1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #26 「目先の売上よりもブラン..
2024-08-28 25:25

#26 「目先の売上よりもブランディング」。ソニー・盛田昭夫論⑥

▼今回のトーク内容: 

市場を広げれば広げるほど安全/世界での戦い/対米「特許戦争」/戦争で負けたばかりのアメリカ企業と裁判で勝負/勝訴/そんな中、盛田昭夫結婚/妻は三省堂書店社長の娘/トップ・井深がテープレコーダーを抱えてアメリカで行商/売れなかった/だが、アメリカでトランジスタと出会う/真空管にとって代われる存在/日本でトランジスタを研究・開発/小型トランジスタラジオ開発/アメリカでも販売/いきなり10万個も受注/条件は米企業の商標を付けること/盛田は「下請けにはならん」と固辞/目先の売り上げより50年後のブランディングが大事

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠https://twitter.com/kymmtsm⁠⁠⁠

00:01
スピーカー 3
二番経営 No.2の悲喜こもごも。この番組では、なかなか表に出ない会社の二番、No.2をテーマにトップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
勝見靖英
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ取締役の勝宮すいでです。
スピーカー 3
先頭者、新しい経済編集長のしだれゆうすけです。
二番経営第26回、今回はですね、前回にまた引き続きまして、世界のソニーを作った森田卿に見るNo.2論の第6回になります。
勝見靖英
6回ですね。前回、ソニー当時はまだ東京通信工業でしたけれども、その一番最初の画期的な製品ということで、テープレコーダーの裁判所で売れ、学校でも売ることができた、日本初の工業デザインを導入した、そういうテープレコーダーを出してきて、森田さんもマーケティングの原則みたいなのを唱えるぐらい、ポジションをちょっとチェンジしていったというところが、前回お話したところでしたね。
今回その続きになるんですけれども、マーケティングの四原則というのを前回ですね、お話ししたときに、マーケティングの範囲を広げれば広げるほど安全だと、日本だけじゃなくて世界にということを思われたわけですけれども、そこの世界との戦いがですね、ちょっとずつ始まっていきます。
最初にですね、世界を戦った内容なんですけれども、実はですね、最初は対米特許戦争というのが起こってきました。
スピーカー 2
これは何かと言いますとですね、製造業では、よくその技術特許を取ってですね、その権利っていうのを持っている方にですね、お金を払わなきゃいけないということがよくあります。
今回のテープレコーダーの中にもですね、録音方式に高周波バイアス法っていう方式を取られていて、それには特許があったそうなんですね。
その特許をもともと持たれていたのは、当時NECさんの子会社で、足立電機という会社さんがあったんですけれども、そこに特許があったと。
勝見靖英
そのうちの一部をですね、この特許通信工業が買い取ってですね、親のNECさんと今で言うソニーさんが共同所有っていう状況になっていましたと。
日本ではその特許っていうのが、2社で共同所有になっている状態なんですけども、この特許を発明した長井博士という方なんですけども、この方はですね、アメリカでも特許申請をされていたそうなんですね。
特許申請をしたのがちょうど戦前で、そこからすぐ戦争が始まっちゃったということでですね、アメリカの中では戦時のうやむやで特許が成立しなかったという状況があります。
つまり一つの技術が日本では特許が発生しています。その特許を持っているのはNEC&ソニーです。
03:00
勝見靖英
アメリカにも申請したんですけど、アメリカでは有効ではなかったという状況があります。
スピーカー 2
それがゆえにですね、その技術を使ったテープレコーダーが、そのソニーが作っていないテープレコーダーであったとしても、その技術が使われるものが日本に来た場合には、日本でその特許っていうのが適用されるんですね。
勝見靖英
なのでそのテープレコーダーはアメリカで作ったものを日本に輸入してもですね、その技術が使っていれば特許を持っている会社に特許使用料っていうのを払わなきゃいけないという状況があります。
ここで日本でもですね、そのテープレコーダーっていうのは一番最初NHKで発見してこれ作ろうって決めたぐらいにですね、アメリカの製品というのはいくつかありました。
