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 #9 【1-6】CHANELはなぜ死ななかったのか?|ヴェルテメール家とラガーフェルド
2026-05-26 21:23

#9 【1-6】CHANELはなぜ死ななかったのか?|ヴェルテメール家とラガーフェルド

今回のテーマは、


「CHANELは、なぜココ・シャネルの死後も生き残れたのか?」


です。


戦後、

ココ・シャネルは単独で復活したわけではありませんでした。


そこには、

ヴェルテメール家という、

“表に出ない資本家たち”

の存在がありました。


・1954年の復帰

・ディオールとの対立

・シャネルスーツ

・2.55バッグ

・アメリカでの再評価

・1971年 ココ・シャネル死去

・ブランド停滞期

・アラン・ヴェルテメールによる再建

・カール・ラガーフェルドの登場


今回かなり重要なのは、


👉 CHANELは「創業者一人」で成立していない


という点です。


ココ・シャネルは神話を作った。


ヴェルテメール家は、

その神話を資本・流通・法務で守った。


そしてラガーフェルドは、

CHANELを“保存”したのではなく、


👉 「再編集可能な記号」


へ変えました。


つまりCHANELとは、

単なる服のブランドではありません。


創造者、

資本家、

経営者、

法律家、

編集者が、


時代ごとに“価値”を翻訳し続けるシステムだった。


今回の配信では、


・なぜフランスでは冷遇され、アメリカで評価されたのか?

・ディオールとシャネルは何が違ったのか?

・なぜラガーフェルドはCHANELを復活できたのか?

・ラグジュアリーにおける「流通」と「空気感」の重要性


などを、

「物と価値」の視点から深掘りしています。


CHANELは、

一人の天才だけでは作れなかった。


だからこそ、

100年以上生き残ったのかもしれません。


▼note

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▼X

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サマリー

このエピソードでは、ココ・シャネルの死後もシャネルが生き残れた理由を、ヴェルテメール家とカール・ラガーフェルドの貢献に焦点を当てて解説しています。ココ・シャネルが神話を作り、ヴェルテメール家が資本と流通でそれを守り、ラガーフェルドがブランドを「再編集可能な記号」へと変貌させたことで、シャネルは単なる服のブランドではなく、時代ごとに価値を翻訳し続けるシステムとして100年以上存続できたと論じています。特に、創業者一人ではなく、資本家、経営者、法律家、編集者の協力によってブランドが成り立っている点が強調されています。

