17歳の息子生誕祭。誕生日当日のことはもちろん17年前の出産を振り返ったり、アメリカでの子供の権利の話をしたり、運転事情の話をしたりしました。
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みなさま、お久しぶりです。ぶりログラジオです。今日は2025年7月22日、前回の配信が6月の最初、日本にね、一時帰国している時でした。
7月1日にアメリカにね、戻ってきたんですけれども、もうすでにね、3週間が経過しています。
もっと早くね、いろいろお話ししたいことがたくさんあって、収録をして配信をしようと思っていたんですけれども、話したいことがいろいろありすぎて、話せなくなって、今になってしまいました。
今日、7月22日は、私の2人目の子供である長男の17歳のお誕生日です。
イエーイ!で、17歳になったんですけれども、17年前のあの時、17年前の息子を出産する時のね、こととかに、やっぱり子供のお誕生日の時って、
自分にとっても親になる記念日っていうか、2人目だから2人の子供の親となる、そういう記念日でもあって、
なんか、いつもね、その、あの時は、あの出産の時はこうだったなーとか、彼を妊娠してる時はこうだったなーとか、
病院に行く時、腎痛が始まった時ってこうだったなーとかいうことに、いつもなんとなくね、こう、思いをね、馳せてしまうのね。
なので、そのお話をね、したいなーと思います。息子が生まれたのは、もう17年前なので、2008年なんですけれども、
当時私はシンガポールに住んでいました。で、シンガポールに2003年に引っ越して、で、長女がね、2004年に生まれているので、
シンガポールでの2回目の出産、そして子育てということなんですけれども、実は長女を出産した時は、里帰り出産をね、したんですね。
なので、シンガポールでの出産はしていませんでした。で、長男を妊娠して出産する時は、長女が学校にね、もう行ったりしていましたので、
2人の間はね、4年近く違うんですね。3年10ヶ月違うんですけれども、長女はもう学校、幼稚園にね、行っていたので、
そこをね、休ませて、私が里帰りなんてこともできず、長女の時は、ちょうど夫が転職のタイミングを迎えていて、
金融関係の仕事をしていたので、なんかその金融のルールで、転職をする時、
これもなんか細かいルールがあるんだけれども、彼の場合は、当てはまったのは、2ヶ月だったか3ヶ月だったかは、
新しい会社で仕事を始めてはいけませんっていうね、ルールの中にいたんですね。なので、ラッキーなことに、夫も一緒にね、日本に来て、
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たちあい出産、ん?たちあい出産?出産に立ち会ってくれることとかができました。
でも、長男の時はね、そういうこともなかったので、もうシンガポールで出産をするということをもう決めていて、
初めてのシンガポールでの出産となりました。一人目の時は、日本で小さい病院でね、
助産医ではないんですけれども、ドクターが独立している、開業医の先生のところで、小さな病院で生まれましたので、
もちろん、無痛分娩なんてものはなくいたんですけれども、シンガポールは98%ぐらいの民婦さんがね、無痛分娩をするんですね。
なので、無痛分娩をすることがもう当たり前、普通になっていて、私もね、もちろん無痛分娩をね、希望していましたので、
無痛分娩で二人目の出産には挑みました。当時ね、なんか私一人目の時もそうだったんですけれども、
腎痛が始まってから、なかなかお産が進まない。なので歩き回ったりね、熊のようにね、行ったり来たり歩き回ったりとかね、
死なさいっていう感じで言われて、長女の時も歩き回ってたし、長男の時も、長男の時はね、その出産は大きい病院だったんですね。
なので病院の中をね、うろうろしたり、バルコギがあったので、バルコギのところを歩いたりとかして、お産の進みを待っていました。
別に私は痛みに結構強く、痛みを多分人様よりは結構我慢できちゃう方なんですけれども、
その腎痛がどのぐらい強いかっていうのを測るマシーンみたいのがあってね、なんかそういうので見てみると、
あーもうそろそろね、お薬入れた方がいいですねということで、無痛分娩の場合は、その腎痛を、
何て言うんだっけ、なんか腎痛の時に、その腎痛の期間を乗り越えるベッドと分泌室っていうのが一体化したね、お部屋でお産をね、するんですけれども、
