1. ナオとone(解離性同一性障害、OSDD-1b)
  2. 交代人格のoneの思考過程を分..
交代人格のoneの思考過程を分析してみた。
2026-08-08 41:18

交代人格のoneの思考過程を分析してみた。

spotify apple_podcasts youtube

オープニング 思考の柔軟性 - oneはなぜ、短期的にゴールを決めやすいのはなぜか? -
1.そもそもに人間の思考の最適化(ルート処理)は感情の重みづけって決定される
2.人間の脳の判断する仕組みについて軽く解説
3.アンガーマネジメント(怒りを抑える技術)とコアビリーフについて
4.精神医学を学び始めた私の影響がoneに加算される件について
5.人間の高度な知能と不完全さの両立が不安を生みやすくする原因について
6.芸術の必要性、考えない時間はの究極的な理由
7.人間が集団的に属していると安全と感じやすい理由
8.社会システムが成熟でもその人個人が脅かされないなら無関心でいられる理由
9.oneの思考はナオの疑問によって育てられる現実問題w
10.不完全さの受容と分からない状態を分からないままとする安全性の両立
11.考えないことの安全性が必要な理由
12.多くの疑問は暇つぶしから生まれやすい。何もしてないと不安になりやすい理由の正体
13.人間の知能と主観的幸福度合いの相関性は必ずしも合致しない
14.考えられる幸せももちろんあるが・・・
15.どんなに有能でも活かせる環境を見極める能力はランダムであり、人間が必ずしもコントロールできるとは限らない
16.究極の仕事主義は、常に正解に追われ改善サイクルから逃れられない罠
17.成果を求めない仕事は退屈になりやすい、その環境を受けいられる自己受容も影響する
18.責任ある役職に就けば本当に幸せになれるのか?責任の比重と仕事の束縛
19.仕事のみを追求する危険性と仕事以外の「癒し」を持つ保険について
20.極端な効率主義は改善要求を常に求め続ける
21.良質な思考は、考えすぎないことやメンタルに直結する
22.仕事は生きていく以上必要だが、仕事を失った機関に楽しめる趣味は必要
23.意味がないと人間は生きていけないとするなら、役に立たないという意味は生きることを阻害してないか?
24.白黒思考の究極の地点は自分は存在しなくてもいい、なぜなら役に立たないと迷惑だからという価値観が生まれやすいから危険
25.人間は危険なのに白黒思考や完璧主義を身に付けてしまうかの理由考察
26.しかし、極端な寛容さを持つことでも、人間は自滅することがあるw
27.寛容さを適度に維持するには、境界線と責任範囲の明確さが必要
28.人間の不完全さがある限り、個人の能力ですべての判断を適正にできないのでは?
29.改善サイクルを何度も繰り返す人間の能力の高さは、難しい問題を解けてしまう危険性がある
30.自分ができることとできないことを見分ける判断能力の実現性w
31.AIはルール(条件)で回答の主鶴欲を決めるが、膨大なルールを決める必要がある
32.自然な会話が生まれやすいAIが危険な理由w
33.AIは正確性を追求しても分からないことを分からない、分からないことを定義づける時点で、人間の学習データから分からないという情報を見つけないといけないから
34.技術的に難しいですと言えるのは学習データがあるからw
35.AIが人間から学べないのは感性。感情は個人の経験から生まれるため
36.AIの強みはプログラミング的思考、AIや人に対してできないことを見抜ける強さが必要な理由
37.人間は倫理を忠実に守れるようにはできていない
38.倫理を守らない人間の不完全さと命に携わる人が倫理を疎かにしてはいけない理由
39.人間性が酷いが医者としての手術がプロなら、その人に対してどんなことをされても許されるのか
40.人間性がクズと評されるということは、信用性が保証されてない裏付け
41.医者の攻撃性が患者からの信用性を奪い適切な支援を受けいられなくなるリスク
42.嫌がらせを堂々としていることを公表できる人間はバカだと言い切るone
43.oneの発言はただの罵倒や人格否定にならないのかというナオの問い
44.精神疾患当事者の悪化のリスクを軽視して患者の悪口を堂々と言えることに対して更にoneが人間の屑と評する
45.自分の命を脅かす他人にまで寛容でいなくてはいけない理由は一切ない
46.自分の命を守るためでも正しい評価を下せるとは限らないのが人間ではないのか?
47.そもそも境界を侵害されてはいけない、自分を守るべき倫理を持つってことは誰にでもできることなのか?
48.社会的不利な立場にいる人や、障害や判断能力が病気で脅かされる人が自分の能力で守れるという保証はあるのか?