それを輸入しているのが、アメリカの商社がですね、日本にテープレコーダーを輸入して販売をするということをやっていたそうなんですけども、このアメリカの商社がですね、ライセンス料をNEC、ソニーにですね、払わなかったということがあります。
NECさんはかけられて、東京通信工業、ソニーさんはですね、なんか全然特許料払ってくんないんだっていうことで、東京地裁に訴え出たそうです。
戦争で負けたばっかりの戦争国のアメリカにですね、金払ってくんないんだけどっていうふうに日本の裁判所に行きましたと。
で、なんて無謀なことをするんだとアメリカに立てつくとはっていう感じで、当時なってきました。
スピーカー 2
で、アメリカは当時から訴訟大国でですね、スーパー腕っぷしのある弁護士さんが出てきて、めちゃめちゃハードな交渉だったんですけども、結果日本がですね、ソニーさんの条件を飲ませる形で和解することができたと。
勝見靖英
なんで最初のそのグローバルに目を向けたときに、もうアメリカだろうが何だろうが、決まったものにちゃんとお金もらうんだっていうところをですね、最初戦ってみせたという感じです。
スピーカー 3
すごいな、この話もすごいですね。
勝見靖英
すごいですよね。その相手のですね、弁護士がもうとにかく腕っぷしが良かったんで、逆にですね、その弁護士を東京通信工業の顧問弁護士に雇い入れたっていうのまであるそうですね。
スピーカー 3
なるほど、なるほど。
スピーカー 2
あんまりね、あの特許の話で戦うっていうのは、おそらくなんか日本でも最初の頃初めてぐらいだったんじゃないかなと思うんですけれども。
スピーカー 3
ですね、なんか本当にちょっと想像になっちゃうんですけど、やっぱり戦後の日本のある意味強さっていうと、ちょっと言葉変かもしれないですけど、ただなんかそれをなんか感じる話だと思いました。精神的なところも含めて。
勝見靖英
いやもうちょっと魂が強いですね。
スピーカー 3
強い、魂強いと思う。
勝見靖英
戦おうっていうのが。
スピーカー 3
今なんかこのぐらいの気概でみんなが働きてるんだろうかとかちょっと思っちゃったぐらいですよ、その。
スピーカー 2
そうですね、絶対に勝てない戦いに行ってちゃんと勝つっていう。
スピーカー 3
そうっすよね。
スピーカー 2
本当すごいなと思いますね。
06:00
スピーカー 2
そういう争いをして、テーブルレコーダーを売って森田明雄さんが会社の創業期の第一期の初年度って言った1951年にですね、森田明雄さん30歳です。
勝見靖英
明雄さんが結婚されます。結婚された相手はですね、亀井家の四女。亀井さんは政治家の亀井さんとは関係なさそうなんですけれども、の四女の両子夫人と結婚されます。
翌年には長男の秀夫さんを授かるという感じなんですけれども、この両子夫人のお父様なんですけども、三聖堂書店の社長さんです。
スピーカー 2
ああそうなんだ。
大きい本屋さんというよりも出版界でもね。
そうですね。
勝見靖英
辞書を作られた老舗ですので、その三聖堂もそもそも創業されたのは両子夫人のおじいさまでしたと。
おじいさまとその奥様が創業したのが三聖堂ということ。
で、両子を作り出し公益に尽くすっていうのを理念として武士道の精神を持って、これもすごいんですけども。
スピーカー 2
武士道の精神を持って愉快に職責を尽くされたしっていう風に従業員の事務規定第一条に書けたぐらいですね。
勝見靖英
なんかちょっとかっこいいんですけれども。
そういう家庭に育てられた両子夫人。
スピーカー 2
なので奥様もただ者ではないという感じがするんですけれども。
その後ですね、日本だけじゃなくて海外にっていうのをまさに体現していくようにですね。
勝見靖英
森田明夫さんっていうのはどんどん海外に出てきます。
特にアメリカが多いんですけれども。
その中でアメリカをはじめとするその海外に行ってビジネスですね。
パーティーだったり、お客様を寛大していく、両子夫人とのリレーションを作っていくときにそういった活動が非常に必要だったんですけれども。
スピーカー 2
その社交性だったり社交力だったり、おもてなしっていうのを最大限に発揮してですね。
勝見靖英
この両子夫人っていうのがその国際関係をしっかり作る支えをしてくださった。
ただなんか奥さんが一生懸命料理をされるとかそういうのをちょっと超えた感じがあったみたいで。
スピーカー 2
この後なんかそういう接待のやり方じゃないんですけど、おもてなしっていうのはどうすればいいかっていう本までですね。
勝見靖英
両子夫人っていうのは書かれてたそうです。
スピーカー 2
なんか今でこそ外交官夫人とかその海外の駐在員の奥様はこうだっていうのがあるかもしれないですけど。
