは面白いな、その展開と意味の変え方、捉え方の変えていく手法として非常に面白いやり方っていうか、ハッとするやり方だなとは思いました。
1:09:23
という感じですかね。
なるほどですね。
私はこの作品が一番切実な、読んでて、文章自体はそんなに難しくないのでサッと読めるんですけど、題材が結構きついなというか、切実なものがあるなっていうのが読んでた最初の感想ですかね。
それからリモートワークで、便利になったけど一方では過剰な労働環境に置かれている、現在の人々の労働っていうものが問題あるよねっていうことを考えさせられる作品ではあるなというのは感じましたかね。
ただですね、私自身も環境のちょっとした変化なんかで、旅先なんかで眠りが浅いなとか、なかなか眠れないなというとき誰にもあるかなと思うんですけど、
例えばこの作品の中に書いてあった呼吸法、448だったかな。それもありますよね、いろいろ。587とかいろいろ数字変化してあるんですけど、そういうのも確かに聞いたことがあって、呼吸法を実践したことがあって、かなりこれって効果的なやり方ではあるんですが、
一方で本当に精神的に緊張している、夜になって緊張しているときは、やっぱり呼吸法やっても眠れないなという体験が私自身にもあったかなと、これ読んでて改めて思いました。そこはすごく共感、そういう意味で共感はありましたかね。
ただですね、自分が例えば眠れないって言ったときに、もう2,3日眠れないというか、全く寝なかったというわけじゃなくて、ちょっとでも眠りが浅いだけで、やっぱり私の性格状態がきついんですよね、2,3日でも。これ1週間でもかなりきついと思うんですよ。
この主人公が何ヶ月でしたっけ、8ヶ月か9ヶ月か眠ってないんだと。全く寝てないわけじゃなくて、1時間か2時間か数時間は眠るけれども、でもそんな状態はずっと続いているって。
果たして結構リアリティを持って書かれるんですが、果たしてそんな8ヶ月か9ヶ月か、長い間苦しんでるのにクリニックに行かないという状況があり得るのかなという、そこが私ちょっと引っかかるところでもあったんですよね。
1:12:11
だから逆に言えば、でもいけない、例えば一見優しそうに見える夫の手前、メンタルクニックは夫から否定されてるから、だからこそいけない、この人自身の辛さっていうのがきっとある、私とは違ってあるのかなと思うんですけど、こんなにきつかったらすぐ薬に頼ってよっていう。
そういうふうに考えてしまったところは一方ではあるかなというふうには思いました。
辛い状況をどう書いていくかっていうところで、やっぱり現実世界で起きているんだけれども、夢ではなくて幻想を見ちゃうっていうのはそうかもしれないなというふうにも思います。
この幻想世界がだんだんと簡単な、すごくシンプルな世界になっていって、何かゲームをしている、ゲームの世界に入り込んだような描写はゾンビの、ゾンビ回収夫の描写とちょっと類似してるかなというふうに思ってしまいましたかね。
あとは夜が眠れないから、例えば一応食事を変えたりとか、部屋の明るさを変えたり環境を変えたり、いろいろ夫とともにやってみるんだけど、やっぱり眠れないと。
眠れない中で過去のことを考えてしまうんですよね、主人公が。これを思い出したって言って、その過去もあまり良くない過去なんですよね。過去の体験を思い出して辛くなって、そしてそれについてやっぱりもう一度考えちゃって悲しくなって、また眠れなくなるという悪循環があるんだと。
こういうパターンがこの作品の中には実は数回出てきて思い出して眠れない。これって眠れない時に私たちもこれ自身もこれ自体も体験することではあるんですけど、作品の中で何度も思い出して悪い思い気持ちになって眠れないというのを定型で書いていくパターンを良いことだと見るのかどうかっていうことですよね。
またこのパターン出てきたかっていうのがちょっと感じたので、日常の世界を書いて共感できてわかるわかるっていうことを書いてるのはいいんだけれども、そこでの共感よりももうちょっとさらにそこを超えたところでの表現があると文学作品にする意味というか意義があるのかなと思いながら読んでました。
それからあと最後もですね、8ヶ月も悩んだ割には割とじゃあもう諦めてしまえっていうふうに全てを投げあって、禁酒もやめて朝からお酒飲んで、会社にも中指立てながらしばらく休みますと上司に連絡を入れて、でやっと最後眠れるようになったというような展開はややあれこんな簡単でいいのかなという気もしないかもしれない。
1:15:22
