保育園最終日の感慨
はい、こんにちは。4日まで15年以上、保育園の先生を行っているなおちゃん先生と申します。
本日は3月31日、年度末。世間はね、年度末ということですね。
それでですね、えーっと、今日はゲリラライブを突然始めてみました。
収録にしようかなと思ったんですけれども、ちょっと概要が詰まったりとかしてる時間がバタバタしてて、あんまりないかもしれないので、
サクッとね、ライブのお話、今の気持ちをですね、していこうかなと思います。
というのも、本日3月31日でですね、私の娘が、通称ね、我が家では女帝ちゃんと言ってるんですけど、女帝ちゃんがですね、保育園最後の登園日なんですよね。
保育園の卒園式自体は3月中旬に行われたんですけれども、保育園というのはね、
働く親御さんのための子供を預かる施設なので、その後もね、実質この3月の31日までは登園が可能なんですよね。
そういうところ、非常にありがたいなというふうに思っています。
そして、娘は5年間通った、0歳の時はね、雨の日も風の日も通った保育園生活に、本日で別れを告げたということに、
別れを告げるんですけどね、今まさに行っている途中なので、本日でね、正式に卒園という形になります。
私にはね、子供が2人おりまして、上の子が小学校5年生、来月からは6年生になる男の子なんですけど、
5歳差なのでね、1年間、6年間通う小学校にしても保育園にしても場合だと、最後1年間だけ2人の子供たちが被るわけなんですよね。
なので、お兄ちゃんも同じ保育園に6年間、0歳から通っていました。
娘が0歳で入園する時には、彼は最年長の学年という形だったんですよね。
なので、息子が保育園を卒園しても、私の母親として保育園に連れて行ってお迎えに行くという内容としては変わらなかったんですよね。
なので、11年間保育園の創業を続けたという形になります。
本当に長かったですね、11年。
まさか、自分の40数年の人生の中の11年をほぼ毎日のように子供たちの創業に費やすということが、
なかなか若い時には想定もできなかったんですけれども、気がついてみれば、
その時間というのも今日が最後になったんだなと思うと、本当に考え深いものがあるなというふうに思って、
今の気持ちをですね、少し自分のありのままの気持ちを残していこうと思います。
11年間の思い
こちらは少しだけアーカイブは残して、現実中にはURL限定にするのか、有料にするのか分からないですけれども、
しまっておこうかなというふうに思っています。
この11年間、お兄ちゃんが0歳の4月に誕生して、娘ちゃんが6歳の3月31日に本当に卒園をするまで、
この11年間ひたすら創業を続けた私なんですけれども、本当に様々なことがありました。
さくひろさん、こんにちは。ありがとうございます。
今本日が本当に3月31日で、娘の保育園最終日なわけですよね。
やはりこの11年間いろんなことがあったなと思って、ちょっと振り返りを言葉に今の気持ちをしておこうと思って、
そんなに長い間はできないんですけれども、今日もいろいろ予定が詰まっているのでバタバタしているので、
少し言葉に残しておこうかなと思っています。
さくひろさんもまだまだお子さんの創業が続くと思うんですけれども、
きっと日々いろんな思いと格闘したり、子どもたちと、そして時間と格闘しながら子どもたちを園に連れて行き、
そしてお迎えに行く日々だと思うんですけれども、
そういう日って永遠に、私も11年間だったので終わりが来ないように思ってしまうんですが、
いつか必ず終わりが来るし、子どもたちは自分の足で歩き、自分の腕で荷物を持って、
そして一度しか親元から育っていく、それが子育てなんだなって改めて実感しているところです。
みなさん、一人は撮影しましたが、あと二人残っているのでバタバタの日々が続きますということで、お疲れさまでしたということでありがとうございます。
ゆずちゃんが、ハッシュタグで私の退職ストーリーということを企画されていて、
後で聞くに保存しておいたものがいくつかあるんですよね。
それで、数名の方の退職ストーリーを聞かせていただいていました。
人生のフェーズが出産だったり、子どもであれば卒業だったり、
時間というものが、やをなしに次のフェーズへと子どもの時は連れて行ってくれるものですけれども、
我々のように大人になると、かなり自分が覚悟しなければ、
フェーズというか、自分のいる場所というものは大きく変わらないわけですよね。
マルさん、こんにちは。ありがとうございます。
