1. お気楽主婦ですけどなにか?笑
  2. 10, いやなことは、いや。が続..
2025-10-10 36:16

10, いやなことは、いや。が続くとどうなるか、の件

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サマリー

このエピソードでは、親の期待や子供の成長過程における葛藤について語られています。子供たちの教育や自由を尊重しつつ、コミュニケーションを深めていく様子が描かれています。子育てにおける親の思い込みとその影響、また子供とのコミュニケーションの難しさについて深く考察されています。子供が嫌なことを嫌だと言う重要性や友人関係での配慮についても触れられています。さらに、家族とのコミュニケーションにおける心の距離や無関心の危険性について考察されています。特に、子供たちとの適切な関わり方や夫婦関係における繰り返される問題の影響についても語られています。

日常の親子関係
どうも、おはようございます、Moです。今日もちょっと歩きながら、あの、配信、配信したと思います。
9日目になりました。これ合計でさ、あの、ミスった日とかを入れなければ、
2ヶ月ぐらいにはなってないかい。そんなことはないかい。
えーと、頑張っています。やっぱり結構、ベラベラ喋っていると、いろいろご機嫌なことが多いです。ご機嫌、自分がね。なんとなくいろいろ、あの、
びっくりした。今、電話が来たのかと思ったら、
電話が来たのかと思ったら、えーと、アラームでしたね。 今日はね、本当、親戚の人が来ていて、ちょっと今、カザカザするね、これ。
親戚の人が来ていて、えーと、テニスをしましょうって、一緒にしましょうって言われてるので、あの、朝、
テニスをしようと思って、アラームをガンガンかけてたんですね。あ、今日ね、うんな、うちの息子はね、お休みなんですよ。お休みというか、
まあ、三者面談っていうのかな、日本で言ったら。それなんですよね。それの日なんですよ。 だから学校の、みんな早く行く時間なんだけど、起きなくてよかったんだけど、
親戚の人が、テニスしようって言うから、これからしようと思うんだけど、ちょっとね、テニスする前にアップをしないと、体が温まらないので、
これをね、いつもやってるわけじゃなくて、今日はたまたま気が向いたんで、歩き始めてるんですけど、
はい、えーと、で、なんかね、子育てして、なんかもう、まあ、子供もさ、今もう17歳と息子ね、
子育ての悩み
で、えっと、娘が20歳なのかな、そうだよね。
まあね、20歳って言っても、そういえば成人式、日本だとやると思うんだけど、なんか本人的には、まあアメリカのしきたりで、21歳の方が、まあ大人になるって言うか、
お酒とかも飲めるようになるのが、アメリカは21歳なので、 そっちの方を大きい場所でやってもらいたいということで、ちょっと何を期待しているのかわからないんだけど、
それに、その期待に母は応えられるのかと思って、ちょっとドキドキしてるんですけど、
がっかりさせるのがね、親として、娘とか息子にね、なんか私たちのパフォーマンスが、私となんか主人のね、パフォーマンスがちゃんとできてないか、
何か多分期待されていることがあって、あ、うちの親ってこんななのか、みたいにがっかりされるのが、すごく一番辛いんですよね、最近。
なんか大人になってて、彼らとかもめちゃいろいろ考えてて、やっぱりね、私たちが受けてきた教育とはまた違う教育をしてるし、
中身もさ、主人はアメリカ人で、私は日本人で、自分たちが育った環境と違う環境で子供を育てちゃってるから、ミックスカルチャーの中で育ててるから、
多分彼女たちの方が、俯瞰してね、物事を見るようなことを、もうちっちゃい時からしてきてると思うんですよ。
もうね、もう中身追いつけないなと思ってて、できることは私たちが経験であるし、培ってきたものを、こんな考え方もありますけどいかがですかって言って、
