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Vol.24 |  なぜ今、宮崎なのか。三上良平さんが語る働き方と暮らしの現在地。
2026-05-20 43:53

Vol.24 | なぜ今、宮崎なのか。三上良平さんが語る働き方と暮らしの現在地。

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今回のゲストは、FAST TRADE株式会社 代表の三上良平さん

中国で仕入れの代行サービスからスタートし、複数のIT事業を展開する三上さん。
現在は、福井・湘南・宮崎の3拠点で活動しながら、
青島を舞台にしたプロジェクト「aoshimastyle」にも参画されています。

もともとはトラックドライバーから起業。
転職を経て、自ら事業を立ち上げたという異色のキャリアの裏側や、
海外ビジネスのリアルな話もたっぷり伺いました。
動き続ける経営者のリアルな視点が詰まっています!

そんな三上さんが宮崎に拠点を持つようになった理由のひとつが、「人間らしい生活がしたい」という想い。
なぜ今、宮崎なのか。
その問いに対するひとつの答えが、この場所での働き方と暮らしの中にあるのかもしれません。

宮崎という場所の価値をあらためて考えさせられると同時に、
宮崎にいる一人として、どこか誇らしく、嬉しくなるエピソードです。

感想

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自己紹介と事業内容
はい、今日も宮崎の時間をやっていきたいなというふうに思います。
この番組は、宮崎で活躍している方に来ていただいて、いろんなことをお伺いしている番組となっています。
届けている場所は、シェアオフィスVOL.のホットキャストルームから美創空間大学の方がお届けしています。
というところで、今日のゲストをご紹介したいなというふうに思います。
ファーストトレード株式会社代表の三上さんです。よろしくお願いします。
お願いします。
言って、2回目ですからね。ほとんど初めましての状態からなので、
今日、初めましてしたと、5月7日ご飯行きましょうかというお誘いをさせていただいた流れで、無理矢理取らせていただきますというところでよろしくお願いいたします。
僕も全くどんな方なのかわからないので、簡単に会社のご紹介をしていただけるとなんですけど、
一つだけ僕が認識しているのは、ナミアルサービスのナミ情報アプリを経営、運営されている会社という認識なんですけど、
他も多分いろいろやってあるんじゃないかなと思うんですが、そんな件を簡単に聞きたいなと。
あとなんで宮崎に来たのかのところぐらいまで行けたら嬉しいなと。
そうですね。ナミアルは実はもううちではやっていなくてですね。
一時やってたんですけど、いろいろ事情があってちょっと別のところで運営をしてもらっているような状況です。
僕らが一番最初にやったのは、仕入れるという中国からの仕入れを代行するというウェブサービスなんですけど、
日本にいるeコマースをやっている小規模から中規模事業者様の中国からの仕入れをお手伝いするというような事業で15年前にスタートしまして、
今はいろいろ事業をやったんですけど、失敗したり手放したりだとかしながら、今メインで仕入れるというやつと、
あとエントリープラスというサーフィンとかスキーとかいろんなサップとかいろんなイベントのエントリーシステムを提供するようなサービスと、
あとまだリリース前なんですけど、ノクトリンクという企業間をつないでいくようなサースのシステムの開発というのを今行っているような会社になります。
ベースは実業というよりも、いわゆるIT界隈みたいな感じですよね。
そうですね。どちらかというとIT界隈。
青島スタイル株式会社について
あと、これでもう一個肩書きといいますか、青島スタイル、株式会社青島スタイルをやっている。
これはもう今年からですね。ずっと前から青島、もう4年ぐらい開発してもらっていて、いろいろ面白い町だなと思っていたんですけど、
でもなかなか僕もいろいろ事業をやっていて動けないのもあって、そこで代表の渡辺さんとか上田さんとかと出会って、
一緒にやっていきたいねというところで、会社立ち上げてやっていきましょうということで立ち上げた会社になって、
イベントとかいろんなものを、あとお土産、Tシャツとかクッキーとかいろんなものを作ったりして提供していっていて、
今はちょうど青島ってやつを作っていろんなところ展開をしていて。
これはどんな目的で、どういうゴールというか、どんなあれなんですかね。
ゴールですか。一応ですね、青島っていうものをお配りして、青島のことをもちろん青島の方から青島外の方まで、県外の方まで知っていただいて、
本当はそこからLINEだとかそういったところにつなげていて、いろんな情報を発信してリピートしてもらうというのが目的としてやっています。
ということは単体で何かというよりも、青島全体を一つのメディアっぽいような感じに見立てて、
LINEとか何かしらのツールにセッティングを持たせて、そこに来てもらった人が結局各自それぞれ青島でちゃんと人気出そうみたいな。
そういうイメージですね。
僕多分これ、ボンデリスでゲットしました。
ありがとうございます。
なるほど、ありがとうございます。
そうですね。
宮崎移住の経緯と拠点
ちなみに僕、ジャンルとして移住される方とか検討されている方に仮移住施設みたいなやつを提供したりするので、
三上さんが宮崎に移住するようになったみたいなところが伺いたいななんですけど、
会社の本社がまず福井県、阿波羅市、多分宮崎ではなかなかなじみのないところだと思いますけど、阿波羅温泉、関西につけたらすると、
東尋坊とかですね。
阿波羅市、東尋坊?