その入院するお部屋、もちろん個室になっていて、そこで麻酔会のね、ドクターがポーッと来て、シャシャッと麻酔をして、
で、なんか痛みが強くなったらこのボタンを押してねって、これ私の判断で押していいのかな、みたいな感じだったんですけど、
なんかそういうのを教えてもらって、で、ドクターはいなくなりましたね、で、出産の時を迎えるまで、
もうベッドの上でね、のんびりしていました、で、無痛分娩ってね、無痛分娩だから全然感じがしないのかと思いきや、そうでもなく、
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なんとなくギリギリ自分でなんか足ちょっと動かせるよっていうくらいの麻酔が入るんですね、
なんかやる時にちょっと膝立ててみてとか、そういう指示を受けて、ちょっとできないとこれ入れすぎかなとか、そういう感じで調整をね、してくれて、
で、足がね、こうギリギリこう自分でなんとなく立てることができるっていう感じになったと、そういう感じでお薬が入っていたと記憶しているんですけれども、もしかしたら記憶違いがあるかもしれないですね。
で、当時サッカーのワールドカップ、どのワールドカップだったかな、覚えていないんですけれども、
日本がね、初めて本戦に進むみたいな時だったかなと記憶していますけれども、そのサッカーのワールドカップの予選がテレビでやっていて、なんとラッキーなことにね、
日本対駐日野戦だったんです。で、日本対駐日野戦で、それを見ながら腎痛をね、迎えて、でも痛みがないので、テレビを楽しみながらね、過ごしていました。
で、だんだんだんだん腎痛がね、こう強まってくると、なんとなくやっぱりお腹がこう張る感覚っていうのは、もう分かって、
あ、なんかお腹結構強くだんだん張ってきたなーって言って、ちょうどその時、夫が長女ね、幼稚園が終わるので、お迎えに行っていて、離れたタイミングだったんですけど、
なんかお腹が、なんかちょっとお腹のこの張っている感じがなんか変わったと思って、えっとナースコールをして、助産師さんが来て、ふってチェックしたら、もう息子の頭が出ていたというね、ちょっと私は、え、なんか息子はお母さんがのんびりしている間に勝手に生まれてきてくれたみたいなね、感じだったんですけれども、
あとから聞くと、やっぱり病院の人たちは大慌てで、すごく危ないシチュエーション、例えばね、もしかしたら首にへそのほうが絡まっていたかもしれないって、自然と出ちゃってベッドから落ちちゃったかもしれないとか、そういうね、ちょっと危険なね、ことだったみたいで、まあ病院側はね、すごく大慌てで、ドクター急いで呼んでーって言って、
で、助産師さんがあわあわって、周りでパタパタやってるのを、えーって私なんか痛くなかったので、えーってなんかニコニコしながら楽しく出産をしたっていう記憶しかありません。でね、ちょっと衝撃だったのが、その時にドクターが来たんですけれども、女の先生でね、長靴履いて、
うお市場で働いている漁師さんみたいなね、なんかそういう感じの格好で、来たんですよ。なんか魚屋さん来たーとかいう感じで、私すごいそれにびっくりして、えー何も言わなかったんですけど、ちょっと驚きました。
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なんか国が違えば全然違うんだなーって、まあ日本しかね、知らないんですけれども、まあ日本もそれもね、小さい産院だったので、また全然違うかもしれないけど、先生がなんか長靴を履いてるっていうイメージがね、あんまりなんかあの長靴、それもあの黒い、普通のほんと、黒い、なんていうの、シンプルな長靴なんですよ。
なんかそれにびっくりしましたねー。またこのお話は続きます。
はいではお話の続きになるんですけれども、実は今ここまでの配信というのが、ここまでのね収録を車の中でやっていました。
車の中、今日は何があったかというと、グループレッスンのね、機構のクラスを教えるために、そのグループレッスンを教えているジャイロトミックのスタジオまで来たんですけれども、ちょっと早く着きすぎたので、その時間つぶしでちょっと配信をしていました。
で今ね、それが終わって、また駐車場に戻ってきたところで、車の中にいます。さっきはね、病院の先生がね、出産の時に長靴で来て、魚屋さんみたいな格好をしてね、来たから驚いたっていうお話をしたと思うんですけれども、本当にそうでしたね。
