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皆さん、こんにちは。思考を走らせるねごラジオ、ランニングドクターねごが日々の出来事を学びのジョブに変える15分。
今日のテーマは、あなたは感覚派?理論派?という内容でやっていきます。
では、一緒にスタートしていきましょう。
この前ですね、ラジオを聞いてたんですよ。
僕、よくポッドキャットでいろんな人のラジオを聞くのが好きなんですけれども、
あなたは感覚派ですか?理論派ですか?というような話に関して、パーソナリティの人が話してたんですよ。
理論派がこうだとか、感覚派がこうだとか、私は感覚派だなとか、そんな感じでいろいろ言っておりました。
僕はね、周りからは割と理論派というふうに言われることが多いかなというふうに思います。
僕に近しい人であればあるほど、根本は感覚派だよねというふうな形で言われるなというふうに思うんですよね。
僕自身は理論派の仮面をかぶった感覚派だと自分で思っています。
やっぱり感覚で決めてるなと思うんですよね。
言うなれば感情で決めてから後で言語化して理論武装するタイプというような感じでしょうか。
例えばランニングのことに関してとか、やっぱりこんな最高なランニング、気持ちいいランニングをみんなに広げたいなとか、
だからみんなに広げていくとか、このウルトラマーソンとか100キロ走ったこともないけど、なんか楽しそうじゃんとか、
さらなる挑戦をしてみたいよねとか、そこにはあんまり理論は存在してないんだよねという感じなんですよね。
100キロ走ったことによって自分は成長して、それによって日常生活においてもこんなことを成し遂げた自分はいろんなことを努力できるようになる。
そういう体験を得るためにウルトラマーソンに出てるんだみたいなことを後で理由付けするというような感じになってるんじゃないかなと思うんですよね。
だから僕は間違いなく楽しいからランニングをやってるのであって、あくまでやっぱり感覚的に決めているんだなというふうに自分で思ってるわけですね。
これが僕のメタ認知になるわけなんですけど、でも考えたんですよね。
ふと思ったんですけど、これって結局みんなそうなんじゃないっていうふうに思ったんですよ。
みんな感覚派でしょそらっていうふうに僕は感じたので、この疑問に関して一緒に考えていければなというふうに思います。
結局のところ、人はみんな感覚、感情が先でその後に理由を付けるというような順番で動いてるんじゃないかっていうことなんですよね。
例えばですね、ゴキブリがいたとします。
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いやーしんどいですね。Gですよね。ガサガサガサっと出てくるわけです。
いやーと、皆さんどういうふうに思いますか。
うわー出たと、気持ち悪いっていうふうに直感的に思う人が多いんじゃないかなと思います。
そこにはね、うわ可愛いというふうに感じる人もいるかもしれないけど、一旦ゴキブリが出て嫌だというふうに思ったとしましょう。
その人の話を聞いてみたとしましょう。
例えば、理論派の人とかって言われる人は、本能的に嫌悪感を抱くように遺伝子に刻み込まれてるから、僕たちはゴキブリに対して嫌というような感情を抱くんだというふうに言うかもしれないですね。
それ以外にも、例えば、昔ゴキブリでもうすっごい嫌な思いをしたから今でもずっと苦手なんだというようなことを言う人もいるかもしれません。
いろんなことを言うことがあると思うんですけれども、それぞれに対してまあ確かにそうだよねっていうふうに僕たちは理解することができるかと思います。
自分はAというふうに思うけれども、この人はBというふうに思ってるんだなぁとか、そういうことで理解できますよね。
実際はこの瞬間、今このゴキブリを見た瞬間嫌だという感覚があるだけなのではないかっていう気もするんですよね。
瞬発的に嫌だっていうふうに思うわけです。
理由は後からこしらえてくるというような感覚ですね。
これってすごく、それこそ感覚的に理解しづらい気がするんですよ。
いやいやいや、理由はあるだろう、原因はあるだろうという話ですね。
これってAdlerの原因論と目的論というところとも基本的には同じ構造の話をしているかと思うんですけど、
今の話はいわゆる目的論的な解釈の仕方だと思うんですけどね。
なんでそうだった場合、理由を後付けするのかということなんですけども、
人間はただそこにあるという状態を受けることができないんだということなんですよね。
なんか不確定な状況というよりかは、無意味さ、意味がないことに耐えられないという特徴があると思うんですよ。
つまりこのただ嫌だというふうに思った感情がそこにあっただけだとします。
それって意味づけがない場合って、ただただそこにある、偶然そこにあったというだけなんですけど、
この偶然であるということだったりとか、偶然その感情が湧いたということ自体には意味がないんだよねっていうふうな解釈をしないといけないわけですけども、
そこに人間的な不協和、認知的不協和というものを感じてしまう。
だからそこにその感情に耐えられないという特徴があると思うんですよね。
例えば雨が降ったとしましょう。雨が降ること自体は自然現象だからこうだよね。
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ある程度納得できるかもしれないけども、ある文脈では雨が降った。
これは誰かの行いが悪いからではないかとか、雨が降った。これは雨漕いをしたから降ってきたんだというような解釈をする場合もありますよね。