東尋坊が近いですね。
ああ、うちの両親の新婚旅行、東尋坊ですね。
あんまり縁起の人じゃないですけどね。
で、が本社なんで地元が福井ですかね。
そうですね、福井ですね。
で、小南オフィスが一つあるので、メインは3拠点の生活になるんですか?
僕ですか?
はい。
僕はそうですね、3拠点ですね。
福井、阿波羅市、小南、宮崎。
そうですね。
どれくらいの割合ですか?
ちょうど10年前に東京に進出しようとして、僕も越してきたんですよ。
東京に進出するんですけど、ちょっと東京都会すぎて、ちょっと合わないなと思って、
ちょっとずれて、海の近くの小南の方にも10年住んでたんですけれども、
でもそこが、もともとはそこが8、9割ぐらいで、福井が1割ぐらいでしたので。
ほとんど小南にいた?
そうですね。
いろんなところ飛び回ってるんで、あんまりどこにいるかよく分からなかったんですけど、
そこから4年前に波の授業、サーフィン授業を少し手掛けるようになって、
サーフィンと言ったら宮崎なんかなっていう、小南にもともといたんで、次宮崎かなと思って、
じゃあちょっとみんなで社員旅行に行こうと。宮崎に社員旅行に。
一番最初ですね。
一番最初ですね。
僕だけちょっと前に入りさせてもらって、サーフィンさせてもらったりしながら、
みんな来て、遊んで、残って。
もう一回海。
そう、入ったりしてやってたら、もう食べ物も美味しいし、
何もいいし、気候もいいし、宮崎弁も最高やし、いいなと思って、
その時にこれはもう毎月通おうと決めたんですよ。
そこから毎月必ず最低3日以上、長ければ1週間半とか2週間ぐらいいたりして、
ずっと毎月通って、3年ぐらいですかね。通ってきてて。
こんな拠点もとかなあになったんですか。
そうですね。拠点もときもなかったんですけど、何となく流れでちょっといろいろあって、
買うことになっちゃったんで。
今こう言ったら物件を買って、どこに?
もうすぐそこ。
街中?
街中のこの辺り。
どれくらいの日数の感じになっているんですか。
今、だから、僕こっちに来たのが本当、先月?
この間はじめましてのお年寄りが、多分昨日みたいな。
あの時にちょうど引っ越しがしてた感じなんで。
それ、富士山、湘南の家から、
引っ越しじゃないですね。そっちは残してあるんで。
こっちで新たに全部揃えて、いろいろ受け取って設置だとかしたっていうのが先月。
先月は1週間ちょっとしか入れなかったんですけど、
今月は2週間ぐらいこっちに。
月の半分ぐらいはこっちに。
で、富士沢の方は?
1週間ぐらい。
1週間ぐらい。あとは残りに。
月末と月初だけ福井にいるっていうような形を取っていこうかなと。
福井は本社機能なんで、一番メンバーがいるのは福井なんですか?
福井が30名くらいが多いんで、そこが一番多いんで。
それ、エンジニアさんとか?
いや、カスタマーとか営業とか、
エンジニアは結構店でバラバラに散らばってる感じで。
リモートでやってる感じなんで。
別にあれですよね、三上さんがめちゃくちゃサーフィンをされる、
サーフィン事業への関わりと撤退
会社の社風として別にサーフィンカルチャーとか?
今はもうないですね。もうないです。
もともと福井でやったんですか?
僕ですか?僕、そうです。福井でやってて。
三国とか?
