ゲスト紹介と名前の由来
はい、本日も宮崎の時間をやっていきたいなというふうに思っております。 この番組は、宮崎で活躍している方に来ていただいて、いろんな話をお伺いする番組となっています。
お届けしているのは、街中にあります、 新公民館VOL.のポッドキャストルームより美想空間大島がお届けしていますというところでございます。
それでは本日のゲストをご紹介させてもらいたいなというふうに思っております。
町市実行委員会会長、大古冬さんです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
大古冬さんですかね。
名前がね。
名前があれですよね。
大古冬、僕も大島、ちょっと変わってますが、
ただ、この魚何やったっけぐらいじゃないですか。
大古冬はやっぱり難しくないですか。
もうね、子供の頃から自分の名前に慣れ親しんでるって言い方が正しいのか、
周りからからかわれることが、何て呼ぶんですか。
大古冬ですよね。
冬って書いて冬なんですか。
漢字で読むと大古冬ですよね。
でもね、大古冬さんって方もいらっしゃる。
大古冬さん。
宮崎で言う。
宮崎の名前なんですか。
鹿児島です。
宮崎で言う黒木、黒木。
あとは山崎、山崎とか。
そういうもんじゃないですかね。
ただ僕は大古冬さんにおったことはなかったですし、
僕はGoogleのカレンダーに社内全員に共有してるんですけど、
あれでもそれって今日5時半から大古冬さんになってますけど。
やっぱり普通に大古冬さんよねって思いながら。
ちゃんと読まれました?スタッフの方。
大古冬でした。
なかなか珍しい。
だいたい大古伝とか、大古伝さんとか。
そういうような反応ですよね。
大古冬さんでしたね。
そうですか。
僕打ち間違い、書き間違いをそのままメッセージ送るんですよね。
だいたい分かり合えるような感じでやるんですよ。社内は。
多分これ何かを打ち間違えてるんやろうなみたいなんで、
大古伝さんになってますよって言われたんで、
多分そういう意味だと思います。読みには言ってないです。
大古伝さんも、実際にお酒が入っていない状況で会うのは初めてでございますし、
ドラマーとしての音楽キャリア
そうですよね。
多分僕、深くお酒が入っている時にお会いしてますんで。
覚えてない?
覚えてます覚えてます。ただちゃんとどういった方なのかとか、
それが分かっていないので、その辺の話が伺いたいというのと、
あとそもそもその肩書き、どの話、どんな感じで、
町市のなんでそういうことになったのかとか、
そもそもそうなる前が多分あったと思うので、
大古伝さんの過去、下りみたいなところまで話が聞けたらなと思うんですけど、
地元は宮崎?
宮崎です。
ちなみにどこなんですか?
市内ですよ。丸山町。言っても分からない。
大体分かるようになってきたんですけど、丸山町は分からないかもしれない。どの辺ですか?
公立大学のすぐ近く。
わりと街中のそんなエリアぐらいですね。
中心市街地から歩いて15分ぐらいですかね。
僕その飲んだ時の記憶でいくと、ドラムでめちゃくちゃ有名な方っていう、
なんとなく周りの飲んでる人たちがそんな感じでした。
めちゃくちゃって言いますよねみんなね。そんなにめちゃくちゃじゃないですよ。
いやいや、ドラムって宮崎で小中までは過ごして。
高尾まで。
そこから音楽で上京みたいな感じですか?
一人で上京しましたね。
ずっとドラムをしていたんですか?
そうなんですよ。きっかけはもういないんですけど、
僕の親父が青年会議所JCの、JC太鼓って知ってます?