他にも自分の身の回りに何か悪いことが起きた。例えば事故が起きたとします。
これは何か警告されているのではないか。何か悪いことが起こる予兆なのではないかというふうに感じるとかですね。
他にも代表的には黒猫を見たとかですよね。黒猫を見た。これって絶対に偶然でしょう。意味はないでしょう。無意味なんだよねっていうふうに思うんだけれども、
ここに何か無意味さに耐えられない本能が働いて、いやいやいやこれは何か起こる予感がするな、その前兆なのではないかなというようなストーリーに従る習性があるということだと思うんですよね。
これは人間が何でもかんでもストーリー理解しようとする習性があると僕は考えているんですけど、他にもストーリー及びパターンとかで認識するということもありますよね。
例えばパターン認識というものがあります。例えば意味のないノイズですね。ザラザラとしたような意味のない配列の中にある種のパターンを認識して、
これはこういうパターンで並んでいるものなんだなと理解する傾向にあるというふうに言われています。このパターン認識というものは、
無意味な情報に意味のある関連性を知覚する現象ということになりますけども、このことを例えばアポフェニアというふうに呼んだりするらしいですね。
他にもこのパターン認識ですね。ブラスタリング錯覚というふうに呼ばれたりもするらしいです。そしてパターンではなくストーリーで理解するというようなストーリー認識ですよね。
ということもあると思うんですけども、これはナラティブバイアスというふうに言われます。このように人間はみんな感覚的に感情的に何かを知覚する。
そしてそこに何かストーリーやパターンといった理由をつけているというような思考パターンがある一定傾向としてあるのではないかというふうに思うんですよね。
なので感覚派か理論派かという二択で考えていくわけなんですけども、実は言っているこの理論派というのも実は感覚派の位置共変形でしかないのではないかなというふうに僕はちょっと考えてみたんですよ。
具体的に転職を決める場面で検証してみましょう。まずはじめに共通の感覚をいただきます。今の会社にいるとなんとなくモヤモヤするなと感覚的に僕たちは考えたと感じたとしましょう。
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でもその感覚に対する説明というのは人それぞれなんですよね。例えば理論派の人ですね。今の会社にいるとなんとなくモヤモヤする。だから転職をしよう。この転職に関しては市場価値を高めることができる。それはデータ的に見て正しい判断だから転職をしようというふうに思ったり説明したりするわけです。
でも経験派の人は例えばそうですね。転職をしたことある友人が成功して給料曲がってたんだということは僕も転職するといいことがあるよねというふうな説明をします。
例えば他にも価値観を重視する人だったりするとこの転職ってのは自分らしく生きるために重要なのであると自分はどういうことを大切にしてて自分の価値観というものはこういうものだからその価値観に従って生きていく。それゆえに転職をするんだというふうに考えるわけですね。
あとは直感派ですね。転職なんとなくだよねとなんとなく今転職のタイミングだと思ったからやるんだというような説明をする人もいるわけですね。ここで重要なのは根本的な今の会社にいるとなんとなくモヤモヤするなっていう根本の感覚は同じなんですけども説明が違ってくるということなんですよ。
つまり理論派の人も感覚で決めたことを理論で説明するのが得意というような特徴を持っているということだけなんだと思うんですよね。だから結局理論派の人も感覚派というふうに言ったらいいんじゃないかなというふうに僕はちょっと思うわけですね。
なるほどなるほど。ではこの解釈ですよね。みんな感覚派なのではないかとそれに対して理由ですよね。どういうふうにこしらえてくるかということにある一定の傾向っていうのが各人それぞれあるよねと。それゆえに理論派だというふうな人もいれば直感派だというような人も出てくるというようなことなんですけども。
これって実生活にどういうふうに役立っていくのかなということについてもちょっと考えてみたんですけども。例えば人間関係においてですよね。何か相手を説得しないといけないことがあったとします。この時にこういう理由で是非これをお勧めしたいというふうに思ってるんですよというふうに理論で説得しようとする人もいると思うんですよね。
特に僕とか結構そういう傾向にあるんですけども。でも先ほどの事例を考えてみると相手を説得するためには理屈をこねるよりも感覚に訴える方がいいんじゃないかなということも言えると思うんですね。好き嫌いに正直理由なんかないってことですよね。
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なので相手が嫌いと思っちゃってることに関してはなかなか厳しいよねと諦めるということも必要だと思うし、何かが説得したいなという時には理屈をこねるんじゃなくていかに感情を動かすかということを重要視する必要があるということですよね。
他にも自己理解に関してもこれは役立つかなというふうに思うんですけども、自分っていうのは理性的になれるはずだと、もっと自立した冷静な判断をできる人間になれるはずだとか、自分はそういう人間であるというふうに何らか信じたいですよね。
だから例えば何か早起きの習慣を作るっていう風になった時も自分はやればできると。朝起きたらいいということは自分でもわかってると。だから明日、朝早起きするんだ。自分はやる気で何とか乗り越える。この理性で何とか習慣化してみせる。