そうですね。
サーファーだけは社員にはしたくないなって。
ずっと思ってたんで。
だって働かないじゃないですか。
自分もそうでしたけど、サラリーマンの時。
何やったらいい?言っちゃいます。
なんか言い訳して遅れたりしますよね。
そういう言い訳するんやったら、本当のこと言えばいいんじゃない?
そういうのもストレス抱えるし、ずっとそういう文化は社内には気づいてこなかったんですよ。
一番最初はサラリーマンされてて、その時から波乗りをしてて、福井ですか?
福井です。
独立起業して福井。波乗りをずっとしてはる?
波乗りはまあ、たしなむ程度ですね。
僕も福井、関西なんで、三国まで上がることは少ないですけど。
何の方ですか?
鳥居浜、高浜、鳥居浜の方はめちゃくちゃ行ってました。今も行きますけど、冬、大阪戻るタイミングがあったら全然行くんですね。
三国の方までは、昔よく行ってましたけど、ちょっとあるじゃないですか。
ありますね。
それこそ一時金沢のオフィスがあったことがあるので、だいぶ昔ですけど、その時はよく上から降りてやってました。
東京に進出する、都会過ぎる湘南オフィス。
東京にオフィスはあったんですよ。
住むのがしんどかった。
だから自分は最初から湘南に住んで、車で通ってみたり、電車で通ってみたりしながら、ちょっとずつフェードアウトして会社に行かなくなるという。
授業は全部、だいたいやっていることは一緒ですか?
一緒ですね。
もともと東京行くときはビジネスバックのeコマースですね。
ビジネスバック。
ネット通販。
ネット通販でeコマースでビジネスバックを自分たちで作って売るという事業を立ち上げて、今もあるんですけど、子会社で。
それがやっぱりファッション系なんでということで、あと関根ちゃんも東京にいたので、じゃあこっちでオフィスを作って拡大していこうみたいな形でやったんですけど。
サーフィン事業に入るきっかけって、波あるんですか?
いや、違うんです。
その前に、その1年前にナミツーっていう、多分だいぶ古い人であれば知っている、ナミツーっていうのがあったんですよ。
あれですか?アイモード的なアプリ?
そうです、そこからあった。
本当に昔はナミツー、ナミ伝説、ビーチコミック、ナミアルがちょっとあってあったんですよ。
そのナミツーってやつ、なんかちょっといろいろあって、うちの方でやらないといけないことになって、引き取らせてもらって。
巻き取って。
そう、やるようになって、そしたら今度ナミアルさんもちょっとやってもらえませんかって話になったんで、
じゃあもう乗りかかった船だからやってみますってやってみたんですけど、やっぱり好きなことを事業にするのは良くないんだなっていう。
よく言うじゃないですか、昔から。
いやいやそうですよね。
あと意外とサーフィンのこと知らないなっていうのをやってみて、いやーナミのこともやっぱ知らなかったですし、その業界のことも全然知らないですし。
でもサーフィンはずっとされてたんですか?
サーフィンはしてましたけど、だって福井ですよ。そんな情報とかもないですし、そんな上手い人がいるわけでもなく。
でも僕、日本海のナミはやっぱ好きは好きなんですよね。ちょっと癖あるじゃないですか。風波でオフショーが終わって。
一瞬ですね。
もう本当に一瞬の。
一瞬の。
いやめちゃくちゃ、僕はすごい好きですね。どっちかっていうと、浜爪とか、京単語のコミュニティのことが多いですけど。
ちょっとごめんなさい、話し戻しますね。
で、ナミヤルの事業をやって、あれって事業モデルとしたら、どんな感じなんですか。地元にナミチェックする。
そうですそうです。全国にナミチェックする人がいて。
で、何時に更新して、カメラ設置があって、月額会員からのお金で成立しているという感じですよね。すごくシンプルですよね。
それがなんであれなんですか、サーフィンをあんまり知らんなという感じであれがあったんですかね。どの辺で。
いや、なかなかその、やっぱ難しいですよね。
会員を伸ばしていくところみたいなところですか。
難しいですし、いろいろ、ちょっといろんなことがありまして、あんまりうまくはやっぱりいかなくて。
他のビジネスのように、なんとかなるだろうというふうにはじめたんですけど、なんともならないなっていう。
まあまあまあ、そんなのありますね。
サーフィンやってる人やったら分かると思うんですけど、やっぱり市場的にそんな大きいもんじゃないですか。
確かに。
それこそね、たぶん僕らのちょっと上の年代とかになると、たぶんね、サーフィンとかってほら、第一次サーフィンブームとか第一次とかってもう、