そういうことはないかなという気はしたんですけど、そのあたりはどうですか大山さんは。
同じ気持ちにはなってますよ、そこも。
チャッピーとかニワトリですね、チャッピーとか重要なようで最後結構そのままさらっと消えていくっていうか。
なんかもったいないなと思いましたね。チャッピー、ニワトリ、メタファーとして分かりやすいのかもしれないですけど、なんか自分とも重なる部分があるのかもしれないし、なんかチャッピーだけ、なんか主人公がチャッピーを自分と同化して育て始めるっていうのがスタンダードなルートかもと思ってたら意外とそのまま放置してベランダでいる。
で、ご飯だけガツガツ食ってるみたいな。あの感じは僕は結構なんか興味深い展開だなと思ってたんで、もったいないなっていう気はしました。最後のチャッピーの卵食って終わるみたいなところも。
あとはその熱の足に熱があるって言って寝れないって言ってたじゃないですか。熱があるから寝れないっていうふうな解釈、本人の解釈があって、ただ最終的にこの話って仕事を辞められた、仕事に対して中指を立てられたということによって眠れるっていう。
もうすごくシンプルな提示だと思うんですけども。で、ニワトリの卵を食って眠れるっていうことだと思うんですけど。要はその熱を持ってたから、本来的に熱を持ってるのに仕事を辞めるっていうことを言えなかったというふうにも捉えられるなっていうふうに僕はちょっと読んだんですよね。
だから本質的には持ってたその熱が解放されないがゆえにずっと眠りにはつけなくて、でも最終的に最後、主人公はその熱を解放するじゃないですけど、熱を熱として認めるじゃないですけど、つまりパワーですね。
力によって会社を辞めるんだっていうそのメッセージを送れるっていうか、っていうふうな解釈は僕はちょっとしましたぐらいですかね。
なるほどですね。あと、魂を売れっていうか、それは死と一緒だね。
イラニングの。
1:18:00
あの人が出てきて、別のところでは不眠症の人たちが集まる読書会があって、そこに参加したときにある男性の人と話をして、その人が眠れないのはもう意識を消す。
自分の意識を消すっていうことがいいんですよっていう、ちょっとそれも危ないような感じで書かれてますけど。
魂と意識とどう違うのかなとか思ったり。
この読書会で出会った男性の意識を消すっていうことに対しては、この主人公はある程度拒否反応をしているんだけれども、でも実は作品の冒頭の部分では何とか自分の意識を消そうと。
意識を消すっていうのは自分を消そうということと同じですけど、自分を消して、自分が消したら眠れるんじゃないかっていうことが冒頭に実践がですね、書いてあって、あれちょっとこれどうなのかな、ずれてないかなというような気持ちもしなくもないんですけどね。
要は冒頭と最後のだけ見ると冒頭では自分を消すことで眠れるって言ったけど、分かりやすくて、最後自分を消さないから眠れたっていう。
消さないから、あーなるほど。
っていうことにはなってるんですよ。
そうですね。
ものすごくシンプルっちゃシンプルなんですけど、だからね、人物がいろいろ凝った人物が出てきて、幻想的な要素もあるんだけど、とてもシンプルっちゃシンプルな構造は持ってるんですよね。
確かに。だからこそ、共感できる作品を読みたいっていう人にはいいかもしれないですね、この作品は。
それが僕は恐ろしくなったっていうのが最初に。
なるほどですね。共感できてしまうことの恐ろしさ。
恐ろしさあるのは、これ共感、さっきチャイさんもおっしゃってたけど、共感共感によって構成されているっていう、まあだけで構成されてるわけじゃないけども、そこの持つ危うしさみたいなのが、なんか僕は思って。
高瀬純子さんの作品にも、うっそらそれに近いものを感じてたことがあって、なんか共感できる。あれも、バクタワー撮ったやつって、職場の食べ物の、あれもなんか共感できるけどもっていう。
ちょっとなんていうか、でもその共感し続けることに対する不安というか、危うさを僕自身は個人と自分の子の中で持ってしまうっていうか、っていうのを感じたから、このアンチグッドウォーニングもなんかそれに近いものっていうのはありますね。
1:21:12
でも、それが一方で評価されたバクタワーを撮ってるところもね、高瀬純子さんの場合はそれが、ある種突き抜けて、なんかもう行ったところはあると思いますけども。
高瀬 高作の感想を出そろったところで、今回は小澤さんと鈴木さんが3回目のノミネート。割と常連さんと言っていいのかですけど、常連組と2つノミネートの3人という構図になってますが、最後にお二人に受賞作予想をお願いしたいんですが、