ココ・シャネルの復帰とヴェルテメール家との関係
はい、本日も始まりました、物と価値のリベラルアーツパーソナリティのきのです。
今回はですね、現代にも通じるCHANEL復興のストーリーっていうのをね、話していきたいと思います。
はい、ではまずMaisonへの復帰から見ていきたいと思うんですけども、1954年、ここCHANELはですね、Maisonへ復帰するわけなんですけども、
復帰といってもね、再開するみたいな感じにはなってくるんですよね。 ただね、この時CHANELっていうのはね、70歳を超えているんですよね。
70歳を超えて仕事復帰するって結構ね、すごいことですよね。 さらにね、それでいてまさかの、あのヴェルテメール家と一緒に再会するっていうことになるんですよね。
散々権利で揉めていたっていうね、あのピエール・ヴェルテメールと一緒にやるんですけども、復帰の仕方がですね、あのクチュールの事業をね、
あのヴェルテメール側へ売却して、で、所有したり経営したりっていうのはヴェルテメール家。 で、作ったりとかね、あのブランドの買おうっていうのはここCHANELがやるっていう構造で再開します。
ここはね、本当どういう心境だったのかっていう話なんですけども、このね、史実だけを見てるとね、結構難しいところなんじゃないかなっていう、あれだけ揉めてたのに何でなんだろうって思うんですけども、
僕としてはね、そのピエールですよね、ピエール・ヴェルテメールが持っていないものっていうのはCHANELが持っていたんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
やっぱりこの投資している側にピエールはなるわけなので、CHANELの持っていたストーリーですよね、成り上がりストーリーみたいなものだったりとか、彼女の人生自体にすごく魅力を感じていたんじゃないかなっていうふうに思うっていうのが一つなんですけども、
もう一つがですね、CHANELの自体のことをね、すごく理解していたんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
やっぱりそのNo.5の時に揉めてはいるんですけども、その理由っていうのが、やっぱりそのユダヤ迫害とかがあった時代にピエールがそのCHANELの5番の権利を持っていたままだったりすると、
もしかしたらそのCHANEL5番時代がなくなってしまうんじゃないかとかっていうことを考えていたりとか、そういうバックグラウンドを元に揉めていたっていうことだったりもするんじゃないかなっていうのはね、裏であったんじゃないかなっていうふうには僕はちょっとね、考えていたりするんですよね。
で、なんていうんですかね、2人が揉めていたみたいな、危うさっていうのはね、すごくいい緊張感につながっていたんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
言うなれば、そのピエールがやっぱりその悪い方向に持っていこうとしたりすると、じゃあここは動きますよっていうスタンスだったりとか、
ブランドっていうね、そのアイコンを中心にして、やっぱり2人は動いているっていうのが構図としてあったんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
そういう中でね、協力体制が可能になっていったんじゃないかなっていうふうに思うんですけども、
アメリカでの評価とシャネルスーツ、2.55バッグ
そうやってね、復帰のコレクションが始まっていくわけなんですけども、やっぱりね、ココシャネル自体はね、フランスではね、不審感とかもあって、そんなに売れなかったんですよね。
やっぱりその、いろいろと事件というか、スキャンダルみたいな感じに当時なっていたんだと思うんですけども、そういったこともあって、なんであいつの服を買わなきゃいけないんだみたいな感じの空気もあったんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。
まあ、ですけども、ここはね、世界はヒーローインですよね。
はい、アメリカではね、その実用性を意識した服っていうのがね、すごく評価されて、これちょっと時代のズレが、やっぱその時代あったんじゃないかなと思うんですけども、そういうところは評価されて、アメリカで売れ始めていくんですよね。
で、そんな中で、2.55のバッグっていうのが出るんですけども、このバッグね、現代でもね、もちろん売ってますし、あの、シャネルといえば、あのマトラッセですよね。
マトラッセの原型としても言われる、原型になったとも言われるバッグでもあるんですよね。