街中でもなんかサーフボール持って歩いてみたいな、サーファーみたいなやつが、誰だとかってすごいそれが文化になってた時期もあったんですけど、
今ってそうじゃないし、サーフショップもやっぱり減ってるし、人口もやっぱり減ってるし、年々やっぱり高齢化してきてるっていうところに、
新しくこう、ビジネスとして参入していくっていうのはやっぱり、ちょっとやっぱり難しいなと思ったの。
なんか僕、それこそ、20、21、19、20、21ぐらいの時に、19で、20歳前後くらいですよね、波乗りやりだしてて、
当時はファックスで、大野球スーツで波情報とか天気図とかを一遊していって、
気づいたら今ほどで、なんかこう、波状況を見るようになり、
で、ここ10年ぐらいですかね、動画で、
1日1回見る、普通に見るようになって、天気図見て外れたとか、
ドフラットの波に行くことって多分今ってほとんどないじゃないですか。
僕ら大阪に住んでると、最低2時間、
でも基本伊勢まで3、5時間ぐらい、四国だったら4時間半とか、
一番近い和歌山、磯野村で1時間ぐらい、もしかしたらワンチャンあるんちゃうとか、
ほんまにフラットとか、そんな時代だったんで、
でも確かに、会員さんの上限っていうのはまあまあそうなんですね。
そうですね、昔から比べたら本当に減ってきてますね。
IT事業と宮崎での活動
それは今は、いわゆるIT関係の仕事で事業をされるので、
別に居場所がここになくても事業はできるので、
宮崎に居ながら、今はサーフィン以外の本業のところをやってるが一番メインってことですね。
そうですね。
でもこの青島スタイルに至っては、わりとちょっとサーフィンに近いというか、
カルチャーによって、そういう感じですかね。
ただ僕は本当に、そこまで青島にいるわけでもないし、
本当に今までやってきた経営とかビジネス的なところで、
何かお役に立てればなというところで参画させてもらっている要素が大きいですかね。
みんなで作った会社みたいな。
そうです。
何名くらいでやってるんですか。
今は4人ですね。
4人でやってる会社。それぞれが皆さん事業をされてるんですよね。
そうですね。
僕多分お会いしたことあるだろうな。
みんなあるんじゃないですか。
だと思うんですけど、僕あんまり青島にそれこそ住んでるんですけど、
なんて言うんですかね。
何かこう、どこをどっぷり。ないんですよ。
どうなんですか。
どっかのサーフィンの何かに属してるもんないですし、
何かのコミュニティに入ってるとかっていうのも全くなくて、
それこそ、サーフシティさんはヨガとかでちょっと行ったりとかっていうのはもちろんあるんですけど、
青島アパートメントの結城さんが個人的に仲良くて、
三宅さんぐらいですかね。月1回以上会うだろうなと。
そうなんですか。
面白い人ですね。
宮崎での生活と仕事
来たらどんな生活してるんですか。
僕ですか。こっちですか。
先月からはもう家あるんで、家で引きこもって仕事してる感じですか。
朝、海行きます。
朝、海行って。
朝、海行って。で、帰ってきて。
仕事して。
仕事して。
みたいな感じですね。
仕事はミーティング中心。
ミーティング、そうですね。ミーティングがビッチリ入ってる感じですね。
オンラインでミーティングとかやってるような感じですね。
そうです、そうです、そうです。
で、夕方になります。
飯。
あ、飯。
飲みに行くみたいな。
飲みには、そうですね、こっちに来てる時は毎回行ってたんですけど、
ちょっとやっぱり住んでるんで、毎日はちょっときついんで、
ちょっと自炊を、自炊というかちょっと料理を最近始めました。
始めたっていうか、もう何回かしかまだやってないんですけど、
何回か自分で作ってやるようにしてます。
で、食って、寝て、朝起きて、
寝たら海行って。
そうですね。
いわゆる、僕、どっちかっていうと、
サーフィンの授業をめっちゃしてるような、勝手にイメージあったんですよ。
それこそ繋いでいただいたのが、りゅうあきさんじゃないですか。
で、そういう紹介のされ方をしてたし、
初めましてで終わったのがあそこ。
ビーチクラブ?
ビーチクラブ、青島ビーチクラブですかね。
宮崎ビーチクラブ。
宮崎ビーチクラブ。
で、終わったんで、しかもこの中から、
いかにもIT社長、サーフィン授業やってますみたいな感じの、
僕の勝手な妄想やんか。
全然違います。
結構ストイックに仕事されてるんですね。
いや、もう仕事しかしてないですね。
最近ちょっと忙しくて、いろいろとリリースが立て込んでるんで、
自分もやったりもしてるんで。
それ、本業でいうと、どれが一番領域で?