お盆に乗せてちょっと遠くから差し出す、みたいなぐらいのことしか、はっきり言ってもうできないんですよね。
それを採用していただくかどうか、いただくって言ったらおかしいかもしれないけど、子供たちの人生なんでね、採用していただくかどうかは、
彼らにお任せする、みたいな感じです。でもこれ、ここまで考えられるようになったのは、やっぱりね、今までね、
自分が結構いろいろ、コロナがあったっていうのも良かったんだけど、なんか親だし、この子たちのためにいろいろしてあげなきゃとかって、
どんな人も、どんな親も思うと思うんだけど、でもなんかね、
まだ自分たちが、子供たちがね、まだ何もわからないうちは、
ママが一生懸命やらなきゃ、何が必要なのかしら、こんなことならせたらどうかしら、とか、
思っていろいろやらせたりとかして、娘は結構、嫌なものは嫌だって言って、はっきり言うし、
逆に、嫌なものは嫌だって言うよりも、やりたいことをどんどん言ってくれたから、だからそっちをやらせておけば機嫌が良かったので、
すごい親としては楽ちんだったんだけど、息子は、
やりたいことない。お家でダラダラしてる。小さい時から一人で、ミニカとかで遊んだりとかするの大好きで、でもなんか工作とかするわけでもないし、
なんか保管地の子を見ると、すごい一生懸命、何か作ったりとか、レゴとか、真剣にやってる子がいたりすると、ちょっとイライラしてきて、
なんなの、この子は何もやりたくないと言って、本当に何もやらないじゃない、みたいな感じで、
焦って、やりたくなさそうなものだけど、お姉ちゃんがやってたからやりましょうって言って、無理やり連れて行ったりとか、
めっちゃしてたんですよね。
その無理やり連れて行くっていうのも、無理やりの、
嫌だって言ってるわけですよ。
だけど、でもほら、小さい時からやっといた方がいいことって、日本語とかそうなんですけど、スポーツとか、体の動かし方とかだって、小さいうちからしといた方がいいじゃんと思うし、
あとまあ、うちの子たち楽器やらせようと思っても、
ちょっと、なんかあんまり嫌で、そうだね、娘の場合はやっぱりピアノとかやらないのかなと思ったら、やっぱり嫌だってすごい言ったので、
なんでそうだな、娘が嫌だって言ったのを先生と相談して、この子は本当にピアノが好きなわけじゃないので、
やらせても無駄ですよ、みたいな感じで先生に相談して、先生にも言われちゃって、
やめさせた経験があるんですけど、それはすんなり私もすごいがっかりしたけど、
なんか自分はね、なんか小さい時からピアノやればよかったなとか、もっとやってれば、ちゃんとやってればよかったなとか思ってたから、
そういう気持ちもあるわけですよね、まあ自分も若かったしね、まだね、30代だもんね、
でもちょっとがっかりしたけど、でも彼女の場合は他にやりたいこととかがあったから、
そっちをさせたわけですよね、その後いろいろなんか忘れちゃったけど、だけど息子の場合は、
嫌だって言って何もやらないだけなの、それで ipad とか、やっぱり2人目の子だから早めに ipad とかも見せ始めちゃってたから、
手がやっぱりいっぱいいっぱいでね、下の子、上の子のこともまだあるのにさ、だからそういうので ipad とかも、私だったら ipad とかばっかりずっと見てるわけ。
でもまあちょっといろいろ無理やり、日本語とか特にすごい無理やりやらせてたんだけど、
いつだかな、そうだな、そのピアノを娘に嫌がられた時にもちょっと思ったんだよね、
無理やりは絶対無理、ダメなんだな、どんなにこっちが、
こうした方がいいんじゃないって思っても、その子の特性とかってあるよ、それわかるはずじゃん、大人なんですよ、私だってさ、
その子によって特性あるのとか、まあ自分も一応ちょっと教師とかもやってたことあるから、その子によって特性あるのはわかってるのにさ、やっぱり