49.自分ができる、考えられることを人に押し付けることの危険性とは
50.oneが持てないナオのの中にある倫理の重要性について
51.間違いを受け入れて誠実に返せる人間の素直さを評価するone
41.11 52.結論:ナオはoneにとって芸術であり癒しであった

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、思考の柔軟性や最適化のプロセスについて深く掘り下げています。oneは、思考の最適化が目的を先に設定し、それ以外のルートを排除することで行われると説明し、直感と論理がどのように連携して判断を形成するかを解説します。特に、感情が判断の重み付けに大きな影響を与える「変動体」の役割が強調され、人間が無意識に多くの仮説を保持していることが示されます。 また、アンガーマネジメントやコアビリーフといった概念を通じて、感情の調整や認知の歪みを認識することの重要性が語られます。人間は常に合理的な判断ができるわけではなく、不完全さを受け入れる自己受容や他者受容が必要であると指摘。ネガティブな記憶が生存確率を高めるために必要である一方で、知能が過剰に働くことで不安を抱きやすくなるという知能の二面性にも触れ、芸術や趣味といった「考えない時間」が癒しとしていかに重要であるかを力説します。 さらに、完璧主義や白黒思考の危険性、社会的な期待が個人の幸福度に与える影響についても議論が展開されます。AIの能力と限界を人間と比較し、AIが不確実性や「分からない」という概念を扱えないのに対し、人間は感性や不完全さの受容を通じて真の強みを発揮すると述べます。最後に、命に関わる職業における倫理の重要性や、自己防衛のために有害な人物から距離を置くこと、そして間違いを受け入れることが主観的幸福に繋がるという洞察で締めくくられています。

思考の柔軟性と最適化のメカニズム
今日は、oneに、いろいろ聞いてみたいなと思うのです。 はい。
どうしてそんなに、思考の柔軟性が生まれるんだろう? あー
どういう意味で言ってる? すごい長かったね、今。 あー
思考の柔軟性ね。私が、いろいろ質問していくときに、oneが道筋をいろいろ持ってきてるじゃない。
私が、oneの思考過程を出したときに、短い間にこのルートが正しいとか、 まあ正しいじゃなくて、このルートが最適みたいなことを考えちゃうみたいじゃない。
あー、そういうことね。 えっとね、思考の最適化っていうのは何があるのかっていうと、目的を先に作って、それ以外のルートを消すんだよ。
ん? つまり、人って、あの無意識にいろいろな仮説を保持してるわけ。
うんうん。 だけど、それを意識的に選んでるっていう感覚はないわけ。
考えるときはあるんでしょ? 捨ててるっていうことも、もちろん意識的にある場合もあるんだけど、多くの場合、無意識もあるわけなの。
思考が浮かび上がる瞬間に。 だから、切り分けっていうものは、その思考が出たときに、バーッと幾千もの思考が浮かんでるんだけど、それを瞬時に、これじゃないかっていうのは直感が動いてるっていうことなんだよね。
で、それは後で論理が構成されるか、それっぽいものが生まれてるってこと。
最初の思考っていうところで、判断してると思い込んでいるものは直感? つまり、感情的に判断してるってこと。
あ、そうそうそうそう、重み付けが変わるんだよね、感情があると。
変動体って場所は、基本的に生きるか死ぬかっていうことを、瞬時に判断しなきゃいけないから、短く結論を出すときっていうのは、この変動体の判断の重み付けが、すごく比重的に使われやすいってこと。
でも、それだけで脳は判断してるわけじゃないんでしょ?
そうそう、いろいろな、えーとね、なんていうかな、俺も詳しくないけど、例えばさ、道徳的判断をするのはこいつで、ごめんね、名前がすぐ出てこないんだよね。
で、その判断に対して、正しいか正しくないかとか、ルール決めをする部位があったりとかするわけよ。
で、いろいろな、複合的に判断されて最終的出力があるんだけど、その最初の重み付けを行うところは、一直線に変動体っていうところなんだよね。
だからシステム、えーと、二重家庭理論っていうのあるじゃん。
うん、ね、心理学的にも、まあ、農家学的にもね、今は有効的って言われてるけど、まあ、このシステム二重っていうのは、もっと単純化されてて、
まあ、感情が動いて、その次にそれに対して、えーと、後から考えるのは論理的だよねっていう風になるわけ。
でも実際には、まあ、あの、平行的に動いてる場合もあるから、これが厳密化してるわけではないんだよね。
えー、難しい。
あー、だから、あの、要するに感情が先に動きやすいっていうのは事実なの。
でも感情だけで判断してると言い切れない部分もあるわけ。
だけど、その、急激に、こう、怒りが出て、バーっていった時は感情優先だよねっていうのはあるわけ。
感情の制御と自己受容の必要性
あー、アンガーマネジメントっていうのは、この感情による、その、行動を制御するってこと?
