1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 209高村光太郎「智恵子抄」(..
2026-02-26 1:42:16

209高村光太郎「智恵子抄」(朗読)

【作品】智恵子抄

【作者】高村光太郎(1883-1956)

【あらすじ】詩人・彫刻家の高村光太郎が妻・智恵子との愛と死別、そしてその後の追慕を描いた30年にわたる詩集。活発で芸術家肌だった智恵子が精神的に病み、闘病の末に肺結核で亡くなるまでの苦悩と、光太郎の深い愛を「あどけない話」「レモン哀歌」などで表現している。

【こんな方に】寝る前に聴きたい / 名作文学 / 睡眠用BGM / 朗読 / 青空文庫 / 聴き流し


嫁さんを看取るって辛いでしょうね

今回も寝落ちしてくれたら幸いです


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00:06
寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、
あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、
実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを
淡々と読んでいきます。
作品は全て青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は
公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また別途投稿フォームもご用意しました。
リクエストなどお寄せください。
まだ番組をフォローしていない方は、
ぜひ番組のフォローをお願いします。
そして最後に、
おひねりを投げてもいいよという方は、
概要欄のリンクより
ご検討いただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いします。
さて今日は、
高村幸太郎さんの
知恵故障です。
高村幸太郎さんは、
小説家であり、
詩人のようなんですけれども、
そんなに
その幸太郎さんが奥さんの
知恵故さんに出会ってから
亡くなっていくまでの
30年間を綴ったのが
この知恵故障ということだそうです。
奥さんの知恵故さんは、
晩年近くなると
統合失調症の症状が現れだし、
自殺未遂を
図ったりしたようですが、
最終的に旦那さん、幸太郎さんに
認られて
他界するということのようですね。
その30年がぎゅっと
詰まっているそうです。
文字数は38000字。
詩でもあるので、
2時間は超えると思います。
いくつもの詩が集まった
詩集の題材になっていますね。
ではどうかお付き合いください。
それでは参ります。
知恵故障
人に
嫌なんです
あなたの言ってしまうのが
花より先に実のなるような
種より先に芽の出るような
夏から春のすぐ来るような
そんな理屈に合わない不自然を
どうかしないでいてください。
肩のような旦那様と
丸い字を書くそのあなたと
こう考えてさえ
なぜか私は泣かれます。
小鳥のように臆病で
大風のようにわがままな
あなたがお嫁に行くなんて
嫌なんです
あなたの言ってしまうのが
なぜそうたやすく
さあ何と言いましょう
まあ言わば
その身を売る気になれるんでしょう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああなんという収穫ごとでしょう
まるでそうジシアンの書いた絵が
03:01
鶴巻町へ買い物に出るのです
私は寂しい悲しい
なんという気はないけれど
ちょうどあなたの下すった
あのグロキシニアの
大きな花の腐ってゆくのを見るような
私を捨てて
腐ってゆくのを見るような
空を旅してゆく鳥の
行方をじっと見ているような
波の砕けるあの悲しいやけの心
儚い寂しい
やけつくような
それでも恋とは違います
サンタマリア
違います違います
何がどうとはもとより知らねど
嫌なんです
あなたの言ってしまうのが
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男の
心のままになるなんて
明治45年
7月
ある夜の心
7月の夜の月は
みよポプラーの林に熱をやめり
かすかにただやう
シクラメンの香りは
言葉なき君が唇にすすりなけり
森も道も草も
遠き巷も
言われなき悲しみにもだえて
ほのかに白きため息をはけり
並びゆく
若き二人は手をとりて
黒き土をふめり
見えざる魔人は
甘き酒を傾け
地に轟く修烈車の響きは
人の運命を嘲笑うに似たり
魂はしのびやかに軽憐を起こし
陰土さらさの帯は
やや汗ばみて
俳歌京都の忍黙を続けんとす
心よ
心よ
我が心よ目覚めよ
君が心よ目覚めよ
故は何事を意味するならん
立ちがたく
苦しく
逃れ間惜しく
また甘く
去りがたく
耐えがたく
心よ
心よ
病の床を置き入れよ
その厚刺繍の
香水を振り捨てよ
されど眼に見えるものは
今皆狂おしきなり
七月の夜の月も
見よポプラーの林に
熱をやめり
病よ
我が心は温室の草の上
美しき毒虫のために苛まる
心よ
哀れ何を呼び給おや
今は無言の量する
夜半なるもの
大正元年
八月
世は今意味じき事に悩み
人は日々矢に近く
夜ごとに集いなけり
我ら心の底に涙を満たして
さりげなく笑み交わし
松本楼の庭前に
氷花を味わえば
人は皆意味じき事の噂に眉をひそめ
かすかに耳なれたる
鈴の音す
我ら僅かに語り
痛く鋭く強く
06:02
是非なき
夏の夜の氷花の心を嘆き
冷たき銀器を見つめて
君の小さき扇を我奪えり
君は
暗き炉房に立ちてすすり泣き
我は物言わんとして物言わず
道行く人は
我らを見て
かの意味じき事に祈りするものとなせり
哀れ哀れ
これもまたある意味じき
悲しみに嘆きのためなれば
よしや姿は色に過ぎたりとも
人よ我らが涙を許したまえ
大正元年
八月
恐れ
いけないいけない
静かにしているこの水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない
一滴の水の微震も
無益な千万の波動を
費やすのだ
水の静けさを
とうとんで静寂の値を
測らなければいけない
あなたはその先を
私に話してはいけない
あなたの今言おうとしていることは
世の中の最大危険の一つだ
口から外へ出さなければいい
出せばすなわち雷火である
あなたは女だ
男のようだと言われても
やはり女だ
あの青黒い空に汗ばんでいる
丸い月だ
世界を夢に導き
刹那を永遠に置き換えようとする月だ
それでいい、それでいい
その夢を現に返し
永遠を刹那に振り戻してはいけない
その上
この澄みきった水の中へ
そんな危ないものを投げ込んではいけない
私の心の静寂は
血で買った宝である
あなたには分かりようのない血を
犠牲にした宝である
この静寂は私の命であり
この静寂は私の神である
しかも
気密かしい神である
夏の夜の食欲にさえも
なお激しい情乱を引き起こすのである
あなたはその一点に
手を触れようとするのか
いけない、いけない
あなたは静寂の値を計らなければいけない
貫かなければ
非常な覚悟をして
かからなければいけない
その一個の石の起こす波動は
あなたを襲って
あなたをその火中に巻き込むかもしれない
百千倍の打撃を
あなたに与えるかもしれない
あなたは女だ
これに耐えられるだけの力を
作らなければならない
それが適用か
あなたはその先を
私に話してはいけない
いけない、いけない
ご覧なさい
梅園と油じみの停車場も
今はこの月と少し厚苦しいもやとの中に
何か偉大な火を包んでいる
宝像のように見えるではないか
あの青と赤とのシグナルの明かりは
無言と草木との間に
絶大な役目を果たし
遥かに月夜の情緒に歌を合わせている
私は今
何かに囲まれている
09:00
ある雰囲気に
ある不思議な調節を司る
無形な力に
そして最も貴重な平衡を得ている
私の魂は
永遠を想い
私の肉眼は万物に無限の価値を見る
静かに、静かに
私は今
ある力に絶えず触れながら
言葉を忘れている
いけない、いけない
静かにしているこの水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んでは
いけない
大正元年、八月
からくり唄
野時からくりの絵を極めて
幼きをめず
国は道の句、日本松の絵
赤のレンガの
酒蔵を越えて
酒の泡からひょっこに生まれた
酒のようなる、よいそれ
女が逃げたえ
逃げたその酒は
吉祥寺
銅製品になる吉祥寺
阿部熊川の絵
水もこの日は
消せなんだとね
酒と水とはつんつれ
本に仇同士じゃえ
酒とね
水とはね
大正元年、八月
あるよい
ガスの暖炉に火が燃える
烏龍茶、風
細い夕月
それだ、それだ
それが世の中だ
彼らの欲する真面目とは
礼服のことだ
人口を天然に加えることだ
直立不動の姿勢のことだ
彼らは自分らの心を
世の中の土作さ紛れに
失くしてしまった
かつて裸体のままでいた
礼壇自治の心を
あなたはこれを見て
何も不思議があることはない
それが世の中というものだ
心に多くの俗念を抱いて
眼前死跡の間を見つめている
嫌な冷酷な人間の集まりだ
それゆえ真実に生きようとするものは
昔から今でも
この先も
かえって真摯でないとせられる
あなたの受けたような迫害を受ける
卑怯な彼らは
また誠意のない彼らは
はじめ脅威の声を発して我らを眺め
ありとある雑言を歌って
彼らの暇な時間を潰そうとする
誠意のない彼らは
事件の人間を差し置いて
ただ事件の倒退をいじくるばかりだ
いや死ぬべきは世の中だ
はずべきはその家畜の
歪人だ
我らは成すべきことを成し
進むべき道を進み
自然の規定を問うとんで
行従座が我らの思うところと
自然の定律と相戻らない境地に
至らなければならない
最善の力は自分らを信ずるところにのみある
カエルのような
醜い彼らの姿に驚いてはいけない
むしろその姿に
グロテスクの美をご覧なさい
彼らはただ愛する心を味わえばいい
12:00
あらゆる紛糾を破って
自然と自由とに生きねばならない
風の吹くように
雲の飛ぶように
必然の理法と内心の要求と
英知の暗示とに嘘がなければいい
自然は賢明である
自然は最新である
半端者のような彼らのために
心を悩ますのはおよしなさい
さあまた銀座で