自分の子供だとなんかやっぱ 必死になっちゃうっていう性格なんだろうね、
今めっちゃ反省してますけど、でもまあそれで 息子の方はさ、やっぱ
それが深くて、深くてっていうか、わかりにくくて言葉を話すわけじゃないし、あとちょっと馬鹿にしてるんじゃ、馬鹿にしてるんだよね、
いやこの子は何もまだわかってないでしょ、みたいな感じで、
一応こう一生懸命、自分としてはね、この子のことをわかってあげたいとか思ってたかもしれないんだけど、
一日にできることとかって限られててね、 それで彼に向き合う時間とかが少なかったなぁと本当思ってるんだけど、
親子のコミュニケーション
で、コロナぐらいになって、 そうだな、時間ほら、うちの中でずっとシンガポールのロックダウンってすごい厳しかったので、
本当に家から出れなかったんですよね、 子どもたちと過ごす時間が増えて、
ちょっと私も余裕ができて、 それで
息子と座ってご飯を一緒に、二人だけで食べたりとか、時間差でね、いろいろみんな
用事があるからさ、それで息子と食べたりとかしてて、 一緒になんか時間を過ごしてたら、なんとなく話ができるようになって、
できるようになってというか、彼もちょっとポロポロ、 そしたら一番バカな発言が、僕は日本語一個も覚えてませんから、
PTSDですから、僕はあの場所に行くたびにすべてを忘れていましたし、 今もそうですと、
本当に嫌だったのに、嫌なものは嫌なのに、なんでママはそれを聞いてくれなかったんだろうか、 みたいなことを言われたんですよね、
笑いながらだったけど、彼もね、僕本当に、あれPTSDって言うんだよね、 みたいな感じで、僕全部忘れちゃってるから、
本当に嫌だったって言われて、ああいうことを何年も経ってから言われるのほど、
なんか辛いことってないですよね、 もしあれは、あの子は何歳だったんだろう、
何年前、ちょっと忘れちゃったけど、 その頃に、なんかちょっと心が通じあったみたいな、
そうだよね、あなただってやりたいこと、本当にやりたくないことはやりたくないし、 嫌なことは嫌だよねって言って、
それでだったら、やりたいことは言ってちょうだいと、 それまで待つかということで、
やりたいことって言ってもさ、彼はうまくゲームばっかりしてたから、 でもまあ、学校のこととか、宿題とかは一応ギリギリやってたりとか、
一生懸命勉強しないだけでね、それも娘と比べちゃうから、 ついついやりなさいよとか言っちゃってたんだけど、
で、それからもう手放したんですよね、彼をコントロールすることを、 信頼するようにしたの。
結構考えてるんだなということがわかって、 コロナの時に結構なんか時間過ごしてて、
彼らって日本語もやって、英語もやって、 毎日学校で中国語もやってたんで、
たぶんね、やっぱり言語能力がすごい、 言語のランゲージスケールとかっていうのって、
やっぱり向き不向きがめっちゃあるなっていうのは、 私もロジックではわかってたんだけど、
うちの息子とかはそれで、自分の話を言葉にするのがすごく難しい子で、
で、やっぱり時間過ごして考えて、結構いろんなこと、 時間をかけて聞いてあげると、いろんなこと考えてるんだけど、
なんかごちゃごちゃになっちゃってるだけだったのね。 それで、
彼らすごいいろんなことを考えてるんだから、 やっぱ性格もあるんだろうね、
2つのことを考えてた時に、どっちって言えないのね、 どっちがいい、あっちがいいとかって、
なんかモゾモゾしてるわけ、いつも私とかからしてみると。 それで、ああ、そうか。
あの、いつも娘と比べられてさ、一生生きてきてるわけじゃない、 10年とか10年以上だよね、その時も。
それで、お姉ちゃんは口が立つし、 自分の中ではいろんな考え方あるけど、
整理して誰にも話せないし、どの英語もそんなに得意じゃないし、 日本語は全然大嫌いだし、ママに日本語で話す気ないし、