いやいや、わかんないです。
太鼓グループがあるんですよ。JC太鼓ね。いろんな祭りに登場しますよ。
あの太鼓グループを立ち上げた人間だったんですよ。僕の親父が。
要は本当に幼い頃から和太鼓を叩いている父親の姿やらみなさんも見ています。
まさかそこから音楽が始まるんですか。
そうなんですよね。
で、中学で。
叩きたくなりますよね。
高校でどこでやりたかったんですか。
週3くらいですかね。
バンド組んでみたいな。
で、太鼓やったし、じゃあ俺ドラムやるわみたいな感じですか。
そうですね。
他のメンバーはちゃんと大学に行きますみたいな。
僕は高校を卒業してすぐ新学校から行ったんで、周りは珍しいタイプだったんですよ。
ちなみに高校はどこやったんですか。
ここ大宮です。小中が附属小附属中学校。
そうなんですか。
周りは医者とかいっぱいいるんですよ。お世話になっています。
ちょっとあれですけど、それで言うと大学行って、割と分かりやすい道に行きそうな小中高ですよね。
で、行かずに。
行かなかったですよね。
上京して。
宮崎出身のとあるプロドラマーがいらっしゃって、その方に坊や志願しまして。
坊やって要は車で楽器運んだり、セッティングしたり、片付けて帰ったり、そんな感じですよね。
これ長くなっちゃいますけどいいですか。
ぎゅっと凝縮する感じでいきましょうか。
そんな中、いまやトロンボーン会の第一任者、村田洋一さんという方がいらっしゃって、村田さんがまだそれこそ大学を卒業して、
大学在学中かな、僕の師匠と一緒にやっていて、村田さんがその当時、お前どこ住んでんの。
池袋です。池袋だったら目白に学習院あるから、学習院大学にジャズ研にセミプロでやってる人間がいるから、そこに行けばドラム叩き放題だよ。
そこに乗り込むわけなんですよ。
そこでいろんな出会いがまた、ジャズ研の隣がK-ON、ジャズ研の上が中南米研究会、ラテン研究会。
隣のK-ONにいたベースの人間とタッグを組んで、ドラムとベースでね、オーディションを受けたりとかいろいろしててね。
上の中南米研究会は、遊びでインディーズでバンド作ったメンバーがそこにいたり、パーカッションとかいたり。
そのうち、ベースの僕とタッグ組んでたベースのやつは、やっぱりバンドじゃなくてプロデュースとかもやりたい。
後々オリジナルラブのメンバーになってたり、上のメンバー、ラテン研究会で一緒にやってたメンバーは、違う形でプロになったり。
僕は、僕でバンドがやりたかったから、一生懸命人捨てでね、いろんな人たちと出会い。
僕、25歳の時にソニーからメジャーデビューして、はしょっていくと。
今のではしょってるんですね。音楽の話って言ったら不可なりますわね。
その後、ABEXから違うバンドでデビューして、それはXジャパンの亡くなったギターのヒデニーとのつながりで、そのバンドに在籍してたんだけど。
それABEXの洋楽から。それやりながらその後、その後かな、その後はラルカンシェルってバンドのボーカルのハイル君と一緒にバンドやったり、竹田真嗣君とバンドやったり、
あそびで中村志藤君とバンドやったり、いろんなことやってましたね。
ドラムでバンドとしてやったり、サポートもあったでしょうし、いろんな形でやっていて、
何が起こったんですかね。
要はケイツイの強作症、結構これがひどい強作を起こしてて、左腕が全然ダメになってきてしまい。
徐々にですか、それは。
そうですね、徐々に。
いまだにこの指の3本がね、左手の3本、これがずっとビーって痺れてるんですよ。
それで、もうこれは仕方ないなと。お医者さんからもうプロのステージだとちょっと考えた方がいいんじゃないですか、ということで、
規制を。
それ何歳くらいですか、戻ってくるのか。
39です。
18、17で東京に行って、20数年音楽ばっかりやってきて、体の不調で宮崎故郷に帰ってきて。
そう、故郷に帰る、規制って言葉違いますね。
そうですね、規制は一時規制ですよね。
そうですよね。
で、そこから今に至っているわけですよね。
地域活性化への転身と「町市」の立ち上げ
もうその時点で、いろんなステージやりました。本当に、でっかいところから小さいところから。
ただ、そこに支えてくれる裏方の方々がいらっしゃって、でっかいステージになると、前の日から仕込みの徹夜でやってくれたり。
そういう人たちに本当に感謝しかないなというところで、俺は宮崎に帰ったら、何か裏方で何かを支えられるような人間になりたいなというのはあったんですよね。
それ、戻ってきて、今に至るまでで、最初は何をしたかったんですか。
あのね、帰ってきて。
すぐ音楽と抜けるんですか。
そうですよ。
ああ、そうなんですね。
まずね、ポリテックセンターに行って。
なんですか、ポリテックセンター。
ポリテックセンターというのは全国にありますけど、いろんな支援ですよね。就職支援というか、お勉強するところ。勉強しながらお金ももらえる。
で、そんなことをやりながら、そしたら僕の高校時代の友人が、まさしく6次化が今来ていると。
6次産業ね、農商工連携事業というかね、そういうのがあるからちょっと一緒にやってみないかということで、
当時、そういう商工会議所の準職員みたいな形で、そういう農商工連携のサポートセンターができた。
僕はそこのセンター長をやらせていただき、それで町市を立ち上げるということになった。
いきなり結構そこに、音楽で裏方へのリスペクトで帰ったら、裏方をやる方向は気持ちとして決める。