今日対談の中でちらっと小山さんはおっしゃっていた分もありますが、常連さんから予想をお願いします。
小山 私はまず好きな作品は小澤千人さんのゾンビ回収譜がもう好きで撮ってほしいなっていう気持ちがあるんですけど、こういう好きな作品をやっぱり予想、第1位の予想のきっとこれ撮るだろうっていうふうに推したいんですよね。
推したいんですけど、推したい気持ちはあるのですが、ただちょっとこれってどうなんだろう、どういうふうに世間で読まれるんだろうなという不安もあったりするんですよね。
ほぼ同意ぐらいでって申し上げた鈴木すずみさんの悪いちは、私も準備してて、あとは今小山さんとの対談とか話しながら、やっぱり語るべきことがちょっと多いなって結構語ったなっていう作品が選ばれたりするので、
ちょっとこう迷いながら鈴木すずみさんの悪いちは選ばれるのかな。でも好きなのはゾンビです。
小山さんもしよかったら好きな作品と撮るのではと予測一致したり違うのかどうか。
なんか本当に今回、その間久しぶり該当作無しがあったじゃないですか。その判断もしていいんだっていうか、かつては結構ありましたからね。
今回は結構該当作無しって可能性もあるとは思ったんですが、ただそれにしてもスパンが短すぎるんで、また該当作無しかっていうのはどうかと思ったんで。
でも小山さんと一緒ですね。僕もあえて選ぶんだったら悪いし。で、大穴でやっぱゾンビなんすよね。
1:24:11
そうですか。
っていうここは完璧に一致しましたね。
これって時々二作品受賞とかあるじゃないですか。どう思いますか?
今回はないですね。
二作品はない?
二作品はないです。
そうですね。どっちかですね。
ちなみに最後に受賞作予想を追ってお願いしながら、もう一つ最後になんですが、
交互作全体として読む中で何か共通する視点だったり、あるいはこういう何か現代とリンクするものとして何か共通しているのではというものがあればお二人から聞かせ願えればと思うんですか。
じゃあ、僕から。
小山さんから聞いていいですか。
先ほどガイド作なしなんじゃないかって言い方もしましたけども、その共通項っていうのはすごいなんか自分の中では発見というか思うことがありましたね。
二つあって、一つは五作品中四作品が仕事・労働にまつわる小説であるということですよね。
仕事小説とまで言っていいかわからないけど、仕事とか労働にまつわる物語が多いですよね。
昨今も、ここ数年のノミネット作品も、労働環境問題っていう観点から坂本ワンさんのボックスボックスボックスボックスとか。
あれはゾンビとも繋がるじゃないですか、ゾンビ的な様子。工場でっていう。
令和文におけるプロレタリア文学的な感じも、ぽこぽこここ数年で出てきてるような潮流みたいなのを感じていて。
これはずっと読ませてもらってるから感じることかもしれないですけど、ただプロレタリア文学的な運動でもない、
集団でもない、社会運動とも別に結びついてないわけですよね。これらの作品っていうのは一つ思いました。
あとはポイントが、労働と成長を結びつけていないっていうことなんですよね。
今回の作品もそうなんですけど、それが特徴としてあるのは、もしくは否定してるような気もしますね。
労働と成長を結びつけてしまうことを否定するっていうのを感じられるし。
ちょうどこの間、数日前に村上春樹のかつての対談みたいなのが、新作出るから再アップされてたのを読んだのに、
彼が小説を書くことはケア、治癒行為だって言っていて、心の中にある毒素を物語に変換して吐き出し、自分自身を癒すプロセスそのものだって
1:27:10
その対談の中で言ってたんですけど、今回の作家さんもそれを感じる。自分の中にある毒素的なものを物語に変換して吐き出してる。
そういった部分もあるなっていうのが一つ目の共通点です。
二つ目が、希望というものが停滞しているっていう感覚を感じるんですよね。
つまり、希望そのものに停滞感を感じるっていうか、僕はその芥川とか純文学に期待しちゃうのが、
人間の孤独を再発見して、その孤独を肯定して、その先にまだ名前もついてないような希望みたいなものをじわっと吹き上がらせるみたいな。
そういうのを期待しちゃうんですよ。新しい孤独の発見と新しい希望の停滞みたいな。
今回その該当作がないな、みたいなことをちょっと言ったのは、新たな希望の停滞というものがどこにもないような感じがしたっていうか。
ここ3数年だと、井戸川一子さんのこの世の喜びよ、あれは本当に素晴らしかったのは、