領域で言うと、仕入れるっていうのが一番大きくて、
それも今システムのリリースをやってて、
ノクトリンクって書いてあるやつもあると思うんですけど、
それがちょうど今もう本当にリリース前で、追い込みのところで。
それは三上さんを、自分でエンジニアでやったりもするんですか?
エンジニアをもうやらせられなくなってきた状況ですね。
もともとやってないですよ。
もともとやってないんですけど、最近はもうやらないと。
もとは何やったんですか?
起業までの道のりと中国ビジネス
一番最初、地元青原市、生まれ育ち。
それ多分、さっき言って3時間かかるんですけど。
あの、もともとこの事業をやる前は、
僕トラックの運転手やってて。長距離の。
トレーラーに乗ってました。一番でかいやつに乗ってたんですけど。
その前、3年仕事が続かないっていう、ダメ人間だったんで。
高校卒業して、15回転職してます。
へー。
いろんなこと、ITとか働きたくないですよ。
地元の家族系みたいなところとか、部落業みたいなところばっかりずっと。
基本は青原市の方?
はい、青原で。ちょっと家でしたりしたりしたこともありますけど。
ずっと青原で現職をして、ちょっといろいろきっかけがあって。
師匠みたいな人があって、それで起業を決めてから人生が好転して。
それ何歳の時ですか?
32で起業してるんで、31、30ぐらいで。
起業するを決めたのが30、31。
その時は別に何もないですよね。
何もないです。トラック乗ってましたね。
何で起業するを決めたんですか?
何で起業するも決まってないんで、いろいろと自分にできることを見つけつつ、
トラック乗ってたんで、時間もあんまりないじゃないですか。
でもパソコンは、パソコンだけでできたんですよ、何かしら。
ネットとかね、難しいことはできないんですよ。
だからそれで何かできることってないかなと思って、いろいろ調べてたら、
ちょうどそれこそ中国で物を仕入れて、
セドリーみたいな感じ?
そう、儲かりますよっていうのが出てきて、それちょっとやってみようって。
それなりにうまくいって。
逆にそれを依頼する側に結構ストレスをかかるようになって、
輸入代行業者っていうところに。
これをやった方がいいんじゃないかなと思って。
で、もう中国にパートナーを見つけて、自分で立ち上げて、
それを提供するようになって伸びたって感じですね。
多分ですね、おいくつ?
僕48ですね。今年9年。
世代で言うともう大体一緒じゃないですか。
僕一番最初の01、大学で起業してるんですけど、
イーベイで姉ちゃんがアメリカに住んでたので、
イーベイで買ったやつを姉ちゃん家に入れて、
ここで船で送ってもらうのをヤフオクで売るのが僕一番本当の01。
同じような感じですね。
ですよね。僕当時はバンズだけやってたんですよ。
で、それは先輩が古着屋で独立するって言うんで、
これやってくださいよってやったんですけど、
当時、それこそブックオフみたいなところとかに行って、
一点物を300円で売ってるのか?みたいなのが昔はありました。
それの中国で仕入れて日本で売るのを、
代行業者がちょっとちゃんとしてくれやって思ってらっしゃったのを
やりだしたみたいな感じですね。
それこそアメリカの時にありましたよ。2年ぐらい。
現在の事業と海外展開
アメリカからの転送会社って言うんですかね。
今やってるのは同じような向こうにパートナーがいて、
集めて全部お客さんのところに輸入するっていうのも
1年ぐらいはやってたけど。
今はクライアントでどういう人たちなんですか?
昔は結構個人が多かったんですけど、今は法人、企業、
いろんなところが結構どんどん変わってきてますね。
なんでもなんですかね。
なんでもですね。今力を入れてるのはアパレルを力を入れてまして。
アパレルというのも完成品ですか?
いや、本当にOEMでデザインから起こしてもらって、
僕らが作ってお渡しするところまで今やってます。
製品にして、企画とブランドはここに日本側にあって、
こんなの作りたいね、日本でやったら3000円かかるけど
日本向こうでやったら1000円でできるみたいな感じですか?
そう、そんな感じで。
アパレルが一番メイン?
