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こんばんは、お元気ですか。なんばるわんです。
自分らしく生きるためのラジオを始めていきたいと思います。
この番組は、国際結婚23年目の私、なんばるわんが、
自分らしく生きるための挑戦や、日々の暮らしの中で気づいたことなどをお伝えしていくラジオです。
今日は、誕生日について話をしたいと思います。
先月、私、54歳の誕生日を迎えました。
その際に、SNSですね、特にエックスで、自分のプロフィール欄にですね、誕生日の表示をさせました。
そうしたところですね、自分で夜中の0時を過ぎた時に、風船がふわーって上がるんですよね。
エックスのプロフィールで、誕生日の日になると。
で、しかもそこにね、誕生日おめでとうございます〇みたいな感じで、
エックスからね、もうそこにコメントが入ってるんですよね。
で、今まで他のアカウントでは、何度か誕生日の表示をさせたっていうことがあったんですけど、
今のね、WEB3の関係者の方々にフォローしていただいているこちらのアカウントではね、
初めて表示をさせました。おそらく。
それで、そのね、表示をさせようと思ったきっかけが、農業系コミュニティトマジョダオでその存在を知りました。
今はボイシーでね、音声配信を毎日されている広島県のごぼう農家さんのOKファームさんという方がいらっしゃって、
彼がね、ボイシーでご自身の誕生日の時に、エックスでね、表示をさせたっていうお話をされていて、
私も自分の話として、以前スタンドFMで誕生日に関してね、
自分のこの経験とか、そういうのをお話ししていたんですよね。
本当は誕生日って特別なもので、とっても喜ばしいものなんですけども、
私の場合には、夫の故郷であるパキスタンという国に数年間住んで、
そこで出会った人たち、ご近所さんとかね、お隣さんとか、そういう方々に聞いた話で、
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誕生日っていうのは、向こうの言葉でね、年が落ちるっていう意味の言葉を使うんですね。
年が落ちるっていうのは、年々ね、神様に近づいているんだよっていう意味なので、
そんなにね、喜ばしいことではない、むしろ悲しいことなんじゃないかっていうので、
パーティーとかはやりませんよ、今までね、一度も私の家族では、家庭内では、
そういったパーティーをやったことはありませんというご家族がいらっしゃったんですね。
そんな話を聞いて以来、なんとなく同じような気持ちになっちゃったんですよね。
もともと、8月生まれっていうことで、幼い頃からね、学校だと夏休みなんですよね。
だから友達に祝ってもらったとか、そういう記憶がね、ほとんどないんですよね。
自分が友達の誕生日パーティーとかにね、招待されて、プレゼントを持って行って、
渡したっていう記憶はね、少しあるんですけど、
自分の家に友達を招いて、母とかにケーキを出してもらってとか、そういう記憶がね、本当になくて。
大人になってからも、もうなんか自然に、誕生日のお祝いっていうのが、
そこから遠ざかっていったっていうかね。
最近ですよ、本当に10年ぐらい前でしょうか、
同じ信仰のね、日本人の奥さんとか、SNSで知り合った方々に、
夏に生まれた女性がね、非常に多くて、
まあ男性もいらっしゃいますけど、
やっぱり主に交流をね、持たせていただいていたのは、
同じムスリムの女性が多かったので、この10年ね。
そうする中で、え、あなたも?え、あの人も?っていうのが重なっていたんですよね。
しかもね、1日違いとか、3日違いとか、
年齢は様々ですけども、その誕生日が近いっていうので、
奇跡のようなものをね、感じて、本当に感激していましたね。
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大人になってから、素直に自分の誕生日を喜べるようになった。
それは近い誕生日の人がいたとか、そういうことでなんですよね。
なので、祝ってもらうっていうことに慣れてないんですね。
まあパキスタンに住んでいた時は、夫の親戚たちは盛大にお祝いしてくれるんですよね。
で、夫が日本にいる時にも、夫の誕生日になぜかみんなでレストランに行って、