そんな感じで、 いたんだなっていうことを思って、
あれはね、気づかせてもらってよかった。 多分、あのまま私の性格で、
押し込めていたら、彼は今どうなっていただろうと思って、 ゾッとするんですけど、
私自分と全然性格が違うのもあるからさ、 だから、いやー、
恐ろしいなと思う。ほんとちょっと今思い出すと、 あの時があってよかったなぁとか思うんですけど、
やっぱり、その後ね、やっぱり親子だからって、 結構子供を産んだ時からそうなんですけど、
もう他人、変なワードの使い方がおかしいかもしれないけど、 もう生まれてたら、
もう子供たちも、別に血は繋がってるけど、 他人だから、個人、個人だから。
だから、彼らのその生き方とかは尊重したいっていうのが、 心の底からいつも思ってたから、
なんかいつも、私の子供だからこうしなさいとか、 私のためにしなさいとかっていうことは絶対しないようにしようとは思ってたんだけど、
結局なんかいろんなね、まだまだ自分の中でも、 こうしてあげなきゃいけない、私のためにしなさいとは思わないんだけど、
私があなたのためにやってることってあるのよ、とかいうことを、 押しつけてたわけではないんだけど、今思えばね、第三者的に
俯瞰すると押しつけですよね、特に息子にとってみれば。 娘も、
途中どういうふうに思ってたかわかんないし、どういう記憶がね、 彼女の中に残ってるかわかんないんだけど、
ママはいつも、こう自分たちのために何かしようとしてくれてて、 でも間違っちゃうこともあるみたいな感じで、最近はなんか
理解してくれているようで、あのやっぱ性格が全然違うので、 なんかちょっとやっぱり、ママはママ、私は私みたいな感じで、
少し、いい感じの距離を置けるようになって、 たまに喧嘩することもあるんだけど、それはやっぱり性格の違いだねっていう、
ママはこうにするのがいいと思うけど、 私は違うんだねっていうことを、
彼女の方が大人になってわかってくれる、私みたいな、もうおばちゃんは、 結構変えられないよね、みたいな感じで、
いや、その通りですって言って、ママはそうやって生きてきちゃったから、 そんなに簡単には変えられないから、ごめんねっていうことで、
謝ることもないかもしれないんだけど、彼女とはよく話しますね、 彼女の理想のお母さんがいるわけですよ、
子育ての思い込み
ちょっとね、誰かちゃんの、なんとかちゃんの友達とかみたいに、 こういう風になんかしたいなぁ、みたいなのを持ってくるわけですよね、
習って、どっか外で、それでママもそうなったらいいなぁ、 みたいなことを理想を話すんですけど、
私もさ、いや、ごめん、それはね、私ママっぽくないし、ママちょっとそれ、 やるのはちょっと無理だから、
だけど、ここはできますよ、みたいなことを、
調整するんですよ、そうすると向こうも、 ああ、なんていうのかな、そっかそっか、ママはママ、
なんとかちゃんのお母さんとかは、こうやって言ってわかってくれるみたいに、 最近なってて、
いやー、ほんとね、あの、ほんと子供との話とか、
し始めると、もうエンドレスなんだけど、でもその子育てをしている間に、 その自分に対する思い込みみたいのがすごいんだなっていうことを、
めっちゃわかったんですよ、それで、あの、 そうなの、
思い込み怖いよね、ほんとね、良かれと、 こういう、言うじゃない、良かれと思ってやってるのに、みたいな、それ、
ほんと、で、それをなんか、自分が間違ってるっていうことを、 自分に余裕がないときって、受け入れられないのよ、
なかなか、もうがっかりよね、ほんと、やってきてる、自分だって、 もうめちゃくちゃ自信があって、やってることでもなくて、
その中で迷いながら、これでどうかな、あれでどうかなって、 言ってるときにだよ、言ってるときに、やってる、言って、言ってるっていうか、
これでいいのかな、こうやってやるのがいいのかなって思って、 その中でもほら、チョイス、時間はどんどん経っちゃうから、
