1. 「私たちは人間になろうとしている」
  2. 【S2- 6】母の日に感じた“ズレ..
【S2- 6】母の日に感じた“ズレ”の正体ーミッドエイジと小さな喪失の話 ー 
2026-05-07 37:59

【S2- 6】母の日に感じた“ズレ”の正体ーミッドエイジと小さな喪失の話 ー 

不妊治療を経て子どもを授からず、早期閉経も経験して、子どもを持たない人生を歩んでいます。

同じような経験をしている人や、
言葉にしにくい違和感を感じている人にも、
届いたらいいなと思いながら話しました。


母の日って、“祝う人”と“祝われる人”が分かれる日でもあるなと思って

私はずっと祝う側だと思ってたけど、同世代は祝われる側の人もいる中で

自分が少しズレているのではないかと思うようになりました。


子どもを持たない人生を選んだ人、
そうならざるを得なかった人、
まだ揺れている人。

いろんな人に届いたらいいな。



よかったらnoteも読んでくれたら嬉しいです!

→note:私たちは人間になろうとしている(https://note.com/21st_nikki)


番組のハッシュタグは#にんかむをつけて投稿してくれたら嬉しいです!

あと、お便り募集中だよっ!

お便りフォーム

https://forms.gle/1za4CAMF38R5CgAj8




■その他

→note:私たちは人間になろうとしている(https://note.com/21st_nikki)

→x(https://x.com/Nincomei_2023)


◾️こちらも聞いてね!

月例あけっぱな通信

https://podcasters.spotify.com/pod/show/akeshin


■相談窓口「みぃの何でも話聞きます」

https://store.gichi.world/items/113122459


■素敵なジングル作ってくれたケージくん

https://open.spotify.com/show/5GAYQ21T6Nep29pX7flnTo?si=ac7ecb5ee02f4848


感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、パーソナリティのみぃさんが母の日に感じる「ズレ」について語ります。不妊治療を経て子供を持たない人生を選択した彼女は、母の日が「祝う側」と「祝われる側」に分かれる日であることに気づき、自身が社会から少しずれているような感覚を抱くようになります。この感覚は、子供を持てなかったことへの喪失感や、ミッドエイジにおける役割の喪失と関連していると分析。グリーフのプロセスや移行期理論などを参考に、喪失との向き合い方や、時間をかけて受け入れていくことの重要性について考察しています。