勝見靖英
当時そんなビジネスマン日本に一人一人いない状態ですから。
スピーカー 2
確かにそうですね。
ちょっと前まで武士みたいな状況の。
いやまあそうですよね。
スピーカー 3
なのでその方がですね世界に行って日本を支える役割を果たされたと。
なるほど。
スピーカー 2
でそういう結婚もして公主ともどもですね。
勝見靖英
よっしゃ行ったろっていうところで。
今度次の製品をですね模索する時期に入ってくるんですけれども。
09:00
スピーカー 2
この東京通信工業ですけれども最初から海外市場開拓というのは考えていました。
勝見靖英
先ほど申し上げた通りです。
技術者がとにかく多い会社でした。
もともとそのメカ機械に詳しい人はいたんですけれども。
テープレコーダーを作る。テープを作るというところでですね。
これまでいなかった技術者たちもですね。
スピーカー 2
科学ですとかそういった領域のメンバーも入ってきました。
勝見靖英
非常に多彩な頭脳をですね抱えていたと。
本当に今の超イケてるスタートアップで都大の院出た人都高大院出た人とか。
そういうのが集うスタートアップであると思う。
スピーカー 2
まさにそんな感じですね。
勝見靖英
もうメンツのキャリア見てもですね。
旧邸大の研究やってたみたいな人たちがもうずらっと100人ぐらいいるっていう。
すごいんですよ。なんかよくわからないけど。
そういう人たちが集ってきた1950年初めっていう感じだったんですけども。
そういうのを抱えているずっと状況でした。
スピーカー 2
抱えている状況ではあるんですけども。
勝見靖英
世界を目指していたということで35キロのですねテープレコーダーを持って。
スピーカー 2
イヴカマサルさんがアメリカに行きます。
アメリカで売らないとということで行くんですけども。
全然売れない。
ましてトップではあるんですけどギリシャのイヴカさん。
セレスマンだというふうに自負してなくて。
とにかくめっちゃいい製品なんで買うでしょっていう感じで行って全然売れない状況でした。
ただ売れないで終わったんですけども。
アメリカに行くことで当時ベル研究所ですね。
グランベルの研究所が発明した奇跡の装置。
勝見靖英
当時言われてたらしいんですけどトランジスタっていう装置があるんですけども。
スピーカー 2
それにイヴカさんは出会います。
勝見靖英
このトランジスタの特許を持つ会社ウエスタンエレクトリック社という会社。
これはアメリカの通信会社AT&Tの機械なんかを作ってる部門。
今もノキアにつながっている会社だそうなんですけれども。
ここでですねその特許を持つ会社と何とかこのトランジスタっていうのを日本で製品化していきたいという風に
イヴカさんはそこでピンと来てですね。
なんか特許のですね交渉をしていこうという風に思われたそうです。
スピーカー 2
トランジスタって言われても何か石谷さんも私も文系人間で分かんないじゃないですか。
この説明を言っても分かるかどうか分かんないですけども。
勝見靖英
一応私もちょっと物を飲んでその言葉を拝借しますと。
スピーカー 2
電気信号を増幅したりスイッチングする装置と。
勝見靖英
当時はこの機能っていうのは真空管でよく使われていたそうなんですね。
真空管アンプとかっていうのは見たことあると思いますけども。
真空管ってガラスの管でまさに真空にしている状態でその機能を持たせていましたと。
でっかくて壊れやすかったんですね真空管っていうのは。
このトランジスタっていうのは非常に小型化で電力消費っていうのも下げることができるということで。
12:00
勝見靖英
電子製品に活用することで小さい電化製品っていうのが電子製品っていうのが作ることができるという非常に画期的な装置だったと。
こんなのアメリカにあったんでちょっと何か特許取ろうということでちょっと交渉の取っ掛かり取ってきたからって言って日本に帰って。
スピーカー 2
今度はバートンをですね森田競さんの方に渡して森田さんが1953年にアメリカに行きます。
特許の交渉をしていくわけですけれどもその特許使用料っていうのが900万円だったそうです。
900万円っていうのは35万円が5、600万円でしたのでそれの30倍ですのでなんかそれぐらいの金額ですね。
1億5000万くらいの金額です。
でその金額をアメリカの企業に日本企業が払うことになるんですけども当時ですねその海外の送金っていうのもですね多額の金額を送ることっていうのはできなかったんですね。
なので900万円ウエスタンエレクトリック社に特許使用料として送りたいというのを通産省に申請して送金をするんですけども全然認めてくれなかったと。