しっそな飯でも食いましょう
大正元年 十月
フクロウの俗
聞いたか聞いたか
ボロスケボウボウ
軽くしてせきなき
人の口の歯
森の暗闇に棲む
フクロウの黒き毒に染みたる声
血また時々とに響き
我が耳を襲いて耐えがたし
我が耳はやいんに痛みて
心に映る君が
映像を悲しみうかがう
軽くしてせきなきは
悪しき鳥のさが鳴り
聞いたか聞いたか
ボロスケボウボウ
斧が声の
かしましき反響に喜び
友より友に伝説を伝えて誇る
フクロウの俗 悪しき友柄
我は彼らよりも
強しと思えど
彼らは我よりも多弁にして
暗示にとみたる目と
物を憎する言語とを譲せり
されば軽くしてせきなき
その声の響きの悩ましさよ
聞くに絶えざる
俗鳥は君と我との心を取りて
不倫と滑稽との境に
偽善とす
呪われたる者 フクロウの俗
悪しき友柄よ
されど我が心を狂おしむるは
むしろかかる愚かしき悩ましさなり
声はまたも来る
またも来る
聞いたか聞いたか ボロスケボウボウ
大正元年 十月
郊外の人に
我が心は今大風のごとく君に迎えり
愛人よ
今は青き魚の肌に染みたる
寒き夜も吹け渡りたり
されば安らかに郊外の家に眠れかし
幼子の誠こそ君の全てなれ
あまり清く透き通りたれば
これを見る者
皆悪しき心を捨てけり
また良きと悪しきとは
追う所なくその前に現れたり
君こそは下に小よなき
さばきのつかさなれ
けがれ果てたる我が
数々の姿の中に
幼子の誠もて
君は尊き我が我をこそ見出つれ
君の見出つる者を我は知らず
ただ我は君を小よなき
さばきのつかさとすれば
君によりて心喜び
我が知らぬ我の
我が暖かき肉の家に
こもれるを信ずるなり
冬なれば欅の葉も落ちつくしたり
音もなき夜なり
我が心は今大風のごとく
君に迎えり
そは地の底より湧きいずる
15:00
尊く柔らかき入湯にして
君が清き肌のくまぐまを
残りなく浸すなり
我が心は君の動くがままに
跳ね踊り
常に君を守ることを忘れず
愛人よ
子は類なき命の冷静なり
去れば君は安らかに眠れかし
悪人のごとき
寒き寒き冬の夜なれば
今は安らかに郊外の家に眠れかし
幼子のごとく眠れかし
大正元年
11月
冬の朝の目覚め
冬の朝なれば
淀の川も薄く凍りたるべし
我は白き毛布に包まれて
我が寝部屋の内にあり
キリストに洗礼を施す
ヨハネの心を
ヨハネの首を抱きたる
猿を埋めの心を
我は我が心の中に求めんとす
冬の朝なれば
巷より
つつましくカラコロと下駄の音も響くなり
大きなる自然こそは
我が全身の所有なれ
静かに巡る天光のごとく
我も歩むべし
鋭きもつかの香りは
蘇りたる精霊のごとく
眼を見張り
何処よりか部屋の中に忍び入る
我はこの時むしろ
数理学者の冷静をもて
世人の形づくる
社会の波動に
怪しき隠立の巡るを知る
起きよ我が愛人よ
冬の朝なれば
郊外の家にも日踊りはつとにき
泣くべし
我が愛人は今黒き眼を開きたらん
幼子のごとく手を伸ばし
朝の光を喜び
小鳥の声を笑うならん
かく思う時
我は絶えがたき力のために
動かされ白き毛布を打ちて
愛の褒め歌を歌うなり
冬の朝なれば
心いそいそと励み
また高く叫び
清らかにして強き生活を思う
青き琥珀の空に
見えざる金粉像
漂うなる
ポインターのほゆる声と
北来たれば
ものを求むる我が周壁は古いたち
たちまちに
また我が愛人を恋ふるなり
冬の朝なれば
夜段の川に氷をかまむ
大正元年
十一月
深夜の雪
暖かいガス暖炉の火はほのかな音を立て
締め切った書斎の電灯は
静かにやや疲れ気味の二人を照らす
宵からの曇り空が雪に変わり
さっき窓から見れば
もう一面に白かったが
ただ音もなく降りつもる雪の重さを
地上と屋根と
二人の心とに感じ
むしろ楽しみを包んで
柔らかいその重さに
18:00
世界は息を潜めて子供心の目を見張る
これみや
もうこんなに積もったぜ
と滲んだ声が遠くに聞こえ
やがてポンポンと下駄の歯をはたく音
あとはだんまりの夜も
十一時となれば話の種さえ切れ
紅茶も物多く
ただ二人手を取って
恋のないこの世の中に深い心に耳を傾け
流れ渡る時間の姿を見つめ
ほんのり汗ばんだ顔は
やすらかさに満ちて
ありとある人の感情をも
たやすく受け入れようとする
またポンポンポンと
はたく音の後ろから
車らしい何かの響き
ああごらんなさい
あの雪と私が言えば
答える人はたちまち
童話の中に行き始め
かすかに口を開いて雪を喜ぶ
雪も深夜を喜んで
数限りもなく降り積もる
あたたかい雪
しんしんと身に迫って
重たい雪が
大正二年二月
ひとに遊びじゃない
暇つぶしじゃない
あなたが私に会いに来る
絵も描かず本も読まず
仕事もせず
そして二日でも三日でも
笑い戯れ飛び跳ね
また抱きさんざ時間を縮め
数日を一瞬に果たす
ああけれどもそれは遊びじゃない
暇つぶしじゃない
満ち溢れた我らの
余儀ない命である
精である力である
浪費に過ぎ肩に走るもののように見える
八月の自然の豊富さを
あの山の奥に
花咲き朽ちる草ぐさや
声を発する日の光や
無限に動く雲の群れや
あり余る雷鳴や
雨や水や
緑や赤や青や黄や
世界に吹き出る勢力を
無駄遣いとどうして言えよ
あなたは私に踊り
私はあなたに歌い
刻々の生をいっぱいに歩むのだ
本を投げ打つ刹那の私と
本を開く刹那の私と
私の量は同じだ
空疎な精霊と
空疎な優雅とを
私に関して連想してはいけない
愛する心の
はち切れた時
あなたは私に会いに来る
全てを捨て全てを乗り越え
全てを踏みにしりまた
危機として
大正二年二月
人類の泉
世界が若々しい緑になって
青い雨がまた降ってきます
この雨の音が
群がり起こる生物の
命の現れとなって
いつも私をたまらなく脅かすのです
そして私の
生きり立つ魂は
私を乗り越え私を逃れて
ズンズンと私を作っていくのです
今死んで
今生まれるのです
21:01
二時が三時になり
青葉の先からまたも若葉の思い出すように
今日もこの魂の
加速度を自分ながら胸いっぱいに
感じていました
そして極度の静寂を
保ってじっと座っていました
自然と涙が流れ
抱きしめるように
あなたを思いつめていました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番確かに
私の心を握り
あなたこそ私の憎心の通列を
奥底から分かつのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり残酷に人間の孤独を
味わってきたのです
恐ろしい夜明けの境にまで
飛び込んだのをあなたは知っています
私の命を根から見てくれるのは
私を全部に
返してくれるのは
ただあなたです
私は
自分の行く道のピオニエです
私の正しさは
草木の正しさです
ああ、あなたはそれを生きた目で
見てくれるのです
もとよりあなたはあなたの命を持っています
あなたは海水の流動する力を
持っています
あなたが私にあることは
微笑が私にあることです
あなたによって私の命は
複雑になり豊富になります
そして孤独を知りつつ
孤独を感じないのです
私は今生きている社会で
もう万人の通る通路から
数歩自分の道に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ
互いにある部分を了解し合う
友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
これは自然であり
また必然であるのですから
そしてこの孤独に
満足さえしようとするのです
けれども私にあなたがないとしたら
ああそれは想像もできません
想像をするのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたのうちには
大きな愛の世界があります
私は人から離れて
孤独になりながら
あなたを通じて再び
人類の生きた規則に接します
ヒューマニティの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向かうのです
深い遠い人類の泉に
肌を浸すのです
あなたは私のために生まれたのだ
私にはあなたがある
あなたがある
大正2年3月
僕ら
僕はあなたを思うたびに
一番直に永遠を感じる
僕がありあなたがある
自分はこれに尽きている
僕の命とあなたの命とが
よれあいもつれあいとけあい
混沌とした始めに変える
すべての差別味は
僕らの間に価値を失う
僕らにとってはすべてが絶対だ
そこには
世に言う男女の戦がない
信仰と経験と恋愛と
自由とがある
24:00
そして大変な力と権威とがある
人間の一端と多端との
融合だ
僕はちょうど自然を信じきる心やすさで
僕らの命を信じている
そして
世間というものを蹂躙している
頑固な浴場に打ち勝っている
二人は
遥かにそこを乗り越えている
僕は自分の痛さが
あなたの痛さであることを感じる
僕は自分の心よさが
あなたの心よさであることを感じる
自分を頼むように
あなたを頼む
自分が伸びていくのは
あなたが育っていくことだと思っている
僕はいくら早足に歩いても
あなたを置き去りにすることはないと
信じ安心している
僕が
活力に満ちているように
あなたは若々しさに輝いている
あなたは火だ
あなたは僕に古くなればなるほど
新しさを感じさせる
僕にとってあなたは新規の無人像だ
すべての枝葉を
取り去った現実の塊だ
あなたの切片は
僕に潤いを与え
あなたの抱擁は僕に極人の地味を与える
あなたの冷たい手足
あなたの重たく
まろい体
あなたの輪行のような皮膚
その四肢胴体を貫く生き物の力
これらはみな
僕の最良の命の糧となるものだ
あなたは僕を頼み
あなたは僕に生きる
それがすべて
あなた自身を生かすことだ
僕らは命を惜しむ
僕らは休むことをしない
僕らは高く
どこまでも高く
僕らを押し上げてゆかないではいられない
伸びないでは
大きくなりきらないでは
深くなり通さないでは
なんという光だ
なんという喜びだ
大正二年十二月
愛の端尾
底の知れない肉体の欲は
揚げ潮時の恐ろしい力
なお燃え立つ汗ばんだ日に
サラマンドラはてんてんと踊る
降りしきる雪は
深夜にボウルニュプシアルの
宴をあげ
弱幕とした空中の歓喜を叫ぶ
我らは
世にも美しい力に砕かれ
この時神密の流れに身を浸して
生きり立つ
薔薇色の靄に息づき
インダラモーの朱玉に照り返して
我らの命を無尽に射る
冬に潜む溶岩の魔力と
冬に恵む霜絶えの聖熱と
すべての内に燃えるものは
