2024-03-24 24:22

《旅》プチセレブ・バックパッカー💛インドへ行く🇮🇳9&10日目ダージリン

《プチセレブバックパッカー💛インドへ行く🇮🇳
~B級グルメとダイヤ💎はお好き❓》

9・10日目をお届けします!!
🇮🇳(副題)

なかなかダージリンから抜けられない私たち💦💦
体調不良は気持ちも弱らせますね・・・・

親友には本当に迷惑をかけてしまいました・・・・

それにしてもあの映画館体験は面白かった❣
内容はなんにも覚えてないけれど🌟

📷サムネはダージリンの街中で
店番をしていたかわいい女の子💛

インド旅行記のシェアと写真のシェアを
Xにて行っています‼️

良かったら見てね😘

1回目はこちら👇
1日目「いざ、出陣!」
https://stand.fm/episodes/65a8d5aff86bbfccead40adc

2日目はこちら👇「カルチャーショック」
https://stand.fm/episodes/65b2307647a599985d7be273

3日目はこちら👇
3日目・エローラ石窟寺院(前半)
https://stand.fm/episodes/65bb6afdaae00175137ed03a

4回目はこちら👇
3日目・エローラ石窟寺院(後半)
https://stand.fm/episodes/65c47be34247697bf70901b7

5回目はこちら👇
【4日目・ムンバイ再び】
https://stand.fm/episodes/65d01953a3efff6227214349

6回目はこちら👇
「席は無くても、情熱はある!」コルカタ(前半)
https://stand.fm/episodes/65d6ef1243ac877d61474566

「席は無くても、情熱はある!」コルカタ(後半)👇🏻

https://stand.fm/episodes/65d80272cea411848b4271a1

7回目はこちら👇
「ソレは突然やってきた……」
https://stand.fm/episodes/65e4476e3ea52313829e47ee


8回目はこちら👇
【Help😫】
https://stand.fm/episodes/65f6b38e6e273841f3c4bd44


BGMはハッピーピアノヒーリング🎹
あきよさん💛オリジナル曲
【インド🇮🇳】です☺️

あきよさん、ありがとうございます✨️🙇‍♀️

これから数ヶ月にわたり
週一回のペースでインド🇮🇳旅模様をお伝えしていきますね🍀*゜
近くて遠い未知の魅力に溢れたインド🇮🇳✨️
一緒に懐かしい旅に出かけてみませんか

よろしくお願い致します🙏

#なおちゃん先生インドの旅  ⑨
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#ダージリン
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#旅の思い出
#健康
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犬のトレーニングの実践🐕話、犬業界の裏話、アニマルコミュニケーション等は、《メンバーシップ限定》でお話しています❣️