で、ちなみにね、このマトラッセのバッグっていうのはね、バッグの名前ではなくて、その生地の、キリティングのあの仕様のことをマトラッセって言うんですよね。
なので、同じ形でも別に、そのチョコバーとか、そういう生地のデザインによって名前はちょっと変わっていったりします。
はい。で、この後世にも残るね、名品を掲げて、あのクリスチャンディオールと対峙することになっていくわけなんですよね。
クリスチャン・ディオールとの対立
はい。クリスチャンディオール。結構有名ですよね。みなさん知っているかなとは思うんですけども、ご存知なんじゃないかなっていうふうに思うんですけども、
早速ですけども、この時期に登場したのがクリスチャンディオール。1947年のニュールルックで、細いウエストと豊かなスカートを打ち出していった人物なわけなんですけども、
彼のシルエットに革新を起こしたデザインっていうのはね、戦後に、やっぱりその当時って地味な生活とかっていうのをせざる得なかったわけなんですけども、
そこに、そのシルエットとかで豊かさだったり夢だったりっていうのを与えたスタイルだったわけなんですよね。
で、シャネルはコルセットが嫌いだったわけなんですよね。
では、そのコルセットみたいな服を作り出したディオールは消しからんと。
そういうことで、再び女性の自由を求めて、服を打ち出していくわけなんですけども、ここってかなりハイコンテクストな戦いなんですよね、僕としてはね。
というのも、シャネルの求める自由さみたいな部分と、ディオールが求める豊かさだったり夢だったりっていう方向性っていうのは、
その当時だけじゃなくて、ずっと残れるというか、ずっと続けることのできるコンセプトなんですよね。
だからその永続性のあるコンセプト同士が、この時期に対等して戦っているっていうところがね、すごく面白い構図になっていると思うんですよね。
結果ね、両方とも残ってますからね。これはすごいことだと思います。
ココ・シャネルの死とブランド停滞期
で、そしてシャネル自体っていうのはね、誰が復活させたのかっていうところになってくるんですけども、
ここでね、やっぱりベルデメール家っていうのの再結合っていうのはすごく重大なことになっていくわけなんですよね。
もちろんね、単独で復活したわけじゃなくて、やっぱり資金支援とかも受けていたわけなんですけども、
感情よりもね、やっぱりシャネルのね、ブランド価値っていうのをね、しっかり活かしていこうっていうふうにして進めていった感じなんですよね。
そしたらね、やっぱり問題が出てくるわけなんですよね。
そうやってね、復帰して再度進めていこうってしてる中でですね、1971年、ついにここシャネル自体がね、なくなってしまうんですよね。
そうすると、ブランドのアイコンだった人物自体がなくなって、その一瞬っていうのはね、あの価値をすごく出るっていうのはね、今の時代だとね、そうやって価値がバッて出る感じになっていくんですけども、
当時はですね、新しいものっていうのがどんどん生まれてきている時代でもあったわけなんですよね。ブランドだったりとかっていう、同じようなところで出てきてるわけだったんですよね。
そういったところでなくなってしまうっていうのはね、やっぱ伝説とかにはなっていったりするんですけども、やっぱりそこで終わってしまう。
本当に美術館に飾られるようなものみたいな、博物館みたいな感じになりかけていく。ファッションっていうのはやっぱりトレンドだったりっていうのがすごく大事、重要になってくるものなので、その状態っていうのが続くことになるんですよね。
なので、ココシャネルがなくなっても、所有権っていうのはベルデメール系側に残っていくんですけども、ブランド自体の枠組みみたいなものはあるんですけども、それをその時代に合わせていく人がいないっていうところなんですよね。
ポイントとしてはね、ツイードだったりとかカメリアだったりとか、黒と白だったりとか、ナンバーファイルだったり、生地ですよね、マトラス製みたいなものはシャネルがしっかり持ってるんですけども、それをその時代に合わせる人がいないっていうのが結構この時期の課題になっていったっていうことなんですよね。
つまりシャネルっていうのは価値自体はあるんですけども、欲しいとか買いたいとかってなるね、そういうことにはトレンドには乗らない古典的なものになりかけていたっていうところなんですよね。
この時期に経営していたのがジャク・ベルテメールっていうピエールの息子になるんですけども、これがシャネルの停滞期となる時期の経営者みたいになってくるので、本当に失敗した人みたいな感じで思われがちなんですけども、彼もね意外としっかり仕事できたんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
