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2022-06-02 20:43

#55 専業主婦の暮らし☆【後編】日本の高校に編入学するまで

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00:07
アッサラムアライコーン、こんにちは。海外生活を語る人、なんばるわんです。
この番組は、パキスタン移住を経験した私なんばるわんが、すぐに使えるウルドゥ語やパキスタンでの体験談、またウェブライターとして学んだこと、感じたことなどをお伝えしていくラジオです。
家事の合間や休憩時間などに、ゆっくりと聞いていただけると嬉しいです。
前回ですね、日本の高校に編入学をする前までのことをお話ししました。
パキスタンでの出来事とか、日本にいながらパキスタンの保護者や学生さんたちで構成された政府への抗議をするグループに潜入してとかね、
色々とやっていたっていう話をしていたら、すごく長くなってしまったので、一旦切りました。
今日はその後編とさせていただいて、タイトルの通りですね、日本の高校に編入学をするまでの話をしたいと思います。よろしくお願いします。
パキスタンではOレベルという勉強をしていました。
娘がね、本来ならその次のAレベルですね、アドバンスレベル、そちらに進学をするはずでした。
でもまあ一昨年の一時帰国で、もうパキスタンには戻れないってね、なって、パキスタンの学校を辞めることになりましたね。
結局ですね、試験は受けられなかったんで、もう辞めることになっちゃったから、じゃあこれから勉強はどうしようっていう風になりました。
家族3人でいろんな思いがあったんですけども、私はできることをやろうと思って、色々と調べ始めました。
最初に分かったことは、日本でもAレベルの勉強が受けられる期間があるっていうことが分かったんですね。
パキスタンと同じ9月の入学で、オンラインで完結するっていうね、教育機関で、Aレベルが終われば海外の大学に進学が可能ということで、いいんじゃないかなーなんてね、考えていましたね、その時に。
9月に入学して、2年後の5月に卒業ということでね、普通にパキスタンで進学していれば、そのようなスケジュールだったんで、私たちにとっても場所が変わっただけで、
03:15
むしろ、他の国の先生にオンライン授業をしてもらえるということで、そっちの方がいいんじゃないかなーなんてね、そういうのも考えていたんですね。
資料請求したり、オンライン説明会とか、個人面談ね、全部オンラインですけども、参加したり、そこの創設者の方とね、話とかして、何度も質問とかして、
入試を受けましょうかっていう、入試を受けるかもしれないっていうところまで持っていきました。
その一方でですね、日本の学校に通うっていうのもね、ちょっと私は考えて、電車通学っていうものを経験させてあげたいなっていう思いが湧いてきたんですよね。
パキスタンで電車通学ってありえないので、なんかオンラインでもいいけど、どうかなーっていう思いがね、出てきました。
そのAレベルの学校ね、説明会とかで、オンラインだと通学時間、部活の時間とか、とにかく時間がね、無駄になることがないっていう話だったんですね。
それを聞いていて、それはそれでね、ああ魅力的だなーって確かに感じてましたね。
でも、実際に自分の足で通学して、同じクラスの子たちと先生たちと顔を合わせてね、こういうことを経験していくのもアリなんじゃないのっていうね、ことが浮かんできたので、
娘にもね、私の考えを話したらお願いしますって言ってたので、そこでまた別の方向に関してね、調べ始めました。
まずは高校に入れるか入れないかっていうね、そういうところから調べ始めましたね。
帰国子女とか帰国生とかそういう言葉が出てきて、調べたら娘の場合は帰国子女の枠ではなくて、帰国生の枠で編入学ができそうだということが判明しまして。
06:18
日本語の読み書きができる子が帰国子女、普通に日本人として外国で暮らしていたそういう方々が帰国子女だそうなんです。
それ以外の日本人の人は帰国生という扱いになるみたいでね、その条件に当てはまりそうな地元とか近隣の地域の公立高校、私立高校、通信生、定時生、いろいろ調べて、
7、8校でしたかね、連絡しました。