チョイスをしていかなきゃいけないから、チョイスをしてます、 そのチョイスが、間違ってたりするんだからね、
良かれと思ってやってることがさ、 ね、もうがっかりよ、ほんとに、もうがっかりっていうか、もうね、自分が嫌いになるよね、
ほんとに、 そう、だからね、そういうのも、ほんと繰り返しなんですよね、子育てってね、
嫌なことは嫌だと言う重要性
ほんと、今はもう子供も、いろいろ自分たちが考えられるようになってるから、 その辺、
なんとなく人間らしくなってきたというか、ちゃんと話がね、 まあ今でもあまりうまくいってないですけど、それはもうエンドレスでね、
こっちも今度退化していくわけだし、向こうがさ、今度は、 なによ、ママ、こんなこともわかんないの?みたいな感じで、なんか来るようにはなると思うんだけど、
でもさ、やっぱり、そういうもんなんじゃないかなと思って、 それで、一番、だから、その学んだことで、中でね、嫌なものは嫌なんですよ、
ほんとに、嫌だって言ってる人に対して、 嫌だって言ってる時に、ちゃんと、
押しつけちゃダメなんだよね、私とかが。 で、よく考えてみたら、私やっぱり、
私は娘と多分同じで、嫌なものは嫌だって言えて、周りの人も聞いてくれるタイプ。 だから、あの、嫌だ嫌だって言って、ほんと、あの、
ショックすぎて、もう全部日本語忘れちゃったみたいな、 息子と違って、息子は多分絶対嫌だ嫌だって言ってたのに、そう覚えてるんですけど、
嫌だって言っても、いや、そんなことないでしょって言って、 私とかが、無理矢理連れてって、だから、
だから、嫌だと言っても聞いてもらえないタイプですね。 私は、だから、自分が嫌なものは嫌なんですよ。
それで、みんなが聞いてくれる周りが、 だから、その、嫌なことを、あんまりやらなくてもいいし、自分の中でも、
嫌だったら、こう、本当にやらないし、 そういうふうに、そういうタイプなんですよね。だからね、ほんと危ない。
それで、私もね、その、嫌なことは嫌だって言えるタイプと言えないタイプっていうのはね、 やっぱりいっぱいあるから、お友達の時とかは、すごい気をつけてるんですよ。
嫌なことだけは、なるべくやらないようにしようと思って、大切なお友達ね。 だから、その人が、もう嫌だと思うようなことだけをやらないと、
結構、人間関係って、長続きするし、 お互いに気持ちよく付き合ってられるんですけど、
いやー、ほんとね、あの、 なんかやっぱり深まらないなぁ、みたいな、友達関係の時って、
あの、私は嫌なこと言ったりとか、これ嫌だよねとか、 こっち、こうにするんだったら、こうしたらって言って、一緒に話し合える間から、
お互いに自分勝手に話せる、無理をしない、 間柄だとしっくりいくんですけど、
友人関係についての配慮
なんか何ヶ月とか、なんか2年、2年とか3年とか経ってから、 ずっと言えなかったんだけど、
なんか、もうさんのこういうところ、すごい ダメなんだよね、とか言われて、
もう、そういう人とは、ほんと申し訳なくて、 2年とか3年とか、私のこと、それがどうしても嫌だ、とか言って、
言われたら、ああ、もうほんとごめんだけど、 そういうの気使ってられないんで、
後で言われてもさ、ほんと悪気がなくて、 やってることかもしれないのに、
私としては、友達だったら、このぐらいのことまで言うから、 とか思って、すごく気をつけて言ったこととか、
だったりしても、いや3年ぐらい経ってからさ、 いつも思ってたんだけどさ、とか言われて、
いやー、ちょっと、それだ、 それはごめんだよなぁ、と思ったりしちゃうんですよね。
だから、その、
性格の違いですからね、しょうがないんですけど、 だから、その辺ね、なんかやっぱり、自分の子供にね、
そんな3年間経ってから、 ママはいつもこんなだから、って言って、なんか、