その移行期っていうのを、一番大変な時期っていうのをしっかり支えて、そして次にちゃんとつなげていった人物っていうふうにして考えるのが僕はいいかなっていうふうに思います。
アラン・ヴェルテメールによる再建とカール・ラガーフェルドの登場
後半ですね、その1974年になってくるんですけども、アラン・ベルテメールっていう人に変わります。
この人がですね、本当に化け物なんですけども、シャネルを再構築していくわけなんですよね。
1974年に会社を省枠すると、そこから9年後ぐらいになるんですけども、あの有名なカール・ラガフェルドを招き入れるというか、ちゃんとその人にしっかり頼んだんでしょうね、このアランは。
そうやって頼んだんだと思うんですけども、そうやってブランドをさらに復活させようとして動き始めて、ちゃんと動かした人になるんですよね。
アラン自体の重要な仕事っていうのは、香水だったりプレタポルテだったりとか、流通店舗とか広告っていうね、それまでちゃんと整理されてなかった部分っていうところをちゃんと再構成していったっていうことなんですよね。
で、本当にそのときに売られていたっていうとね、香水とかドラッグストアとかで結構売られていたりしたんですけども、それはねブランディングに合ってないみたいな。
だからここはアランがね、ブランディングっていうイメージをしっかり持っていたんじゃないかなっていうふうに思います。
そこでそこの販売先っていうのを見直したりして、ナンバーファイブの威信を回復させていくんですよね。
で、そこでさらにもう一人出てくるんですけども、ジェラール・ベルデメールっていうのが出てきます。
で、この人はアランとともにシャネルを支援した人物になってくるんですけども、兄弟で決定して顔を出さない所有者としてブランドを支えていた人物なんですよね。
で、この2人の極端な身長差っていうのがすごくて、メディアとかにほとんど露出しなかったっていうことなんですよね。
で、この人らだけ2人っていうのもあるんですけども、さらにねさり気なく重要なのが、このアランとジェラールのお母さんがいるんですけども、エリアン・エルブロンっていう人がいるんですけども、この人はね法律家なんですよね。
で、この人がいたおかげで、ライセンスの契約だったりとか、そういったシャネルの見えない部分っていうのをかなりしっかりと支えてくれた人っていう風になっていくんですよね。
で、ブランドっていうのは美学っていう美しいものだったらオシャレな部分だけじゃなくて、商標だったり契約だったり流通とか法的なものとかで、やっぱり法務的な部分で守られているっていうことになっていくっていうところなんで、そういうところをしっかり支えた人物っていうところですね。
で、本当にどこで売るかだったりとか、誰が管理しているかどう見せるかっていうところをこのアランと2人はね、すごくしっかりと作っていって、結果カール・ラガフェルドっていうのを招き入れて復活させることができたっていうところがポイントになってきます。
カール・ラガーフェルドによるシャネルの再解釈と現代への影響
そしてですね、1983年にですね、カール・ラガフェルドがシャネルを変えたっていうところなんですけども、この人、見たことある人すごくいると思うんですよね。何かしらで出てくる人なんですけども、
これね、カール・ラガフェルドって結構シャネルとも共通点があって、シャネルってあのスタイルっていうかね、雰囲気自体がもうキャラクターとして成り立っているっていうか、アイコンとして成り立っているじゃないですか。カール・ラガフェルドも同じなんですよね。
なので、多分そういった部分でいうとすごく似ている人なんじゃないかなって思うんですけども、この人がね、1983年にね、シャネルのアーティスティックディレクターに就任するんですけども、シャネルの公式自体もラガフェルドが就任したっていうこと、1983年だっていうことを記録しているわけなんですよね。
彼がなんでこれだけすごいって言われているのかっていうのが、シャネルを保存することっていうところ、シャネルを引き継いで、それを継続していくことだよねっていうことっていうのがすごいわけじゃなくて、シャネル自体を彼自身が再解釈して、その時代にあったものに翻訳していくっていうのがすごいんですよね。
結局は、黒いドレスだったりとか、2.55とかのバックとかっていうもの自体、コンテンツ自体はあったけども、それってもう時代遅れだよねっていうなっていたものを、やっぱりその時代に合わせたものっていうふうに、バージョン2みたいなものをしっかりと作り上げたっていうのがすごいところなんですよね。
おかげでですね、今のシャネルっていうのは、そういう価値のあるものっていうものを再度見つめることができて、ツイートだったりカメリアだったりとか、パールだったりとか、ちゃんとシャネルが思ってきたものっていうのは、ちゃんと受け継いだまま新しいブランドというかね、受け入れられるブランドっていう形に再編集されているんですよね。
