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こんにちは、お元気ですか?なんばるわんです。
自分らしく生きるためのラジオを始めていきたいと思います。
一昨日、夫が無事に日本に戻ってきました。
帰ってきた時には、私は娘のことを最寄りの駅まで迎えに行っていて、
二人で自宅に戻ったところで、夫がすでに待っていました。
とても穏やかに再会できたというか、お互いの顔を見ることができました。
結構、夫はジーンと来ていたみたいで、私もやっぱりほっとしましたね。
夫は夫で、向こうで私たちのことを思い出してくれていたということで、
これは私が向こうに行く前に、自分で夫に言いました。
もう向こうの人たちと比べていいから、
あなたの子供と奥さんがどういう人間なのか、
ちゃんと毎日思い出して考えててって、上からになっちゃうけど課題をあげたんです。
それまでの夫は感情のコントロールがきかなくて、家庭内も本当にいろいろあって大変でした。
もう一月、日本を離れるということで、少しは冷静になって、いろんなことを考えられるのかなって思ったんですね。
向こうに行けば、夫のことを慕ってくれるいとこたちがいて、
冗談言いながら大きな声で話すということが可能になるので、
そのことでだいぶ、本人はストレスという言葉は認識していないみたいですが、きっとストレスがいろいろ溜まっていて、
ホルモンバランスとかで感情のコントロールができなかったのかなって私は考えているので、
その辺も気分が晴れるというか、たくさんしゃべれば気が楽になることありますよね。
だから夫もそういったことを意識しながら、向こうで過ごしてもらいたいなというふうに思っていました。
戻ってきた当日は、娘がじっくりと話を聞いてあげて、
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夫は娘と話すときはウルドゥ語なんですよね。
私と話すときに日本語で、先に娘に話をしたことを、今度は続けて私に日本語で言うんですよ。
だからこの間帰ってきたときは、ウルドゥ語とか、向こうの地元の、日本で言うと関西弁とかそういった感じで、パンジャブ州のそういった言葉があるんですよね、地元の。
だからそれのほうが慣れているだろうから、私は黙って二人の会話を聞いていました。
戻ってきた翌日、夫はとてもよく寝てくれて、昼間も昼寝をちょくちょくしてくれて、本当に体を休めて欲しかったんですが、
その次の日は娘も大学に行っていたので、私が今度はじっくりと話を聞く役目をしていました。
そしたら、私もこの音声配信で自分で収録して、いろいろ気がついたこととかをお話ししていたんですが、夫もほぼ同じようなことを向こうで感じていたようです。
私は向こうの親戚にね、自分の大切なものが使われたり奪われたり捨てられたり、いろいろしたっていうことを、この事実がどうも受け止められなくてすごく悔しかったんですね。
でも、その執着、私こそ執着してるんじゃないかなと思って、それはやめた方がいいっていうふうに自分で決めました。
それで、夫は向こうでいろんな親戚にお世話になって、自宅はもう留守だったので、空いていたので、数日間しか向こうの自宅には寝泊まりしなかったって言ってて、
あとは、親戚のうちにお世話になったみたいです。とてもよくしてもらったって言ってて、一人ですね、一組、夫のお兄さん、2年ぐらい前にコロナで亡くなったお兄さん、長男がいたんですが、
その家族、子供たち、奥さんがパキスタンのラホールという都市に住んでいます。空港もラホールにあって、空港に迎えに来てもらったり送ってもらったり、その親戚にいろいろお世話になったみたいなんですけど、
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その中のお兄さんの子供も立派な大人で、ビジネスも成功しているということで、その男の子が、夫が私たちの自宅を乗っ取ろうとした名夫婦がいるんですよ。
彼らのことを話をしようとしたら、おじさん、その話はいいですって、自分聞きたくありませんって言われたそうです。
それを見ていた他の兄弟、名医ですよね。
他の兄弟たちが、おじさん、あいつはね、そういう人の悪口とか、そういう話は大嫌いで、今後ももし続けるようなら多分縁切ると思うよって、そういうふうにね、おじさんに、うちの夫に話をしたそうです。
これで、夫にね、学びがあったというか、自分はすごい悪口をね、ずっと言っていたんだなっていうのがわかったそうです。
気がついた。
地元のというかね、私たちの自宅がある方、ぐじらんわらというね、そこの親戚たちっていうのは、その悪口とか大好物なんですよ。
だから、そういう話やめろよって止める人は一人もいなくて、もうね、何十年もそれで来ちゃってるんでしょう。
それで、うちでね、今日本で家庭内で大変なことになっていて、その感情をね、あふれ出す感情を全くの他人、親戚でもないこっちにいるね、パキスタンの人たちに、知り合い、友達に、私の悪口を言ったりとか、そういうのをしていたんですよね。
それも聞いたことがあります。俺言ったよって。
そう、だからそういうのも、娘とよく言ってたんですよ。
なんであの人たちはね、日本にいるパキスタンの知り合いとかね、友達、なんであの人たちはそんなこと言っちゃいけないとかって、パパのね、暴走をね、止めてくれないのかなって。
ほんといつもね、言ってたんですよ、娘と。
で、やっと向こうに戻ったら、やっとそういう人が現れた。
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それも、嫌味とか、怒るとか、矯正とかじゃなくて、自分はそういう話は大嫌いです、っていう言い方をね、したんですよね。
それってほんとに、教えてくれてるんですよね。
夫にとっては老いっ子。もう夫の兄弟は全て、全員亡くなっているので、やっぱり、その彼ら、老いっ子、女いっ子は、とってもね、うちの夫のことを尊敬してくれていて、
うちを奪おうとしたメイン夫婦はよくわからないですけども、彼らと全然違うっていうふうに、夫もね、喜んでいたというか、感心していた。
だから、こういう人間が自分のことをね、慕ってくれているっていうのが、とてもね、気づきがあったみたいで、私も本当は、本当にこれで良かったなっていうふうに思いましたね。
だからあいつらは、こうだったけど、こっちのラホールの親戚たちは、女いっ子、老いっ子たちは、全然違うよっていうふうに、私たちにね、そういうふうに言いますけども、すぐに我に返って、
ああ、もういいやいいや、この話いいやって、自分でね、コントロールしているんです、今、夫がね。
だからそれを見て、この1ヶ月、私はね、フリーになって嬉しかったんですが、こっちのこともね、その夫の感情の変化っていうのかな、これがとても喜ばしいことなんじゃないかなっていうふうに思いました。
ね、教えてもらえるだけ本当にラッキーというか、幸せなのかなって思います。
だから私も、あれですね、いつまでもクヨクヨしていないで、今度夫とどういうふうに向き合っていくか、これをね、ちょっとずつ考えながら、
この3日間ね、夫は、夫はっていうか、夫とずっとね、過ごしていて、
まあまあ、やっぱり嬉しかったですね、帰ってきてくれてね。
まだまだね、夫は私に話し足りないことがあるみたいなので、できるだけね、話を聞いてあげようかなと思います。
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では今日はこの辺で、最後まで聞いていただきありがとうございます。また次のラジオでお会いしましょう。ナンバルワンでした。元気でいてくださいね。