出産後は、3日間の入院で、3泊4日の入院だったかな。それで実家に、実家ではなくね、自宅の方に戻りました。
思い返してみるとね、すごく楽しい思い出がいっぱいありますね。出産も笑う出産でしたけれども、痛みを感じなかったことで、産後の体力、産後の子育ての体力といってもね、当時は私も32歳ぐらいだったのかな、なので若かったですし、体力ももちろんもっと今よりも多分あったし、
なのでね、元気は元気だったんですけれども、すごく産後がなんか辛いとかそういうのがなかったのは、やっぱり無痛分娩で体力を消耗しなかったっていうのは結構大きかったかなと思います。
あとは、その出産をするタイミング、息子の頭が出てくるっていうそのタイミングの時に、ドクターがいなかったことで、男性の方はね、これを聞くとちょっと怖いと思うかもしれないんですけれども、
えいん切開という手術というか、出産の時に、そのえいんが赤ちゃんが出てくる時に避けてしまわないように、そこをハサミでチョキンってちょっと切るんですね。そんな痛みは感じないぐらいね、出産っていうのはもうすごいことなんですけれども、
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それは一人目の時は私はしていて、二人目の時は勝手に出てきてしまったんですけれども、実は妊娠中にえいんマッサージっていうか、その赤ちゃんが出てくる本当の出口のところを柔らかく保つためにマッサージをするっていう技法があって、それをまたニーティーヨーガだったかなーで教えてもらってやっていたこともあって、避けることがありませんでした。
もしかしたら一人目も避けるのを避けるためにえいん切開をしてるんですけれども、もししなかったとしても、もしかしたら切れなかった可能性もありますよね。だからちょっとわからないんですけれども、でもね切れずに出産することができたことはちょっと幸運だったかなと思います。
それもあって、産後にトイレに行くのがすごく一人目の時は怖かったんですけれども、二人目の時は産後トイレに行くのが怖いっていうこともあんまりなかったと思いますね。
出産後、ちょっと切ないドラマがあったこともすごく強く印象として残っているんですけれども、それが何かっていうと、出産をして夫は先ほども申し上げた通り、長女を幼稚園にお迎えに行ってきたんです。長女をお迎えに行って、長女を連れて病院に戻ってきたんですけれども、彼らが戻ってくる
本当に本当にちょっとギリギリちょっと前ぐらいに息子が生まれたので、立ち会い出産ができなくて、私が一人で産んだみたいな感じになっているんですけれども、入院する病室の方に移動して、長女と夫と一緒にしばらく数時間一緒に過ごしていたかなと思うんですけれども、夜になって
夫と長女がお家に帰るってなった時に、長女はママも一緒に家に帰れるって、赤ちゃんが生まれたから赤ちゃんとママも一緒に家に帰れるって、当然のことのようにそう思っていたみたいで
ママが帰れないって知った時に、ものすごい泣いて、ギャーギャーギャーギャー泣いて、ママと離れたくない、ママと離れたくないってギャーギャーギャーギャー泣いて、すごくかわいそうなことをしたなって思いました。
私たち親にとっては、3・5年入院するっていうことは当たり前のことで、子供にとってはママが一緒に帰らないなんてことは、思いもしなかったんだなっていうのをね、ちょっと
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その時思って、ちゃんと話してあげられなかったことを申し訳なかったなっていうふうにね、感じています。もちろんね、その時のことって、長女に聞いてもほとんどあまり多分覚えていないんじゃないかな、ちょっと今度ちゃんと聞いてみようかなと思うんですけれども
だからね、もしこの先出産とかが控えていて、2人目が生まれるよっていう時は、ちゃんとね、上の子にね、お母さんは数日赤ちゃんと一緒に病院に入院しなきゃいけないんだよっていう話をね、して
少しね、もちろんそれでも泣いて寂しがることがあるかと思うんですけれども、でもそうだったんだよね、そういう話聞いてたよねっていう、子供の心の中での準備みたいなものが、少しはできるかなとかいうふうにも思います。
さてじゃあこれからね、今駐車場でこのまま話しているんですけれども、これから動き始めてドライブをして、スーパーに寄りながらお家に帰りたいと思います。