この中途半端な時間に突然始めたライブで。
すみません、潜って聞いてくださっている方々もありがとうございます。
皆さんが退職されるとき、大人になると自分で決めて、
自分のいる環境や状況を変えようと決心して動き出さない限り、
永遠と同じような日々が続いていくわけですよね。
実際は同じではないんですけれども、
なんとなく同じような毎日。
それが悪いとは思わないんですけれども、
私たち大人の人生には、入園とか卒業とかというものがないので、
自分で決めて線引きをしない限りは、大きく物事が変わることがあまりないなと思います。
退社というのは、会社を辞めるという決断をするというのは、
非常にフェーズの中でも大きいものだろうなと思いながら、
皆さんの退社ストーリーを聞かせていただいていました。
あ、かなこさん、こんにちは。ありがとうございます。
ライブでは初めましてですかね。
ありがとうございます。
いつも素晴らしい発音の英語を聞かせていただきまして、
私には本当に耳心地の良い音楽のような素晴らしい英語を聞かせていただいてありがとうございます。
今日は全然英語にも犬にもあまり関係のない私のビジネスと、
そしてプライベートのお話を少し、
新しいフェーズへの決断
今日で11年間通った保育園の送迎がおしまいになるというフェーズに行きましたので、
それとともに4月からいろんな、私自身も新しいフェーズに、
子どもたちも小学6年生、そして下の子は1年生ということで、
新しい人生の階段を上がるのかな、下がるのかな。
そして私自身も江原志佳林さんというビジネス系配信者さんでもあり、
とても人気があって、ご自身でも実績に残されている江原志佳林さんのファンビジネス講座に申し込む。
4月から本格的にスタートする、活動がスタートするという形になります。
ありがとうございます。
11年間長いようで短いものもあったなと思います。
今日は、私の友達たちが、ご自身の退社ストーリーをお話しされている方がいて、
長年勤めた会社を辞めるというのは、かなりの決断力と、
そして流されない力と、振り切る力というのが必要になるのではないかと思います。
自分の生き方を変えるわけですからね、退社をするというのは。
仕事を辞めたからといって、人生がそこで終わるわけではないのですが、
やはり会社というものは、会社というか仕事というものは、
その人の人生の時間のほとんどを費やすものでもありますので、
きっと会社を辞めるとか、そういったことを決断するときって、
その人自身の人生の時間の過ごし方が変わるわけですから、
きっとすごく大きな不安や、これで辞めて大丈夫なんだろうか、
ここにいてもいたほうが本当にいいんじゃないか、
そこで周りの人たちの言葉なんかが入ってくると、
余計に不安が増えます。
本当に自分の行く道は間違ってないのかな、
安定した今の仕事のほうがいいんじゃないかな、と思うと思うんですよね。
小野さん、こんにちは、ありがとうございます。ご卒業ありがとうございます。
本当に長かったですね。
年の差っていいこともあるけど悪いこともあるなっていうのは、
全くその通りで、5年間、
11年間ね、過ごしてまいりました。ご再生はね。
私自身のことを振り返ってみると、
自分が退社するということに関しては、
あまり深く考えたことがなかったというか、
自分が退社するということに関しては、
あまり深く考えたことがなかったというか、
そうですね、あまり深く考えたことがなかったというか、
そもそもね、しっかりと一般企業に正社員として
お勤めするという経験をしたことがないので、やって派遣ですからね。
派遣の場合は、機関が来れば契約更新するかしないかというので、
契約更新しません、おしまいにします、ということで終わりなだけですから、
大した期待もされていないですし、
誰でも私の代わりに入っているほどいるような仕事をしてきているわけですから、
そこに別に圧倒されも何もなかったなというふうにあるんですけど、
私は自分の事業を立ち上げて16年目になります。
ただですね、この16年のうちの10年というのは、
株式会社、一応法人経営をしていたんですよね。
いろいろ過去の配信やライブなどで、私も自分自身のことをお話ししていますけれど、
起業して16年なのに、そのうち11年間は子どもたちの送迎をしていたって、
なんとなくなんだかそういえばそうだったなというふうに思い出しましたね。
本当にね、そんなつもりじゃなかったんですけどね。