母の日への違和感
みなさん、今日の調子はいかがですか? 私たちは人間になろうとしているパーソナリティのみぃです。
中年の危機をきっかけに、自分らしく生きていくリスタートの途中です。 今日もみなさんと一緒に少しずつ考えていけたらいいなぁと思います。
5月に入りましたね。 5月に入って1回目の配信です。
今週末が母の日ですよね。 母の日って毎年違う日だから、
今年はいつだったんだっけっていつもね、ひやっと思い出すんですよね。 2月末ぐらいからいつもそわそわしております。
やっぱり、私の母は母の日に何かもらえるのを楽しみにしているようなので、
絶対に忘れちゃいけないというね、ちょっとプレッシャーがあったりするんですけれども、 今日は母の日に
関連してというか、母の日についてね、ちょっと私が思っていることを話していきたいと思っています。
母の日ってね、私ちょっとだけね、 違和感というか、
そういうものを感じることがありまして、 そのことについてちょっと話していきたいとおもいます。
私たちは人間になろうとしている。
子供を持たない人生と喪失感
一度、母の日の贈り物を、 今離れてね、母と暮らしているので、
なんていうんですか、事前に頼んでその日に届くように設定してなかった時あったんですよ。
というのは、その母の日の何日か後に会う予定にしてたので、 その時渡せばいいかなぁなんて思っていたんですが、
母の日の何日か前ぐらいに、たまたま私が定期的に送っているお水が、
母の元に届くんで、不在が入ってたらしいんですよ。
その時にね、なんか家に帰ったら不在表が入ってたよ、みたいな。
いつも気にしてくれてありがとう、みたいなラインが来たから、やべぇ送ってないと思って、
もう急いでその、とりあえずその日に届く花探して対応したのが思い出です。
ね、私自分の母のことすごいかわいい人だと思っていて、
とってもね、私なりに大切に思ってるんですけれども、
あの時は、思ったよりもその母の日にね、何か感謝のお花とかが届くの嬉しいなぁって思ってるんだなぁと思って、
その気持ちを絶対にないがしろにしたくないと思って、それから毎年
絶対忘れないようにするぞっていうふうに決めてるイベントの一つでございます。
そんな話はさておき、今日はですね、
私にとってっていうことなんですけれども、私にとっての母の日ってね、
さっき伝えたようにずっとね、自分の母親にありがとうを伝える日だと認識しているんですが、
でもここ10年ぐらいかな、
この母の日というイベントが来るたびにね、どこかでうっすらこう違和感というか、
うーんっていうのを感じることがあってね、
それは、同世代の人たちの中には、母として祝ってもらう側でもある日なんだなぁっていうのに今気がつくというか、
自分の立場というか立ち位置っていうのが、世間とか社会から少しずれているんだろうなぁみたいな、
もうちょっと言葉にはっきりしにくい不思議な感覚になることが、
十数年ぐらい前から起きるようになりましたね。
別に悪いことをしているわけじゃないのに、なぜか少しこう後ろめたいような感覚になるというかね、
ここで少し私の状況をね、お話ししますと、
私は不妊治療をしていた時期がありまして、結果的に子供は授かることができなくてね、
でまぁその後、早期閉経という症状にも見舞われたということもあって、
去年かな、子供を持たないことにするっていう人生を選択することにしたんですけれども、
なんかこう努力したけど報われなかったっていう気持ちと同時にね、
その子供を結果として持てないのか持たないのかは、なんかもうわからないところですけれども、
どこかで自分のせいなんじゃないかとか、
人間として、生き物としての役割を果たしてないみたいな感じとか、
そんな感覚がうっすらね、あるような気がしてるんですよね。
もちろん今言ったことっていうのは私が勝手に思ってることだから、
それが正解ってことでも本当に全然ないと思ってるんだけど、
もちろん誰かに何か言われたわけでもないしね、直接責められているわけでも全くないんだけど、
でもどっかでね、子供を持たない、子供に恵まれなかったことが、
普通じゃない側にいる感じっていう気がね、してしまうときっていうのがやっぱりあるんですね。
本来母の日ってすごく暖かい日だと思っているし、
私もいつも母にね、楽しみにしてくれてるし、感謝をね、
改まって伝える機会をもらえる日だなぁとも思うから大切にしているんだけど、
もうなんかその中に自分がうまく入っていけないような感覚っていうか、
そうだからこの違和感みたいなものをちょっと今年もね、
ふわんとこう感じるんだろうなぁっていう予感がしたときに、
