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マイクの設定を少し変えてみました。なんかちょっとね、いい感じの、いい感じの低い感じになっていると、おそらくポッドキャストっぽいんじゃないかなというふうに思いました。
いろんなね、男性の活動者さんであったり、パーソナリティの方、MCの方であったりっていうのをちょっとね、真面目に聞いてみたらですね、
みんななんか、ちょっと低い感じの声でね、まあいわゆる、なんだろうな、至近距離で喋ってますみたいな、なんかそういうこの音声のやり方をしているということに気づきましてですね。
で、イトッポイドのセッティングはどちらかというと、なんか遠くですごいうるさく喋ってるみたいな感じになっており、
ポッドキャストのグローバルスタンダードからめちゃくちゃ離れていたというね、衝撃の真実が明らかになったので、ここらでスタンダードな形に戻してみようということでね、ちょっといろいろ調べてやってみました。
その結果、音はレポッターみたいになっていたら申し訳ございませんという気持ちでございます。
あの少しずつね、調整していきたいと思うので、なんかいろいろフィードバックといただけますと非常に助かります。
で、今日はですね、マイクの音声を置いといて、あのCMの規制みたいな話について考えていきたいと思っているんですけれども。
いわゆる、例えば有名な話とかで言うと、あのチョコラBBのCMで、あの世の中バカが多すぎて疲れませんというね、キャッチコピーがクレームがサッとして、世の中お利口が多すぎて疲れませんに変更されたとか、
まああの昔の事例で言うと、あらこんなところに牛肉がみたいな。で、いや牛肉そんなないだろうみたいな。
ていうか牛肉なんていいもの買ったら忘れないだろうとか。
まああとは、いわゆるその男らしさ女らしさの問題みたいな表現ありますよね。
あの知性を一本抜きにこう、まあセーブ百科の新聞広告みたいなやつであったりとか。
あとはヘイベルハウスさんのそのカジハラみたいな、カジハラスメントみたいな、カジを手伝う夫みたいな事例であったりとか。
あとはルミネのネット動画とかですね、まあ10年11年ぐらい前だと思うんですけれども。
はい、で、こういうものってまあ確かにそれは良くないよねみたいなのは、まあまあまあまあわかるじゃないですか。
でもそれってどちらかというと、あのCMだから、いわゆるみんなが見れる感じだからっていうのが一つの例にありますよね。
ただ、うーん、まあその今のネットだとまあもうそういう感じだよねっていう結論の一言で終わるんですけれども。
いやなんか今のネット行き苦しいよねみたいなのは、まあ伊藤っぽいでも言ってますし皆さんも多分そう思ってるんですけれども。
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そうか、CMの表現だと考えればいいのかと。
まあいわゆる何か表現をしたり発信をしたり作ったりみたいなことを考える時に、まあもちろん表現の自由であったりとか。
日本のね、まあ二次創作なり一次創作なり何でもいいんですけど、創作文化、創作カルチャーとまあ欧米、もしくはアジアの違いみたいな。
例えばBL作品みたいなものは作っちゃダメみたいな国エリアもあるよねってあったりとか。
やっぱりその海外と日本の違いとか。
まあ結構その大きい話に、やっぱりよく話題がいくことが多いと思うんですけれども。
まあいわゆるそういう話とはまた別にもうちょっと非近な例として。
まあそもそもSNSに何かを書き込んだりとか発信したりとかっていうする時に、なんかこう全員のパターンのエクスキューズを考えなきゃいけないみたいな。
もちろんこの仲良しインターネットでも一旦エクスキューズ入れるけどねとか。
もう重箱の隅つつく人のためにわざわざつまんないこと言いましたけどみたいな。
もうフテクされてる発言がいっぱい出てきてると思うんですけれども。
まあ冗談でね本当に。
まあもちろんちゃんとエクスキューズ入れないと伝わらないって思ってるところは真剣な気持ちで言ってますけれども。
まあでも今の下りとかもまさしくそうなわけですよ。
これに関してで言うと、やっぱりこのCM表現の歴史っていうものがもう一度学び直してもいいんじゃないかなっていうふうにふと思いまして。
まあいわゆるその先ほど申し上げましたその男らしさ女らしさの問題みたいなね。