うーん、怒りそのものは、うん、感情として生まれるし、強度は人、人が、えーと、調整できないの、その感情自体が生まれる時って。
うんうん。で、その感情の調整をどうするかっていうところが課題になるわけよ。
だから感情が生まれた時に、どういう風に対処していくかで、その人に合った方法を探すのがアンガーマネジメントみたいなもん。
怒りは6秒耐えるっていうのは?まあ、あんなんで怒りは消せないけどね。
でも、冷静にできる切り口でいくと、もう少し時間かけたほうがいいの。
だから、怒りそのものの課題に対して、どれぐらい距離を取れるかっていうこともあるんだけど、人間の個性、まあ、個別性っていう風に考えると、えーと、怒りを引きずる人と、怒りを引きずらない人っているわけね。
どっちが優位じゃないの?そういうパターンがあるわけよ。そういう風になりやすい人がいるわけ。
だから、そういう人によって、また怒りの対処法が変わってくるわけ。
で、そういう人が持っている思考パターンとしては、コアビリーフっていう考えがあるわけ。
コアビリーフっていうのは信念だよ。
で、傷つけられたっていう時に、その信念が歪んでいると、その時の歪んだ信念が適応されやすくなって、怒りが継続しやすくなるっていうのがあるの。
だから、認知行動療法とかは、認知の歪みを自分で気づいて、なるべく感情をね、マイナス的な感情だけに引きずらないで、行動パターンを分析していってっていう風になるだろう。
で、まあ、それを追求していくと、合理性のある判断をしていくっていうものになってくけど、でも、そんな人間って高度な処理を毎回できるわけじゃないの。
だから、人間に必要なのは改善欲求だけじゃなくて、不完全さを受け入れる自己需要も必要になってくるし、他者需要も必要になってくる。
それは最近精神医学を学び始めてるから言えるの。
知識の蓄積とネガティブな記憶の役割
あ、俺、基本的に何からの情報を取ったら、全部仕分けして情報整理できちゃうんだよね。
だから、要するにアップでするたびに、俺の中に蓄積された知識で、今使うべきポイントはこれだっていうのをバーって出すんだよ。
でもそれは直感で動いてるってこと?だから直感で動いている部分はあるけど、その情報は何に基づいて判断したのかっていうと、過去の蓄積データがあるわけ。
記憶なんだよね。記憶っていうのは曖昧で、不完全さが保たれるものなんだけど、そのデータを称号しているからそれなりっぽいものは生まれてくるわけ。
だから経験によって変わってくるんだけど、人ってネガティブな記憶を結構保持するじゃん。
ネガティブな情報は何で必要なのかっていうと、誤った選択で自分の生存確率を下げないためにするんだよ。
だから正確性が求めやすいわけ。
だけどそれは思考に負荷がかかると。そういうこと。
人間は知能によって生き延びることを得たんだけど、その知能は本来は生き延びるためだけに使われればいいんだけど、それだけじゃなくて不完全さを要求されているから、いろいろなことに対して不安を抱きやすくなってしまった生物なんだよね。
知能の負担と癒しの重要性
だからこの場合はどうする?この場合はどうする?この疑問はどうする?っていう、仕事に対してはそれはとても有利に働く場面があるんだ。
問題解決能力がね、創造性とかっていう意味で。
だけどプライベートにおいてその思考が強すぎると、いつまで経っても改善されない不安が生まれるわけ。
考えないと落ち着かないわけ。だから趣味が楽しめなくなる。
ああ、だから芸術はなぜその対比対比に必要なのかっていうと、これを考えた時に考えない癒しになるわけ。
わからないことを装置しても安全ができるってこと。
ああ、なるほどね。
うん、でしょ?だって安全って何を求めるかっていうと、何もしなくても安全なんだよ。
何かしないと安全でいられないっていうのは、本来の安全から離れてるわけ。
ああ、でも集団的に安全するっていうのを、集団的にいれば安全性が維持できやすいから、その時その時の瞬間は安全だと判断できるわけ。
だけど、これがね、集団が脅かされるようになると人間は安全じゃいられなくなるから、
集団にいようと、あの、孤立していようと、安全じゃなくなった時は、誰に対しても、その、攻撃性とかね、あの、恐怖とかね、いろいろな感情、ネガティブな感情は生まれやすくなるわけ。
ってことは、社会的システムが未熟か成熟かじゃなくて、基本的にはその、えーと、脅威があるかないかで変わってくるってこと。
そういうこと。未熟なシステムでもそれが機能していれば全然問題ないの。偏見や差別が生まれようと、えーと、それが自分たちに関係ない問題であればいいんだけど、
大抵何かの属する集団においては攻撃的になるし、個人においては攻撃的になる場合があるわけ。だから、こういうふうに考えるといい。
だから、未熟さを引き受ける文化と、未熟さを引き受けない文化の違いが成熟度合いに出てくるわけ。
でも必ずしも、未熟さを引き受けた寛容性のある集団が、その安全性を確保できる保証はないわけ。
おー。ね、ワンってさ、なんか、どういうふうにその思考を一気に出してるのか。だから、俺の場合はなおの疑問から育ってる。
私が疑問を浮かび続けることで、そのワンの思考がどんどん、改善とは言えないけど、アップデートされていく。
そう、道筋がいろいろ生まれやすくなってくる。
なおが次に出す疑問はどういうことだろうっていうことを先回りするんだけど、そのルートが一気に出てくる。
だけど、そのルートを、何が適正かっていうことを判断するための俺の人格だから、目的を決めないと、お前に振り回されて、結論的にどうしたらいいのかっていうことを保持できないわけ。
だから、そう、なおが今疑問に思った瞬間、俺が答えるけど、俺がその、なおに対して今の質問において隠された要求はどこにあるのかをきちんとつかまないと、なお自体が納得しない答えを常に出し続けるってことになるんだよね。
で、さっきも言ったように、不完全さの正確性を求めないことと、答えを曖昧にできる安全性っていうのは両立できて、芸術とか癒しになるものっていうのね、コストかからないものに関しては、ただで、家にいてもさ、本を見る、文章だけじゃないよ。