今日誕生日になった息子、今日17歳になった息子は、高校の吹奏楽でマーチングバンドに所属しているんですけれども、マーチングバンドのキャンプがね、キャンプっていうかね、キャンプって言うと、日本でキャンプって言うと山にこもってって思うんですけれども、そうではなくて、学校で朝から夕方まで
荷物が落ちてしまいました。朝からね、夕方までマーチングバンドの練習があって、それが2週間続きます。そういうのをね、キャンプ、サマーキャンプって言ったりするんですけれども、マーチングバンドのサマーキャンプに参加していて、家にいないので、
まだね、実はプレゼントのラッピング、日本だとプレゼントを買うと、ラッピングはね、お店でしてくれたりすると思うんですけれども、アメリカはね、自分でやらなきゃいけないんですね。だからラッピングペーパーを昨日ね、地上と買いに行って、プレゼントにラッピングして、あとちょっとお家をね、デコレーションして、あとサプライズでね、風船を200個膨らまして、
あの、お部屋にね、詰め込もうと思っています。
風船200個、結構すごいよね。風船200個膨らますの、もちろんあの、自分のハエを使ってではなく、風船を膨らませる機械みたいなものがあるので、それを使って、電動ですよ、シュポシュポするやつじゃなくてね、電動のやつがあるので、それを使って膨らませて、息子のお部屋にね、
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お部屋を風船だらけにして、驚かそうという計画をしています。
そして夜は、私のお料理ではなく、夫のお料理で、息子のリクエストにより、チャーハンとステーキです。
なので私はね、お料理をしなくていいので、そこはね、助かります。
いつもこういうスペシャルのなんか、お誕生日とか、クリスマスとか、そういうスペシャルの時は、大体ね、夫がね、お料理をしてくれます。
それは楽しみですね。
またね、この収録、ここで終わりにして、夜にね、サプライズで、サプライズではないですね、お祝いをしますので、その時の様子などをまたね、後で収録をして続けていきたいと思います。
ケーキはね、息子はあんまりケーキを食べないので、息子からのリクエストにより、ドーナッツのタワーを作って、それをケーキとしてお祝いをしたいと思っています。
実は、ろうそくを買い忘れちゃったので、これからお店に寄って、ろうそくを買って、お家に帰りたいと思います。
というわけで、息子の17歳のお誕生日のお祝い、終了いたしました。
どうだったかっていうお話をね、これからしたいと思うんですけれども、本当はね、お誕生日であった昨日のうちにお話ししたかったんですが、本日は日をまたいで23日、水曜日になっています。
昨日、マーチングバンドの吹奏楽の練習から帰って、吹奏楽の練習が終わったのが4時だったんですね。
夫が学校まで迎えに行きました。
5時になっても、6時になっても、なかなか帰ってこない。
お話しした通り、夜ご飯の担当は夫だったので、いつもだいたい我が家では、夜ご飯の時間っていうのが6時くらいなんですけれども、6時過ぎても帰ってこないので、あれーって思ってて、そしてようやく帰ってきたと思ったら、息子、お誕生日に車を買ってもらっていました。
アメリカではね、州によって多少の違いがあるんですけれども、私が住んでいるコロラドでは、16歳から子供たちは運転を始めることができます。
最初、免許を取った最初の1年間っていうのは、未成年を乗せて運転することは法律上禁止されているんですけれども、
なので、17歳とかになると、もう1年間運転すると、子供たちはね、お友達を乗せて運転したりすることができます。
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で、うちの息子も16歳の時に免許を取って、で、けっこう16歳のお誕生日になってすぐくらいからね、運転を始めました。
で、どうしてね、そのお誕生日すぐぐらいから運転できるようになるかっていうと、15歳のお誕生日を迎える6ヶ月ぐらい前から自動車学校には通うことができるんですね。
日本の自動車学校とはちょっと違うんですけれども、自動車学校、学校というものではなく、地元の警察とかが主催している運転するための、初めてのドライバーのための講習会みたいなやつが集中的なのがあって、