時の脈拍とともに脈打ち
我らの全身に
甲骨の電流を響かす
我らの皮膚はすさまじく目覚め
我らの内臓は生存の木に乗た討ち
毛髪は蛍光を発し
指は独自の生命を得て
五体に這いまつわり
言葉を蔵した混沌の誠の世界は
たちまち我らの上に
その姿を表す
27:01
光に満ち幸に満ち
あらゆる差別は一温に巡り
毒薬と甘露とはその箱を同じくし
耐え難い頭痛は
身をよじらしめ
極陣の砲越は不可思議の迷路を輝かす
我らは雪に暖かく埋もれ
天然の訴中にとろけて
果てしない地上の愛憂を貪り
遥かに我らの命を褒め讃える
大正三年二月
晩餐
死刑を喰らった土砂降りの中を
濡れネズミになって買った米が一升
二十四千五輪だ
クセラのひものを五枚
たくあんを一本
生姜の赤漬け
卵はとやから
海苔は鋼鉄を打ちのべたようなやつ
さつま揚げ
鰹の塩から
胃をたぎらしてガキ道のように喰らう
我らの晩餐
吹き募る嵐は
河原にぶつけて
やなり振動の桁魂しく
我らの食欲は眼圏に進み
ものを喰らいて
骨が血となす本能の力に迫られ
やがて鋒慢の甲骨に入れば
我ら静かに手をとって
心に限りなき喜びを叫び
かつ祈る
日常のさじに命あれ
生活のくまぐまに
緻密なる光彩あれ
我らのすべてに
あふれこぼれるものあれ
我ら常に満ちよ
我らの晩餐は
嵐よりも激しい力を帯び
我らの食後の倦怠は
不思議な肉欲を目覚ましめて
豪雨の中に燃え上がる
我らの五体を
三端せしめる
貧しい我らの晩餐はこれだ
大正三年
四月
陰森 女は退院
我も退院
あかず我らは愛欲に光る
獣王無下の陰森
夏の夜のむんむんと
蒸しあがる 瑠璃
穀室の大気に魚鳥と化して踊る
作るなし
我ら共に長本
常に尋常菊の網目を破る
我らが力の源は
常に創世紀の混沌に発し
歴史はその果実に生きて
その時功をめす
されば人間世界の正常は
我ら厳然の一点に集まり
我らの大は
無変才に満ちる
陰森は胸をついて
我らを意気堂らしめ
万物を背せしめ 肉心を飛ばしめ
我ら大声を放って
無理の栄光に欲す
女は大胤
我も大胤
胤を深めてゆくところを知らず
万物をここに示す
我らますます大胤
至日のことし 列列
大正三年 八月
塾下の二人
道の句の
あたたらがはらの日本松
松の寝方に人立てる海湯
30:02
あれがあたたら山
あの光るのが阿部熊川
こうやって
言葉少なに座っていると
うっとり眠るような頭の中に
ただ遠い夜の松風ばかりが
薄緑に吹き渡ります
この大きな冬の始めの野山の中に
あなたと二人静かに燃えて
手を組んでいる喜びを
下を見ているあの白い雲に
隠すのを愛しましょう
あなたは不思議な先端を
魂の壺に喰いらせて
ああ なんという
有名な愛の海底に
人を誘うことか
二人一緒に歩いた十年の季節の
展望はただあなたの中に
如人の無限を見せるばかり
無限の境に
煙るものこそこんなにも
上位に悩む私を清めてくれ
こんなにも苦渋を身に追う私に
爽やかな若さの泉を注いでくれる
むしろ魔物のように
捉えがたい妙に変幻するものですね
あれがあたたら山
あの光るのが阿部熊川
ここはあなたの
生まれた故郷
あの小さな白壁の点々が
あなたの家の酒蔵
それでは足をのびのびと投げ出して
このがらんと晴れ渡った
北国の木の花に満ちた空気を吸おう
あなたそのもののような
このひいやりと心よい
すんなりと弾力ある雰囲気に
肌を洗おう
私はまた明日遠く去る
あの無礼の都
混沌たる哀憎の渦の中へ
私の恐れるしかも
執着深いあの人間喜劇のただ中へ
ここはあなたの生まれた故郷
この不思議な
別故の憎しんを生んだ天地
まだ松風が吹いています
もう一度この冬の初めの
もの寂しいパノラマの地理を
教えてください
あれがあたたら山
あの光るのが阿部熊川
大正十二年三月
恐本する牛
あああなたがそんなに
怯えるのは今のあれを見たのですね
まるで通り魔のように
この宮間の薪の林を
轟かしてこの深い
若幕の境にあんななだれを
巻き起こして今はもうどこかへ行ってしまった
あの恐本する
牛の群れを
今日はもうよしましょう
かきかけていたあの穂高の三角の屋根に
もうテールブエルトの雲が出ました
槍の氷を
溶かしてくるあのセルリアンの
アズサ川にもう山々が
かぶさりました
谷の白羊が遠く風になびいています
今日はもう覚悟をよして
この人石絶えた深淵を怪我さぬほどに
また好きな焚火をしましょう
天然が綺麗に吐き清めた
この苔の上にあなたも静かに
お座りなさい
あなたがそんなに怯えるのは
どっと逃げる目牛の群れを追いかけて
もの恐ろしくも
生きせき切った血まみれの若い
あの変貌したお牛を見たからですね
33:02
けれどこの光合しい山神に見た
あの露骨な獣声を
いつかはあなたも哀れと思う時が来るでしょう
もっと多くのことを好みに知って
いつかは静かな愛に
微笑みながら
大正十四年六月
工場の泥を凍らせてはいけない
知恵子よ
夕方の台所がいかに寂しかろうとも
石炭は炊こうね
寝部屋の毛布が薄ければ
上に座布団を乗せようとも
夜明けの寒さに工場の泥を凍らせてはいけない
私は冬の熱の晩
水銀柱の物見を放って
あの北風に逆襲しよう
少しばかり正月が寂しかろうとも
知恵子よ石炭は炊こうね
大正十五年二月
生酢
たらいの中でぴしゃりと跳ねる音がする
夜が更けると
さすがの刃が冴える
木を削るのは
冬の夜の北風の仕事である
暖炉に入れる石炭がなくなっても
生酢よお前は氷の下で
むしろ莫大な夢を食うか
檜の木っぽは私の眷属
知恵子は貧に驚かない
生酢よ
お前のヒレに剣があり
お前の尻尾に触角があり
お前のアギトに黒軽の福林があり
そしてお前の楽天に
そんな石頭があるというのは
なんと面白い私の仕事への挨拶であろう
風が落ちて板の間に乱の匂いがする
知恵子は寝た
私は掘りかけの生酢を
そばへ押しやり
土水を新しくして
さらに鋭い明日のさすがを
りゅうりゅうと研ぐ
大正十五年二月
夜の二人
私たちの最後が菓子であろうという予言は
しとしとと雪の上に降る
みぞれ混じりの雨の夜のいったことです
知恵子は
人並外れた覚悟の良い女だけれど
まだ菓子よりは
火あぶりの方を望む中世紀の夢を持っています
私たちは
すっかり黙って
もう一度雨を聞こうと耳を澄ました
少し風が出たと見えて
薔薇の枝が窓ガラスに爪を立てます
大正十五年三月
あなたはだんだんきれいになる
女が付属品をだんだん捨てると
どうしてこんなにきれいになるのか
都市で現れたあなたの体は
無変彩を飛ぶ天の金属
見えも外分も天で刃の立たない
中身ばかりの精烈な生き物が
生きて動いて
さつさつと意欲する
女が女を取り戻すのは
こうした正規の修行によるのか
あなたが黙って立っていると
誠に神の作りし者だ
時々内心驚くほど
36:01
あなたはだんだんきれいになる
昭和二年一月
あどけない話
知恵子は東京に空がないと言う
本当の空が見たいと言う
私は驚いて空を見る
桜若葉の間にあるのは
切っても切れない
昔なじみのきれいな空だ
どんよりけめる地平のぼかしは
薄桃色の朝の湿りだ
知恵子は遠くを見ながら言う
あたたら山の山の上に
毎日出ている青い空が
知恵子の本当の空だと言う
あどけない空の話である
昭和三年五月
同棲同類
私は口を結んで粘土をいじる
知恵子は
トンから旗を織る
ネズミは床にこぼれた南京豆を
取りに来る
それをスズメが横取りする
カマキリは
物干し綱に鎌を研ぐ
ハエトリグモは三段飛び
掛けた手ぬぐいは一人でじゃれる
郵便物がガチャリと落ちる
時計は昼寝
鉄瓶も昼寝
不要な葉は舌をたらす
図芯と小さな地芯
油蝉を
伴奏にしてこの一軍の
同棲同類の頭の上から
四五線上の大火弾が
松坂様にガッと照らす
昭和三年八月
美の冠錦に手渡すもの
納税告知書の
赤い手触りが田元にある
やっとラジオから解放された
寒夜の風が道路にある
売ることの理不尽
贖い得るものは
所有し得るもの
所有は隔離
美の冠錦に手渡すもの
我 両立しない造形の
秘技と貨幣の強引
両立しない創造の喜びと
不幸鈍食の苦さ
ガランとした家に待つのは
知恵子粘土および
骨葉
懐のたい焼きはまだほのかに熱い
潰れる
昭和六年三月
人生延死
足元から鳥が立つ
自分の妻が凶器する
自分の着物がボロになる
小尺距離三千メートル
ああ
この鉄砲は長すぎる
昭和十年一月
風に乗る知恵子
狂った知恵子は口を聞かない
ただ尾長や千鳥と合図する
暴風林の丘続き
一面の松の花粉は黄色く流れ
サスキバレの風に
九重栗の浜は煙る
知恵子の浴衣が松に隠れ
39:01
また現れ
白い砂には小炉がある
私は小炉を拾いながら
ゆっくり知恵子の跡を追う
尾長や千鳥が知恵子の友達
もう人間であることをやめた知恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は
絶好の遊歩場
知恵子飛ぶ
昭和十年四月
千鳥と遊ぶ知恵子
ひとっこひとりいない九重栗の砂浜の
砂に座って知恵子は遊ぶ
無数の友達が知恵子の名を呼ぶ
ちいちい
ちいちいちい
砂に小さな足跡をつけて
知恵子が知恵子に寄ってくる
口の中でいつでも何か言っている知恵子が
両手を挙げて呼び返す
ちいちいちい
両手の貝を知鳥がねだる
知恵子はそれをパラパラ投げる
群れ立つ知鳥が知恵子を呼ぶ
ちいちい
ちいちいちい
人間商売さらりとやめて
もう天然の向こうへ行ってしまった知恵子の
後ろ姿がポツンと見える
二丁も離れた
ぽうふう林の夕日の中で
松の花粉を浴びながら
私はいつまでも立ち尽くす
昭和十二年 七月
愛がたき知恵子
知恵子は見えないものを見
聞こえないものを聞く
知恵子はいけないところへ行き
できないことをする
知恵子はうつしみの私を見ず
私の後ろの私に焦がれる
知恵子は苦しみの重さを今は捨てて
限りない黄箔の美意識圏にさまよいでた
私を呼ぶ声をしきりに聞くが
知恵子はもう人間界の切符を持たない
昭和十二年 七月
三六の二人
二つに裂けて傾く万代山の裏山は
険しく八月の頭上の空を見張り
裾の遠くなびいて波打ち
鈴木ぼうぼうと人をうずめる
中は狂える妻は草を敷いて座し
私の手に重く持たれて
泣きやまぬ童女のように同国する
私 もうじきダメになる
意識を襲う宿命の鬼にさらわれて
逃れる道なき魂との別離
その不恰好の予感
私 もうじきダメになる
涙に濡れた手に山風が冷たくふれる
私は黙って妻の姿に見える
意識の境から最後に振り返って私にすがる
この妻を取り戻す術が今は世にない
42:00