もしかしたら私はこの母親という役割を持たなかった、持てなかったことに対して、
もしかしたらじゃないよね、もう引っかかりを感じているんだろうなっていうのを、
今年その違和感みたいなふんわり感じ始めて、
そうなんだなって思いましたね。
子供の頃から絶対に私お母さんになりたいみたいな、
そんなふうに思っているような子供でもほんとなかったんですね。
子供の時は今よりもっと無意識的だったし、
どっちかって言うとそんなに将来のことを考えるタイプの子供ではなかったので、
そのお母さんになりたいとかお嫁さんになりたいとかね、そういうことを思ってたわけでは本当にないけれども、
まあかといってならないという前提もなかったんですよ。
なんとなく自然とそうなるものだとはやっぱり思っていたのでね。
だからこそこう持つはずだった役割を持たなかった、持てなかったという、
喪失感っていうのがあるのかもしれないなぁと、ちょっと最近考えました。
ミッドエイジと役割の喪失
それを持った時に、ミッドエイジとか中年の時期のタイミングってね、
こういう役割の喪失っていうのが起きやすいっていうふうにも言われているので、
未婚の方とか、私のように子供を持つ、持たないとか、まあそういうことに限らずね、
仕事とか介護だったり、役割って言うとその職場での肩書きとかね、
そういうことでも起きることっていうのはきっとあるんじゃないかなというふうに思いました。
まあそれでね、やっぱり中年の時期とかミッドエイジのタイミングで、
この役割の喪失っていうのは一つのケースとして、割とメジャーなものだと思っているんだけど、
じゃあその気持ちをね、どう対処すればいいのやらと思って、
調べてみたんですよね。
私もキャリアコンサルタントとか心理学とかを勉強する中で、
役割の喪失っていうのが起きますっていうことは、
いろんな形で事象としては知っているものの、
それが起きた時にどう対処するのかみたいについては、あんまり詳しく自分自身も勉強してこなかったなぁと思っていて、
まあちょっといろいろ本を読んでみたりとか、いろいろ検索してみたりという中でね、
あのグリーフのプロセスっていうものを一つ参考にして考えてみるっていうのはいいのかなぁと思ったので、
ちょっと今日は後半でグリーフのプロセスというものをご紹介していきたいと思います。
グリーフのプロセスとその適用
グリーフのプロセスは有名なものの一つかと思うので、
もうすでにご存知の方もねいらっしゃるとは思うんですが、
グリーフは英語で悲嘆とか深い悲しみとかをね、表す言葉ということで、
大切な人とかペットとかね、ご自身の健康とか、さっき私が言ったような役割、あるいはまあ過去の自分って言った、
重要な何かを失った時に生じる心理的、身体的、行動的な反応というふうに言われていて、
単なる悲しみだけではなくて、喪失とも向き合って、新たな人生の関係を結び直す長いプロセスを指す言葉、
と言われているようですね。
でもこれはグリーフワーク、グリーフプロセスみたいな言葉なのかなとは思うんですが、
喪失をね、感じた時に、
どのような段階を経ていくのか、みたいなところの説明なのかなと思っています。
このグリーフのプロセスは、悲しみというのは一過性のものではなくて、行ったり来たりしながら少しずつ癒えていくものだよっていうふうに言っていて、
4つの段階に分けて、それが行われていくよっていう話なんですよね。
まずはそのショックを受けた時に、衝撃を受けたりとか、逆にその麻痺をする、
現実を把握しないみたいなね、時があって、そこから喪失したということに対する喪失期と言われているんですが、
なぜ私がこんな目に、とか、あとはまあ、失ったものとの思い出にしがみつくみたいなね、時期があって、その後に閉じこもり期ということで、孤独にとじこもっていくだったりとか、少しこう、
気がめいてしまうみたいなね、身体にもその影響が出たりとか、そういう時期があったりとか、それを経て再生期と言われる、
従用と再建みたいな感じでね、徐々にその喪失したんだということを受け入れて、人生を捉え直していくという、
悲嘆から少し離れて日常に戻っていくみたいな。 これはそのさっき言ったように、
喪失を受け入れて前向きになって終わりちゃんちゃんっていうことじゃなくって、行ったり来たりっていうのを繰り返しながら、
進んでいくものだよっていうね、あのそういうお話です。
これはこのモデルっていうのは本当に何て言うんですか、中年の危機の喪失感って結構いろんなところで感じると私は思っていて、
役割っていうね、例えば私の母親になる想定だったものが失われて、
生きていくことになった、もう喪失だと思うし、 あとはまあ定年退職で