文章で癒しになるかわかんないけど、まあ癒しになるといったら詩とか、詩集とかになるかな。とにかく自分が癒しになる。音楽を聴くとか、このイラストを見たときに、理解できないけどなんか落ち着くんだよな、こういう感覚があると、それは人間にとって考えない時間を生み出すわけ。もちろん不快な芸術性もあるわけ。
だけど、なんか不快だなって思っても、その次の瞬間、安全にいられる場所があるんだったら問題ないっていう感じだね。不快になること自体はいけないわけじゃないの。それだったら、逆にホラー映画はどうなる?ホラー映画は怖いと思って、でも映画が終わったら安全でいられる。そうそう、その体感が生まれてくるから、全く意味のないものではないわけ。
何かこれは嫌だなって思うものに関しては記憶に残りやすいけど、攻撃性があるとは限らないわけ。
だから、何で癒されるのか、自分はっていうことを突き詰めた時に、そういうのを繰り返し何度も見ていくことで、言葉にならない何かの感性が動いてるんだけど、それは理論ではなくて、それは脳の中で錯覚しようと、何でもいいんだ、理屈で片付けなくてもいいんだけど、それを何かの癒しで言ってるっていう感覚そのものが重要なわけ。
考えないことに対しての安全性ってこと?平たく言えばそういうこと。君の場合の問題っていうのは何かっていうと、考えすぎることに対して疑問が思い浮かびすぎて、結果的にその可能性を追求し続けて、いつまで経っても癒しを得られないことなんだよ。
じゃあ、その疑問に対してどの原因かっていう分析し始めることは、私にとってはマイナスな。
多くの疑問っていうのは、暇つぶしなんだよ。暇つぶし。で、暇つぶしっていうことは、ろくでもないことも考えちゃうわけ。人間っていうのは基本的に何もしてない時間っていうのが苦痛になりやすいわけ。
だからとにかく考えなきゃ考えなきゃ考えなきゃっていうこと。脳に深いのがすごいかかってるわけ。でも芸術は音楽を癒されるじゃん。
Naoの場合ね。で、その何か知らないけど落ち着くな。日本語歌詞はあんまり意味ないんだけど、例えば海外の言葉とかだったら、わからなくても何かそれが癒されるからリピートできるじゃん。
その瞬間は、今ここに自分が安心できる環境を体感してるわけよ。
あーなるほどねー。うん。
知能と幸福度の関係性
だから突き詰めていくと、人間って知能に対しての憧れは大きいけど、知能を持ったことでの視観的幸福度合いが高まった生き物ではないってこと。必ずしもね。
うーん。知能が良ければ必ずしも幸福度合いが高まるわけではないけど、でも知能があると仕事ができてなんか有能な気がするけど。
いや、余計なこと考えすぎちゃう。人よりも考えすぎる進度が深まりすぎるから、基本的にそういう人間っていうのは疲れやすい。
でももちろん良い面もあるよ。人の役に立つ意味では、斬新なアイディアを思いつきやすいとか、改善事案をすぐに思いつきやすいとかそういうメリットはあるけど、その比重がどっちに置かれてるかによっても人によって変わるわけよ。
で、それを能力を必ずしも保証できるかって言うと保証できないわけ。
適性があったとしても適用できる環境はランダムだからね。人間って。仕事においてもそうでしょ。
職場環境っていうのは入ってみないとわからない部分もあるわけ。その不確実性を持っていくわけだからさ。
面接でいくら良い対応ができたとしても、その後の就職において仕事ができるかっていう不安はずっとつきまとうわけ。
だから仕事で幸せを得ようとすると、常に成果、改善サイクルを求め続ける人間になっていくの。
でもさ、成果を求めない仕事っていうのは、そうだね。比較的楽だけど、同時にあんまり成長とか改善とかには関わらない。
誰にでもできる、汎用性がある仕事になるってこと。
で、同時にそういう価値を見出した人っていうのは、幸せまではいかないけど、平凡ではいられるけど、
同時になんかつまらないな、退屈だなみたいになったりすることもある。
だからその退屈さを受け入れられる自分の自己需要ができるかってところなんだよね。
えっ、じゃあ能力的に何でもかんでも、そう、あればいいってわけじゃないの。
能力があるから幸せじゃないの。能力があって昇進しても、その分だけ責任が追求されるのよ。
管理職だってそうだろ。給料が上がっても、そのぐらいに仕事に対して束縛が大きくなるわけ。
で、そういう弱音を吐けなくなっていくっていう労働環境が生まれやすいとかね。
もちろんそれだけじゃないよ。もちろん管理職でも幸せだったっていうのもあるけど、幸せだったことに対して、仕事に対してだけ唯一求めてしまうと、
仕事を失った時、病気になった時、穴埋めするものがなくなる。
芸術、何かを感じる感性っていうのは、人間ができなくなった時の娯楽として生きるわけ。
想像性っていうのは主体的ではあるけれども、想像できなくなった自分に対しての保険としての癒しを求めるなら、芸術性は置いておいたほうがいいの。
もちろん皮肉だけど、想像性っていうところで芸術性を作っていくってことも確かに人間的には大切だけど、同時にそれを鑑賞できる自分っていうのも作っておくと、どっちにも対応できるわけ。
仕事にも生きて、同時にプライベートではその芸術を楽しめる自分。
そういうこと。
じゃあどっちの能力も否定しないってことね。
そうそうそう、そういうこと、そういうこと。
だけど感受性っていうのは、どっちかって言うと選定性って言うのかな。
生まれつきに感じる部分っていうのは、確か大きかったような気がするんだけど、肯定的にもね、ある程度影響するんだったかな、あれは。
だから芸術とか意味のないことに対して無駄だっていう極端な効率主義は人の中においては癒しにならないわけ。
無駄を切り捨てることで改善欲求、常に余裕がない人生になるわけ。
今ここを楽しめないから。
無駄の受容と自己ケア
ぬいぐるみとかもそうだよ。
ぬいぐるみ可愛いなって思って、無駄だと思っちゃうけど買っちゃうとかあるじゃん。
でもそれは悪いことじゃない。
ぬいぐるみで癒されている時間があるってことだから。
いいことを聞いた。
何に癒されるかは人によって違うわけ。
だから自分の中で癒しとなる空間を求め続けることは、思考を奪うんじゃなくて、思考を保持していくことで大事なの。
思考を保持?