たまたまいろんな流れで商工会のそういう役割になり、それをやるになるんですね。
そうなんですよね。これがまた面白かったんですよね。
あの頃、16年前ですよね、あの頃っていわゆる先ほど話した6次化の事業が日本全国でいろんなことがあっていて、
ただ6次化イコール商品開発、どこもかしこもジャム作ったり、ドレッシング作ったり、同じやんみたいな。
ただ町市は目に見えるイベント性のある農商工連携事業と思ってもらったらいいです。
あれ基本的に年に12回、2回が大きいやつ。
1回だけですね。大町1歳。
僕、土日に宮崎にいるってあんまりなくて、月同が多いんですよ。
土日はいわゆる他の地域でイベントとかあるんで、それに行ったりするんで、見たことなかったんですよ。
で、こないだ、いやそれこそ今回ちょっと聞きたいなって思った、連絡させてもらった。
それの多分、直近に見たんですよ。ここで準備されているところから。
あれ今日なんかあるわと思って、なんなんやろと思ったら、これも八市だってなって。
で、見たら、いわゆる町の商店街でやってるマーケットみたいなのはちょっと違うなっていう感覚があったんですよね。
で、多分意図意味があんねやろうな、せやせやオーフルトンさんこれ言ってたな。
で、今日聞こうなんですよ。
なるほど。
スタートはそっからなんですね。
スタートはそっからですね。だからもう16年やってますね。
一番最初に、商工会議所の純職員的な立ち位置でやり出す。
でもなかったわけですよね。
そうですね。
宮崎の街並みの変化と「町市」の現状
ちなみに、16年前の街中の様子っていうのはどうなったんですか。
16年前がね、さっきちょっと話が一つ抜けましたけど、東京にいる間もたまに帰ってきて、ただ帰ってくるとほら、飲みすぎるじゃないですか。
はいはいはい。飲みすぎる。
飲みすぎる。飲みすぎるんですよ。
はい。何なら電話出てもらっても大丈夫ですよ。
いや、明日西立洋市に登壇するんで、ちょうちん点灯式。
ああ、なるほど。
で、そうですね。そういう状況だったんですよね。帰ってきても。
飲みに行っちゃう。
朝飲んで、昼過ぎまでぐだぐだ寝て、また飲み行く。街の様子一切わかってなかった。
で、いざ宮崎に帰ってきた時に、橘橋越えて橘通り1丁目から、こう見たらシャッターがすごい降りてて、あれ、どうなってるん、宮崎みたいな。
で、なんかちょっと、僕橘通り1丁目、まさしくそこ、その辺で生まれて、橘通り1丁目で育った人間なんですよね。
こんなことあり得ない、何が起こったんだということで、町づくりに勤しんでいた友人に話を聞いたら、いろんな大型店が郊外にできて、これは全国の話だよと。
中心市街地が本当に育たれている地方がいっぱい出てきたよと。だからどうしようということで、いろいろ取り組んでいるって話を聞いて、それもあったんですよね。
その16年前の街中はまさしくそういう状態でした。一番街も若草通りも、シャッターが閉まっている店舗が合計10店舗以上あったり、そんな状態でした。
それで時期的なところでいくと、2010年ぐらいってことですかね。16年前とか。
そうです。
でいくと、なんか最近、これちゃんとした数字じゃないんですけど、ちょっと前に宮崎、40万人切ってみたいな話じゃないですか、人口が。
ピークって何人やったんだろうって、ふっと思って調べたんですよ。そうしたら、意外とって言ったらあれですけど、40万2千か3千ぐらいで、俺のピークが2013年なんですよ。
なので、たぶんめっちゃ人口減ってる減ってるとはいえ、宮崎の周りから宮崎市には入ってくるじゃないですか。
そうですね。
なので、意外とこの低下に関してで言うと、頑張ってるって言ったら言い方変ですけど、割とそんな激的に減っているわけではないんですよね。
激的ではない。県単位で見るとですね。
県もそうですね。下がっていって。
130万人の30分でやって、これがあと何年かすると100万切るでしょ。
つまりは、中山間地域とか、やっぱりあの辺がね、衰退しているということですよね。
これは全国的にどこでもそうなんですけど、2010年ぐらいが日本のピークで、遅れること3年で宮崎市はピークアウトをして落ちていっているさなかではあるけど、そんなに悪い時じゃないのにシャッター街になっていたっていうのは、イオンとかそれの影響というのが大きいでしょうね。
大きかったですよね。飲食店、特に医療品とかね、ああいうお店がもう潰れまくりましたね。
で、そういう街を盛り上げようみたいな裏方をやるっていうのとかと相まってそういうことをやっていくみたいな。
そうですね。で、話が戻っていくんですけど、最初は一番街だけだったんですよ。
あっちでやってたんですね。
一番街だけで街市をオープンさせて、そしたらその次の月か2ヶ月後か、若草通りも手を挙げてくれて、うちもやるわということで、一番街の若草の通常の街市第4土曜日ということが始まりました。
先月の第4土曜日ですね。
たいちゃんが来てきて。
で、その時にたぶん言って、なんとなく16年経ったらいろいろ様変わりはすると思うんですけど、16年前と今みたいなところで、あと今後どうしていくみたいなところを話し聞けたらなあと思って。
次回への予告
これ続きは次回に。
えっ、もう30分経ちました?
もうぼちぼちの感じなんですよ。
そうですか。全然話足りないんですけど。
笑
音楽の話長なるとね。音楽だけで2時間でも3時間でもあるでしょうから、続きは次回に聞きたいなと思いますので、今日はこれで終わりたいと思います。
ありがとうございました。