仕事するという役割から、 喪失したとか、あとはその役職定年で役職から離れたとかね、
あとはそのまあもう少し言うと役職者になる想定だったけど、 その想定が失われたとかもう喪失感だと思うしね。
そういう時に、 まあこういうことを感じるでしょうと
いうことなんだけど、自分のねやっぱ体験に置き換えてみても
何というのかね、やっぱりこのショック、 喪失、閉じこもり、再生期を一直線に進んで癒されていくというよりかは、
その最初の方ですよね、何かすごいショッキングな出来事が起きた時の、 最初の方に強くこの4つのパターンが
行われて、 でまたそのパターンが来るけれども、
その揺れ戻しというか、行ったり来たりをするごとにどんどんどんどんその
なんていうんですかね、 強度が
柔らかくなっていくというか
っていうのは
昔あった出来事を客観視してみるとそうだな確かにっていうふうには思いますね。
私もその中年の危機を通じて、 まあいろいろ思いますけど、思っているのは本当にこう人生って命が終わるまで続いていくもの。
逆に言うと、 命が終わるまでは、今ここに何が起きたとしてもこれはプロセスで、
ゴールに向かうまでの過程の実験。 過程なんだよねっていう。過程っていうのは仮説じゃなくて過程ね。
すみません説明下手で。 大きな流れ、命というもののその
死んでしまう、命が尽きるところまで、 そのゴールの中の
プロセスであるということは、 本当にここ数年で思うことなんですね。
その考え方っていうのが、やっぱりこの グリーフのプロセスにも似ているというか、反映されている。
反映されてるはちょっと変ですけど、 そうだなっていうのが思って、
なんか妙にね納得する プロセスの
何だろうね説明難しいですけど、このでも グリーフのプロセスというものを
そのショック期、喪失期、閉じこもり期、再生期、 みたいなのがあるよ。そしてそれが一直線じゃなくて行ったり来たりを繰り返し
ながら進むんだよ、みたいな話に 確かにねというふうに自分の体験からもすごく思う
流れでしたね。 その他にも
心理学でもね、そのグリーフのプロセス みたいなものに似ているものはいくつも提唱されてるなと思ったので、
なんかすごくこのグリーフのプロセスの 納得感がすごく高かったんですけど私は。
例えば、移行期、トランジッション理論 みたいなのがあって、これは
空白の期間を大切にしましょうね、みたいなものを 提唱しているものだったりとか
あとはアイデンティティ理論とかは 発達心理学の中で結構有名だと思いますが、
役割と自分を切り分けていきましょうと。 特にこの
考えの中では、エリックソンさんっていう人がね 提唱している発達段階の理論とかだと、中年期のテーマのところでは
役割に依存しすぎると、その役割が喪失された時に すごく人生が揺らいでいくよ、みたいな話とかもあって
やっぱり、喪失という言葉は 中年期くらいから身近に感じられる言葉なんだろうなぁっていうのも思うようになるし
その移行期っていうのは
私が思っているようにですね、今後の人生に生かしていく その再構築をするためにすごく必要な時期なんだなぁっていうのも
はい、思いましたね。 だらだらと喋ってしまったんですが
喪失との向き合い方
まとめると、役割の喪失を感じた時、 喪失の出来事があった時ですね。
これは、役割って今言いましたけど、役割以外でもね 大切な人とか、ペットだったりとか、大切なものを失った、その喪失があった時に
やっぱり一番大事というか、一番最初にはその喪失したということを受け止める
で、2番目に 空白の時間、何もしない時間を大切にする
そして自分と役割を切り分けていくというプロセスが必要なのかなぁと思ったんですね
で、それができるようになるというか、やっぱりその自分と役割を切り分けるって 人のことだったら結構言えると思うんですよ
あなたは、例えばですよ 部長職を喪失した人がいたとした時に
あなたはあなたで、部長という生き物ではないんだからとかは、人は結構言うはやすしだと思うんだけど
そのたった数日部長をやっただけとかだったら、そうだねってなるかもしれないけど 例えば人によっては10年とか
もうすごいいろんな思いを持ってさ 組織とか会社に対してだったりとか、それを通じて自分の成長だったりとか
そこに至る10年ぐらいの自分のキャリアの思い出だったりとかが ものすごいあるわけじゃないですか、情報量が
それを客観的に見ている人は言うはやすしだけど その当事者はさ
そこに持っていた その自分の思い出だったりとか
そういったものをたくさんの情報量とともにそこにいるわけだから わかってるけどわかんないという状態になると思うんですよね
だからいきなり喪失があって あ、でもまあ自分部長って生き物じゃないしなとかはやっぱ思えない