まあそれこそCM表現規制とかで検索するといわゆるD&Iダイバーシティアンドインクルージョンの話題が出てくるっていうのもあるんですけれども。
もっと手前の話です。
伊藤ポールが今言ってるのは。
ガチもっと手前。
それ以前それよりももっと低レベルの話をしていて。
あの低レイヤーかなどちらかというと。
いわゆる例えばキャッチコピーコピーライター。
まあ伊藤ポールもそのコピーライター志望というかコピーライターだったので。
クリエーションクリエーターが何かを表現するときのコンテンツの役割を持った言葉遣いであったりとか何を出して何を出さないかみたいなところ。
こそが制限ありきのクリエーションみたいな。だからこそやりがいがあるみたいなところの世界観は徐々に把握しているわけですよ。徐々に承知でございますと。
やっぱりそれこそおいしい生活の有名なキャッチコピーのあのもう花形の時代じゃないですけど。
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それこそ伊藤茂里さんとかがもうバキバキに活躍してたあの時代ですよ。
あのタイミングとかでもやっぱりそういう反発はあるけれどもでもなんとなく新提案をして許されるであったりとか。
直接的には言わないけれど案にみたいなとかものすごく美術的に美しいものでそのメッセージ案にメッセージをこう忍ばせるであったりとか。
いろんなやり方でクリエイターたちがやってきたわけですよ。
例えば本当最近の例で言うと米津玄師さんがねあのいわゆるそのスポーツのタイアップ曲というかテーマソングみたいなのをね作ってましたと。
それがまあなんか日本茶々的な内容なのかなと思ったら意外とかなりそのパーソナルな内容であると。
で本人もそれも言っていてみたいな。でもやっぱコード進行であったり華やかさであったりとかプロモーションビデオのやっぱり色彩のなんか美しさみたいなものをパーって普通に聞いてるだけだとそんな感じにはならないけどみたいな。
でもそういうやり方を全員がしないといけないんじゃないかなっていうふうに思っていて。
何かクリエイションとかクリエイターとしてやっていくときにプロだからプロじゃないからアマチュアだからとかその四大メディアだからオルタナティブなウェブメディアだからとかそういうのが多分なくなってきたんだと思うんですよね。
ただ一方でじゃあそういうようなことがあったからカウンターカルチャーとしてのパンクスであったりとかもちろんサブカルチャーであったりとかっていうのも生まれるわけで。
実際じゃあ今のサブカルチャーって何なんだろうっていうふうになったらそういうような配慮みたいなものをしなければならないような太陽のおテントさんの下でやっているものではないところ。
いわゆる文字通り物理的にアンダーグラウンドなところであるという可能性はあるがただやっぱりスマホSNSでアングラのものも白日の下にやはり晒されてしまうせざるを得ないっていうふうになるとまたそれも難しい。
一方でそのニコニコ動画の縦型動画がリリースされましたけれどもそこでその例のあれカテゴリーのねなんかめちゃくちゃテンションの高い動画が炸裂してるわけですけどそれの是非についてはここでは触れませんが。
ただインターネットキッズとしてはテンションが高いそして他では見れないコンテンツっていうのがわーって出るとおおーみたいな気持ちにはなるじゃないですか。
ニトポードも最近よく言ってるんだけどニコニコ動画でもボイスロイドのコンテンツがやはり非常に多くてむしろボイスロイド実況をつけないと動画見てもらえないんじゃないか疑惑みたいなねそういった議論も起こってると。
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ニトポードボイスロイド実況みたいなの大好きですしゆずきゆかりさんとか大好きですしねゆかりさんとあのなんだろうなキリタンとかの動画大好きなのでめちゃくちゃ見てますしゆずきゆかりさんのあの小さい縫いみたいなやつをゲームセンターで撮ってみたいなおーみたいな感じになってるぐらいは好きなんですけれども車窓動画とかめちゃくちゃ好きですね。
ボイスロイド車窓動画とか料理動画とか結構見ますけれどもまあいわゆる場所が違うところであんまりみんなが見ないところで独自の進化をしたものっていうのがやはり昔の時代もそうだったし今の時代もまさにニコニコ動画がそうなってるっていうことを考えると