もうこっちが我慢してたんだよ、みたいなことを、 これから言われないように、なるべくね、
大切な人なので、お互いにね、 個人になってしまったとしても、
家族で、大切な人なので、その本当に、 まあ、その嫌なことっていうのを、なんか気づけない
タイプとかもいるみたいだしね、そのなかなかさ、 だから、そこ、そんなことを言っちゃっていいのか、
悪いのかって思うようなタイプの人もいるだろうし、 だから、その辺ね、
あの、そういう人なのかどうかとかも、 じっくりね、あの時間をかけて、
何も言わないとか、 だから、うちの息子がそうだったんだけど、
言わないっていうことは、何もないわけではない、 っていうことを、本当に学んだんですよね、
本当、遅いけど、そんなことを学ぶの、 大人になってからじゃ、だけど、言わないからって、
ほっとくわけにはいかないっていうか、 言わない人こそ、なんか、何かがあるに
違いないじゃん、 だから、でも、その時に、私があの時できたのは、
本当に一緒にご飯をゆっくり食べるとか、 彼が、
彼が勝手なことをやっているところの横に、 横にいると、ちょっと気持ち悪がられたから、
私は他のことは何か、上の空にしている時に、 何かやると集中しちゃうから、
子供のこととか、ほっぽらかしちゃうんで、 そうじゃなくて、息子のことを、
ちらちら、気にかけながら、彼がどういうことを しているのかを、彼に知られないで、
こそこそ見ている、というかね、感じるとか、 そうするとね、ちゃんとやってるんですよ、
学校のこととかさ、自分のその時間になれば、 やってるし、一生懸命なんか、
やってるんですよ、いろいろ、 ただ言わないだけで、アピールないから、
こっちは大丈夫かな、と思っちゃうんだけど、 そういうことが、結構ね、
コロナ禍に一緒に、時間すごい、 めちゃくちゃ過ごして、よかったなと思うし、
そもそも彼は、あまり外に出たくないタイプ だから、私が外に出ちゃって、
結局全然、彼がやってることを、 見てなかっただけで、
だから、本当に真面目に、一生懸命やる タイプの子だっていうことをね、
分かって、でもね、うずうずして、 高校生になっても、勉強あまりしないし、
待って、待って、待ってね、したんですけど、 なんとなくね、最近、自分で、まだまだ、
全然、まだね、私も息子も、私も主人も、 すごいイライラするんですけど、
でもさ、あの、 友達にも、なんか恵まれてるみたいだし、
なんか、うまくやってるみたいな感じだからさ、 あの彼の人生だし、よくうまくいって
ほしいな、というふうに思うんですよね。 じゃあ、今日はちょっと、もうこれから
テイスに行くので、終わりにしたいと思いますが、 あ、おはようございます、ひろひろしさん、
あと、ラジオサンダさん、ごめんなさい、 ちょっと見てなくて、おはようございまーす。
えっと、ひろひろしさん、子供って、 客観的に見てますよね。
母性ですよね、本当なんですよ。 間違っていたとしても、子供の声をしっかり聞く
べきですよね、確かに。そうなんですよ、 なんか何が間違ってるって、とか、なんか
間違いとかなくて、もう本当に、 えっと、私たちもほら、大人になっても、
そうなんだけど、なんかこうしなければいけない、 みたいな、何かしらのこう、足枷を、
まあ、社会に生きていくために、かけられていって、 あとまあ、あの、育っていく環境の中で、
どんな人も、多分その、なんだかな、 自分の性格だったら、こっちに行くんだけど、
そうじゃないっていうような、なんか、そうじゃない方にも、 行かなきゃいけないんじゃないか、
みたいな、どんな人も、
足枷があると思うんですよ。 それで、だからその、
その足枷をね、なんかこう、重荷に思っちゃう人と、 まあ、ルールなんだから、それに沿って
いけるっていう人と、多分2種類いると思うんだけど、 その、
なんか足枷に感じちゃってるような人、 まあ、意識的にじゃなくても、
