2025-10-15 34:28

15、父の車好き

Mo
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サマリー

このエピソードでは、父の車に対する情熱や思い出が語られています。特にハイラックスサーフやアルファードについてのエピソードが紹介されています。運転や車の手入れ、父が家族との思い出を大切にしていたことにも触れられています。また、2019年の台風による影響とそれに続く家族の様子が描かれています。父親の車好きが話題になり、家族の支援を受けながら困難を乗り越えようとする様子が印象的です。父の車好きにまつわるエピソードが語られ、家族の思い出や体験が共有されます。さらに、台風や電車の遅延といった困難な状況についても言及されています。

父の車の思い出
おはようございます、Moです。こんにちは、こんばんは、みなさんお元気ですか。
私はおかげさまで元気です。
うわぁ、今なんか、あの、ブランド・トランスポートという、オーソリティって言って、あの、
なんて言うんだろう、この交通の管理してる人みたいなのが、めっちゃ写真撮ってて、ちょっと怖いですね。
今、運転してます。 えっと、みなさんお元気ですか。今、ちょっと運転してて、それぞれ写真撮られたので、ちょっとビビってしまいました。
はい。 えっと、今日もね、また、あの、主人がいないので、車を、
車があるので、息子を送って参りました。 本当に、あともう最後の年なので、
こうやってね、車で学校に送ってあげるっていうのもできなくなるので、 これもね、あの、
本人もね、別にバスで行けばいいわけで、 でも、それ、バスで行くよりは、まあ、何分か遅く出ればいいからっていうことで、
それをね、なんか自分の、まあ、 勝手で、
ママに頼むのでって思うんでしょうかね。 ありがとうとか言ってくるわけですけど、
まあそれを、いいんだよ、みたいな感じで、優しく言えるのも、 さっき言われた時に、
ああ、こういう風に言えるのも、昔から何人かの、 ままともの先輩に、
もうさね、本当にできる限りのことをしとかないとね、 本当にね、あの、いなくなっちゃうから、
あの、その時にね、ああ、やっといてあげればよかったなって思うよっていうことをね、 言われてたことをね、
思い出すからであってね、やっぱりそういうのがなんか、そういうなんか、 心の準備みたいのがなかったら、
なんか、 めんどくさいと思ってたかもしれないとか、
本当に、あの、めんどくさがりなので、 そういった思ったりとかしていました。
はい、えっともう、本当心の底からね、そういうことが、 何も迷いなくできる人も、いっぱいいると思うんですけど、
うん、なんか、私はやっぱりそういう、なんか、 人から聞いたこととかで励まされることが多いですね。
そうなんですよ、これ結構なんか、何人かの人が聞いてくださってるみたいで、 いつもこうやって話してるんですけど、
もしね、本当、この時に毛さん言ったことが、なんか、 何かのきっかけになりましたよ、みたいな人が、もしもいたらね、
ぜひ教えてください。それもまた励みになって、 もっと頑張って、
いや、いつも頑張ってるわけじゃないんですけど、 なんか少し頑張って、なんか、皆様にお届けできる、
何か、もう少しマシな話ができるようになるかもしれません。 ならないかもしれません。
ね、はい、で、今日のタイトルは、 あ、ごめんなさいね、ほんと咳が、まだ出ちゃうんですけど、
あの、 今日朝ね、何台か、父が大好きだった、
車好きの影響
車に出会って、 あ、じゃあ今日ちょっと、なんかその話、この前もつい最近もちょっと家族でしたので、
その話ちょっと残しておこうかなぁとか思って、 あの、ほんと、なんか好きっていいよねってあるじゃないですか、
好きなものあるっていいよねって最近、 私がよく聞くだけかもしれないんだけど、