https://stand.fm/channels/5fd49189dd3aea937b455b50
00:05
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、旅の配信をさせていただきます。
プチセレブ・バックパッカー💛インドへ行く🇮🇳
ビークグルメとダイヤはお好き?
こちらは、私が学生時代からの親友と2人、
21日間のバックパッカー💛インド旅行をした時の旅の記録を1日ずつ読んでいるというものになります。
ムンバイからアウランガバード、エローラ、コルカタ、ニュージャルパグリを経て、
お茶で有名なダージリンへたどり着いたところの数日間を読んでいきました。
今回は、5月18日木曜日、インドに着いてから9日目の日記を読んでいこうと思います。
一難去って、また一難。
ダージリン、天は私をよほどダージリンに引き止めたいのか、先に進ませたくないのだろうか。
ついに、完全に私の腸が旗を起きたした。
そりゃもう、成り上がらぬ滝も真っ青なほどの下り湯だ。
夜中に腹痛が来てから何回トイレにこもっただろう。かなりの腸内洗浄度だ。
この症状の困るところは移動ができないということ。
この状態で予定していたダージリンからニュージャルパグリ、コルカタ、そしてバラナシへの移動はさすがの私でも無理だとわかった。
友達に頼んでダージリンの滞在を1日2日延ばしてもらうことにした。
本当に迷惑をかけてごめんね。
私は彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
親友は嫌な顔ひとつせず、すでに手配済みだった電車のチケットのキャンセルや、ニュージャルパグリからバラナシの新ルート、列車運行状況などを調べてくれた。
その間、一体私は何回トイレに出たり入ったりしたんだろう。
本当に彼女がいなければ、きっと私は心細いのと、絶望で一人泣いて途方に暮れていたに違いね。
腹痛が収まらないこと、そして昨日教えてもらった薬の効果を再び日本のホームドクターに報告した。
下痢ぐらいで死んだりすることないから大丈夫だよ。
もしナオちゃんが入院するようになったら、お母さんとインドに駆けつけるからね。
まあ過ぎ去ってみたらこれもいい思い出になるから、あとは楽しいことがいっぱい回っているんだから焦らず少しゆっくり養生しなさい。
日本の下痢止めよりも現地のものの方が効くからそれを買って脱水には気をつけて。
03:03
油物は避けてパンやご飯など炭水化物を積極的に摂りなさい。と励まされた。
先生のおかげで少し元気を取り戻す。
早々人間、早々死ぬことなんてない。
心配して待ってくれる友人のためにもしっかり大事に寝直さないとな。
とにかく今日はフラフラで歩いたりせず、しっかり養生して永久を養い、一刻も早く回復できるように頑張ろう。
昨日行った薬局で下痢止めをくれと言ったら、昨日と薬との飲み合わせも考えて処方をくれた。
おじさんありがとう。英語わかりづらいけれど。
下痢止めと消化酵素入りのシロップを買って部屋に戻った。
その後は一日部屋でゴロゴログダグダ寝たり起きたりしていた。
固形物を口にする勇気がなかったので薬局の帰りにチョコレートを買い何片か食べてみた。
相変わらず外は賑やかだ。
子供の叫び声、犬の吠える声、猫の鳴き声、車のクラクション、目の前でやっている工事の音、人々のざわめき。
けれどそんな中でも私はうつらうつら夢と現実の間をさまよっていた。
改めて体がどれくらい休養を欲しているのかがわかった。
どうか明日にはお腹も少し良くなっていますように。
少し今回は短いので、次の日の日記も続けて読ませていただきます。
8月19日金曜日
10日目
洗濯の時
なぜか明け方になると腹痛は悪夢の目覚めとともにやってくる。
今朝はその中に血液なようなものを発見し私はすっかりビビってしまった。
これはまずい。
血が混じっている。
チフスやコレラ、セキリ、サルモネラ。
ひぃー
恐ろしい法定感染症などの名前が次々と頭に浮かんでは消えていく。
そして体調が悪いと思考はどんどんマイナス思考へ。
気がつくと私は親友にある提案をしていた。
それは今思い返すとわがままで自分勝手な提案だった。
すでにダージリンでの遠泊は決めていたものの、
明日ダージリンを離れて
車で約3時間半ほど離れたスリグリへ行き、
さらにそこから車で1時間ほどのバグドラドというところまで行く。
ここから飛行機が飛んでいるので一気に飛行機でデリーに行ってしまおうというのがその提案であった。
首都デリーなら外国人旅行者用の健康保険相談センターがあり、
近代設備に整った大きな病院があり、