足枷だと思ってる人には、人は結構こう、 自分的にこう、辛いわけだから、なんか自分は
辛い、自分は辛い、だから、私が母、自分と母が、 母としてやってたのは、私こんなに頑張ってるから、
あの子供にも通じるだろう、みたいな、やっぱりこう、 そういうふうには思ってないんだけど、
実際やってることってそうだよね、みたいなことは、 まあ、本当思いますね。
辛いんですよ、やっぱりその、なんか誰もガイドしてくれるわけじゃないし、 親としてね、
で、 こうした方がいいんじゃないか、こうした方がいいんじゃないかって、
思いながらやってるんで、すごいこう、 まあ、足枷っていうと重すぎるかもしれないけど、
そういうことの中で、何かの中でやろうと思ってると、 やっぱりなんかこう、イライラもしてくるし、
それでなんか、だんだん子供のせいになっちゃったりとかね、 ある時は、
でも、あ、いけない、いけない、なんか、 子供はね、純粋に頑張ってるだけなのに、
私はそんな、なんか、 親、親だから、頑張ってるからって言って、
これ押し付けちゃいけない、いけないとかって、 まあ、思いながらこうね、いろいろやってくるわけなんですけど、
でもやっぱりその、その足枷とかを持ってると、 私は頑張ってるのに、僕は頑張ってるのに、
なんでわかってくれないの、的なのって、 なんか、どんどん、まあ、子供たちのこともそうですけど、
まあ、人間関係として、まあ、周りから、 ちょっと距離を置かれてしまう系、的なことってあるよね、
みたいに、で、そういう時もね、なんか、 だから、こんなに頑張ってるのに、私、
なんで、わかってもらえないのかしらって言って、 なんか、こう、
ね、誰かに話したりとかして、そうすると、私もそうよ、 みたいなことを言われて、それでそうだよね、
ママ、ママなんてそんなもんだよね、 私たち頑張ろうね、と言って、まあ、なんか、いっぱい飲んで、
帰ってくると、まあ、機嫌よく、また子供と 向き合えるみたいなことの、もうほんと、
何もうまくいきませんって感じですね、はい、 そんな感じです、で、その代わりね、だからとにかく、
まあ、いつも言ってるんだけど、 遠くの人のこととか考えちゃうんだけど、とにかくね、
周りの、自分の本当に大切な人のことをね、 まずじっくり、
なんていうのかな、向き合う、 向き合うっていうのは、なんか、あの、もう特、ほんと、
うちの息子のこととか考えると、それを、 あの、お勧めしたいんですけど、向き合おうと思っても、
話してくれないので、 好きなことをやるのからね、あの、やっぱり、まだ動物だしね、
で、それって大人も同じかなと思ってて、 なんか、なんで、なんで、なんか、今日、どこ行ったかとか、
教えてくれないの?とか言っても、教えてくれないし、 あと、誰と行くの?今日って言ったら、
いやー、えーと、分かんない、分かんないはずない じゃない?とか言って、それで、でも別に分かんないって言われても、
あー、分かんないんだ、って言って、 一回、それは置いといて、で、なんか、後で、もうちょっと、
機嫌が良く、良さそうっていうか、まあ、 なんていうのかな、話をしてもいいかなって、
思いそうな時に、ねえねえねえ、なんでさ、分かんないって言うの? それ、ガールフレンドなの?本当は?とか言ったら、
家族コミュニケーションの重要性
機嫌が良いと、あの、いや違うよ、ママが知らない、 ママが知らない人だから言ってるんだよ、と、
えー、でも、じゃあ、ちょっと言ってみて、って言って、 教えてくれる時と、まあ、機嫌が悪い時は、私がガールフレンドなの? とか言うと、機嫌が悪い時は、こう、
違うでしょ?とか言って、なんか無視するとか、 あるじゃない?そんなのってあるじゃない? だからさ、そういうの、自分もあるでしょ?
これ、聞いてくださってる方もさ、なんか、 特に近しい人だと、ついついそういうふうに言っちゃったりするじゃん?