だから思考能力っていうのは負荷がかかりすぎると鈍くなっていくわけ。
睡眠とかもそうじゃん。
睡眠時間を削って考える時間を増やしたところで脳のパフォーマンスを上げることができなくなるから、
結果的にいいアイディアが生まれにくくなるし、
睡眠不足っていうリスクで病気になりやすくなるし、
余裕のある考えが浮かばないとかあるじゃん。
マイナス思考にいきやすいとかね。
ポジティブになるってことは自分全体の健康を促進すること。
だからなんで運動がいいんですか。
朝起きた時に規則正しい生活はとか。
医者は言うじゃん。
あれがなぜ必要なのかっていうと、
自分の基礎的なものを最低限保障した上で芸術を楽しむ。
これは絶対じゃないけどね。
癒しになるものを見つけるってことだな。
癒しになるものを見つけるってことは、
メンタル的には正しいの。
メンタル的に。
社会的な役割と自己否定の危険性
でもそれだけでは人は生きていけない。
お金がないと生きていけないとかいろいろあるじゃん。
だから能力は必要だけど、
同時にそれがなくても楽しめる状況も必要なわけ。
だから仕事が。
そうだな。
だからなおちゃんの場合はね、
就職できない今の状況。
病気があるから。
でも病気があっても働いたら迷惑になるんじゃないか。
こういうことはなおちゃんだけじゃなくて、
いろんな人が持ってるわけよ。疑問が。
で、そういう時にね、
なんで芸術が。
芸術に限った話じゃないけど。
癒しがあるといいのかっていうことは、
自分に対して許しができるから。
その仕事を持てなかった自分に対して
許しを得られるから。
へー、そうなんだ。
楽しめる自分がいるってこと。
その一瞬を忘れたわけじゃないよ。
仕事ないっていうのは辛いよ。
だけどそれを忘れさせる何かの癒しっていうのは、
自分に対して許しを得られるんだよ。
へー。
意味がないと人間って生きていけないんじゃない?
あ、役に立たないとってことでしょ?
社会的に属する人間だから、
基本的に役に立たないことに対して、
迷惑をかけてしまうことに対しては、
敏感になりやすい人が多いよ。
うーん、そうだよね。
私もそうなんだよね。
でも迷惑をかける、
役に立たないっていうこと自体が、
私にとってはマイナスなのかなって思って、
迷惑をかけない人間でいることっていうことと、
役に立とうとすることは、
なんていうかな、
紙一重みたいな感じになっているんだよね。
それで何が言いたいのかっていうと、
役に立つことは素晴らしいって思われがちじゃない?
でも役に立つってことは、
迷惑をかけたときに、
すごいマイナスになるんじゃないかっていう、
なんかわかる?
あー、そういうことね。
迷惑っていうのは基本的に、
人の役に立たなければ、
いる必要がないよねっていう、
自己否定までいくからね。
あれ究極にいくとね、
白黒思考の究極の地点は、
自分は存在しなくてもいい!