私の心はこの時二つに裂けて脱落し
激として二人を包むこの天地と一つになった
昭和十三年六月
ある日のおき
水木の横物を書き終えて
その乾くのを待ちながら立って見ている
上高地から見た前穂高の岩のまんまく
墨のにじんだ明神岳のピラミッド
作品は時空を滅する
私の顔に天井から霧が吹きつけ
私の精神にいささかの条件反射の跡もない
乾いたからかみはたちまち風に吹かれて
このお化け屋敷の板の間に波を打つ
私はそれを巻いて小包みに作ろうとする
一切の苦難は心に目覚め
一切の悲嘆は身内に返る
知恵こ狂いてすでに六年
生活の試練
瓶髪ために白い
私は手を休めて水作りの新聞に見入る
そこにあるのは写真であった
そそり立つ路山に向かって
無言に並ぶ野方の列
昭和十三年八月
レモン愛か
そんなにもあなたはレモンを待っていた
悲しく白く明るい死のとこで
私の手から取った一つのレモンを
あなたのきれいな歯がガリリと噛んだ
トパーズ色の空気が立つ
その数滴の点のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ目がかすかに笑う
私の手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの喉に嵐はあるが
こういう命の瀬戸際に
知恵子は元の知恵子となり
生涯の愛を一瞬に傾けた
それから一時
昔三転でしたような深呼吸を一つして
あなたの気管はそれなり止まった
写真の前に差した桜の花かげに
涼しく光るレモンを今日も置こう
昭和十四年二月
亡き人に
雀はあなたのように夜明けに起きて窓を叩く
鎮盗のグロキシニアはあなたのように黙って咲く
朝風は人のように私の五体を目覚まし
あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい
私は白いシーツをはねて腕を伸ばし
夏の朝日にあなたの微笑みを迎える
今日が何であるかをあなたは囁く
権威あるもののようにあなたは立つ
私はあなたの子供となり
あなたは私の裏若い母となる
あなたはまだいるそこにいる
あなたは万物となって私に満ちる
私はあなたの愛に値しないと思うけれど
あなたの愛は一切を無視して私を包む
45:02
昭和十四年七月
梅酒
死んだ知恵子が作っておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんよりよどんで光を包み
今琥珀の杯に凝って玉のようだ
一人で早春の夜更けの寒い時
これをあがってくださいと
己の死後に残していった人を想う
己の頭の壊れる不安に脅かされ
もうじきダメになると思う悲しみに
知恵子は身の回りの始末をした
七年の狂気は死んで終わった
栗谷に見つけたこの梅酒の香りある甘さを
私は静かに静かに味わう
狂乱怒涛の世界の叫びもこの一瞬を犯しがたい
哀れな一個の生命を生死する時
私はただこれを遠まきにする
夜風も絶えた
昭和15年3月
高齢たる帰宅
あんなに帰りたがっている自分の家へ
知恵子は死んで帰ってきた
10月の深夜のがらんどうなアトリエの
小さな炭の埃を払ってきれいに清め
私は知恵子をそっと置く
この一個の動かない人体の前に
私はいつまでも立ち尽くす
人は屏風を逆さにする
人は食を灯し香を焚く
人は知恵子に化粧する
そうしてことが一人手に運ぶ
夜が明けたり日が暮れたりして
そこら中が賑やかになり
家の中は花に渦巻り
どこかの葬式のようになり
いつの間にか知恵子がいなくなる
私は誰もいない暗いアトリエにただ立っている
外は明月という月夜らしい
昭和16年6月
昭安寺
奥州花巻というひなびた町の
浄土宗の古札昭安寺で
秋のむらさめ降りしきるあなたの命日に
わごとにささやかな報じをしました
花巻の町も
戦火を受けてすっかり焼けた昭安寺は
物置小屋に墨壇を作った
二畳敷のお堂でした
雨が後ろの障子から吹き込み
和尚様の衣の裾さえ濡れました
和尚様は静かな声でしみじみと
肩通りに一枚希少文を読みました
仏を信じて身を投げ出した
昔の人の恐ろしい告白の真実が
今の世でも生きて私を打ちました
限りなき真によって
私のために燃えてしまった
あなたの一生の序列を
この昭安寺の物置御堂の仏の前で
またも悔いるように思い調べました
昭和20年10月
48:03
報告 知恵子に
日本はすっかり変わりました
あなたの身ぶるいするほど嫌がっていた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました
すっかり変わったといっても
それは他力による変革で
日本の再教育と人は言います
内からの爆発であなたのように
あんな生き生きした新しい世界を
命にかけて真から望んだ
そういう自力で得たのでないことが
あなたの前では恥ずかしい
あなたこそ誠の自由を求めました
求められない鉄の囲いの中にいて
あなたがあんなに求めたものは
結局あなたをこの世の意識の外に追い
あなたの頭を壊しました
あなたの苦しみを今こそ思う
日本の形は変わりましたが
あの苦しみを持たない我々の変革を
あなたに報告するのは辛いことです
昭和22年6月
噴霧的な夢
あのシャレた登山電車で
知恵子と二人
ベズビオの噴火口を覗きに行った
夢というものは香料のように微粒的で
知恵子は二十代の噴霧で
濃厚に私を包んだ
細い竹筒のような望遠鏡の先からは
ガスの火がジェットプレーンのように吹き出ていた
その望遠鏡で見ると富士山が見えた
お鉢の底に何か面白いことがあるようで
お鉢の周りのスタンドに人がいっぱいいた
知恵子は富士山陸の秋の七草の花束を
ベズビオの噴火口に深く投げた
知恵子はほのぼのと美しく清浄で
しかも限りなき枠敵に満ちていた
あの山の水のように透明な魚体を燃やして
私にもたれながら崩れる砂を踏んで歩いた
そこら一面がポムペイヤンの香りにむせた
昨日までの私の全存在の違和感が消えて
午前五時の爽やかな山の小屋で目が覚めた
昭和二十三年九月
もしも知恵子が
もしも知恵子が私と一緒に岩手の山の原始の息吹に包まれて
今六月の草木の中のここにいたら
ゼンマイの綿帽子がもう取れて
奇跡霊が井戸に来る山の小屋で
殺しの夏がこれから始まる
洋々とした季節の朝のここにいたら
知恵子はこの三畳敷で目を覚まし
両手を伸ばして吹き入るオゾンに身内を洗い
やっぱり二十代の声を上げて
十本一本の抹茶を洗い
杉の枯葉に火をつけて
井戸裏の鍋でうまい茶買いを見るでしょう
51:00
畑のキヌサヤエンドをもぎってきて
サファイア色の朝の食事に興じるでしょう
もしも知恵子がここにいたら
欧州南部の山の中の一軒家が
たちまち真空管の気候となって
無数の強いエレクトロンを飛ばすでしょう
昭和二十四年三月
元祖知恵子
知恵子はすでに元祖に帰った
私は心霊独尊の理を信じない
知恵子はしかも実存する
知恵子は私の肉にいる
知恵子は私に密着し
私の細胞に輪火を燃やし
私と戯れ
私を叩き
私を老いぼれの餌食にさせない
精神とは肉体の別の名だ
私の肉にいる知恵子は
そのまま私の精神の極北
知恵子は声なき審判者であり
家に知恵子が眠るとき私は過ち
耳に知恵子の声を聞くとき私は正しい
知恵子はただ危機として飛び跳ね
私の全存在を駆け巡る
元祖知恵子は今でもなお
私の肉にいて私に笑う
昭和二十四年十月
メトロポール
知恵子が憧れていた深い自然の真っ只中に
運命の曲折は私を叩き込んだ
運命は生きた知恵子を都会に殺し
都会の子である私をここに置く
岩手の山は荒々しく美しく混じり気なく
私を囲んで過食しない
虚偽と優雑とは心土壌に生存できず
私は自然のように一刻を争い
ただ善良を投げて前進する
知恵子は死んで蘇り
私の肉に宿ってここに生き
格の如き三千草木にまみれて喜ぶ
変幻極まりない宇宙の現象
天変限りない世代の起伏
それをみんな知恵子が受け止め
それを私が触知する
私の心は賑わい
山林湖生と人の言う
小さな山小屋の囲炉裏にいて
ここを地上のメトロポールと一人思う
昭和二十四年十月
らけえ
知恵子のらけえを私は乞う
つつましくて満ちていて
星宿のように震源で
山脈のように波打って
いつでも薄いミストがかかり
その造形の目納出に
多くの知れない艶があった
知恵子のらけえの背中の
小さなほくろまで
私は意味深く覚えていて
今も記憶の歳月に磨かれた
その全存在が明滅する
私の手でもう一度
あの造形を生むことは
自然の定めた約束であり
そのために私に肉類が与えられ
そのために私に畑の野菜が与えられ
54:02
米と小麦とバターとが許される
知恵子のらけえをこの世に残して
私はやがて天然の疎中に帰ろう
昭和二十四年十月
案内
山城あれば寝られますね
あれが水やこれが井戸
山の水は山の空気のように美味
あの畑が三世
今はキャベツの前世です
この森林が八塚の並木で
小屋の周りは栗と松
坂を上るとここが三原市
展望二重売南に開けて
左が北上三景
右が覆う国境三脈
真ん中の平野を北上側が縦に流れて
あの霞んでいる月あたりの辺が
金河山沖ということでしょう
知恵さん気に入りましたか
好きですか
後ろの山続きが独我森
そこにはカモシコも来るし
クマも出ます
知恵さんこういうところ好きでしょう
昭和二十四年十月
あの頃
人を信ずることは人を救う
かなり不良性のあった私を
知恵子は頭から信じてかかった
いきなりうち懐に飛び込まれて
私は自分の不良性を失った
私自身も知らない何者かが
こんな自分の中にあることを知らされて
私はたじろいだ
少し面食らって立ち直り
知恵子の真面目な純粋な
息もつかない肉白に
ある日はっと気がついた
私の目から珍しい涙が流れ
私は改めて知恵子に向かった
知恵子はにこやかに私を迎え
その正常な甘い香りで私を包んだ
私はその甘美によって一切を忘れた
私の猛獣性をさえものともしない
この天の俗なる一女性の不可思議力に
無礼の私は初めて事故の一を知った
昭和24年 秋月
吹雪の夜の独白
外では吹雪が荒れ狂う
こういう夜にはネズミも来ず
部落は遠く寝静まって
ひとっこひとり山にはいない
囲炉裏に大きな熱光を投じて
見事な大きな火を燃やす
67年という生理のゆえに
今ではよほど楽だと思う
あの浴場のある限り
本当の仕事は苦しいな
美術という仕事の多くは
そういう非常を要求するのだ
まるでなければ話にならんし
よくよく知って今はないというのがいい
仮に知恵子が今出てきても
大いにはしゃいで笑うだけだろ
厳しい非常の内側から