だからさ、あの、話したくなる環境に、こっちが、 もし本当に話を聞きたいならね、
あの、息子、特に息子なんだけど、そういうふうにしないといけないし、逆に、なんか、あの、娘なんかは、
うちの主人がもう、めっちゃ毎日電話かけてくるって言って、で、あの、 娘も、まあ、
ね、自分のパパの気持ちもわかるから、話いろいろいろいろするんだけど、 後になって、私に、なんか、パパ毎日電話かかって、
パパ、毎日電話かかってくるんだよね、とか言って、 まあ、文句言われたりとかしている、
あの、 ちょっと待ってね、
主人、
そう、それで、主人は、だから、なんか、いっぱい話したい、 なんか、心配で、あれなんだっけ、なんか、話しちゃうんだけど、でも、なんか、で、娘も、
めちゃくちゃ話し、話すんだけど、でも、心の底では、実は、あの、なんか、毎日電話かかってきてて、ちょっと、
困るんだよね、とか、なんでパパは、毎日電話かかってくるのかしらって、 で、逆にママは何もしないから、なんか、それもなんか、バランスが悪くて、娘的には嫌らしいですね。
はい、だから、私もたまに、全然、話、だって、全部聞いてるから、主人からとか、あと写真とかね、わかるから、別に話さなくてもいいのに、って思っちゃうんだけど、
あの、無理やり話したりとかするんですけど、息子の場合は、もう本当、本人の、本人を信じて、本当にね、あの、話したい時に話す、みたいな感じですかね。
朝の挨拶とかも、ちゃんとするし、とか、そういう、なんか、ちょっとしたことがね、あの、彼が、ちゃんと健康でいるかどうかっていうのは、ちゃんと確認するわけですけど、
自由にしているのが、一番好きみたいなんでね、あの、なるべく自由に、これからさ、大人になって、自由にならないこと多くなるわけじゃない?って、めちゃくちゃ甘いって言われるんですけど、
子供にも言われますね、子供、あの、子供にも、まあ、ママは甘いって言われるんですけども、甘くしたっていいじゃない?できるなら、
だって大変だもん、これから社会出たら、だからもうめちゃくちゃやれること全部やっとくから、もし甘やかされて苦労するのは、あなたたちでもしょうがないわね、って言ってはいるんですけど、
あ、もう行かなきゃ、私。 えっと、ひろひろさん、私は頑張ってる。何もわかってくれないの?って妻によく言われます。
あの、それね、ほんと、あの、ちゃんと聞いてくださいね、あの、じゃあ話聞くよとかって急に、急に変わっても気持ち悪られるかもしれないんですけど、
あの、そういうのが1回じゃなくて繰り返されると、だんだん、あの、いろんな、こう、なんて言うんですかね、こう、えっと、毒味みたいになってくると思うので、
あの、えっと、1回、2回とかだったら大丈夫なんですけど、そう、これもちょっと付け加えておくと、なんか、その、私のそのね、子育てでわかったことは、その何回、1回、2回の嫌だったら全然、こう、しこりにならないんですけど、
えー、まあちょっと私はそれ、いろんな他の人にも聞いて思ってるんですけど、こう、夫婦関係のこともそうなんだけど、何回言っても聞いてないと、で、それが結構、
まあ聞いてない方にしてみたら、繰り返されてるっていうのが気づかないんだけど、もう、そう、聞いてない方は気づかないんですよ。だけど言ってる方としては、こんだけ言ってるのに、あの、なんで私の話を聞いてくれないんだろうと、全然、こう、意識が来ない。
まあね、好きの反対は無関心って言って、結婚するとさ、好きっていうの忘れちゃって、こう、嫌いではないけど、好きでもない。
それってさ、怖いことで無関心なんですよね。で、それに陥ってる人とかが結構いて、で、無関心にされている方というのは、本当、あの、もう戻れないですね。
それを何個か見てるので、お気をつけくださいませ。はい。あ、聞きたくないのね。はい。じゃあ、こっちの話も聞く。だから、好きだった人が無関心になっている状態が一番むずいと思うので、ちょっと関係ない。
おばちゃんですけど、それ、あの、お互いにね、関心を持って、いろいろ行けたら、一緒にね、大切な人だと思うので、いろんな小さなことでも、こう、いろいろ毎日、日々変わってるので、なんか、関心を持てるようなね、感じで行ったらどうかなっていうふうに、今日は
夫婦関係の課題
お伝えして終わりにしたいと思います。もう、説教ばばになってるね、今ね。これ、全部言ってること、自分にも言ってるから、私は。
もう、十分に説教してるんですけど、そういう感じで、今日も一日、いい感じの一日、ありますように。またね。
はい、そうですね。あの、ちょっとごめんね、最後。ヒロヒロさん、ただ、妻の言いなりに徹しています。
精神的には楽です。そうなんだけど、言いなりにするっていうのも、無関心の、なんていうの、無関心だからかもしれないじゃん。
だから、よろしくね、その辺。無関心、一番怖いから。ということで、あの、まあ、かわいいね、とか、なんか、あの、関心を持って付き合ってください。
いやいや、とんでもない。じゃあね、また、あの、いや、よかったです。最後、言いたいことが言えたので。うん。ということで、じゃあ、またね。ありがとうございます。また明日。バイバイ。
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