まあそのSNSXで告知をする限りはそのタイトルであったりサムネイルであったりっていうものはやはりそのCM基準に合わせないといけない。CM基準っていうのもその昔の言葉なのでまああくまでわかりやすい例えとして言いますけれどもだから今20代の人にCM基準とか言ったってわかんないと思うんですけどそれはそうだよね知らないからねテレビを見てないし。
でもあの例えば今40代とかの方だったらやはりCMクリエイターというのがやっぱクリエイターの花形中の花形であったみたいな。今でこそどちらかというと音楽ミュージシャンのプロモーションビデオとかがなのかな今はねっていう感じありますけれどもまあでもそれでもやっぱりヒットするミュージシャンの方達っていうのは少ないので
やはりイストリゲームも大変になってきてるなという感じがありますけれどももちろんAIのタイトルも含め含めですよいろんな問題が並行してありますけれどもね。でもやっぱりCM基準で考えるっていうのが一番なんというか自分が納得できるなと思ったんですよね
いやなんかもうフテクされまくってるわけですよ。ミートっぽいではKみたいな感じで。だけどそうかCM基準になったんだっていうふうに考えるとじゃあそれの縛りの中で何ができるかっていうのを考えるっていうことしかないだろうなと。
ただ一方で芸人さんたちのコントとかそれこそしゃべくりセブンとかのトーク番組とかでもなんかちょっとその例えばなんだろうなブチ殺すぞみたいなとか殺すみたいなハリウッドザコッシュさんじゃないですけれどもそういうめちゃくちゃ強い言葉っていうのって
ツッコミとしてね。実際にその生き死に出会ったりその殺してしまうかというと全くそんなことはないんですけれどもそのはちゃめちゃに強い言葉としてのそういう一言ってやっぱ面白いじゃないですか。男の子的に面白いんですよやっぱり。でもそれは多分CMでは使わないですよね。
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あれはコントだっていうふうにやればいいのかなと思うけどそのコントも誰がやるかみたいなDAWさんたちがやっちゃうと多分メッセージ性出ちゃってダメだよねとか。でもじゃあ今そうやって流れてくる強い言葉のものって何かというと昔の時代のバラエティーの違法切り抜きなんですよね。もはや違法切り抜きの違法ってつける必要ないと思うんですけどね。
その海外のヨタ話ですけど海外の天才動画をしてちゃめちゃに稼ぐっていうのはその日本のバラエティーはもうとにかくアーカイブがめちゃくちゃあるからもう落ちてるお金を拾うようなもんだみたいなねそういう捉え方をされてるらしいですけどまあそれは人がやるか機械がやるかの話なのでまあまあまあって感じですけどね是非を言ってもしょうがないかなと思うのでやっぱ文化が違うからね。
それは置いといて緩和給代。
まあなんだろうな非常にそのXで告知をしないということであの面白いことがカウンター的なものができるっていうのは一つあると思うんですよね。
YouTubeXで告知をしない。もちろんYouTubeで殺すみたいなやつとかなんか銃ぶっぱ乗すみたいな動画も投稿することはできるんですけれども、言うてやっぱ警告がついたりとかある程度その収益化をしている人だったらそのアラートがね2回ついて3回ついたらダメみたいなあるじゃないですか。
やっぱりそのなんというかそういうキャップがあるとやっぱ作れなくなっちゃうと思うんですよね。だからそういうペナルティがないところでやるっていうのが多分最もいいんだろうなと。ただそれは経済的に何かになるっていうかって言われるとそんなことはないのでやっぱ人が集まるところに経済というのは浸透していくので
プラットフォームから離れてカウンターカルチャーをやった時点である種その現在のカウンターというのはアルゴリズムによる資本主義社会に対するカウンターなんでそこにカウンターできるっていうのはもうなんか隠居した人とかもう上がりきった人とかなんか配当で生きてますみたいな人とかだけじゃないのかなっていう気はしますけどね。
ただそのすべてのお仕事がその受け手がいるのでそれはB2BなりB2Cなり何でもそうなんですけれどもやはりそのなんだろうなCM基準というのは結構ベースになるんだろうなとは思います。なのでなんか遊びと仕事を一緒にやるっていうのが多分無理っていうのはこのカウンターカルチャーとアルゴリズム資本主義というのの共存というのが難しいっていうところにあっちゃうんだろうなと思いますね。