アイドブックにもインドで安心して日本人がかかれる病院の名前と住所が記載されているからだ。
06:02
いざとなったら航空券はデリーからの出国だから帰国を早めてすぐに帰ることもできる。
とにかく法廷感染症であればこんな小さな山の上の町にいてもどうしようもないかもしれない。
私の不安に駆られた発言を我が相棒は一も二もなく承諾してくれた。
この日は朝から大雨が降り続いていて、いつもの町の喧騒は雨音にかき消されている。
凄まじい雨の音と時折猛烈な雷鳴が轟くばかり。
まさに私の腹模様である。気分は陰鬱であった。
少し雨が弱くなった隙に私は再び日本のホームドクターに経過報告と新たな症状の報告を電話をかける。
先生はやはりと私の気持ちをほぐすように優しく告げた。
そんなに焦っても下痢は熱や頭痛と違って薬を飲んだからといってすぐに治るものではないよ。
3、4日は様子を見ないと、それに血が出ているかもしれないということだけれど、何度も何度も下痢の症状を繰り返していれば、粘膜が弱った傷つき、そこから出血することはよくある。
お腹のほかの症状は収まっているんだろう。回数も記録してごらん。減っているのなら回復に向かっている証拠だ。
先生にはこのままベリーに移ろうかと考えていることも告げた。
もちろん医師としての立場から言って、そして先生にはベリーの病院にコネクションがあるので大都市の方が何かと都合はいいと先生はおっしゃった。
先生と話をし、少し自分を客観的に見ようという気持ちが働いたものの、足は飛行機会社の代理店オフィスへと向かっている。
バグドグラからベリーの瓶数と時間を聞いてみた。それと念のため空席があるかどうかを確かめてもらうことにした。
雨をまだ止まずに雷もゴロゴロと音を立てて鳴っている。
が、私のお腹はまずはこれを6時間おきに飲みなさいと薬局のおじさんに言われたタブレットの最後の一つを服用してからおとなしくなっていた。
あれ、これはもしや薬が効き始めたのかもしれないぞ、と思っていると、あれほど苦しんだ腹痛も弱まっていることに気がついた。
この調子で順調に回復してくれれば旅が続けられるかもしれない、と期待しつつも過信は禁物。
朝起きてからほとんど何も食べていないから、一時的に収まっているだけかもしれない。
お昼の12時を過ぎ、親友と昼食を取りに行くことにした。
09:00
けれど雨が再び降り出して、私たちはどうしたものかとフロントの前のソファーに座って少し雨が収まるのを待っていた。
すると、昨日はダウンしていた日本人3人組のうちの男の子がやってきた。
私は初めて彼を見た時、現地の人かなと思って話しかけなかったのだけれど、彼も私を年下の中国人の現地人だと思って話しかけなかったらしい。
まあ確かに日本人みたいな顔の人がたくさんいるからね。
ただし、2歳も私の方が年上だよということを告げると、
ええ、めちゃくちゃ若く見えますねとお決まりの反応が返ってきた。
まあ化粧もしてないしね、ええ。
彼とフロント前で盛り上がった話をしていると、
昨日果物を届けてくれた男の子が現れた。
彼は別の宿に泊まっているというSさんと一緒だった。
Sさんはみなりもバックパッカーぽくないのに話をしていたら相当いろいろなところを回ってきたようであった。
私と友人、そして3人の男の子たちと一緒にそれぞれ旅の経過や情報を交換していると、
3人組の最後の一人で後一転のTさんも現れた。
Tさんは3回のワーキングホリデーの経験者で、今回のインド旅も一人ですでに1ヶ月以上の旅をしているらしい。
優しい笑顔の素敵な女性だ。
こうしてなんとなく日本人6人が宿のフロントの前で集結して集まったところで、
雨も小降りになってきた。どうせならと全員で中華料理屋ロータスへ。
私は自分のお腹のことを考えてワンタンスープを頼んだ。
友人はお気に入りの焼きそば。他のみんなもそれぞれ思い思いのものを注文し、本物の中華っぽい味に感激していた。
ここは本当においしいねと口々に言う。うん、私もそう思う。
みんなに逸られて私も食欲が出てきて思ったよりも食べることができた。
そして隣のお店でチャイまで飲んでしまった。
お腹の調子が心配だったが、恐れていたような急激な痛みは襲ってこなかった。
この分なら何もわざわざコロカタより汚くてムンバより熱いと言われるデリーに急いで行く必要はないかもと思い悩む。
また旅先を変更するの?と思われそうだったが、私は我がパートナーにおそろおそろ告げてみると、
12:04
私は今のナオコの体調がどうなのか、落ち着いているのか、これから良くなるのか、
それともやっぱりちゃんとした病院で検査や治療の必要があるのかわからないから、