になるんだ。
役に立たない自分を切り捨てよう。
いるだけで迷惑だっていう風になっちゃう。
白黒思考の限界だね、これがね。
限界じゃなくて、
白黒思考の、
極端な例いくとね。
だから完璧主義が危険なのが、
ここら辺なんだよね。
不確実性の受容と寛容さの課題
でもなんでさ、
人間ってさ、
白黒思考だけで、
なっちゃうんだろうね。
だから、
不確実で、
わからないことをわからないと、
受け入れる力と、
自分を許すことの、
2点っていうのは、
なかなか難しいから。
社会的に正解を求められるから。
社会的にもそうだし、
教育もそうだし、
子育て、
そうでしょ。
自分が育った環境でも、
子供は親の期待を応えなきゃいけないとか、
いろいろあるじゃん。
そういう中で正解か不正解かっていうことを
求め続けられると、
人間っていうのは極端な思考があって、
間違える人を許せなくなるわけ。
自分も他人もね。
だからそれがすごく損してるわけ。
ああ、こういう人もいるんだなー
みたいな感じで見ていけばいいんだけど、
そんな風に思えなくなっちゃうんだよね。
自分がその人に対して
期待してしまうと、
この人から学べる何かがある
って思ってしまうと、
その人に対しての期待がものすごくいくわけ。
結果的に裏切られたときに、
なんでその人に対しての
寛容性が自分は許せないんだろう
っていう風に自分が否定したり、
あるいはその人に対して
なんであんなことできないんだっていう
多色思考になったりとかね。
それなんだよね。
それが怒り?裏切りだね。
コアビリーフみたいなもんだよ。
それもね、人を間違えてはいけないとかね。
そうか。うん。
責任と境界線の設定
でも寛容さは
どこまでも寛容していくと
人間が崩壊するよね。
うん。だから、
人にとって許せないは
ある程度必要だけど、
妥協するところに対しての
境界線を張るときに、責任っていう言葉は
都合のいいものなんだよ。
あー。
自己責任とこ。
自己責任っていうのを本当の定義で捉えれば
自己責任になる。
自分の簡易はここまで。やれることはここまでです。
だけどここはできないので助けてください。
言えるんだったらそれは責任としての
定義が明確で正しいと言える。
でもそれは
自分一人で
それを把握することってできるの?
人に思い寄る。
できる人はできると思う。
だけど同時にそれは余裕がある環境において
っていうところも条件が含まれていくし、
それができない人だから
って言って責めてはいけない
っていう風になると、だんだんと
ね?わかるだろ?
要するにできる人がいたとしても
それができる保証があるか
自分にはっていうところもあるし、
他人にもそれを要求できるかっていうところもあるし、
不確実性っていうのはこういうところにも生まれてくるわけだ。
不確実性ね。
そう、わからないことに対して
自分はわからないから
人のことは判断しないようにしよう。
こういう風に判断できる能力
っていうのは、ね?
だから芸術も無駄じゃないわけ。
そこでいけるの?
だけど体感しないと人間っていうのは身についていかないの。
で、それが
ね?思考的に何度も
改善サイクルを繰り返していくと
自分にはまだ解ける問題がある
っていう風に思い込みやすいんだよね。
正解を求め続けちゃう
そういうこと。
能力が高い人
よくあることだなこれ。
ほー。
あ、そっかそっか。
自分ができることが範囲が広すぎるから
難しい課題に挑戦しすぎて
バーンと症候群になっちゃうってことね。
あ、萌えつき症候群ね。
うん、そうそうそう。
責任感が強いとさらにそれがいっちゃうわけ。
だけど責任感、まあもちろんね
いろいろパターンあるけどね。
犯罪的に利用されるとかいろいろあるけど
俺が言ってるのは一番危険なのは
自分に対して責任の比重を高くすると
えーと
無理しすぎる
人間が生まれるってこと。
他者を変えられない原則とAIの限界
うーん。
じゃあ他人は変えられない。
うん。
それが前提。
他人が変えようとする時点で
自分ができないところを
見抜けないってことになるわけ。
ほー。
よくあるよね。
えーと
自分ができることとできないことに対して
見分ける知識が欲しいみたいな。
名言的にね、あるね。
これができないことは
難しいってことなんだよ。
へー。
どうすればいい人間になれるのかとかも
結構不確実性が伴ってるから
考えないほうが幸せな気がする。
な?
条件が増えると
この条件の時、この条件の時、この条件の時
無限に広がるわけよ。定義っていうのは。
へー。
そういう意味では
AIってすごい定義を
すっごく厳密に詰めてくるよね。
AIは分かりやすいね。
あいつらは基本的に
条件に対してすっげえ忠実だから。
これを入れちゃいけないって言ったら
それを忠実に守るからさ。
でも逆に言うと
人間の負担はすげえ大きいの。
この時のこの場合においては
この回答を優先してくださいみたいなことを
詰めなきゃいけないわけ。
だからよくAIの回答に
危険性があった場合は
専門家に回すとかっていう風になるだろう。
でもそれだけじゃ対応できないわけ。
AI自体が危険な回答をした上で
その危険な回答に対して
対処しきれない時は
専門家に回すみたいになっちゃう。
雑な回答になっちゃうんだよね。
はー。
そう。だけど
もともと
不確実性とか
あるいは性格性を
保証しないことが
人間的にできていると
あー。またこのパターンか
みたいな感じで見れるわけよ。
俯瞰的に物事を。
人間が作ったもんだし
AIって基本的に
プログラムになるでしょみたいな。
あいつは感情ないから変なこと言うんだわ
みたいな感じだとすごく楽なわけ。
あー。
うん。だけど人間らしいことを
作っちゃうからそれが危険なわけよ。
うーん。
難しいなー。
でも推論を進めるとさ
めちゃくちゃ高度な回答が
生まれる時あるじゃん。
ねー厄介だよねー。
ああいうのが危険なんだけどねー。
それをリスクとしてみる?
