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おはようございます。社会保険労務士でキャリアコンサルタントの、かなや なおこです。社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方・ジェンダー、こされているテーマに、こうするしかないなという考え方を、こういう考え方もありかもしれへんなと思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんなんやろとか、えーこれおかしないと違和感を出発しているに、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
はい、それでは本日のタイトルです。荒れ狂った文章の方が届く。発信する価値はどこにあるのか、です。
はい、私が生成AIを使い始めて、かれこれ2年ほどになります。
2年前とはだいぶ使い方も変わっては来ていて、使い始めた時は本当にチャットGPTがめちゃくちゃ楽しくて、こんな風に文章を整えてくれるんや、こんな風に相談相手になってくれるんや、みたいなね、すごい衝撃が走ってたんですよね。
なんか本当にちょっとした一言で、すごくいろんな答えを出してくれていて、なんかすごいね、万能感がめちゃくちゃあったなって思います。
2年前の自分、使い始めた自分のことを振り返ると。
どういうことで使っていたかというと、講座のスライド作成の壁打ちをしたりだったりだったりとか、あとは講座の案を考えたりとか、スノーでの音楽生成、あとはブルーグの記事の執筆ですね。
プライベートでも仕事でも本当に日常的に使うようになりましたね。今でもよく使っています。
私の周りでも最近は本当に、そうですね、チャットGPTに話しかけてますとか、相談相手としてチャットGPTを使っていますという声をよく聞くようになりました。
チャットGPTっていう言葉は聞くけど、よく分かれへんっていう人がね、少なくなかった2年前に比べて日常的に使っている方が増えてるなという印象です。
ただ、やっぱり2年間使ってきて一つ強く感じることがあります。
なんかね、生成AIが出した文章をそのまま投稿すると、反応が薄いなっていう実感っていうのかな、ありますね。
出始めた時というか、私が使い始めた時だったり、あとは過去に疲れててそのまま出してしまうこともあるんですよね。
ごくたまにですけど、生成AIがそのまま出した文章、そのまま投稿することも、ほんと滅多にないんですけど、最近はね。
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昔とかはそのまま出すこともあって、やっぱりね、なんかいいねが少ないんですよね。反応が薄いというか。
で、雨風呂の時も含めてそういう傾向が少しずつ見えてきました。
むしろね、文章は荒れ狂っているかもしれませんが、私の心情をそのまま出した記事の方が、いいねやコメントってつきやすいんですよね。
ノート記事もそうなんですけど、私はノート記事を主軸として、スタンドFMでこうやって音声配信の台本がてら、読んでいったりだったりとか、
あとはちょっとその、短ければそのまま他のSNSでも出すんですけど、ちょっと長い文章であれば、
ちょっとポイントだけ抜き出したものだったりとか、要約したものを、リンクトインとか、あとはFacebookでコピペというかね、考えて投稿してるんですけれども、
最近あったのがね、リンクトインで私投稿した内容が、もう全然、本当に働き方とかも全然関係ないこと。
なんかそこにね、コメントが3件かな?ついたりとか、結構いいねもねついて、あのインプレッションって言うんですかね、それもね、いつもより多くて、
なんかいつももう少し手を加えたりとか、考えてる記事は、中綱飛ばすとかもあるんですけど、
本当に自分の心情だったりとか、体験をそのまま出した記事の方が、いいねやコメントってつくんだなというのを改めて実感したんですよね。
生成AIって、インターネット上にすでにある情報を集約とか予約して教えてくれるものなのかなっていう風に感じています。
だからAIが出してきた文章をそのまま投稿するということは、すでにこの世にあふれている情報をそのまま出しているだけになってしまうとも思っています。
なので、情報だけの記事の価値ってすでに下がっているのかなと思います。生成AIがなかったとしてもそうだったんじゃないかなというふうにも考えています。
でもそれが、情報だけの記事の価値って、生成AIによってさらに価値が下がっている。
なんでそういうふうに考えるかというと、SNSをチラホラ見ていると、AIで書いた文章だとわかった途端に読む気うせるわっていう声を結構見かけるんですよね。
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その、AIで書いた文章だとわかった途端って言った人の、どのレベルでAIが書いた文章って言っているのかわからないですよ。
そのまるままAIで書いた文章を自分で精査せずに出したっていう文章のことを指しているのか。
それとも、AIで書いたけれども、自分で修正をしている文章のことも含めて言うのか、それをどちらの意味で言ってあるのかわからないですけれども、
これAIが書いたよなっていうのをきっと感じられたら、読む気がうせる方ってすごく多いのかなとは感じます。
だからこそ私が今意識しているっていうことがあるんですよね。
何かというとまず自分の体験や意見を必ず書く。つまり情報だけの記事は書かないということですね。
その上で文章を読みやすく整えるためにAIを使っています。
なので出てきた文章をさらに自分で手直しして結構投稿はしていますね。
なのでAIはあくまでも補助。最終の意思決定は私にあるっていう感じですね。
最近日経新聞の有料公読を始めました。
きっかけは友働きの情報、新聞記事を読みたいなと思って公読したんですけど、
何でしょうね、安心感?
この人ちゃんとした情報を根拠となる情報を持って発信してるんだなっていう安心感なんですかね。
ちょっとそこのところは本当感覚的で申し訳ないんですが、
日経新聞のその記事を読んだことによってすごく良質な情報に触れているなっていう感覚があったんですよ。
やっぱり生成AIでインターネットにすでにある情報って入手しやすくなりましたし、
でも入手しやすくもなっているからこそ同じような情報って量産されやすくもなっていますよね。
なのでだからこそ良質な情報はどんどん有料化されていく時代になっていくのかなっていうのをひしひしと感じています。
生成AIが持つ力が加速していく中、自分が発信する意味を考え続けなあかんなっていうふうに感じています。
自分の体験と意見があってこそAIは生きる。そうでなければ量産されたゴミになってしまう。
自分自身への忌ましめも込めて書きました。
皆さんはどう感じますでしょうか。
最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日もご機嫌な一日となりますように。
かねるなおこでした。