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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて今日は、萩原朔太郎さんのラジオ漫談というテキストを読もうかと思います。
初めて読みますね、萩原朔太郎さん。 日本の詩人・評論家
大正時代に近代史の新しい地平を開き 日本近代史の父と称される
代表作詩集月に吠える 青猫
短編小説には猫町などがあるということで 猫好きか?
ねえ 好感が持てますね
ちょっと今回も短いテキストになりそうではありますが 最後まで、あ、最後までというか、寝落ちまでお付き合いいただければ幸いです。
それでは参ります。 ラジオ漫談
東京に移ってから間もなくの頃である ある夜本郷の魚町を散歩していると
南天堂という本屋の隣店の前に 人が黒山のようにたかっている
変な形をしたラッパの口から音がギレギレに漏れるのである ハッハーこれがラジオだな
と私は直感的に感じた しかししばらく聞いているとどうしても蓄音機のようである
しかも壊れた機械で 傷だらけのレコードをかけているときにそっくりで絶えずガリガリという心音
ザラザラという雑音が響いてくる 何か美話歌のようなものをやっているらしいが
歌に雑音が混じって聞こえるというよりはむしろ 雑音の中から歌が聞こえるという感じである
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ラジオというものを大変に不思議なもの 肉声がそのまま伝わってくるものと思っていた私は
この不自然な機械的な音声をどうしてもラジオとは思えなかった それに変な形をしたラッパというのも蓄音機の電気覚醒機として以前から使われていた
ものである 蓄音機だなぁ
そう言って私が連れの方を帰り見た時 そばにいた4,5人の男女が一斉に私を見つめた
その視線には明らかに田舎者めという皮肉な霊障が浮かんでいた 実際田舎者であり
東京に出たばかりの私はハッとして急にそこを立ち去った これが私の初めてラジオを聞いた時の印象である
もっともその前から非常な好奇心を持ってまだ知らぬラジオに憧れていた 一度などは浅草のなんとかいうカフェにラジオがあるというので
わざわざ詩人のただ藤くんと聞きに行った 前の南天堂の2階へもラジオを聞く目的で紅茶を飲みに行った
しかし運悪くどこでも機械が壊れていたり 時間が外れたりしていつも虚しく帰ってきた
一体僕は好奇心の非常に強い男である 何でも新しいもの
珍しいものが発明されたと聞くとどうしても見聞せずにはいられない勝負んだ だから発生活動写真とか
立体活動写真などというものがやってくると 一番先に見物に行く
ジャズバンドの楽隊なども 文壇で一番先に担ぎ出したのは僕だろう
今の詩壇でも大抵の新しい様式を暗示する先駆者は僕であり それが新人の間でいろいろに発展していく話が4時に渡ったがこの新規月
発明好きの性分は 無労再生君などと反対である
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だから僕がまだ聞かぬラジオに夢中になって騒いでいるとき 無労君がやってきてはよく頭子なしに嘲笑した
無労君の説によると ラジオなんか俗物の聞くものだそうである
そうした彼のラジオ嫌いも 1には彼の新規嫌い
その性分は品骨董器などに対する彼の骨董壁と対象される によるのであろう
その後ラジオの放送で 久米正雄氏らの文芸講座を拝聴したが
久米氏もやはりこうした文明的新事物は嫌いなそうである してみると小説家というものは
どっかみんな共通の趣味を持っているように思われる というようなことがいつか頭の隅で漠然と感じられた
つまり新規なものは美として不完全であるからだ さて実際にラジオを聞いてから僕は大いに厳密を感じてしまった
壊れた蓄音機 これがラジオの第一印象であった
しかるにその後親戚の犠牲にあたる人が来て 僕の家庭のために手製のラジオを作ってくれた
これはラッパで聞くのでなく 受話器を耳に当てて聞くのである
見たところでは板べっこに木片をくっつけたようなものであるが これで聞くと実によく聞こえる
不愉快な雑音もほとんどなく まず実の肉声に近い感じを与える
これならばラジオもなかなかいいものだ 前に悪い印象を受けたのは
各世紀のラッパで聞いたためにあることがここにおいて初めてわかった それ以来往来に立って聞いている人を見るとなんだか哀れに思えてならない
ラジオは受話器で聞くに限るようだ 僕がラジオを歓迎するのはしかし単なる好奇心ばかりでなく
他に重大な理由があるからだ 元来僕は美的強要のない人間であるために
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趣味というものをほとんど持たない 美術は全くわからず
芝居も嫌いだし 寄生はなお嫌だし
活動写真というものも本当に面白いと思っていない ただ僕の好きなものは唯一の音楽があるばかりだ
それもギダユーや羽歌のごとき 日本音楽はさらにわからず
ただ西洋音楽が好きなだけだ これもわかるという方でなく