それはナオコが判断していいよと言ってくれた。
これはもっともない件だ。私の症状の一挙一動で今までのプランが変更してきているのだ。
彼女はそれを責めたり、不満や文句を言うことなく私に合わせてくれている。
本当に感謝の言葉しか出てこない。
とはいえ、自分の体調が悪化するのか、回復するのか、それともこのままなのか、
すぐデリーの病院に行くべきなのか、このまま旅を続けられるのか、自分で判断が難しかった。
しかしそうしている間でも、運命の女神は選択肢のカードを突きつけてくる。
宿の主人が現れて旅行代理店から電話が来ていることを告げに来た。
電話に出ると先ほどデリー行きの飛行機の空席を調べてもらっていた結果であった。
席は取れるが予約をするかどうかと聞かれる。
さあ選択の時だ。私は覚悟を決めた。
ごめんなさい。やっぱり飛行機乗りません。
今慌ててデリーに行ったところで緊急で医師に見てもらうほど症状は悪くない。
それなら旅を続けよう。無理せずきちんと休息をとっていけば大丈夫だろう。
私は自分の体の状態をそう判断したのであった。
その後日本から電話だよと再度呼び出されたら海外旅行保険の心配をした父だった。
本当に病気になってはじめてどうすればいいの。
じゃあ遅いのだが旅行に行く前など自分は絶対大丈夫と根拠のない自信を持っているもので
保険の詳しい説明など見ていなかった自分の浅はかさが敬われる。
ここタージリンから保険会社に電話が通じないので日本から電話かけてもらうように頼んだ。
今後もしまた再発したり悪化するようなことがあった時のため
誤証内容をきちんと把握しておこうと思ったのだった。
先ほどの6人で18時30分から始まる映画を見に行こうという話になった。
インドは知らせざる映画大国。
年間で700本ほどの映画が作られているらしい。
日本でも上映されその独特なセンスを日本社会に知らしめた
ムトゥ・オドルマハラジャは有名だ。
インドの大衆文化を知るのに映画は欠かせない。
本場インドの映画館でヒンドゥ語の映画を見てみたいと思っていたのでちょうどいい機会だった。
15:04
ダージリンの映画館は宿から歩いて5分もかからないところで
中央郵便局の目の前である。
こんな小さな町には見つかわしくないほど巨大で立派な建物でセキュリティも万全。
入り口でカメラやテープ、オーディオ機器、飲料品、水などはすべて預け
空港並みのボディチェックを受ける。
そしてやっと中に入ると、え、ここはダージリン?っていうかインド?
あまりの美しさ、近代的な設備、アテンとしてしまった。
お台場かどこか東京の映画館のようだ。
ちゃんとキャラメルポップコーンとペプシマで売っている。
その隣にサモサモ。
この辺がインドだな。
映画はヒンドゥのものとハリウッドのものがあり
私たちは36 Chinatownという映画を見ることにした。
ダビンチコードもやっていたけど、ここでハリウッドはないでしょう。
料金は1人60ルピー、約200円と安い。
座席は日本のものよりもむしろ進んでいた。
ジューススタンドはもちろんのこと、なんと座席はリクライニング。
これには一度びっくり。
こんな快適だったら寝てしまうのでは?という一末の不安がよぎった。
だがその不安は急に終わる。
映画は想像していたよりもずっと面白かったのだ。
もちろんヒンドゥ語なので何を話しているか全くわからないのだが
ストーリーはアップテンポで単純だから問題なく追うことができるし退屈しない。
えーっと思うような稚拙なCGや特殊効果も
登場人物の感情が盛り上がると始まるダンスシーンも
これがインドの映画かと思えば面白い。
そしてそのうち、あ、この後ダンスシーンが来るなというのがわかってくるから不思議だ。
18時30分から上映し休憩を挟んで終わったのが21時。
だがダンスシーンがなければ1時間ぐらいで終わっていたかもしれない。
なんていったってダンスが始まると1回につき10分以上そのシーンは続くのだ。
私たちの見た映画館はとても立派なものだったし
観客もわりと静かだったけれど
通常の街の立見映画館はこんなもんではないらしい。
みんな歌って踊って騒ぎまくるのだそうだ。
そのためにダンスシーンがふんだんに盛り込まれているという。
インド映画は社会派の重い暗い映画はあまり大衆受けしないらしい。
普段あまり裕福ではない生活をしている人々は映画のきらびやかで華やかな世界を目にし
主人公たちと一緒に歌い踊ることで束の間の夢を見るのであろう。
とはいえ上映が終わった後
照明がついた劇場内を見てみるとその辺ポップコーンだらけ。
18:04