本当にね、典型的なダメなパターンなんですけど、
ダメなパターンというのは、人生にダメもクソもないと思うんですよ。
生きていれば何かしらの経験、何かしらの力にはなるわけですから。
だから、起業して3年ぐらいで結婚して、4年目ぐらいに4、5年目に子どもができてみたいな感じのフェーズでしたけれど、
何もわからないまま起業して、何もわからないまま子どもを産んで、
本当にね、行き当たりばったりは良くないということだけ学びましたかね。
それでも私の性格はね、深いことを考えないで、
まずやってみたら、やってダメだったらやめればよくねっていう感じなんですよ、万事。
みんなそうだよってことはそうだよね。
本当にありがとうございます。
なのでね、きっとね、この4月だったり、新しい一歩を踏み出すことに、
非常にためらいを感じる方って多いと思うんですよね。
それは私たちが人間であり生き物である以上、今いる安寧の場所から動きたくないという本能ですね。
これはね、やっぱり生存本能ですから、どんな人間にもあるわけなんですよね。
そして、あっては当たり前だし、ないと死んじゃうんですよね。
なので、今いる場所に留まりたいっていう本能は、気持ちはね、これも本能的な部分なので、生き物としてね。
当たり前なんですよ。
はい。
子育てしながら、あ、神奈川さん、子育てしながら、創業大変ですよね。
っていうのを発信し続けているのはすごいです。
ありがとうございます。
いや、本当にね、深いことを考えないからやっているだけだと思うんですけどね。
コモフさん、だから面白いと思うよということで。
そうですね、コモフさんもね、私と勝手にね、私が勝手に似た要素を持ち合わせているとね、思っているので。
きっとここの辺はね、コモフさんも分かってくださるんじゃないかなと思うんですけど。
それでもね、自分の人生を何か少し変化を持たせたいなと思ったときに、やっぱりね、大人は自分自身で決断するしかない。
で、えーとね、私は10年法人をやって、人も雇いました。
何人ぐらい雇ったかな、忘れちゃったけど。
入れ替わりもありましたからね。
多分トータルして、なんだかんだで、8人ぐらいはいたのかな。
もうちょっといたかな、忘れちゃったけど。
でね、やっぱり、今ね、私のお友達のスタイフ配信者、大人気配信者でもあるあっこさん、私のシスターと呼ばせていただいているあっこさんがね、
この6月で自分の事業をやるために会社を辞めるというフェーズで、会社にね、それを継ぎましたというところなんですけれども、
やっぱりね、迷われていたということで、どういうふうに伝えようかとか、どのタイミングで言おうかとか、ということをね、非常に考えられていたということなんですけど、
私はね、逆に言うと、スタッフたちから、辞めますということをね、ある日突然言われる側だったんですよね。
退職の受け入れ
ある日突然、すみません、何月いっぱいでお仕事を辞めさせていただきたいんですけれど、って言われる方、もしくは、申し訳ないんだけれども、
他のお仕事に移ってみませんか、ということを告げる方だったんですよね。
これはね、自分で決めて言ってくるわけですから、スタッフたちがね、おそらく辞めることをどうやって伝えようというふうに思われている皆さんがそう思われているようにですね、
きっとすごく悩んで、タイミングや言い方や、そういったことを、とてもとても重んぱかって告げてくれていたと思うんです。私のスタッフたちもね。
それでね、きっと退社を考えている人たちもそういうふうに思って、考えていると思うんですけれども、
私が思うに、これ私の意見ですよ。プリンセスじゃないしね。そんなことないでしょ。小茂さんも私も金子さんもみんなプリンセスです。女性は生まれながらにプリンセス。それでいいと思いますよ。
結局、どんなオブラードに包もうと、どんな言い方をされようと、どんなタイミングで告げられようと、その人間がビジネス、自分の会社、自分の事業から抜けるということに変わりないんですよ。
もちろん、言い方には考慮していただけると一番いいんですけれども、タイミングとかね。でも事実としては、その人間は何月何日からもういなくなるという事実以外は何も変わらないんですよね。
だから、私は一切引き止めたことはなかったです。引き止めたことは一、二回やったかな、最初の頃。でも引き止めても、その人の人生を引き止めたところで、その人の代わりにその方の人生を背負えるわけじゃない。