気質的に好きというだけである それで僕の生活的威楽は
時々初方の音楽会に出かける行事であるが この音楽の演奏会という奴が実にまた不愉快な気分のものである
演奏会におけるあの一種特別の空気 妙に厳粛になって
悪がたく神経質になっている長州 変に存在ぶり芸術かぶった演奏者
開演中の行き詰まるような空気 とても不愉快だ
そしてわかりもしないくせに いや
わからないゆえに やたらむやみに喝采する
一体こちらの長州どもは音楽を味わいに やってくるのか
音楽会の気分を味わいに来るのか 思うに大部分は後者だろう
彼らにとってはあの芸術的厳粛みの気分 今や我らは世界的名手によって奏される
米東弁の偉大なる芸術に接しつつあるという 類の気分
が この上もなく崇高でいいのであろうが
僕にはそれが嫌でたまらん 音楽の芸術的意義は何であろうか
僕には難しいことはわからないがとにかく 僕らが音楽を聞く目的は
美しい旋律や和声からして 心良い糖水と口骨等を求めるのだ
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決して芸術的権威の気分を味わうためではない しかるに音楽的情緒という奴は実に芸術の
崇高的厳粛性を漂わして 気分的に強制してくるのだ
そのために僕らは悪く堅くなり 変に重苦しい気分となってしまって
少しも音楽的糖水の心良い境地に浸れない これは日本の長州が真に好きから音楽会に行くのではなく
一種の妙な芸術的意識で あるいは文化的虚栄心で
七難しい気分を持って行くからだ そしてこの悪い風潮は
上の音楽学校など官僚趣味が一方で少なからず 養成したものだ人々は音楽に対してもっと楽なフリーの見解を持っていいのだ
日本で真に音楽のわかっている人々は あの演奏会に集まるハイカラの青年や祝女でなく
実は姿勢でハーモニカを吹いている 商店の小僧たちである
日本における西洋音楽の健全な将来は あの小僧たちの成長した未来にある
もしくは浅草のオペラに集まる民衆の中にある 彼らだけが本当に音楽をエンジョイし
音楽の本質を完全に知っているのだ 文化主義的音楽愛好家などは時代のキザナ流行熱で六名間時代のハイカラのごとく
何の根底もありはしない話が理屈っぽくなってきたが とにかくそういうわけで私は音楽会の気分が嫌いなため
将来音楽好きでありながら演奏会に行くことは稀にしかない 音楽がもっと楽に
フリーなゆったりとした気持ちで聞けたらどんなにいいだろうと思う だから私の大好きなのは日比谷公園における公衆音楽会である
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あれだけは窮屈な空気がなく 実に民衆的で気持ちが良く聞ける
そこでラジオのことを考えたときこいつはいいなと思った ラジオの放送音楽なら嫌な演奏会に行く金目もなく
家にて寝転びながら聞いてられる 演奏中に酒を飲もうとタバコを吸おうと随意である
もし事情が許されるならば 女を抱きながらショパンのアンプロンプチュを聞くことも自由である
さすがにこれでこそラジオは文明の力である この点だけでもラジオがどれほど民衆に喜ばれているか知れない
受話器を用いるラジオの不便は放送の始まる時刻が外部からわからないことである もちろん新聞で時間は予告されているが
絶えず時計に気をつけているわけにいかないから ちょっと油断している間に時間が過ぎて
聞こうと思う講演が終わっていたり 音楽が曲の中途から聞こえたりする
これはどうも不都合である何か上手い仕掛けで放送開始とともに 合図のベルでも鳴るようにできないだろうか
電波の振動を利用してベルを自動的に鳴らすという工夫は 素人考えではなんだか容易に思われるが
未だ発明されないところを見ると難しい困難な事情があるのだろう 放送局目についても所感があるが
紙数がないからやめにする 1990年発行
作品者 日本の名随筆別館96
大正 より
読み終わりです
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ラジオねー いい時代になりましたラジコもあるしねー
昔 千葉県の
市川の
fm で番組をやってたことがあるんですけど 楽しかったですが
企画を考えるのが僕僕が考えて僕がやってたんでちょっと大変でしたね 楽しかったですけどね
またどこかで やりたいなと思うというか
ラジオ dj になるのが夢だったのかなと今思えばそうだったのかなとも思うし 一方でねあの
代の大人たちは何にも巻き込んで 予算の都合で打ち切りみたいな切ない思いをしないで済む
一人職人のこのポッドキャストの方がまあ向いてるかなという気もするという 感じですけどねぇ
ちょうどえっとですね2月からこれ始めてるんですけど 週に日本取りなので年間高12週と換算すると
年間100本ぐらい作れるんですけど今ちょうど50何本目なんで ゆれるとお付き合いいただければと思います何を言いたいのかわかんなくなりました
ん
よし終わりにしようそれでは今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう おやすみなさい