あるともなしに匂うものが
57:01
あの深淵というやつだろ
老いぼれでは困るがね
昭和24年10月
知恵子と遊ぶ
知恵子の書材はA次元
A次元こそ絶対現実
岩手の山に知恵子と遊ぶ
夢幻の生の真実
フレンチ平原にキノコは生えても
知恵子の遊びに変わりはない
二号の飯は今日のままごと
牛のしっぽにニラを刻む
強敵ヌカガと戦いながら
山瀬の畑に命を託す
アバラボネに霧は刺され
廃棄種噴射の止めどない石
造形は自然の中軸
この世の存在の死根
クワ・ノン
一切は知恵子A次元の少余裕
遊ぶとき人はわずかに
癒しくなくなる
昭和26年11月
報告
あなたの嫌いな東京へ
山から今度来てみると
生まれ故郷の東京が
文化のガラクタに埋もれて
足の踏み場もないようです
人川かぶせたアスファルトに
無用のタキシが充満して
人は南に行こうとすると
結局北に行かされます
空には爆音
地にはラウドスピーカー
鼓膜を鋼で張り詰めて
石のない不生産的生き物が
他国のチリンチリン的廃物を
ガツガツ食べて得意です
あなたの嫌いな東京が
私も嫌いになりました
仕事ができたらすぐ山へ帰りましょう
あの清潔なモラルの天地で
もう一度新鮮無比なあなたに会いましょう
昭和27年11月
歌6首
ひたむきにむしゃぶりつきて仕事する
われをさびしと思うな知恵子
きちがいというおどろしき言葉もて
人は知恵子を呼ばんとすなり
一面に松の花粉は浜を飛び
知恵子尾長の友柄となる
わが仕事
いのち傾けてなる際を
知恵子は知りき知りていたみき
この家に知恵子の息吹みちて残り
ひとり目つぶる青いねしめず
幸太郎知恵子は類いなき夢を
気づきて昔ここに住みに行き
知恵子の反省
妻知恵子が南品川税務津坂病院の15号室で
1:00:03
精神分裂症患者として
俗流性肺結核で死んでから
瞬日で満2年になる
私はこの世で知恵子にめぐり逢ったため
彼女の純愛によって正常にされ
以前の敗退生活から救い出されることができた
経歴を持っており
私の精神は一時にかかって
彼女の存在そのものの上にあったので
知恵子の死による精神的打撃は実に激しく
一時は自己の芸術的製作さえ
その目標を失ったような空虚感に
取り憑かれた幾ヶ月間を過ごした
彼女の生前
私は自分の製作した彫刻を
南美戸よりも先に彼女に見せた
一日の製作の終わりにも
それを彼女と一緒に検討することが
この上もない喜びであった
また彼女はそれを全幅的に受け入れ
理解し熱愛した
私の作った木彫り商品を
彼女は懐に寝て街を歩いてまで愛部した
彼女のいないこの世で
誰が私の彫刻をそのように
子供のように受け入れてくれるであろうか
もう見せる人もいいやしないという思いが
私を幾ヶ月間叶えました
美に関する製作は
公式の理念や壮大な民族意識というようなものだけでは
決して生まれない
そういうものはあるいは製作の主題となり
あるいはその動機となることはあっても
その製作が心の底から生まれ出て
生きた血を持つに至るには
必ずそこに大きな愛のやり取りがいる
それは神の愛であることもあろう
大君の愛であることもあろう
また実に一人の女性の底抜けの純愛であることがあるのである
自分の作ったものを熱愛の目で持って見てくれる
一人の人があるという意識ほど
美術家にとって力となるものはない
作りたいものを必ず作り上げる戦力となるものはない
製作の結果はあるいは万人のためのものともなることがあろう
けれども製作する者の心は
その一人の人に見てもらいたいだけで
すでにいっぱいなのが常である
私はそういう人を妻の知恵子に持っていた
その知恵子が死んでしまった遠ざの空虚感は
それゆえほとんど無の世界に等しかった
作りたいものは山ほどあっても作る気になれなかった
見てくれる熱愛の目がこの世にもう絶えてないことを知っているからである
そういう幾ヶ月の苦闘の後
ある偶然のことから満月の夜に
知恵子はその個的存在を失うことによって
かえって私にとっては
普遍的存在となったのであることを痛感し
それ以来知恵子の息吹を常に身近に感じることができ
いわば彼女は私と共にあるものとなり
私にとっての永遠になるものであるという実感の方が強くなった
私はそうして平静と心の健康等を取り戻し
仕事の張り合いがもう一度出てきた
一日の仕事を終わって制作を眺めるとき
どうだろうと言って後ろを振り向けば
知恵子はきっとそこにいる
彼女はどこにでもいるのである
知恵子が結婚してから死ぬまでの24年間の生活は
愛と生活苦と芸術への精進と矛盾と
そして糖病との簡単なき一連続に過ぎなかった
1:03:03
彼女はそういう渦巻きの中で
宿命的に持っていた精神上の素質のために倒れ
歓喜と絶望と信頼と定感との
欺われた波濤の間に没し去った
彼女の追憶について書くことを
人から幾度か示唆されても
今日までそれを書く気がしなかった
あまり生々しい苦悼の後は
たとえ小さな一隅の生活にしても
筆にするに忍びなかったし
また言わば単なる私生活と報告のようなものに
果たしてどういう意味があり得るかという疑問も
強く心を牽制していたのである
だが今は書こう
できるだけ簡単に
この一人の女性の運命を書き留めておこう
大正昭和の年代に
人知れずこういうことに悩み
こういうことに生き
こういうことに倒れた女性のあったことを書き記して
それを哀れな彼女への
花向けとすることを許させてもらおう
一人に行きはまれば万人に通ずるということを信じて
今日のような時勢の下にも
あえてこの筆を取ろうとするのである
今静かに振り返って
彼女の上を考えてみると
その一生を要約すれば
まず東北地方福島県
日本松町の近在
漆原というところの酒造り
長室間家に長女として明治19年に生まれ
土地の工場を卒業してから
東京目白の日本女子大学校
加勢科に入学
両生活を続けているうちに
洋画に興味を持ち始め
女子大学卒業後
距離の父母の同意を辛うじて得て東京に留まり
太平洋絵画研究所に通学して油絵を学び
当時の信仰画家であった中村常
齋藤よりじ
津田政府の書誌に出入りしてその影響を受け
また一方
その頃平塚雷長女子等の定期した
女子思想運動にも伺わり
雑誌正統の表紙画などを書いたりした
それが明治末年頃のことであり
やがて柳屋彩子女子の紹介で
初めて私と知るようになり
大正3年に私と結婚した
結婚後も油絵の研究に熱中していたが
芸術精進と家庭生活との
似たような
あらわさみとなるような月日もようやく多くなり
その上
六幕を病んで以来しばしば描画を余儀なくされ
後年脅威の家訓を失い
続いて実家の破産に瀕するに遭い
心痛苦慮は一通りでなかった
やがて後年期の
心身変調が元となって精神異常の
兆候が現れ昭和7年
アダリン自殺を図り
幸い薬毒からは免れて
一旦健康を回復したが
その後あらゆる療養をも押し抜けて
徐々に確実に進んでくる
脳細胞の疾患のため
昭和10年には完全に精神分裂症に
捉えられ
その年2月ゼームス坂病院に入院
昭和13年10月
そこで静かに名目したのである
彼女の一生は実に単純であり
純粋に市人的生活に終始し
いささかも社会的
意義を持つ生活に触れなかった
わずかに正当に関係していた
短い期間が社会的接触の
あった時といえば言える程度に過ぎなかった
社会的関心を
思ったばかりでなく
生来社交的でなかった
1:06:02
正当に関係していた頃
いわゆる新しい女の一人として
一部の人たちの間に相当に顔を知られ
長沼千恵子という名が
その仲間の口に時々昇ったのも
実は当時のゴシップ好きの連中が
尾ひれをつけていろいろ面白そうに
献伝したのが因であって
本人はむしろ無口な
非社交的な非論理的な
一途な性格で押し通していたらしかった
長沼さんとは話がしにくいというのが
当時の女友達の本当の意見のようであった
私はその頃
彼女をあまりよく知らないのであるが
津田清風氏が何かに書いていた中に
彼女が高いぬり下駄を履いて
着物の裾を長く引きずるようにして
歩いていたのをよく見かけたというようなことが
あったのを記憶する
そんな様子や口数の少ないところから
なんとなく人が彼女に好奇的な
謎でも感じていたのではないかと思われる
女スイコデンのように
思われたりまた不正好みのように
言われたりしたようであるが
実際はもっと素朴で無頓着であったのだろうと想像する
私は彼女の毎反省を
ほとんど全く知らないと言っていい
彼女について私が知っているのは
紹介されて彼女と知ってから以後のことだけである
現在のことでいっぱいで
以前のことを知ろうとする気も起こらなかったし
年齢さえ実は
後年まで確実には知らなかったのである
私が知ってからの彼女は
実に単純真摯な性格で
心に何か天井的なものをいつでもたたえており
愛と信頼とに全身を投げ出していたような女性であった
生来の勝ち気から
自己の感情はかなり内に抑えていたようで
物腰は穏やかで軽重なふうは見られなかった
自己を乗り越えて進もうとする
気力の強さには時々驚かされることもあったが
またそこに随分無理な努力も
人知れず重ねていたのであることを
今日から考えると推察することができる
その時には分からなかったが
後から考えてみれば結局
彼女の反省は精神病にまで
到達するように進んでいたようである
私とのこの生活では
他に行く道はなかったように見える
どうしてそうかと考える前に
もっと別な生活を想像してみると
例えば生活するのが東京でなくて
郷里あるいはどこかの田園であり
また配偶者が
私のような美術家でなく
美術に理解ある他の職業のもの
つとに農耕牧畜に従事しているような
ものであった場合には
どうであったろうと考えられる
あるいはもっと天然の術を
全く教えたかもしれない
そう思われるほど彼女にとっては
肉体的にすでに東京が不適当の地であった
東京の空気は
彼女には常にむみむみ乾燥でザラザラしていた
女子大で
成瀬校長に奨励され
自転車に乗ったりテニスに熱中したりして
すこぶる元気はつらつたる娘時代を
過ごしたようであるが
卒業後は害してあまり眼見という方ではなく
様子もほっそりしていて
一年の半分近くは田舎や山へ行っていたらしかった
私と同棲してからも
一年に三四ヶ月はきょうりの家に帰っていた
田舎の空気を吸って来なければ
体がもたないのであった
彼女はよく東京には空がないと言って嘆いた
私のあどけない話という
称詞がある
1:09:00
千恵子は東京に空がないという