その一生懸命やってた人こそ思えないと思うから まずそれができるようになるためには喪失した自分がその役割を失ったんだっていう理解
その理解をした後にちょっと えーっぽけーみたいな
いう なーっていう何とも言えない多分空白の時間があって
それを十分に経てやっとできることなのかなっていうのは自分の経験からも思いますし それができるようになると
その自分が喪失したものと関わっていく機会だったりとか 自分がそのそれを喪失したことの意味とかを再定義していくという
なんていうんですかねちょっとこう 癒しのプロセスに向かっていくっていうのにつながるのかなぁと思いましたね
で 個人的にはね
やっぱり一番大事なのが
自分と役割を切り分けることではなくて
喪失したということを受け止めることなのかなぁと思っていて これはね
おそらく一番大事だけど一番難しいことなんだと思います
あの知識が足りなくってできてないわけじゃないんだと思うんだよね自分と役割を 切り分けるっていう行為は
知らないからできないんじゃない知っててもできないことなんだと思います 例えば私はその母親という役割を
喪失した というふうに
認めるっていうことは 私自身本当に時間がかかるなぁと
うん 思いました
時間が実際かかったよね 悲しいとかね
置いていかれている感じとか そういうものをちゃんと感じるっていうことは
そんなに簡単なことじゃない じゃあどうしたらね
その喪失したんだっていうふうに認められるのっていうふうに
もしかしたら聞かれることもあるかもしれないなと思って考えたんですけど
私の考えとしては正直時間をかけるしかないんじゃないかと思います 例えば私だったら
さっき時間かかったというふうに言ったんだけどやっぱりね子供を持たない 不妊治療をやめるというふうにはっきり決めることも結構
できなかったんですよもうだらだらと それこそ10年ぐらいかけて
不妊治療をもうやめるというふうに決めるのにそれだけの時間がかかったんですね私は なんで結局ね不妊治療をやめるってはっきり決められたのは実は去年だったんですよね
44歳の時ですけども これはあのちょっと勘違いしてほしくないのは44歳になったらもう諦めた方がいいとか
そういうふうに思っているわけじゃないんです本当に ただ私の場合
自分自身がその早期閉経という症状がひどくなってきている中で その不妊治療を
に対してどう向き合っていくのかみたいなところを 自分と夫で考えた結果の
で決めたことなので あのそういう主張してるってわけじゃないってことはちょっと勘違いしないで欲しいんですけれども
そうあの それぐらい本当にね時間かかって正直本当に言うとどこから向き合ってた時間なのかもよくわからない
気がついたらすごく長い時間10年ぐらいかかってたなぁって感じですからね
やっとね本当にゆっくり私は母にはならなかったんだなぁって最近 思うようになってきて
そういう意味では 何て言うんですかその自分が母にならなかったという
ことの意味の再定義みたいなことがやや始まっている という感じはあるんだけど
でもそれが始まっているという自覚があるさ中でも やっぱりその母の日ですとかいうことだったりとか
まぁ友達が妊娠したとかねそういうことがあった時に
その事象に対して何よとかっていうことじゃない本当にじゃなくて
ふわっとね まあゾワッとね
なんというか戻るんですよね その喪失した
という ことを認識する前の状態というか
例えばねその まだもう1回不妊治療したらいけるのかもしれないというふうに思い出したりとか
里親制度について調べてみる時間が増えたりとか そういった形でその喪失
の受け入れを拒否するみたいなね そんなやっぱ挙動にはやっぱりなるんですよ
それをやっぱり行ったり来たりして この喪失という事象に対する自分の中での
落としどころを 決めていくというか感じ取っていくみたいな
ことをやってるんじゃないかなぁなんてね思いますね そうだから
まあさっきこの喪失することを認識するのに私は
喪失したことをね 受け入れるまでに私は10年ぐらいはかかってるよっていう話をしたんですが
やっぱりこう今よりももっと前の時ね そのことが頭によぎると理由なくこみ上げてくる
悲しみで言葉が出なくなったりっていうことはすごいあったんですよね
でも今は本当にこれだけのことを自分の言葉で話せるだけ 折り合いがついてきてるんだなぁというふうには
うん まあそうですね感じますね
何がきっかけで喪失と折り合いがつけられるっていうわけでもないし
何がきっかけでそのあ私喪失したんだって思えるかとかもうそんなに気軽なことでは本当にないないその役割の喪失もそうだし
