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みなさん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は449回、学校ってなんで退屈なんだろう?でも、なんで大切なんだろう?というタイトルでお届けしたいと思います。
今日は、ひろたてるゆきさんでお読みするのでしょうか。
学校はなぜ退屈で、なぜ大切なのかという本を読みましたので、その本の私がハッとさせられたところを切り取りながら、みなさんと一緒に学校というものについて考えていきたいと思います。
このタイトルね、本当にドキッとさせられる学校の側面というのを鋭く描いたタイトルだと思うんですよ。
学生時代に、なんで勉強しなくちゃいけないんだろうって思ったり、学校って楽しいなって思ったり、いろいろ学校というものに対しての評価というのがあると思うんですけれども、
今日はこの本から学校が退屈だというふうに思われる理由と、それでも大切だというふうな理由を深掘っていきたいと思います。
まず、学校が退屈だって感じる理由を、この本では次のように言っています。
まず、教育というものが根本的に不確実なものを持っているということですね。
言葉を引用させていただきますと、教師が何かを教えたいと思っても、生徒がそれを学びたいと思っているとは限らないという指摘。
そうですよね、生徒の方に良かれと思ってこちらが教えていても、決して生徒はそれを主体的に学びたいとは思っているとは限らない。
これはもう本当に思い当たりますね。
それから、教育をしても学習が発生しないことがあるし、逆に教育なしでも学習は発生するという教育の難しさ。
そうですよね、生徒が学びたいと思えば、こちらが教えなくても勝手に勉強が進んでいくということはあるあるだと思うんですね。
私も自分の高校時代を思い返してみると、自分で勉強したいと思うことは勝手に勉強していました。
こんなふうに、教育現場にはもともと不確実なものを内包しているという指摘、これはなるほどと納得しました。
それから次に、学校が退屈に感じる理由の2番目として、子ども自身の経験から学ぶ経験主義と知識の体系を教える系統主義というものが果てしなく対立していて、
これをバランスとるということが難しいということですね。
確かに今学校現場でも、そもそも学習指導要領の改定が、経験主義と知識、スキル主義の2方向に揺れている、振り子のように揺れているという歴史を持っています。
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これを上手に真ん中で結びつけるということが本当に難しくて、教育現場ではずっと揺り戻しが続いているというところがあります。
それから3番目、学校が退屈に感じる理由としては、本来の教育の目的から離れてテストの成績を上げることに終始してしまう現状ということで入試問題ですよね。
本来教育というのは主体的に学び、課題を発見し、そしてそれをどのように解決していくかということを学んでいき、目の前の社会をより良くしていくということだと思うんだけれども、
いつの間にかその目的から離れて、大学入試というものが大きく掲げられて、テストの点数を上げる、偏差値を上げるということに終始してしまうという現状があると思うんですね。
実際そういうふうな旗印の下に結果を出すことに終始してしまう学校現場はたくさんあると思います。
こんな感じで学校が退屈に感じる理由を3つ整理してみました。
それから次に、それでも学校が大切だというふうにされている理由をまた何個か挙げていきたいと思います。
本の中ではこの学級とか、そういうシステムというのが家族から生徒を切り離して、家族とは違う世界で定期的継続的に相互関係を結ぶ場というのが意義がある、そういう機能を持っているというふうに書いてありました。
確かに家族の中、狭い世界の中から広い社会の中で定期的継続的に関係を切り結ぶ、そういう力をつけさせるということは大変重要なことだと思います。
それから友達関係、これが会社での企画会議のひな形のようなものだという指摘がありました。
大人になってから社会に出て一つの組織で自分をどのように切り結んでいくか、他者と切り結んでいくかということを学習する仲間集団の練習台ですね。
親や教師とは異なる、自分と同じ目線に立つ人たちと水平な関係の中で、どのようにして自分を発揮して認められていくかということを学ぶ役割があるということでした。
それから学校が大切な理由三つ目としては、カリクラム化された地というものを学ぶ価値ですね。
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普通に日常生活を過ごしている、その限りでは学ぶことができない、この世界というものが何なのかという、そういうしっかりと凝縮された、そして再構成された知識や文化を伝達し、
それによって子どもたちはより広い世界に出ていくということが可能になるという、そういうカリクラム化された地を学ぶ場としての存在意義があるということが書いてありました。
それから歴史から学ぶ知恵というのがすごく大事で、あの例のドイツの最初ビスマルクの言葉に、愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶということが引用されていまして、他者の成功や失敗から、つまり歴史から学ぶということの意義、これが学校にはあるんだということが書いてありました。
まあ確かに歴史から学ぶということは、未来を切り開く力を確かにつけてくれるものだと思います。
それから知識が深い経験を可能にするという指摘もありました。デュイの言葉に、十分な知識があれば深い意味を持つ経験ができる、というようなことが書かれてありまして、これが引用されていまして、
やっぱり知識というものを得ることによって未来を理解して、その未来を切り開いていく力になるんだということは書いてありましたね。
ということで学校が大切な理由というのを何点か挙げてきましたけれども、こうなってくると、今の現代社会における学校の役割というのがどのようなものなのかというのをまとめてみたいと思います。
やっぱり社会において知識やスキルを持った子どもたちを育成していって、ある程度の人材を育てていくという民主主義の基盤としての学校というものが役割なんじゃないかなと思います。
特に一部のエリートたちや大衆の意見に簡単に流されてしまうポピュリズム、これに社会の基盤を奪われてしまうという危険性から、自立した個人を育てていって、民主主義を守るための教育の重要性というのが学校の役割にあるんじゃないかということは書かれてありました。
それから、これからAIがどんどんバージョンアップしていって、世の中の仕組みを変えてしまうという勢いですけれども、そういったAIの情報バイアスに流されない人間、そういったものをちゃんと賢明に判断できる人間を作るということが非常にこれから学校教育の中で求められてくるだろうということも書かれてありました。
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そして、家庭とか友人とか学校とかいったありふれた日常に安住せずに、自分をどんどんバージョンアップしていって、自分をさらに高めていくという、そういう基盤を作ることの重要性、これが学校の役割として求められていくということでした。
ということで、学校というものについて、普通に私は勤めているのであまりこういうことを深く考えてこなかったんですけれども、なんで学校が退屈で息苦しい場になってしまうのか、逆に学校というのはどういう重要な役割があるのかということを改めて考え直すことができました。
やっぱり単に知識を詰め込むだけじゃなくて、知識もかなり必要で、知識の基盤の上に思考力を養っていって、さらに未来を見据えていくというそういう力を育てるものとして、学校の存在意義というものはこれからも問われ続けるんじゃないかなというふうに思いました。
それにしてもやっぱり大学入試というものがこの教育の場に深い影を落としているということは、どういう場面でも感じることですね。
いったいこういうふうな入試というものが落とすこの学校教育の影、これをどのようにだんだんと明るいものにしていかなくてはならないのかという重たい課題を再認識するということになりました。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。
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それではまたお会いいたしましょう。