本当の空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜赤葉の間にあるのは
切っても切れない
昔なじみのきれいな空だ
どんより煙る地平のぼかしは
薄桃色の朝のしめりだ
千恵子は遠くを見ながら言う
あたたら山の山の上に
毎日出ている青い空が
千恵子の本当の空だという
あどけない空の話である
私自身は東京に生まれて
東京に育っているため
彼女の忠誠な訴えを
身をもって感じることができず
彼女もいつかはこの都会の自然に
なじむことだろうと思っていたが
彼女のかかる新鮮な透明な自然への要求は
ついに見終わるまで変わらなかった
彼女は東京にいて
この要求をいろいろな方法で満たしていた
家の周りに生える雑草の
悪なき社生
その植物学的探求
張り出窓でのゆり花や
トマトの栽培野菜類の生食
ベトオフ園の
第六公共学レコードへの
悪劇というようなことは
皆この要求重則の変形であったにそういなく
この一時だけでも反省にわたる
彼女の表現しえない
普段の切なさは想像以上のものであったであろう
その最後の日
死ぬ数時間前に私が持って行った
サンキストのレモンの一果を手にした
彼女の喜びもまた
この一筋につながるものであったろう
彼女はそのレモンに歯を立てて
清しい香りと重液とに
身も心も洗われているように見えた
彼女がついに精神の破綻を来すに至った
さらに大きな原因は
何といってもその猛烈な芸術精進と
私への純真な愛に基づく
日常生活の営みとの間に起こる
矛盾同着の悩みであったであろう
彼女は絵画を熱愛した
女子大在学中
すでに油絵を描いていたらしく
学芸界における
学生劇の背景制作などを
いつも引き受けていたということであり
故郷の両親が初めて反対していたのに
ついに画家になることを承認したのも
その頃描いた祖父の肖像画の出来栄えが
故郷の人たちを驚かしたのによる
という伝えを聞いている
この油絵は私も後に見たが
素朴な中に渋い調和があり
四季花の美しい作であった
卒業後数年間の絵画については
私はよく知らないが
幾遍情緒本位の甘い部分のものでは
なかったかと思われ
その頃のものを彼女は全て破棄してしまって
私には見せなかった
僅かに素描の下書きなどで
私はそれを想像するに過ぎなかった
私と一緒になってからは
主に生物の勉強を続け
幾百枚となく描いた
風景は故郷に帰った時や山などに旅行した時に描き
人物は素描では描いたが
油絵ではついにまだ本格的に描くまでに至らなかった
彼女はセザンヌに傾倒していて
自然とその影響を受けることも強かった
私もその頃は彫刻のほかに油絵も描いていたが
勉強の部屋は別にしていた
彼女は色彩について実に苦しみ悩んだ
そして中途半端な成功を望まなかったので
1:12:01
自虐に等しいと思われるほど
自分自身を責め才なんだ
ある年、故郷に近い五色温泉に夏を過ごして
そこの風景を描いて帰ってきた
他の商品に相当に良いものがあったので
彼女も分店に出品する気になって
他の大幅なものと一緒にそれを搬入したが
観察員の認めるところとならずに落選した
それ以来、いくら進めても
彼女はどこの展覧会やも出品しようとしなかった
自己の作品を公衆に展示することによって
何か家に移籍するものを世に訴え
外に発散せしめる機会を得るということも
美術家には精神の助けとなるものだと思うのであるが
そういうことから自己を家に閉じ込めてしまったのも
精神の内向的傾向を主張したかもしれない
彼女は最善をばかり目指していたので
いつでも自己に不満であり
いつでも作品は未完成に終わった
また事実、その油絵にはまだ色彩に
不十分なもののあることは争われなかった
その素描には素晴らしい力と優雅と思っていたが
油絵の具を十分に克服することが
どうしてもまだできなかった
彼女はそれを悲しんだ
時々は一人、画家の前で涙を流していた
偶然、2階の彼女の部屋に行って
そういうところを見ると
私も言い知れぬ寂しさを感じ
慰めの言葉も出ないことがよくあった
ところで、私は人の想像以上に生活不如意で
震災前後にただ一度
助昼を置いたことがあるだけで
その他は彼女と2人きりの生活であったし
彼女も私も同じような造形美術家なので
時間の使用について
なかなか難しいやりくりが必要であった
互いにその仕事に熱中すれば
1日中2人とも食事もできず
掃除もできず、用事もたせず
一切の生活が低騰してしまう
そういう日々も重なり
結局やっぱり女性である彼女の方が
家庭内の雑事を処理せねばならず
おまけに私が昼間
彫刻の仕事をすれば
夜は食事の板間も惜しく原稿を書く
というようなことが多くなるにつれて
ますます彼女の絵画勉強の時間が
食われることになるのであった
詩歌のような仕事などならば
あるいは頭の中で半分は進めることもでき
かなり冷裁な時間でも利用できるかと思うが
造形美術だけは
ある定まった時間の食われがなければ
体をすることもできないので
この点についての彼女の苦慮は
思いやられるものであった
彼女はどんなことがあっても
私の仕事の時間を減らすまいとし
私の彫刻をかわい
私を雑用から防ごうと
懸命に努力をした
彼女はいつの間にか油絵勉強の時間を
縮小しある時は粘土で彫刻を試みたり
また後には絹糸を紡いだり
それを草木染めにしたり
旗織りを始めたりした
二人の着物や羽織を手織りで作ったのが
今でも残っている
同じ草木染めの権威
山崎武志氏は彼女の死んだ時
朝殿に
裾のところ一筋青き縞を織りて
あてなりし人今はなしや
という歌を書いて贈られた
結局彼女は口に出さなかったが
油絵制作に絶望したのであった
あれほど熱愛して
生涯の仕事と思っていた
自己の芸術に絶望することは
そう容易な心事であるはずがない
後年複読した夜には
1:15:00
隣室に線引き屋から買ってきたばかりの
果物籠が生物風に配置され
画家には新しい画符が
立て掛けられてあった
私はそれを見て胸を疲れた
道国したくなった
彼女は優しかったが勝気であったので
どんなことでも自分一人の胸に納めて
ただ黙って進んだ
そして自己の最高の能力を
常に物に傾注した
芸術に関することはもとより
一般教養のこと
精神上の諸問題についても
突き詰めるだけ突き詰めて考えて
曖昧を許さず妥協を癒しんだ
いわば四六時中
張り詰めていた弦のようなもので
その極度の緊張に耐えられずして
脳細胞が破れたのである
精魂尽きて倒れたのである
彼女の
この内部生活の正常さに
私はいく度清められる思いをしたが知れない
彼女に比べると私は実に
膨漠として濁っていることを感じた
彼女の目を見ているだけで
私は百の教訓以上のものを
監督するのが常であった
彼女の目には確かに
あたたら山の山の上に出ている天空があった
私は彼女の教像を作るとき
この目の及びがたいことを
痛感して自分の汚さを恥じた
今から考えてみても
彼女は到底この世に無事に
生きながらえていられなかった運命を
内部的に持っていたように見える
それほど確実的に
この世の空気と違った世界の中に
生きていた
私は時々なんだか彼女は
仮にこの世に存在している魂のように
思えることがあったのを記憶する
彼女には世間欲というものがなかった
彼女はただひたむきに
芸術と私とへの愛に寄って生きていた
そしていつでも若かった
青春の若さとともに
壮望の若さも著しかった
彼女と一緒に旅行するたびに
行く先々で人は彼女を
私の妹と思ったり娘とさえ思ったりした
彼女には
何かそういう種類の若さがあって
死ぬ頃になっても50歳を超えた女性とは
一見して思えなかった
結婚当時も私は彼女の老年というものを
想像することができず
あなたでもおばあさんになるかしら
と戯れに言ったことがあるが
彼女はその時
私年取らないうちに死ぬわ
と不要意に答えたことがあるのを
覚えている
そうして全くその通りになった
精神病学者の意見では
普通の健康人の脳はずいぶんひどい苦悩にも
耐えられるものであり
精神病に陥る者は大部分何らかの意味で
その素質を先天的に持っているか
または怪我とか悪質とかによって
後天的に持たせられたものである
ということである
彼女の家系には精神病の人はいなかったようであるが
ただ彼女の弟である実家の長男は
かなり上機を逸した素行があり
そのためついに実家は破産し
彼自身は悪質をもやんで
老後に急死した
しかし遺伝的と言えるほど
強い素質がそこに流れていると信じられない
また彼女は
幼児の時
霧石で頭蓋にひどい怪我をしたことがあるということであるが
これもその後
何の故障もなく併癒してしまって
後年の病気に関係があるとも思えない
1:18:02
また彼女が
脳に変調を起こしたとき
医者は私に外国である病気の感染を
受けたことはないかと質問した
私には全くその記憶がなかったし
また私の血液と彼女の血液と
再三検査してもらったが
いつも結果は陰性であった
そうすると彼女の精神分裂症という
病気の起こる素質が
彼女に肉体的に存在したとは
確定しがたいのである
だがまた後から考えると
私が知って以来の彼女の1歳の傾向は
この病気の方へジリジリと
一歩ずつ進んでいたのだともとれる
その純真さえも
定なるものがあったのである
思い詰めれば他の1歳を放棄して悔やまず
いわゆる矢も盾もたまらぬ気象を持っていたし
私への愛と
信頼の強さ深さはほとんど
永寿のそれのようであったと言っていい
私が彼女に初めて打たれたのも
この異常な性格の美しさであった
言うことができれば
彼女はすべて異常なのであった
私が塾下の2人という死の中で
ここはあなたの生まれた
ふるさと
この不思議な別戸の
憎しみを生んだ天地
と歌ったのもこの実感から来ているのであった
彼女が一歩ずつ
最後の破綻に近づいていったのか
病気が螺旋のようにギリギリと
間違いなく押し進んできたのか
最後に近くなってから
初めて私も何だか変なのではないかと
それとなく気が付くようになったのであって
それまでは彼女の精神状態などについて
強いほどの疑いも抱いてはいなかった
つまり彼女は異常ではあったが
異常ではなかったのである
初めて異常を感じたのは
彼女の後年期が迫ってきた頃のことである
痛欲の中の彼女を
ここに簡単に書き留めておこう
前述の通り
永沼智恵子を私に紹介したのは
女子大の先輩
柳谷恵子女子であった
女子は私のニューヨーク時代からの
友人であった画家柳慶介くんの
夫人で当時
黄風会の仕事をしておられた