なぜかというと立ち上がったインド人たちがポップコーン片手に踊ってしまうからだ。
終わった後は急いで宿に帰り食堂で軽く食事をした。
ああお腹がすくってこんなに素晴らしいことだったんだ。
ここの食堂のレモンティーが本当に美味しい。
先に部屋に帰った友人にもお土産に持って行った。
今日は振り回してごめんね。
そしていつもありがとうの言葉と一緒に。
はい、ということで今回はプチセルブバックパッカー
インドへ行くB級グルメとダイヤはお好き
9日目と10日目配信させていただきました。
ここの辺りは西洋シーンというかダージェリンに腰を落ち着けているシーンで
1日の記録も大して異動もしていませんので
短い日記になっていますので2日分をまとめて読ませていただきました。
とはいえ私の心理内での葛藤というのは
この辺りが一番葛藤したところじゃないかなというふうに思います。
本当に知らない国で収まらない症状が出てしまうと
この先旅を続けられるのかすぐ帰って治療した方がいいんじゃないか
名前のある伝染病とか感染症にかかっていたらどうしよう
というふうに体調というのは旅人を不安に落とし入れるものだと思います。
そして体調が悪いとメンタルにも響いてきますね。
これは全くもって普段の生活でも一緒だなと思うんですけれども
ここで急に弱気になった私。私でも弱気になることはあるんですね。
にもかかわらず私の揺れ動く心をそのまま受け止めてくれた友人
本当に彼女には思い出しても感謝しかないなと思います。
そしてですね、この宿で出会った3人組の日本人
女の子1人、男の子2人、それぞれ別の旅のルートをたどってきて
お金がね、私たちよりかなり長い時間旅をしてますので
お金をなるべく節約したいということで3人で一部屋
居合わせた男の子2人と女の子1人、女性、女の子といっても
その当時の私たちよりは7個8個ぐらい上の女性だったんですけど
21:01
まあかなり勇気があるなという感じですよね。今考えるとね。
まあでもね、若い時の旅ってそんな感じですよね。
こうやって偶然の出会いで
それぞれが自分たちのたどってきた旅のルートや
それこそお腹壊しちゃって
これ本当に不安なんだけどこの先って言った時でも
同じようなことを自分も経験したよとかね
そういった情報交換、生きた情報の交換っていうのが
旅人の助けになるというのは
どれだけネット社会が普及したとしても
やはりバックパッカー旅の楽しい醍醐味の一つじゃないかな
というふうに思っています。
日本一周のパンメグリの旅をされているトモさん
旅人トモさんという方がいらっしゃるんですけれども
彼も行く先々でいろんな旅人と出会って
いろんな情報交換をしたりするのが楽しいというふうに
配信の中でおっしゃってました。
きっとね、そういった生きた触れ合いというのは
どんなにいろんな技術が発展したとしても
やはり旅人にとって醍醐味の一つであり
そしていつまでも旅の記憶に残る出会いじゃないかな
そして別れじゃないかなというふうに思います。
ということで今回はですね
ジャージリンでの2日間のお話をさせていただきました。
ちなみにですね、このインドの映画館
私にとっては非常に面白い体験でした。
36チャイナタウンの内容がどんな内容だったかというのは
一つも覚えていないんですけれども
後ろ前後左右にいたインド人たちがね
非常に楽しそうに突然立ち上がって一緒に踊ったりとか
ポップコーンがばらまかれたり
ポップコーン置いて踊ればいいのにと思うんですけど
食べながら踊りたいんでしょうね。
なので照明がね、明かりがついて
エンドロールが上がって明かりがついて見ると
その辺がポップコーンだらけだったりとか
ということも今でもよく覚えています。
これも異文化体験。
ツアー旅行では体験ができない
自由な旅行ならではのことだったかなと思いますし
また体調が悪くて腰を落ち着けようということがなければ
急ぐカツカツの旅だったら
映画なんか見ようと思わなかったと思うので
これはこれでいい体験だったんじゃないかなと思います。
ということで今回は5月18日と19日
インド大災9日目と10日目のお話をさせていただきました。
ダージリンの日記はあと2日ほど続きます。
24:01
はい、ということで次回はまた
ダージリンの違った側面をお届けできると思います。
開けずについてきていただけたらとても嬉しいです。
それでは今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
24:22

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