なぜならば誰も知らないちっちゃいですねスタートアップ企業がいきなり海外に何億円もお金を払うなんじゃそらっていう感じですよね。
いやいやこういう技術があってそれを我々ものにしたいその最新技術を扱うのでお金を特許使用料で払わなきゃいけない。
お前らみたいなちっちゃい会社がそんなできこないでしょ。
そんな大事業をやるのは昔からあるこんな大きい会社じゃなきゃできないと。
勝見靖英
昨日生まれたばかりのあなたたちでも無理でしょっていうことでずっと送金の許可が出なかったらしいです。
スピーカー 2
半年もその交渉に時間がかかっちゃったということで森田さんずっとアメリカにいる状態ですね。
その待ってる間ぼやっとしててもしょうがないので森田さんはアメリカからヨーロッパに行っていろんなところを視察して回られたそうです。
ヨーロッパに行ってドイツに行きます。フォルクスワーゲンに行きました。メルセレスに行きました。シーメンスに行きました。
勝見靖英
オランダに行ってフィリップスを見学しました。
スピーカー 2
フィリップスはオランダの農業国ですね。
変皮な街にあったフィリップス社っていうのがどの都市かわかんないですけども土木も抜かれるぐらいでっかくてですね。
勝見靖英
駅前にフィリップス博士の像がドカーンと立ってるという感じでした。
今フィリップス社の製品を聞いてくださる方たちどれぐらいご存知か知らないですけども、
スピーカー 2
ドイツの電化製品といったらフィリップスって言うんで、ひげ剃りもそうですけども。
結構そのときにはトップ電気メーカーですよね。
ただそんなトップの電気メーカーっていうのはこんな片田舎のようなところでできたんだと、こんな技術を持つ会社になったんだっていうことで、
勝見靖英
ちょっと感銘を受けるっていうことが森田さんはそこでありました。
ヨーロッパに行ってですねホルクスワーゲンとかシーメンスとかいろんなところ見たというふうに私申し上げたんですけど、
実はこの時はですね森田さんただのちっちゃい会社の取締役みたいな感じだったんで、
15:01
勝見靖英
全部ですねビジネスで訪問したではなくて観光客でツアーに乗って工場見学をしてるっていう状況です。
スピーカー 3
なるほど。
勝見靖英
ここもなんかグッとくる。
スピーカー 3
すごいな。
スピーカー 2
ビジネストリップで今だったりその後世だったら考えられないですけれども当時は誰も知らないわけですから、
観光客に紛れてですね工場見学をしていったっていう、もうそんなレベルだったんですよね。
まあそういう会が見学してまたアメリカ戻ってですねようやく日本からの送金がOKになって、
トランジスタの特許日本に持ってくることができて、でトランジスタの開発っていうのを始めていきます。
勝見靖英
本当に難しい研究開発だったようなんですけども、
当時日本に120名のですね腕っこきの技術者研究者がいましたので、
そこで一生懸命みんなでこうやっていました。
そのチームメンバーの中にですね江崎レオナさんという方がいました。
スピーカー 2
江崎レオナさんご存知ですかね。
ノーベル物理学賞をその後に取られることになったですね。
勝見靖英
江崎博士ですけれども、もうそのチームに行ったということだそうです。
スピーカー 3
なるほど。
勝見靖英
この後江崎さんっていうのはソニーを、東京通信工業を出てIBMの方に移られることになるんですけど、
ノーベル賞を取るときにIBMにいらっしゃったと思いますけれども、そういうことがありました。
スピーカー 2
で研究開発してもうだいぶはじまりますけれどもトランジスタと、
勝見靖英
そのトランジスタを使って作ろうと思ったのはラジオだったんですね。
小型のラジオをとにかく作ろうと、トランジスタ装置。
スピーカー 3
真空管ラジオに打って変わるものってことですよね。
スピーカー 2
そうですね。当時ラジオっていうのは今でいう大型テレビみたいな感じで今にバーンと真空管が刺さっていると、
そういう状況だったんですけれども、
勝見靖英
それをトランジスタを使うことで持ち運びができるようなサイズまで持ってきるだろうということで、
トランジスタ搭載のラジオを作るっていうことを目標に開発をしていました。
スピーカー 2
1955年最初のトランジスタラジオっていうのが完成ということになるんですけれども、
実はその時には世界初には残念ながらならなくてですね、
スピーカー 3
半年前にアメリカのメーカーがトランジスタラジオっていうのを発明して市場に出されていたようですね。
スピーカー 2
なるほど。
その小型のラジオを作って、日本でも当然売り始めたんですけれども、
