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努力ではどうにもならない世界も認める
2026-06-20 12:17

努力ではどうにもならない世界も認める

努力を尽くした上で、それでもどうにもならない世界は認める。そして、自分が本当に向かうべき方向を、一つ一つ明らかにしていくことが大切なんじゃないかな、と思っています。

※話の中で紹介した本は、こちらです。

為末大『諦める力 〜勝てないのは努力が足りないからじゃない』プレジデント社、2013年

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今回は、努力ではどうにもならない世界も認めていこうという話をしたいと思います。
最初にしっかりとお伝えしておきたいんですけれど、私は本当に、むしろ努力はとても大切、とてもとても大切、むしろ努力って素晴らしい言葉の一つだなと思っているというところです。
なので、どちらかというと本当にできる限り自分の持てる力を最大限に生かせるように努力して、日々頑張って頑張ってやっていくことで、やっぱり自分の思い描く理想の未来をつかんでいくべきだし、それによって自分が周りに少しでもいい影響を及ぼしたり、社会に対していい影響を及ぼしていったりできるんじゃないかというふうに思っているタイプではあります。
とは言いながら、もちろんですね、振り返れば私自身も努力が足りなかった場面はたくさんあったと思うし、怠けてた時もあったと思うし、それでもですね、その時その時、場面場面ではですね、私なりに精一杯やってきたということも多かったんじゃないかなというふうにも思っています。
そして今もですね、できる限り努力は大切だというふうに思ってやっていこうというふうにそうあろうとしているつもりではあります。
ただですね、ただ、その一方で努力ではどうにもならない、努力だけでは到達、到底到達できないというような世界というのも確かに存在するというふうには思っています。
例えばですけど、私が今この時点からですね、どんなにサッカーを練習したとしても、当然ワールドカップに出場するようなですね、サッカー選手にはなりません。
今話題のワールドカップですけど、これはもう言うまでもないくらい当たり前のことですね。笑われるような話ですけれども。
じゃあですね、仮にですね、私がその生まれた時点、生まれた時まで遡ることが、時計を戻すことができたとして、子供の頃からですね、本当に幼少期からずっとサッカーの練習をしてたらどうなっただろうかということを考えてみても、
多分ですね、日本代表としてワールドカップに出場するということはできなかっただろうなと思いますね。
そもそも全然サッカーそんなに、本人としてそこまで得意だとは思わないし、人生にそもそももしも、イフはないので、本当のところは分からないですけど、
まあ普通に考えたら無理だったんじゃないですかね。っていうのはなんとなく分かりますよね。スポーツ全体に対してそんな適性があるというふうにはなかなか思えないので。
なので、努力だけではどうにもならないという、到達できない世界があるということなんだと思います。
プロのスポーツっていうのは本当に実力が全てと、でも怪我したら終わりみたいな極めて厳しい世界ですよね。
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なのでやっぱり生まれ持った才能とか、いわば天分の才みたいなものに、そこを持った方がさらにそこから努力という本人のその努力の才能みたいな、
努力家という性質、本人の頑張りみたいなものが掛け合わさった掛け算になった時だけ、ああいう類稀な本当に結果を生み出せる人が現れるスターのようにですね、彗星のように現れるんだと思ってます。
もちろんですね、そのプロの選手の方々が努力してないなんて全く思わないし、むしろ私たちよりもずっといろんな場面で努力されてるし苦労もされてるし、
辛い思いを乗り越えてこられているということはもう間違いないことだと思います。
でもさらにまあやっぱり考えないといけないのはその上にやっぱり生まれ持った本当に恵まれた才能みたいなものがあったんじゃないでしょうか。
現実としてそれがないとやっぱりあの舞台っていうのは、世界の頂上の舞台っていうのは立てないんだというふうに思うんですよね。
これはずっと前から考えたことなんですけれども、会社員の時からずっと考えてたことなんですけど、ある一冊の本を読んだ時にすごく共感したことがあって、
ちょっと古い本なんですけど、陸上のハードル競技で活躍されていたタメスエ大さんという方が書かれた本で、
諦める力っていうのがあるんですよね。諦める力っていうタイトルの本です。
タメスエさんはオリンピックにも出場されてますし、世界陸上で多分銅メダルも取られたっていう方なんですよね、ハードルの競技で。
銅メダルですから、つまり世界3位、世界陸上ですからね、世界3位だったってことだと思うんですけど、そういうアスリートの方で。
そのタメスエさんがですね、今見たら2013年にその本を書かれたようで、タイトルが諦める力。
そのサブタイトルは、勝てないのは努力が足りないからじゃないというようなサブタイトルなんですね。勝てないのは努力が足りないからじゃないというやつです。
そういったまさに世界のトップでしのぎを削られたアスリートの方が、ご自身の経験を踏まえながら書かれた本なんで、本当に刺さるものがあるような本なんですよね。
私は本当に当時それを読んだんですけれども、今でもちらっとAmazon見てみると、かなり読まれているんですかね。
多分読まれているっぽくて、レビューが2000件以上ついててすごい本なんですけど、評価も4.4ということで、それだけ13年経っても4.4はすごい高い評価だということで、すごい数値だなと思うんですけれども。
この本の中でですね、本当になるほどなと思ったことがあって、今でもよく覚えているんですけど、それはその諦めるという言葉の由来なんですね。
諦めるってすごいネガティブなやっぱり印象あると思うし、良くないもの、ダメなこと、悪いことの言葉の代表例でもあると思うんだけども、諦めるって言葉は。
