1. なおくんのラジオ遊び
  2. #2234 左脳の天才と右脳の天才..
2023-11-20 12:01

#2234 左脳の天才と右脳の天才 from Radiotalk

#2234 左脳の天才と右脳の天才
・左利き=右脳優位な人は絵が天才的に上手い人が多い気がする
・右利き=左脳優位だとしたら右利きの得意分野は?
・たとえば、言語化能力とかは左脳の得意分野かも
・他人に憧れるのではなく自分の得意分野を伸ばそう

#202311n
00:01
はい、こんにちは、なおくんです。ということで、本日のテーマはこちら、左脳の天才と右脳の天才、はい、こういったテーマで話していきたいと思います。よろしくお願いします。
はい、ということで、昨日、昨日というか、今日か、今日の明け方ぐらいに収録で1本あげたのがですね、あの
左利きの人はなんで絵が上手いのか、みたいな収録あげたんですよね。で、左利きの人って、僕は右利き、ちなみに僕は右利きなんですけども、左利きの人ってなんか本当に天才的に絵が上手い人が結構多いなって、まあ僕の個人的な体験から思っていまして、結構YouTubeとかでその作画配信とかさ、その絵を実際に描いているところを見れる
動画とかがあるからよく見てるんですけど、で、今までだったらさ、絵って完成品しか見れなかったじゃないですか、だからどういうふうに描いているかっていうのはなかなか見れなかったんですけど、そういう動画とかであの作画の様子とかを見ると、やっぱりね、絵の描き方というかね、そのどう描いているかが見えるのですごい勉強になるんですけど、左利きの人はなんとなくね、こう感覚的に描いている人がね、すごい多い印象があるんですね。
その絵の描き方もいろいろあってさ、本当に設計図をさ、緻密に作って下書きをして、当たりを取ってってさ、本当にあの、建造物を作るように作る絵を描く人もいれば、そういうの全くなしで、本当に一発描きでサササッと描いちゃうような人もいたりするわけで、それはもう十人十色なんですよね。
で、あの、よくさ、モーツァルトがさ、なんかさ、あの、絵の話なんか、音楽の話になりますけど、モーツァルトが、あの、下書きなしで、もう、ペンでもう直に楽譜を書いて、そこには手直しの跡がなかったみたいな話をよく聞くじゃないですか。
で、モーツァルトもちなみに左利きだったらしいっていうね、話があるんですけど、まあそんな感じなんですね。それの絵のバージョンみたいなね。絵もさ、普通だったら普通だったらっていうか、一般的にはさ、ちゃんと下書きをしてから描きなさいとかって言うけどさ、もうさ、ほんとスルスルスルっと描いちゃうような人がいて、なんかそういうのを見るとさ、まあ僕はさ、そういうのができないから、もうめちゃくちゃかっこいいなって思うわけですよ。その下書きもなしにさ、下書きもなしに描くことはできるけど、あの、下手になっちゃうじゃないですか。
普通は。でも下書きなしなのにもかかわらず、ほんとに下書きを描いたよりも上手いくらいな、なんか下書きを描くとなんかぎこちなくなるじゃないですか。なんか、あのーすごい、なんか、たどたぶしい感じになっちゃうというか、みたいな感じになるんだけど、下書きなしでほんとにのびのびと描いてるんだけどめっちゃ上手いみたいなね、そういうなんかさ、漢字にすごい憧れるわけなんですよね。
で、さ、あの、昨日も話したんだけど、昨日というか前回の収録でも話したんだけど、まあショコタンいるじゃないですか。中川翔子さんね。ショコタンも左利きなんですけど、まああの人は本当にまあ僕が思うあの左利きの天才みたいな感じの典型的なタイプの人だと、まあ思うんですけど、もう本当になんかね、あの下書きなしでね、もう一発描きで絵を描くんですけど、あれもなんかyoutubeのショコタンのそのイラストを描いてる動画たくさん上がってるので、
03:29
見てほしいんですけど、もうね、あの、ショコタンは目から描いてるんですよね。キャラクターの目から描いて、そこから輪郭を描いていくっていうね、これも普通にこう絵を、あの、絵の描き方みたいなものを調べた人とかわかると思うんですけども、目から描くってあんまりこう、推奨されない描き方なんですよね。
