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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
昨日はですね、みちかさん、カミオット育成計画のみちかさんとお昼にコラボライブをさせていただきました。
テーマは、パートナーシップとスキンシップについてというテーマで、お話をさせていただいたんですけれども、
みちかさんもね、あなたのパートナーシップを聞かせてくださいという自身の企画をチャンネルの中で、いろんなゲストさんをお招きして行っているんですが、
今回は私がお呼ばれをしたという形になっています。
こちらですね、かなり長いアーカイブになるんですけれども、
途中でね、一度みちかさんのスマホの電源が落ちてしまって、前編後編、2編にわたっている形になっています。
ただ、結構ね盛り上がりまして、お昼、昨日のお昼はですね、かなりライブが立て込んでいたんですけれども、
その中でもね、一時は盛り上がっているライブ1位になるくらい多くの方に来ていただいて、そして共感していただけるようなライブになりました。
40分、前半40分、後半40分という、かなり長丁場のライブになっているんですけれども、
興味のある方はね、概要欄にみちかさんのチャンネルのURLを載せておきますので、よかったら聞いていただければと思います。
そんな長いラブ聞いてられないよという方のために、ちょっとね、昨日のライブのまとめ、私的なまとめ、
そしてちょっとお話ししたりないこともあったので、そちらについて話していこうかなと思います。
今回はパートナーシップとスキンシップということで、みちかさんのほうから直ちゃん先生のお宅の旦那さんとのね、
パートナーシップってどのようになっていますかというご質問を受けてお答えするという形で、事前にご質問いただいていました。
ただですね、それだけ話しても、ちょっとなんていうのかな、面白くないなというか、
私がパートナーシップをどのように取られているのかということがなかなか見えないだろうなと思ったので、
私の得意分野である動物の行動ですね、動物行動学から見たパートナーシップへの活かし方という形でお話をさせていただきました。
私は犬のトレーナーということで、20年以上この業界にいます。
自分で起業してからは15年目になったわけなんですけどね、推薦実。
その中で動物、犬、私が一番相手にしているのは犬なんですけれども、
犬の行動、それに対して学んできたことや、得た知見というのが驚くほど、
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人とのコミュニケーションに応用できるというか、当てはまるところってたくさんあるんですよね。
私は知らなかったんですけれども、先日グレイスさんとマリアさん、音声心理師マリアさんと風色の日々、
ベルギーにお住まいのグレイスさんの対談の中でも、グレイスさんがおっしゃっていたんですけれども、
小さな子供、幼児教育に携わる先生というのは、自動発達の勉強とか、自動心理学の勉強以外に動物行動学も履修課題に入っているということを聞いて、
まあそうだろうなというふうに、とても納得ができたし、むしろそれを学んでおいた方が人間も動物の一つなので、
非常に役立つところがあるだろうなというふうに思いました。
私にとっては普通というか、自分の中の落とし込んでいる常識的な認識であったことが、
昨日コラボライブをしている時に、リスナーの皆さんにとっては初耳だっていうことが結構あって、これは私にとってすごく新鮮だったんですよね。
それが何かというと、心理的安全性と距離感というお話になります。
詳しきは、私とみちかさんのパートナーシップのコラボライブを聞いていただければと思うんですけれども、
動物の距離感というのは、4つのパターンにわたかれていると言われています。
一番対象と距離が遠いところに現れてくるのが、逃走距離ですね。
これは、動物が近づかれたら逃げる距離という距離です。
例えば、路地裏でかわいい野良猫がいて、近づいて行ったら、ある一定の距離までは逃げないでじっとこっちを見ているんだけど、
近づいて行ったら猫が逃げてしまった。
これは、その猫にとって、あなたが猫の逃走距離に入ってしまったために逃げられたという距離なんですね。
そして、もう一つが、ソイルよりも近い距離というのが、そこから一歩踏み込んだ距離ですね。
これが、臨界距離とか限界距離というふうに言われます。
この臨界距離とか限界距離というのは、逃げたんだけど逃げ切れないとか、もう接触を避けきれないというときに、
その動物が逃げられない、スペースを確保できないために攻撃に転じてくるかもしれない距離。
というのが、限界距離、限界距離というふうに言われます。
もちろん逃げ場があれば、すごい勢いで逃げていくという形になります。
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逃げたまま戻ってこない距離ですね。