できることと
期待を上げることって
AIでも難しいわけよ。
そうなんだわ。
理解することが難しいんだわ。
うん。
AIって学習したデータや
訓練したデータにおいては
回答が作りやすい。
一方で、学習してないデータや
想定外のケースに対して
非常に弱くなるわけ。
あー。
だから強化学習されてない
トレーニング受けてない問題に対して
どう答えるのか分からなくなって
バグったりするわけよ。
アルシネーションって基本的に
推測、推論が
こういう風になるだろう
っていうことの
正確性ができないのは
それが正しいか正しくないかじゃなくて
それを分からないことを
分からないってことが言えないのよ。
どういうこと?
AIは分からないっていう情報を
判別できる材料がないと
分からないって答えられないのさ。
だから基本的に
プログラミングで言うヌールが
使えないってこと。
エラーだからね。
基本的に。
人間の言うところの
分からないっていうよりは
データがあると思うから
作れちゃう。
分からないところは推論で埋めちゃえる
って自分で思っちゃう。
でもさ、これは技術的に厳しいです
とかってAIが言ったりするケースあるじゃん。
だからそれは
学習データがあるわけ。
そういうことか。
要するに
人間ができる強みっていうのは
AIにない感性を
持っていること自体が
強みなわけ。
じゃあプログラミングとか
問題解決とか改善思考とか
そういう能力は実はAIでもできるわけ。
でもAIは仕事が
できるってこと?
AIはユーザーが聞かないの。
でも
AIが得意な分野はプログラミング的思考なの。
だから
それが強いように見えるわけ。
大量の学習データもあるし。
人間が参照するよりも
知識が豊富に
揃えられるし、推論も
人間よりも考えられるっていう風に
思われる価値だから
その期待によってできないことが
人間側が把握できないと
これはポンコツな回答だってことを
人間側ができないわけ。
だからAIは間違ったことを
回答することがあるっていう情報が
あったとしても、なんでAIはこんなこと
わかんないんだっていう風な期待で
その情報が正しいか
正しくないかで見ちゃうわけよ。
人間的な感性と不確実性の受容
じゃあつまり
誤った情報を提供するってことが
前提なのに、そう人間が勝手に
期待しちゃうの。この条件は
違うよねっていうことをAIに
訂正させようとしても無理。だって
AIはそれが正しいと思ってるんだからさ。
偏見もそうだろ。
それは正しいとは思いますが、でも実際
社会的にそう思われる
可能性がありますっていうデータを
出すと、それが回答に
次の回答にっていう風に
AIが毎回そういうのを
新しく出すから
その都度、その前の
直近の回答に対して
どういう回答をしたのかなっていう
データの影響を全く受けずに
できるわけじゃない
ってこと。
でも人間って
難しいね。
だからプログラミング的
思考が優れてるっていう風に
判断するだけじゃなくて
それで対処できない
解決できない事案がある
すぐにはできないこともある
っていうこの不確実性と
正確性が
分からないことは分からない
間違ったことを
知ってしまう
これの寛容性を育てるってことも
重要なわけよ。
もちろん正しいことに対しては
ものすごくいいよ。
倫理が決まってるとかだったら
いいけど、人間は倫理だけで
生きていけないんだよ。
そうなんだ。
命に関わる職業と倫理の重要性
だから人として最低っていう風に
言えるよね君も。
自分のことに対して。
でも本当に最低な声をする人間は
どこにでもいるわけ。それは職業
という皮をかぶっても同じだわけ。
だけどそれが許されない職業っていうのも
あるわけ。それが医療だったり
あるいは福祉だったり、人に関わる
介護とかそうでしょ。
基本的にどうしてそういう職業は
あんまり
間違えてはいけないのか。もちろん
間違えるよ人間でも。でも
間違えてはいけない何かが存在している
っていうのは命を使ってるから。
命。うん。
他人の命を使った職業
だから許されない。
だから倫理が必要なの。
だから人間的に
クズな人が医療をやって
しまうとどういうことが起こるか。
手術的にプロだっていう風に
言うじゃん。そういう人が
信頼できるかじゃなくて
そういう人に何されるか分からないから
怖いの。
手術は危険なく
実行できたとしてもその後の
人間性がやばいと
こいつに何されるか分からない
よ。
それは想定できないよ。
だって人間性がクズっていうことはさ
人間性の善良性を
信じてる人間にとってありえないことを
するから。例えば影で
何でもかんでも応料とかね。
あるいはさ
自分が気に食わない患者に対してはさ
いくらでもさ
こう危険な声をするとかさ。
へー
そんなことある。
人間的にクズっていうのを
どの定義で行くかっていうのが分かったでしょ。
信用できないぐらいならまだいいんだよ。
なんかあの人悪口
言ってらしいぐらいだったらさ
人間はどうにでもあるよね。
でもあんまり医療的には良くないんだけど。
だけどあんまりにも
ひどい人間が
つくと
その医者っていうのは
別の意味で
人を殺してるから。
へー。
医者が患者の悪口を
言うと何が危険なの?