普通だったらまずその、体全体のバランスを当たりでとってから、で、顔の真ん中に十字線を引いてからみたいな、そういうやり方が推奨されるんだけど、もうそうじゃないですよね。本当に。で、目から描くってね、子供とかさ、絵をさ、よくわかんない人が描くやり方なんですよ。
なんでかっていうと、目は一番さ、みんなが描きたい部分じゃないですか。でも、それをやっちゃうと、大抵ね、バランスのおかしい絵になっちゃうんですよ、普通は。
だから、あの、当たりを先にとって、とか、顔を十字線で描いてとかって言うんだけど、それをやると、あの、確かにバランスのいい絵は描けるんだけど、ぎこちなくなっちゃうんですよね。
その辺がやっぱり、絵描きのこう、悩みなんですけど。でも、しょうこたんは、あの、目から描いて、本当に子供が、あの、描いてる時のまんまで、絵を描いてんだけど、しかもそれでいて、バランスが取れた絵が最終的にできるっていうのがね、あれは本当すごいというか、
なんかね、もう脳内であらかじめ、頭の中にちゃんと完成図が見えていて、それをなんか、なぞってるだけで描いてるような、そんな風に見れるんですよね。
だからそれを普通の人は、なんか水色の薄い鉛筆で当たりを描いたりとか、薄い鉛筆で下書きを描いたりするんだけど、それがもう頭の中に既にあるみたいな、なんかそういうのが、特にこう、左利きの人にそういうセンスがある人が多いのかなって、
まあ、ぼんやりと思ったんですよね。もちろんね、左利き、右利きだけで、こうね、カテゴライズが良くないっていうね、意見もあるのはわかるんですけど、まあ、あえて言ってる部分もあるのでね、その辺はちょっと、あの、ご了承くださいって話なんですが、って思ったんですよね。
だから僕はね、そういった才能に関しては、まあ、ないなっていう風に、こう、動画を見るとね、もう思うわけなんですよね。これはもう練習とかでどうにかなるレベルではないっていう、なんかそういう感覚があるわけなんですね。
じゃあ、で、僕はね、右利きなんで、多分ね、才能型だと思うんですよね。で、じゃあ、才能が得意なのは何かっていうと、まあ、よく言われるのは言語であるとか、ロジカルな考えとか、えー、まあ、数学的な考えとか、まあ、そういったね、えー、まあ、理屈っぽく考えるみたいなことで言われがちなんだけど、まあ、なんかさ、そういう風に考えると、なんかその才能、才能的な人ってなんか、なんかちょっと、
06:17
ダサいみたいな感じのイメージがあるじゃないですか。なんか、右能でなんか天才的にパパパッとやっちゃう方がかっこいいみたいな。まあ、確かにそういう面もあるんですけど、でもそこはもう仕方ないって諦めて、一旦さ、もうその、右能的な天才とはちょっと違うっていう風に諦めた上で、じゃあ、才能の天才って何かっていうと、多分ね、言語を操ったりとか、ロジカルな考えをするっていうことは、結構才能が得意なことなんじゃないかなって思うんですよね。
だからまさに今僕がやってるように、なんか自分の思っていることを言葉でこう紡いで表現するっていうのは、多分ね、才能の得意分野だと思うんですよね。だから僕は結構こうやって、あの、ラジオトークでペラペラペラペラ喋ってるのは、多分それはなんか、えー、絵を描くことに置き換えると、何も見ずに、あの、スラスラと絵を描いてるみたいな、そういう感じのことに近いと思うんですよね。
だから、わかんないけど、その喋るのが苦手な人とか、うまく言葉で表現するのが苦手な人にとっては、そうやって、あの、何も見ずにペラペラ喋るっていうことが、なんか、あの、すごいっていう風に思う人もいるかもしれないなってふと思ったんですよね。
