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こんにちは。横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、木芽さん作、命の期限を朗読させていただきたいと思います。
人にも、動物にも、植物にも、すべて命の期限はある。
生まれた時に、もう決まっているであろう、命の期限。
その日まで、どんな景色を見て、何を感じ、誰と出会い、想いを伝え合えるのか。
その期限は、誰にもわからない。
だからこそ、今を生きる、そして共に生きる、大切な存在の命の期限を尊重しながらも、
1分でも1秒でも長く、一緒にいることを願う。
それは、エゴではなく、尊い願いなのだ。
願うことは、エゴではない。
いつか自分も、この世から違う場所に移る。
その時に、一緒にいたい、と願ってくれる存在がいてくれる。
それは、とても幸せなことではないだろうか。
本当に幸せだよ、という思いが、心の底から湧き出てくると思う。
だから、願っていい。
私も一緒にいたい。
今、私の愛犬みことさんは、この命の期限ギリギリのところにいます。
食べなくなってから、4日、昨日からは水も飲まなくなりました。
ヨロヨロと立ち上がっては、どこに向かうのかなと思っていると、それでもトイレに行くんですね。
犬というのは、寝床を汚したくない動物なんです。
最後の力を振り絞って、ベッドから立ち上がって、トイレに行き、もう何も出ないのに、少しだけ出ることもあります。
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その隣にお水を置いてあるんです。
お水のところに行って、佇むので、お水が飲みたいのかなと思っています。
シリンジで口の中に入れてあげても、コクンと飲むことはしないで、静かに口からあふれるだけです。
小野目さんの顔を見てください。
口の中に入れてあげても、コクンと飲むことはしないで、静かに口からあふれるだけです。
小野目さんの作品、「いのちのきげん」
この作品は、4月29日に小野目さんが自作の詩として朗読されたものです。
その少し前に、私は愛犬に命の期限が迫っているということを知って、かなり落ち込んでいました。
小野目さん、佐紀さんは、愛犬さんを2度見送られて、その時の記録を佐紀さんのチャンネルで残していらっしゃいました。
私はその当時、毎日のように、佐紀さんの愛犬さん、今日はどんな様子かな、と佐紀さんの配信を聞いておりました。
愛犬さんが旅立たれた後は、愛犬が亡くなったのよね、という詩を読ませてもいただきました。
動物さんには、植物さんには、人にも、すべていのちのきげんがある。
一番最初に、この詩の中で言われているように、そう、いのちのきげんはあります。
生まれた時に、もう決まっているんだろうと、私も思います。
だけど、一分でも一秒でも長く、一緒にいたいな、そう願うのは、きっと人間だけではない。
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今、ほとんど意識のない愛犬をなでながら、私は彼が、本当にこの13年間、
この13年間が、彼にとって幸せであって、彼自身も今、いのちのきげんを迎えながら、
私と、私たち家族と、最後まで一緒にいたいな、と思ってくれている、願ってくれている。
そうだったらいいな、と思っています。
そう思いながら、小野部さんの、いのちのきげん、朗読をさせていただきました。
いのちのきげんがね、いつなのか、それは誰にもわからない。
この詩にも、そう書かれていますよね。
だからこそ、今を大切に。
それは、ふとすると、せわしない日常では忘れてしまいがちなこと。
スケジュール上に、長期計画を立てて、日々の計画を立てて、トゥードゥリストを書いて、それも大切なこと。
だけど、こうしたときに、いのちにはきげんがあること。
起きて、食べて、笑って、拝説して、立って、歩いて、動いて、寝る。
このことが、どれだけの奇跡の上に成り立っているのか、それを時々思い返してみても、いいのではないかな、と思います。
小野部さん、すばらしい詩をありがとうございました。
お聞き苦しくてすみません。
これまで聴いていただき、ありがとうございました。