だからこそ、その方の決断というものを大切にして送り出すというのが、経営者、雇用者である私の務めだなというふうに私自身は思っていました。
悩んでいるとかね、迷っているとかであれば、背中を押したり、アドバイスというかね、私が思うことを伝えたりということもありますけれども、やめたいと思ってます。別の高校に行きたいと思ってますと言われてしまったら、もう気持ちはないんですよね、高校の場所に。
気持ちがないままずるずるとお仕事をしていただくよりは、私はそれがその方にとっても会社にとってもそんなに利益になると思わないので、やはり決断したのであれば早めにね、その気持ちを尊重してあげるほうがいいかなというふうに思っていました。
もちろんね、抱えている案件ですとか、ビジネスのタイミングによっては、今すぐというのはちょっと難しいなというところ、ある場合には交渉して、なるべくここまではちょっと行ってもらいたいんだけれども、これが終わったら、あなたの好きな、あなたが望んでいる道に行ってくださいね、という形で送り出すように。
それが一つですね。だから、そんなにね、もちろん絶縁状を叩きつけるとか、突然何も言わないまま会社に来なくなるとか、というのは良くないと思うけれども、そんなに言い方とか、ものすごく考えなくても、会社ってシビアですから、
自分の事業を存続していくことが会社の経営人の第一目的なので、辞めるということが分かったら、じゃあ次の手はどうやって打つのかということを考えていくっていうのがやっぱり会社だと思うんですよね。
人が一人いなくなっても、お客様や自社のサービスに穴を開けない。それが会社という組織だと思っていました。
流産とその影響
そんな私は会社を辞めるわけですよ。偉そうなことを言ったけど、今度は経営者であり代表者であり、私は2019年の6月末をもって会社、株式会社を辞めるわけです。
その間にもいろんなことがありました。私が会社をもう辞めよう、株式会社という形態を辞めようというふうに決意したことの一つの理由は、このタイトルにもありますし、過去配信でもお話ししたことがありますけれども、
2人目の妊娠の時に起きた流産でした。1人目の子は何も考えずに子供ができて、そして健康なまま産み落としましたので、
2人目が欲しいなって思った時に、同じようにすぐにできて、すぐに産まれるものだと思っていたんですよね。ところがやっぱり、自分の体というものも老化していってましたし。
なので、結果としてお腹の中からいなくなってしまったわけなんですけれども、やっぱり少しショックだったんですよね。少しというか、その時はだいぶショックが多かったですね。もちろんショックでしたよ。
なので、そういうことってね、女性には必ずあったりするわけですよね。自分の努力や自分の頑張りだけでは何ともならないものというのがこの世の中にはある。そういうことも申し出されましたし、
やっぱり一つの命が失われるということ、そして自分はそれを守れなかったという気持ちは、その時非常に強かったんですよね。もちろんそれとも激務でしたし、今から考えるとよくあんなことをやったなと思っているんですけど、
さすがにね、このポジティブナンバーワンの私でも自分を責めました。お医者さんにはね、初期の流産だったので、よくあることなので、ご自身もよくあることとは言わないでしょ。珍しいことではないので、お母さんのせいではありませんよ、みたいなことを言われたんですけれども、
それでもやっぱりね、もう少し自分の健康や働き方やストレスのケアやそういったことに気をつけていたら、結果は違ったのかなということを考えましたよね。
まあ、それでね、その次にもし、私の中に命が宿ることがあったら、今度は私はその命のことを一番に考えて、少なくとも生まれてから3年はね、3歳死はと言いますよね。
子供を優先する働き方をしたいって思ったんですよね。私は1ヶ月接待要請だったので、いろいろね、接迫相談の方とかもいらっしゃいますもんね。
これも別に誰に言われたからそうするとかじゃなくて、自分の中で少しそういう気持ちがやっぱり起きたということは、自分の生活や仕事の仕方に対して自分自身が本当にこのままで、今のままでいいのかなという考えるきっかけをね、このリュウザンということで私がいただいた機会だったんですよね。
あ、神子さんもそうなんですね。ありがとうございます。意外とね、きっとみんなこんなふうにベラベラしゃべったりとかしないと思うんですけど、いろいろ皆さんあると思うんですよ。