だからそれはさ、自分が当たり前にできてることだから、あんまり自覚はないんですけど、なんかそれがなんか、才能のなんか得意分野なのかなって思いましたね。つまり、その言語化するというか、概念を言語化したりとか、物事をロジカルに考えたりとか、うん、なんかそういうこと。で、僕はなんか、どっちかというとそういうことが好きなのかもしれない。好きなのかもしれないし、得意だから好きなのかもしれないけど、でもさ、あんまりさ、そういうのさ、今のこの現代社会においてさ、
さっきも言ったように、あの、あんまりかっこいいとされてないからさ、自分ではどっちかというと逆にコンプレックスなんですね。そういう、あの、物事を理屈的に考えてしまったりとか、えー、なんか何でも言語化しようとするっていうのが、うん、あんまりこう、かっこいいっていう感じがしないんですよね。だから、うん、なんかその、右脳的なセンスがある人に憧れちゃうというか、これもまあ、ないものねだりかもしれないですけどね。
で、昨日ね、ライブ配信やってたんですけど、あのライブ配信でね、ちょっとピアノを弾くっていうライブ配信を定期的にやってるんですけど、で、そのピアノを弾きながらね、曲を見ながら曲の練習をしてるんですけど、この曲がどういう風な構造になってるかっていうのをライブ配信の中で、あのー、論理的にね、こう説明してたんですね。
僕、音楽理論が好きで、結構音楽理論を勉強していた時期があるので、その、曲の仕組みとかを理論的に解説するのが結構、あのー、好きなんですけど、で、それをやってたらね、なんかすごいテンション上がって楽しくなってしまって、あのー、あっという間に時間が過ぎちゃったんですよ。
09:06
つまり何が言いたいかっていうと、やっぱり僕ね、その理論的に何かの構造を解説したりとか、分析したりっていうのが結構好きなのかもしれない。だからその、例えばそれを絵に応用するとしたら、人体の比率が2分の1、3分の1、手からどこまでの位置が3分の1でとか、そういう風に理屈っぽく構造を分析して考えるのは結構好きなんですよね。
だから、なんか、右脳的な直感的な天才にはなれなかったとしても、そういう風に左脳で分析したりとか、何かを言語化したりとかっていうそういう才能を使えば、なんか自分のそのいいところを活かせるんじゃないかなっていう風に思ったんですよね。
だから、誰かに憧れるとかそういうことではなくて、自分の得意なことは何なのかっていうことをちゃんと見極めて、それを活かすっていう風に考えた方がいいのかなっていう風に思いましたね。
だからそれは何だろう、そういう圧倒的な才能がある人の才能に触れると、逆に気づけるというかさ、もうその右脳的に天才な人が描く絵にはさ、もう絶対敵わないっていうのはさ、動画を見るとわかるんですよね。
だから、そういう時にそこで勝負するんじゃなくて、自分の得意なことは何なのかっていうことを考えて、自分はどっちかというと言語化したりとか、何か物事を分析したりとか、構造として見て、それを理論的に解説したりするのが好きだなっていう風に気づけるんですよね。
そしたら、その部分を伸ばして、自分にできることをやっていけばいいんじゃないかなっていう風に思ったんですよ。
だから、右脳的な天才に憧れつつも、そうはならないなって思った時に、じゃあ、作能的な人間はどう生きるかっていう、そういう話をね、ちょっとね、まだうまくまとまってないんですけれどもしてみましたね。
だから、こういう風な漠然とした考え、何かぼんやりとしてるけど、それを言葉にうまくできないっていうのを言葉にするのが僕は得意だし、そういうのが好きなんですよね。
だから、今僕は自分のその才能というか、お生かしながらですね、こうやってラジオ投稿してるわけなんですよ。
っていう、そういうことなのかなって思いましたね。
もちろんそれもね、あの才能って言いましたけど、それが僕が超絶うまいかって言ったら、まだまだっていう部分ももちろんあるんだけど、でもなんか、その右脳的に直感的に絵を描く能力よりかは、多分僕は言語化能力の方がどっちかというと引い出てるっていうことなのかもしれないなって思いました。
はい、ということで、左脳の天才右脳の天才という話をしました。ありがとうございます。
12:01

コメント

スクロール