明治44年の頃である
私は明治42年
7月にフランスから帰ってきて
父の家の庭にあった隠居床の屋根に
穴を開けてアトリエ代わりにし
そこで彫刻や油絵を盛んに
勉強していた
一方神田淡路町に老幹道という
小さな美術船を創設して
進行芸術の展覧会などをやったり
当時日本に勃興した
スバル一派の新聞学運動に
加わったりしていたと同時に
細巻の青春が爆発して
北原博収氏、永田秀雄氏、
木下牧太郎氏などと盛んに往来して
かなり激しいいわゆる
端的生活に陥っていた
不安と焦燥と渇望と
何か知られざる者に対する絶望とで
めちゃめちゃな日々を送り
それに北海道移住を企てたり
それにもたちまち失敗したり
どうなることか自分でもわからないような
精神の危機を経験していた時であった
柳恵介くんに
友人としての親友があったのかもしれないが
ちょうどそういう時彼女が
私に紹介されたのであった
彼女はひどく優雅で無口で
語尾が消えてしまい、ただ私の作品を見て
お茶を飲んだりフランス絵画の
話を聞いたりして帰っていくのが常であった
私は彼女の着こなしの
上手さと華奢な姿の
1:21:00
好ましさなどしか最初は目につかなかった
彼女は決して
自分の描いた絵を持ってこなかったので
どんなものを描いているのかまるで知らなかった
そのうち私は現在の
アトリエを父に建ててもらうことになり
明治45年には出来上がって
一人で移り住んだ
彼女はお祝いにグロキシニアの大蜂を持って
ここへ訪ねてきた
ちょうど明治天皇様宝魚のあのうち
私は犬房へ写生に出かけた
その時別の宿に彼女は
妹さんと一人の親友と一緒に来ていて
また会った
後に彼女は私の宿へ来て滞在し
一緒に散歩したり食事したり写生したりした
様子が変に見えたものか
宿の女中が一人
必ず私たち二人の散歩を監視するため
ついてきた
真珠しか寝ないと見たらしい
千恵子が後日語るところによると
その時もし私が何か無理なことでも
言い出すようなことがあったら
彼女は即座に受水して死ぬつもりだった
ということであった
私はそんなことは知らなかったが
この宿の滞在中に見た彼女の清純な態度と
無欲な素朴な気質と
限りなきその自然への愛とに強く打たれた
君ヶ浜の浜防風を喜ぶ彼女は全く子供だった
しかしまた私は入浴の時
隣の風呂場にいる彼女を偶然目にして
なんだか運命の繋がりが
二人の間にあるのではないかという予感を
ふと感じた
彼女は実によく金星が取れていた
やがて彼女から熱烈な手紙が来るようになり
私もこの人の他に心を託すべき女性はないと思うようになった
それでも幾度かこの心が一時的なものではないかと
自ら疑った
また彼女にも警告した
それを聞くと
彼女は私の今後の生活の苦悶を思うと
彼女をその中に巻き込むに忍びない気がしたからである
その頃
狭い美術家仲間や
女人たちの間で
二人に関する悪質のゴシップが飛ばされ
二人とも家族などに対して随分困らせられた
しかし彼女は私を信じきり
私は彼女をむしろ崇拝した
悪性が紙片に満ちるほど
私たちはますます強く結ばれた
私は自分の中にある不純の分子や
混濁の残留物を知っているので
時々自信を失いかけると
彼女はいつも私の中にあるものを
清らかな光に照らして見せてくれた
汚れ果てたる
我が数々の姿の中に
幼子のまこともて
君は尊き我が我をこそ見入れつれ
君の見入れつるものを
我は知らず
ただ我は君を超えなき
裁きのつかさとすれば
君によりて心喜び
我が知らぬ我の
我が温かき肉の内にこもれるを信ずるなり
と私も歌ったのである
私を破れかぶれの
敗退気分からついに引き上げ
救い出してくれたのは
彼女の純一な愛であった
大正2年
8月9月の2ヶ月間
私は新州上高知の清水屋に滞在して
その秋
神田ビーナスクラブで
岸田龍成君や木村総八君らとともに開いた
生活者の展覧会の油絵を数十枚描いた
その頃上高知に行く人は
みな島々から岩名止めを経て
徳郷峠を越えたもので
かなりの道のりであった
その夏
同宿には久保田宇都保氏や
1:24:01
茨城猪吉氏もおられ
またちょうど穂高登山に来られた
ウエストン夫妻もおられた
9月に入ってから彼女が絵の道具を持って
私を訪ねてきた
その知らせを受けた日
私は徳郷峠を越えて岩名止めまで
彼女を迎えに行った
彼女は案内者に荷物を任せて
身軽に登ってきた
山の人もその見客に驚いていた
私はまた徳郷峠を一緒に越えて
彼女を清水屋に案内した
上高知の風光に接した
彼女の喜びは実に大きかった
それからは毎日
私が二人分の絵の道具を肩にかけて
斜線に歩き回った
彼女はその頃六幕を少し痛めているらしかったが
山にいる間はどうやら
大したことにもならなかった
彼女の作画はこの時初めて見た
かなり主観的な自然の見方で
一種の特色があり
体制すれば面白かろうと思った
私は帆鷹
明神 焼竹 霞沢
六百岳 梓川と
植木をことごとく描いた
彼女はその時私の描いた自画像の一枚を
後年描画中でも見ていた
その時
ウェストンから彼女のことを妹さんか
夫人かと問われた
友達ですと答えたら苦笑していた
当時東京のある新聞に
山上の恋という見出しで上高知における
二人のことが誇張されて書かれた
たぶん下山した人の噂話を
他人にしたものであろう
それがまた家族の人たちの神経を痛めさせた
10月1日に
石山小鳥って島々へ降りた
独豪峠の
山懐を埋めていたかつらの木の
応用の立派さは忘れ難い
彼女もよくそれを思い出して語った
それ以来私の両親は
ひどく心配した
私は母に実に済まないと思った
父や母の夢はみな破れた
いわゆる陽光返りを利用して
彫刻家へ押し出すこともせず
学校の先生を勧めても断り
しかるべき江戸前のお嫁さんももらわず
まるで料金がわからないことになってしまった
実に済まないと思ったが
結局大正3年に
知恵子との結婚を許してもらうように
両親に申し出た
両親も許してくれた
両親のもとに貸し付かず
アトリエに別居するわけなので
土地家屋等一切は両親と同居する
弟夫妻の所有とすることに決めておいた
私たち二人は
全く裸のままの家庭を持った
もちろんあため息などはしなかった
それから実に長い間の貧乏生活が続いたのである
彼女は裕福な豪華に育ったのであるが
あるいはそのためか金銭には
実に淡白で貧乏の恐ろしさを知らなかった
私が金に困って
古着を呼んで洋服を売っていても
平気で見ていたし
勝手元の引出しに金がなければ
買い物に出かけないだけであった
いよいよ食べられなくなったらというような
話も時々出たが
だがどんなことがあってもやるだけの仕事を
やってしまわなければねと言うと
そうあなたの彫刻が中途で
なくなるようなことがあってはならないと
度々言った
私たちは低収入というものがないので
金のあるときには割にあり
なくなると明日からばったりなくなった
金はなくなるとどこを探してもない
24年間に私は彼女に
着物を作ってやったのは2,3度くらいのものであったろう
1:27:01
彼女は独身時代の
ピラピラした着物をだんだん着なくなり
ついに無装飾になり
家の内ではスウェッターとズボンで
通すようになった
しかもそれが花々美しい調和を持っていた
あなたはだんだんきれいになる
という詩の中で
女が付属品をだんだん捨てると
どうしてこんなにきれいになるのか
都市で現れたあなたの体は
無変裁を飛ぶ天の金属
と私が書いたのもその頃である
自分の品に驚かない彼女も
実家の没落にはひどく心を痛めた
幾度か実家へ帰って
家計整理をしたようであったが結局破産した
日本松の大貨
ジップの英民
相続人の優等
破滅
彼女にとっては耐えがたい痛恨ごとであったろう
彼女はよく病気をしたが
その度に田舎の家へ帰ると併諭した
もう帰る家もないという寂しさは
どんなに彼女を苦しめたろう
彼女の寂しさを紛らす
多くの好意を持たなかったのも
その正常から出たものとはいえ
一つの運命であった
一切を私への愛にかけて
学校時代の友達とも
追々遠ざかってしまった
僅かに田舎の農事試験場の
佐藤住子さんその他両3名の
親友があったに過ぎなかったのである
それでさえ年に
一、二度の往来であった
学校時代には彼女は相当に健康であって
運動も過激なほどにやったようであるが
卒業後、六脈にいつも故障があり
私と結婚してから
数年のうちについに
失勢六脈症の重症脳にかかって
入院し幸いに全治したが
その後ある練習所で
常盤の稽古を始めたところ
そのせいか口屈症を起こして
切開手術のためまた入院した
盲腸などでも悩み
いつもどこかしら悪かった
彼女の反省の中で
一番健康を楽しんだのは
大正14年頃の1、2年間のことであった
しかし病気でも彼女は
じめじめしていなかった
いつも正朗で穏やかであった
悲しい時には涙を流して泣いたが
またじきに治った
昭和6年、私が三陸地方へ
旅行している頃、彼女に最初の精神変調が
来たらしかった
私は彼女を家に一人残して
2週間と旅行を続けたことはなかったのに
この時は1ヶ月近く歩いた
不在中、泊まりに来ていた
明夜、また訪ねてきた母などの
話を聞くとよほど孤独を感じていた様子で
母に
私死ぬわと言ったことがあると言う
ちょうど高年期に接している年齢であった
翌7年は
ロサンゼルスでオリンピックがあった年であるが
その7月15日の朝
彼女は眠りから覚めなかった
前夜12時過ぎに
アダリンを服用したと見え
粉末25g入りの瓶が空になっていた
彼女は
童女のように丸く太って目をつぶり
口を閉じ、寝台の上に仰我したまま
いくら呼んでもゆすっても眠っていた
呼吸もあり体温はなかなか高い
すぐ医者に来てもらって
下毒の手当をし、医者から一応
警察に届け、九段坂病院に入れた
遺書が出たが、それにはただ
私への愛と感謝の言葉と
父への謝罪とか書いてあるだけだった
その文章には少しも
頭脳不調の痕跡は見られなかった
1:30:00
一ヶ月の療養と看護とで
平復退院
それから一か年間は
割に健康で過ごしたが、そのうち
手術な脳の故障が起こるのに気づき
旅行でもしたらと思って
東北地方の温泉周りを一緒にしたが
上野駅に帰着した時は
出発した時よりも悪化していた
症状一身一体
彼女は最初、幻覚を多く見るので
寝台に伏しながらそれをいちいち手帳に
写生していた
刻々に変化するのを時間を記入しながら
次々と書いては私に見せた
形や色の無類の美しさを
感激をもって語った
そうしたある期間を経ているうちに
