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皆さん、こんにちは。思考を走らせるねごラジオ。どうも、ねごです。 今日は、所作の大切さと慣れについて話していきたいと思います。
今日も思考を走らせていきましょう。この前ですね、人の所作を見たときに感じることがあったので、そこから学んだことを話していきたいなと思うんですけれども、
僕は病院で働いているんですけれども、内会として働いていますと、どうしても患者さんが亡くなられるということがあるんですね。
ご家族様とコミュニケーションを取りながらですけれども、亡くなられた後ですね、病院から葬儀屋さんによって患者さんが出ていくという状況があるんですね。
その時に我々はお見送りと言って、患者様を見送るということをするわけですね。
ちょうどその時に葬儀屋さんも来て、もちろん家族の方々も一緒に同席してというような流れになるんですね。
その時に葬儀屋さんですよね、いろいろな方がいらっしゃるんですね。
残念ながらとてもいい対応ではないなというふうに感じることもやっぱり中にはあるんですね。
昨日ですね、私がお見送りをするときですね、何となく単的に言うと、例えば自分の親だとしたらちょっと気になってしまうなと、
自分の親をお見送りするというような状況をもし想定したとしたら、どうしても気になってしまうことがちょこちょこあるなというふうに感じてしまったんですよね。
具体的にどういうふうなことかと言いますと、例えばお辞儀するときの丁寧さだったりとか、
永久者のドアを閉めるときの音の大きさだったりとか、そういったところに何か違和感を感じたんですね。
言葉遣いに関しては悪くはないんですよね。ただ何か違和感を感じるというふうに思ったんです。
これって言葉ではないノンバーバルな非言語的なところにも、やはりコミュニケーションの一環として要素が詰まっているということを示していると思うんですよね。
もうちょっといろいろ考えてみたんですけど、まずその方なんですけれども、いわゆるつなぎのような服装をしていらっしゃって、他の業者さんだとスーツみたいなものを着ていることも多いんですが、
いわゆる作業現場の人のような格好をしていて、かつ格好に少し清潔感が足りないというか、そんな感じだったんですね。
やっぱりまずは非言語的なところとして、見た目というところに少し信頼感を受けない感覚をもしかしたら受けていたのではないかというふうに思うんですよね。
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あとは、やっぱりそれも含めた諸差になるんですけれども、お辞儀するにしても、例えば歩きながらウイスというような感じでお辞儀するとしたら、それってすごい適当な感じになるじゃないですか。
ちゃんと立ち止まって相手の目を見て、しっかりお辞儀をして、少しゆっくり上げてくる状態を起こしてくるというような丁寧さと比べると、やっぱりちょっと流れ作業のような印象を得たんですね。
ドアを閉めるときの諸差ですね。これも他の業者さんとまたコントラクトがあるなと思ったんですけども、普通に車のドアを閉めるようにガタンというふうに閉めたわけなんですよね。
他の業者さんであれば、閉める前に少しだけスピードを緩めて、最後カチャンと音をあんまり立てないように閉めるということもちょこちょこ見られるなというふうに思ってるんですね。
これはガタンと閉めるのが絶対悪いんだ、悪なんだというような具体的な話をしているというよりかは、心意気というか気遣いの問題なんだろうなというふうに思うんですよね。
なるべく丁寧に、大切な時間としてご家族さんにおよび本人に向き合おうというふうなところを大切にしたら、大切さだったりとか丁寧さというのは自然に発生してくるのかなというふうに思うんですね。
気持ちの問題として、そこにプロフェッショナリズムが加わることによって洗練された動きになるのではないかなというふうに思うんですよね。
洗練された動きというと、どんなものなのかなというふうにも思ったんですけど、無駄のない動きというとすごくいいのかなと思うんですよね。
無駄のない動きでも、ただメリハリがあって丁寧さがあるということですね。丁寧さがある無駄のない動きというのは、やはりプロフェッショナルな動きだなというふうに思うんですよね。
この前、レストランでもすごくいい調査をしているなというふうに思わされたレストランがあったんですよね。
コーヒーとかを頼んだ時も、そのコーヒーを置く時ですよね。カチャンとも言わせず、音をほとんど立てずに、でもゆっくりすぎない速度で、しっかりメリハリのある動きですよね。
シュッと置くんだけど、最後置く時にスピードを緩めることによって音が鳴らないとか、右手で置くとしたら左手を添えているだったりとか。