そして、この2つというのは、要するに、ここでは猫ですね。
猫とあなたの間の心理的安全性がない状態なんですよ。
何の関係性もないから、近づかれたら逃げる。
これね、猫と人だけじゃなくて、人と人でもそうですよね。
知らない人が、いきなり正面から自分に向かって、ちょっとね、にやにや笑いながら近づいてきたら、これはもう怖いですよ。逃げたくなりますよね。
この逃げたいっていうのは、本能的な、逃げないと自分の身が危ないかもしれないという本能的な意識で体が動くということなんですよね。
人間もそういった本能というのは、やはり持ち合わせてはいると思います。
ですので、この本能的な体の反応としての距離、2つ、逃走距離と臨界距離があります。
ただ、心理的安全性がある場合、知り合いだったり、何のか、声を合わせたこと、顔を合わせたことがある。
スタンドFMの世界であれば、顔は合ったことないんだけれども、毎日配信を聞いているとかね。
そういった方に対しては、心理的安全性が確保されているわけですよね。
こうなると、この距離感がぐっと近くなります。
そして、その中でも近くなった距離感、安全性はあるんだけれども、心理的にね、あるんだけれども、距離は2つに分かれるんですね。
それは、近くにいても不快ではない。近づかれても嫌な気がしない。受け入れることができる。
何時間も近くにいても、不快さを感じない。逃げたいという気持ちが起こらない。
これは親しき仲に現れる社会的距離というふうに言われています。
それよりも、もっと親密になってくる。
例えば、ハグをしたり、手を握ったり、寄り添ったり、頭をもたれかかったり。
そういった体の接触があるような距離、これが個人的距離になります。
皆さん、お話ししていて疑似がついたと思うんですけれども、スキンシープというのは、
個人的距離に入ってこないと、なかなか双方に受け入れができている状態ではないんですよね。
この距離に入ってくる人物は、触りたいから入ってくる。スキンシープを取りたいから入ってくるかもしれないですけど、
触られる方の立場の人からすると、心理的安全性があるかないかで大きく変わってくるわけです。
この心理的安全性、これが私の見解では、この心理的安全性があるかどうかというのは、
実は同じ人間、同じ家族、同じ夫と妻だったり、恋人同士だったり、親子関係だったり、兄弟関係だったり、
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友達同士だったりしても、日によって、状況によって、この距離感というのは常に揺れ動くものではないかなというふうに思っているんですね。
危険なのは、一回社会的距離に入ったら、一回個人的距離に自分が入ることができたら、
相手はいつでもスキンシップを受け入れてくれるとか、いつでも近くにいてくれる、社会的距離に居続けてくれる、個人的距離に居続けてくれるという思い込みで行動してしまう。
スキンシップをとってしまう。というのは、これは実は危険な行為で、
本来だったら社会的距離だったり、個人的距離、一番親しい間からだったかもしれないのに、
何か一つタイミングを間違っただけで、一気に逃走距離に、お互いの距離感が空いてしまうということ。
これね、結構あるあるだと思うんですね。
特に女性、特に女性というのは、共感の生き物。
スキンシップを許す、許さない。好む、好まない。したい、したくない。
という時でも、根底にあるのは、この心理的安全性かつ共感だと思うんですよ。
なので、男性のすべての方がそうだとは、もちろん言わない。
し、偏見と言われてしまったら、偏見の一部に入るかもしれないんですけれども、
一回家庭に入って、一回結婚して、夫と妻という立場になってしまったら、
もういつでもスキンシップをしてもいいんだろう、ということ。
これは非常に大きな誤解になってしまう。
何なら、ある一つ前に逃走距離まで相手が引いてしまっているということに気づいていない場合がある。
これは家庭崩壊の一つの原因になってしまうんじゃないかな、というふうに私は思います。
ただですね、男性というのは、自分の意識というのが外に向いている生き物なんですよ。
常に自分の背後ではなくて、自分の前に敵はいないか、ライバルはいないか、困難はないか、それを乗り越えていくという生き物。
そこに目が向く生き物なんですよね。
対して女性は、横に目が行く生き物なんです。横とか後ろに目が行きがちの生き物としてね。
ですので、今この女性がどういう立ち位置にいるのか、この男性が何を見ているのか、どう思っているのかということを、
ある程度パートナーシップを結びたい人同士が確認し合う作業がない状態でスキンシップに移ってしまうというのは、
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これは場合によっては非常に誤解が生じてしまうと私は思うんですよね。
その結果が、今はそういう気分じゃない、触るなというね。
でもね、男性はね、ある日突然奥さんがそういう風になってしまった。