今度は全体に意識がひどくぼんやりするようになり
食事も入浴も
永寿のように私がさせた
私も医者もこれを
高年期の一時的現象と思って
母や妹のいる九十九里浜の家に転置させ
オバホルモンなどを服用させていた
私は一週一度記者で訪ねた
小学年
私の父が異海洋で大学病院に入院
退院後10月10日に
退会した
彼女は海岸で身体は丈夫になり
朦朧状態は脱したが
脳の変調はむしろ進んだ
鳥と遊んだり
自身が鳥になったり
松林の一角に立って
高太郎知恵校、高太郎知恵校と
一時間も連行したりするようになった
父死後の始末も一段落ついた頃
彼女を海岸からアトリエに引き取ったが
病性はまるで機関車のように爆心してきた
諸岡孫博士の診察も受けたが
次第に凶暴の行為を始めるようになり
自宅療養が危険なので
昭和12年2月
知人の紹介で南品川のゼームス坂病院に入院
一切を院長斉藤珠雄博士の
懇徳な指導によるところにした
また幸せなことに
先に一等看護婦になっていた知恵校の
名医の春子さんという心優しい娘さんに
最後まで看護してもらうことができた
昭和7年以来の彼女の啓発意欲を細かに書くことは
まだ私には痛いたしすぎる
ただこの病院生活の後半期は
病女が割に平成を保持し
精神は分裂しながらも
手はかつて油絵具で成し遂げえなかったものを
切り紙によって楽しく成就したかの感がある
百をもって数える枚数の
彼女の作った切り紙絵は
全く彼女の豊かな詩であり
生活記録であり楽しい造形であり
四季会話音であり
ユーモアであり
また微妙なアイレンの状の訴えでもある
彼女はここに実に健康に生きている
彼女はそれを訪問した私に見せるのが
何よりも嬉しそうであった
私がそれを見ている間
彼女はいかにも幸福そうに微笑したり
お辞儀したりしていた
最後の日
それをひとまとめに自分で整理した置いたものを
私に渡して荒い呼吸の中で
かすかに笑う表情をした
すっかり安心した顔であった
私の持参したレモンの香りで現れた彼女は
それから数時間のうちに
極めて静かにこの世を去った
昭和13年10月5日の夜であった
九十九里浜の初夏
私は昭和9年5月から12月末まで
毎週一度ずつ
九十九里浜の
マガメナヤという小さな部落に東京から通った
1:33:03
頭を悪くしていた妻を
そこに住む新類の偶居に預けておいたので
その妻を見舞うために通ったのである
マガメという部落は
海水浴場としても知られている
イワシの漁場
千葉県三部郡肩貝村の南方を
一里足らずの浜辺に沿った寂しい漁村である
九十九里浜は
千葉県長州の先の外側の沿ったんから
南方大東岬に至るまで
ほとんど直線に近い
大弓状の曲線を描いて
十数里に渡る平坦な砂浜の間
目を遮る何物もないような
太平洋岸の豪闘を極まりない浜辺である
そのちょうど真ん中あたりに
マガメの海岸は居する
私は汽車で両国から大網駅まで行く
ここからバスで
今泉という海岸の部落まで
まったいらな水田の中をにりあまり走る
五月頃は水田に水がまんまんとみなぎっていて
ところどころに白崎が降りている
白崎は
必ず小さな群れを成して
水田に高校の日本的菓子を与える
私は今泉の四筋の茶店に一休みして
また別な肩貝駅のバスに乗る
そこからは一里も行かないうちに
マガメ川を渡って
マガメの部落に着くのである
部落からすぐ浜辺の方へ小道をたどると
黒松の防風林の中へ入る
妻の投留している親戚の家は
この防風林の中の
小高い砂丘の上に立っていて
座敷の前は一望の砂浜となり
兄さんの小さな両家の屋根が
てんてんとしている先に
フジュークリハムの波打ち際が白く見え
松山太平洋が土手のように高く続いて
最果てのない水平線が風景を両断する
午前に両国駅を出ると
いつも午後二三時ごろ
この砂丘に着く
私は一週間分の薬や菓子や
妻の好きな果物などを出す
妻はねずっぽいような息をして
私を喜び迎える
私は妻を誘っていつも砂丘自体に
防風林の中をまず歩く
そして小松のまばらな高みの砂へ
腰を下ろして二人で休む
五月の太陽が少しっしゃに
白い砂を照らし
微風は海から潮の香りを含んで
青々とした松の枝をかすかに鳴らす
空気のうまさを満喫して
私は当然とする
ちょうど五月は松の花の盛りである
黒松の新芽の伸びた先に
あの小さな黄色いタワラのような
ほろほろとした丹青の花球が
こぼれるようにつく
松の花粉の飛ぶ爽快を
私はこの九十九里浜の初夏に初めて見た
防風林の黒松の花が熟する頃
海から吹き寄せる風に乗って
その黄色い花粉が飛ぶさまは
むしろ恐ろしいほどの勢いである
砂の黄土を舞い上げた黄針というのは
もとより濁って暗く
すさまじいもののようだが
松の花粉の風に流れるのは
その黄針をも想像させるほどで
だがそれが明るく透明の感情を持ち
不可限の方向を漂わせて
風のまにまに空間を乱すのである
盛んな時には座敷の中にまで
その花粉が積もる
妻の浴衣の肩に積もったその花粉を
軽くはたえて私は立ち上がる
妻は足元の砂を掘って
しきりに小炉の玉を集めている
火が傾くについて海鳴りが強くなる
千鳥がついそこを
追いかけるように歩いている
1:36:00
千恵子の切り抜き絵
精神病所に
簡単な宿を進めるのは良いと聞いていたので
千恵子は病院に入院して
半年も経ち興奮がやや沈静した頃
私は千恵子の平常好きだった
千代紙を持って行った
千恵子は大変喜んで
それで千羽鶴を追った
訪問する度に部屋の天井から下がっている
鶴の折り紙が増えて美しかった
そのうち鶴の他にも紙道路だとか
その他の形のものが作られるようになり
なかなか異性を凝らしたものがぶら下がっていた
するとある時
千恵子は訪問の私に
一つの紙包みを渡して
見ろという風情であった
紙包みを開けると中に色紙を
ハサミで切った模様風の美しい紙細工が
大切そうにしまってあった
それを見て私は驚いた
それが全く鶴から飛躍的に進んだ
立派な芸術品であったからである
私の感嘆を見て
千恵子は恥ずかしそうに笑ったり
おじぎをしたりしていた
その頃は何でもそこらにある紙切れを
手当たり次第に用いていたのであるが
やがて色彩に対する要求が
強くなったと見えて
色紙を持ってきてくれるという風になった
私は早速丸の内の廃原へ行って
子供が折り紙に使う色紙を
いくしか買って送った
千恵子の仕事がそれから始まった
看護婦さんの言うところによると
風邪をひいたり熱を出したりした時以外は
毎日仕事をするのだと言って
朝からしきりと切り紙細工をやっていたらしい
ハサミはマニキュアに使う
小さな先端の曲がったハサミである
そのハサミ一丁を手にして
しばらく紙を見つめていてから
後はスラスラと切り抜いていくのだ
ということである
模様の類は紙を四つ折り
または八つ折りにしておいて
切り抜いてから紙を開くと
そこにシンメトリーができるわけである
そういう模様になかなか面白いのがある
はじめは一枚の紙で一枚を作る
単色のものであったが
後にはだんだん色調の配合
色調の均衡
縁の比例等に微妙な神経が働いてきて
紙は一個のカンバスとなった
十二単位における色重ねの美を見るように
一枚の切り抜きをまた一枚の別の色紙の上に貼り付け
その色の調和や対称に
身を見つけないものができるようになった
あるいは同色を重ねたり
あるいは金字の色で構成したり
あるいはハサミで線だけ切って
切り抜かずに置いたり
いろいろな技巧を凝らした
この切り抜かずにおいて
それを別の紙の上に貼ったのは
下の紙の色がチラチラと
上の紙の線の間に見えて
不可限の美を作る
チェーコは植木のものを
手当たり次第に題材にした
植前が出るとその皿の上のものを
紙で作らないうちは箸を取らず
そのため食事が遅れて看護婦さんを
こもらしたことも多かったらしい
千数百枚に及ぶこれらの切り抜き絵は
全てチェーコの詩であり
序章であり記事であり生活記録であり
この世への愛の表明である
これを私に見せるときの
チェーコの恥ずかしそうな
嬉しそうな顔が忘れられない
1956年発行
新調者
新調文庫
知恵故障より独了
読み終わりです
1:39:05
一週間以上かかりましたね
これは収録が完了するまでに
最初の詩の部分は全然良かったんですけど
後半の
スケッチの部分というか
この人ね
全然丸を打ってくれないんですよ文章に
一文がすごく長い
そんな感じでした
奥さん思いの良い人だな
という感じがするんですけど
ふわっと調べてみると
フェミニストの人が一方的に
怒っているのか分からないんだけど
嫁をいいように扱って
この男はろくでもないみたいな
意見も飛び交っていて
どっちが本当か分からないんですけど
亡くなっていく姿を
ちゃんと見とったという点では
相方パートナーとしては
立派だったのではないかなと思いますけど
どうなんですかね
はい
投げ出さずにね
と思いますが
はい
去年なかったんですけど
今年またポッドキャストウィークエンドが
開催されるようですね
猫が鳴いている
参加する番組の皆さんたちが
それぞれ表明してました
発表になったつって
5月の
9日10日の2日間のようですね
僕は出展の
予定はありませんが
出展したところでだしね
遊びに行こうかなと思って
お客さん側で
土曜日かな
土曜日
行こうかな
唯一少しだけ交流のある
番組さんが出そうなので
あれ土曜日に出るのかな
体が開くのが土曜日しか
なさそうな気がするんだけどな
あと
同じカテゴリー
ブックカテゴリーからだと
文学ラジオ空飛猫たち
さんたちが出るようなので
ちょっとそこ
顔出したいかな
ちょっと
同じカテゴリーの人たちのところはちょっと
行きたいかなと思ってますね
本の惑星
バリューブックスの内沼慎太郎さんも
出るんでしたっけ
これはなんか登壇するのかな
P7みたいな
フォットキャスト7
みなさんそんなことが書いてあったような気がする
同じカテゴリーの人たちは
挨拶しに行こうかな
直太郎と申します
みなさんも聞いてます
はい
そんな感じですかね
よし終わりにしますか
毛布の類を
コインランドリーに突っ込んでて
出来上がりを待っている感じなんですけど
1:42:01
もうすぐ出来上がりそうなので
終わりにしますかね
無事に寝落ちできた方も
最後までお付き合いいただけた方も
大変にお疲れ様でした
また次回お会いしましょう
おやすみなさい
01:42:16

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