でもね、そんなことはお客様には関係ないし、20歳そこそこのスタッフたちにも関係ない。
私は会社の代表として、お客様たちの前で、そしてスタッフたちの前で、笑顔でではならないということがちょっと辛くなったんですね。
そんなふうに少し考えていた矢先に、2018年になるの?違うな、17年?わかんないな。時系列は良しとして。
1年半ぐらい経った後に、あ、マシュマロさんこんにちは。ありがとうございます。今ちょうどね、
手津ちゃんがね、私の退職ストーリーっていうのに、ハッシュタグ企画で挙げられていたんですけど、私は逆にですね、退職というか、退職したいというスタッフたちの退職届を突然のね、退職したいですっていうのを受ける側だったので、
受ける身としては、退職する人間に対してどう考えているのかということをお話しして、その後ですね、私自身が10年間という短い時間でしたけれども、株式会社を運営していて、その中でね、退職届を受けたり、いろいろ子育てをしたりする中で、
2人目、1人目は普通に出産して、妊娠して出産して、そして2人目を欲しいなと思って、やっと授かったものの流産をしてしまって、そこで自分自身の生き方をね、本当にこれでいいんだろうかということを考えたというお話をしていました。
でね、肌から見るとですね、私はね、本当に恵まれている人間ですし、私自身もそう思うんですよ。
あ、小田らじさん、こんにちは、ありがとうございます、こんな中途半端なお時間に。ありがとうございます、皆さん。
本当に恵まれた人間で、私自身もそう思っています。
もうね、持っていないものを数える方が難しいんじゃないのっていうぐらいね、本当に恵まれた人間なんですよ。
はい、すいません。
はい、無理にすいませんって感じなんですけど、
ただね、自分の小さな頃からの夢を形にして、独立して、施設も持って、社員も雇って、理解のある旦那さんと可愛い子供を育てながら、
理解のある両親の近くで、手伝ってくれる。肌から見たらね、120%で、お前には何の不満があるんじゃーってね、牛でも投げつけられそうな境遇でしたよ。
ただね、これ本当に炎上するかもしれないんで、しかしこれはやっぱりお蔵入り、このアーカイブはお蔵入りになるかもしれないんだけど。
ただね、あなたは好きなことを好きなようにやってるから、文句を言うべきではない。恵まれてていいよね。自分にはそういうふうにはできない。
やっぱりそういう声っていうのを私はずっと聞いてきたし、だからこそ自分の好きなことを仕事にして、それを形にして、それでお金をいただいて、誰かを養っているっていう、その重圧というものから抜け出ることができなかったんですよね。
そのブロックを非常に高く高く積み上げてしまっていました。
だからこそ、自分より自分のビジネスやお客様のことを優先して、
で、はっきり言ってね、今のほうが、今週産しか営業していないほとんどで、今のほうが私、代表取締役だった時より手取りは高いんですよ。
アモミさん、こんにちは。ありがとうございます。
今日ね、保育園最終日、11年間創業頑張りましたっていうところから、つらつら自分の事業とか11年間を振り返ってお話ししています。
自分の給与をあげるのであれば、スタッフたちに1円でも多く、決して高いお給料をあげられなかったから、
自分は好きなことを形にして、意味を叶えて、自分の好きな仕事をしている。
だから、多少つらかったり、手取りが安かったりするのは当然だと、そんなことで文句は言えない。
だって好きなことをしているんでしょっていう呪縛から、なかなか離れられなかったですね。
それはもしかしたら、ただの贅沢者の戯言かもしれないですけれども、好きなことだからこそ逃げられない。
好きなことだからこそ、やると決めたことだからこそ、絶対に何があってもなり抜かなくちゃいけない。
自分が始めたことだから。
その気持ちで今考えると、その10年間、正確には8年、9年ぐらいかけてきたような気がしました。
だけど、ユーザーのことをきっかけに、今考えると、やっぱり命があなたの考え方、生き方、そのブロックを見直すときじゃないの?っていうふうに教えてくれたんだと思うんですよね。
コマさんが腹をくぐらないと好きなことはできないよね。
そうだよね。
好きなことを趣味でするのとビジネスでするのってやっぱりちょっと違いますもんね。
コマさんはきっと好きなことをビジネスにされているのでお分かりかもしれないですけど。
好きだからこそ、好きなことをやっているからこそ文句を言えないっていうことってありません?