やっぱりもういきなり海外ということでアメリカに渡ってですね、
勝見靖英
その小型のラジオっていうのをどんどん売ろうとするんですね。
ここが最初のアメリカのマーケットで東京通信工業、
そっちのソニーの製品を出していくっていう、
最初の製品がこのトランジスタラジオということになるんですけれども、
スピーカー 2
アメリカに行きましたと。
大型ラジオじゃなくてもこれから個人が小型で持ち運べるような、
勝見靖英
そんなラジオが受けるに違いないということで行きます。
そうすると当然、もうこんなんできたのかということで、
目端の菊ですね、会社が声をかけていきます。
18:02
勝見靖英
その中でブローバ社っていう会社があったそうなんですけれども、
スピーカー 2
10万個頼むと。
もういきなりスタートアップが来てプロタイプ見せて、
勝見靖英
10万個発注するっていうのは超ビッグチャンスですよね。
スピーカー 2
ただ条件はブローバ社の商標をつけること。
勝見靖英
ブローバ社マークを入れてくれる。
でも10万個発注するからいいでしょうということだったんですけれども、
スピーカー 2
ここでですね、森田さんは、
勝見靖英
我が社は決して他社の下請けメーカーにだけはなるまいと心に誓っていたそうです。
森田さんはセールスマークです。
スピーカー 2
東京の本社はもう10万個受ける受ける。
勝見靖英
売ってくれっていうふうに東京号だったんですけど、森田さんはですね、
いやいや下請けにはならんって言って、
スピーカー 2
その森田さんの判断で、いや受けませんってことだったそうです。
その時にですね、ブローバ社の担当者は、
勝見靖英
うち50年も続いた有名企業です。
スピーカー 2
あなたの会社のブランド誰も知らないから、
絶対うちのブランド使った方がいいに決まってんじゃんと。
そんななんか無理しないで使いなさいよっていうふうに、
むしろ親切心だと思うんですけど。
スピーカー 3
そっちの方がユーザー安心して手に取れるじゃんってアメリカでは。
そりゃそうですよね。
スピーカー 2
でもですね、森田さんはこう言います。
50年前あなたの会社のブランドは、今の我が社のように世間には知られていなかったでしょ。
勝見靖英
私は今、我が社の新製品と50年後への第一歩を踏み出そうとしているのです。
スピーカー 2
50年後は負けない我が社を有名にしてご覧に入れます。
スピーカー 3
かっこよすぎませんか。
スピーカー 2
かっこよすぎませんね。
勝見靖英
なんすかこのセリフみたいな。
スピーカー 2
これきっと英語で言ってるわけですよ。
スピーカー 3
それが本当になってますからね。
すごいですよね。
この社長もビビったでしょうね。
スピーカー 2
本当になってくんだっていう。
スピーカー 3
もうなんか気触れてんのかって思う感じ。
勝見靖英
すごいよな。
スピーカー 2
東京に戻ってですね、こんなこと言って断ってきましたら、
みんなに惜しいな、無理はいいのにって言われながらもだったんですけども、
勝見靖英
森隆雄さんはこれまで下した決断の中でもベストなものだと思っているというふうにおっしゃっています。
スピーカー 2
あとに会ってみればかもしれないですけどね。
スピーカー 3
なんか前回の放送でも話しましたけど、
4つの大事な要素の中にブランドが大事だっていうことがあったじゃないですか。
まさにそのアクションですよね。
でもそれがあったから本当に世界のソニーとかになったかもしれない。
スピーカー 2
おっしゃる通りですね。
そこでブランドを確立させなきゃいけないっていうふうに思っていたものが、
ここでこれだなっていうふうに思われた。
すごいな。
そこで実際に現地に行って売ってもらうにしてもですね、
やっぱり代理店さんで同じようなことが起きるということで、
直接ですね、消費者の方たちに東京通信工業の技術とか理念とか価値を伝えるためにですね、
独自の販売ルートっていうのを作っていかなきゃいけないということもその時に思われたそうです。
勝見靖英
もう世界を開いてですね、その流通網を作っていくっていう。
本田の藤沢太郎さんの時にですね、バイク屋さんが300件しかなかったんで、
21:02
スピーカー 2
何千何万ある自転車屋さんをネットワークにしてっていう話がありましたけれども、
勝見靖英
その後藤沢さんはアメリカに進出して同じようなことをやっていくわけですけども、
まさに森田さんもですね、アメリカでそういうネットワークを作らなかったというふうに思われたというとですね、
スピーカー 2
ということで、実際に10万個っていうのを一旦諦めたんですけども、
勝見靖英