で、好きっていうことを、こうなんか、 一緒にめでられる、
うん、なんか仲間がいるといいよねっていう話とか、 聞かないか、あの、私だけか、
まあそれ、そういうのが、なんかこう、 第3ステージ、第4ステージに向かっていく、人生向かっていく人たちにとっては必要だと思っていて、
あの、まあそんな感じ、それを思ってるんですけど、 あの、ね、なんか、ほんとつまんなそうにしてる人がいたら、
なんか好きなものを探してみたら、とかって、 言うのがいいのかなぁとかさ、
ほんと大きなお世話の話だよね、ほんとなんかもう思考がそういう風に下がってないのに、 私はね、はい、でもまあいいんですけど、
で、うちの、ごめんなさい、 あの、父ってね、ほんといつも好きなことがある人で、
ほんと、ほんとかわいそうだったら 会社行かなきゃいけないのか、
なんかもう、心の中はいつも青年、ちっちゃい、なんか子供みたいだったんで、 あの、ほんとつらかっただろうなぁと思って、
会社とか行かなきゃいけないの、 うん、
で、それとの、あの、なんていうの、その、ね、戦後、 戦後生まれじゃないんだよなぁ、
もう、えっと、
戦後じゃないよね、えっと、
40、 1942年とかだから、まあ、
めちゃちっちゃい、まあね、戦中生まれっていうんですかね、 まあね、最後の3年ぐらいの時に生まれてる人で、
でも、なんか、 どうなんだろうね、なんかこういう性格の人とかが、やっぱり、
なんか、 あの、いっぱいいても、みんななんか時代だから、
サラリーマンになって、頑張って働く、みたいな波に乗らなきゃいけなくて、
今ね、今の時代に彼みたいな性格な人がいたら、 きっとなんかもっと、
なんかのびのびやってたんじゃないかなとかって思ったりね、したりするんですよね、 そう、まあほんとね、でも時代ってあるよね、本当に、
だからまあ、そんなのを自分で選んで生まれてくるわけじゃないんで、 まあ、受け入れていきましょうって感じなんだけど、
で、父はね、いつも好きなことがある人で、 あの好きなことがあるというかね、もともとめちゃくちゃ車が好きで、
本当は車の整備士さんとか、車にずっと乗っていたいから、タクシーのドライバーさんとか、 そういうのになりたかったらしいんですよね、
でもまあたまたま、あの、
なんか、 知り合いのつてで、
会社に勤められるようになるんだからって、やっぱその時代でしょうね、あの、 その、
会社に入りなさいと周りから言われ、 ずっと言ってましたもんね、僕はタクシードライバーになりたかったのに、
ほんと車好きだったんで、 それがダメなら整備士で、整備士でやりたかったんだって言って、言ってましたよね、
はい、それは良いんですけど、それの続きなんですけど、 めちゃ車が好きで、で、その、なんか、あの、ずっとね、車はね、もう、いつもピカピカにしてたんですよ、
だから、私が車に乗るって言った時、あの、乗り始める時なんかも、まさか自分の車に、 あの、傷つけられちゃらいけないと思って、大急ぎで私に車を買ってくれたんですよね、
本当にそのせいだけで、あの、ほんとお金がいっぱいあるわけでもないのに、 なんか、中古のね、
あ、そうだな、それハイラックスサーフだったんですけど、 それもさ、なんか、自分が乗りたいからっていうのもあるんだけどさ、
だからそういう車好きの人で良かったなと思ったんだけど、 あ、1台目はハイラックスサーフじゃなかったのかな、なんか、あの、本当にぶつけても大丈夫なような、
入院と家族の絆
普通のセダンだったかもしれないんですけど、 その次ぐらいに買ってくれたのがハイラックスサーフで、 あれは私も好きな車でしたね、
どこにぶつけてもっていうか、何回かぶつけたことありますけど、 強い車でした、
で、そういうことで、あの、そのぐらいすごい、もう、いつもピカピカにしてるんですよ、 それで、なんかワックスとか塗っちゃって、