で、それを受けてから、仮免許ですよね。テストを受けて仮免許をもらって、で、仮免許をもらったところから1年間、教習所の先生っていうのはいないので、主に親が隣に座って運転をすることになります。
一番最初はね、うちの近所はあまり交通量もすごく少ないし、道路も大きいので、まあ近所をぐるぐる回ったり、日曜日とかに学校の駐車場に行って、そこで練習する駐車場のラインの中に駐車する方法とか、そういったものをね、自分たちで練習をさせるわけですよね。
で、家から学校までの道、行動ですよね。お練習したりとかするんですね。で、本当の免許っていうのは、16歳のお誕生日を迎えてからじゃないと取ることができないので、16歳のお誕生日になった時に、警察の教習所の先生というか、警察をリタイアして運転を教えている人とか、元警察官みたいな人がだいたいなっていることが多いんですけれども、
その人と横に乗せて運転をします。で、仮免許の間も4回か5回、その先生と一緒に運転の練習をするっていうのがあって、空港の方まで行ったりするんですよね。高速、突然高速に乗って運転したりとか、なんかドキドキするよね。
都会と違ってね、歩行者がたくさん周りにいるとか、そういったことがないので、その点では怖さは少ないんですけれども、コロナ道っていうのは、私たちが住んでいるね、特に地域っていうのは、アスリートの人たちのコーチトレーニングの場としてすごく有名な、アスリートの人たちの中では有名な場所で、
オリンピック選手みたいな人たちがね、車みたいに走る人たちが周りにいたり、あとはトライアスロンですね、自転車競技、自転車競技のトレーニングの人たちがたくさんいたり、自転車競技に限らず、スポーツとして自転車を乗っている人たちの人口というのがすごく高いので、自転車の人たちは結構多いです。
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それでも東京でね、子供たちが自転車に乗ってたりしてフラフラフラみたいな、ああいうのはないんですけれども、それなりのスピードですごく走っているし、基本的に車のスピードというのも日本とは比べ物にならない速さで走ってたりするので、この速さでぶつかっちゃったりすると危ないですよね。
法律では一応歩行者、自転車との距離というのは3フィート以上空ける、3フィート以上というと1メートルですね、1メートル以上の間隔を空けて走行しなくてはいけなくて、それ以下だと一応法律で罰せられるというふうになるんですけど、それは良しとして。
そんなわけでですね、車の細かいことは置いておいて話は戻ると、息子は16歳で免許を取ったものの、自分自身の車を持っていませんでした。
長女の時は車は16歳で買ったんですけれども、16歳の誕生日になる時に車を買うか、あとはジャズのね、ジャズミュージックですね、本人も演奏しているので、ジャズの本場であるニューオーリンズの方に旅行に行くか、どっちがいいかということで本人が選んだのが旅行だったんです。
なので16歳の時に車は買ってあげませんでした。なので彼はね、スクールバスに乗ったり、私が車を使わない時は私の車を使って学校に行ったり、パパの車を使って学校に行ったりしていたんですけれども、高校は4年間あるんですけれども、高校の3年生4年生になると大学と同じようにオフブロックっていうね、授業がないブロックっていうのができるんですね。
日本の大学みたいですよね。高校ではそういうのはあんまりないかなと思うんですけれども、そうすると1時間目はクラスがないから2時間目から行けばいいんだけれども、でも1時間目のその時間ね、っていうのはもう私もバレーに行ったりするし、夫も仕事に行ったりするし、スクールバスは1時間目に合わせて出てるのでスクールバスには乗れないし、
そういう学校の方が優先されるので、息子を学校に送るために私がバレーに行けなくなったりとか、そういうことがね、どうしても発生してしまうということで、車はいつかは必要だよねという風になっていました。
私たちはね、アメリカに住んでもう13年なんですけれども、13年間ね、私の夫も私自身も両方の車がもう13年以上乗ってて、私の車も夫の車ももう10万キロなんてとっくに過ぎて、20万キロぐらいに近いんですね。
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でもまだまだ元気で十分に走れているんですけれども、そろそろね、まあ年老いてきていますので、あっちのパーツを変えた方がいいとか、こっちのパーツを変えた方がいいとか、そういう感じで、まあガタが少し少し出てきているのは事実です。