今後おそらく私の身の上にねもっと喪失してほしくないものが自分の人生から
まあ喪失していくことがあると思うんです でそれは多分受け入れる
そんなスッとはね私はいかないと思ってて多分多くの人もそうだと思うので
自分に必要なだけの悲しむ時間が 必要だったと思うしこれからも多分必要で
そう思うと どうにかしようとしなくていいものが
どうにかしようとしなくていい という気持ちで
いることが 喪失との向き合い方
結果として一番スムーズに 行く
何をするとかじゃなくてそういう心づもりでいるみたいなね
そういうことが大事なのかなぁって今は思っていたりします
喪失との折り合いとプロセス
今日は母の日に感じていた違和感について少し言葉にしてみました
うまくしゃべるのは難しいねこういう自分が実際に体験している
ことっていうのは そうね
でも難しいなと思うのは完全に折り合いがついてしまう
でも逆にしゃべれないんだよね臨場感がないというか
なので今はやっぱりこの自分が母親という役割を喪失したことについて
何度か行ったり来たりをやっているから折り合いがつき始めていて
言葉にしても自分の無意識的な感情が刺激されない状態になってきている
そういう意味では言葉にするのは良いタイミングだったかなと思っています
うまくしゃべれなかったなぁとは思うんだけど
そこも含めて今のリアルかなと思うし
長く番組をやっていく中でおそらくこの話題は何度か取り扱っていくと思うので
その時その時の自分の状況とかもある意味今日の状態と比較していくっていうのも
まぁ実験の1個にはなるかなぁなんてね
はい思いました
ミッドイージーの時期ってこういう小さな喪失みたいなものにね
ふと気づくことが増える気がするんですよね
喪失という風に言うの大げさだなって思う人もいるかもしれないんだけど
なんて言うんですかミッドイージーってやっぱ40,50という年代を想定するとね
40年50年生きてきたからこそある意味喪失という言葉が似合うというか
似合うというか見合う経験値があるってことなんだと私は思ってるんです
それはねどんな項目であろうとも
えーちょっと私はわかんないとかそういうことでもなく
その人にとってはとても大切なものなんじゃないかなと思っておりまして
こういうことは自分以外の人にも起きていることだと思うので
大切にねお互い取り扱っていきたいなぁとは思いますね
でまぁ最終的に今のとこね
それを感じたりとかすでに感じていて向き合うことがまだできない状態にあったとしても
早くどうにかしなきゃとかね
あとこういう風にしなきゃとかっていうのもなくって
もう無理にどうにかしようとするしなくていいものなのかなって思っているんだなと思うし
だから私が母の日に自分の母に対する感謝を表現するとともに
自分がこう社会の中でねずれた存在になってしまったかもしれないとか
私ももしかしたらその母親として感謝を伝えてもらう側になっていたかもしれない可能性の
あった未来との折り合いをね
さっき言ったようについてきてはいるものの
無理やりどうこうする必要もないのかな
見ないようにしたいなって思っている時なら見ないようにするし
なんでこんなこと起きちゃったんだろうっていう風に
喪失感に浸りたい時はそうすればいいと思うし
まぁでもやっぱりこれはプロセスなんだと
人生の大きな流れの中のプロセスなんだということは忘れないようにね
その時の状態に身を任せるということが結局は良いんじゃないかという風に思ったという話です
リスナーへのメッセージ
まあね皆さんはどう思いましたか
この手の話ってちょっとコメントとかもしにくいと思うし
自分のことでもまあもうこういう話耳痛いって思う人もいると思うし
でもね少し考えるきっかけだったりとか
なるほどミニさんの場合はそんな感じかみたいなね
風に思ってもらえたら嬉しいなと思います
では今日はこの辺で終わりにしていきたいと思います
ちょっと暗い話題ではあったけど
全然心配されるような感情とかでは本当にないのでね
一例としてお話ししております
中年の危機こんな風にいろんなことがあります
これからの人生をね考え直す一つのいいタイミングにできるっていう風に思ってるので
この番組ではそんな過程を自分自身の体験を通してお話ししていきたいと思っています
もしよかったらねまた次回も聞いてもらえたら嬉しいなと思います
感想などがあればハッシュタグニンカムでつぶやいてもらえると嬉しいです
あとフォームもねありますのでお便りもいただけたらとっても嬉しいです
それでは皆さん聞いていただいてありがとうございました
バイバーイ
今年はカーネーションを送りましたよ
37:59

コメント

スクロール