カール・ダカフェルトっていうのは本当に、復興させた人物としてすごく評価されているんですけども、これがですね、今の時代、他のブランドとかでもすごく行われてたりします。
やっぱバレンシアだったりとか、そうですよね、グッチとかだったりとかも、創業者とかが持ってきたコンセプト、その時代に始めたときに作ったコンセプトだったりとか、その時代を得ることで得ていったものたちっていうのがたくさんあるブランドっていっぱいあるんですよね。
ただ、それってその時代のものだったりするわけなんですけども、そうやってそのいいなっていう要素だけを引き取って、今の時代に合わせるっていうことができる人っていうのはあんまりいないんですよね、世の中。
なので、デザイナーさんっていうのはね、いろんなブランドを渡り歩いたりしてたりするんですけども、それってたぶん本当にそれができる人っていうのはあんまりいない、ちゃんと解釈できる人っていうのはあんまりいないからなんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
カールラガフェルドっていうのは、ここマークっていうのをしっかりと作ったり、前に打ち出していくっていうね。
今でいうとですね、ロゴをしっかり見せていくっていうブランドの認知の仕方っていうのは、本当にカールラガフェルドが作っていったものなんじゃないかなっていうふうには僕はちょっと思ってたりするんですよね。
例えばですけども、もっと身近な話とかで言うと、結構ね、昔流行った服とかっていうのが今流行り直してたりすることって結構あったりするじゃないですか。
特にね、リーバイスのデニムだったりとか、そういうストリートスタイルとかだったりとかっていうのはね、結構ね、20年前とかだったりとかも流行ってたりするわけなんですよね。
でも今のストリートスタイルと当時のストリートスタイルって違うんですよね。
似てはいるんですけど違うんですよね。
でもその似ているけど違うっていう、この絶妙な部分っていうところの間にはすごく壁があるんですよ。
実は、当時のものをそのまま着たらいいわけじゃなくて、当時のものを着るにしても今の価値観で着ないといけなかったり、そうじゃないとおしゃれには見えないっていう部分が出てきたりするわけなんですよね。
それまでそこの20年からやっぱり落ちていった、流行らなくなっていった時代を得て再度復活するっていうタイミングには、その間落ちてた間に培われたそれらのその時代の文化みたいなものがやっぱりそこで経験していって、
さらにその文化を得た上で、ああいうスタイルって良かったよねだったりっていうところに再度たどり着いてるんですよ。
なので、結果的には同じようなことをしているのだけども、経験をした上でやることと経験をしてないときにやることの違いみたいなものがね、すごくあって、
その差っていうのはね、すごい普段人生を生きている中でも結構体験することなんじゃないかなって思います。
例えば仕事とかでも、結果的にやってることは同じなんだけども、例えば売り上げを上げなければいけないって言ったときに、
売り上げを上げました、でもあらり率が低いですみたいな場面って出てくるわけじゃないですか。
そしたら、あらり率上げないといけませんっていうことで、じゃあ値段しっかり上げていきましょうっていう感じのことをやるとするじゃないですか。
そしたら結局、あらり率を上げるために値段を上げたら売り上げが下がってしまうみたいなことが起きたりすると。
でもその後で、やっぱり売り上げが下がってきたんで売り上げないといけませんって言ってやるときっていうのは、
1回目にあらり率に切り替えたときの前にやっていたことと同じだったらダメなんですよね。
やっぱりその1回あらり率を上げたことっていうのを経験した上で、さらに売り上げを考えるっていう、
ダブルエンジンの解像度が高くないとダメなんですよね。
なのでそういったところを考えてできるっていうような時代の流れがあるっていうのを、
こういうブランドを通じてですね、理解していくっていう、
そして楽しむっていうのがすごく重要なんじゃないかなっていうふうに思います。
次回予告
ではですね、次回はですね、このシャネルを受け継いでいった人たち、カウル・ラガフェルドからあと2人いるんですけども、
その3人について語って、このシャネル歴史会っていうのを一旦終了しようかなと思いますので、また次回よろしくお願いいたします。
はい、以上です。
21:23

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