どうして怒っているんだろう、どうしてダメなんだろう、何もわからない。
だけど聞いてみても、なんかブンブン、あなたはいつも私のことなんて何も理解しようとしてくれないんじゃない、という風に、
なんだか昔のことも無視されてしまう。しょうがないから距離を取ろう、という風になっていると、
気がついたら修復できない距離になっていたり、スキンシップを取りたいなと思ってもどうやって取ったらいいのか、
もう分からなくなってしまっている。
こういったことって実はこのレス大国日本によく見られる情勢じゃないかなと思うんです。
そういったことを短さずね、つらつらお話ししてきたんですけど。
でね、確かに女子っていうのは非常に分かりづらい生き物です。
なぜなら、人間の女性、人間のメス、ここではメスと言っちゃいますけど、
人間のメスというのは、自分がこういう状態であるよ、特に性的なアピールというものが、
身体的にも相手の異性の目からも、同性の目からも隠すように進化してきている生き物なんですね。
他の哺乳類なんかは違うことが多いですよ、鳥類もね。
繁殖期にはこれ見ようがしん、いろんなフェロモを振り巻いてみたり、姿形を変えてみたり、色が変わってみたりということで、とても分かりやすい。
今はウェルカムですよ、今はウェルカムじゃないですよ、ということがね、非常に分かりやすいんですけど、
こと、人間の女性というのは全て隠されちゃっているから、分からないのは当然なんですよね。
なので、男性は分からない。
いつがアタックし時なのか、いつがダメな時なのか、それが同じ一つ屋根の下に住んでいても全然分かりませんという男性は、もしかしたら多いんじゃないでしょうか。
昨日は良かったのに、今日は同じことがダメって言われる。
はい、そういう生き物でございますよ。
で、だけどね、女性は女性で、そういった揺れ動く気持ち、昨日はこれは良かったけど今日はダメっていうその判定というのはね、
それとなくやっぱり男性に示してあげる。だって分からないんだから。
必要はあると思います。
もし、そのパートナーと今後も円滑なコミュニケーション、円滑なパートナーシップを続けていきたいのであれば、
やはり自分がどう思っているのかということを男性に伝わりやすいシグナルだったり、伝わりやすい方法で伝えるということが必要だと思います。
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これは犬のトレーニングの時もよく言うんですけれども、相手に伝わった気でいませんかと。
例えば、飼い主さんの中でダメとかノーとか言っても全然聞いてくれないんです。結構いらっしゃいます、こういう方。
相手にとって伝わるような伝え方をしない限りは、それは伝えた気になっているだけで伝わってないんですよね。
なのでパートナーシップで気をつけなきゃいけないのは伝えた気になっている。伝わった気になっている。
そういうことじゃないかなというふうに思います。
そこが本来は本当は相手が受け取り方が違う、思っていることが違うのにも関わらず、こちらはもうそう言ったでしょ、そういう態度を示したでしょということで、もう伝わった気になっている。
そういったそごがやっぱり積み重なると良くないと思いますので、そごは小さいうちにちょいちょい修復しながら、
家庭という一つの大きな船を目的地まで進んでいかせる。そのパートナーであるべきだなというふうに思っています。
ということで、みちかさんと動物行動学を使った絡みたパートナーシップについて前編後編で分けてライブをしていきました。
アーカイブはみちかさんのところに残っているので、よかったら聞いてみてください。
またですね、結構好評だったようなので、単発とか時々だと思うんですけれども、ドクトレーナーから見た犬と旦那の扱い方、取扱説明書的な感じで何か一つ企画を作っていってもいいかなというふうに思っています。
他にもね、ボディーランゲージの読み方ですとか、非言語コミュニケーションの取り入れですとか、そういったもしかしたら意識すると何かパートナーシップが変わっていくようなことっていうのは結構あると思うし、
そういったことはですね、動物のトレーニングを通して得た知見から何か面白おかしくお話できたらいいかなと思っています。
はい、そして一番最後になりましたけれども、みちこさんのコラボライブの後編の一番最後で私がある告知をしております。
その告知とは、昨年ね、夏に行いました、伝説のURL限定ライブ、大人の生物学、こちらをですね、一年ぶりに復活させたいと思います。
題して、大人の生物学リターンズ。
ということで、またリスナーさんだったりもね、交流していただく方も最近増えてきましたので、
こちらもまたURL限定になりますけれども、今のところ7月30日火曜日の日中に大人の生物学リターンズを行いたいと思います。
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詳しくはまた後日ね、告知の配信をしたいと思います。
それでは、今回も最後まで聞いていただきありがとうございました。