おいしいごちそうを食べて、ケーキを食べるみたいなね、そういうこともやっていました。
なので、その家庭によったり、地域とかね、周波、これによって考え方が様々あって、
たまたまね、私の夫の親戚たちはパーティーが好きな、
たぶん彼女たちは彼らにとって、夫の存在がね、とってもバブリーな感じ。
日本で言うとバブルの時代なんですよね。
夫が日本で働いているっていうことで。
なので私たちが向こうにいる時には、本当盛大なパーティーをやってくれましたよね。
だんだんね、夫も援助とかそういったことに関してシビアになっていって、
そうすると自然と人って離れていくんですよね。
それはそれでいいんですけども、会わない人もいたので。
ただ、とても仲良くしてくれた親戚ではなくて、
娘の友達のお母さんとかご近所さんとかが必ずですよ、
今、日本に戻ってきてからでも毎年必ずメッセージをくれてね、
本当に嬉しいもんですよ。
その感激を改めて、
広島県のごぼう農家さんのOKファームさんが教えてくれたっていうかね、
それで私は、本当話戻りますけど、
OKファームさんのその放送ね、誕生日がいいよねみたいな感じの、
確か放送だったと思うんですけど、
その放送をXでね、ポストさせていただきました。
そうすると、ボイシーの場合には名称がつくんですね。
OKファームさんがそこにコメントをね、入れてくださって、
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ちょっとこのね、OKファームさんの放送を聞いて、
私もプロフィールに誕生日の表示をね、させてみましたっていうことを確かポストしたんですよ。
そしたらね、OKファームさんが、じゃあ僕覚えてますからねみたいな、
いやいやいや、ちょっと恥ずかしいとかって思ったんですけど、
なんとOKファームさん、本当に男気あふれるというかね、
あの男の約束、私あれですけど、その言葉あってんのかな、
本当に約束を果たしてくださって、当日ね、コメントを寄せてくださいました。
本当にね、あの時にはインプレッション数も非常に高くてですね、
なんか思わず自分で0時を回って、その誕生日の日になった時に、
ついねスクショ撮って、風船がね、上がるところをポストしてしまったんですよね。
そしたら皆さん本当優しい方ばっかりなんで、コメントくれますよね。
だからちょっと申し訳ないなと思いつつも、はにかんでおりました。
本当たくさんのね、お祝いのメッセージをいただきまして、
ギフトをね、くださった方もいて、本当にね、嬉しかったです。
去年もね、この同じことを言ったんですけど、
私には信仰があって、その信仰の中でね、話があって、
誕生日というのは年が落ちるっていうことで、
本当に神様にね、また一歩近づいているんだよっていう、
これはね、信じてるって言うとすごい軽い言葉になっちゃうんですけど、
私の中ではその話はね、ちゃんと胸にしまってあるので、
もう本当にね、笑顔で、そして元気に、そして優しく生きていくことをね、
改めて誓ったというか、そういうふうに生きていかないとなって、
そのコメントをくださった方、ギフトをね、送ってくださった方、
そして大切な人たちにね、本当にやっぱりこういうふうに生きていくよっていうのを
見守っていただいていきたいな、なんだ、そういう気持ちがね、して、
とても嬉しい誕生日を迎えることができました。
まだね、死者五乳で50歳ってことでね、これから本当に寒暦を迎えて近づいていくので、
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やっぱり健康の状態も、そして人付き合いって言うんですかね、
今私はそのコミュニティでの活動っていうのに、宣伝というか、コミットしたい時期でもあるので、
本当に誠実にね、優しく本当に生きていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
というわけで今日は、誕生日についてお話をさせていただきました。
この放送は、和歌山県のミニトマト農家HROさん、スマホの中の農村トマジョダオの提供でお送りしました。
最後まで聞いていただきありがとうございます。また次のラジオでお会いしましょう。
ナンバルワンでした。元気でいてくださいね。