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2022-12-03 04:20

#392 【史】条丁目ではなかった頃の札幌/地図も読み物だから(7)

地図も読み物だから!(笑)

第7回です。

札幌の古い地図を見ながら語っていきます。

札幌の中心部の通りの呼び方が、明治の初めは違っていました。どんなふうに呼んでいたのでしょう?

興味がない人にはまったく面白くないと思うので、スキップしちゃってくださいね。

にゃおの考える現代の基礎的なリテラシーは、ITをきちんと使えることが含まれます。そのためにどのような問題があり、どう解決していったらよいか考えてみるPodcastです。

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をご覧ください。

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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に、様々な話をしています。
今回のタイトルは、「情長めではなかった頃の札幌。地図も読み物だから。」の7回目です。
札幌の古い地図を読んでいくシリーズです。
前回は、札幌の郊外の地図から北海道を開拓に大きな役割を果たした豚田兵のことを考えました。
今回は、札幌の中心部に戻って、その街並みの変化を読んでいこうと思います。
札幌文庫別冊、札幌歴史地図明治編には、明治11年の北海道札幌の図、明治14年の札幌市街外図という地図が載っています。
この地図を見て、今と違うと気づくことになるのが、通りの名前です。
札幌中心部は、当初から道路を五番の目に計画しています。
そして、それらは何条何丁目という感じで区切られているというイメージですよね。
でも、この条丁目表記は、明治11年の明治天皇の行行を記に改められたそうで、それまでは通りごとに名前がついていました。
その名前には北海道内の地域名が使われていました。
例えば、現在の大通りは尻べし通り、駅前通りは上川通りという感じ。
しかも、大通りから南とか、創世川から東は、同じ通りでも名前が変わるんです。
これだと、場所を探すのに不便すぎますよね。
まだまだ小さな街だったので、こういう名付けでもあまり問題がなかったんでしょうね。
でも、将来のことを考えると、広がった地域でいちいち新しい名前を考えるのは大変だし、
数字で表記するのが近代的という感覚もあって、今の何条何丁目という表記になったのだと思います。
実際その方が場所を探すにはとても便利ですからね。
でもまあ、無意味簡素な数字ではなくて、何かの由緒がありそうな名前がついているというのもいいような感じがします。
今でもメジャーな通りには象徴的な名前がついていますよね。
道頂の赤レンガ正面から東に伸びる通りは、札幌通りと名付けられています。
今はそんな呼び方は残っていませんが、
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ここが中心という感じで、札幌通りという通称を復活させるのも案外いいかもしれないなと思いました。
道路は遠い地域を結ぶものというごくシンプルなイメージがあって、
通りに遠くの地域の名前を付けたのかなーなんて想像していくと、
北海道開拓に対する人々の気合の入り方がちょっと感じられるような気がします。
次回は札幌に鉄道が轢かれたあたりの話をしようと思います。
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今日もワクワクする日でありますように。
千葉直樹でした。ではまた。
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