で、あの、カバーとかしちゃって、で、シート、シートっていうのかな、あれね、 で、それシート被せるのって、結構一人でやるのってめんどくさいから、いつも手伝わされて、
もうそれがさ、夏も暑い、夏だったら暑いし、あの、冬だったら寒いし、 もう、超嫌なんですけど、それ妹とケンカするわけ、どっちが行くかとか、
それで文句言われるわけ、こんなのも手伝わない娘たちがどの方のとか、 ああ、よく思い出しますね、それを、それを言いたかったわけじゃないんですけど、
ほんとくだらない話してますけども、はい、15日目なので、 だんだんね、もう、だいたいネタがなくなってきますから、
はい、こういう話もいいかなと思ってます。それでね、あの、 とにかく大事にする人なんです、車。
で、彼にはもう一つの夢があって、 あの、
ね、子育てしてる時はすごい大変かもしれないけど、 あの、子育て終わったりとかして、まぁだいたいちょっとお金に余裕ができたら、
結構大きめのバンみたいな、とか、 あの、とにかくたくさん人が乗れる車を買って、
あの、それを、で、どっかに行くと、友達とかと、家族も一緒とか、 が夢だったんですよね。
それで一番初めに買えたのがハイエースですね。 ハイエースなんかやっぱり走る時にガタガタするので、
それで結構いろんなとこ行ってましたけど、友達とかと、 あの、そのうち、
あの、うちの子供が生まれたくらいにちょうどね、アルファードに昇格したんですよね。 あの、ハイエースが。
そう、ハイエースも何台か買い替えてましたけど、 それでアルファードになって、
もう嬉しそうだったなぁ、本当にあの、 子供がミニカーを買って、
なんか喜んでるような目をキラキラさせてたのを思い出しますが、 それでね、このアルファードなんですけど、
いやー、その話をこの前してて、 もう私とかが運転するなんて言ったら、本当にほんとやめてって感じだったんですよね。
あの、だから、もうそれ、あのね、アルファードは、 その辺に行ったりする時は乗らないように、
だから、Kもあったわけです。 Kは嫌だから、なんか、
ああ、あれなんていう名前の、あれだったかな、 こういう四角い車ね、ちっちゃいやつ。
Kではない、でも今だったらKっぽいのかな、この頃で言ったら。 まあいいんだけど、そういうのを買って、そっちを乗れというわけですよ。
だから、私はそっち乗ってたんだけど。 あの、帰る時にね、日本に帰ってる時とかは、乗らせてもらったんだけど。
ああ、あれなんて言うんだったっけな、かわいい車だったんですよね。 横に開くやつね、後ろがワンボックスカーね、ちっちゃいやつ。
それで、まあいいんだけど。 いやー、この前思い出したのがね、あのうちの父がやっぱり、
まあちょっとね、思い出すね、やっぱり最後はまあ亡くなったんでね、 その時のこととか結構思い出すんですけど、
あの、すごい入院しちゃったんで、うちの主人がね、やっぱりなかなか日本に行けなかったんですけど、やっと来れて、
私もその頃は、2週間くらいか、2、3週間、あのシンガポールから向こうに行ってる時で、 で、私がいるうちにということで、あの出張の、
なんか乗り換えの時に、3日くらい日本にね、 泊まるって言って、それでうちの父に何回か会いに行くっていう。
やっぱり入院してるから、その間、 面会時間に行かなきゃダメだから、だからまあ2日分くらい、
その面会をしに行くだけの日をとって、それで、 予定立てたわけですよ。
来るって言った時に、あのでっかい台風が来たんですよ。 千葉直撃、
成田の辺りに直撃する台風が来たんですよね。大雨台風。 大型ではなかったんじゃないかな、結構。
すごい成田が、あの洪水みたいになっちゃって、
高速道路を全部、覚えてると思うんですけど、 これ聞いてくださってる方、もしね、首都圏の人だったら、
台風の影響