ただもちろん愛の子をやることは全然できますよ。それこそ今までの時代で様々なクリエイターが知恵を絞ってね新しい表現としてみんなをサプライズワオって言わせるために努力してきたという歴史がありますし今もそれをずっとやるわけですよクリエイターというのは我々というのは。
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なのでまあまあまあまあって感じですねただその経済をやりたいのであればやはりCM基準で考えるべきだしそのCM基準というのはアウトプットだけではなくてこれはこのポッドキャストでも何回も言うようにコミュニケーションのメディアとメッセージという概念があってメッセージはこれだけど誰がどこで言ってるかっていうメディアにも十分なメッセージ性というのが含まれる。
いわゆる何を書くかよりもどういうような人がどこでこれを書いたかというのも従前なメッセージが含まれてしまうっていうのはよく二度っぽい話しますよねそれがめちゃくちゃ強いので
コンテンツ単体がバズるみたいなのもあるかもしれないですけれどもでも炎上っていうのは誰がっていう話に基本的には修練していくというかで炎上という言い方というよりもなんだろうなコメントが来るみたいな話なんだろうなっていうのは思いますけどね言及されるということですよねもちろん何か良くないことをやってしまってそれによくないという感想をみんなが言いやすいみたいなのもいろいろありますけれども
経済を絡めたいのであればやはり cm 基準としてやっていくしかないってなると全員がタレント化するという話になるよねっていう結論になる
それがめんどくさいからそういう表では何かをやったりはしなくてもいいかなっていう人が実際現在増えているわけですし sns をやめるみたいなものであったりとかね sns をやめてじゃあ何をするのかっていうと本当にやりたいことをやるっていう感じとかやった方がいいことをやるって感じなのかなと思いますが
クリエーションを仕事にする限りはお客様とより干渉者がいないと成立しないのでそこから完全に脱却するというのはちょっと無理なんじゃないかなっていう気がします
だからお金を稼ぐことはこれでやるんだけれどもそうじゃないところでは自由に遊べるような環境づくりというのがやはり重要にはなってくるんだろうなと思いますし
まさにトップオイルはそういう場所づくりというか公園の囲みを作るみたいなのが結構得意なので安全圏を作るみたいなものが得意なので
もちろんただこれって変化することなのである種ここの公園の中だったら安全だけれどもネットも上まであってサッカーボール蹴っ飛ばしても車道に行かないけれどもネットがあることで
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ちょっと欲圧感を感じたりとかあとここの公園から絶対出ちゃダメだよみたいな出たら本当に危ないからねみたいなことすっぱく言われたくないとかここで花火しちゃダメだよみたいなの知るかよみたいな
そういうテンションの時も意図っぽいでもあるからすごいわかるんだけどそしたら多分経済から離れたところでやるっていうのが一番いいと思うでその経済から離れたところってなんだろうって考えると大人になってわかるけどそれこそやはりそれって学生の時の友人関係とかに帰着しちゃうと思っていて
そういうものをできるといいよねっていうのは思いますだから何にもならないことでかつ何にもならないからこそ一緒にやっている人同士も優劣みたいなものが社会的経済的優劣みたいなのがほぼ関係ないみたいなっていうのがすごくいいんじゃないかなと思います
ただそうなるとね消費をするだけというのが一番安倍なんですよお仕方をするとかが一番安倍だと思いますなので別にそれお仕方とか消費することがもうめちゃくちゃ悪かと言われるとそんなこともないっていう時代だなっていうのは正直思う
ただ何かを作るということが好きという既得な人たちがいるわけですよとにかく作ることが一番好きでみたいな作った後はまあ不運だけど作ることを考えてたり作り途中とかが好きとかね
そういう人たちに関してはやっぱりあんま関係のない工作の楽しみができるお友達というのを作るというところに全力ぶっぱっていうのが大事なんじゃないかなと思いますね
ということをCM基準っていう言葉で考えればなんとなく自分に言い訳かませるかなというのが糸っぽいのを最近考えたことでございましたではまた次回