なのでそろそろ車をね、買い替えるタイミングかなっていうのもあって、で私たちがそれぞれね、新しい車を買って、今の車を息子はね、あの通学するのに息子に使わせるかっていう風に話していたんですけれども、息子に車を買ってあげることにしました。
で来年ね、彼が大学に行く時に、コロラドの中の大学であれば、あとは田舎の大学であれば、まあ彼は自分の車を持っていくかもしれないんですけれども、うちの息子は大学はニューヨークに行きたいと言っていて、ニューヨークに行ったら車持っていく必要がないので、その今1年間ね、これから彼が乗った車を私たちが来年使うみたいな感じにしようかということで、
話はなってたんですけれども、まさかその当日にディーラーに行って、はい車買いますって言って車を買って帰ってくるとは思ってなかったので、私はちょっとびっくりしました。
あとはですね、お祝いのために、まあもちろんね、プレゼントをラッピングをして、それから風船を膨らませるっていうお話をしてたと思うんですけれども、風船200個膨らませる予定でしたのが、風船100個になりました。
で、主にね、私の娘、次女が電動のね、風船を膨らますやつで、100個膨らまして結んで、膨らまして結んで、膨らまして結んでっていうことをやって、息子のお部屋にすべて入れて、風船だらけにしておきました。
なんか200個やったらね、入りきらなかったと思うので、100個もすごく多かったです。なんかね、3時間かかったんだって。その膨らまして結ぶのに。でも100個のすごく膨らんだ風船を結ぶのって、結構手が痛くなりますよね。
なので彼女はね、足を使ったりとかして、足に巻きつけたやつをくるっとして結び目を作る。そんな技をね、自分で考え出してやっていました。
で、まあ6時過ぎに自分の新しい車を運転して帰ってきて、息子は帰ってきて、で、夫がそこからね、下準備は全部お料理の下準備はしてたので、最後の仕上げみたいな感じでお料理をして、で、今は大学の夏の講義を受けている長女も、今日はね、弟の誕生日だからということで帰ってきて、みんなで一緒に夜ご飯を食べました。ステーキのチャーハンでした。
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で、その後にまず夜ご飯のね、お片付けをして、で、それからプレゼントね、もうそこにでーんと置いてあるので、息子も早く開けたくて、もう車をもらったからプレゼントいらないんじゃないかって思ったんですけれども、まあありますので、プレゼントを開けたくてうずうずうずしてきましたので、まあキッチンのお片付けをした後にプレゼントをオープンしました。
で、プレゼントはね、なんかクリスマスみたいになっちゃったなと思ったんですけど、息子はね、あのファッションデザインの方に将来進みたいということだったので、なんかそういったね、関係のお裁縫関係っていうのかしら、そういうデザインとかね、そういう洋裁系の様々なプレゼントを準備していました。なのでそれをオープンして、あの喜んでくれたかなと思います。
で、それから息子のリクエストであったドーナツケーキ、ドーナツケーキというかね、ドーナツをいっぱい買ってきて、それを、それでお祝いしたんですけれども、夫がね、そのドーナツを使って、17歳なので、17というね、あのドーナツをバーベキューとかで使う竹串にぶっ刺して、形をなんとか作って、17っていう形を、
まあ言われればわかるかなっていうレベルに作って、で、そこにキャンドルを立てて、17っていうキャンドル、1と7の数字のキャンドルを立てて、でお祝いをしました。
なんかドーナツはね、やっぱり夏だったので、あのお砂糖がね、やっぱペタペタってなっちゃったりとか、涼しいところに置いてたんですけれども、夏はやっぱ難しいなーってちょっと思いました。
でもね、あのすごく楽しんで喜んでもらったし、良かったなと思います。息子はね、その6時過ぎに帰ってきて、自分の部屋に1回も行ってなかったんですね。
なので、ドーナツでのお祝いも終わって、ああもう今日は僕のお祝い終わったなーって、ふーって思って、みんなでおしゃべりなんかしてたんですけども、
あ、そういえばね、あともう一つサプライズあるよーって言って、え、なになになにかなーって、どっかに隠してあるのーなんてか、どうかなーって言いながら、