東京から成田までの、あの高速道路全部ね、京王道路とか、 全部閉まっちゃった。閉まっちゃってるよね。閉鎖になっちゃって、
大変なことになる。風は強いし、 成田の辺りがなんか、本当にいろんなところで浸水しちゃったり、浸水っていうか、
水がマンホールから出ちゃうみたいな、噴水みたいになっちゃうみたいなことが結構、 いろんなところで起こってて、信号は止まっちゃうし、みたいな、そういうことになった日だったんですよね。
それで、
チャピさん、おはようございます。 ありがとうございます。
それで、 でもなんか、その台風が来るよって言った日に、ギリギリうちの主人がついて、で私が
車で迎えに行って、でもすぐにアメリカに立つ感じだったので、
超地元の話なんですけど、成田空港の近くにラリーソンホテルだったと思うんだけど、名前がね。
ラリーソンホテルっていうホテルが空港ホテルなのかな。 そこにね、うちの父上に泊まったんですよね。それで私迎えに行って、
で、そこからうちの父が入院してるのが、あの時どこだったのかな。千葉台。
千葉台だったのかな。
なんか3軒ぐらい変わったんでね。
それで、
で、連れて行って、
でもなんか台風がすごい近づいてくるからやばい。やばいから、 とりあえず私は母を
うちの方に送る。これで成田まで行ってから送ると、すごい大変だからやめなさいって言われて、
たまたまそこに来ていた義理の弟が、僕が行きますよって言ってくれて、うちの旦那を、とりあえずそのホテルに送る。
うちの主人はね、結構大きいんですよ。
また、うちの母親とかが結構ね、あの
妊娠症とかもあったので、いろいろな下の世話とかも私もあったから、 だから
それもあって、うちの実家に泊まらないように。 大きいんですよ。体が大きいから、トイレとかお風呂とか使いにくいらしいんですよね。
うちとかだと、実家のだと。だからホテルに入れた方がいいんですよ。落ち着いて。
で、ホテルに泊まらせてたから帰りました。
父の車の話
すごいこれ細かいことなんだけど、細かい話共有してるんだけど、なんかもう本当家族の話なんだけど、それで
それで、あの
その日は良かったんだけど、はい、じゃあ来ました。 台風来たの、覚えてるかな、その台風。
はい、ありがとうございます。チャピさん仕事中なので、お耳だけ聞いておきます。 ありがとうございます。お仕事お疲れ様です。
いつもありがとうございます。それでね、あの
それで台風来たの。その台風、チャピさん覚えてないかな。すごい成田がすごい、あの
すごいことになっちゃった台風です。2019年の、何月だったかな
10月?9月かな。9月。写真見れば思い出すんだけど。それでね、実は2日間お見舞いにうちの主人行きたいって言ったから、次の日もお見舞いに行きたかったんですよ。
で、台風は多分夜のうちに去ったんだよね。 だけど、なんか木とかがめっちゃ倒れてたりとか
本当はさっき言ったように、マンホールから水が出て、周りがすごい浸出してるとか、そういうところがたくさんあって、それで
高速道路も使えないってなって、じゃあ私どうやって彼を迎えに行くんだろうと思って、でも下道で行けばいいかって思って行ったんですよ。
そうしたら、行ったっていうのは、車好きの父のピカピカの、あのね、
そうそう、父が入院してたのになんで車がまだピカピカかっていうと、私が行くたびに掃除してたのと、あとは私がいない時は、車好き仲間の近所のおじちゃんが
掃除に来てくれてたの。ピカピカなの、まだ。 そのピカピカを、木が倒れてるところとか、もうね風もまだ強かったから、超そういうゴミみたいなのがバーって飛んでくるんですよ。
もうね、私、木書じゃなくて、こういう枝で車が傷ついたらもうめっちゃ怒りそうとか思いながら、
でもね、あのちっちゃい車で行くよりは、あの大きい車で行った方が安全だと思って、もうしょうがないからそっちで行くわけなんですけど、それ