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それは実はですね、その由来はそんなネガティブじゃないんですね。諦めるっていう言葉はもともと諦むっていう言葉から来ているそうなんですよね。
諦む、諦むから諦めるなったと。これは仏教の言葉だそうで、明らかにするっていう意味なんですね、諦むっていうのは。
明るいとか、照明が明るいとかの字の明らかです。
なんで、自分、その言葉の由来がやっぱり自分はこの方向に行くのは難しいなとか、ちょっと違うなっていうことを一つ一つ明らかにしていくと。
で、そっちに行ってもやっぱり人生はより辛くなるだけで幸せにはなれないと。
そういうことを一つ一つ明らかにしていって手放していくということが、それが本来の諦めるという言葉なんだということが確かこの本の冒頭に書かれていたということをよく覚えています。
で、これ読んで本当にそうだなと思ったんですよね。
諦めるって本当にやっぱり後ろ向きな言葉、ネガティブな言葉に聞こえるんですけど、一概にそうではないというふうに思ってまして、やっぱり自分の力が今の時点でですね。
今の時点での自分の力が一番生きるフィールド、何をすべきなのかっていうことを考えると、それを明らかにしていく作業、諦めるというのは明らかにしていく作業なんだというふうに思うんですよね。
で、これ私自身が本当に身をもって経験した、考えたことでもあると思っていて、私本当に会社員時代その研究所で働いてたんですよね。
大きい製造業の研究所で働いてました。
研究の世界というのは、いわばその分野で、なかなかすごくニッチな小さな分野でもいいんですけど、その世界トップの性能を出さないといけない世界なんですよね。
世界がやっぱり一番なのか二番なのかっていうので全く変わってくるんですよね。
その特許の問題もあるんで、やっぱり一番にならないといけないと。
なので、当時は当然なことだと思っていたし、その分野では世界一の結果を出すんだというつもりで研究に打ち込んでいました。
正直言って若かったっていうのもあるんですけど、自分でも考えられないくらい努力したと思ってますね。
1日中というかずっと研究のことばっかり考えてたし、働く時間も今から考えられないくらい長時間労働してたし、
どの日も会社行って仕事してたしで、本当に研究に全て欠けてたなという感じがしますね、今思えば。
結果として国際学会で発表したりとか英語の論文書いたりとか、一部で成果も出せはしたんですけれども、
最終的にやっぱり会社ですから利益貢献しないといけないということで、
メーカーだとしたら製品化しないといけないというところで、そこには全然至らないと。
そもそもその分野自体が全然会社だけじゃなくて全体として製品化に至らなかったということなんですけど、結局失敗したんですね。
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なので研究そのものでは全然正直成果を残せなくて、そんなままなんだかんだに会社を退職して今に至るみたいな感じになってしまいました。
これって本当に今振り返ると、結果的に研究の道を諦めたというようなことなんだと思ってます。
あれだけ努力してもどうにもならない世界があったと、それを身をもって明らかにしたということなんだと思ってます。
その分野未だに製品化とかされてないんで、研究分野自体が実用化できる分野ではなかったということ。
だから私が努力してどうにかなる世界ではそもそもなかったと、実社会に受け入れられる研究分野ではなかったということなんだと思うんですけどね。
そういう経験もありますし、あるからこそという面もあるんですけど、私は今主にユーデミー講師として活動してますけども、やっぱり同じように考えているところがあるんですよね。
さらに言うと当時と違って、今私はかなり重いというか、病気を抱えているところもあって、当時みたいにものすごい馬力でひたすら働くみたいなことはもうちょっとできないんですよね、どう考えても。
その中でですね、本当に最近ユーデミーの画面見てると本当に優秀でですね、もう持力が全然違って、さらに能力があって、その上にさらにものすごく努力もされてるだろうなっていうのがわかる。
そういった講師の方々がもう次々と入ってきてますね、ユーデミー講師として。
で、そういう方々には正直に言っても私は多分勝てないだろうなというふうに思ってます。
で、とはいえ、やっぱりそういった優秀な方たちにですね、離されないように追いついて、むしろ追い越してっていうような努力をしていくことも当然大事だし、やっぱりそこは頑張っていかないといけないっていう面もあるけれども、
けれども、やっぱりそれと同時にですね、さっきのそのあきらむですね、あきらむ、つまり明らかにして手放していくっていうことも、私にはやっぱり必要なんじゃないかなというふうに思ってるんですね。
なので、このユーデミー講師として今活動をどこまで続けていけるのかっていうのは、実はやっぱり本当に永続的なものだとはあんまり思ってないですね。
いつかやっぱり自分の力の衰えてくるところもあるだろうし、新しいことにキャッチアップするのも難しくなってくるときに通用しなくなっていくみたいなときには、やはりそこは潔く手放していく、諦めていくっていうことが必要になるんじゃないかなというふうに思ってます。
ですけど、これはやっぱり本当に決して悪いことだとは思ってないんですよね。
そのときは本当にそのときの選択として、自分の力がやっぱり一番生きる場所を選んでいけばいいというふうに思ってるので、努力を尽くした上でですね、それでもどうにもならない世界っていうのがあると、
それをまず認めると、そして自分が本当に向かうべき方向、今の力でできること、それを一つ一つ明らかにしていく。
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それがやっぱりそういう大切だと思うし、今の私自身としてはそういう姿勢で生きていきたいなというふうに思っています。
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