比叡山への旅立ち
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信してきます。
今日は、比叡山延暦寺坐禅体験ということで、先日、比叡山に学校の先生たちと研修旅行に行ってきましたので、その時、比叡山での体験を語りたいと思います。
この旅行は、そもそもうちの学年団で、今年で定年退職を迎えられる先生がいらっしゃって、その先生がとてもよく働いてくれて、とてもよく私たちに助言をくれたりしてくれたので、みんなで退職を記念して、どこかに行こうということで。
その先生は、比叡山に行ったことがないので、比叡山に行くことにしました。
私は、比叡山を2回行っているんですけど、1回目は、中学校3年生の時の古典旅行という、そこの旅行で、学校でね、あれ、希望者だったかな、古典旅行というところに行ったんですけれど、その時の比叡山の記憶は鮮明に覚えています。
まず、夏だったので涼しかった。それから、圧倒的な存在感のお堂、お坊さん、今でもよく覚えています。
そして、今から15年か6年くらい前かな、家族旅行で比叡山に行きました。
その時は、12月の28日くらいだったんですけれど、ちょっと雪が積もっていてですね、ちょっと雪化粧だったわけですね。
でも、とても寒いし、それからなんといっても山奥にあるわけで、そこに、そうごんな、おごそかな、そして、なんというか重みのある建物、
薄草とした山の中で、静かに修行するお坊さんたち、そういうのを目で見て、ここは普通のお寺とは全く格式が違う。
なんという重々しさ、なんというおごそかな雰囲気か、ということで大感動した覚えがありますね。
でも、調子に乗って比叡山のお札とか、それからお守りとかを買いまして、本当にね、これは絶対効き目があるんじゃないかっていうぐらい、とてもシックで、本格的なデザインのお札と、それからお守りでした。
そういった思い出があるんだけど、私以外の先生方は全然行ったことがないっていうので、しかも若手の先生は座禅体験に申し込みましたということで、最初はえーっとか思ったんだけれど、きっといい体験になるに違いないな、貴重な体験ができるなということで楽しみにして行ってまいりました。
座禅体験の詳細
比叡山登って行ったら3月の8日だったんですけど、やっぱり道路には雪は積もってないんだけれど、道路の端っことかまだ雪が結構残ってましたね。
みんなでお昼ご飯をドライブウェイの食堂かなんかで食べまして、ちょっと雪の残る比叡山を散策してあちこちのお堂に行きました。
私はいろんな発見があったんですけど、その発見の中の一つでこれは授業で使えるなっていう発見がありまして、
比叡山遠慮富士は信長の焼き討ちにあってますよね。その時に亡くなった人たちを鎮魂するための束があるわけなんですけど、その束に説明の掲示板がありまして、
その掲示板を読んだら完全に書きぶりが比叡山側の書きぶりになってるんですね。
だから遠慮寺の焼き討ちってとっても有名なんだけど、それを比叡山側から見るとこうなるのかっていうような、そういう文章表現の読み取りができそうな教材文があったんで早速写真撮りまして、
これを教材にして批判的な読みをするっていうのが、日本史とのコラボでとても楽しみです。これいつかやりたいなと思って楽しみをゲットしました。
そんなこんなあってやっと座禅する会館に入りまして、本当に仏さんが祭壇がありまして、大きな大きな大広間で座禅を組むことになりました。
60分間の座禅って書いてあったから60分座禅するのかなと思ったら、説明が40分ぐらいで、あと20分ぐらいが座禅ということでちょっと安心しました。
座布団がちゃんと敷いてあって、ある程度高さのある座布団で、そこにお尻を乗せてあぐらを書いて座禅するということで足の負担も少なくて、ちょっと厳しい座禅修行を想像していたんだけど、全然そういう心配なくて、これ誰でもできると言いますか。
小学生でもやってるというぐらいだから、これはもう本当に一般の人にやりやすいような座禅体験として、ここでそれが行われているということで本当にお勧めします。
厳しくないって言えばおかしいけど、圧がない、圧少なめです。それで座禅が始まるんですけれど、同志の方がお坊さん来られまして、座禅についてのレクチャーをしてくれるんですね。
まずは比叡山遠略寺の成立とか、それからお坊さんのありがたいお話とか、それから座禅の意味、座禅の方法というのをずっとレクチャーしてくれました。
このお坊さんが本当に若々しくて、まだ30代か40代の境目ぐらいじゃないかなと思うんですけれど、とても若いお坊さんなんだけど、やっぱり厳しい修行をずっとずっとね、