息子が家中をくるくるくるくるして、自分のお部屋に行って、自分のお部屋のドアを開けて、おーって驚いているところ、そんなものもビデオで撮りました。
そして写真も撮りました。すごくね、楽しいお誕生日になったんじゃないかなーと思います。
子供時代最後のお誕生日ということでね、アメリカでは18歳になると、もう正式に大人となります。
まあ日本もそっか、18歳で一応大人認定ですよね。
なのでもう、高校を卒業したら巣立つっていうのが、アメリカの文化としてあって、
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本当に巣立つんですよね。大学に行くとほとんどの大学がどんなに家が近かろうと、1年生の時は全員基本的に寮に入れられるので、
基本的にもう子供たちは18歳、高校を卒業したら家を出ていくっていうのが、
まあ常識っていうか一般的、一般的なものになっていて、
なので17歳っていうと、子供として家で過ごせる、実家で過ごせる最後の年ということになります。
一応ね、16歳だって、なんかスイート16とか言ってね、すごいクレイジーにお祝いする人たちもたくさんいるんですけれども、
16歳ってなんでそうなのかな?ちゃんとわかんないですね。
でもまあちょっと大人の仲間入りの片一歩、足を入れたみたいな感じになるのかな?
16歳どうしてなんだっけ?忘れてしまいました。
でも結構ね、アメリカってそういう子供の成長していく、そういう大人になっていく、で大人として相手を扱っていく。
やっぱり16歳って運転ができるようになる、社会的な責任が出てくるっていう年なのかもしれないですね。
そう、なんかアメリカでそういったことで驚いたことっていうと、
子供が13歳、あれは何歳だったかな?13歳だったと思うんですけれども、
病院について行った時があって、それは長女の時だったんですけど、
病院について行って、お話とかドクターの話とか聞くんですけれども、
お母さんちょっと外に出ててくださいって言われて、なんか外に出された時があるんです。
その時にどうしてですかって言ったら、これは子供のプライバシーを守るための子供の権利のお話をするので、
娘さんと2人でお話をしなくてはいけないので、お母さんちょっと出ててもらえますか?みたいな感じ。
娘に後から聞いたら、一応契約書じゃないですけど、そういうのがいろいろあって、質問項目があってね、
自分が病気になった時に親に伝えますか?とか、言いたくないことは親に言わなくていいっていうこととか、
どこまで親に知らせていいですか?とか、そういう子供のプライバシーを守るみたいなね、そういうことがあったんですよ。
あれ、日本ってこういうの、たぶんないよね?と思って、アメリカってすごいなーってちょっと思いました。
長男と、次女も13歳になったので、もしかしてね、病気で病院に行くと、そういうのがあるかもしれないんですけれども、
長男の時は特にそういう、というかね、うちの子たちは全然病気しないので、私と一緒で、私たち家族は全然病気をしないので、
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病気では病院に行ってないんですよね。でも息子は2年ぐらい前に大腿骨を骨折していて、その時に緊急で運ばれて、
ああいう時はちゃんと連絡が来たし、やっぱり親に説明があったんですけど、
なんかそういうプライバシーの話みたいなことは、なんかした思いがあんまりないですね。どうなんでしょうか?
さて、まあ話はいろいろとされましたけれども、こんな感じでね、あの息子のお誕生日終わりました。
えっと今日はね、あの、昨日誕生日当日に撮った、細切れで撮ったやつをね、繋げて配信しようと思うので、
結構長いね、配信時間になったかなと思うんですけれども、最後まで聞いていただいた方ありがとうございます。
80歳の私、懐かしく思い出していましたかね?
ではでは、またVlogラジオね、日本での思い出のお話なども、これからしていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
それでは皆さん、いい一日を。また次回お耳にかかれることを楽しみにしています。
ではでは、バイバーイ。
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