で行ってたら、もうほんとね動けなくなっちゃって、途中で。 これ無理だなぁと思って。
で、時間ももう今から行って帰って、でね、その夜にうちの主人はね、アメリカに行くことになってたので、多分そうだと思う。違ったかなぁ。
多分そう。それかその次の朝ね。だから、いやもうね無理だなぁと思って、結構頑張って、どこぐらいまで行ったかなぁ。
桜の先ぐらいまで行ったんだけど、いやー、あれ以上無理で。
で、もう他の人もさ、やっぱり下道使うからすごい混んでてね。
混んでるし、道はなんかもう塞がれてるし、木とかでね、折れちゃってる木とかで、すごいことになってたんですよね。水は出るし、あの下から噴水みたいに。
それで、えっと、行くのを諦めました。
で、諦めて私は帰って、帰ったんですよね、その後。
アルファードの置き去り
で、その時に、まあ車とは関係ないんですけど、うちの主人のホテルが停電になったらしくて。
で、まだ暑い時期だったから、もうなんか喉も渇くんだけど、なんかそういうホテルってさ、なんか予備の発電機とかないのかね。
そうそう、2019年9月9日あたりの台風を覚えてますよ。いろいろと停電、断水などあって大変でした。
そうなのよチャピさん、それです。
それで、大変だったけど、うちの方は大丈夫だったよね。そんな停電なかったよね。
あの成田のあたりがすごかったんだよね、あれってね。
それで、車の話とは全然関係ないんだけど、それでラディソンホテルが停電になっちゃって、
うちの主人ね、帰らなきゃいけない、あ、違う、ご飯を食べたいって言ってもね、レストランもみんな閉まっちゃって、
周りは水浸しなんだって、外はね、歩いてどっか行けるような感じの場所でもなくて。
それで、草原のバスでね、とりあえず空港に行ってみよう、みたいな感じになって、空港に行ったんだって。
そしたら空港、もうすごい帰れない人、本当、到着したんだけど帰れない人とか、
あとは出発したいんだけど出発できない人とかで、もうすごいことになってて、
もうちょっと想像するだけで、なんであの人写真撮らなかったんだろう、そんな時の様子。
なんか、そうか、わかった、あの、充電もできなくなっちゃって、それで充電しに行ったんだ、空港に。
そしたら今度帰ってこれなくなっちゃって、すごいもう人が、人が溢れちゃってて、
もう本当にあの、周りに、まさかね、あそこから歩いて帰る人なんか見たことないじゃない、私たち。
だけど、あの、そうだよね、電車も止まってたんじゃないの?
なんかで、そうだよね、電車も止まってたよね。
それで、あの、大きいね、スーツケースを持って歩いてる人とかがいるっていうわけ。
もうすごいことだよね。
あの日が一番すごかったみたいで、で、私はしょうがなくて、うちに帰って、うちで、どうしようって思ってたわけです。
でね、なんかすごい大変なことに、その次の日に私はもうシンガポールに帰ってくることになってて、
で、もう私は、主人のことはもう勝手に頑張ってね、みたいな、飛行機飛ぶまでに何とかなればしょうがない、なんかなるよね、って言ってほっぽっといて、
彼は何とか、まあ、すごい暑かったりとか大変だったんだけど、結局アメリカには飛べたんですよ。
で、私はね、自分のこと考えなきゃいけなくなっちゃって、で、母は、えっと、施設の方に、あの、また何日かお願いしますとか言ってお願いしといて、
で、その間に私、あれ、私どうやって帰るんだろうと思って、たぶん電車もなく、電車も止まってたよね、あの時ね。
はい、そうですね。あ、チャピさんが、地元は平気でしたね。千葉から下の方、成田方面被害が多かった、そうだよね、そうなんだよね。
それで、えっと、とにかく電車もなくて、それで私ね、あ、じゃあタクシーに、あの、タクシーでも行っちゃえと思ったの、成田空港まで。