まあ今は別にそれに対して文句もないんだけど。
それでユーザーをして、そこでハッと、好きなことを仕事にしているからって言って、すべて投げ出す、それこそ命をかけることですよね、出産って本来。
そこと、天秤にかけるというか、私天秤座なんで天秤にかけちゃうわけなんですけど。
いろんなことを天秤にかけたときにどういうふうに考えるのか自分は。文句言ってる暇ないよ。本当だよね。次から次にいろんなこと起きますしね。
それを考えたときにね、一回自分のビジネスの在り方をリセットしたくなったんですよね。
小美さん、好きなお仕事にされている方もめちゃくちゃ努力が必要よね。
本当そうですよね。誰のせいにもできないっていうところがあるんですよね。
あ、私も天秤座。やったー嬉しい。一緒ですね。
でもね、いつの間にかそこにがんじがらむになってしまっていたんですよね、私自身が。
だから手術台というかね、そこに座ってマスへ打たれてお腹の中から一つの命がなくなったときに、
俺を機にもう一回自分の生き方を見直そうって言ったんですよね。
で、次にもしここに命が宿ることがあったら、その時はその子を同じ時間しかないから、
有限の時間の中で少なくとも3年間を大切にしようって思ったわけです。
そうやって決めるとね、何かしら私から出ていたのか、そういうオーラがね。
出ていたのかわからないですけど、私の2人目の今の娘ですね。
今日卒園する保育園最終日、登園日の娘が妊娠、その後1年ぐらいでしたわけなんですよ。
経営とスタッフの退職
それをね、これもいろんなところでお話ししてますけど、スタッフたちにもちろん告げるわけです。
その時にね、スタッフたちが凍りついた表情だったんですね。
もちろんおめでとうございますとは言ってくれるけれども、凍りついた表情。
で、あ、私はこういうふうな表情をさせてしまうような経営の仕方をしてきたんだなって。
改めて気づかされたわけですよね。代表がいなくても大丈夫ですから。
で、行ってもらえるような職場環境や人材育てってこなかったんだって思って、その後すぐに2人続けて退職願いをもらいました。
2人とも私の出産が終わって、2人目の今の娘が保育園に入るまでは残りますと。
ただそこから先は離職したいと思います。退職したいと思いますということを告げてくれたんですね。
彼女たちは彼女たちなりに自分の人生のあり方を考えたんだと思います。
とても聡明な、頼りのある子たちでした。
この時にまた新しく人を入れて育てて、私の事業を支えてもらうという人材を入れてもよかったんですけど、それをやめてみよう、ここで一回リセットしてみようと思ったんですよね。
この株式会社を継続するという形態に囚われる必要が実はないんじゃないか。
働いている人は、雇用される側のスタッフたちというのは、自分の人生を自分で選択した時に会社を離れる会社や組織に所属している人は、そういう選択ができる、そういう権利があるわけですよね、会社に対して。
会社を経営している人間は、自分の人生や会社のあり方や生き方を変えたいと思った時に、やはりクライアント、そして何といっても生活を担っている社員たちのことを一番に考えなきゃいけないわけですよ。
それを投げ捨てて、もう辞めました、自分の人生振り切りたいので辞めたいと思います、というのは簡単だけれども、それをやるには相当の覚悟が必要だと思います。
だけどそれをしない限り、すごい大きい会社は別ですよ、M&Aとかね、社長交代とか取締役を変えるとか、いろいろあると思うんですけど、個人のビジネスをやっていてね、霊災中傷企業みたいな人たちというのは、こういうところが非常に大変なんだろうなって思いますね。
ただいろいろ考えた時に、やっぱり自分の人生を生き切るのは自分、そう思って、これもタイミングだなって思ったんですよね。
おみしさんが、保育園からの卒業、感慨深いね、おめでとうございます、ということでありがとうございます。
そしてね、それをやっぱり考えた時に、いろんな人に迷惑がかかると思いました。
辞めるっていう子はその後一人出てきて、だけど辞めるって言わない子もいたし、お客様たちにはね、とてもとても言いづらかったです。
中には値段上げてもいいから、倍にしてもいいから続けてほしいって言われた方もいらっしゃいました。
そしてね、でも、やっぱり自分の人生のフェーズを本気で変えたいと思ったら、大人はね、子供は卒業だったり入学だったり、時間というものがそのフェーズを変えてくれますけれども、環境ね。
大人というものは、しがらみが多くなればなるほど、自分の人生を大きく変える、決断をする勇気が必要になってくると思うんですよね。
その決断に伴う責任が多くなればなるほどね。
でも、自分の人生を生き切るのは自分だから、もちろん他人に迷惑をかけてはいけないとか、責任を全うしなきゃいけないということはもちろんありますけれども、やっぱり一回しかない人生だから、
自分の人生をどうやって今後生きていきたいのかということを考えて、そこに向かって決断をしたら、周りの声というのはね、私はそんなに聞かなくていいと思うんです。