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その時は言葉も低い声で落ち着いた男性のスタッフだったんですけど、落ち着いた声でどうぞコーヒーですというふうにさっと言い張ると、最低限ではあるけれども、しっかりと気を使った対応をしてくれたんですね。
これがプロか、これがプロの初作かというふうに思うわけです。
僕もこれって非常に難しいなと思っていて、自分の初作というところを気をつけてはいますが、難しいですよね。
ただ、これは諦めてはいけないというか、追求しないといけない要素なんだろうなというふうに思うんですね。
その葬儀屋さんを見て、初作って大事だなというふうに思ったし、それによって与える他人への影響というのも大きいなというふうに思いました。
自分もちょっと大事にしないといけないなというふうに思ったんですね。
これが初作の話なんですけれども、背景としてなぜこのようなことが起きるのかというふうなところなんですよね。
これは葬儀屋さんといえば、毎日毎日それを繰り返しているわけなんですよね。
人が亡くなるという人生においては大きなイベントではあるんですよね、家族さんにとっては。
ただ、葬儀屋さんにとっては毎日のルーティンワークになっているということですね。
慣れが出てきていて、それは流れ作業になっているということなのではないかなと思ったんですね。
これはある種絶対に起こることで、それが悪いというふうに思うというわけではないんですね。
ただですね、やっぱり慣れというのは人間絶対に慣れますので、
これはある種しっかり脳の負荷を下げながら生きていく上では、慣れというのは絶対に必要なものなんですけれども、
ただやっぱりそこの中で忘れてはいけないものをしっかり自覚し続けるというのは絶対に重要だと思うんですね。
これが仕事だけではなくてですね、例えば家庭内であっても相手への感謝っていうのを忘れてしまうということとかもありますよね。
相手のありがたさっていうのに慣れてしまって感謝の心を忘れてしまう。
これってやっぱりよくないですよね。
慣れてしまうのはしょうがないかもしれないけど、改めてやっぱりありがたいものだなというふうに意識するというところ、認識するというところがやっぱり大事になると思うんですね。
これと構造的には同じだと思うんです。慣れてしまっている。
それゆえに流れ作業になってしまっている。
やっぱり流れ作業でパパパパってされたら、なんか自分が大切なものであればあるほどちょっとそれは良くないよっていうふうに
ちょっと嫌悪感を抱いてしまうと思うんですよね。
ここから考えることは、やっぱり慣れはしょうがないとしても、その都度その都度改めて相手の立場に立って考えるということが重要なのではないかなというふうに思うんですよね。
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逆位、逆の位って書いて逆位とか言ったりしますが、要は相手の気持ちになって考えようよっていうことですね。
これってすごく当たり前のことだと思うんですよね。
普段いろんな代償ありますが、いろんなことにおいて相手の立場に立って考えること、こんな当たり前で大事なことってなかなかないと思うんですよね。
ただやっぱり慣れ、ルーティンワークになることによってこれを忘れてしまうということは、再現性をもっていろんなところで起きている現象だと思うんですよ。
自分がやられたらやだなのに、でも自分はやってしまう、こんなことありませんかね。
このように当たり前のことをできなくなってしまうんだということに自覚的であるということが重要だと思いますね。
当たり前のことを当たり前にする、これは大切である。
当たり前のことを当たり前にすることの大切さということをしっかりと理解しているか、それがいかに重要なことで、いかに難しくて、でもそれをしっかりと価値のあることなんだというふうに考えることができるかっていうのが、
仕事やそれぞれの人への向き合い方として重要な価値観なんじゃないかなというふうに思うんです。
当たり前のことを当たり前にするということに価値を置くということですね。
これは言い換えると一時が万事であるということですね。
小さいことをできない人は大きいこともできないんですよ。コツコツできない人は大きいことを達成できない。
つまり一時が万事であるということですね。
今回は葬儀屋さんの所作に関して違和感を持ったところから、結局当たり前のことを当たり前にするということの大切さや、やっぱり小さなことからしっかりしっかりやっていく、一時が万事であるということについて考えましたと。
そして改めて自分のことを反省して、明日からも頑張ろうというふうに思いましたということについて話していきました。
今日も聞いてくれてありがとうございます。何か学びになったら嬉しいです。
気になることとかあればコメントをいただけると大変嬉しいのでぜひお願いします。
ではまた次回会いましょう。バイバイ。