それが一応伝わりやすいんで。
メインって言うと、いろんなものをやってるんで。
僕ら建築は、たぶん三上さんに自己紹介もちゃんとできてるんですけど、
一応建築の事業で、中国で仕入れる。
何回か見に行ったりとか、結構でっかい日本人があるじゃないですか。
で、あれでこれを入れてほしいとか、フローリングとかやってるんですけど、
それの仲買いをやるって感じなんですかね。
そうです。それを日本から言ってくれれば、
こっちで全部、問い合わせから全部やって、品質管理やって、
届けるっていうところまでやってる感じですね。
逆に僕の相談になっちゃうんですけど、
今、僕も外貨を稼ぎたいっていうのがすごく強くて、
数年前から海外で事業を作るっていうのをずっとチャレンジをしてて、
アメリカ、ネイチャーが住んでるっていう場所で、いろいろきっかけがあるので、
サーフィンもしたいって、カリフォルニアなんですよ。
で、産後税に住んでるんで、波乗りもいろいろし、ずっと行ってたんですけど、
ビザが安定して、今ドラム買えてドラム買えて結構ひっくら返されて、
アメリカむずいなーって言ってる流れで、3年くらい前のシンガポールからたまたま問い合わせがあって、
今シンガポールに行くようになって、今ちょうど着工前の時点で、
そろそろ来週からまたシンガポールなんですけど、ただ海外で事業を作ったことがなくて、
いろいろ大変じゃないですか。僕の場合は言語がまず通じて、今英語を勉強しているみたいな、そこからなんですよね。
で、シンガポールは何か繋がりとして。
繋がりはなくて、僕やりましたよ。シンガポールは会社を作って、
ハブでですけどね。
ハブって何て言うんですかね。
シンガポールに会社を作って、バングラディッシュで養殖場をやったことがあって。
エビか何かの。
カニですね。
カニの。
東京ドーム2校分くらいのちょうどでかいところに池を作って、カニを養殖してソフトシェルクラブを作るっていう。知ってます?
いやいや知らん知らん。
皮ごと食べられるカニなんですよ。脱皮するじゃないですか、カニって。脱皮した瞬間に捕獲して、そのまま急速冷凍してるんですよ。
で、それの唐揚げとかで超めっちゃうまくて、それを重要と供給のバランスが世界的におかしいっていうので、じゃあうちも作ろうって言って、
バングラディッシュに行ってそれを作ったりしてた時に。
海外で面白いネタを見つけたら、海外で事業を作るノウハウがたまったんで、じゃあやろうみたいな。
どうでしょうね、でもやっぱり何か所かやりましたけど、やっぱりそことかパートナーがいないとなかなかやっぱり難しいんじゃないかなと思うんですよね。
パートナーっていうのは、今僕ら公務店さんが組んでやってるんですけど、そういうことですよね。
そうですね。
これって中国語がもともと喋れて中国01作れたんですか?
海外事業のパートナーシップと失敗談
中国語は喋れないですよ。
今も?
今も喋れないです。
全く?
ずっと通ってるけど、もう顔語すぎて、中国のパートナーは。全然喋れないです。一人でどこも行けないです。
英語はいける?
あんまりいけないですね。ちょっとギリギリ生活するのにこのコマが無いから。しかできないですね。
たまたまほとんどは最初に組んだパートナーがめっちゃよかったんですか?
僕パートナーに何人か海外にいるんですけど、もともと日本語ができる人がパートナーよ。
もともと中国のパートナー見つけたときは、トラックの運転手じゃないですか。何乗ってもないじゃないですか。
ネットの掲示板ですよ。
ネットの掲示板に、昔のアリババってご存知ですか?