そしたら、タクシーなんか絶対無理なわけ、それで私どうしようと思って、えっと、電車もない、車もダメ、
あ、私帰れないじゃん、飛行機乗り、乗れないのかなと思って、で、ここでね、車好きの父の、車好きの父の大事なアルファードが出てくるんですけど、
あ、ちょっとすっごい早めに出て、で、次の日だから、あの、その、成田まで行けなかった日の次の日だから、少しはさ、下道だってさ、きれいになってるはずじゃん、何とかなるのかなとか思って、
もしかしたら、いや、もしかしたらっていうのは、高速がもう空いてたかと思うけど、いや、空いてなかったよね、まだね、たぶん、だからタクシーもないし、何にもないって感じで困ってて、それでね、
ああ、アルファードを、あの、1日目にラディソンホテル、これ、名前言っちゃって、この悪いことして、悪いことっていうか、あれなんですけど、ラディソンホテルにまあ泊まってたんで、主人がね、1日目に行った時に、すっごく広い駐車場だったのを知って、分かってたんです、しかも一応無料みたいな感じで、さすがだよね、田舎。
それで、あの、それを分かってたんですよ、それでラディソンホテルから、あの、空港まで行くのに、
あれがあるじゃないですか、バスが、シャトルバスが、それも知ってた。
で、ああ、ラディソンホテルに、うちの父の大事な、大事なアルファードで乗りつけて、ちょっと、ご迷惑のかからない所あたりに泊めて、そのまま泊めたまま、私はシンガポールに行っちゃえばいいんじゃないかって思いついたんですよ。
それで、これはいい、めちゃくちゃいい案だと思ったんだけど、そりゃあさ、その大事なアルファードを、そこに置き去りにしていくから、私はドキドキするわけですよ。
これ話しててもさ、ほんとどのぐらいドキドキかってなかなか伝わりにくいと思うんだけど、たかが車でしょって思ってる人にとってはさ、何妄想言っちゃってるのって感じだと思うんだけど、いやあ、ちょっとどうしようって。
そういうグッドアイデアが思いついたにも関わらず、どうしようかなと思って、大急ぎでうちの妹に電話して、うちの妹とギリの弟にも話を通して、ちょっとお姉ちゃんは、パパの大事なアルファードを置き去りにしていく。
しかもまだ風とかも結構強くて、やっぱもう傷だらけになっちゃったりするのどうなるのかなと思いながら、ちょっとそれ置くから、このギリの弟くんに、ちょっといつか、というか早めに、いつでもいいから取りに行ってくれないみたいな。
鍵は妹持ってたと思うんで、でもなかったのかな。相鍵とかとりあえず実家にあるからそれも取りに来て、何とかお願いみたいなこと言ったら、分かりました。1週間以内に取りに行きますっていうわけ。いや、1週間そこに置き去りにしたらアルファード泣くよねみたいな。
その辺、いろんな感情が起こってね。
で、父は病院にいるわけじゃないですか。いや、父には絶対に言っちゃダメだと。病院に行ってしっかりしてたんでね、本当。知らん顔していこうと。
それで、何か本当、しょうがなくてそうしたんですけど。
父の車好きと家族の思い出
でも、やっぱり同じような気持ちで、うちの父の車好きっていうのはもう本当に家族中知ってることなので、ギリの弟もすごい気になったみたいで、1週間しないうちに、自転車で、
やっぱりうちの地元の方に住んでるから、結構自転車で行こうと思えば行けるよね。男の人だったら何時間かかかるけど。
それで、今から行ってきますって言って連絡くれてたんだけど、なんとすごい気合い入れて行ってくれたのに途中で、これも全然車とは関係ないんだけど、
自転車がパンクして、結局、それどうしたんだっけな、なんか自転車がパンクして、どっかからか戻ってこなきゃいけなくって、結局その日アルファードまでたどり着かなかったっていう1日があって、
その次の日かな、なんかに電車で行ってくれたんだけど、なんかいろいろあったなと思いますね。車の話だけじゃないですけど、台風にはやられましたね。