メールとかでね、1校もダメでしたね。
全滅でした。
やはり日本語の読み書きができないから、授業は基本的に日本語の読み書きだということでね、それはそうですよね。
効率はね、わかるんですよね。
私立で英語での入試が可能っていうところもあったので、問い合わせをしたら、蓋を開けたらそうだったっていうね。
入れても結局勉強できないとね、何もならないのでね。
いやー、なんかがっかりしましたね。
これが現実だと思ってね。
本当になんか悔しかったですね。
まあね、それでなんか調べててダメで落ち込んで、とにかくじゃあいいやと思ってまた違う方面を調べてですね、娘をボランティアの日本語教室に入れました。
とにかくなんかやらなきゃダメだなと思ってね。
とりあえずそこに通わせて、まだやっぱり高校のことも調べ続けて、そこで最後になったんですけど、ネットで見つけたね、ある高校にダメ元で連絡をしました。
そこのホームページには帰国制約ということでね、編入学ができそうだなと思ったので連絡しました。
09:03
そしたら一度見学に来てみませんかとね、初めて言われましたね。
そういう返事をいただきました。
電話で話したかな、あの時。電話して予定を調整をしていただいて、すぐに見学に行きました。
娘とね、緊張しましたけども、そこで担当の先生とお話をして、あらかじめというか最後に、
最初の問い合わせで送っていたパキスタンの学校を辞めることになった経緯とか、日本の読み書きがほとんどできないこととか、その話の詳細を改めて聞いていただきました。
ボランティアの日本語教室に通い始めたこともね、ちゃんとアピールしました。
一応ね、ちょっと諦め半分、そんな感じでしたけども、きちんと説明して、そこで先生がおっしゃってくれたのは、娘のことについて、
こういう女子がいると、学校で競技が行われたそうです。話し合いがあって、校長先生がね、パキスタンの学校のことを調べてくださっていたんですって。
先生も調べてくれたみたいですけど、校長もね、調べていたみたいでってね、おっしゃってて。
で、随分優秀ある学校なんだねってね、校長先生が話されていましたと。
いやぁ、そうですかって言って、ちょっと恥ずかしかったですけどもね。
で、担当の先生が娘と、娘も日本語で一生懸命ね、自分の考えを話していました。
大学に行きたいんだとか、そういうことをね、言ってましたね。
娘と私のことをね、なぜかお母さんのこともって言ってたんですけど、先生がね。
僕はお二人を見て、やる気が伝わってきましたってね、言ってくれたんですよ。
笑顔でね、面接しましょうってね、言ってくれたんですよ。
うーん、まあ本当、胸が熱くなりましたね、感動しました。
12:02
いやぁ、諦めないでよかったなって。
当時はね、6月だったんですけど、去年のね。
その日に、見学をさせてもらった日に、面接の日程も決めて。
翌週くらいだったかな、面接をね、していただいて。
で、合格はほぼほぼ間違いないですよっていうことでね。
ただ一応、通知は郵送でしますってことでね。
娘とね、ワクワクしながら待っていました。
そして、数日後に無事にね、合格通知が届いて、編入学を果たしたということなんですね。
はい、現在通っている高校です。
本当にね、なんか、受け入れてくれるところがなかなか見つからなかったっていうのとね。
あとは、3人とも、娘も夫も私もいろんな葛藤があってね。
特にね、夫がね、パキスタンの学校に強いこだわりを持っているんですね、今でもね。
時々ね、ぐちぐち言うときありますね。
苦労して日本で働いて、やはり学費とか送ってくれてたし、
3人とも同じ方向を向いてね、歩んできたし、
もちろん夫の気持ちはわかるんですけど、
結局パキスタンに戻らないって決めたのは私だったんですよね。
コロナもあるし、命を守らなければいけなかった。
これだけはね、あの国がどういう国かっていうのは、
下手すると夫よりも理解していたかもしれないですね。
だからこそちょっと戻れないなって思ったんですよね。
もしずっと居続ければね、それはそれでどうにかうまく生き抜いてこれたんでしょうけども、
もう日本に戻ってきちゃってたんでね、
そっからまたあそこに飛び込んでいくっていうのは、ちょっと私はできなかったですね。
あとね、その夫の葛藤というと、パキスタンでは夫の兄弟が亡くなっていました。
15:00
去年。
そう。
え?