まさにその孤独と希望というものを提示の仕方がとてもリアリティがあって、心に訴えかけられたという意味において素晴らしかったけど、
それからの以降、結構ないなと思って、これは一方で仕方がないことかもなっていうのを思ってたりして、
要はすごく国際情勢とか、戦争を行って長引く戦争とぶっかだかとか、本当生活に影響が出てきてて見通せない時代みたいなのがあるじゃないですか。
だからこれだっていう希望を提示するのは難しい状況にあるんですよね。
遠い国で起きている悲惨な状況が長い時間かけて、じわじわ生活に浸透してきている状況に対して、どういう希望ならそれに対抗できるのかっていう。
多分それを提示するのは非常に難しい状況だから、ある種その希望という言葉自体を停滞してきてしまっているようなのを全作品から感じられるところはあるんですよね。
だからそういう状況だと何気ないささやかな日常を見つめ直すというアプローチにこそ生まれ以上の価値を感じるから、
ストリーティアおじさんがいた頃とかに、結構価値を見出す。あれが文学会新人賞でしたっけ。
1:30:02
取ってるのも、腑に落ちるっちゃ腑に落ちるんですよね。っていうのを自分の中で解釈したっていう。
森さんはいかがですか。
すごい、私そこまで考えてなかったんですみません。そうですか、なんか深いですね。
私もご作品のジオン作品は、労働とか仕事、働くことと現代社会だなってぼんやりと思っていて、
ただ真心がちょっとこのテーマにはスッとはすんなりとは回収されないものがあるなっていう。
美術館の建築、デザインをするということが労働と言えるかどうか。
でも、建築をしているのと現場でそれを作らなきゃいけない人の、ちょっとそういう比較で出てくるので、やっぱり労働でいいのかなと思ったりしながらですね、今話を聞いて。
でも確かに遠山さんおっしゃるように、運動っていう集団でっていうことではなくて、一個人がどう生き抜いていくかっていうところがあるかなっていうふうに思いますね。
それから希望がなかなか停滞しているっていうところも共感しながら読んでて、そうですよね、難しいですね。
一方では、そういった疲弊した状況があるから提示するのが難しいと言いつつ、一方ではですね、ちょっと笑いっていうのかな。
ユーモア的に面白く何とか書こうとしてるのかな、作家たちはっていう。
全部が今回のご作品全部笑えるわけじゃないけど、ソリティオディサンがいた頃をはじめとして筆頭にですね、ゾンビも結構笑えるっちゃ笑えるし、アンチェクトモニもちょっと面白いところもあるの。
あと真心の方かな、真心の方もちょっと笑ったりするので、そういう生きづらさを抱えた人物を描くっていうのは、これはもうずっとコンビニ人間ぐらいからずっと続いてる20年ぐらいになるのかな。
そういったテーマがあるんだと思うんですけど、それをどう描いていくのか、不思議な世界で描いていくのか、でも作家はちょっと楽しむエンタメとして、笑ってやろうぜっていうところがもしかしたらあるかもしれないし。
ただ全部というとそうではないですよね。丸一は笑いではないので、傾向としてはあるのだけれども、労働だったり仕事、働くことと現代社会と、あとは一方ではそれを深刻に描いていこうと、
確実に文章の密を濃く描いていこうとする鈴木すずみさんみたいな方もいれば、軽くソリティアおじさんがいた頃のように村支主優さんのように軽く描く人もいれば、もっと奇抜な設定でゾンビ回収譜で小佐川千人さんのように描く人もいてっていうようなところですかね。
1:33:13
ちょっとすいません、まとまりがなくて、そういったところを読みました。
今でもおっしゃったように、希望は明確な胸を張った希望というよりは、アイロニーみたいなことだと思いましたね。
それが生き延びていくための一つの姿勢というか、作家の姿勢のようにも感じましたけどね。
確かにそうだと思いましたね。
もうそれしかできないぐらいの状況なのかもなとは思いますね。
なんか本当に今の状況を考えると、奇抜を言わざるを得ない。
長谷さん、本当に長時間ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
ありがとうございました。
聞いていただいた皆さんもありがとうございます。
15日の選考会の結果を楽しみに待ちたいと思います。
それではありがとうございました。
01:34:39
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