アリババジャパンっていうのが昔あって、そこの掲示板があったんで、こういう条件で取引してくれる人を募集しますって書いて。スリッパか何かやったんですけど。
だからもう腐るほど来て。
中国からのメッセージが来て、条件が合っている人で、日本語がそれなりにちゃんと通じてみたいなことを5社ぐらい選んで。
で、同じ種もバーッと投げて。
そしたら向こうから電話来たりスライド来たりだとか、実際話してみたり対話したりしてみて、ちょっとずつ絞り込んでいって、最強によかったところが今のパートナーなんですけど。
同じような感じで、シンガポール、バングラディッシュも。
その時は逆に、ここの国でやりたいなって思うじゃないですか。
お金的なのか、三上さんの興味的なのか。
バングラディッシュでやりたいなと思って。
なんかないからね、戦う。
そしたら、その時にはそれなりに経営者ネットワークとかもできてたんで、みんなにバングラディやりたいんだけど誰か知らない、誰か知らないって言いまくってると、
なんかどっかから、どこかの別のところから、今度バングラディッシュにツアーがあるから行くって言われて、全然知らない人に回して行って、そこのアテンドしてくれる人とめちゃくちゃ仲良くなっちゃって。
みんなに言うんですよね、めっちゃやりたい、やりたいって。もう一回戻ってくるって言うけど誰も戻ってこないんですよ。
俺はもうすぐ戻るんですよ。
やり気を見せるんです、まず。そうすると向こうも信用してくれて、通ってるうちに一緒にやっていきたいですねって言って。
まず最初にバングラディやったのは、バッグの工場を作ったんですよ。ビジネスバッグをやってたんで、中国生産とかイタリアとかもやってたんですけど、バングラディッシュでも自分で作りたいなって。
作るのをパートナーと一緒にやって。完全に失敗しちゃって。
投資は投資して。
完全に失敗しちゃって、二人でどうするどうするって。
ちなみに何が失敗だったんですか。
いやもう自分の思っているものが作れなかったですね。
クオリティのところが行き着かなかった。
行き着かない。
何があって、日本人がわかったのは、作るじゃないですか。やるじゃないですか。
いやこれ高級感がないんやって。見て高級感がないって。
作ってもらえるじゃないですか。
よくよくバングラディッシュの街中を見て思ったのは、そもそもこの人たちって高級感って通じないんやな。
高級なものを見たことがないんやなと。
それなりのものをできるんですけど、なんかオーラが違うんですよ。
何年前のバングラですか。
いやもう10年弱くらい前ですかね。
ほな今ってバングラディッシュって結構。
もう上がってると思う。
そうじゃないですか。
ちょうどファストファッションとかの向上がガンガン来だしてた時に、俺も行ってて。
ハブの会社としてシンガーに。
そうそう。バングラディッシュの会社はコントロールが難しいんで、お金の管理とかをシンガポールで全部やって。
これを輸出するときもシンガポールの会社から取引を結んで、こっちから送ってもらうみたいな感じにした。
受け取りとか持ち出しとかできないんですよ。バングラディッシュって。
シンガポールに、現地王子に作ったのは、どうしてもパートナーと組んでってことですか。
そこはね、もうめっちゃ運良かったんですけど、ちょうどうちのメインバンクがシンガポールに否定を出すんですって言って。
じゃあちょっと行きますって相談したら、じゃあ作りましょうって言って一緒に何か作ってもらったんですね。
今って結構前ですよね。
10年くらい。
今むっちゃ厳しい。
厳しいんですか。
なかなかパッとはできないですし。
みんな行ってましたもんね。
お金持ちとかみんな。
税金がね。去年ビザが厳しかったんですよ。
日本人結構難しくなって。
そうなんですか。
いわゆる大手はいけるんですよ。
いわゆるサブ商社みたいなところとかは結構厳しくて、むっちゃ撤退したみたいな。
シンガポール行っても日本人あんまと会わないんですよ。
で、僕らも一生懸命パートナー、まだ一生一社組んでやるんですけど、
スリランカ人なんですよ。
メインの社長。
言語はタミル語と英語なんですよね。
奥さんが日本人なんですよ。
で、なんかギリやれるみたいな。
でもここの言語は全く通じないんで。
結構頑張ってるんですけど、シンガポールのツテが欲しいなって。
宮崎での今後の展望
でもこんな感じでいろんな人流通だってことですね。
そうそう。だいたい知ってるよみたいな感じでどこから回ってくるんで。
それでやってる感じですね。
なるほど。なんとなく三上さんの人となりとルーツがなんとなくわかったんですか。
僕は何もできなくて。周りの人がみんなやってくれる感じですね。
面白い。
こっかかりだけ作る役なんですよ。
じゃあ今回の青島スタイルもオンデザインな感じで一緒にやりましょうよみたいな。
さっきのバンフラディッシュのやつもとりあえず何かやろうよが先で、後からカニが乗っかってますよね。
失敗しちゃったんで。これヤバいっすよ。これヤバいっすよ。
そしたら横浜めっちゃ乗ってきて。これ面白いですね三上さん。これやりましょう。作りましょう。
ハサップまで撮って。
ハサップ?