実はその後ですね、他のバイヤーさんにまた10万個の見積もりで東京通信工業のままでいいよっていうふうに言われたそうなんですね。
スピーカー 2
なんで別に断ってもよかったって感じたんですけども、
勝見靖英
その時にですね、これもちょっと2番手っぽい意思決定だなと思ったんですけども、
スピーカー 2
10万個いっぱいオーダーが来ると嬉しいし、ビジネスになっていけるっていうのが当たり前だと思うんですけども、
その時にですね、森田さんは10万個のオーダーをしたい、その見積もりを出してくれって言われたんですけども、
その時に日本の東京通信工業で10万個の生産能力がないんですね。
なので10万個を作るための生産設備を導入しなきゃいけない、設備投資をしなきゃいけないなっていうのを考えます。
勝見靖英
この後10万個のオーダーが来るかどうかわかんないので、この見積もりを求められた会社で設備投資を全部回収するっていうような見積もりを作りました。
スピーカー 2
つまり1万個よりも10万個作ったほうが設備投資必要なので、単価が高くなるような見積もりを持ってったんです。
もうありえないじゃないですか。いっぱい買ってくれるところはディスカウントむしろしてるんですけども、
増えれば増えるほどですね、単価高くなってくる見積もりを持ってって、お前ちょっと頭おかしいのかと言われながらもですね、
勝見靖英
いやいやこうなんで下手は打てないからっていうんで、やっぱりその中で一番ちょうどいいのが1万個だったので、
スピーカー 2
その1万個の見積もりっていうのが一番安く、これなんか相手と相手のバイヤーさんと調整して決めたらしいんですけども、
勝見靖英
結果1万個の見積もりを出して、その発注をもらう取引ができたということになったみたいです。
スピーカー 2
これもセールスマンっていうのを俺がやらなきゃっていうふうに森田恭さんが考えられたんですけども、
ただ売るのがセールスマンかもしれないんですけども、森田さんはそれだけじゃなくて全部考えるんですよね。
これを作るためには何が必要で、そのために何を仕入れなきゃいけないのか、どんな投資をしなきゃいけないのか、
それによって会社のPLがどうなるのかっていうのをわわわっと考えて、
これはアカンと、ちょっと下手打てないっていうところで、きちっと得るものを得てという感じで進められたっていう感じですね。
これがトランジスタラジオのコーディになります。
勝見靖英
ちなみになるんですけれども、ラジオって、このポッドキャストもインターネットラジオなのでそうだと思うんですけども、
ソニーさんの中でテープレコーダーがあって、このトランジスタラジオというのが2代目のヒット製品として出てくるわけですけども、
今のソニーさんの中でもラジオって作られていらっしゃるんですね、小型の。
24:00
スピーカー 2
当時は画期的な製品っていうことではないかもしれないですし、ビジネスの売り上げっていう意味ではそんなにないかもしれないんですけども、
勝見靖英
やっぱり創業時の、創業の一つというふうに位置づけられていてですね、かなりそのラジオの設計開発のチームっていうのはみんなが通るというかエリートというかですね、
ちょっと誰でも行けるようなところではないみたいな。
スピーカー 3
えーすごいすごい、なるほどね。
スピーカー 2
実はそこで設計開発をやってたメンバーが我が社にもいるんですけども、話をその彼に聞くとですね、そこのラジオの部門ですね、
勝見靖英
もうその彼50代なんてあれなんですけども、昔はですね、フラットですね、いぶかさんがよく訪れてたっていうふうに言ってましたね。
もういぶかさんも名誉会長とかそんなレベルだったと思いますけれども、
スピーカー 2
よくいらっしゃってたっていう、その設計開発の現場にファウンダーが来るっていうのはなかなかないことだったみたいなんですけども、
なぜかそのラジオの現場っていうのがよく現れてて言ってましたね。
なるほど。
勝見靖英
どの会社もシンボルになるような製品だったり部門っていうのがあるということだと思います。
スピーカー 3
はい、ありがとうございました。
2番K、ナンバー2の引き込む後もここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
気に入っていただけましたらぜひフォローお願いします。
番組への感想もお待ちしております。
ここまでのお相手はしだれゆうすけと、
スピーカー 2
勝宮水礼でした。ありがとうございました。
スピーカー 3
ありがとうございました。
25:25

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