わがままだね。わがままな女ですよ。
結局、決断したことを周りから反対されて、元に戻る。その決断も自分の決断だし、やっぱり戻る、やっぱり辞めるということも時としては必要だと思うし。
だけど、決めたんだったら、そこには後悔しないようにしたいと私は思っているので、後悔しない人生を送るためには、自分で決めたってきちんと自分に言い聞かせることが大切だなって思います。
結果として、2019年の6月に株式会社を、実は廃業って書いてあるけど、生産はしていないんですね。株式会社の生産はしていないんです。お金がかかるから。
休眠状態にしてあるので、株式会社としてもう一度活動しようと思えば、休眠しているものを叩き起こせばいいだけの話なので、一応幽霊のように存在はしていることは存在しているんですよ。
私は逆に子育てをやり切ってから決めていたから、50歳からのリスタートだよとか、それもいいと思います。
私もね、もうちょっと逆に言うと子育てを早くしていればそういうスタートも切れたんだと思うんだけど、そもそも子供はいらないと思っていたから。子供好きじゃないから子供はいらないって。犬だけいれば男も子供もいらないと思っていたから。
まさか自分が結婚してね、子供2人も産むとかね、強いとも思っていなかったからね、20代ね。スタートダッシュが遅れましたよね。
だから、一つ片付いてからっていうのも全然いいと思うんですよね。
自分の人生の決断を誰かのせいにしない。そこだけが大切かなと、私自身は思っています。
どんなことも、他人は周りで何言おうと、それは旦那さんや子供でさえ、自分の人生を生きてくれるのは誰かじゃないわけですよね。
そう考えたら、やっぱり自分の人生において最良であるということを自分が選ぶ。
保育園送迎の思い出
誰かのために生きるということがあっても、子供のためにとかね、それは自分の決断なんですよね。
そうなんですよね、小森さん。だから企業を退職したら悔しかったけどね。小森さんもね、おっしゃってましたもんね。
自分で決めていくのが人生だからね。人のことを気にしてる時間はないねってことは本当にね。
そうだと思うし、自分のことに集中できれば、他人を羨ましがったり悲願なり比べてなんとかっていうことってあんまり起きてこないんじゃないかなって思うんですよね。
それはもしかしたら、集中できるものがあるから幸せっていうことでもあると思うんですけどね。
それでね、2019年の6月末に株式会社N企画を休眠させて、店舗を取り潰し、ドックランを晒しにして、
2019年の7月から今の、今のって言ったって隣なんですけどね、歩いて5歩ぐらいのところで。歩いて5歩。5秒とかじゃない、5歩。
そうそうそう、そうだしね。
自分が健康であれば、いつからでもやり直しは効くと思ってるんで。
時間的な資産というのがだんだん、時間資産と健康資産がだんだん失われてますけど。
誰かのせいにして動かないっていうことをしている時間が一番もったいないんですよね。
そう私は思います。時間というのはどうしても過ぎていくものだから。
まあでも結果的に2019年の7月からこちらの店舗をということで縮小して、個人事業主という形になって、野望は変わってません。
Nワンクラブ、ワンゴの秘密基地という野望は変わってませんが、株式会社というN企画というところは外して、
私、事務代表取締役という肩書きは外して、名刺も全部捨てました。
電話番号も、固定電話も解約しました。看板も取り外しました。
そういった形で、一人で再ステラ登録をして、今年で6年目という形になっています。
その間11年間の保育園の送迎、生活、雨の日も風の日もあって、子どもたちの迎えが遅くなっちゃう日もあったし、
もう本当に今日は早く行かなきゃいけないのに、そういう日に限ってね、子どもが泣いてね、
今日は保育園に行きたくないとか言ってね、早く行ってとか言ってね、
本当にね、自分勝手な母親だなって、自分の好きなことをやるために、こんなふうに子どもを犠牲にしていいのかなって、
思い悩むことももちろんありました。だけど、後悔に関してはね、いろんな賛否両論があると思うんですよね。
いろんな考え方があると思います。
だから、それに関しては、誰かの人生の選択を私は豊かく言うつもりはないですし、
ただ私自身としては、今日11年間通った雨の日も風の日も、泣く日も、怒ってる日も、
11年間子どもを送り迎えし続けた保育園を、今日の夕方で最後っていうこの日、
振り返ってみるとね、親子共に保育園という場所にですね、本当に助けられたなって、
もう、しい振り返ると感謝しかないですね。
自分自身も犬の保育園という、犬ちゃんたちをお預かりする施設を運営しているので、
命を預かる重さっていうのは、それが語弊を恐れずに言ってしまえば、
ペットの命であろうと、犬の命であろうと、命を預かる重さっていうのは同じだと思うんですよね。
お預かりして無事にお返しする。
犠牲ではないよ、助け合いだから早くなってください。
そうですね。そうなんだけどやっぱり辛い時もきっと、