ハサップってハラみたいなイスラム教の人でも食べられるみたいなやつってのを作れる認定工場にしないといけなかったので全部撮って。
すごかったですね。あれの話だけでもめちゃくちゃ面白いですね。
なるほど。
いろんなことがあったね。
分かりました。これ宮崎で、また宮崎でこの青島スタイルみたいな感じで事業が生まれる可能性ももちろんありますよね。
いやー、僕は分かんないっす。
言い出しっぺというよりも何かやりましょうよの感じなんでしょうね。
できないんですよ僕。営業とかできないし。
全くトラックに乗ってはったんやのもよく分かんないし、さっきその仕事が忙しいで作ってるって言ってた感じがこうやってはったんで、コード書いて自分でやってんのかみたいな。
それもだから必要に迫られてやりだしてみたいな。もちろんエンジニアもいてるけど手が足らないし自分でやるみたいな。
なるほどですね。
でも基本的に自分で一回やってみないとすぐ飽きるんですよ。
バックもやっぱり最初既存品やってたんですけど、オリジナルじゃないとってオリジナルをやった時は一回自分でやってみたんですけど、
やっぱり工場に指示するのも別に専門でやってたわけじゃないから分かんないじゃないですか。用語も分かんないし。
だからもうしゃーないんで俺、学校帰りました。東京の。
バックの?
バックのデザインからパターンを起こしてミシンで縫うところまでをやるなんかあったんですよ。デザインコースみたいなやつ。
それを毎日通って、わーって短縮でめちゃくちゃ長い時間毎日やって。
できることが目的っていうよりも、少なくともこれが正しいか正しくないとか、ここもうちょっとこうしてくれっていう指示が出せるようになるところまでは自分でやらんとええもんができへんから。
そうですね。だけど僕転職してるのって飽きちゃうんですよ。
だからずっとずっと同じことしてられなくて、だからもうバック作る時ってそこ通ってミシン買って、俺の社長室にミシン置いて一日中縫ってる。
飽きちゃうみたいな。
飽きちゃったらパターンあげるよって。
でもそれで知識身につくんで工場とかでもやってます。あのやつだし。結構うちのバックは今でもめっちゃ売れてて楽天とかではずっと上位に。
いろんなテレビドラマも使われてるんで。
宮崎では今後はどんな感じの活動をしていこうかな。この青島スタイルもそうだし。
そうですね。もんびりしたいですね。
仕事は海外でもあるし、いろんな地域でやってるし、自分が波乗りしながら仕事ができる環境を作りに来たみたいな感じですかね。
そうですね。湘南って結構10年住んだんですけど、あんまり馴染めなくて。
言って都会の人が住んでいる感覚ですね。
馴染めないし、なんか食べ物もちょっとやっぱり福井から出てきてるんで、ちょっと福井と比べると海鮮とか。
福井もレベル高いですね。食えば米うまいし、海鮮うまいし。しかしだけないんですけど、やっぱこうおいしいなって何回も行くようなところがずっとなくて。
結局家で引きこもってることが多かったんで。最終的には海にも行かないっていう。
波そんなにあるわけでもないですね。人多いし。
そうそうそうそう。それもちょっと嫌やなと思って。福井はやっぱ寒いのがちょっと苦手なんで、宮崎ってあったかいし、ご飯おいしいし、波もずっとあるし、全部揃ってるっていうのがあって、宮崎に来て。
ゆっくりした。
ゆとりのあるっていうか、人間らしい。
絶対言い切ってもいいんですけど、僕もそう思って10年くらい前からだんだんやってきて、こっち来て6年くらい前は自分でDIYしてとか、ゆっくりしながら自分のリズムをやったんですけど、
気づいたらあれやこれやってもらってるんです。だから深井さんは多分やっちゃうかなと思いますけどね、おそらく。
でも宮崎はそういう感じの、なんかやりましょうよっていう人がやっぱり多いし、移住してくるバイタリティを持ってる方も多いので、僕もぜひ宮崎で一緒になんかできたら面白いなと思いますし、今の僕に何言ってるわけないですけど、幸い僕ITめっちゃ弱いんですよ。
そうなんですね。
システム化してとか、それはもう完全にフル懐中だし、誰かと組まないといけないので、その辺はぜひ、あとシンガポールと中国と。
中国は行けない。シンガポールはしばらく行ってないです。
英語喋れるようになりたいなという思いもあって、今シンガポール頑張ってやってるんで、なんかその辺でいろいろ絡めたらなと思います。またこの後今日はお昼ご飯にご一緒させてもらえたら、引き続きよろしくお願いしますというところで終わりたいと思います。ありがとうございました。
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