というようなことも何か考えたりすることあるかなと思うんですけど、これは良くないなというふうに思うんですよね。これは自己理解が足りてないというふうに僕はちょっと思うんですけども、理性的判断、自分は理性的な冷静な判断ができるよねっていうことはある一定信じてもいいんだけども、でもやっぱり過信をしてしまっている状況であると思うんですよね。
先ほどの習慣の例とかも過信をしていると思うんですよ。もっと自分は感覚的に直感的に物事を判断しているし、直感的に感覚的にいろんな刺激に対して反応してしまっているんだというふうに考えたほうが多分いいと思うんですよ。ある種自分を信用しすぎないというかそんな感じですね。
かといって否定しなくていいと思うんですけども、なので習慣化する時っていうのも感情を動かす方がいいと思うんですよね。早起きをしたいというふうになった時はやっぱりそこにご褒美を与えるというかね、自分を嬉しくさせる方が重要だと思うんですよね。
なので朝早起きしたら大好きなコーヒーを飲めるんだとかそういうふうに感情を動かす方がおそらく習慣化できるというようなことですよね。他にも他にもこのみんなは感覚派だよねとあらゆることを感覚で決めていて、感覚で判断していてそこに理由を後付けしているよねっていうことが役立つこととしてはやっぱりビジネスでも役立つと思うんですよね。
例えばビジネスそうですね何かを売り込むときですよね。ぜひサービス、うちの製品を買ってください。うちのサービスを利用してくださいというような局面でいっぱいあると思うんですよね。営業とかまさにそうだと思うんですけども、この顧客の購買決定というのは基本的にやっぱり感情で決められているというふうに言われています。
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製品の種類によってもやっぱりその比率っていうのは結構変わるとは言われていますが、例えばもう意思決定の約90%だったり95%っていうのは感情的に無意識に発生しているものであると。論理的な要素、理屈っていうのは要素っていうのは10%ぐらいにしか過ぎないよねとか。
事後的に決定を下した後に正当化をするような理由を持ってきてるよねっていうようなことが複数の研究で指摘されてるんですよね。これを理解しておくことは非常に重要だと思います。
なので何かを売り込む時っていうのはこのプレゼンにおいては論理的なことだったり理屈をこねるのではなく感覚的な納得感というものを重要視することによって相手の購買意欲をサポートしてあげることが重要だということにも使えると思うんですよね。
個人的にも僕ランニング大好きなんですけども、ランニングをどんどんどんどんいろんな人に広めようと思って、いろんな人をマラソン大会だったりとかランニングに立とうわけなんですけどね。
これ結局ね、例えばランニングってどういうメリットがあるよとかそういうことを解くよりも一緒に走ろうよと、なんかめっちゃ気持ちいいから一緒に走るよと、僕も一緒に走るしその気持ちいい感覚とか大会に出たら本当にもうなんかね最高の気持ちになるんだよとかいうのをね僕の実体験をもとに熱量で押す方がよっぽど相手の行動変容を起こせるんですよね。
例えば健康のためにいいよとかランニングでダイエットできるよみたいなことを言っても、しかもそれはどういう理論でダイエットできるんだよとか、そういうことを言ってもねやっぱり一番最初は行動変容は起きません。
やっぱそうなんだいいねって言いながら結局出てくれないということが多いんですよね。そんなことはね後でいいんですよね。まずは気持ちとしていかにランニングがいいかっていうことを僕はもう熱量で押し切るというような手法をとっています。
しっかり走る習慣ができた人に対して、対してというか走る習慣ができた人がさらにランニングを続けていくとかさらにはまっていくとかいうフェーズになったときにランニングの練習方法っていうのは理論的にはこういうふうなことを考慮していったら良くて、そのためにこんな練習をしていくんだよというような理論について話していくと、
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なるほどということでやっぱり後々になってどんどん効いてくるというような感じですよね。こういった面でも僕はやっぱり人間というのはみんな感覚派だよねというふうに思っているということですね。
いろいろ話してきましたが、今日は人間の思考の根本的な基本構造に関してちょっと考えたということですね。感覚派なのか理論派なのかという質問から始まって、結局みんな感覚派なのではないかと。
人間っていうのは何かしらパターン認識だったりストーリー認識を通して感覚で感じたことに対して後で理由を聞けているんだということが人間の基本的な思考パターンだよねということを話してきました。
皆さんもどうですかね。あなたが最近これは論理的に判断したなというふうに自分で思っていることについて考えてみてください。要要考えると実はただの好き嫌いだったりという感じで実は感覚的に決めているというものはありませんかね。
ちょっと考えてみると面白いかもしれません。理性っていうのは感覚の優秀な秘書みたいなもんだと思うんですよね。主役は基本的には感覚でその理性っていうのはサポート役みたいな感じですよね。この関係性を理解するともっと楽に判断できるようになるし、もっと人に対しても理解が深まるし、もっと行動変を起こせるようになるかもしれませんよ。
ということで今日はここまでです。きょうも聞いてくれてありがとうございました。それではきょうもいい一日を。バイバイ。