若い時から積み重ねてきて、本当にそういう風な積み重ねが見えるような穏やかさと、それから優しさと、それから何と言っても厳しさ。
これが本当に見られるような佇まいで、言葉一つ一つは全然大げさでも何でもなくて淡々としていますし、私たちに媚びたりすることもありませんし、
本当に私たちと遠距離で、いい距離感を保ちながら淡々とお話ししてくれましたけれど、その一言一言はやっぱり日々の度胸で鍛えられているので、声も染み通るように響いてきました。
そして座禅の意義についてお話しされたんですけど、その中で止まって見るっていう、止まるに観察の観、視観っていうのを教えていただきまして、この境地に入るのが座禅なんだということで、止まって自分自身を見つめなさいっていうことでしたね。
そういう意味で座禅を組んだら頭を空にして、頭を空にするためには、息を吸って吐いてっていうたんびに、1、2、3、4って数を数えなさいっていうふうに言われて、何も考えちゃいけない、空っぽにして真っ白にして、ただ数を数えるだけに集中して、姿勢を正しくして、息をしっかり吐いて吸ってっていう腹式呼吸でやりなさいっていうようなことを教えられました。
これ数を数えるっていうのは何でなんかなと思ったんですけど、よくわかんないうちに座禅が始まりまして、私も数を数えながら息を吸ったり吐いたりしながら何も考えないっていうこと、数を数えるっていうことに集中することにして始めました。
始まって2、3分ぐらいしたら、本当に真っ白になると言いますか、なんか世界に自分がいて、自分自身がただ数を数えているだけで、次第に数を50何歩ぐらいまで数えたんですけど、またわからなくなってきっと座禅が入ったんでしょうね。
また数え直してっていうふうに過ごしているうちに、何かよくわからない自分の中でも豊かな時間が流れ始めて、自分の体がだんだん浄化されていくような、本当にそういうふうな清められていく感覚がし始めました。
やってみないとわからないことだと思うんだけど、本当に体の中が無に近づきつつあって清められていくような、あの感覚、いい体験でしたね。
座禅自体は25分か20分ぐらいで、はい終わりですっていうことで終わったんですけれど、途中で杖のような棒を持ってバシッと叩かれる場面もあったんですけど、あれ叩かれるっていうよりも置くっていう感じでしたね。
だから全然痛くもないので、全然やったことのない人でも座禅っていうのは本当に障壁なく誰でもできるような、そういうスタイルで開かれてましたから、ぜひイエーザン院で薬師の座禅体験は誰でもおすすめです。
心の浄化と学び
終わりまして、お坊さんの話がちょっとあって、今日はこれで終わりですということでありがとうございましたということで終わりまして、その場にいる他の先生もいろんな先生がいらっしゃって、ちょっと寝てしまっていたとか、数が数えられなかったとか、いろんなことを考えすぎてしまったとか、足が痺れてとかいろんな感想を持っていらっしゃる人がいて面白かったんだけれど、
私は本当に自分でもわかんないけど、とても浄化された、そういう時を過ごしました。いつも忙しくてバタバタしてゆっくりする時間もない、そんな現代社会、情報化が進んでどんどん情報に紛れて変化し続けて自分を見失ってしまいがちなこの多忙な情報社会。
そういう中で、視観っていうね、まず全てを止めて自分を見る、そして何も考えないっていう時間を持つっていうことがデジタルと対極の位置にあって貴重な体験をしました。
やっぱりお子さんの存在がないと、そして比叡山という土地のパワーがないと、こういう状況にはなれなかったのかもしれないなと思いました。
やっぱり前に立つ同志の方の、穏やかで静かで、そして優しく力強く、そして厳しいっていう、いろんな修行を経てきて自分を磨いてきた人の、そういう声がけがあってこその座禅だったと思うので、同志の存在は大きかったと思います。
だから私たち教員も、あんな風にね、前に立って生徒を導くっていう、そういう存在になるには、あんな風な修行を経て、自分を磨き続けるっていうことが求められていく職業なんだなぁと、そういうことも思いましたね。
ということで、貴重な座禅体験ですけど、私は1週間に1回でいいから、ちょっとこう、瞑想する時間を取ろうかなと思っています。
なので、これからは趣味として、瞑想っていうのをちょっと取り入れて、自分の中を1回空にする時間、心豊かな時間を意識して作ろうかなと思いました。
ということで、今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。