そうです、去年亡くなってて。
親戚にもいましたね、亡くなった人が。
そんな中、今さら私たち母子をパキスタンに送り返すっていうのも、
やはり夫は夫で葛藤がね、あったんですよね。
で、まあ合格、高校に合格した時には、もうそのツイッターでの工房とか、
娘オンライン授業でも苦労していたこととか、
夫が親戚から電話きて、
お母さんが来て、
お母さんに日本語を教えてくれたっていうのは、
オンライン授業でも苦労していたこととか
夫がね親戚から電話来て
いやあんたの娘の学校どうすんだとか言われてね
もうとにかくこう葛藤と絶望とね
うーん
もういろんなことを思い出しましたね
まあすっごくね複雑でしたけども
まあいい経験をしたと思いますね今なら
はい
そしてね元気ですよ
あの前回ね
パキスタンで
その進学進級を決める重要な試験
そのお金ももう支払っていたっていうね話をしたんですが
実はねその日を戻ってきたんですよ
奇跡ですよこれは
あの約10万ルピー
うん
決して安くはないですね
当時の当時日本円で換算すると
えー
あれですね
8万ルピーか
あ8万円か9万円まあそれぐらいでしたけどもね
うんそれをもう払っていて
それをじゃあもうあれだ
寄付しようみたいな感じでいたんですよ
もう辞めることになってね
学校
まあそれで諦めていたんですけど
今年ですよ
あの今年入ってね
えー学校の校長先生から
メールが来て
えー
ミスターなんとかでうちのね夫の身を字が書いてあって
あなたの銀行のね口座を教えてください
あの時の費用をお返しします
全額をお返ししますって書いてあって
おおと思ってね
夫はそういう手続きとかは一切関わっていないので
あの私が全部返事して
あの夫の銀行も私があの握っているので
18:04
全部確認が取れまして
はい無事に戻ってきました
うーんもう学校からね返金が来るっていうのは
これ2回目だったんですけど
もう本当奇跡なんですよ
うーん
まあ最初に返金をね
見事果たした時の話もいつかはしたいと思いますけどもね
はい一度あの受け取ったものは絶対返しませんよね
日本でもそういう事件ありましたね
うん
まああれは間違って振り込んじゃったみたいですけど
ねこちらはあの間違ってなくて
そのつもりでちゃんと実行するつもりで振り込んだのに
ねあの戻ってこないって切れるわけにもいかなかったんで
私たちはまあ半ば諦めていたんですけど
ねちゃんともう一度懐に入れたものって
絶対出さないはずなんですけど
戻してくれました
はいだから余計元気です
はい
それにあの本当におかげさまでね
高校生活はとっても充実しているようで
3社面談ねこの間あって
あの担任の先生と話してきたんですけど
まあ1年前とは本当に変わって
日本語もねどんどん読み書きができるようになってきてね
まだまだですけども
まあ充実しているようで
ほんと娘もとっても元気にしています
あとはもう進学についてもね
もうこれからどんどんね
頑張っていかなくてはならないので
元気に進んでいきたいと思っています
はいではあのね長くなっちゃったんで
前編後編に分けてあの話しましたけども
はいまたね
教育そのことをね
あの同じ教具の方々にシェアさせていただくという意味でもね
あの話していきたいと思います
はいでは今日はここまでということで
最後までお付き合いいただきありがとうございます
また次回お会いしましょう
No.1でした
アラハフィーズ
20:43

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