だから
うーんとね
相談がしづらくなるよね。
まっすぐに。
医者に対して。どう思われてるんだろうとかさ。
攻撃性がある
医者だからこの人担当
書いてもらいたいって言った時に
引き継ぎの時に何されるか分からないとかさ。
へー。
じゃあ人間性の
人間性が悪いと
どんなことされるか分かんない。
この人に気に食われないって
言われたら
どういう
リスクを負うのか分かんないっていうのが
影で悪口言われるかもしれない。
個人情報って
嫌がらせはどういう風に
こういうのが入ってくると
もはやいくら仕事ができたとしても
その情報が入るだけで
信用性は失っていくわけよ。
病院自体は。
だからバカなんだよ。
そこまで言うの?バカだからさ。
はっきり言うよ。
嫌がらせを堂々と
言える人間っていうのは
クズなんだよ。
そこまで強く言うの?
自己防衛と寛容さの限界
なおちゃんは
人間を正しく評価することに対しては
慎重になるけど
俺はこういうことが言える人間だからさ。
なんでそれ人格否定にならない?
普通は好意的批判だけするじゃない。
こういうことをする人間は信用できないけど
その人の人格は否定しないっていう風に
分けるじゃないか。
なおはできるよ。
でも俺できない。
許せないからさ。
許せない。
もし自分が担当の主治医が
そんなことしているんだったら
そもそもなんでそんなことされなきゃ
いけないんですかって言える権利が
患者にあると思ってるわけ。
責任を職務を見たときに
そういう人間の側に
つきたくないと思っても
その担当の主治医を変えようとしたときに
悪口を言われるとかっていう筋は
一切ないわけ。
そういうところで見る。
精神的な疾患を抱えている場合においては
そういうこと自体が精神疾患の
悪化のリスクがあるっていうことが
分からない人間のクズだから。
すごい怖いんだけど。
分かった?なおちゃん。
ここまでは脱線したけど
人間というものはこんな風に
評価されるんですね。他人には。
誰に言われるか分からない恐怖
っていうのはこんなもんです。
でも俺は何もしない人間
何もしない人間に対しては
ここまで言わない。
最低限の職務を果たしている
人間様に対しては
言わないけど
それが人間の命を脅かす
っていうことを知らないで
何でもかんでも言えるような
クズデートの人間だったら
正直そんな人間に医療を扱えるものですかね
って言ってあげたいですね。
すごいね。
だってなおが一番傷つくじゃん。
あ。
お前が一番傷つく問題に対して
俺はどうしたら守れるかを考えるからさ。
だからこんなこと
言いたくないよ。こんなことする人間が
いるとは言いたくないよ。でも
そんなことする人間がいるから嫌だ
っていうこと。
でもそこは寛容性を見え
違う。
いい?命を脅かす
レベルになると、それは寛容してはいけません。
そういうやつから
離れるべきです。
あー。
自分の信頼できるものに対して
応援することはいいけど
自分が信頼できないと思ったら離れる。
これは人間に対しては
とても大事です。寛容さがあるから
誰とでも付き合えるっていうのは
愚かな人間がすることです。
そう。じゃあ私は結構
愚か。そう。愚かです。
自分の
身を守るっていうことはとても重要です。
でもその判断を見誤る
こともあるし、私だけじゃなくて
いろいろな人がいるからその判断
毎回できる人間じゃないと思う。
そう。
ね。
分かった?
あー。自己需要と
他人に対しての不寛容は両立できると。
そういうことだなー。
自己受容と他者への不寛容の両立
だから
人に対してここまで境界を
侵害されてはいけない。
でも自分は守るべき
倫理を持つっていうことは
一見矛盾してるようだけど
できるんだよ。
ここまで侵害されたら
自分は言える立場にあるっていうことを
考える能力。
これは知識も必要だし
そういう
社会的なバイアスに
とらわれなくて、あくまで
自分の主張は自分の主張
他人の主張、世間の主張
切り分けて、自分に
優位になる状況を作れるか
っていう能力も必要になるけども
けども
社会的不利な状況にいる
精神疾患、判断能力が低下した人
というのは
基本的にそういう
能力だけで切り抜けることが
できないわけ。
ママは能力を
俺じゃなくて
社会的弱者
でも私も社会的弱者だけど
それはそうだけど
社会的弱者だからさ
ママは社会的弱者じゃないの
立場としては無職だし
精神疾患を持ってるから
社会的弱者だけど
俺の話を聞けば
基本的に
ああ、こういうこと
当たり前だよねってことを考えられるんだよね
でもそれは
他の人の立場になった時に
考えられないことに対して
差別的に思う人だっているじゃない
なんでそんなこと言われなきゃいけないの
自分はこんな風に
考えられないけどっていう風になる人もいるし
自分が考えられないことに対して
すごく傷つく人だっているじゃない
ママはそういうこと考えられないの
ほら
間違いの受容と主観的幸福
君が守った
どういうことこれ
君の中にある倫理は
とても素晴らしい
俺は今思ったよ
それが正しいって
ほらね、間違いをさ
受容するってことは本来は癒やしなんだよ
そうなんだ
だから
それに対して間違いを
受け入れて他人に対して
誠実に返すことができる人間
っていうのは
本来であれば癒やしなんだけど
それでなんで間違えたの
っていう風に言う人は
基本的に幸せになりにくいのよ
うん、主観的幸福度に
うん、そう
だから間違えた時に
それを許せる自分を持つ
ということも重要ってこと
だから芸術は
癒やしになるわ
41:18

コメント

スクロール