それで着いたら、もうポツンと、なんか本当に人がいつも止まらない、観光総裁はないかホテルで、結婚式とかそういう大きいイベントがあるときに車が止まるような感じの場所がすごい広いところがあって、
全然人、普段は止めませんよ、みたいなところに止めておいたので、なんかアルファードがポツンと、なんか枯れ木とか枯葉に、なんか枯葉がたまってる状態で立ってましたよとか言って、ありましたよとかかわいそうでしたよとか言って、それで言ってましたけど、それで無事戻ってきたって話ですね。
でもあの台風は本当にすごかったですよね、本当。
帰ってきてる、チャピさんありがとう。
電車も止まって、ちょっと待って、読めない。
現場、千葉から帰るのに2時間以上かかってました。
やっぱりそうよね。
千葉からそちらで2時間とか、その日やっぱりお仕事とかあったの覚えてるんだね。
本当あれはね、そうドキドキですよ。でもね、ああいう時、飛行機って強くてね、本当台風とかで、なんかその辺がすごいのに飛行機は飛ぶんですよね、本当。
あれで台風であんまり関係ないんだよね、本当。
国際線はね、国内線は飛ぶだけじゃなくて、到着する方の飛行場も台風だったりとかするとちょっと無理ですけど、結構大丈夫なのよね。
強い、とか思うんですけど、
飛行場ってよくできてるんだと思うよね。
それでですね、父にはバレないで、一応アルファードが戻ってきたっていう話でした。
何にもうちの家族だけで勝手に盛り上がる話なんですけど、この前も大変な思いをした旦那は、
家族でご飯食べてる時に、めちゃくちゃその時大変だった話を延々としてたわけですけど、
いや、そういうことってあるよね。
人に、人ん家に行ってわざわざ話す話じゃないけど、あの時は本当に大変だったよね、みたいな。
何回も言っちゃう話、みたいな。
そうそう、大変だった、大変だったって言ってね。
私も大変だった。タクシー屋さんにも何件も電話したんだよね、あの時。
ほんとゾッとしちゃって、座って電話してた場所も覚えてるぐらいね。
なんか、私やっぱ、飛行機乗り遅れちゃったりするのかな、このまま行ったらと思って。
そっか、私その当日にそういうふうに思ったんだ。
ほんと間に合ってよかったなと思いますけど。
いやー、そういういろいろありますね、思い出すとね。
ということで、ちょうどお家に着いたので、このぐらいにしたいと思います。
チャピさん、運転お疲れ様です。
飛行機強いですね。
ありがとうございます。
お家に着きました。
ほんとでもお仕事もお疲れ様です。
今日も一日頑張ってくださいね。
なんかちょっと涼しくなったって、なんか過ごし暑くなりましたか?
はい、こちらはいつも暑いです。
えーと、そのぐらいかな、今日は。
では、こんな感じで。
お付き合いいただきありがとうございました。
30分もさ、こんなくだらない話してたけどさ、
家族とかだとこうやって30分もさ、こういう話するよね。
あの時のさ、みたいなさ、なんかね、あるよね。
それをさ、結構何回も思い出すとさ、同じこと喋ったりするよね、繰り返しね。
そういうのもまあ、だから、はい。
こんな感じで。
あと100日まで、もしかしたら同じ話を繰り返す時もあるかもしれませんが、
お付き合いいただけたらいいと思います。
お付き合いいただけたら嬉しいです。
はい、ありがとうございます。
お帰りなさい。
こちらもだいぶ涼しくなりました。
めっちゃ優しい。
ありがとうございます。
帰ってきました。
では、私はこれから朝ご飯をもりもり食べたいと思います。
チャピさんももうそちらはもうすぐじゃないか。
お仕事だから。
じゃ、ランチまで頑張ってください。
では、今日もお疲れ様です。
また明日。
またね。
ばいばい。
34:28

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