もしこんな長いアーカイブを聞いてくれる人がいたら、
また結果長い。きっと保育園送迎を毎日しているお母さんの中では、
必ずそういうふうに思う牛っていうのが、1日ぐらいはあったんじゃないかなと思いますね。
いつからがまた大切な時間ですね。
本当ですね。また最初はね、小学校1年生なんでね、保育園より全然早く帰ってきますから。
え、もう帰ってきたの?みたいなね。
きっと保育園懐かしい。保育園に戻りたいってね、私、息子が小学校に上がった時思ってましたね。
保育園に戻りたいよ。夏休みいらないよとか思ってましたね。
でもね、きっとこれも聞いてくださる人生の先輩方。
小牧さん、山道さん、山道姉ね、人生の先輩方が聞いてくださったら、
いやいやでもね、子育って、子供が育ってくって、あっという間だよって。きっとね。
そしてご自身もその時に思い返して、私もそんな風に思ったことあったなって思われるんじゃないかなって思いますね。
めっちゃ早いよ。しかも途中までお迎えだし。
そうですよね。これ子供のね、保育園の創業終わってもね、この習い事の創業とかね、学童の創業とかね、結果的に創業はつくものですからね。
本当そう思いますね。
まあそれにしてもね、本当にこの11年間、子供たちはお送り迎えしながら、自分自身のビジネスもね、振り返ると本当にいろんなことがね、あったなって思います。
今でもそうやってるし。あ、そうなんだ。小牧さん今でもやってるんだ。えらいな。
ということでね、まあまとまりなく壮大に自分のストーリーをとうとうと語ってしまいましたけれども、
ハッシュタグ誰が興味あんねん案件ですけどね。
3月31日ということなのでね、明日からまた新しい環境に身を置く方々がいらっしゃると思いますし、私自身も新しい学びをスタートさせて、
また自分自身の活躍の場というものを新しく、新しい場に飛び込んでいくという決断をして。
矢川大にも来週からは、今までママが車でね、保育園まで連れてってくれていた娘がですね、
矢川大でも雨の日も風の日も思い乱させるうしょって、学校行かなきゃいけない。
その彼女のね、葛藤、それも別に本人が望んでるわけじゃないですからね。
その葛藤に比べたら、私がね、チャレンジすることなんて本当に大したことないハードルだなって思っているから、
彼女のことも精一杯応援しつつ、私も自分の新しいフェーズに歩んでいこうと思っています。
はい、ということでね、あんまり長く喋りませんとかね、1時間喋ってますよ。
あ、静岡さん、こんにちは。なんだかんだでね、もう1時間喋ってますね。
はい、ということでね、そろそろ、はい、私は午前中ね、事務所で仕事を終えて、
これからね、春休みの息子が家におりますので、息子のお昼ご飯を作りに帰ります。
そしてね、明日からはちょっとね、旅行に、春休みの旅行にね、家族でまた行けますので、
しばらく予約の配信が少ないというふうに思っております。
皆さんのところにも顔出しがなかなか、今週いっぱいぐらいはしづらい状況になりますけれども、
今後とも仲良くしていただければと思います。
そしてですね、4月から娘がね、1年生になるということで、
毎週木曜日、今年入ってからですけど、毎週木曜日の朝9時40分からしていたライブ、
こちらの定期ライブ、時間を前倒ししまして、朝9時10分頃からスタートしていきたいと思います。
大体私ね、今収録配信で犬のことだったりがメインだと思うんですけれども、
この定期ライブに関しては雑談メインで行っていこうかなと思っています。
もちろん質問とかがあればね、そういったことにもお答えしようと思うんですけど。
今週は、4月3日はちょっとね、旅行でおりませんので、来週4月10日の木曜日から、朝9時10分ぐらいからね、スタートしていきたいと思います。
よかったらね、こんな中途半端な、こんな修行すぐの時間なんで耳が空いてるわけないやんけ!って言う方もたくさんいらっしゃると思うんですけど、
万が一お耳が空いておりましたら、お声掛けいただけたらとても嬉しいです。
はい、ちょっと暖かいところに行く予定だったんですけど、全国的に日本寒いんでね、全然暖かくなさそうですね、あちらもね。
ということで、この辺でお締めにしていこうと思います。
もしかしたらこちらの配信、アーカイブはですね、近日中にURL限定もしくは有料配信の方にさせていただくかなと思います。
ポッドキャストに流れちゃうんでね。
ということで、こちらで失礼いたします。どうもありがとうございました。
はい、潜って聞いてくださっている方々も、あ、小田寺さんまだ聞いてくださったんですね。ありがとうございました。
はい、あ、かなこさんもずっと聞いてくださってありがとう。
しりたかさんもお忙しい中来てくださってありがとうございました。
11年間の歩み
育児とか仕事とかその兼ね合いとか、辞めるとか辞めないとか、そういったことについて話していきました。
よかったらね、タイムスタンプつけるので後で聞いてくださればと思います。
それではこちらで失礼いたします。